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俺が精神病の時書いた文章を晒してく

14 :優しい名無しさん:2015/06/14(日) 21:02:55.71 ID:SB3Oy0Gxz
今、穏やかな中に居た。
優しい、柔らかなLEDの夏目球のついた寝室で。
その中に、今はそう言えば、日曜日なんだと。
日曜日なのか、とそう言うより、その時間より前に進んでいた。
その 12時40分から 間の35分を過ぎたあたり、
そこに穏やかさを感じていた。
その間に見て居る未来はあったと。
その間に生きて、その間は未来にある。
そう書くのが嫌になっても、信じ切ることは、その信じる、それに過ぎなくても、
その帰り道の夜中の静かな穏やかの家の中で、
その季節の間の、その彩で、その烏龍茶の香りが、その夏を過ぎて、先に見据えてたのは、
遠く行ったその間でも、その先でも、未来に、今に、その先にはその現在しかなかった。
けれども、自分は、自分自身は其処に居て、仮に先に
その音楽を聞いて涙を泣きながら流すとしても、それは今に至る
“現在”の幸せでしかない。
断ち切っても、そうでも、その過去には、今にも、未来にも無かった、
その現在も必然ですらなく、その決定論の様な中で、
信じて、信じ切れずとも、疑い切れずに、そう信じていたのは、
その未来に信じた優しさは、その今に至る、それまでの『家族』。
間違いも在って、不幸もあった。
でも、その惨めさも、その内に紛れて、背中を曲げて、愚直にも紛れ過ぎて、
信じて居たのは、その邪魔も何も、未来で無かったのかもしれない。
けれど、そんな幸せの中に紛れた、その惨めで穏やかにも、それが過ぎた幸せは、其処にも信じ切れず、
今も生きられなかった。
明日、何も変わらなかったら、もう人生ごと、それさえも出来ずに、臆病だった。
明日、書き記して、最後にその惨めだったのは、その永遠の中に居た
自分なのかもしれない。
でも、何も変わらない未来は、必ずしも其処には無かった訳ではない。
其処にあったのは、今という現在、現在である、その中に信じて、馬鹿らしく、
愚直に死ねずにも憚らせ、抗い、逆らう様に生きた、その存在も存在でしかなかった自分自身なのかもしれない。

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