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シベリアにラノベ含む読書の話その9

1 :リーダー :NG NG.net
前スレが書けなくなっていたので立てました

前スレ
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1446361536/

2 :リーダー :NG NG.net
保守のためにたまに書き込みますのでよろしく

3 :リーダー :NG NG.net
いつも通り、読んだら思ったこと書きます

4 :リーダー :NG NG.net
ガンジス川はすげー汚いw

5 :リーダー :NG NG.net
ミシシッピ川

ドナウ川と似ている
かなりいじくられているところが

6 :リーダー :NG NG.net
川で藻類の異常発生が起きたら
窒素が多すぎるかもしれません

7 :リーダー :NG NG.net
マレー・ダーリング川(オーストラリア東部)

8 :リーダー :NG NG.net
できるだけ多い種類の生物が生きやすい場所とは

ビラボン

過酷な環境の季節でも、比較的気候の変化が少なく
絶滅の恐れがある生物でも一時的に難を逃れることができる

カンガルーやワラビーこそが、過去にビラボンがあったという証拠のようだ

9 :リーダー :NG NG.net
コンゴ川の流量は世界で二番目に多いかもしれない
(年平均125万立方メートル)
これを超えるのは世界にアマゾン川だけ

10 :リーダー :NG NG.net
コンゴでは原生林が100万平方キロメートル以上失われた
どのくらいかというと
1.日本の面積の約2.7倍
2.フロリダ州+アラバマ州+ジョージア州+ノースカロライナ州+サウスカロライナ州
3.ベネズエラ、タンザニアなどの国土面積に匹敵する

11 :リーダー :NG NG.net
長江

12 :リーダー :NG NG.net
マッケンジー川(カナダ)

13 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
エレン・ウォール
『世界の大河で何が起きているのか 河川の開発と分断がもたらす環境への影響』
穴水 由紀子 訳 一灯舎(2015年11月25日)

世界の大河、10本の状態を解説。
アマゾン川(南米)、オビ川(ロシア)、ナイル川(エジプト)、ドナウ川(ドイツから)、ガンジス川(インド)、
ミシシッピ川(アメリカ)、マレー・ダーリング川(オーストラリア)、
コンゴ川、長江、マッケンジー川(カナダ)

川から川まで、私たちは一滴の水滴になって旅をする。
「水滴の旅」が、途切れたところを補ってくれる。

それぞれの川が、河川の改修、流量調節により「大きな程度の影響を受ける川」
「少ない程度の影響を受ける川」と正式に認定されているという。

穏やかな川から、危険な川までがんばって調査した結果、今のところわかっていることである。

14 :リーダー :NG NG.net
さて、川はどんな状態がいいのか、どんな状態が悪いのか?
みなさんは、知っているだろうか?

比較的いい状態の川を言うと、アマゾン、マレー・ダーリング、コンゴ、長江、マッケンジーだろうか。
「青く美しきドナウ」は過去の産物である。
ドナウの場合は、話だけで聞いたら日本の大都市を思い浮かべるほど改修、流量調節されているし、
ほんのちょっとの狭い区間だけ、自然が残っている。
それでも過去の産物が現代に生きていることは無さそうである。

よく、大きめの川に大都市ができていて、壮大な建築物と河川が重なる風景が美しいが
これは実は比較的、良くない河川の状態であることが分かる。

15 :リーダー :NG NG.net
本でわかったことは、人間が少しでも手を入れた河川は急速に疲弊していくということだった。

医者が人間の体を血の袋くらいにしか見えていなくて、容赦なく手術という名の工事を繰り返し
患者は治療疲れになっても、まだ実験されるのと似ている。
そして病院の患者は、治療疲れと退屈で死を早めている気がしてならない。
医者は患者を精神的にも、物理的にも縛りつけることしか思いつかないありさまだ。

河川はどうやら、少しでも触ると衰えて、気候に影響を与えるようである。
10河川はどれも、自然の循環機能が衰えているのである。

途中で気づいたが、どの河川も面白いことにデルタ地域(三角州のこと)だけでは
比較的いい環境が残っている。
これは、河川が発生源から下流まで下りて行き、デルタから海へ流れると
海岸線に近いデルタは当然、すべての物質が通り抜けるわけで、物質が豊富である。
だが局地的すぎて、地球全体の気候が整うことはない。人間がいるからだ。

ドナウのように、人間が触りすぎたところは、途中で物質がうまく循環しない。
河川に含まれる栄養塩という、自然を成り立たせる物質群が多すぎるか、少なすぎるという。

川が深くなったり、浅くなったりして、川はくねくねした線になったり、洪水をおこしたりしながら、
栄養塩とか、循環させるべき物質が十分にめぐっているという。
その物質群が、実は生物が食べたり、浴びたりしていると、生物の体に蓄積する。
例えば小さな魚が物質を体内に取り込んで泳ぎ、天敵である大きな魚に食べられる。
大きな魚ほど、栄養物質が多く含まれ、そこには人間が垂れ流した毒素のある物質も多く含む。

人間は工場、ダム、街づくりの排水などを発生させるから。

16 :リーダー :NG NG.net
10000年前となれば、人間は大自然の中を、そのままで生活し
自然をすべて変えてしまうほど、すごいことはしていないイメージがある。
原始人のような生活の映画を見ればわかるが「アバター」などで、
自然はそのままで、触りすぎないようにして生活している種族が出てくる。

きっと、本当の人類の祖先もそうだったんだろうと思いたいが、現実は違ったようである。

なぜなら、古代エジプトでも河川を大きく変えていたからである。
たまたま2,3、日前に「地球ドラマチック」をみて、古代エジプトのピラミッド建設が
どう行われたかを見たが、材料運搬のための船着き場をクフ王が命令して、作らさせた。
これだけでも、あとで河川が少しずつ変わっていくわけである。
実際に、ナイル川は今はとんでもなく細い川になっている。
今、ピラミッドを見に行くとナイルはそんなに太くないのがわかる。

現実の過去の大河は、海かと思うくらいに川が太かった。

人間は生活と食事のために水を必要として、取水する。
ちょっとくらいいいじゃないかと、一回の家事では必要な水が少ないが
太古から数えきれない人がそれをしていたのである。
河川が細くなるくらいの量が取水されていたわけだ。
そして、今も生活のために取水するし、貯水池もあるので川があった痕跡が残ったりする。

17 :リーダー :NG NG.net
すると、川が自然に機能していたのが、人間が取水などすることで変わってしまう。
魚とか鳥、あらゆる生物、植物は、川から物質と水が循環することで
どんな状態になるか、毎年同じようなものなので、それを合図に産卵場所に行ったり、移動する。
人間が取水などして川の循環そのものが変わってきたので、魚も安全に産卵できないわけである。
そういえば、昨日、父が「ヘラブナが今はまだ産卵をしていない」と言っていた。
私の家のすぐそばのことである。

そして、川を変えてしまうのが、ダムの建設、水路を確保するためのすべての施設、商業、工業の建築物すべてである。

18 :リーダー :NG NG.net
ロシアの一番北、北極海に面するあたりの海岸で、ヨーロッパに近い方、オビ川がある。
この川が人間の活動で、何もなくなってしまった地域である。

人間の営みの「ちょっと」をみんながやり、商業で一つの「ちょっと」を無限に大きくしていくので
川の機能はすたれた。
狭い地域の環境の変化が巡り巡って気候を変えることは、シベリアに何もなくなったのと関係がある。
前に語った事故のため、事故現場のある場所から東のロシア全ての住人が、少しは汚染物質を浴びたのである。
地面も汚染物質を浴びたため、いくら寒いと言っても何もないのである。
ロシアに何もないのは寒さだけではないということだ。
それが行われたのがレーニンのころらしい。

比較的良い環境が残っているのが、中国の長江、アマゾン、コンゴなど。

長江はご存知の通り政府が独裁なので、共産主義のために見た目以上に深刻な問題がある。
流量調節により、河川は洪水になると数十メートルも水位が上がるそうで、
高層ビル何階分の高さにいる、長江流域の住民が「全員」住居移動したというから驚きだ。
それにあっさり従う住民の神経は、中国だけのことだろうか?

19 :リーダー :NG NG.net
オーストラリア、マレー・ダーリング川がところどころ、自然が残ったり
改修、流量調節で死にかかっている。

コンゴは危険すぎて人が入れないので自然が残っているが、
著書が書かれたころは入ろうとしているそうだ。
それでも過去、数世紀も入りたくても危険でヨーロッパ人は入れなかった。

アマゾン川はごぞんじ、熱帯雨林だが、赤道あたりならほとんどそういうもんだと思ってもいいだろう。
「水滴の旅」で、人間ではなく、地球が流量調節しているからである。
これは自然の治癒能力で、すこしくらい人間が触っても、いくらか戻っている。
地球の自然治癒のおかげで、私たちは、ちょっとくらい地球を壊した世界でもなんとか生きていけるが
すこしずつ、地球はくるっていき、温暖化の進歩は止まらない。

20 :リーダー :NG NG.net
世界でももっとも複雑な流量調節、改修を繰り返すのがアメリカである。
アメリカの話が最も難しくなる。
なんかいらんことばかり考えているのかもしれない。
「レザボア(貯水池)」が多い。世界もいくらでもある。

レザボアでためた水量はすごくて、年間の川を流れる水量の約5倍だという。
これだけの水を人間はため込み、変質させているという。
変質はため込めば勝手に起こる。
庭でバケツに水を汲んで置いていると青い草のようなものが生えるのと似ているかもしれない?

カナダのマッケンジーも比較的自然が残っている。

21 :リーダー :NG NG.net
マッケンジー川は本当に人が触っていないと言われ、そうだろうと期待して
調査に向ったら、なんと水中で汚染物質がいくらか見つかった。
首を傾げ、調べたところ、ユーラシア大陸からはるばる太平洋を流れて来た工業用水のようである。

人間が工場など作っていくらでも排水を流して「薄まるだろうからいいだろう」と
侮っていた結果が、マッケンジーの完全にきれいと思っていた水の汚染である。

マッケンジー川のあたりは、実は地球温暖化の程度を調べている地域だという。
あと100年で平均気温が5度上がると、私の利用する図書館でデモ映像流していたが、
ああいうことが分かるのは、マッケンジー川周辺の調査である。

それでは、なぜ温暖化が進むのか、覚えているだけを書いてみよう。

22 :リーダー :NG NG.net
人間が取水、生活、ビジネスで水を必要とする。
ため込んだりもするので、川から水が減るという単純なことが分かった。
人間が水を飲んだり、ため込むと、地球には帰らないのである。

河川はもともと、定期的に洪水をおこし、生物と栄養物質が循環して豊かな自然の多様性が生まれた。
樹木や草花が生き残りのために理想的な場所に茂るので、土砂崩れなどの心配もあまりない。
自然に水が循環する場合だけ空気に触れて蒸発するので、乾燥しにくい。

人間が河川の流量調節や、取水、ダムで、河川が衰え、全体的に水量が減った。
人工的で不自然な過程を経て、自然に流れる以上の水が蒸発する。

すると私たちも水を浴びるとかえって乾燥するのと似ているようで、
空中の水蒸気が多すぎるのか、平均気温が上がっていくのである。
だから水蒸気が多めの国では極端に熱くなるわけである。
それが熱帯ではなく、日本とかで発生するのは、日本は熱帯ではないからだろう。
風は不思議なことに、赤道から始まるかのように南北に流れ始めるらしい。
地面、海面で熱せられ、上昇気流に乗って、宇宙からも循環して地上に降りてくる。

川などにならず、空中に膨大な水蒸気が残るので、異常気象が頻発するのだろう。
水分が多すぎるということは、自然以上に温度が上昇するようである。

23 :リーダー :NG NG.net
そして、地面は、温度が上がりすぎるとメタンガスを発するようになるそうだ。

これを私の知った人類滅亡の考えに当てはめると、
地球はいずれ、メタンガスが発生しすぎて、空気中のメタンガスが過剰になる。
オゾン層が弱って、太陽光が直接、ほんの少しでも降り注ぐと、
よく燃えるメタンガスに熱を加えるわけで、導火線に火をつけたことになる。

昔は(今も?)人類滅亡になると地球が大爆発すると言ったが、
これは爆弾のように破裂するという意味ではない。
地面から大気圏までの間を炎が地球を覆うということである。

こういうことが数万年に一度、地球に実際に起きていたそうで、
私たちの生きている間にそうなるかもしれないということである。

その理由が今の文明社会で物質を人間の都合のいいように加工してきたからである。
地球上の大気の成分が変わって、まだ1万年以上も時間がある爆発がかなり早まるという。

面白いことに、この大爆発は早まったことが無く、今の人類文明によって早まったのが初めてなのである。

だから、本当なら、最初から地球を触りすぎてはならなかったのだ。

24 :リーダー :NG NG.net
環境問題が発生した理由は、人類史上、人間は環境に関する知識がなかったことからくる。
戦争と商売に明け暮れ、どんどんやれと単純バカばかり作ってきたため、
環境を顧みることがほとんどなかった。
他人の気持ちはもっと顧みていなかった。
ヨーロッパ人は、いきなり外国へと商業のために出て行き、死ぬ思いをして調査したくらいで
その調査は一方的な征服のためだけである。

ダムなどを作ったら「思いがけず」悪影響があったというのが本当らしい。
現在は地球がかなり破壊され、水不足で戦争を始める国が出てくる危険がある。
その自然治癒能力で、私たちはめったにない天変地異に殺されかけているのである。

「そんなことになるなんて知らなかったんだ、どうすればよかったんだ」

25 :リーダー :NG NG.net
「知らなかったでは済まない」というのは「後悔先に立たず」という意味である。
後から言ってどうにもならない言葉である。

こうするのがいいだろう。
過去は地球を触りすぎないほうがよかったのだから、できるだけ自然を元の状態に戻す国家にすることである。
過去と同じに戻せなくても、近づけられる。
そのためだけに街づくり、環境に取り組むことで、今までのやり方を永遠にしないと神に誓うこと。
この神への誓いは10000年後でも伝わる形で残すこと。

過去の状態に近づけると同時に、今の地球を手術しすぎるやり方ではなく
ジャングルのところどころに建築物を設置し、それでも街の機能は進歩する事。
つまり、形而上学が大事なのである。

森の中に未来の建築物が見えるというのは、高度文明でも見た目にはわからないからだ。
人間がしっかり認識して、マシーンが見当たらなくても、文明を維持できないといけな。

そんなことできるのかと思うだろうが、過去の人類は記憶力は良かった。
記録に残せるものなんて限られていたので、記憶を頼りに国家を運営したからだ。
三国志の曹操などが、記録で済むところと、記憶が重要な所をうまく使いこなした。
今の時代は、記憶が不自由に思い出せる程度で、使うなどという段階には程遠い。
だから外国語も話せないのである。英語よりも比較的易しい言語はある。

私の考える未来の街並みは、コンクリートですべてを固める世界ではない。
マンガの「おざなりダンジョン」で出てくるような街並みだ。
森の中にときどき人間の住む場所、公共施設があるだけで、動力源はマナ、
だが私たちの文明よりははるかに進んでいる。この世界はゴンドワナ大陸のことだが。

26 :リーダー :NG NG.net
私の考える街並みにするには、マナなんてものが関わってくるため
目に見えない世界への謙虚な態度と、目に見えない世界を尊重する世界であること。
今の、物的証拠至上主義で、犯人でも証拠がない理由で無罪になるいい加減な制度ではなくなることだ。
ジャングルを十分に残した街にできるなら、SFのコンプレックス(ビルの各階が町になる居住区)があってもいいし
チューブ高速道路でもいいし、自動車が空を飛んでも何でもいいのだ。
つまり、この地球には自然がたりないのである。

緑が少なければ、空気が薄い。緑が十分なら、呼吸が楽である。

物質文明と、神秘の恩恵に感謝できる世界で、人間に教養があることだ。
ビジネスがなぜ、地球や世界を壊し続けるかと言えば、ビジネスマンに教養がないからだ。
文化、人間の内面への関心が全く無いことである。

物的証拠至上主義なんて、人の気持ちを考えていては捕まえられないということで
状況をよくわかっていないことと、人間心理を知らないから説得できていないのである。

物質文明も大いに活用するが、目に見えない世界をなかったことにしないこと。
そうすれば、地球が生きているように見えるだろう。
生命をないがしろにすることは、人間ならはばかれる。

戦争、制服、支配、権力などの悲劇は、物体が生きていないように見えているからではないだろうか。

27 :リーダー :NG NG.net
河川の影響度とは

1.縦方向の接続性の喪失(上流〜下流)
2.流量変動の喪失(季節ごとに自然に水が増えたり減ったり)
3.横方向の接続性の喪失(洪水、湿地帯が出来たり)
4.複雑性の喪失(コンクリートで固める前は物質が行きかい、多様性があった)
5.川の水と土砂の局地的な汚染(汚染物質、栄養塩の偏り)

こういうことを終わらせるために、私たちにできることは?

1.問題が大きすぎるが、絶望してあきらめたりせず、関心を持つこと
2.意識し続ける、知ろうとすること。
1,2はできそうにないことなんか考えてはいけない。
どうなっているか知り、どうすればいいか意見を持つ。
実際にやるかどうかよりも、関心を持つだけでもいい。

この説明で見た言葉
民主主義の言葉で「自由の対価は、果てしなく続く警戒である」

3.川の健全性に役立つ生活を選択すると決意する
この説明で知ったこと
著者はじゃれど・ダイヤモンド博士の著書を読んだ。
『文明崩壊〜滅亡と存続の命運を分けるもの』

4.3.を実際に声を出すこと
事あるごとに、川を守ろうと人に言って回ること。
選挙活動の候補者にも。

28 :リーダー :NG NG.net
川が衰え、地球が暖かくなる。
あらゆる物質は繋がっている
「物理的な全一性」というらしい。
あっちこっちで起きたことが、途切れることはない。
私たちの内面が、一度に複数のことも考えられるのと同じだ。
複数のことをこなすには、それに効率がいいように体を動かさないとできない。
これは自然と自分なりのやり方となるので、ちょっとした技術となる。

環境問題も、まだやっていないことも多いだろうが、全例ばかりに頼ってないで
目の前のことをよく知ろうとし、どうするか自分なりでいいので考えれば
なんとなく即興でやってしまう。それが何度も再現できれば続けるわけで、技術にできる。

モンスターハンターで自分なりに準備するのに、あらかじめやり方が決まっているわけがないのと同じことだ。
便利なように適当に工夫すれば、同じようなことを繰り返すことになる。
これはその人の生活の技術の一つとなる。

技術というものは、機械を動かすように決まっているものと思わないほうがいい。
その機械を作った人に、前例など少ないのだから。

日本人はあるものを工夫することにはたけているが、
ゼロから作ることは苦手であり、それがいけないことであるかのように言う。
だから、新しいことが必要な時に、何もしないのである。

前例に頼ると、前例がないことが犯罪行為みたいにとらえる人が圧倒的に多い。
それは、なんの頼るところもない人の気持ちを知らない事でもある。
ゼロからやるのがどれほど大変か。いつもは変人にしかわからないのである。

29 :リーダー :NG NG.net
人類よ、ビジネスに翻弄され、何のために生きているかを勘違いするな。

歴史を知るとなんとなく見えてくる。人類の誕生からの歴史、地球の歴史である。
人類はいきなり発生し、生活を続け、いつしかいなくなる。それだけの存在である。
誕生から滅亡まで、ただ生活するだけで、人間は戦争を繰り返しているということだ。

それだけの生活の中で、気に入らない人間を殲滅して回っているのが国家である。

地球46億年全史からみたら、人類の殺し合いがなんと小さいことか。
自分の都合だけで行動し、臆病になって「何物にもなりたくない」と責任逃れして回るのが滑稽だ。
地球はこんなに大きいのに、人間は地球の表面の1%に過ぎない日本列島よりも小さいのである。
心も狭く小さく、争うことだけが得意になってしまった。
その日本人は島国根性を成長させ、他人をいつまでたってもわかろうとしない。

どうか、暴れる感情を忘れ、何が起きているかを見てほしい。
知ることは勇気のいることである。
勇気を出すとは、力を入れることならず。
勇気を出すとは、暴れる感情を忘れたスキに行動することである。

おわり

30 :リーダー :NG NG.net
武道と武術はちがうのか
うーむ

31 :リーダー :NG NG.net
宮本武蔵はマジで強かったんだろうか

32 :リーダー :NG NG.net
養老孟子 甲野善紀『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か』
光文社 知恵の森文庫(2003)

養老孟子(解剖学者)と甲野善紀(武術研究家)の対談である。
甲野という人は「無住心剣術」という技を学ぶ人らしい。
「捻らない・うねらない・タメない」という方針である。
この3つは武道、スポーツでやるしかないようなことであるが、それをやらない。

だから一般的にスポーツなどに関わる人には理解できないことで
日本人の性格から毛嫌いするようになり、そうとう嫌がられたそうだ。

日本では、わからないことを言う人間は人として最低であるかのように扱う傾向にある。
それは日本人の性格が極端に走ったことからあるようだ。

簡単に言えば、武道で体を動かすときに、考えるやつは人として最低とばかりに嫌悪する。
対して考えず、指導者の言うことを聞いていればいいんだ、
弟子、生徒はできないときは根性で乗り越えろと言ってきた。

これが体育会系を悪いイメージにしてしまった。
体育会系といえば、体罰としごきでスポーツ嫌いを生むイメージがついてしまった。

甲野氏は「しごきがあるということは、頭を使ってないということ」という

33 :リーダー :NG NG.net
世界からも不思議がられるが、日本人は普段はありえないほどわがままである。
自分のことしか考えず、人に逆らってばかりいる。
だが団体行動はなぜか、ちゃんとこなすので不思議だという。

それは、日本人は「心が大事」という精神が昔からあるという。

この本では剣術が江戸時代をよく表していると言っていて、日本人は昔から
「心が大事」として江戸幕府に支配される制度を作ってきた。
日本人は言葉に表し切れない感覚がしみついており、技法などいろんな仕組みを作れば
どれもこれも、生物としても自然なことに当てはまっている。

日本人にとって何かを習得するということは、「最高限度」のことである。
つまり、全部完璧にできることが前提で学校を卒業する。
学校卒業時の実力で人生が決定し、それだけで社会に出た仕事が決定する。
仮に、さらに実力をつけて成長できたとしても、社会がそんなことは許さないようにできている。
ここから、企業の不当な面接方針が見えてくるかもしれない。

