焦げ茶色のアレが近づいている
- 1 :Now_loading...774KB:2014/12/23(火) 07:54:10.52 ID:6frJNYPz.net
- ゴガギーン
ドッカン
m ドッカン
=====) )) ☆
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( )| |_____ ∧_∧ < おらっ!出てこい>>1
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- 231 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 00:51:07.48 ID:/0guMFB6.net
- is she there? natumi step
理想
握手する手で。
コックさーん! コックさーん!
ニンジンとサカナって、どうすれば一緒に美味しく食べれるんですかー?
現実
ネオ麦茶の手で
コックさーん! コックさーん!
ウサギとネコって、どうすれば一緒に美味しく食べれるんですかー?
- 232 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 00:54:02.78 ID:/0guMFB6.net
- no answer?
No!
大丈夫。
美味しい、不味いは気にしなくていい。
どっちでも、何を食べても、最後はウンチになるんだよ。
- 233 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 02:14:31.94 ID:/0guMFB6.net
- 聖なる夜
ttps://web.archive.org/web/20040221171613/http://www.geocities.jp/books_1jp/hondana/hondana.html
第二回紅白作品です。
(・∀・) ジサクジエンデシタ
なジサクジエンです。これを見れば分かるとおり、このAAって物凄く初心者が使いやすいAAなんです。
AAは、あなたでも直ぐに作れる。
一行をコピーして、セリフを書いてそれをF8するだけ。それでそれなりの詩的な雰囲気が出る。
勿論Flashだって、絵心のない人がとっかかりで作りやすそうですし、この作品も如何にも経験の浅い人が作った感があります。
それでもちょっとそれなりに雰囲気が合って、文章自体が魅力的とは余り思わないのですが、それも含めてちょっとしたAAの厳かさ。
ただ長すぎて、その魔法も途切れる、途中で飽きる、観るのを放棄されそうな作品だなとも思います。
それでそう言う正にビギナー、初心者入門なキャラなんですけど、もうFlash板でもAA板でも、見かける回数は減っていて。
キャラとして死にそうになっている。Flash板ではもう死んでしまった? ここ数年のイベントで登場機会ありましたっけ?
ってのは、Flash板にAAキャラを使って乗り込んでくるようなそういう人が減っていったって証拠なんじゃないかと思います。
そういうのどうでもいい、高クオリティとか厨房臭のしないコミュニティとか、そういうのを求める人たちって、実は第二回紅白のジサクジエン系Flashが一つの勢力だった頃からいました。
彼らの夢は今、叶ったわけだ。なんて。
私は寂しいです。
- 234 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 02:34:40.50 ID:/0guMFB6.net
- ジサクジエンの遥かなる旅 ラウンジ編
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/3143/02.html
これは結構、頑張ってますよね。
音楽、色に絵が、一つ世界を作っていて、黄昏を感じる作品です。
ジサクジエンの妙味みたいなのはブラクラのエピソードにあって、それは他のキャラでは出ないものでしょうし、2chが舞台だからこそAAも引き立つ。そういう出会いだと思います。
ジサクジエンのキャラが死んだと言いました。
一方ラウンジは? 一時期は2chの代名詞だったその場所も今では余り聞く回数はありません。と言うか私はそこを忘れてました。
つまり廃墟となりつつある場所なんでしょ。
だから舞台だってキャラだって、今となってはバリューは薄い、通じる人は少ない、だから価値も小さくなっている。
とは思いません。私は。
涙腺に迫るものがありましたよ。
この作品は沈みつつあるラウンジを訪れて、そこに住むのでもなく、夕暮れに再浮上を祈りながら去っていく旅人の物語です。郷愁というか廃墟の美というかそういうものがあります。
それが今だからこそ、引き立っていると思うんです。
あの、これは死んでしまったキャラが死にいく場所に捧げた、今となっては到底叶わないだろう祈り。
そこにはやっぱりドラマがあると思うんです。私は。
もちろんこういうのは「よくやった作者」とか言うのじゃなくて、作品も作者も遠く離れた、時間とか距離とか、偶然とか色んなものがあって。
でも、印象に残っていくFlashみたいなのは、そうした素敵な偶然に支えられているんじゃないかなと思います。
もちろん全くの偶然じゃなくて、ある程度この作品は絵として味があって、そこにプラスされた奇跡みたいなものだと思うので。
そういうのを意識して何かを作るってのは却ってあざといとも思うんですが、何というかそういうのも忘却という時の持っている抗いがたい無慈悲な力の中で、でも珠には微笑みかけてくれることもあるよ、的な。
上手く言葉にできないです。この感情は。共有もできないものかも知れない。でも私には大事なものなんだと思います。
わかりにくいですか? ジサクジエン? ラウンジ? とか?
- 235 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 03:01:44.12 ID:/0guMFB6.net
- じゃあFlash板で、スキマ産業で、モナーで、FBだったらどうです?
