2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

俺が精神病の時書いた文章を晒してく

15 :優しい名無しさん:2015/06/14(日) 21:10:20.22 ID:SB3Oy0Gxz
>>14続き
もう死にたい、そんな愛するなどとした存在への共感さえ、白々しく、
鬱陶しいものでしかないと思う。
今更、信じても意味はないだろう。
でも、しかし、多分未来に見据えたのは、その現在でも今でもない、
その未来にも生きれず、今に生きて、その未来さえ過去に
そう信じ込んでも信じられずに居た、その未来の其処にも、先に、
過去は今に、その現在に、その中に居た、現在の“自分自身”という、
未来はその中にある、明るいその日が昇る先には、そんな信じて居た、
幸せだった、そんな優しさの走馬灯の、今に現在に過去に、その『未来』を
“現在”に生きて居た、自分自身のその過去は信じて居た、その遠い、
過去の今に至るまでの存在である自分自身の惨めな走馬灯に、潰えそうな、
その費えてしまう以前の過去に、今にも、その現在に生きて居た
自分自身なのかもしれない。
その有難い、『有難う』でさえ、それは、「ご免なさい」とも、
すみませんとも言えず、その中に、「はい」、と大丈夫ですと、
分かりましたと、それさえ、その惨めな潰えた走馬灯に、生きて居た過去の
虐められずとも虐められて居た、その自分に、過去さえもそれは許しも
赦されず、信じることも、疑い込むことでさえ、疑わされることも、
それは疑いの倒錯の内の、その「笑い飛ばし」、嘲笑に、俯き、俯かれ、
その憚りさえ、その存在の介在の介錯は、その介する、介釈の惨めな
解釈でしか、その倒錯でさえ、今も分からずに居る。
惨めも、殺意もその中で生まれるに過ぎない。
家族からも、その解釈も、介釈も、その内のすれ違いでさえ、
突き放され、負け犬どころでさえ、自分はそれ以下の人に擬いた様な、
“豚”の様な扱いをされていた。
その時に浮かぶのは、数年前の自分の小太りも、そのデブでさえ、
その性と精は、その出不精などでもない、そんな風に笑われることでさえ、
未満も、下に介在していた。
そんな自分の目を通しても、惨めで何も出来ない自分しか居ない。
今に、未来に、その現在である、過去でさえ、その過去は今でしかないと、
先に先に、その遠い先は、それにもなれず、馬鹿に笑われることも、何をされても、
晒し者で、笑われも臆病もそれに鬱憤する様に押し殺せずに、涙目でさえ、
その自覚は、“未満”である自分自身でしかなかった。
でも、その過去にも今にも、自分自身として、その自分自身としての存在としては、
もう生きるにも、心は生きてないだろう。
死ぬも先もそれは過去に紛れて忘れても、その今に至る一直線の過去の現実しかない。
その音も声も、朝も夜も、薄暗さも、闇も、陰鬱なその肌に滑りつく様な
惨めな湿気の中でも、働くことですら、その人間未満の協賛ですらない、
その共産でもない、中に生きさせられた、そうしても、そう考えて省みても、
きっと、今の自分自身、それさえ出来ない。
誰も、彼であっても、その殺意は鬱憤の中に紛れて押し殺して来たのだろう。
その倒錯な文章の殺意でさえ、その涙も人間のその自分の性と精である、
その人生も、死んで、終わった。
そうやって、発狂すれば、また元にと。
それであって、明日殺される?

39 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
名前: E-mail (省略可) :

read.cgi ver.24052200