外国は学校卒業とは「最低限度」であり、あとは自分でやって下さいという。
だから個人はこれからいくらでも成長できる余地がある。
日本は学校卒業で人生が閉じるのである。

学校卒業してからニートになったり、人生が閉じたと感じている人の
疑問は正しい疑問だということだろう。
企業が「ニートは(不採用に関係なく)働け」と言って不採用の刑に処すことが許されない。

34 :リーダー :NG NG.net
『古武術の発見』を読んだ限り、日本人はすべて決定してからでないと何一つ決められないようである。
それは外国にすでにある物を取り入れ、日本に適合するように作り変える
高レベルの技術力になるのはたしかだ。

原題のスポーツや武道では技法、技の種類は極端に減らされているという。
道場で学んでも、意味も解らず型だけ繰り返すので非常につまらないという。
この現代の教育方針「同じことをひたすら繰り返し、ほとんど考えない」というのは
古武術ではありえないことである。

ご存知江戸時代だけではない、昔は真剣勝負のチャンバラだったわけだが、
時代劇の様なものは甲野氏のように本格的にやっている人には不自然だという。

江戸時代、明治くらいまで日本人は、右手と右足が同時に前に出て歩いていたという。
あがり症なのではなく、なんと、農民など普通の人たちは走ることすらできなかったという。
その証拠に、当時の絵画をみるとそこに映る人はみんな、右手と右足が同時に出ている絵があるというから驚きだ。
ただ、この歩き方はご存知の通り(?)歩きにくいため、江戸の武士は、明治、薩摩藩の武士に負けたという。
たぶん、それからみんなが手と足が交互になったのだろう。

35 :リーダー :NG NG.net
武士は真剣勝負、ということは身体を酷使していた。
その生活で、まったくわからなくなるくらいに意識しないように心を工夫した。
そこから、日本人の「心が大事」という意識が生まれたと分析する。

ただ、のちの時代、明治からはそこまで体を酷使することが減ってきた。
世界でも、平和な国家は人々は、だんだんと楽をするようになってきて、心も残酷になっていくのである。
おそらく「痛み」を本当には知らない人ばかりになったからだろう。
「叩かれたら痛いから、ちゃんとわかるよ」なんて考えなければいけないようではダメである。
ちゃんと体を動かして汗をかか居ないと、痛みは分からない人になる。

で、痛みのわからない人の一つが「体育会系」にもいる。
少ない技法を繰り返して覚え、深く考えてはならないため、頭が退屈になった。
すると退屈な人は、弱者をいじめるようになるのである。

ご存知「だまって言うことを聞きやがれ」がスポーツにも企業にもはびこるため、
指導者は、きびしい指導と体罰の違いが区別できなくなる。
技法の理由を考えないでひたすら繰り返すと、「しごき」になるようである。
「しごきがあることは、頭を使っていないこと」なので、「だまって言うことを聞けや」は頭が悪いのである。

甲野氏の研究では、古武術は、

36 :リーダー :NG NG.net
古武術は、そのつどよく考え、千変万化であったという。
技法の種類は数えきれないほどあったというか、場合によって変わるので
現代のように教科書の丸暗記はなかったようである。

ある人(女性)は、英語を教えているが、入門者を数メートル離れて立たせ、
いきなり大声で音読させるという。
これは日本人のやり方であり、外国では基礎を学ばせてからあとはじぶんで、ということだろう。

日本の教育は昔から、基礎が全部できているのが前提である。
さっき言ったように、ここからの成長をしないのが前提である。
最初にどのレベルにあるかで上がポジションを勝手に決めつけ、そのポジションを一生やらせるという。
変更もなし、成長しないことになっている。

すると、日本人の得意なモノづくりや、技の細かすぎる工夫ができるのだという。

37 :リーダー :NG NG.net
私が見たので思い出したが、テレビで外国人がコンビニの商品
「さけるチーズ(とうがらし味)」を見て疑問に思っていた。
「なんで避ける必要があるの?」とどうしても理解できない様子だった。たしかフランス人の女性だ。

日本人はこんな工夫をよくやっているが、甲野氏によると、
日本人もなんでそうするのかよくわからないというw

テレビで見た江戸時代のからくり宝箱のカギの開け方なんかもすごかった。
28回くらいからくりを動かしてやっと開くしくみだから、絶対に盗られないらしい。
あとは、女性の持つきんちゃく袋で、ちょうちょ結びをするのもある。
ちょうちょ結びといっても、今靴ひもで簡単に結べるあの結び方ではない。
でっかいちょうちょが完成する。なかなか開けられないので盗んでもすぐにはとられないらしい。

これだけなら日本人はほんとうに手先が器用で、
何でやってるか知らんけど、ほれぼれするほど細かいのは確かだ。
一芸に秀でて、すごい職人技だと思う。
人生をかけて、限定したことだけやってすごいと思う。

問題はそれを他人に強制して回ることではないだろうか。

38 :リーダー :NG NG.net
現代の企業も、日本人の性格で運営されて、
ブラック企業というごとく、明らかに悪いところが大きく出ている企業もある。
おそらく「しごき」をいいことだと思っているはずである。

スポーツ選手やコーチのパワハラ、体罰になっている指導もある。
どうやらその中身は、説明の無さすぎる指導からくるようである。
いうことを聞かない奴はおそらく説明すれば簡単に聞くはずだが
古いタイプの人は説明する意識が欠如している。
とことん真面目にやってきた人も、説明が無くても身体感覚でわかっていたのでやれていた。
だから人に教えるとなると、ムカつくことこの上ないわけである。

教える時は、人も自分と同じく、何の説明もなくわかると思っていた。
身体でわかっても、頭がわからず、言葉にできていないので、説明の意識が作られないのだ。
イチローは失敗、成功の理由を「事細かく説明できる」といっていたらしく、
ちゃんと頭でも考えているから、そんなことが可能なのである。

笑い話で3人の頭を使わない人を上げているらしく、二人は忘れたが、最後に
「巨人の長嶋選手は考えるということが、どういうことかもわからない」という笑い話があるという。

これでもできる人はおそらくまれであり、普通の人はどんなにすごい人でも
かなり説明ができるくらいよく頭を使っている。

甲野氏の考える武術は武道と違い、よく考えてその場でどうするか決めるという。
それで甲野氏のやりかたができあがった。
写真も載っているが、しばらく見ていると不思議な姿勢でやっている。
これは真剣勝負を意識して研究したため、敵に手の内を読まれないために
身体の各部をバラバラに動かしているからである。

39 :リーダー :NG NG.net
馬鹿正直にまっすぐ斬っては敵に読まれるので、考え続けてその都度変えるのが古武術ということらしい。

現代のスポーツは、そういう考えを全く無くし、単純作業にしてしまったのである。
だからそれを補うかのように、いじめのような「しごき」があるのである。

日本人は「心を大事にする」のが極端になって、体がどうなろうと知ったこっちゃないくらいになったのだ。
だから企業は「しごいて痛めつけられたら甘え」というおかしなことが言えるのである。

剣術で言えば、「切られて傷が出来たら甘え」とか、「大量出血で死んだら根性なし」と言っているようなものだが
企業はその矛盾を正当化してまでやっているのでブラック企業と言われる。

「欲望の経済学 ルールが変わるとき」という番組を見たが
単純作業の繰り返しは「人間性の剥奪」と言っていた。
まさにその通りである。

マルクス経済学でも「従業員が組み立てた商品を企業が横取りしている」と書いているので
「疎外」しているという。

40 :リーダー :NG NG.net
日本人に良いところはあるが、そこは全くと言っていいほど示されない。
謙虚に黙っているためか、おのずと欠点だけが目立つ。

あまり言い過ぎないでいるのにも美はあるかもしれない。
しかし、「いうんじゃねーよこのやろう」というのはいいのだろうか。

甲野氏は良く考えて不思議な技を編み出したため、「横から口出すんじゃねーよ」と言われたことだろう。
しかし、そうやって毛嫌いして言っていた人は、甲野氏の言っていることが理解できなかったからだろう。
日本人はあらかじめ決まったことに合わない人は、排除しようとする。
一芸に秀でる人を育てるためという方針すらもない。
なんだかよくわからないがやってしまうという、長所を工夫した結果である。
もうちょっとよく考えて物を言うべきではないだろうか。

甲野氏の様なちょっとちがうことをいう人が排除される時は
よく考えて聞いていればわかることである。
それに、わからないことは聞けばいいのである。

日本では、決まった基準から成長しないことにしているので、
最初から完全に基本が決まっている。だから質問をしないようである。
そういう性格になるのは構わないが、なぜ、実際に質問すると社会的地位の剥奪を企むのだろうか。

返事の仕方を工夫すれば、ちょっと変人じみた人とでも会話できるのではないだろうか。

41 :リーダー :NG NG.net
日本人には哲学が足りない。
哲学とは、学問のことだけではなく、ただ「考えること」を意味する場合がある。
この人にはこういう人生哲学があると言えば、ちょっとした考え方を持っているということ。
限られた範囲ので特殊なことで、こうしたほうがいいんじゃないか、こっちがいいんじゃないかと言っているくらいのことだ。
愚かな世の中を見て、こうすればいいのに、というのが哲学だ。学問だけじゃない。

ちょっと、どういうことか、本質から考える癖をつけるようにすると
抽象的すぎて何言っているかわからないことが、そこそこわかるようになるはずである。

すると、不当な不採用通知、宗教からの逃避、欲にかられそうになった時の思いとどまり、
考えるところを一切排除した試験システム、
人間の脳の仕組みから見て不自然な教育システムが変わっていくだろう。

すると、日本人が丸暗記だけで話すことはなくなり、
何を言っても誤解するような、世界で日本しかない現象もなくなるだろう。

今、日本社会は考える人を毛嫌いしているようである。
よく考えて話す人の言うことは、難しいことを言うやつだから、こいつキライ、となる。
だからそんな状態から脱する初めは、ちょっと考えてみるのを続けるだけでいいと思うのだ。

おわり

42 :リーダー :NG NG.net
理屈、理論よりも直感が大事
なぜなら理屈、理論で検討した膨大なことを一瞬でできるから

現代人は天啓が降りなくなっている

43 :リーダー :NG NG.net
佐藤優『「ズルさ」のすすめ いまを生き抜く極意』青春出版社 青春新書INTELLIGENCE(2014)
自分を見つめ直す「知」の本当の使い方
前著に『人に強くなる極意』がある。

職場の人間関係、愚かな上司との関係をどうするか。 よくある相談本。
外務省にいただけあって、腐りきった人間関係もあり、例として挙げる。

権力とは何か。「人にイヤなことをさせる力」だという。
私も権力とは何か、ここ数カ月ほど思うところがある。
1.「自分が人からされてイヤなことを、おとがめなしにやれる力」
2.「人に逆らってもよく、決して反抗されない」ということである。
だから権力を失った直後に殺害されたり、投獄されている。
仮に良い人がいたとして、権力を失った(普通に辞職した場合)として、それでも
投獄されることもあり、殺害されるかもしれない。
良い人だったのになぜか。自己保身に走っている人がいるからである。
自己保身に走ると、良いことをされた方が困るのかもしれない。
本当に良い人がいると、自己保身に走る人は今のままでいられないから、それが怖くて、いい人でも消すしかない。

佐藤氏は外務省にいただけあって、殺害することもある人間関係にさらされてきた。
映画でよくいうように、同じ組織の人間でも疑うことは当たり前である。
そういえば、私はつい2日前の日曜日、メンタリスト4で上司のおっさん(ハゲ)が異動するシーンを見た。
居なくなると寂しくなるようで、主人公の一人リズボンとハグをして、お別れのあいさつを交わした。
私は、あれだけ疑っていたのに、ハグできるのがなぜなのか、よくわからなかった。
これが職場である。

仲良くしている人と、プライベートでバカ話しながらも、仕事で本気で潰しあえるのが職場である。
この矛盾とうまくお付き合いできないと、私たちは職場にいるだけでつらいだろう。

44 :リーダー :NG NG.net
仲良くしながら殺しあえるという、仕事場の矛盾がある。
日本の場合は、もう一つの矛盾がある。
日本社会は明らかに競争社会であり、競争を助長しながら、波風を立てないようにして自己主張は許されないのである。

競争原理も、波風立てない事なかれ主義も、どちらも成功している。
これは、矛盾していることに気づいていないことを示す。
この細かいことを言うのは話がそれるので先に進もう。

佐藤氏は、外交官の経験から、人間関係がどうなっているかの考えを言う。
テレビで描かれるようなきれいごとは存在しない。
佐藤氏のように現実を知る人から見たら、エンターテイメントなんて間違いだらけに見えるのではないだろうか。

45 :リーダー :NG NG.net
佐藤氏のように外交官などで悪を知って人生相談の本を書く人はたまにいるが
私はほとんど読んだことがないので新鮮だった。

人生相談とか、自己啓発などは、心理学などをやって普段からカウンセリングする人が書いていることが多い。
だから、文章がきれいすぎて、きれいごとにしか見えない。
「ズルさのすすめ」もそういう言葉になる傾向にあるが、経験は悪だらけなので、
私にとっては佐藤氏のほうが現実味があった。
その辺にある人生相談の本は、きれいごとにもほどがあるのである。
易しい言葉で、ひらがなが多く、気持ちをわかろうとしながら経験を自慢するのが普通で
人間関係で苦しみ、目の前の人間が脳内で何千回死んだかわからない現状がうかがえない。
たしかに具体的なケースはその通りでわかるし、腹も立ってくるが、美しい言葉だけで書こうとしている。
佐藤氏の本で、ちょっとくらいは悪を表現し、暗い気持ちになってきても書いた方がいいと思えてきた。
それを明るく締める意識は著者にしっかり芽生えているのだから、
その意識を忘れなければ大丈夫ではないだろうか、と、本を読み過ぎた素人の意見。

46 :リーダー :NG NG.net
人間関係で思ったことを書こう。
まず、みんな平等とか、頑張った分だけ成果が出るとかのきれいな言葉がある。
こういうのは間違っていると思っていい。
テレビなどで綺麗なことを言うほど単純なものではない。

職場は競争社会、資本主義で儲かれば後はどうでもいいのが基礎である。
しかし、そのままにならないようにするのは、人間の良心次第である。

人間の体には生物な武器が存在しないらしい。
たとえば、頭に角がない。牙もない。八重歯では勝てない。
爪は丸い。ひっかけば痛いが殺傷能力が低すぎる。
生身で猫と戦っても負けるかもしれない。
人間と動物が皆同じ大きさならどうなるかという思考実験がある。
人間はアリにも勝てないそうだ。

47 :リーダー :NG NG.net
人間には肉体の武器がない。だから強調して、わがままばかり言っていられない。
こちらはわがままばかりは言えないが、相手もいくつか、こちらの要求を聞かざるを得ないということである。
これを不満たらたらでやっていてはいつかは殺しあうのがわかる。
だから、仲良くするか、腐った競争社会では最低限、自分を守る力を身につけておきたい。

『「ズルさ」のすすめ』はその辺の自己啓発のようにきれいすぎることだけを書いてはいない。
その辺の自己啓発、人生相談は綺麗にしか書いていないので飽きてくる。
外交官の経験というのもあって、汚くならないように書く方が苦労しただろうから、あまり見かけない本かと思う。
会社の人間関係はプライベートとビジネスの態度が矛盾しているが、同時にこなさないといけない。
リアルとシステムの矛盾もある。リアルに隙間が空いているのに、システム上閉まっていることになっているので入れないとか。
え、ドアが開いているジャン、といって、システムにはリアルを見て即切り替える発想が存在しないようである。
だからあなたたちは、社会的地位が高い人たちは頭が悪いように見える。
仲良くしている友達を、社会的につぶすこともあり得る。
ようするに、理屈のせいであっちこっちが矛盾しているのに、同時にやらないといけないのである。
この感覚には慣れるしかない。
だが、そうなったら、本当に残虐にならないようにできるのは、貴方の良心なのである。
だから心の工夫、感情の整理が大事なのである。

腹が立ったら殺すのを頭に描いてばかりいるのはもう終わりにしたい。
人間として未熟な上司とどう向き合うか、工夫するために一読してもいいと思う。

身体に武器がないということは、神様が直接に戒めているのかもしれない。

おわり

48 :リーダー :NG NG.net
未智研 編者『書ける!遊べる!古代文字 ヒエログリフ』国際語学社(2009)

たまにはヒエログリフで遊ぼうじゃなイカ!

占い、トランプの様なカードゲーム。
文字を日本語と対応させて、自分の名前を書く。
自分の名前には「カルトゥーシュ」をつけていい。
カルトゥーシュは王の名前の周りにある「縄の輪」。
自分の名前に付けて王様気分になる。

そして自分の名前だけではなく、手紙、年賀状なども書く。
壁画の写真をプリントアウトするなりエジプトで撮影するなりして取っておいて
デジタル処理、額縁や、シャツのデザインなどにしてみよう。

そうやって遊ぶだけの本である。
たまには息抜き。

おわり

49 :リーダー :NG NG.net
そうそう、未智研は人の名前じゃありませんw

50 :リーダー :NG NG.net
甲野善紀『武術の新・人間学』PHP文庫(2002)

『古武術の発見』の著者単独で書いた。
本文は、日常、甲野氏が話すそのままだと内田樹(うちだ・たつる)という人が解説に書く。

前に言ったのでちょっとだけ。
武術と武道は違う。『武術の新・人間学』ではおもに「捻じらない」ことを中心に書く。
そして後半、教育論もいくらか出てくる。

学校教育でやっていることはすべて苦役になっている。
子供には、なんでこの知識を知る必要があるのか、この知識の歴史がどうなのかなど
ちょっと説明を加えたほうがいい。
この本のことを早速思い出せないので、思うことを言うと、科学実験は子供には人気である。
考えなくてもだいたいの結果がでてくるからである。
実験結果を見ていろいろ妄想するのは男の子が大好きである。
女の子は蛙の解剖ほどおぞましくなければ似たようなもんである。

子供は好奇心の塊であり、なんで、と聞いてくるのを今の大人は叩き潰す。
わからないとも言わないで、わかったふりをして怒鳴りつけて黙らせるのだから犯罪的である。
こういう時は、子供にちょっとだけ情報を与え、もっと知りたかったら自分で探してみなさいと言ってみる。
または、大人は知っているふりをすると子供を叩きたくなるため、
大人も子供と同じレベルに下がってあげて、一緒になんでだろうね、パパはこう聞いたことがあるけど
よくわかんないんだよね、一緒に見て見ようか、なんていうと子供は喜ぶと思う。

一般論では、子供は親としばらく一緒にいて、一緒に何かしたいと思っている。
それを自覚するとは限らないが、親と何もしなかったとなれば
何ねも後にそのことに気づき、親を怨むようになる。

だから親は子供と一緒に遊べるようになった方が教育に良い。

51 :リーダー :NG NG.net
学校教育はもっと個性を伸ばした方がいいとかよく言われるが
私が本を読んで知った限りでは、学校とは個性を抹殺するのが仕事である。
アダム・スミス『諸国民の富』にあったが、学校は教師が楽をするシステムになっているという。

武術の話に戻るが、甲野氏は「捻じらない」やりかたを見つけて追及した。
だから不思議な姿勢で投げている写真がある。

あとは、『古武術の発見』とほとんどそっくりなのだが、人間の内面を充実させるとか
教育とか、人間の本質の様なことを中心に語る。

甲野氏は「人間にとっての自然とは何か?」が追及のテーマであるという。
その手段が武術だっただけのことだろう。
この本では、人間にとっての自然というものはないということだった。

人間は本能がないと聞くが、人間は本能からくる自然な衝動が失われた代わりに
学問で物事を決めつけてきたのかもしれない。
学問は、実は現代の「武道」と似ていて、やりかたをいくつかの技法だけにとどめ
数百年前の日本にあった武術の考え方が失われた。

現代の私たちは、時代劇、武道にイメージがあり、それに合わないことはこき下ろすくらいになってしまっている。
だが、武術のスゴイ技というのは、武道とは全く違って、今は言われなくなった部分にある。
同じ型の反復練習など最小限度であり、常に有効と思われる方法を作り続けたのが本当だという。
だからマニュアルにしようがない。

たとえば、剣道で左足が右足より前に来てはならないそうだが、
これは間違っているなどである。

52 :リーダー :NG NG.net
古武術は、私たちの思う現代武道とは違うようである。
だから、「武術」といって「武道」とは言わない。
武道はスポーツである。

反復練習でたしかにいくらかは強くなれるため、ついついごまかされてしまう。
それでも勝てないくらい強い人というのはいる。そういう人を多く取り上げる。
この人達は、武道を知りながらも、武術の世界にいるのだから、強いのである。
梅路見鸞(うめじ・けんらん)という弓道の人など。

53 :リーダー :NG NG.net
スポーツ武道で決まった型を反復練習するだけだと
なんでそれをするのかを考えなくなってしまう。
そして、恐れ多くも型を変えてしまってはいけないと、私たちは思い込んでいる。

それだと強さの秘密は永遠にわからないだろう。

この世界は、映画などで見るようなケンカのことなど論外である。
出来るだけ筋力を強くして、思いっきりぶん殴ったり、思いっきり蹴っ飛ばすような世界はまったく無視される。
そんな戦い方をしているようでは、強さのことは分からない。
由は単純で、筋力を無限に強くすることなどできないし、できても年齢で自壊するかもしれない。
精神的に耐えられても、体は100年ちょっとで朽ち果てるからである。
あなたがどんなに耐えられても、物理的に肉体の老朽化するまでの年数を超えることはできない。
たとえば、鉄の線路でも、廃線されてからはメンテナンスされないので、さびる一方であるように。
私たちの肉体も、勝手に衰えるのは避けられない。
年をとって鍛えられなくなることはないと思うが、私が今思うのは、回復が遅すぎるということである。
細菌が細胞などの材料を作って体を作っているが、この材料が老朽化するのだから、老化はなくせない。

そうなってはいけないという、ビジネスの精神がおかしいのである。

54 :リーダー :NG NG.net
もともと生物はこの体一つで生きてきた。
人間もたぶんそうしていたが、組織を作って、権力者が守れるようになった。
すると、守られる人間にはピンチが減っていく。
すると、私たちは生活のための知恵、生きるのに必要な度胸が育たなくなっている。
そして、平和な社会の人間たちは、どうすれば体が痛いのか、あまり体験しなくなる。
身体の方の苦痛を知らない人類は、他人の痛みを理解しようとしなくなる。
自分のせいで人を痛めつけてしまって、叫んで怒られたときに、平和な国の人間はなんで怒られないといけないのかと怒るようになるわけだ。
現代日本に、そういう人がすでにいるのだ。