97 :最低人類0号:04/07/20 19:45 ID:???スキマ信者が、やってきたぞー。
どうでも良いゴシップネタより食いつきの悪い、もっと無意味なスルー級の餌のようだがなー。
楽園 -symphony-
ttp://page.freett.com/scheme_a/
泣ける作品。
叙情的なシンフォニーが熱くも、物悲しい。
しかし、この名曲を引き立てたのは、一重にその構成力だろう。
白を主とした1分もの沈黙にも似た極めてシンプルな描写に耐えたからこそ、
黒の暗転とその後の鮮やかな色彩と音色が際立ったのではないか。
アニメに関しては、モナーは率直に言うと「不細工」に思える。
しかし、これが力強い味を出す。器量は悪くとも好かれる役者は居ることを思い出させる。
異論があると言うのなら、目を覚ました後から球を投げるまでの、彼の一挙手一挙動を、つぶさに観察してみると良い。
空を見つめ、辺りを見回した後に、ほうけ、すると過去がよぎり、思わず立ち上がり、より大きく辺りを見回し、うつむき…
サイレントでありながら、この短い間で、ここまで感情を「点」ではなく、「線」で表現しているのだ。
感情の動き、流れがそこから伝わるからこそ、それを見つめる者の感情もまた揺れ動く。
メッセージは、>>14氏の言う、既成のイメージの崩壊を巧みに利用していると思わせた。
己の手で楽園を葬ると言う痛烈な技だ。
この手法は「FB再起」で既に使われており、体感的に「2番煎じ」になってしまったが(可笑しな表現だな)、
過去への復帰を説いたそれに対し、Flash板の流行を生み、先端を走り続けていた氏らしい展開へと繋がって行く。
黄昏は終り、扉は閉じ、金色の道は消えた。しかし、光は手のひらにある。我々の手のひらに。
一面の眩いばかりの洪水ではなく、確かな一つ一つの光球で映し出される始まり。
自分は今回の「開幕」の方が好きだ。大好きだ。(単に波長が合っただけ)
まぁ、光も何も無い自分は最悪板で駄文垂れ流してるのが、お似合いって事だ。
- 236 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 03:02:53.09 ID:/0guMFB6.net
- RAKU-EN Flash bomb 04 opining -symphony-
ttps://www.youtube.com/watch?v=P4iQ6nMP_k4
これはこうした当時の今みたいにひねくれている私、ちょっと安心。な思い出コミコミで入ってくるものがあるんです。
この感想を書いて、観る過程でも著作権地獄だった当時に、大容量ファイルがupされて、板がざわつき、ワッと食いついたってのも含めて。
こういうのは当時のFB会場で大スクリーンで眺めた、ってのには劣るかもしれませんが、これはこれで私には合う素敵な体験だったんです。
こう言う風に、観ていて何かを残す、という時にどうしても「その日の気分」で変わってしまい「その年のその月のその日の気分」だったら物の見事に。
そういう変化に耐えられる分析だってあるはずなんです。例えば技術的な視点。文章的にとか映像的にとかテクニック的にとか。
今、挙げられるのはその正に輝き終わろうとするFlash黄金期を象徴する素材をオールスターを詰め込んだこと。
たけはらみのるのナツミ、ぴろぴとのピコちゃん、Saadaの美麗はたち、wosaの八頭身、スキマ産業という作者自身の象徴、前年の楽園からの流れ、次年のノマネコ騒動でのFBの神格化の終わり。
どれも代え難い思い出を残し、今では消えてしまっている。その瞬間の切り取りの、センス。
とか、でも伝わらないですよね。多分。懐古厨とか昔ヨカタとか言われそう。
でも、そういうのが私の思い出記録帳的な今のウンチのスタイルにありそうで、だから誰のためにもならないけれど、こうしたワケ分かんない青い感想を残してくれた私に恥ずかしくもちょっとだけ感謝があって。
これはどうなのかな? 繋がるのかな? みたいな。感じです。スマン。
- 237 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 03:54:59.24 ID:/0guMFB6.net
- 武器
時のオカリナ(時の歌、荒らしの歌、魂のレクイエム)
OPソング
ttps://www.youtube.com/watch?v=qqpfFElyJAQ
なんとなく楽しくなってきた。私は荒らしとか放火魔とかそういう素質があるのかも。
私はこのスレで延々と独り言をしているんですが、その産物として独り遊びにハマりつつあります。
私はやっぱり交流とかふれ合いとか競い合いとか、そういうのがどんな事でも人して糧になると思ってたんです。
そう思っている人がいたから、みんな感想とかアンチを作者に贈ろうとしているんですよね。
紅白があるんですよね。Flash板があるんですよね。
私はそれを諦めてしまい、実際に独りぼっちになったとき、それをこじらせて、こうなりました。
実に酷い。あなたは為っちゃいけませんよ。でもなろうとしても為れませんよね。ふふ。放火魔に。
と解説、言い訳。
これはほんとうにダメだ私。
初心者でスマソ。
- 238 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 04:09:51.08 ID:/0guMFB6.net
- 作品解説と言うのはほんとうに難しい。
自分語りの難しさというか。
文章力も覚悟も試される。
私は評価されるとかとは離れているから出来るんですけど、私はほんとうに自虐や言い訳だらけ。何かと言うとウンチウンチ。
こういうのをFlash作者自身が言ってたら、誰も見てくれなくなりますよね。
言い訳を言えば、自信のなさになる。
長所を言えば、自慢げに聞こえる。
見所を言えば、見る自由を制限してしまう。
何も言わなければ、どうなるんでしょう?