自分のせいで相手を苦しめてしまったのに、相手が悲鳴を上げると
なんだ、どうしたんだと、言ってしまうのである。
自分が痛みを、十分には知らないので、他人の痛みを理解してあげられない。
考えようとしても、わかることがない。

平和な国の人間は、他人の痛みを理解しないため、言動が残虐非道になってい行く。
お互いに「つまらない理由で」ケンカしてしまう。
自分がかすり傷を(わざと)負ったら、相手を半殺しにしてもいいと思うようになる。

すると、手加減を知らないわけだ。
半殺しのつもりで好き放題にぶん殴った結果、相手を殺してしまう。
「え?これだけで死んだの?」と思ったら後の祭り。

平和な世界を間違うとこうなるのである。

55 :リーダー :NG NG.net
何が言いたいかというと、自然状態(この体一つで生きてきた状態)を知ると
痛みを理解するので、何をするのもちょうどいい力でやるようになるだろう。

現代日本で、すでに「何もするな」を強制する仕組みができているので
自然状態を完全に再現するのは難しいだろう。
だが、私たちは、体を動かして、どういう状態になるのか、できるだけ知るようにした方がいいと思う。

たとえば、筋トレすば、息が切れるが、そのときどうするのか
今は知らない人の方が多いのではないだろうか。
私はたまに長距離走(1500m走)の時を思い出すが、勝手に呼吸器官が閉まっていく気がしよけいにいきができないとて
疲れるほど気管が閉まって、呼吸がだんだんできなくなっていったのを思いだす。
いきなり走ると誰でもそうなるのだろうか。
このとき、ただ辛いから嫌だと言えば、二度と体を動かさない人になるかもしれない。

たとえば、呼吸法を知っていると、逆に走るのが好きになるかもしれない。
これはアニメを見てもわからないことである。
(アニメで呼吸法をやるシーンがあれば少しは知るかもしれない)

私もいまだによく知らないが、疲れ切った時の呼吸法は、早くしても楽にならないという不思議なことになる。
たぶん、早くするのではなく、普段よりもゆっくりめに、
しかも胸いっぱいに思いっきり吸ってもいいので、ゆっくりめにするのがいいかもしれない。

また、走った後、私はすぐに止まったことがあり、筋肉がひきつった。
だからしばらく歩いて、ゆっくりと体温を下げるらしい。
競馬で馬がレース後にすぐに止まらないで、しばらく動いているのはそういうことである。

56 :リーダー :NG NG.net
やっぱり、運動について詳しく知ると、教育法も考えてしまう。
企業では教育を明確に避けるので、疲れるのも許されないくらいになっている。
疲れても病気にならないように、とか、やりもしないで最初から全部できる人を期待するのは、
企業のほうが何も知らないか、何も考えていないからである。
企業では、売れる以外のことを考えた人は犯罪者なのかもしれない。

人間はもともと、スポーツの様な決まった方法で運動していたわけではないらしい。
効率がいいわけでもないが、その代わり、いついかなるときも自分で動き方を編み出していたようだ。
これだけを聞いても、現代のスポーツ武道と武術は違うのがわかる。

よくわからないので、スポーツを知っている人は嫌がるかもしれないが
身体を壊したくなければ、「運動論」とでもいうのか、しっかり論じた本を読んでみるのもいいのではないだろうか。
古代ギリシャのクレイトポンの馬術訓練を論じた本などもある。
今まで運動のことをあまり意識しなかったので、これらは読んだことはないが、図書館で見かける。

現代でいいなら各武道の徳にすごいと言われる人の言っていることを探してみるのがいい。
この人達は、門弟が型を反復練習するだけを見て、孤独な思いをしているから
深いことをわかろうとしてくれる門弟が居たら喜ぶに違いない。
甲野氏を含め、本当に武術の世界に入ってしまった人にとっては、今の世の中は
全く違うものしか見当たらないことを常に意識しているので理解者が少ない。
知ろうとしているのを伝えられれば、彼らはとてもうれしいだろう。

スポーツだけじゃなくて、すべての人間が、運動で体を壊さないためにも、
本当の強さを知るためにも、突っ込んだ話を知るのはいいと思う。
甲野氏などの人たちのエピソードはレベルが高すぎて何を言っているかわからないところもあるが、
人間の本質について、とても考えさせられる。
こういう話を知れば、社会のビジネスやテレビCMなどが薄っぺらに感じるだろう。

57 :リーダー :NG NG.net
甲野氏の『武術の新・人間学』の最後うろ覚えで。
この本は学問のようにすべてが消化できるような話ではない。

人が知らないことは、どうしても話をしなければいけない。
ある程度知識を得てから、知識をバラバラに出してもいいが、
知らない時は知識が出てくる理由を考えることもできないから。
話をして、どういうイメージか、知らせるのが先である。
(現代社会の効率至上主義は、知識のコピペだけをしようとするので
理由がない)

話を知って、後で熟成されていつしか「あ、わかった」となるようなことである。
そういう話を聞いた方が、人の中に入りやすい。
現代社会は人が知っているか知らないかに関わらず、膨大な知識を箇条書きで押し込もうとする。
短時間で押し込めば、短時間で抜けるという脳の仕組みの常識も知らないからだ。

これからは、今学校に行っている人も、会社に行っている人も
ヒマで頭使うしかやることがない人も、話を聞くことに慣れたほうが言いだろう。
知識を叩き込むのは最低限度の知的作業である。
知識を叩き込んだら終わりではなく、その知識を使って自分の人生を充実させるのである。
自分のために使って人生を豊かにし、退屈しない楽しい人生を全うし
人のために使って、バカバカしい制度ではなく懸命に人類が存続するのである。

知識は憶えたら終わりというのはテストのことである。
知識がバラバラに頭にあるだけの人間は、記憶容量のマシーンになっただけであり
今何が起きているかを全く理解していないのである。
私たちは、もともと生活しているのだから、生活のために知識を使うのが自然ではないだろうか。

おわり

58 :リーダー :NG NG.net
日本の経済構造がわけわかめな件

59 :リーダー :NG NG.net
ハイエクによると
政策を決める中央が、経済についての知識を持つことは決してないという

これが正しいなら、中央が決める政策は「必ず失敗する」

60 :リーダー :NG NG.net
>>59は日本のことね
日本がどんな国か、誰も知らないような?

61 :リーダー :NG NG.net
日本と外国との交渉で
日本側に決定権を持つ人間が一人もいない?
外国からみて、日本は何かしてくれると思うが
日本は何もしないらしい

62 :リーダー :NG NG.net
外国とやりとりする日本人はバッファーの役割らしい
「緩衝」の役割をしている
外国の要求にびっくりするのか衝撃を和らげる役割で
おそらくテレビに映っている、外国人と話す日本人が全員そうだろう
(バッファー役は一人ではない、しょっちゅう変わる)

そして、

63 :リーダー :NG NG.net
外国人がいつ、何を聞いても
日本人はテープレコーダーの繰り返ししか言わないらしい
随時、状況に合わせて言うことを決めているが
決められた言葉「全く同じ言葉」しか言わないそうだ

そういう人がそこら中の店や役所にいるなあ?w

64 :リーダー :NG NG.net
中川裕/中本ムツ子 著『CDエクスプレス アイヌ語』白水社(2004)

二回目読む。
現在放送中のアニメ「ゴールデンカムイ」で「チタタプ」というものが出てきた。
「カムイ」は「熊」もしくは「神」という意味である。
ゴールデンウィークをまたがって放送するのはシャレだろうか。

【独特の文法】
4人称がある。1「私が、私たちが」2「あなた(君)が、あなたたち(君たち)が」
3「彼(たち)が、彼女(たち)が」4彼が「私は」こうだと言ったらしいよ、などという。
彼女が自分のことを「私」と言ったよ、と自分が引用するときに出てくる。
彼、彼女が3人称となってしまっているので、第三者でも4人称なんだろうか。
日本人は(日本語で)この言い方をすれば、半数くらいの人が誤解するか、わからない。
口頭では半数くらいの人にはほとんど通じない。
かなり前置きが無ければ急には理解できない。頭の回転が遅いのだ。

余談だが、日本人は「仮定」の話を半分しか理解しない。
仮定の話をすれば、現実にある物をさして「もし、こうならば」として理解する。
これは仮定法の半分以下の表現に過ぎないが、一般的に日本人はこれしか扱えない。

65 :リーダー :NG NG.net
動詞は、男女の違いはないが、単数複数はある。
一回だけの動作と、複数回の動作は言い方が違う。

発音は「ci」といえば「チ」と読む。
「アシリパ」の「リ」が小さい文字になっていることに気づいただろうか。
これは、アイヌ語の発音をカタカナで見たら書いてある。
「Asirpa」と書くと思われ、そうだとしたら「r」しかないが「リ」と読むのである。
(声に出して「リ」と小さめに言っても構わないようだ)

「r」のような音は、前の母音に一致するようだ「kor」は「コロ」と呼んでいい。
「だとしたら」という意味。

「t」はたまに読まないことがある。
「ku=kor katkemat」は「ク=コロ カッケマッ」と読む。
「わが奥さん」という意味。

英語教育によって「si」と書けば「スィ」と読むかもしれないが
アイヌ語では「シ」と呼んでも構わない。

「」

66 :リーダー :NG NG.net
動詞に男女の違いがないのは、動詞の前か、後ろに人称がくっつく。
「ku=ku」は「私が飲む」という意味。
一つ目の「ku」が「私」を示す。二つ目の「ku」が「〜を飲む」

主格「人が」目的格「人を」と示す単語は、表にすると中途半端に欠けている。
現実のアイヌ語でどうなるかというと、誰が、誰を、と示す場合、状況によってコロコロ変わる。
ただし、表になっている単語が変化することはないので、表にあるままを覚えていればよく、
変化させなくていいので、使い分けるだけを考えればいい。
流沙表現と、千歳表現で違っていることも特徴である。

最後に「電話」をアイヌ語にすると「DENWA」と書いてある、こんな表現もあるようだ。

おわり

67 :リーダー :NG NG.net
日本人はもっと自由であっていいはずなのに
そうではない

教育制度は、庭師が木を手入れするように個人を扱う。

少しでも個性を出せば、ちょきんと斬られてしまうのだ。

68 :リーダー :NG NG.net
>>67は本のメモ

私が知っていることから思ったことを書いておく

少しでも個性を出すとちょきんと斬ってしまうのが日本人の人間への扱い方だけど
私が教育について知る限り、ちょきんと斬るのをずっと続けていると

人間は生まれて数年以内に生きることを諦める筈である

69 :リーダー :NG NG.net
10年以内でもよかったかな
生まれてから6年もあれば個性が抹殺された人間に育てることが可能である

70 :リーダー :NG NG.net
日本がどんなシステムか
日本のマスコミも知らないらしい
たとえば多くの機関に立法府などの名前はある
いろんな仕組み全部に名前がついていると思うけど
マスコミは見た目通りに解釈するので間違っているようだ

71 :リーダー :NG NG.net
日本って国家じゃないのか

72 :リーダー :NG NG.net
日本の不景気時は
上層(富裕層、景気の恩恵を受けると誰もが自然と言っている社会の上の地位のこと)
と、
下層(裕福じゃない、景気の恩恵を受けられない層)
の二つに大別されるらしい

不景気時、上層のリスクを守るために下層(長時間労働やっている零細企業とか
個人商店)がいくらでも潰れて、上層を守るために役立つ企業が新しく立ち上がるらしい

73 :リーダー :NG NG.net
日本(1960年代〜70年代)の消費者運動の一つ

主婦会は増え続け、地婦連というものに統率されて力を付けたことがあったらしい
ジュースの果汁何パーセントを表示させるとか
カラーテレビの値段を下げるとかは成功したが、
日本社会ののらりくらりとした圧力で確実につぶされた

日本は不思議だ、勢力が立ち上がり、それが気に入らない時は
おそらく100%の確率でつぶしている

74 :リーダー :NG NG.net
前も少し書いたと思うけど「日本社会のすべてが」個性を抹殺する社会と思っていいようだ

だから日本人があきらめムードが基本になって
自殺者数が極端に多いのは当然と言える

75 :リーダー :NG NG.net
日本社会の支配層は今のままでいいと思っているだろうけど
今はほとんどすべての日本人の夢を壊して回っていることには気づいていないと思う

76 :リーダー :NG NG.net
支配層に慣れた人は他人の勢力を潰せて支配欲は満たされる
もし、同じ人が別のところで自由を奪われているなら
自分が他人にやっていることを他人からやられていることになる

一人の人間がどこかで称賛され、移動すると別の場所で迫害にあっているわけだ

77 :リーダー :NG NG.net
そこに社会の矛盾があるわけだね

78 :リーダー :NG NG.net
農業会が農協になった

79 :リーダー :NG NG.net
日本の本とは別の本

騒音レベルについて思ったこと
たぶん、そうとうやかましいクシャミは、継続して聞かされると難聴になるレベルのようだ

このレベルより少しだけ低いのが市街地の騒音とか、地下鉄の騒音らしい

街はとてもうるさいってことだね

80 :リーダー :NG NG.net
木の葉のそよぎレベル       =20dB(デシベル)
普通の会話、静かな事務所レベル  =50〜60dB
市街地レベル           =80dB
難聴レベル            =100dB

81 :リーダー :NG NG.net
テレビずっと大音量でつけてたら難聴になるかもしれんね

82 :リーダー :NG NG.net
農業の世界は、完璧な隷属的独占市場

83 :リーダー :NG NG.net
そういえばこの前テレビで言ってたけど

農協とかがやってる「COOP」は最初はヨーロッパから始まったらしいよ
スウェーデンか忘れたけど
おもいっきりイコールでつなげて覚えてたわ

84 :リーダー :NG NG.net
日本の戦後

日米安全保障条約と
米軍基地にいきなり抗議し、なくせと言い出すようになったのは
総評という組織が不当に扱われた(左翼と勝手に言われるようになった)のが始まりらしい

85 :リーダー :NG NG.net
春のビジネス戦争?「春闘」

総連が上記のように不当に扱われ弱体化させられたため
迷惑をかけにくい形での活動を編み出したのが「春闘」だそうだ

1956年にはじまったらしい

私にはこの名前自体が、争いに駆り立てる活動に見える
桜の花が満開の下で
好戦的なビジネスを繰り返すような光景があるんじゃないかと思えてくる

86 :リーダー :NG NG.net
日本の学界
日教組(日本教職員組合)も
マルクス主義らしい

日教組の略してない言い方知らんかったから
日教組と聞くとどうしても「どこの宗教団体の教祖か」と思ってしまうので
略してないほうも書いておくw

87 :リーダー :NG NG.net
学校でのいじめ
会社でのパワハラ
学歴差別(低学歴労働者に仕事を与えない)などの
不当な扱いはすべて
同質のものらしい

校則が厳しすぎていじめが発生するとのこと

88 :リーダー :NG NG.net
1983年いじめ発生
1985年いじめの悪化。このころ教師による体罰発生

89 :リーダー :NG NG.net
日本でおこなわれる正式な記者会見は
こっけいなくらい、演出されたものである

90 :リーダー :NG NG.net
日本の支配階級のことを著者が自分で名付けている
「管理者」アドミニストレーターと呼ぶことにしている

日本の支配階級ははっきりとわかるらしい
成員はおもに

官僚、財界人、自民党員の一部だそうです

したがって、ここには志の高い政治家の入り込む余地はないw
ひでえw

91 :リーダー :NG NG.net
日本の建築業

市道、県道を国道に格上げしてくれと建設省に殺到するとか
国道なら国が管理してくれるから経費が浮く

おいおい、全部国道にする気かこいつら

92 :リーダー :NG NG.net
風間 光(かざま・ひかる)『「ダメの壁」を超える成功心理学』現代書林(2004)

久し振りの自己啓発本。
何冊読んでも成功しないことに気づき、しばらく買わないようにしていた。
立ち読みで、数行読むくらい。今回、久々に100円で買って読んでみた。
ブックオフではない。

「あとがき」で巷の自己啓発本は実践に無理があるとか、実感しようがないとか書いている
その本人が普通の自己啓発本を書く。それはデフォ。ほとんどの本がそういうもんだ。
実戦に無理があるなどと、読者の意見の最新情報を理解しているのを示して
「わかるー」と言うのがわかる書き方。こういうのは書いた途端に古くなることが多い。

この本も自己啓発では常に使われるテーマだけで書かれており、具体的な言い回しがこの人だけのものである。
自己啓発本とは、全部、そういうものである。

読んだ後でなんとなく思ったが、自己啓発本によくあるテーマ「著者の過去がツラかった自慢話」はなかった気がする。
あとがきでほんの少し触れたくらいか。

93 :リーダー :NG NG.net
私は自己啓発本を読み過ぎなくらい読んでいるかもしれない。
加藤諦三という人の本を10冊は間違いなく読んでいる。
この人の本を知ったころに何冊読んだか、記憶を頼りに考えてみたら
たぶん50冊くらい読んでる。
私がシベリア、じっぷらに参加する前のことである。

自己啓発本はすべての本が、扱うテーマは変わらない。
著者によって実際にどう書くかが、ほんの少し違うだけである。
基本的に、自己啓発本の著者の個人差すらほとんどない。
申し訳程度に著者個人の言い回しを入れたところで、イメージに差は出ない。
専門家が経験よりも知識が勝った理解で、だいたいの意味だけで書かれた本しかない。

ちなみにアメリカの自己啓発本は、日本のすべての本より元気が出やすい。

自己啓発本の世界では、アメリカは日本よりも5年進んでいると言われているらしい。
だから日本よりも、外国人が書いた本の方がしっかりと気分がいい感覚を覚える。

『「ダメの壁」を超える成功心理学』を読もうとしたのも、たまたま2行ほど読んで
わかってくれていると思ったから、うっかり買ってしまった。
読んでみたら普通だった。外国と違って、やっぱり日本の著書はあまり気分が高揚しない。
雑学知識を知って面白いと思ったときの感覚よりも、弱い感覚を覚えた。
日本の著書はこの程度でしかないので、外国の方がうれしくなる。

94 :リーダー :NG NG.net
この本は「悩んで苦しんで、心が傷ついて、どうせダメだと
思っているその気持ちを処理する本があまりない」からそこも詳しく書いたと言うが
それはたぶん日本のことだと思う。
アメリカの方が進んでいる理屈通りなら、この本が2004年なので
当時のアメリカは、日本なら2009年にできる技術を既にやっていたということになる。

しかし、私個人の勝手な想像で言えば、2004年と今はあまり変わらないと思う。
心の問題処理に関する認識は変わってきているが、日本以外のことである。
日本はそれで結果として作られた考え方の一部を、暗記してバラバラに思い出す程度だろう。
これなら、知っていれば思い出せる程度であり、自由自在に扱い、問題解決するなど無理だろう。

日本の物事の理解の仕方そのものについて、あまり自由にならない理由としては
記憶していればいい程度にしか扱っていないことにあると思う。
日本の教育は記憶していつでも思い出せればいいのであって、良い教育などしなくても
覚えていさえすればいい。だから人はいくら教え込んでもほとんど覚えてくれないという悪循環に陥っている。
そこに日本人が得意な(?)自虐をしたがるため、自分はできないダメ人間というレッテルを貼ってしまう。

だから私たちはこれまでの人生、あっちこっちで自分をダメだと言われてきた。
自分でも一回でも失敗したら生きる価値などないかのように考える。
実際に、一回でも失敗すると人を殺すよりも罪深いとして、徹底的にいじめられる。

なぜなら、いじめるほうもそういうものだと思っているから。
そんな状態では、いくら成功したいと思っても、「サイドブレーキをかけたまま
アクセルを踏むようなもの」である。

95 :リーダー :NG NG.net
自分で自分を縛る考え方を説得し、納得したらサイドブレーキを外す方法がわかり
実際に外せるということらしい。
今書くまでそれに気づかなかった。

説得すればわかるという。説得は言ってわかってもらうことを差す。
充分に言うことが出来ず、行動だけでたまたま説得したようにわかってもらえる場合は含まれない。

私たちは、言葉を使って人を説得して納得してもらうから。

そうする時、ためらわないためにいろいろ書いている。

夢を持ち、計画し、行動し、実現する。
それぞれに関する心構えはどの自己啓発本を読んでも同じようなことを書いている。

若くして実現したら、次の目標がなくなり、問題を起こしてしまうことがある。
若くして野球で有名になるとか、賞を取るとか、若くして大きなことを成し遂げた人。
長年の夢を早めに達成したため、気が抜けるのか、次をやらなくていいと思うのか、やらなくなる。
そういう人は誰からも見向きもされないほど落ちぶれ、たまに犯罪を起こしたりする。
この本にはないが、私が思い出したのではタイガーウッズがそうだ。
もしかしたら彼は成功が華々しすぎて、次をどうするか目標ができなかったのかもしれない。

96 :リーダー :NG NG.net
人は成功したいと思うものだが、過去の人生であなたは無理をしてしまった。
結果としてか、他人の都合でか、いろいろあるが自分のペースではない人生を送らされた。
学校には居れば、就職のために子供の能力を大人がコントロールしようと受験戦争に追い立てる。
その大人は、二度と勉強しないような堕落した人たちなのだ。

それに疲れているので、あなたは心の傷を処理し、自分の人生を生きる準備をする。

今のまま自分の人生を生きようとして、ただ明るく考えて過ごそうとすると、
心の傷が放置されるので、明るく考えることが何だかおかしなものになる。
あまりにも傷つき、明るく考えることすらも忘れた人が、いきなり明るく考えられるはずがない。

足を引っ張る心の傷を処理して、これから夢を実現するための行動をしやすくする。

97 :リーダー :NG NG.net
今回、久し振りに自己啓発本を読むことにした。

買ってから1ヶ月は立ったと思う。なかなか読み終わらないのを恐れて。だが、3日で読み終わったので、もうちょっと早く読み始めてよかった。

なかなか読み終わらないと飽きてしまうなーとか、
長い間読んでいると疲れるなーとか、こういうのが、やめたほうがいい事なのである。

本を読むときは、薄い本から読む事である。
薄くなくても、内容が易しくて、面白ければ誰でも読めるだろう。
細かいことまで気になるような内容の本であれば、少々難しくてもいいので読んでみるといい。
少々難しい書き方をしていても、必死で意味を取ろうとするから読める。

自分がだいたい何時間読んでいられるかも、普段から意識するといい。
ネット記事なら、これくらいの記事は何分で読み終わるかと考えてみて、
時間を測って読んでみたら数分で自分の読書スピードがわかる。

98 :リーダー :NG NG.net
本がどれくらいで読めるかの目安を簡単に書いて終ろう。

ライトノベル。文庫サイズでふつうの厚さ。
私は『灼眼のシャナX』を読んだときにはじめて読む早さ意識した。
それくらいの大きさの本であれば、だいたい6時間ほどで読み終わるだろう。

そういえば、かなり過去のことだが、映画『JFK』の小説を読んだことがある。
NHKの印象があったのを覚えている。
このころ私は、まだまだ本の読み方も知らない段階で、内容理解自体がおぼつかなかった。
『JFK』を1カ月かけて読んだ。
だが内容次第ではもっと短い時間で読めるはずだ。
たぶん、ニーチェの『愉しい学問』は『JFK』より少し長いくらいだったと思うが、
もうちょっと短い時間で読んだと思う。

過去に母ハードカバーの本を読んだ。
といった6時間ほどで呼んだ。母が「そういうもんだ」といったので
「やっぱりそうなんだ」と思えて、読書スピード理解の助けになった。

私は今までに哲学の本を読んでいたが、22センチハードカバーであることが多い。
全体が600ページくらいあって、字がびっしりなので普通は読むのが怖気づくかもしれない。
だが、本文がだいたい400ページくらいに収まり、100ページくらいが
訳者の解説になる。あと100ページくらいが実は用語索引、参考文献などの読まなくてもいい所だ。

この哲学書1冊を読むとだいたい2カ月ほどかかる。

99 :リーダー :NG NG.net
私は一時期、どのくらいかかって一冊読むかをよく計っていた。
富士見スニーカー文庫?だったかの様な薄めの本なら6時間と思えばいい。

そして、内容にかかわらず読むのが続かないのなら、 最初に10分でもいいから体も意識もジッとしてほしい。
動かないまま、視線がなめらかに動かせれば、読みやすくなる。
本を手にとって、ウロウロした意識を本に向けるために、1分ほど落ち着こうとする。
何かを始めてから、意識が集中してくるまで時間が掛かるので、少し待たないといけない。
人は席について10で集中してくると言われるらしい。
だから最初は本を手に取って文字を見たら、読みながら意識が落ち着くのを少し待つのがいい。

今まで読書法を詳しく書いたのは、本を読み始める「抵抗」を減らすためである。
こうすれば読める、ということを今思いついたことは書いてみた。
10分が待てなくて、嫌になって二度と読まないのはもったいない。

これで少しでも、何かを始める抵抗が減ればいいと思う。

外国人だが、過去にこういう人がいた。
ジャッキー・チェンの映画が好きで、子供の時から、彼のカンフーをマネしながら見ていたそうだ。
真似をしているうちに、ジャッキーのカンフーを全部、マネできるようになってしまったそうだ。
道場に入門しないとカンフーができないのは嘘である。

何かを始めることに抵抗がある人は、ここまで簡単なんだと知ってほしい。
ジャッキー・チェンの映画が好きすぎて、マネしていたらできてしまった。
何ができるようになるハードルとは、こんなに低いものなんだろう。

おわり

100 :リーダー :NG NG.net
日本の建築業

公共事業が過剰にもてはやされるようになったのは
石油危機の後かららしい

101 :リーダー :NG NG.net
郵便貯金制度

非共産圏最大の金融機関である郵政省のもの
共産圏には郵便局はないんだろうな

102 :リーダー :NG NG.net
>>101の訂正から
郵便局はほとんどの国にあるかw
貯金やらんで手紙配ればいいか

103 :リーダー :NG NG.net
田中角栄すごすぎ

104 :リーダー :NG NG.net
深見東州『強運 あなたの運がドンドンよくなる』たちばな出版(平成24年)

何度か読んでる。 なぜツイている人と、ツイていない人がいるのか?
人生うまくいく人がいるのに、うまくいったことがない(ように見える)人がいる。
どうやったら運が良くなるのか、神霊界の法則から語る。

深見東州氏は、霊感があり、神様と直接交流ができる数少ない人の一人である。
そして可能な限り正しい審神(さにわ)ができる唯一の人である。
こういうと頭から否定する人が質問してきて、嫌がらせになっていることに目をつむる。
「本当にわかるのかよ?」と私に聞かれてもわからないので、深見東州本人に聞いてみたらいい。
他の人と違って、邪魔臭いから決して答えないままでいることはないだろう。

ツイている人とは、前向きで、一生懸命で、神様からも好かれる人だ。
「自分にはムリ。明るくないし」などと思う人も大丈夫。
どういう風の吹き回しか、たまたま明るく考えれば「おっ」と神様も視線を向けるくらいはしてくださる。

もちろん、神様が応援までして本当に何かしてくださり、あなたの運勢が
上向きになるには「お願いします」だけではだめである。

人間も努力をして人として立派になるように鍛え上げ、もっと成長するんだと
大谷翔平選手のごとく、どこまでも上がっていくよう心掛けていればいい。
この本が初めて出たのはかなり前のことなので、スポーツ選手はちょっと古い人がたとえに出てくる。
だが、この選手たちのように誰からも愛される人というのは、やっぱり神様からも愛される心の持ち主である。
だから誰からも認められているので、成功できるのだ。
そういう人はまちがいなく運がいいと言えるだろう。

105 :リーダー :NG NG.net
私たちの人生は、目に見えない世界(神霊界)の影響を受けている。
これが幸運を作り出している。
ただ、人間が悪い感情も持つため、悪い方も眼に見えない力として人生の邪魔をしている。

霊的なことの基本とは、悪いものを救済除霊し、良いものをどこまでも強くすることである。

しかも直接、目に見えない世界に働きかける方法の基礎を語る。

106 :リーダー :NG NG.net
星に祈るとか、神様に聞くとかいうことが出てくるが
宗教臭くならないようにし、こういうことをよく知らない人にも読めるようにしてあるので一読してほしい。

幸運になるために呪文を唱える心構えから教えてくれるし、
星を味方に付ければ強力な運勢があなたをとりまくようになるだろう。

星とは、空に浮かぶ惑星のことである。
惑星の霊的パワーは木星ならジュピターというように何かに例えられるが
これは木星から何らかの霊的パワーが出ていることを人は分かっていた。
そうだとはっきり認識していなくてもそんな気がしているからこそ、ジュピターなどといってきた。

その星のパワーを意識して「お願いします」で本当に得られるとしたら素晴らしいではないか。

その方法が書かれている。
そんな風に、幸運になるための方法をいくつか紹介する。

107 :リーダー :NG NG.net
最後に、仮にすべての方法がうまくいかなかったとしたら、
それはあなたの考え方による。

考え方が邪魔をするものを呼び込んでいるので、
考え方を明るく立派に変えて、『強運』にある幸運になる四原則をやって
幸運のスパイラルの中に入ってほしい。

おわり

108 :リーダー :NG NG.net
田中曽根政権
というのがあった。

田中角栄と中曽根康弘
何もしたがらない日本の政治を変えようとした人たちで
今でのいいリーダーシップに近いことができた。

これを妨害して当然と言うのが日本の考え方

109 :リーダー :NG NG.net
日本はすべての人間に責任逃れを強要する。
何かしようとする人を妨害し、諦めさせてきたのが日本政府だ。
じゃあ、本当に何もしようとしないとしたら、いったいどうなるか?

実例があった。

鈴木善幸という人がそうだった。
日本はすべての組織が、夢を持つ人の行動を潰して回り
二度と夢を持たないように諦めさせてきた。

じゃあ本当に決断を下さず、何もしようとしないで逃げ回ったらどうなるか。

鈴木善幸がまさにそういう人だったという。
本当に何もしなくて、外国との交渉で何もしなかったようだ。
だから外国の外交官は鈴木と二度と話をしたくないとまで思うようになった。

そして、外国がそうなるのは当然だが、
日本はどうだったか。

110 :リーダー :NG NG.net
日本もそうとう嫌がったようだ。
お前はなんで何もしようとしないんだと言ったか知らないが、
そうとうイラついていたようだ。

何もしようとしない人を求めて日本政府は勇猛果敢に
行動する人を叩き潰すことが仕事になっているが、
本当に何もしなければ嫌がった

じゃあどうしろと

111 :リーダー :NG NG.net
このように、日本政府というか日本の行動パターンである
<システム>の動きは、いっていることとやっていることが違っているのである。

112 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!3 よんでますよ、ダクネスさん。』
角川スニーカー文庫(2014)

「俺、また死ぬの?」と裏の解説?CM?にある。
笑った。
四人の問題行動が過激になってきたw

普通に読み進めていれば「前回までのこのすば!」がちょっとうかがえる。
ここで新キャラ「ゆんゆん」も登場する。

タイトルの通り、メインはダクネスの話である。
ダクネスの変態ぶりも暴走し楽しかった。

113 :リーダー :NG NG.net
ダクネスが「もうらめぇ」というくらいになるので
気になる方は読んでみてはどうか

さっきも書いたが、これまでのこのすば!がうかがえるので
たぶん知らないと分かりにくいストーリーだと思います。
順番に読むのが無難かと

114 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
スレ見たら一人しかレスしてねえ

ハヤカワから出てるスワロウテイル読んだ
主人公の揚羽ちゃん可愛い
男女隔離都市や人工妖精とか設定でかなり小説の分量占める
俺は割と設定の羅列見るの好きだから良いけど人によってはきついかもな
洋平と出会った事件の話読んでみたいと思ったが書いてないんだな

115 :リーダー :NG NG.net
記憶さんいなくなっちゃったからね

116 :リーダー :NG NG.net
日本人の上下関係

親孝行、会社への忠節といえば聞こえが良くしてあるのであって
実際には絶対服従である

117 :リーダー :NG NG.net
日本のメディア
番組内容は頭カラッポと書いてある

118 :リーダー :NG NG.net
日本政府の政策要綱は
広告のコピーだと書いてある

日本をよくするために出すわけではないようだ

119 :リーダー :NG NG.net
日本の女性のふるまい
優れた頭脳を隠さないといけない
それでも、わかっていて奥ゆかしくしないといけない(計算高さが求められる)
声が一オクターブか高い (声が低いとかわいくない)

以上が本のメモ

思い出したが上記の様な認識があるのは中国も同じ
ほかは知らない

欧米の女性は声がめっちゃくちゃ低くてもいい
政治家のような低い声と変わらない。オバマ前大統領と比べてもいいくらい
もちろん実際は男ではないが、ドスが聞いた、男の様な声の女性が非常に多い
たぶん欧米での可愛さというものは日本とは全く違う

120 :リーダー :NG NG.net
日本は現実を無視してどこまでも、かわいいのを求め
アニメなどでどこまでもかわいくしているので、現実の女性は普通の顔でも見向きしない
アニメの見すぎ、ゲームのやりすぎだろう
欧米は現実を踏まえたかわいさ
この違いの証拠として、キャサリン・ゼタジョーンズのような美しさが理解できない日本人男性がいる

これを心理学っぽく言うと、もしかしたらそういう日本人男性は精神的に子供なのかもしれない。
全体的に子供なのではなくて、大人の恋愛を知らないのだろう。私も知らない
アニメばかり見ていては、現実の女性に興味がなくなるだろう

121 :リーダー :NG NG.net
恋愛については『絶対可憐チルドレン』の誰だったか二人組の女性の言ったことがヒントになると思う。
男性に絶対に許せないような欠点はあるが
「それでも私は男の人が好き。そういうところがあってもそんな男の人が好き」 だったか。
つまり、欠点があるとわかっていて愛することを嫌がらない、深い意味がある。

だから、ほんの少しでも欠点があると文句たれて毛嫌いするのはまだまだ子供なのだろう。
人間はみんな違っているので、全員が人の欠点を押し付けられるはずである。
それにいちいち本気で攻撃していてはキリがないわけである。
だったら他人をコントロールしようとするよりは
欠点を知りつつ、うまく扱えるようになる方が大人の対応なのだ。

122 :リーダー :NG NG.net
ちなみに「欠点を認めなさい」という言い方は、私は好きではない。
これは便利過ぎて楽ができる言葉で 、懇切丁寧に考えるがない人が言っているように見える。
欠点や問題があることを「認める」という言葉の意味があいまいだからだ。
一度「認める」という言葉を使い始めると、これしか言わない。
すると「認める」とはどういうことかが忘れられていく。
だから何時まで経っても認めようとする人が現れないのである。
それを少しも変えようとせず「認めましょう」とだけ言うのは、結果として蔑ろになる。
「認める」とはどうすることを言うのだろうか。
それを言ってくれる人はほとんどいないはずである。
ほとんどと言ったが、「認める」の意味を本当に聞いたことがある人はおそらくいないだろう。

だから、認めるとは考えず「わかっていて」対応すると考える方がいい。
そうでもしないと、気に入らない人間にいちいち腹を立てるのも疲れる。
すると、腹を立て続ける経験から、不幸が加速する。
不幸が蓄積されていくので、間違いを改善したいと思っても、蓄積以上に幸せな方へ努力する必要があり、
実行するのは非常に大変である。
長年の悪い方へ引っ張る蓄積は、一朝一夕では解消されないからだ。

それで、今からでも、一日でも早く間違いを改める必要がある。
だから人間関係の改善があちこちで言われる。
「間違いを認めましょう」の一言で済ませるのは、精神攻撃する人でもいえる人ことである。
本当に変えようと人生相談本を書くなら、もっと丁寧に書いてほしいものだ。
多くの人が楽をして、 ほとんど意味をなさない言葉で言っているので
人生相談や、自己啓発の本のメソッドがうまく言った人を見かけないのである。

読書と関係ない話はここまでにしよう。おわり

123 :リーダー :NG NG.net
日本の警察

本当に反省すればどこまでも責め立てることはない
しかし反省といっても無理やり自白させている

過去の警察が冤罪だらけだったと聞いたことがあるが
これは、容疑者をおどしつけ、拷問してでも自白させたから。
容疑者で実際にシロだった人は、自白するほうが精神的に楽なために自白させられたのが本当らしい
このあたりのことは「やりすぎ」との声があり、監獄調査会というところが報告書を出したほどの事態となった

それにしても監獄調査会という名前がスゴイね

124 :リーダー :NG NG.net
日本についての本のメモ
法律

法を支配している
外国では法に支配されるが
日本では法を都合がいい時に破る
何様って感じ

125 :リーダー :NG NG.net
この本でアドミニストレーターと言っている立場の人たちが、ね

126 :リーダー :NG NG.net
日本の法律のコト

国民主権とは、法律が神の摂理という考えからくる。
人間が神に従わなければいけない。
「権力は倫理的な目的に従うべき」という考えがヨーロッパではじまった
これがたぶん古代ローマの間か、後からでてきたらしい
日本では神を信じていない人の方が多いため
権力者は誰にも従う必要がなくなってしまう

これは、トップに立った権力者の間違いを治してくれるものが存在しないことになる

日本以外の国では神を信じている傾向にあり、
神が全てをお見通しだから、人間は一人でいる時もみっともないことをしてはいけないと
自分で正すことができる。

だが日本ではそれがない。
キレたり、ネチネチ文句たれるようになると際限なく続くのは
戒めがないからである。

欧米では聖書などの聖典を読むため、言葉に反するからいけないと思い出すが
日本にはそういう知識を知っている人が少ないので
腹が立てば半永久的に文句を言い続けることになる。

その結果、本田圭佑のように、いくら問題だからと言っても文句を言い過ぎじゃないかという人が出てきたりする。
際限なく言い続けていいのだろうかと、本田圭佑も疑問に思っている。

これは、文句を言うのをやめる理由がないからである。
聖典を読むどころか、日本人は戒めの考え方がほとんどない。
子供のころ、親の説教の仮面をかぶったネチネチいじめしか聞いていないからである。
親も説教をなにか勘違いして、徹夜で文句を子供であるあなたに言い続けていたのだ。

127 :リーダー :NG NG.net
日本人にもあまりひどいことを言わないように戒める人が無数にいる。
だが、その理由は数えるほどしかない。
これまでの人生で、仕事の先輩が名言を言ったからなどであるから、数が少ない。
聖書くらいの言葉数ではない。
聖書の全部が名言というわけじゃないが、神の言葉として一言一句もらさず崇拝する。
普通のことしか言っていないし、物の名前を聞いて感動するのもどうかと思うが。
過去に料理のレシピ、必要な食材のリストを感情込めて読んで人を泣かせたという白人男性じゃあるまいし。
あれはあれですばらしい演技力だが。

外国は聖典があり、宗教の口伝があり、戒めの言葉がしみついている。
日本でしみついている言葉は、テレビから流れてくるCMの言葉である。
酷い時はCMを見ても言葉も沁みつかず、購入促進のための心地よい感覚だけがしみつく。

芸能人など仕事で先輩がたまたま名言を言ったのを座右の銘とするのが関の山である。
小泉純一郎元首相の「不立文字」のような古典も読んだことがあまりない。私もない。おい。

日本人はもっと、古典名著を読むべきである。
完璧に覚えるのはすぐにできないことなので、好きな言葉を何度も見ていればいつかは覚える。
それは、きっと、あなたが気づかない所で戒めの言葉となるだろう。

あなたは分からなくても、腹が立った時に、「しまった」と思うきっかけを名言が作ってくれる。

だから本を読むか、ネットでもいいので人生の先輩の名言を知ってほしい。
見ておけば、違いは出てくる。
知らなければ、文句が出てくれば一生罵詈雑言を言い続けることになるが
知っていれば、罵詈雑言をやめる直接の理由になるのである。

戒めの言葉をもつことで、争いが際限なく続くことなどなくなってほしいものだ。

おわり

128 :リーダー :NG NG.net
日本の法律

強い方が必ず勝ち
弱い方が必ず負ける

129 :リーダー :NG NG.net
カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎【文庫新版】 THE ENIGMA OF JAPANESE POWER』
篠原勝―訳 早川書房ハヤカワ文庫(1994)

土曜日(おととい)読み終わった。
政府が腐ってるのは世界各国ほぼ同じとして、日本だけの特徴がある。
論理的に間違ったことでも意図的にやる。
日本のありとあらゆる組織は、権力と洗脳と支配のためなら
論理的にも法的にも間違ったことを意図的にやっている。
それに意見するやつは社会的に消すのである。
論理性の蔑視は世界各国であり得ないことである。

私によくわからないのは、それを計画的にやれているのか、本当に頭が悪いのかというところだ。
日本人の多くは、それを疑問に思わないように巧みに洗脳されている。
日本人の支配層は、曖昧な言葉が録音された壊れたテープレコーダーとなっている。
論理性よりも、著者の言う<システム>というものを維持するためには何でもする。

普通に言う「社会システム」「制度」という意味のシステムではない。
日本人の態度にある、非論理性、何をしたいのかわからない不可思議な行動の理由を
<システム>というカッコつきで呼ぶことにしている。

これで、日本社会に疑問を持つ人が、なんで日本人は論理性がないのかのヒントがここにあると思う。

130 :リーダー :NG NG.net
この本は日本政府の人間が激怒したそうで、私はこの本を読んだ感想を書くだけなので
つっこんだことに激怒した人は私に怒らないでいただきたい。
カレル・ヴァン・ウォルフレン氏がこういう本を書き、日本も世界もそうとう興味を持ったようだ。

教育:クイズマニアを作るための知識詰め込みだけをしている。
   教養、人格、人間性は育てないので、知識が入っただけの動物である。
   学校教育が終った後に、だまって言うことを聞くだけの、自分で考えないマシーンを作っている。
   日本の学校とは、自分で考えない人を育てる場所である。

マスコミ:政府の言いなりである。政府に都合が悪いことは決して言わない。
     もちろん、政府に脅されている。

検察官:ある参考文献の著書が書いたらしいが「日本の検察官は神になろうとする」とある。
    検察官の裁判有罪率が99.997%らしい。
    これは検察官のイメージを維持するために工作したからである。

メディア:日本全員をサラリーマンにするための考え方を洗脳する媒体である。

就職活動:<システム>とアドミニストレーター(管理者)にほんの少しでも反するかもしれない人には
     底辺の仕事しか与えないか、無職にさせる。

社会的地位:能力や人格に関係なく、どこに生まれたか、出身校などで決まる。
      かつて私(リーダー)はこう聞いたことがある。「世襲ということは
      息子が由緒正しき家の生まれであれば、無能でも跡を継がせなければいけないジレンマがある」
      理屈で言えば、世襲とはそうなるらしいが、それを守るほど
      日本のアドミニストレータは頭が良くないと思われる。
      こういう都合の良い時に好きなだけルールを破り、絶対にとがめられないため
      裏で何でもしているわけである。
      アドミニストレータは、この地位を確実に手に入れるために選挙活動などの有利な地位を金で買うのである。

131 :リーダー :NG NG.net
メディア:日本のすべてのメディアでも特にテレビは知能が極端に低い。
     7歳くらいに設定してある。
     私はどこかでテレビの難易度は中学生くらいに設定してあると聞いたが違うらしい。

法曹界:ある参考文献にあるらしいが「検察官が神になろうとする。」
    検察官の有罪率が99.997%だが、純粋な実力ではなく工作である。

冤罪:いまだに作り出す。負ける人が設定されてから裁判が始まる。
   ドラマ「メンタリスト」よりパトリック・ジェーンのセリフ「裁判は嘘をつくのがうまい方が勝つ」
   法曹界の人々の権力闘争で絶対に負けない範囲内で、正義っぽいことが行われる。
   
日本人のやさしさ:恩を売るためである。絶対的優位に立ち、武器を使わないでやっている。
         法律の哲学で言うと、正義と倫理は神ほど重要ではない。
         日本は外国の神を進行する法律を参考にしているくせに、神をないがしろにしているのである。
         つまり、誰かトップが神よりも上に立ち、彼の自由になるわけである。
         だから<システム>と呼ぶのは、トップの恣意的で子供じみた態度を指す。

日本政府にいる議員:政府に入りたければ、東大法学部を卒業するのがいい。
          あとの学歴はほとんどダメである。
          この考えを基本に、権力闘争に絶対に勝てる範囲内で採用される。

司法試験:合格率が2%くらいしかないことで有名だが、これはできるだけ弁護士の数を減らすためである。

示談交渉:弁護士の数が少ないため、示談交渉してもらわないと困るわけである。
     上記のやさしさの押し売りが成立する。
     これと近そうなのが、日本は特別に保険会社が盛況である。
     自動車事故で困っている人に付けこんでいるのかと勘ぐってしまうが
     あくまでも本を読んで知っただけである。