世の中には作者インタビューだって、売り込みにだってそういうのが必要になっていく。
その助けをしてくれるのが、語ってくれるのが、批評家なのだと思います。
それは作者にとって救いになるのかもしれないし、大衆にも皆にもその作品の良さを伝えてくれる。
そういうのが、幻のヒーロー、アンチの1やウンチの1や長文弥太郎さんなのでした。
それは個人じゃないかもしれない、ファンの語り合いから生まれるものかも知れない、何処とも知れない口コミかも知れない。
それに最も恵まれている音楽家の一人にBumpはいると思うんです。
語ろうとしてくれるファンだって、音楽批評家だって、一杯いて。
私もファンですし。このレスだってそういう側面があります。
でも、Bumpって実は、そのどんなファンよりも自身による作品語りがインパクトあって。言葉に関して歌だけじゃなくて、凄いな作品解説って。
あんまり聞いていない曲だったんだけど、これを聞いたら好きになっちゃいました。
Flash板はみんな奥手だけど、こういうセルフアピールが出来るってのは、盲点的な部分なのかもしれません。
ttps://www.youtube.com/watch?v=qvS5zfkUchI
- 239 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 04:55:17.66 ID:/0guMFB6.net
- 魚食べたい、魚!
さかな&ねこ
ttp://www.nicozon.net/watch/sm169015
これ絶対漫画よりも動画の方が面白いと思うんです。
なのに雑誌で単行本で4コマ漫画じゃないといけないってのは、そうじゃないと商売にならないから? 世知辛い。
そんな感じでシュールな展開と陽気な音楽が絡まって、妙な空気があります。
それでTNNさんはここで作品解説や言い訳を挟んでるんです。これ禁じ手じゃないっすか。でも何故か明るく爽やかに吹いてくる。内輪な感じが全くない。
なんでだ。なんでなんだ。
- 240 :Now_loading...774KB:2015/02/15(日) 04:57:19.04 ID:/0guMFB6.net
- □■灯台守の夜■■
短い場面ごとに、印象的な会話を構成して、物語をテンポよくすすめている。
ほとんど説明に近い会話しかしてないにも関わらず、「説明的だ」と感じないのは、
ひとつひとつ場面での会話をちゃんと組み立てているからだろう。「じゃよろしく」
、「”犬”さんもどうぞお上がりください」といった、何気ない合いの手は、物語
として進んでいくのに大変効果的に働いている。この作品の要は、登場するキャラク
ターたちの繰り広げるさりげない会話そのものに込められてある。
灯台とは航路の安全を確保するために目印を夜の闇の中に光を放って伝える設備。
物語の灯台守もまた、行くべき方向を強く示したりはしない。「そうですか」「君が
思ってるほど君は不幸じゃないよ」……、彼はただ彼に関わる人たちとの会話で、迷
いのなかにある彼らが、己の位置を知るための手助けをするだけだ。
はるか西へ眠りつづける老婆。夫が目覚めても、彼女への愛があるとは思っていな
い。とても打算的で現実的でありながら、あるとも知れぬ西の地へ旅をする。老いた
夫の目覚める日に、己が若くあるために。目覚めぬ夫とは若き日に挫折した夢、旅と
はいつ終わるとも知れぬ生活そのものの含意なのであろうか。若さを得ようという老
婆に軽く嫌悪を抱いても、憎めない。私たちは彼女ほど明日を信じられまい。
船の穴に埋められた犬は、一生穴に挟まって生きて老いてゆくのだ、と諦め腐って
いる。イヤでたまらないのに、「私の仕事」として考えの枠から外へ出られない彼の
立ち位置は、私たちにとってとても判り易い存在だ。物語のラストは、船が沈んでい
く暗示的なシーン。「犬」が生臭くとも自由な魚となることを択んだことに、同意と
祝福を与える人は多いに違いない。
それぞれに私たちは生きることへのたくさんの喩(たと)えを受け取ることができ
ながら、巧みな「会話」によって、この物語に「人生論でござい」の寓意臭さを感じ
ずに見ることができる。
静かな夜のなかで起きた、小さな反乱に込められた大きな意味を確かに感じとって、
私たちの心にしっかりとした余韻を残すのだ。
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