132 :リーダー :NG NG.net
中曽根康弘(100)と田中角栄:なんとかグループで活躍した。
                田中角栄の略歴というか、ざっと読んで知って驚いた。
         田中角栄がここまで優秀な人だとは思わなかった。
         田中には弱点がほとんどなかったため、生まれだったか学歴をマスコミから攻撃されたらしい。
         他人は粗を探す傾向にあるが、マスコミほど他人の攻撃をするものはいない。

中曽根氏は、今でいうリーダーシップがあった人のようである。
革命的思想、人を束ねて何かを始めるためにちゃんと考えを持ち
まるで欧米のイノベーターのごとくいろいろ進めていたらしい。

この二人だけは、何かを変えるリーダーシップのヒントになりそうである。
日本のいいところらしきところ「前編」はこの二人くらいしかいない。
あとは組織がクソであり、人もほとんどクソである。
日本政府にも現実の日本の仕組みが良くないと思っている人はいて
いまみなさんがテレビで見ている政党のどれかにその人たちがいるわけである。
ただ、残念ながら強いのは悪のほうである。

少し言ったように<システム>の意地さえできればどんなにおかしいことでもやってのけるわけである。
論理的な正しさなんてものは最初からないのかもしれない。
5ちゃんねらーには論理的正しさを重視する人の方が多そうなので
このことは不満かもしれない。

133 :リーダー :NG NG.net
日本はいったい何がしたいのかと言えば、特に何も考えてないのだろう。
リー・クアン・ユーが「日本社会が未来にどうありたいか描いてほしい」と
『目覚めよ日本!』に書いてあったが、こういうのはことごとく無駄になると思われる。
欧米は日本人がいったい何をしているのか、目の前の行動すらもよくわからないから、
これまでの世界は日本へのアドバイスはなかなか言えなかったと思われる。
(いろいろ言っているとしても、マスコミはそんなものを無視するだけだろう。
それは政府の行こうということになる。マスコミは自主性がない。
政府は現状維持だけをしたくて、自主性がない)

政府が何時からの現状維持をしたいのかと言えば、鎌倉時代かもしれない。
とにかく日本国の最初の方から、幕府と政府の態度は少しも変わっていないと思っていいだろう。

134 :リーダー :NG NG.net
日本が論理的に正しくないことも平気でやれるし
日本国の宰相の方からの現状維持さえできればどんな訴えも妨害する。

それはいったいどういうことだと外国から言われると日本はこういうらしい。

日本だけの独特の倫理があるからだと。
日本だけにしかない考え方があるからというので、結局は好き放題にやりたい。

これをもうちょっと悪い意味を外してみると、
日本は島国である。ヨーロッパの中世のように、危険な自然のど真ん中に城塞都市があるようなものである。
城塞都市の外に出たら獣に喰われる。
獣とか敵国と戦おうにも勝てない弱小国に考え方が似ているのだろう。
(しかも日本は戦わないと口先は言っている)

そんな弱小国が自然のど真ん中にポツンとあると、外に出たくない。
外に関わりたくない。何もしたくない。
最小限度、貿易のやりとりだけしていればよくて、戦争は御免だと、軍人がビビっているようなものだろう。
(その割には、国内での振る舞いが厳しい軍人そのものである。
アニメの団結、最後には仲間同士でいつまでも、というのも軍隊のようであり、
最後には<システム>に合わない人間なら隔離されてくれという洗脳である。
そのヒントになるかわからないが、アニメ主人公のグループに学園トップがおり
学園の<システム>に反するそのグループに入った学園トップは隔離されているかのように
そこにいつまでも所属するという結末になる。
よく見たら左遷である)

135 :リーダー :NG NG.net
日本の会社:態度が軍隊組織そのままと思っていい。
      ここから怒鳴りつけるしかやろうとしない上司がいるのもわかるだろう。
      どんなに厳しくしても「ケガをしない、病気しない、疲れない、倒れない」のを求めるのは
      アニメキャラを求めているように見える。
      <システム>に絶対服従ということだ。

幼児教育:生まれた時から学歴が決まるように声がかかることがある。
     そういうことが可能な地域に生まれたときだけ、母親に声がかかることがあるそうだ。
     あなたのお子様は、この学校へいって就職できるようにしますと言ってくるらしい。
     だから、子供の望みを封じて安泰の就職を指せようとするわけである。
     こうして子供の感情を無視した教育となる。

警察の取調室の拷問:テレビドラマで取調室で、警察のスレたような態度で
          高圧的にやっている数々の行動がある。ほとんどが日本国憲法違反である。
          日本の警察は憲法違反を好きなだけやっているのである。
          だから冤罪が多いのである。

冤罪:あとの冤罪は、裁判での工作である。

あいまいな言葉の六法全書:政府が都合よく解釈するためである。
             著書によると自衛隊という名の軍隊である。
   安倍総理が集団的自衛権のために憲法を正反対に解釈して見せたのもこれだろう。         

とりあえず、なんとか思い出せそうなことをざっと書いてみた。

136 :リーダー :NG NG.net
この文章はカレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』を読んで知っただけに過ぎない。

外国人は日本のことを外見しかわからず、中身はさっぱり考えることもできないが
私たち日本人にも、日本政府のやっていることはよくわからない。
日本政府の行動が間違っていることだけは間違いないが、なんでそうなのかは日本人でもよくわからない。
そのヒントになると思ってこうして書いただけである。
これで、少しは日本のことを知るいい機会になったのではないだろうか。

5ちゃんねらーをはじめ、多くの人は論理的思考に努めているだろうし
行動の意味を考えては分からない日常を過ごしているだろう。
私が思うには、あまり教科書にこだわりすぎなさんなと言いたい。
おそらく、教科書の丸暗記は半分以上があてにならない。もっと自由に考えるしかない。
日本人の行動の不思議は、極論すれば頭の悪い家族と思ったらいい。
深く考えない、平和ならなんでもいい、難しいことなど聞きたくない。
思うままやっているだけではないだろうか。政府などのアドミニストレータ(管理者)がである。

中世ヨーロッパのたとえのように、世界は怖いから、かまわないでくれ。
一人でやっていきたい。誰とも何もしたくない、このまま何もしないで死んでいきたいという年寄りの考えなのではないだろうか。
刑務所にもいるらしい。何も深い理ぜずに、何もしないで刑期をまっとうしたい。

自分のみを守るために、どこにも深入りしないで、一人でコツコツ期限まで過ごし、
たまたま数人が仲良くしてくれれば後は知らないと。
そういう風に過ごす囚人もいるらしい。
日本人はそういう立場を望んでいるのかもしれない。
そんな人だけが日本を支配しているのだろう。

おわり

137 :リーダー :NG NG.net
さて、日本についての本下巻に突入

138 :リーダー :NG NG.net
日本で何が起きているか知る方法

マスコミというゆがんだ見方を通さなければ
情報はほとんど得られないようである

マスコミが真実ではなく政府が気に入るような情報を報道する。
真実を伝えないなら、事実くらいは伝えるかと思うがそれもない

139 :リーダー :NG NG.net
日本の学校教育

項目の暗唱

140 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
てす

141 :リーダー :NG NG.net
日本についての本下巻「論理性の蔑視」

142 :リーダー :NG NG.net
日本についての本下巻に出ていること

西洋人が言われたくない事は、
自民族中心の思想(エスノセントリズム)だと言われること。
人種差別主義者と似たようなものだと多くの人が考えるから

143 :リーダー :NG NG.net
日本「文化にかこつけた権力」

今の意味不明な行動は「文化」であると言い訳していて
それが始まったのが、著書のころから400年ほど前になるらしい
現在(2018年)の420年ほど前になる

144 :リーダー :NG NG.net
日本の(悪い)文化の続きだけどひどすぎる



鈴木正三(すずき・しょうさん)という禅僧の考えが人間ではない

人々の体は「痰と涙と尿と糞便の袋」にすぎず
人々の命は自分のものではない、主人のものである

この考えで禅が徳川時代からはじまったらしい

145 :リーダー :NG NG.net
日本人が思考することについて

思考したり、ちゃんと説明したり、質問したりすること自体が
国家転覆を企む敵とみなすらしい

146 :リーダー :NG NG.net
大和魂=誠(まこと)
英語で「sincerity」で西洋の「まこと」にあたる
日本の解釈する「まこと」はもちろん西洋とは違う

日本では周り(支配者)の要求する希望に無理にでも合わせることを言う
謙虚にふるまうというよりは、個人の自然な心の動きを封じることを言う

それを謙虚だと言ってのける矛盾は日本では無視される

147 :リーダー :NG NG.net
>>144の考えはようするに、

人間は血の袋

といっているのである

148 :リーダー :NG NG.net
禅が広まったというか

徳川政権のイデオロギーを
鈴木正三という人物が広め始めた

この考えは明治時代にもひきつがれ、
2018年もつづく

149 :リーダー :NG NG.net
明治維新で日本社会が変わったと歴史で習ったと思うが

たしかにシステムのほうが変わった
廃藩置県、大政奉還のようなところはほんの一部だと思うがそこだけ変わった

一部だけ変わったと言っても、それを実行するには
内容次第ではごっそりとやり方を変えなければいけないことがある。
かなり認識を変えないとその一部の変更も出来ないことはある
言葉の一部を変えるとは、そうなることをいう

150 :リーダー :NG NG.net
腐っても日本、腐った日本なので
悪徳アドミニストレーターもただではすまない

明治の極端に変わった世の中でも
江戸時代までにあった考え方をうまく残してしまった。

ここで、非論理的で矛盾だらけでも平気な価値観を活用していることになるわけだ。

本にあることを考えてみるとそうなると思われる。
欧米と違って、論理的思考をしないでいられるし
人が論理的になにか言って来たら国家反逆罪とみなして黙らせると思われる

そうすれば、日本社会がどんなに変化しても
愚かな価値観は続けられるわけだ。

非論理的にやられてしまっては、それは可能となってしまう

151 :リーダー :NG NG.net
江戸の悪い方の考え方を、明治まで都合よく残すため
言葉を切り取り、コピペ、勝手な解釈をタイプするわけである。

今、私が思ったことも書いているが
こうやって都合のいい言葉だけ扱うのを断章取義という。

152 :リーダー :NG NG.net
日本の身分差別について合理的に論じることは明確に禁止された

理由は朱子学

さっきも書いたように、現代も水面下で続いている
江戸時代からずっとわざとシステムにしていないので
直接耳打ちして脅しているわけである

153 :リーダー :NG NG.net
1910年ごろの日本

軍隊組織の教育方法が日本を乗っ取ったらしい
子供は学校で、20歳くらいまでが連合青年団、20歳以上が徴兵
陸軍が地方のルールに軍隊式をしみ込ませた

154 :リーダー :NG NG.net
20歳以上が兵役と在郷軍人会(で軍隊組織の教育を押し付ける)って書いてた
前の日本は徴兵あったし
在郷軍人会ってのが地方を乗っ取ったやつやから

だから自宅も軍隊の教育をするところらしい

155 :リーダー :NG NG.net
日本の「文化にかこつけた権力」

明治時代、牛肉をとりいれたのは、イデオロギーが変わるのを妨害する交換条件であった。
しかし、科学的根拠で嘘をついてプロパガンダをして、牛肉を食べることを妨害し
日本人に質素な食生活を強要しようと下らしい

欧米人よりも、日本人は腸が数メートル長いため
牛肉の様なしっかりしたものは日本人の腸の消化にあっていないという「立派な」科学的根拠であった

もちろん、これは牛肉を食べるのを妨害しようとしただけである

その証拠に、現代の私たちまで、日本人はいくらでも牛肉を食べるようになった
私の憶測だが、科学的根拠の嘘っぱちは、いくら無知な人間でも察したのだろう

その場限りのごまかしなら科学的根拠で嘘をついても騙せるかもしれないが
経験を積めば、科学にほとんど無知な人間でもいつかは気づくだろう
(知識がないということは、体で知ることであるが
古代文明から人間が体験と体で気が付いたことは、
現代のすべての科学的根拠よりも優れているのが普通だ。

古代文明や、江戸時代でもいいが、人間が体験、体の実験で探ったこと
古代文明の遺跡で、石の削り方の正確さなどは、現代科学で少しも解明できていないので
科学とはどこか頭が悪いのは確かである)

156 :リーダー :NG NG.net
日本人論者の一人、山本七平

日本の若者の価値観が、徳川時代に戻りつつある

157 :リーダー :NG NG.net
日本生まれの朝鮮人・韓国人、沖縄人・アイヌ人

100万人

158 :リーダー :NG NG.net
日本の単民族性(と言い張る)

日本社会は個性を抹殺するが、単民族性を根拠にする。
アイヌ人、中国人、朝鮮人がいることは無視する。
日本人でも地域、個人によって考えることが違うのも認めない。

よって、日本人は現実がどうだろうと関係なく、同じ行動をとるものだということになっている。

問題が起きた場合、問題を起こした人も、起こされた人も罰する

159 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
日本の職場でも家族関係であることについて

経営者が権力を行使しているのをごまかしていることになると言う。
家族と同じと言うことによって、一方的な実力行使を正当化できている

160 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
よって、>>158-159により、こんな態度になる

痛いから泣き叫んで人にお願いすると
立場の強い人間はえ?え?なに?なんでそんなこというの?という行動をとる
泣き叫んで声を荒げたことが罪となって
なんで泣き叫ぶことになったのかは無視される

161 :リーダー :NG NG.net
これでたった今思っただけだが
>>160
これが「先が殴ったものが悪い」の理論であろう

先に殴ったものが悪いということは、なんで殴るのか考えないことになるからだ
私はこの論理を盾によく大人に責められたものだ

私を挑発した人間は、大人が私を犯人に仕立て上げるのを見て
黙っていたのを見た

たとえばいじめでいじめられっ子が、いじめっ子に抵抗すると

大人から見て、いじめられっ子は(大人はいじめられっ子と知らないため)
いじめられっ子がただ問題を起こしただけと見えてしまい、
それが内申書に書かれてしまい、この子の将来に直接的な打撃となる

162 :リーダー :NG NG.net
日本の心理療法

森田療法、内観療法は、<システム>に文句があるのを抑え込むためにある。
カウンセリングなどの「治療」とは
個性の発揮、社会への疑問からくるいらだちが抑え込まれ始めたときに「治療」がはじまったとされる

163 :リーダー :NG NG.net
本には自己啓発のことは出ていないが
人の心は変わらないので、心理療法と似たものである

教訓、人生訓などによって人格形成、本当の人生を生きるための考え方を身に着けさせるのではなく
<システム>に対する疑問が浮かばなくなるように仕向けているわけである

164 :リーダー :NG NG.net
日本人がどんなに頭を使っても
欧米人にはおかしく見るらしい

疑問が浮かんでくることすらないように、
家庭までも利用して<システム>に無条件に従わせるから

165 :リーダー :NG NG.net
日本主義「ジャパニズム」という言葉があるらしい
<システム>の特徴を表しているとか

私はここで初めて知ったから詳しいことはさっぱり

166 :リーダー :NG NG.net
日本の宗教
織田信長のころ、キリスト教の弾圧が有名
そして戦後だったか、明治だったかのキリスト教弾圧

キリスト教がひどい目にあったのはこの二回が大きい

日本はなぜかキリスト教を目の敵にしていたらしい

167 :リーダー :NG NG.net
今の日本の嫌がることは
マルクス主義らしい

マルクスの本をちょっと読んだ結果思ったのは
カール・マルクスは「経済活動はこうなっている!けしからん!」といっているが
結局は「こういう仕組みである」くらいしか言ってなかったと思われる。

しかし、読者の誰かが都合よく解釈したか、都合悪く解釈したw

なんだと、こうしなければいけないというのか!
と思って、読者のほとんどが、マルクスの言うようにしなければいけないと解釈した。

その結果が今じゃないかと私は思っている。

別にマルクスは「こうしなければいけない」などと一言も書いていないと思う。
「こうなっている」と言っているだけだと思う。

こんなこと書いていれば、腹も立ってくるだろう。
だが言葉は「こうなっている」と言っただけである。

読者は先走ったのではないだろうか

168 :リーダー :NG NG.net
マルクスは「こうなっている」と書いただけで
「こうしなければいけない」などと一言も書いてないんじゃないか?

古今東西の読者に言う「おちつけ」

169 :リーダー :NG NG.net
日本の透明人間な統治

ドラマとかでトップのいない犯罪というのがある
リーダーがいないけど一つの目的で殺人などが行える
だから手口はバラバラになる。
どれか一つが警察に捕まっても、他の連中は無事に犯罪を繰り返す

こういうことがどうやったらできるかというと
数人が集まって目的はこんな風に殺そうぜ。
じゃあお前らの好きなようにやっていいからな、自分の判断でやれよ
誰も支持しないからなといって解散、おそらく二度と会わないこともある

アドミニストレーターがこの仕組みを日本運営でやっていると思えばいいだろう。

こういう仕組みのことを著書で<システム>といっている。

だから日本で誰に縛り付けられているかの個人は浮かび上がってこないわけだ。
なんか漠然とした、存在しない人間が、弱者の日本人の人生を奪い続けていると思えばいい。

日本の支配層に生まれてきた人間が、これを実感することはないだろうし
知ったとしたら、支配者に生まれてきたことに胸をなでおろすだろう。
そして弱者がどんなに苦しんでいるか、知らないまま一生を終えるだろう。

170 :リーダー :NG NG.net
日本の<システム>がやっているコト

<システム>の維持。そのために全日本人が例外なく服従すること。
だから、個性があってはならない。
服従する日本人が、善人であるか、悪人であるかなど知ったことではない。

ただ、現状維持のために服従する、感情の無い部品であればいいと思っている。

日本がどんな方針で動くかと言えば、こうなんだろう

171 :リーダー :NG NG.net
>>170で言ったことから

大阪地震の処理を後回しにするかのような節が、日本政府に見られる
先に解決すべき問題は、モリカケ問題だろう

172 :リーダー :NG NG.net
訂正
先に解決すべきと政府が思っている問題は

173 :奥野 :NG NG.net
独りよがりなスレ

174 :リーダー :NG NG.net
私以外にいないだけだよ

175 :リーダー :NG NG.net
横山民司『CDエクスプレス アイスランド語』白水社(2003)

ロシアW杯のアイスランド戦が話題になったからではないw
ちょっとずつ読んで今日終わる。
アイスランドは島国であり、レイキャヴィークという町以外には木が生えていないそうだ。

【文字】
発音記号で表記されている感じがある。(ヨーロッパもそう)
【発音】
ゴウザン・ダーフ(こんにちは)という言葉はドイツ語の
グーテン・タークに似ている。
ヨーロッパのどこかから来た人が話す言葉がこのようになったのだろうか

また、英語で言えば「th」の発音が頻繁に連続して言いづらい。(濁っても濁らなくても)
ムリに英語にすると「ths」とできる発音もある。「th」は濁ったほうである。

文字と音の関係に例外は無さそうだが、一つの文字が複数の読み方をして
いつそうなるか細かく決まっている。
私には理屈を見てもさっぱり覚えられんので、例文でこういうもんだと思った方が早いかもしれない。
【文法】
ヨーロッパと似て、格変化がある。
能動態、中動態、受動態。
英語の文法の認識ができると、上記の文法をのぞいて、極端に大きな違いはない。
英語とすこし文法の違いがあるが、それ以外の良いかたが英語とそっくりなのである。
これはアジアの一部を除く世界中のすべての言語で共通していることを覚えておいて損はない。
どの言語を見ても、そんな風な認識でいいとわかって、ハードルが下がると思う。
独特の文法をよく理解して、それ以外は英語と極端な差はないと思えばいい。

日本語は英語と違い過ぎて、たまたま世界中の言語を覚えるのに世界一ハードルが高いようである。
それはしょうがないことなので、ハードルが下がると思える認識をいちはやく発見できる方がいいだろう。

176 :リーダー :NG NG.net
【独特の文化】
アイスランドにも外国からの影響はかなりある。
たぶんアイスランドに行ったら雪ばかりでほとんど何もないが
環境のせいか、ほとんど町が作れないのだろう。

外国から来たものはいっぱいあるが、アイスランド人はそんなものですら
自国語の言い回しでがんばって表現しようとしているらしい。
だからバス停にとまる「バス」はそのままいうことが無い。
「ストラグヴァイン」という。外国から来たものもほとんどこのように言う。

【食生活】
一言だけ触れていたので紹介。
レイキャヴィーク以外に木が生えないが、魚や羊の肉の燻製がいくらでも手に入る。
作りかたに秘密があって、人間の数の3倍もいる家畜のフンを使って燻製を作るんだとか。
「タズレイクテュル」と読むと思うが「糞で燻製にした」という意味だそうだ。

177 :リーダー :NG NG.net
三角美次(みすみ・よしつぐ)『あなただけのフランス語家庭教師』
国際語学社(2012)
「ピエールって呼んでくれ。キミを挫折させない。これがボクの誓いさ。」
前にドイツ語版を読んだ(パウルって呼んでくれ。)
ドイツ語版のほうが分かりやすく、フランス語版の言い方が難しかった。

【文字・発音】
ご存知だと思うが、基本的には語尾を読まない。
だけど何文字も書かれていて、語形変化でほとんど変化する。
だが読み方は同じということになる。
例えば動詞で「-ion, -ions」なら「イオン」と読むが、誰がやるかで文字を変える必要がある。
こういうことがいくらでもあるから、難しいと思えるかもしれない。
日本人もこの感覚を幼い時から知っている。同じ読み方の漢字がいくつもある。

【独特の文法】
新発見は、最上級が存在しないこと。
「plus:多い」を最上級にするなら「le plus:最も多い」のようになる。
このほうが「一番多いもの(状態)が一つ」と、はっきり書けている気がする。
専用の単語がない代わり、このような「le」や指示代名詞を場合によって使い分けているため
慣れるまでは勘違いばかりしそうであるw
例:queは「何でも屋」と書いてあって、関係詞以外にもいくらでも出てくる。

前から思っていたが、アニメ「プリズマイリヤ」の「イリヤ」とそっくりなフランス語があったので イメージが私の中で固定されたw
Il y a〜「イリヤ〜」で「〜がある」となって英語の「There is」にあたる。
私はどうしてもプリズマイリヤを連想してしまう。
(アニメのイリヤはロシア人だと思うがw)

178 :リーダー :NG NG.net
【私が説明に抱いたイメージ】
ドイツ語版よりも言い方が難しく、イメージしにくい。
専門的にはそういうのだろう。
最後の方は書ききれなかったようで、「詳しくはまたの機会に」とある。
またの機会はいつだろうかw
ドイツ語版よりも親しげな言い方が少なく(削られた?)、その分例文が多いようだ。

別に短めの本で一通り見てからこの本を読むほうがいいだろう。
全く知らないでこの本を読むと、実際より難しく感じて挫折するかもしれないw
だから少し知ってからのほうが負担が少ないと思って、言っておく。

有益なことを言えば、どんなに難しいテキストも、難しかったから二度と見ないようなことをしなくてもいい。
その場合は、気になるところで、わかるところだけ見るようにしたらいい。
気になるところで、わかっていないところを見てもわからないw
後で、難しい言い方の説明と、実際の勉強に区別があることに気づくだろう。
勉強を始められれば、難しい言い回しに関係なくやれるようになると思う。私にはそんな感じがしている。
あまり細かすぎる言い回しは気にしないで、外国語の言い方を何度も練習するのがいいだろう。
おそらく、専門家は古典などの検討の影響を受けて、表現が翻訳調になりやすいため、難しくなるのだろう。

勉強の基本は、わかるところを広げていくことである。
おのずからわかりにくい所につながるだろう。
そうすれば、わかりにくいだけでつらかったところは、
実はわかるところよりも楽しめるところだったと分かる。

自分にとってどこが楽しいかを知ることが、勉強を長続きさせるコツである。

179 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

180 :リーダー :NG NG.net
日本の無責任の構造

情報を得ることができる人がいて、その人に責任が行く
たぶんこの人は顔を出すことがない

これにより、実行する人間はすべて責任がないので無責任なことができるし
優秀なリーダーシップで責任をもって何かしようとすると妨害するようだ
これはおそらく、一般人が夢をもって大きなことをしようとすると
出来るわけがないとあきらめたことを言う背景になるのかもしれない

181 :リーダー :NG NG.net
なぜか日本の官僚は善で
政治家は悪

という暗黙の了解があるらしい

182 :リーダー :NG NG.net
日本は「和を以て貴しとなす」と
常に言わなければいけない

「和が最初からある」ものとしているのに
「非常に努力しないと和が保てない」と思って
「言い続けないと保てない」と信じている
だから事あるごとに和を強調する

これは日本にも争いがあることを示す
これを隠すために見た目をよくしようと様々な手段をとる
<システム>内ではこれ以上ないくらいの争いがある
これはヤクザ映画にでていて、
これ以上ないくらいの緊張状態で
部下が進んで報復行動を買って出る
映画でどんなにロマンチックに描かれても
秩序を乱した人間は死ぬことになる

183 :リーダー :NG NG.net
日本のマスコミが「政治分析」をするとき、その内容とは?

たとえると、時代劇でみられる争いが自民党内で行われている
マスコミはその論評と推測をしている

一例は、日本国の政治の世界では
世界情勢と同じくらいの激しさで争っているという
とある警視総監経験者が言ったそうだ

184 :リーダー :NG NG.net
日本航空ジャンボ機墜落事故の舞台裏

山に墜落して燃え尽きたわけだが
4人だったかだけが生き残り証言した
墜落直ぐには何人も生きていたが、徐々に静かになったと。

捜索は極端に遅れた(14時間後)

なぜなら、運輸省と日航がいがみあっていたからであった。
あとは<システム>に中心のトップ、責任者が存在しないため行動が一貫するはずがなかったこと。
そのうえでの行動の情報伝達はほとんど行われなかったこと。

私の知る限り、この事故をいつまでも気にする無関係者が5ちゃんで書き込んでいるような気がしている。
無関係ながらも、この事故は事故そのものの悲惨さだけではない「闇」を感じていたのかもしれない。
無関係故に論じること自体が不可能で、こきおろすしかやれなかったわけだが
以上のことが背景で、助けようとする気もなかったことがうかがえる。

また、当時の中曽根氏は現場から20分くらいの場所に居たそうだが
「この事故の責任を取るという、やってはいけない前例を作らないために」そのままにしていたそうだ。

この事故が気になる人は多いと思うので、スレ保守ついでにメモっておく。

185 :リーダー :NG NG.net
靖国神社に参拝すると100%もめるわけだが、いったい何が問題なのか?

どうやら、日本が軍事主義国家にもどるかどうかの問題が浮上するらしい?

見た目には何の目的もなく問題視している気がするのでメモ
(日本政府や、アドミニストレーターのやっていることに目的があっても
目的がないかのような行動を工夫してとっていることは明白である。

ないものがあるというのが明白というのもおかしいが
日本だけは自然に導かれる結論など求めないほうがいい)

186 :リーダー :NG NG.net
現在、読書メモしてます
読み終わったと言いたくても読み終わらないので保守ですw

187 :リーダー :NG NG.net
>>136の本の下巻を読んでいるところ

日本の<システム>とは、なーんもないもの。
トップのいない組織で、幹部全員が好き放題やっていて
彼らに従う部下は個性があってはならない
と思えばよい。

<システム>を動かす「なーんもないもの」を仮に誰か一人だと思うとすれば
頭がボケているのである
だから政治家などの議論といえば、あくびが出るような決まりきったことを
何カ月でも言い続けられる。現在のモリカケ問題など、しばらく繰り返される問題の報道のように

188 :リーダー :NG NG.net
日本の政界にはびこるもの
資本主義を装った儀式主義

儀式という通り
決まりきったことをしないと社会が成り立たない
個性を発揮して一つでも違うことをすれば破綻する

だから個性や、多様性が認められない
実際にはテレビで政界の人間が個性を大事にするようなことを言っているが
全て儀式である

発言者はその意味すら考えない
考えないほうがいい

189 :リーダー :NG NG.net
こんなことも書いてる

(日本の)役人は暗号で話す

190 :リーダー :NG NG.net
日本についての本、こんなに長いと思わなかった
まだまだ終わりませんのでスレ保守のため、メモをとる。

日本が行う「行政指導」とは何かというと
法律に基づく手続きのなんたらかんたらではない
「おどし」である

191 :リーダー :NG NG.net
日銀の活動を規定する基本法

ナチス・ドイツの国立銀行(reiches Bank)とそっくり
全体主義的な経済目的がある

192 :悪党 :NG NG.net
>>191
ならはよ寝ろや!!!!!!!オカマ!!!!!!!(`Д´#)

193 :リーダー :NG NG.net
なら
ってなんやw
オカマちゃうわw

194 :悪党 :NG NG.net
>>193
お前何やっとんだ???
病人なんだから寝とらないかんだろー!!!!!!!
いや!!!許さん!!!!!!!
だってそうじゃねぇか!!!!!!!
夜中にドタバタドタバタしやがって!!!!!!!
じっとしとれ!!!!!!!(`Д´#)

195 :リーダー :NG NG.net
植村甲午郎(うえむら・こうごろう?)という人

周りの人たちは彼を企業家と思っているらしいが
著者は経済団体連合会の副委員長と書いてる

196 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

197 :リーダー :NG NG.net
日本での技能、技術の習得

普通ならこんないい面と悪い面がある
良い面:もちろん、完全な習得。そのために「自分への全幅の信頼」が必要であること
悪い面:決められたことにほんの少しでもずれると見逃す恐れがある

日本は後者を強制している
ほんの少しでもずれることは許されない
「完璧主義」である

198 :リーダー :NG NG.net
日本の「完璧主義」

歴史で初めて中国へ渡ったとされるこのとき、日本人は
中国文明のすごさを見て「完璧」が求められると学んだらしい。
文明の進歩の違いは、日本人にとって「お前はこんなこともできないのか」くらいに思ったのだろう。
「このくらい『完璧』にできないといけない」と信じてしまった。

そして、現在、何かを学ぶときは個人的な考えを差しはさまず
ひたすら「お手本」を繰り返すだけの習得法となった。

ところで、現在は
学習心理などから、そのようなやり方は「やらないほうがいい方法」だとわかっているが
国がこれを認めることはないと思われる

199 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

200 :リーダー :NG NG.net
200

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横山民司 著『CDエクスプレス スウェーデン語』白水社(2002)
アイスランド語の本も書いた著者だ。
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/175-176
ちょっとずつ読んでやっと終わった。
スウェーデン語はドイツ語に似ているところがある。文法はそうでもない。
スウェーデン語、ノルウェー語、デンマーク語でセットで考えられるようである。
まだ見てないが音はノルウェーと似て区別がつきにくい。デンマークはそれとすぐわかると言う。
文字ではスウェーデン語はそれとすぐわかるが、ノルウェー語とデンマーク語は区別がつきにくいと言う。
だからセットで考えられることが多いようだ。

Sverige:スヴァーリエ「スウェーデン」
Svenska:スヴェンスカ「スウェーデン語」
Svart:スヴァルト「黒い」ドイツ語では「schwarz:シュヴァルツ」
tva:トヴォー「2」 aの上に小さい○
Vas cotar det?:ヴァ・コスタ・デ?「(値段は)いくらですか?」
God morgon!:グ・モロン!「おはよう」
Jag ar japan.:ヤー・エ・ヤーパン.「私は日本人です」
(arのaにウムラウト)

202 :リーダー :NG NG.net
【アクセント】
本来のアクセントよりも、単語の最後をアクセントにする習慣があるらしい。
そうしたいからしているだけとか。郷に入っては郷に従えなので、とりあえずやってあげよう。
【独特の文法】
完了分詞:過去分詞から派生して完了形のみに使う。動作の結果生じた、状態受動を表す。
     おそらく私が読んだ限りでは、完了分詞は見かけなかったと思う。めずらしい。
中動態:能動態、受動態の中間にあたる。ヨーロッパの言語には中動態があることが多いようだ。
    ちなみに日本語にもこの考え方はあるようだ。
    日本語文法で中動態というのかは知らないが、意外にも中動態の概念の説明はしやすいようだ。

他との違いになるような文法は少ない気がする
あとは細かい慣用表現にスウェーデンだけの発想があるくらいか。この本では。
一例だけ:
直訳して「『som(関係詞)以下の文章』と同じくらい」と比較のように書くと
通常の意味は「ほとんど」という。
「あるものと同じくらい」で近いから「ほとんど」という発想のようである。
こういうのは、いきなり他人が何をするかわからないので、そういうもんだとするしかない
のと似ている。
人間関係で細かいところも気になるが、追求すれば歴史や文化など知らなければならないため
人前では、とりあえずそういうもんだと思っておこう。後で調べよう。
人付き合いの、ちょっとした考え方でした。
おわり

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ほしゅ

204 :リーダー :NG NG.net
カレル・ヴァン・ウォルフレンの本 ついに最終章

ガルパンちゃうで

205 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

206 :リーダー :NG NG.net
日本の管理者(アドミニストレーター)の
外交でのおかしな認識

日本の「管理者」は外国人が口に出して言っただけで、本当に起きている
(まだ口に出して言っただけなのに現実が変わった)と認識する

207 :リーダー :NG NG.net
日本は外交で「相互理解促進産業」をするらしい

日本が世界を理解せず
世界が日本を理解しろという
外交の、パネル・ディスカッションなどでは
日本の言いたいことをわかってもらおうとするだけ

日本にとってはアメリカはいつも要求ばかりすると思っていて
現実にはアメリカが日本に甘えさせて、実際に何も起きない約束をしていた
日本の一般人はそれを結果しか知らないため、アメリカをそのように誤解していたのであった

「日本はアメリカに依存している」というやつである

208 :リーダー :NG NG.net
日本人は「アメリカ人ははっきりものを言う(だから腹が立つ)」とよく言う
これは>>207のようなアメリカへの誤解からくる

著者がいうにはGATTなどの交渉でアメリカが日本に無理を言ったことはないと言う。
著者はオランダの人だろうか。

私はこれを知って思ったことがあるんだが、なんか日本はアメリカにムカつくことを言われたとか
なんてことを言うんだと騒いでいたような印象を受けた
(かつて、日本は過剰反応をすると聞いたことがあるので)

209 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

210 :リーダー :NG NG.net
カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎 下【文庫新版】 
Karel van Wolferen THE ENIGMA OF JAPANESE POWER』
篠原勝―訳 早川書房ハヤカワ文庫(1994)

ここがおかしいよ日本。
どうなってるの日本。著者が書いた。日本人には書けない本である。
訳者など関わった人たちは「書いたのが日本人ではないのを恥ずかしく思った」というが
あまり嘆くことはないと思う。そもそも書けないと思う。
<システム>というものを守るアドミニストレーター「管理者」が私たちを完全に操ろうとしているからだ。

この本のキーワード1は<システム>。政治家と日本経済を左右できる企業などのことを
著者はアドミニストレーター「管理者」と呼ぶ。「リアリティ管理」をする人である。
キーワード2はアドミニストレーター「管理者」日本をよくすることではなく、無限に儲けることが大切である。
儲けるためなら何だろうと捻じ曲げる。

色々ありすぎるので箇条書き。
【リアリティ管理】普通、人は何か見たら自然と自由な反応を示し、他人には完全に
行動を読みきったり、コントロールすることができない。他人には自由意思がある。
だから、それを作ってしまうわけである。日本政府はこれをしているのである。
【和を以て貴しとなす】なあなあで済ますということである。

【責任の所在がない】もちろん責任逃れであり、アドミニストレーターは自分だけは悪者になりたくないのである。
私は偶然六法全書で国会などの仕組みをざっと見たが、責任を取るものが存在しないようにうまくできている。

これは、日本をよくするためには一人だけに重い責任がかからないようにしているのではない。

アドミニストレーターに日本をよくする気がない。

211 :リーダー :NG NG.net
その証拠に、リーダーシップを発揮して責任をかぶって日本をよくしようと立ち上がった人は
確実に妨害に成功している歴史がある。
むしろ、日本をよくする気がない証拠がそろってしまう。
【現状維持】政府、力ある企業などの組織はアドミニストレーターだが、日本のすべての人間が
政府の現状維持のための工作に従わされる。
【政治家の恐怖】ありとあらゆる不確定要素の存在を消そうとしているのが、
毎日の政策、さまざまな行動の目的である。日本をよくしているのではない。
その証拠に、責任を背負ってまで日本をよくしようと立ち上がる人を妨害する。
ここから、日本をよくする気がないことが分かる。

【論理性の蔑視】意外と知られていないかもしれないが、日本人は論理的に考えるのが苦手なのではない。
論理的に考えるのを知ることは危険分子を教育していることにつながる。
日本政府などのアドミニストレーターにとっては、論理的思考など外国の価値観を洗脳することになる。
日本が現状維持するためには、ありとあらゆる価値観が入ってくることが許されないのである。

みなさんは、欧米の知識、古き良き日本とは全く関係ない面白い情報、ギャグ、
さまざまなエンターテイメント、雑学知識、科学知識など、いろんな情報が頭に入っていると思う。

アドミニストレーターにとってはそのすべてが、不確定要素であれば悪なのである。

日本が良くなるかどうかとか、論理的に正しいとか、科学的に根拠が有ろうと知ったことではない。
不確定要素は少しでも許されないのである。

212 :リーダー :NG NG.net
アドミニストレーターにとって、論理的思考は国家転覆を企む敵の思惑に見える。

【教育】企業で絶対服従をする人間の選別をする。
【就職活動】一回でも転職すると信用できない人間のレッテルを貼る。
その人には厳しい未来しかない。
【学歴】アドミニストレーターは東大法学部以外は必要ないと思っている。
日本を支配する人間に関わっているのが東大法学部である。
この人達が政府で最も重要な位置に所属しており、他、すべての人間は絶対服従である。

【大蔵省の官僚】諸悪の根源
【大蔵省】日本は官僚がもっともひどい。
【政治家】日本をよくする人としては、いないのと同じである

213 :リーダー :NG NG.net
【国家】日本は国家ではない。
<システム>のことである。
一言で言えば、トップがいないというだけである。
日本はトップがいないまま、誰かが命令するように動いていると思っていい。
誰もいないので著者が<システム>と名付けたので、著者が作った言葉だ。
トップがいないまま動いていることを理解するだけでも、ずいぶんと理解の助けになると思う。

【ヒエラルキー】日本にはアドミニストレーターとそれ以外しかいない。
政府、大企業などが経済活動の恩恵を受けられて、そこから自然発生する痛みは
我々「その他大勢」に向うようにうまく調節してある。
【陳腐な戦略、巧みな戦術】日本人はモノづくりだけができるとか、頭使うのが下手で
身体使うのが巧みだと言われるが、そのとおり。
日本人はいい意味でも、悪い意味でも単純作業が得意なのである。
いい意味では技術が世界最高レベルに達し、悪い意味では無教養で人として最低のスポーツマンなのである。

214 :リーダー :NG NG.net
【警察】いつでも日本を武力、暴力で乗っ取ることができる位置にある。
【自衛隊】ただの軍隊
【天皇】根拠も無く慈悲深いことになっている

【慈悲深い】天皇が慈悲深いため、政府などのアドミニストレーターは
優しい行動をとった時は、その慈悲深さを天皇に変わってやっているという認識。
【正しさ】1.政府などのアドミニストレーターにとっての正しさとは、
慈悲深さを表現できているから、政府などのやっていることはすべて正しい。

2.日本人はうまれつきまるっきり同じ内面を持つ。
政府は私たち日本国民の願っていることが完全に理解できるので
政府がやっていることは絶対に正しい。

マンガなどで、考えることだけじゃなくて、動作まで一緒になることがある。
現実にも親子が全く同じ動作を偶然やったりするが、普通はこれをコントロールしようとする人はいない。
だが、政府はそれをコントロールしないと日本が潰れるところまで仕組みが作られている。

215 :リーダー :NG NG.net
とりあえず挙げればきりがないのでここまでにするが、
「日本をよくする気はない」ことは確かである。

日本政府の考えていることは現状維持であり、不確定要素が怖いのである。
みなさんも、仕事などで呪文として不確定要素をなくすと言っていると思うが
みなさんが恐れるような生易しいものではない。

日本政府にとって、日本人はうまれつき全く同じであり、
政府が何を言おうと、私たちの考えていることが分かることになっていて
政府のやっていることは正しいことになっているのである。

そこから全員が全く同じになることを要求する意味も少しはわかるだろうか。
学校教育は、「上巻」で言ったが、クイズマニアのマシーンを作っていて
知識を正しく思い出せればよく、人間性などいらないのである。

かつて徳川家康のころ、とある禅僧が全ての日本人のことを「汗と糞尿と涙と
胆汁の収納袋」といったらしく、家康はこれを受け入れた。
だから日本政府がどんなきれいごとを言おうと、企業が愛と連呼しようと基本は同じである。
日本の基本的な精神<システム>を維持するための、道具に過ぎない。
日本の現状維持のためなら、私たちはまさに「血の袋」と思っていいとはっきり言ったわけである。
この精神が現在も生きているわけだ。

それでいて、アドミニストレーターは自分が権力で他人を傷つけていることを認めたがらない。
カレル・ヴァン・ウォルフレンがこの本を書くときに日本のアドミニストレーターから
ずいぶんと嫌われたらしい。
私、リーダーが思うのは、アドミニストレーターは自分が悪者であるというイメージがつくときだけ
このように過剰反応すると思われる。

日本人は上も下も、良い人間でいたいのだろうか。
そして何が悪いことなのか誤解しているのではないだろうか。

216 :リーダー :NG NG.net
私(リーダー)が過去に見た本で「日本人は過剰反応する」と書いてあったのを思い出した。

外交でも日本はアメリカが「え、そんなことしてない」と言いたくなるようなことばかり想像し
日本はアメリカを「はっきり言い過ぎる国」「きつい要求ばかりする国」と思っている。
私たちの様な、普通の人も「アメリカははっきり言う国だからねー」くらいは思ったことがあるだろう。
まったくのデタラメなのである。

そもそも日本人が外交がどんなものかも知らず、広報活動しかしてこなかった。

217 :リーダー :NG NG.net
【政府のような人間たちは何をしているのか】
ずばり、広報活動だけをしているのだ。
ビジネスの広報活動である。

日本の外交は外交をしていない。広報活動をしている。
世界に何を知らせたいのか。
<システム>とはどんなものかである。
日本はあつかましくも、世界まで、私たち日本人と同じような反応を求める。

なぜなら、不確定要素がなくなってほしいからだ。
ありとあらゆるものが、不確定要素になる可能性を感じただけで妨害する。
だから日本をよくする行動こそが、不確定の見本なので妨害するわけである。

日本はそこまでして、変化を恐れる国になったわけである。

218 :リーダー :NG NG.net
カレル・ヴァン・ウォルフレンはそれでも日本が変わる可能性はあると言う。
何事も、特徴をつかみ、どうなっているか分かれば対策を練られる。
そして一人一人が、それぞれの問題について語り、議論し、
さまざまなアイディアがでてくるのが変化の始まりとなる。

変化を過剰に恐れることはない。
生活を大きく変えることはないまま、環境を変える方法を生み出すのがアイディアなのだから。
日本は根性論が行き過ぎて、痛みを伴う改革を連呼している。
しかし、死滅し、日本人が滅亡するくらいの痛みを伴っていては本末転倒である。

だから、余計に議論が必要なのだ。
この本を読むことで、日本がどうなっているか知ってほしい。
1994年で少し前の本だが、これが変わるほど日本は賢明ではないw
今読んでも大丈夫だ。

何のために読むのか。一部の人間を切り捨てるためではない。
全員が無事に生き続けるためである。
おわり

219 :リーダー :NG NG.net
西谷泰人『大頭脳』たちばな出版(平成9年)
賢い北京原人はこれを読んでいた!

「観念を外す」
観念とは「固定観念」というように、「ここはこうなっていると教科書に書いてあった」
「ここはこうだと決まっている」「前にこうだったから、今もそうだろう」という意識。
ついつい、決めてしまう意識を観念という。
この意識「観念」を外し、持っている才能をフルに発揮しよう。

私たちは知識と経験から「この時は、こうなるはず」と決めてしまっている。
たとえ科学的にわかっている知識であろうと「決まっている」ということは
私たちの才能の邪魔になっているわけだ。
才能の邪魔になっている観念をはずして大活躍するために『大頭脳』を書いた。

かつて深見東州氏のワールドメイトに入っていて、ここで知ったことを本に書くようになる。
深見東州氏は何ごともおそろしく短期間でマスターしてしまう人である。
普通の人は一つのことを学ぶのに1年はかかる。その違いは何だろうか。

きっと、深見東州氏の話を聞けば、観念がブチブチぶち破られることだろう。
いままで無理だと思っていたことが、簡単なことだったとわかって世界は変わる。
それまで無理だと思っていたことが、たったこれだけのことだったと知って
如何に無駄な時間を過ごしたかと思うだろう。
ほんのちょっと気が付くだけで解決したのに、なんでわからなかったのだろう。

これが観念があるためなのだ。
この観念を外すやりかたを、根本的な面から書く。

ものごとがうまくいくには、何事も「コツ」「中心」がある。
「コツをつかんだ」という人がいるように、コツがつかめればあなたも何事もマスターできるようになるのである。
コツをツカムには、中心が正しくわからないといけないので観念を外すのである。

220 :リーダー :NG NG.net
『インテリアコーディネーター合格教本 技術編 −第7版−』
ハウジングエージェンシー(平成12)

インテリアの歴史。人間工学。環境工学。バリアフリー。音や熱の伝わり方。
どんな材料を使うか。日本の建築技術と欧米の建築技術の比較。空調設備。ライフライン。
図面の引き方。色彩心理。建築基準法などの法規。

ざっとこんな感じのことがテストに出るらしい。
建築関係の人はこういうことが頭に入っているのか。なるほど

221 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

222 :ぴょんちさ :NG NG.net
222だなって

223 :リーダー :NG NG.net
おひさ

224 :ぴょんちさ :NG NG.net
^ワ^ワ^∩

225 :リーダー :NG NG.net
芳須 勲『もっと登れる 山の食料計画』山と渓谷社(2014)
「山登りABC」というシリーズだと思う。

食事で十分な体力をつけて、登山での消費体力を考える。
消費した体力は、食べることで取り入れたり、取り入れたものを利用して作り出したりしている。
食べなければそれができない。

登山は結構激しい運動なため、消費体力がどれくらいになるかを考えて
食事をいつするかを考えるわけである。
その範囲内で自分で考えて食べればいいわけで、普段のダイエットの意識は忘れること。
普段のダイエットでは「好きなものだけは食べてはいけない」と思い込んでいるが
食事の基本はバランスであって、好きなものだけを食べてはいけないというのは間違っている。

病気になってしまったら好きなものを中心に膨大な食材が一生食べられなくなってしまう。
好きなものも一生食べていいよ、と言えるためにも
バランスよく食事をとりたい。

栄養の知識を持って、体の状態にあった食事をすれば、好きなものを食べたっていいのだ。

登山は楽しむものだから、人生元気よく続けられるようにしたい。
そして、人生おいしく。
おわり

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ほしゅ

227 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

228 :リーダー :NG NG.net
佐島勤『魔法科高校の劣等生 14 古都内乱偏<上>』KADOKAWA電撃文庫(2014)

京都に逃亡したあんちくしょうを探す。
京都とわかりきっているのに、なぜ「古都」なのかは読んでのお楽しみ。
新キャラ登場。15巻の表紙でうしろ向いている奴です。

深雪のブラコンがすさまじい。
水波がときめいちゃう
達也の裏任務(本編)なので話がやっと進む。
このエピソードの前まで、番外編が続いたらしいが私は忘れているのでモーマンタイ
13巻はスティープルチェース偏と合ったと思うので
一冊だけ久々に読むかと読んだらなんか続くし、えー続くと思ってなかったと
今まで読む気が起きなかったので忘れることにして、今までずいぶんと時間が立った。
やっと今、続きを読むことにした。
13巻はほとんど忘れて思い出しもしないんだけど、なんとかなるもんやなw

13巻できりの悪いところで止まったからどうなるかと思ったけど
忘れたままでもなんとかなってよかったよかったw

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ほしゅ

230 :リーダー :NG NG.net
佐島勤『魔法科高校の劣等生 14 古都内乱偏<上>』Illustration:石田加奈
KADOKAWA電撃文庫(2015)

京都の描写を前回より増やしたと言うが、違いは判らなかった。
京都よく知らんしなw
京都で論文コンペが開催されるので、14、15巻はその直前の話しである。
13巻は途中までとはわからなくて、きりが悪いところで止まる形となってしまった。
13巻から随分と時間が空いてしまった。13巻の内容は記憶にない。

前に(作品中では去年?)横浜でも論文コンペがあったが、論じられるテーマが微妙に違う。
実用性のための論文だったかを発表するらしい。
実際に使ってどうなるかとか、使っても大丈夫かとか。
学校で機械を試作したり、大掛かりな実験が行われ、見た目も派手だったのである。

今回、京都では、もっと論理的な面が論じられる。
定義、解釈などが論じられるため、機械による実験はない。
よって見た目は地味で、何もしていないように見える。
横浜と京都の違いはそこだろうか。

深雪に匹敵する美貌の九島光宣(くどう・みのる)は、どんな少年なのかも語られる。

231 :リーダー :NG NG.net
コピペはあかんなw

古都内乱偏<下>

232 :リーダー :NG NG.net
15巻

233 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

234 :リーダー :NG NG.net
講師 新妻仁一(にいつま・じんいち)
『NHKラジオ 短期集中講座 
アラビア語講座 初歩からのアル・アラビーヤ』 再放送2005年10月〜2006年3月

もともと通して読む気はなかった。
積読もしくは「買読:かっとく」するお約束から、長い間放置状態だった。

何をトチ狂ったのか読んでみることにしたが、図書館で借りて読むと期限があり
なんとなく集中できないからだ。
だが、幼少時から集中できたことがないので、モーマンタイw

本当は、他の言語を見たように、アラビア語も見て見たくなったから。
そういえば前に一冊読んだのをこのスレで言ったと思う。

NHKはずっと同じことをしているので、わかりそうなところは
できるだけ早くした。
日本の報道は余計な部分が多いため、一部はしっかり読まないようにする工夫も必要だろう。

235 :リーダー :NG NG.net
私が外国語参考書で、いちばん困るのは単語数が少なすぎることである。

もちろん、初心者に難しいことはわからない。
だが、文法書では、最初から順番に読むよりも、中盤から易しく言語がほとんどだ。

たとえば、アラビア語の「勉強する」は「カタバ」で辞書に載っていると思うが
「彼は勉強する」でそのまま使えるので、利便性からこのことは前書きにいきなり書いておけば学習の手間がかなり減る。
前書きで長文書くんだから、このひと手間を敵視する理由はない。

236 :リーダー :NG NG.net
日本では「文法書はこうあるべき」とか
「文法書は今までこう書かれたので、他の書き方があり得ない」とか考えかねない。
だから、文法書以外の本でも、ちょっとでも違う表現をするのを避ける傾向にある。

日本では「できるだけ全く同じ言葉で書く努力」をしているだろう。
これは日本だけのことで、世界では
「できるだけ全く同じ言葉を書かないようにする努力」をしているのがわかっている。
外国の著書は、まったく同じでも済むのに、わざわざ「ほとんど同じ意味で違う単語」にして書くようにしている。
外国では、同じことしか書かないのを陳腐と思っている。

実際にその意識があまりない日本人でも陳腐に見えるのだからそうとうくだらない文章で書いているはずである。

そんな本で、学習自体が成り立つものだろうか?

237 :リーダー :NG NG.net
【独特の文法】
右から書く。知っている人、知らない人がいると思う。
蛇がのたくった文字で有名である。
これは、上に「点と丸」がなく、下に「点」がないためである。
「点と丸」は「母音」で声を出す部分。

アラビア語は、実際には「子音だけ」で書く。
なんで母音記号を書かないのか、面倒くさいのかと思った。
今は、母音を書く場合、書かない場合、どちらかが神聖なのだろうと思えてきた。
どっちなのかは知らない。

238 :リーダー :NG NG.net
単語に性別があるが、生物の男女は男女を付けるが
物体はどうやら女性名詞のようである。

数字は男性女性どっちなのかが、場合によってと、
数字によって入れ替わる。
その規則を守ったまま、男は男性数詞でしゃべる、女性は女性の数詞でしゃべる。
文法次第で、数詞の男女が入れ替わる。

「アンタ」ヘブライ語で「貴方」である。

239 :リーダー :NG NG.net
アッサラーム・アライクムといったら相手は
ワ・アライクム・ッサラームと答える。
アハラン・ワ・サハランで「ようこそ」
シュクラン「ありがとうございます」

ターリバン「学生を」だが、テロリストとはちがうんだろうw

アル・ジャジーラ「島」という意味と思われる
正しくは「アル・ジャズィーラ」と読む

240 :リーダー :NG NG.net
単語によっては複数形が不規則になる。
その都度覚えるしかなさそう。
単数、複数の順でいくつか。
友人:サディーク、アスディカーウ
父:アブ、アーバーウ
母:ウンム、ウンマハート
息子:イブン、アブナーウ
娘:ビント、バナート

鍵:ミフターフ、マファーティーフ
本:キターブ、クトゥブ
このように、複数はどう変わるかわからない。
一冊の本:キターブ
三冊の本:サラーサ・クトゥブ
というと思われる

241 :リーダー :NG NG.net
地名
エジプト:ミスリ
ダマスカス:ディマシュク

最後に【読まない所】
アラビア語の単語最後の文字は、実際に読まないことの方が多い。

女性名詞だけは最後が「トゥン」になることが多い。
だが、実際の文章ではあまり読まない。格変化の時くらいか。
辞書で女性名詞は「トゥン」で終わっていることが多いが、文にすると読まない。

男性名詞は最後がいろいろあっても、やっぱり文にしたら読まないことが多い。
格変化したときくらいか。

このように最後は読まないが、書いてある。

あとは、英語の「the」にあたる「アル」は前の単語とのつながりで読まないことがある。
また、と「アル」の後も、太陽文字のときだけ読まない規則がある。

「アッサラーム・アライクム」はアル・サラームと書くが太陽文字なので「アッサラーム」
「日本で」は「フィル・ヤーバーニ」というが「フィー」という単語は次の単語次第で「フィ」と短くなる。
「アル」がくるので「フィル」になる。

この規則により「アッラーフ(アッラーの神)」などと、「らりるれろ」の連続で、日本人には言いにくいが
丁寧にいってればいつかは慣れる。

おわり

242 :リーダー :NG NG.net
瓜谷良平著『改訂 スペイン語の入門』白水社(1989)

スペインと南米で話される言語。
南米スペイン語なんだが、ブラジルだけポルトガル語なのは歴史の名残。
国連公用語。スペイン語を話す人はかなり多い。

一通り文法を載せる。
この本はあまり短くない本なんだが、「文法」編は半分くらいで終わる。
詳しすぎてちょっとややこしそうなところは後半「解説」にまとめてある。

私には解説で初めてイメージしやすかった。
「わかることを重視している」のは本当だと思う。

映画でよく聞く「ブエノス・ディアス」は「おはようございます」で「こんにちは」ではない。

ハンコで押したようにそっくりな「これは本です」「あなたの名前は何ですか?」みたいなことから始まる文法書よりはいい。
こんなこと現実に言う機会などない。

243 :リーダー :NG NG.net
どうやら、「私の名前は●●です」「これは何ですか」「どこの出身ですか」とか
現実にまず聞かないことから始まる本はあまりよくない。
だから、残念ながら、旅行重視の本は全滅しそうである。

旅行しない人も外国語を知りたいこともあるので、
文法は一通り書いてほしい。

【独特の文法】
文法が英語に似てないこともない。
主語、動詞来て、先行詞あって、関係詞、従属文などとなる。
これは英語と変わらない。

たぶん英語と違うところは、なんと、この順番がどう入れ替わってもいいと言うことだった。
実は私は、今まで英語みたいにあまり入れ替わらない語順化と思ってた。
だが『スペイン語の入門』にかなり自由に入れ替わるとあった。

日常では変わらないと思うが、歌を歌って、リズムを合わせるために
語順を変えたほうがいいとか、楽しみ、美しさ、気が利いた表現、
強調するためなど、そういうときに自由に入れ替わる。

文に6単語あれば6通り、というわけじゃなく、意味が通じる範囲で入れ替わる。
それでもかなり自由に入れ替わり、短い文なら一通り全部ありえるという。

244 :リーダー :NG NG.net
読んでいない時期が長すぎて、買ってから随分と経ってしまった。

今日、やっと終わった。

最後に、この『スペイン語の入門』という本。
私が読んだのはカセットテープ別売りで、本に音声資料はない。

だが、たしか図書館で「CDつき」を見かけたと思う。

おわり

245 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

246 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

247 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

248 :リーダー :NG NG.net
公益財団法人 日本バドミントン協会 監修
『観戦&プレーで役に立つ! バドミントンのルール 審判の基本』
実業之日本社 (2016)

はねバド!
どんなルールか知りたくなったので

249 :リーダー :NG NG.net
そうそう、これだけ気になったので追加

フォロースルーの意味だけ書いてなかったと思う

250 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

251 :リーダー :NG NG.net
天狼

252 :リーダー :NG NG.net
あ、誤爆

253 :リーダー :NG NG.net
中澤英彦『日本語ですばやく引ける
使える・話せる・ロシア語単語』語研(2008)

約2000の単語を載せている。
左ページに単語、右ページ上から例文、下のほうに一言ロシアの情報がある。
とりあえず単語は全部見た。例文は見てない。右下の情報は途中から見た。

本の最初に、ざっと文法、変化表がでている。
まあそんなところか

254 :リーダー :NG NG.net
江口 陽子『今すぐ覚える 音読ドイツ語』ナガセ(2003)

二度目の音読だが、過去レスに見当たらない気がする。
青い本。
いくつものテーマをドイツ語にしてある。
東京ディズニーランドのお城はノイシュヴァンシュタイン城だとか。
有名な「歓喜の歌」もある。

255 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

256 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!4 鈍ら四重奏〜ナマクラカルテット〜』
Illustration三嶋くろね 角川スニーカー文庫(2014)

「いつものカズマさんに戻ってください!」とめぐみんがいう。
毛皮のコートを着てソファーで優雅に座っているカズマにアクアが紅茶を持ってくる。
「最高級の紅茶が入りましてよカズマさん」
「・・・お湯なんだけど」
「あらあら、私としていたことがうっかりしてましたわ。ごめんなさいねカズマさん」
「いいや、また入れ直せばいいだけさ。ありがとうアクア。これはこれで頂くよ」
金があると人は心に余裕が出てくるようだ。
このくらいで腹を立てはしない。
「こんなのはカズマさんじゃありません!いつものカズマさんに戻ってください!」
「どうしていつもの俺じゃないというのかね?俺はいつも通りだよめぐみん」

カズマがなかなかのヘタレ具合である。
これまでの話でカズマたちもそこそこレベルアップしたため、
カズマが本当の最弱になってしまった。
カズマに負ける人間っているのだろうかw

そしてついにアクシズ教登場。
温泉街でアクアは泣きっぱなし、ウィズは寝込みっぱなし。
1巻のバカ騒ぎが戻ってきた。

257 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

258 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

259 :リーダー :NG NG.net
イ・プーリキナ ザハヴァ・ニクラーサヴァ 共著
『新ロシア語文典』
稲垣兼一・初瀬和彦 共訳 我妻書房(昭和43年)

Учебник русского языка для студентов-иностранцев
「外国人学生用ロシア語教科書」を訳編したものである。

初級、中級、研究者、どの人でも学べる本である。
たとえば、私は初心者になるが、初心者向けは一つのことをやるだけで精一杯である。
だからといって、不自然なほど無味乾燥な文章で学ばされるのが、現代の全言語の文法書である。
たしかに言語の形を見るだけなら「これはペンです」程度でもいいだろうが、
実際にこれしか使わない人間など存在しない。

『ロシア語文典』は難しい文章だが、初級なら問題にしているテーマ以外のことを知らなくても読めるようにできている。
中級、上級、研究者はさらに独自で検討できると思う。
初心者は難しい言葉を学ぶことを最初から敬遠しがちであるが、なんてことはない
難しい文章でも、今のテーマしか見なければいいだけのことである。
一つの単語の扱い方を学んでいる間、ほかになんて書いてあろうとただ読むだけでスルーすればいい。

当時のロシア語学習で「形態論」「借辞論」にした教科書は珍しかったようだ。
日本でのロシア語研究は、日露戦争以降のことらしい。
昭和43年となればそこそこ時間が立っているが、ロシア語研究の進み具合はおぼつかなかったようだ。
これでもかというくらい変化するだけで、学ぶのに相当苦労したと思う。
(第一次、第二次の?)戦争のための辞書で、変化表があるだけでも出来がいいほうであろう。
たまたま和露辞典を手に入れたが、古すぎて戦争に役立つ辞書であった。
例文が戦争中の軍隊内でしか言わないようなことが中心に書かれていたため、この辞書は戦争を意識した辞書である。

たとえば、医学の用語があまり見当たらないのである。
辞書のことは、話がそれるのでここまでにして続きを。

260 :リーダー :NG NG.net
茶色のハードカバーで388ページなので、でかい本である。
ロシア語文法を網羅しているし、例文が豊富で、そのためでかくなりすぎたんじゃないかと思う。
扱われる例文は、ロシア人の著者らしくチェーホフとかの文学作品から。
そのため、日本語でも何言っているか、聞きなれない訳である。

私もおそらくほかの人と同じく、外国人の長すぎる言葉を外国語で読むのは
はっきりいって、抵抗がある。全然、そんなもんを外国語で読む気が起きない。

しかし、『ロシア語文典』に書いてあるし、しょーがないか、と思って音読することにした。

黙読すると、だらだらしてしまったら頭では何もしなくなってしまうため、
興味なくてもなんとか意識して読む工夫として、音読してみた。

「音読してみた」と一言でいうのは簡単だが、実際には『ロシア語文典』が終わるまで
音読するのは数年かかった。
分量が多すぎる本なので、理解しようと読むだけでかなりの負担になり、何度も読むのが止まった。
それで余計に時間がかかって、数年かかった。

今、印刷がかすれているレシートで見てみると、今日読み終わるまで3年かかったようだ。
途中で、読まない時期が長すぎて、1年近かったと思うから、読む時間だけでも2年だろうか。

分量ありすぎて、読むだけで疲れて、やる気がないまま読み続けた。

261 :リーダー :NG NG.net
【ロシア語文法を少し】
ご存知、変化しすぎなくらい変化が多い言語である。
「星」は一つで「ズヴィズダー」というが複数で「ズヴョーズドゥィ」という。

彗星を「星」、流星群を「星」と日本語では同じになって区別しないが
ロシア語で無理にそういえば「ズヴィズダー」「ズヴョーズドゥィ」とかわっている。
「星」といっただけなのに、どっちのことか、わかってしまう場合があるのである。

これが、語形変化が多いメリットである。

これを日本語訳すると、日本人にとっては説明を飛ばして話を進めているような訳になる。

日本語で、語形変化が少ないことが、人々のコミュニケーションで誤解ばかりある原因になっている気がしている

262 :リーダー :NG NG.net
名詞:男性、女性、中性がある。
形容詞:男性、女性、中性がある。数の単数、複数なんてのもある。
動詞:基本は2つに大別してあるが、それだけと思うのは無理があると思う。
   まあ、初心者にはわかりやすく入りやすいと思う。
   ただ、動詞変化表はこの2つが基本で書かれてある。
【格変化】
変わった表現といえば「私は著者です」というとき。
たぶん、わかりやすいのは「私は」と「著者です」が同じ性質を持つと思う。
「私は」「私の」となっていると「格」と呼んで「格変化」する。
「私は」と言いたければロシア語は「主格」。私の記憶が間違ってなければ
「著者です」も同じかと思いきや、「造格」という変化になる。
「なんでやねん。同じ性質ちゃうんかい」と思うがそういうことになっている。
【否定生格】
あとは、「私は著者じゃありません」というとき。
「著者じゃありません」も「主格」で否定すればいいと思う。
記憶が間違ってなければ「否定生格」といって「生格」が否定の時に出てくる
「なんでやねん」と思うがそういうことになっている。

263 :リーダー :NG NG.net
【数字】
数字はいつでもどこでも同じに言ってればいいのは日本語の場合かもしれない。
ロシア語では数字まで「格変化」するものとしないものがある。

数字によって言い方が決まった変化するものがある。
時間の表現を見てみよう。
「時計」を知ると少し理解しやすい。「時間」は「チャース」といって単数である。
複数なら「チャスィー」。「時計」は「チャスィー」といって、時計が1個でも複数と決まっている。
これを知ると時間の数え方が少しはわかりやすい。

1は単数なのは同じである。
1時:    アヂーン・チャース
2、3、4時:ドヴァー・チャスィー、
       トリー・チャスィー、チェトゥィーリェ・チャスィー(複数だったよね)
5時:    ピヤーチ・チャソーフ(なぜか複数生格になる)
もっと大きい数字ならチャソーフで、どれでも「複数生格」になる。

「なんでやねん」と思うが、そういうことになっている。

数字は変化しまくって、なかなか厄介である。

264 :リーダー :NG NG.net
【変化が多すぎる!】
どうすればいいかといえば「この時はこれ」と決まった表現を知るといい。
だいたい同じような時に、こういうんだと決まっている。
その種類がすごく多いということは、その時はそれしか言わないということでもある。
(もし、変化が少ないと、ほかのケースなのか、今のケースなのか言葉からは決められないから。
「文脈で理解する」というケースがあるのは、文字で区別できないためである)

多すぎる変化を、完全に全部覚えようとするばかりでは嫌になる。
だから、ここではこれしか言えない、というケースをいっぱい知ればいい。

【不変化詞】
こういう言葉も若干あるので、この言葉が変化しないのを頼りにしてもいいだろう。
前置詞とかに多いが、名詞でも変化しない単語がある。
たとえば「上着、外套:パリトー」「コーヒー:コーフェ」などである。
変化が多すぎると思ったら、変化しない単語もいきなり出てくる。

あとは、変化次第では、だいたい同じに見えるものがあって、
いつでてきてもそういうことになっている。
「副動詞」「形動詞」などは、もしかしたら見つけやすいかもしれない。
そういう言葉こそ、案外、難しい表現のほうに出てくるものである。

だから、初心者で全く同じじゃないとわかないからこそ、こういう突っ込んだことを見るといい。
こういう発見は、初心者のテキストのどこにもなかったりするはずである。

【熟語】
あとは、初心者向けの本に少なすぎるのが「熟語」。
これも変化しないのが普通だろう。
変化しても、最後の一つの単語だけとかである。

265 :リーダー :NG NG.net
かなり古い時代の本にしては、よくできた本だと思う。

『ロシア語文典』は分量が多すぎるとはいえ、全部書いてくれているから
複数の本を買いあさる必要もないだろう。

この本があれば、あとは単語数と使い方が充実した辞書だろうか。

現代の、いつでも易しく書くようにしている外国語参考書はいただけない。
まるで「まったく頭を使わずに外国語が学べる」と言っているかのようである。
勉強であるからには、頭を少しは使うのである。

だからといって、楽しむことを忘れてはならない。
程よく力を使って、楽しいのが最高の状態だろう。
外国語を学ぶには、楽しんで、感情をこめて読むことである。
俳優になったように、一つの表現を感情込めて読んでみるのもいいと思う。
きっと、頭だけではなく、心にも単語が入ってくるだろう。
心に入れば、まるで経験したかのように感じているのである。
そのほうが楽しいと思うから、外国語を学ぶなら、ぜひ、感情込めてやってみてほしい。

おわり

266 :リーダー :NG NG.net
柳瀬陽介、小泉清裕『小学校からの英語教育をどうするか』
岩波ブックレットNo.922(2015)

うすい本。
気まぐれで買ってみたらいい内容だった。

日本の英語教育は「引用ゲーム」と著者が言う。
軍隊式の繰り返し強化訓練は、英語で「PPP」という。
教育にいいのは「CLIL」である。
正しい勉強法で、子供がほぼ確実に覚えてしまうやり方。
もちろん「PPP」は間違ったやり方だが、日本の学校はこれしかしない。
生徒に個性などあるはずもない考え方である。

「SLUD」で第二外国語を知るとか「PLUD」でほかの国の言語もかかわってくる。
英語以外の言語も知るほうが良いという。

人間は日本の学校教育のような意識で済む存在ではない。
英語の点数だけ取れればあとは知ったことではないのが学校教育である。
日本では英語以外の言語をないがしろにしている。
英語を覚える努力の、ほんの一部「満点を取る」だけを日本でやっているわけだ。
このままでは、英語の表面的な意味が辞書にあるのを記憶しているだけである。
だから「引用ゲーム」という。
余談だが、私はカレル・ヴァン・ウォルフレンの本を読んだときに言ったが、
「クイズマニアの育成」とあった。

日本がそんなていたらくだから、良い教育を考える。

267 :リーダー :NG NG.net
日本人は頭にある言葉全部の、表面的な意味の「引用」だけでしかしゃべっていない。
日本人には「想像力」がない。それは学校教育の悪の功績からくる。
覚えることしか知らない学校教育だからだ。教えるほうには楽ができるからである。

あらためて、どうすれば心に自然と受け入れられるような学習ができるか考え直したい。
この本を読んで、また勉強しなおしたくなってきた。

おわり

PPP(Presentation-Practice-Production)知識提示→トレーニング→言語出力
CLIL(Content and Language Integrated Learning)内容・言語統合型学習
SLUD(Second LanguageUser Development)第二言語使用発達
PLUD(Plurilingual Language User Development)複合的言語使用発達

268 :リーダー :NG NG.net
鈴木康友『ヘラブナ釣りがある日突然うまくなる』つり人社
釣力UP!壁を破る超常識シリーズ4(2010)

かなり経験を積んだ人のための本。
もっとうまくなるために、著者の考えを述べる。
ヘラブナの釣り方にこだわらず、ほかの釣り方も取り入れるほうがやりやすくなる。
鮎釣りとかフライフィッシングのやりかたも取り入れる。

後半は、実は私もそこそこ知っていることしか書いていない。
実は、ヘラブナ釣りは父が趣味なので、かつてはたまについていった。
父は、この本であるような中級レベル以上の工夫した技術(と後半で書いてる方法)を最初からやっていた。

ということは、よく考えて釣っていると、本に書いてあることの大半は思いつくと思われる。
父は本を読まないが、過去にたまに雑誌を読んでいたのを知っている。
それで知っていたのかもしれない。

プロの釣り師はさすがといえる。
なんでそこまでわかるのかと思うくらい、魚の動きを読める。
また、レベルが低い人は自分のことで精いっぱいだが、プロというか
ベテランはそばにいる人の状況まで把握して、アドバイスまでする余裕がある。

そのアドバイスがもらえれば自分もうまくなれると思う。
友達が多いと、上手になれるというのは真理なんだろう

269 :リーダー :NG NG.net
Benche sia ormai autunno, fa ancora molt caldo.
もう秋だというのに、まだ暑い

イタリア語のテキストにまんま載ってた

270 :リーダー :NG NG.net
|浦 一章 著|『ゼロから始めるイタリア語 文法中心』三修社(2000)

語尾が「〜ナート:-nato」などと「o」で終わることが多い。
「e」にアクセントついたのが複数の文法に使われるので、頻繁に出てくる。
例文はどこかの文学で出てきそうな文。
ヴィットーリオという人の名前がよく出てくる。

ところで、今日(日曜日)の「イタリアの小さな村物語」とかいう番組で
ヴィットーリオという人がでてきた。
なんと、数十年間、ずっと建物とかに絵を描いてきた人で、世界的に知られている人だった。
落書きがアートになって文字だけを書くようなのではない。
普通に街の風景を家の壁に書いたりする。
何十年も前に書いた絵がはがれかけていた。
話がそれた。
スペイン人とイタリア人で、言っていることがなんとなくわかるくらい
文法が似ていると聞いたが、そこまで似ているとは思わなかった。
イタリア語の難しさはスペイン語に似た感じだとは思う。
だが、文法法則の細かいところがスペイン語とはずいぶん違っていそうなものが多かった。
ちょっと細かすぎて覚えてないが。

あと、スペイン語とイタリア語では単語が随分違う気がする。
なんとなくわかるくらい似ているのは本当なのだろうか。
仮にスペイン人がイタリア語単語知っていれば、あとはかなりわかっちゃうだろうか。
このことを知ったときは、そういう文脈ではなかったんだが。
うーん。実は単語さえ知っていれば案外わかるのかもしれない。
スペインに住んでないとわからん感覚があるかもしれんな。

分詞構文、接続法などの後半がずいぶん難しく感じた。
スペイン語より難しいのではと思ったが、イタリア語単語見慣れてないんだから難しく見えるにきまってるか。

271 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

272 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

273 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
山越康裕 著『詳しくわかるモンゴル語文法』白水社(2012)
白鵬などの力士の母国語である。
【文字】
ロシア語そっくりのキリル文字である。
たしかロシア語が攻めてきた歴史から、キリル文字を押し付けられたんだと思う。
モンゴルの独特の文字もちゃんとある。縦に書く。
こっちのほうがモンゴル独特の文字になるだろうか。
そして独特の文字を使った方言がいくつかある。

【Л、л】アルファベットにすると「L」っぽい。
ロシア語では「L」でいいが、モンゴル語は「息が出るL」という感じ。
韓国語や中国語で「パはー」みたいに息を吐く読み方があるのと同じ。
アジアの言語で息が出ないものと、息が出るものは通常、別の文字である。
日本人にはこの区別がないため、慣れにくいと思う。
「ла」とあれば「サ」に聞こえる。
言いにくいうえに、文法上、頻繁に出てくるし、単語にもよく出てくるので、出てくるたびに読むのに困ったw

【英語の濁らないthの発音記号そっくりな文字】
楕円形の真ん中に横線がはいるアレである。
英語発音記号はギリシャ語のシータである。
モンゴルはこういうキリル文字があり、「エとオの間」の音である。

【Yが上ではなく、下に突き出る】
【y】
このように比べたほうがわかりやすいか。
前者ははっきり口をすぼめて「う」

後者は「ウとオ」の間で「オ」にも聞こえる。
実は「ウランバートル市」の最初が「y」である。オランバータルに聞こえる。
オランウータンとはたぶん関係ない(なぜたぶん?)

274 :リーダー :NG NG.net
【単語のつづり方】
綴りがわかるとロシア語とはずいぶん違う。
動詞は「x(のどのほうでかすれてハヒフヘホの音。ドイツ語のch)」で終わるものが多い。

文の最後は「вэ?(ヴェ?)」とか「yy?(ウウ?/オオ?)」と終わったりする。

【母音調和】
トルコ語と同じで、一つの単語で、できるだけ同じような母音を並べる。
「ウランバートル」といっているが、モンゴルでは「オランバータル」で
「у」と「а」は一緒に出てくるのが普通である。

ところで「y」と書いたが、こういう文字である「У、у」(大文字、小文字の順)

シータそっくりの字が並んでいるのもよく見かける。
【語順】
基本的に日本語に似ている。動詞は最後。

275 :リーダー :NG NG.net
【数字】
なぜか言い方が二種類ある。
短い言い方と、長い言い方である。

【まめちしき】
・曜日は数次式、チベット式がある。
・干支もある
・派生語の種類がすごく多い
 たとえば「ググる」に近い作り方も可能である
google(名詞)と「する(動詞)」をくっつけるタイプで、モンゴルでもネットで使われる。

276 :リーダー :NG NG.net
ちょっとずつ読んでいて、今日終わった。
最初はちまちま、時々読んでたが、途中から相撲放送時に読むようになった

なんとなく今日は読むのに集中して
終わることができた

モンゴル語文法を読むのも千秋楽を迎えた

トントントントントン・・・・トトン

277 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

278 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

279 :リーダー :NG NG.net
深見東州『人づきあいで人を動かす』たちばな出版(平成13年)

コミュニケーション能力のこと
「黙ってついてこい」は通用しない。
説明してあげよう。(ジョブ・ディスクリプションというらしい)

中途半端に欧米の考え方を知った根性なしが、最近の若者の正体である。
こういう人たちを動かすには、時にはほめながら説明してあげることだ。

どの企業も、若者が信じられないほど弱くて、触れなくて困っている。
なぜなら、全人類に怒鳴りつけてさえいれば聞くと思っているからだ。
それは、根性がついている人のことであって、根性なしに怒鳴りつけるだけで指導すると自殺する。

撃たれ弱い人には、上記のようにするしかなくなるのである。

280 :リーダー :NG NG.net
ブラック企業と言われるのは、怒鳴りつけ殴りつけ蹴っ飛ばし
決して寝かせず、休ませず、飯を食わせず、
どこまでも筋力を使わせ、疲れてはならず、病気になるなどもってのほか。

そんなことを弱い人にすれば、殺してしまって当たり前である。
だが、そんなこともわからない企業ばかりなのである。
学校のクラブ活動でも、体罰と指導の区別がついていない教師がいる。


技術や知識があるが、生徒の指導をする力などないわけだ。
「人づきあい」ができないから、生徒に腹を立て、けがをさせてパワハラと言われてクビになる。

そういうことがもう繰り返されないためにも、人づきあいができるようになったほうが良い。

「人を使うは苦を使う」というらしいが、それだけ、他人の生意気さに腹が立っているのだろう。
ほんとこいつは性格悪くて、言うこと聞かない、くそ生意気なクソガキだと。
だが、そう思ってしまう人の人づきあい能力はどれくらいだろうか。
腹が立つと、何も思いつかなくなり、ぶん殴りたくなり、頭の中で何回も殺してないだろうか。

そういうことは「人づきあい」で終わらせよう。
弱い人と、強い人の指導方法が違うのだと、そろそろ知ろう。

281 :リーダー :NG NG.net
ところで、人を動かすとあれば
たいていは、リーダーシップの本である。

282 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

283 :リーダー :NG NG.net
鎌池一馬『とある魔術の禁書目録』イラスト/灰村キヨタカ(二〇〇四)

「おなかへった」
サードシーズン放送開始。
実は本編アニメは一度も見たことがない。映画のみである。
だいぶ前にこの一巻を読んだことがあるが、ほとんど覚えてないので読んでみた。
一巻で何が起きたか、致命的な勘違いしていたとわかってよかった。

致命的な勘違いといえば例えば
2巻を一緒に借りて読み始めたが、表紙の安全ピンが少なかったこととか。
安全ピンがどのようにつけられているかの描写はなかったため。
もちろん、ほかにも誤解はあった。

内容がなかなか濃くて面白かった。
作者は実際の魔術について調べながら書いていた。
魔術が意外と科学に近いのが興味があったそうだ。

マジレスすると(笑)魔術というものは、科学を普通に追求し、それでも
説明がつかないことはなくならないはずだ。
どうしても説明できないところをヒントに神秘を追求するか、
最初から霊力を操れるしか、知る方法はないと思われる。

あとはちょっとした感想といえば、当麻の学力が低すぎて
それが原因で人一人の命を危険にさらすところから、やっぱり勉強はしておいたほうが良いなと思った。
それでは。おわり

284 :リーダー :NG NG.net
鎌池一馬『とある魔術の禁書目録2』イラスト/灰村キヨタカ(二〇〇四)

前回の勘違いが、勘違いであることが発覚。
どうやら1巻しか読んでないと思ったら、2巻まで読んでいたことが確認できた。
前回読み始める前の認識は間違っていなかったようだ。
致命的というほど間違ってはいなかった。ただあまり覚えていないだけだった。

ネコのスフィンクスが登場する。
アニメサードシーズンで私は初めて知ったが、こんなに早く登場していたとは。

主人公側の人物は
赤髪の罵詈雑言しか言わない神父の兄さんと、上条しか、ほとんどでてこない。
突然のことでさっき触れたビルへ行くのだ。

詳しいことは読んでお楽しみくだされ。
戦闘中にグロい描写が多いので、グロ注意。

おわり

285 :リーダー :NG NG.net
ごめん、さっき触れたビルのことは書いてなかったw
書き方工夫していたらビルの話削除していたの気づかなかった。

「さっき触れた」はなかったことにしてください。

それじゃ

286 :リーダー :NG NG.net
突然のことでとあるビルへ行くのだ

こっちに訂正します
それじゃ

287 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

288 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!5 爆裂紅魔にレッツ&ゴー!!』
Illustration 三嶋くろね

紅魔の里へ行く。
途中でモンスターにモテてトラウマを作る。
いきなり、めぐみんといい感じになり、モテ期ではないかと考えるようになる。
紅魔の里はなかなかすごいところだ。紅魔族はみんなが「我が名は」と名乗る。
今回はめぐみんの魅力が炸裂する。
この話できっと、視聴者、読者にめぐみんのファンが増えたんだろう。
めぐみんと一緒に寝てカズマ、クズマ、ゲスマと呼ばれる。

ここが一番笑えた。
魔物との戦いで、カズマの刀のすごさをめぐみんが語る。
「ちゅんちゅん丸です」
「は?」
「その刀はちゅんちゅん丸と言いました。それは、由緒正しい普通の名刀ちゅんちゅん丸です。
そんな、グラムだとかいうどこの馬の骨ともわからない魔剣と一緒にしないでください」

グラムは有名な刀だったと思うが私はもう忘れている。
ちゅんちゅん丸はついこの間めぐみんが名付けた。

289 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

290 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

291 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

292 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

293 :リーダー :NG NG.net
竹村景子 著『ニューエクスプレス スワヒリ語』白水社(2010)

アフリカの言語で、完全アルファベット表記である。
パソコンやスマホのローマ字で書ける。
アニメ好きとかがたまにスワヒリ語の名前を聞いて笑ったことがあると思うが、
どういう言語か、ちょっと書いておこう。

スワヒリ語はちょっと変わった経緯がある言語である。
アフリカのいくつもの国で話されているというイメージは間違っていないようだ。
ほとんどの国で、第二国語、第三国語、第四国語、という、最後の最後に話せるようになった言葉と言える。
アフリカでの共通言語が必要なため、作られたのがスワヒリ語であるから、
第一言語(母国語)がそれぞれの国で話されているのが先になる。

例外はタンザニア、ケニアでは「国家語」になっていて、母国語っぽくなっているのだろう。
だからか、私たちはケニアでスワヒリ語が話されているというイメージを持っている。
この事実があって、誰かが話したから広まったのが真相に近いだろうか、調べるのは大変だからしないと思うが。

294 :リーダー :NG NG.net
【独特の文法】
ぜんぜん見慣れない文法である。
以前、友人に「語中変化」といったことがあったが、ワンフレーズが一単語にみえるのである。
一文字の単語も多く、4つくらいの単語をくっつけても、ふつうの単語に見えるのである。

【名詞クラス】
名詞クラスというものがあって全部で16クラスある。
意味と語法によって16種類に分類されていると思えばいい。
たとえば、5クラス「丸いもの、堅いもの、二つでペアになるものの片方」の意味を持つ単語。
7クラス「人が使うもの」の意味の単語。
このようにまさに、分類によってなぜか16のクラスになっている。

【スワヒリ語のポイントは接辞を知ること】
そして、7クラスの名詞を主語にすると、専用の「主語接辞」というものがつくことになっている。
つまり、7クラスの単語で初めて「何々は」と始まると「ki-」から始めることになっている。
「ki-」は7クラスから始めた時に次の単語の頭につく。頭につく「接辞」である。

それぞれのクラスで専用の「接辞」があるので、それを機械的につけていいと思う。

295 :リーダー :NG NG.net
【接辞の連続】
さっき、4単語くらいくっついて単語みたいになっているといった。
ワンフレーズでくっつけてしまって一気に単語みたいに言う。
接辞が連続して、ワンフレーズが言えてしまう。こっちのほうが正しそうだ。

Hamjambo?(あなたは)元気ですか?
Hatujambo.(私たちは)元気です
あなたは、元気ですかの二つはスペースを入れない。
単語というよりも「接辞」と呼ぶことが多い。
言語学的に接辞というんだろう。

jumbo(ジャンボ)は毎度おなじみ、どこかできいた挨拶の言葉である。
たぶん「ジャングルの王者ターちゃん」だったかで出てきたと思うが
「ジャンボ!」が独り歩きしている。
スワヒリ語で上記のように言うらしい。

【名詞クラスについて2】
単数形、複数形は、普通なら同じ単語が変化するくらいだろう。
スワヒリ語では、変化した形なのにもかかわらず、名詞クラスが別になっている。
たとえば、6クラスの単語は、5クラスの複数形なのである。
全く別の単語になるように見えるが、本当に複数形にしてちょっと変わっただけである。
それなのに別のクラスにしてある。初心者はそういうものだと思っておくしかない。
深く学べばいつかはわかるだろう。(そこまでやる予定はないが)

296 :リーダー :NG NG.net
【接辞の連続】
さっき、4単語くらいくっついて単語みたいになっているといった。
ワンフレーズでくっつけてしまって一気に単語みたいに言う。
接辞が連続して、ワンフレーズが言えてしまう。こっちのほうが正しそうだ。

Hamjambo?(あなたは)元気ですか?
Hatujambo.(私たちは)元気です
あなたは、元気ですかの二つはスペースを入れない。
単語というよりも「接辞」と呼ぶことが多い。
言語学的に接辞というんだろう。

jumbo(ジャンボ)は毎度おなじみ、どこかできいた挨拶の言葉である。
たぶん「ジャングルの王者ターちゃん」だったかで出てきたと思うが
「ジャンボ!」が独り歩きしている。
スワヒリ語で上記のように言うらしい。

【名詞クラスについて2】
単数形、複数形は、普通なら同じ単語が変化するくらいだろう。
スワヒリ語では、変化した形なのにもかかわらず、名詞クラスが別になっている。
たとえば、6クラスの単語は、5クラスの複数形なのである。
全く別の単語になるように見えるが、本当に複数形にしてちょっと変わっただけである。
それなのに別のクラスにしてある。初心者はそういうものだと思っておくしかない。
深く学べばいつかはわかるだろう。(そこまでやる予定はないが)

297 :リーダー :NG NG.net
【独特の文法】
ぜんぜん見慣れない文法である。
以前、友人に「語中変化」といったことがあったが、ワンフレーズが一単語にみえるのである。
一文字の単語も多く、4つくらいの単語をくっつけても、ふつうの単語に見えるのである。

【名詞クラス】
名詞クラスというものがあって全部で16クラスある。
意味と語法によって16種類に分類されていると思えばいい。
たとえば、5クラス「丸いもの、堅いもの、二つでペアになるものの片方」の意味を持つ単語。
7クラス「人が使うもの」の意味の単語。
このようにまさに、分類によってなぜか16のクラスになっている。

【スワヒリ語のポイントは接辞を知ること】
そして、7クラスの名詞を主語にすると、専用の「主語接辞」というものがつくことになっている。
つまり、7クラスの単語で初めて「何々は」と始まると「ki-」から始めることになっている。
「ki-」は7クラスから始めた時に次の単語の頭につく。頭につく「接辞」である。

それぞれのクラスで専用の「接辞」があるので、それを機械的につけていいと思う。

298 :リーダー :NG NG.net
竹村景子 著『ニューエクスプレス スワヒリ語』白水社(2010)

アフリカの言語で、完全アルファベット表記である。
パソコンやスマホのローマ字で書ける。
アニメ好きとかがたまにスワヒリ語の名前を聞いて笑ったことがあると思うが、
どういう言語か、ちょっと書いておこう。

スワヒリ語はちょっと変わった経緯がある言語である。
アフリカのいくつもの国で話されているというイメージは間違っていないようだ。
ほとんどの国で、第二国語、第三国語、第四国語、という、最後の最後に話せるようになった言葉と言える。
アフリカでの共通言語が必要なため、作られたのがスワヒリ語であるから、
第一言語(母国語)がそれぞれの国で話されているのが先になる。

例外はタンザニア、ケニアでは「国家語」になっていて、母国語っぽくなっているのだろう。
だからか、私たちはケニアでスワヒリ語が話されているというイメージを持っている。
この事実があって、誰かが話したから広まったのが真相に近いだろうか、調べるのは大変だからしないと思うが。

299 :リーダー :NG NG.net
5ちゃんが重いためちゃんと表示されないようだ。
見づらいと思うのであとでまとめる。
表示されるかわからんが

【語形変化、文法用語での分類、どれも接辞という】
スワヒリ語はどうやら「接辞」が並ぶ言語のようである。

今まで英語、ヨーロッパ、その他の言語は「語尾変化」するのが普通だった。
スワヒリ語は「接頭接辞」「文法用語を接辞にしたもの」「語尾変化の接辞」と
どれも「接辞」といって、きまった順番に並べることになる。

単語というより接辞といってよく、一文字、二文字のものが多い。
これらを動詞の前後などに4つくらいつなげても、単語一つにしか見えないほど短い。

その結果、アフリカ人の話す言葉は「ニナタカ・クウェンダ・ウブンゴ」とか
「トゥンダ・リレ・クブワ・リナイトワジェ?」とか変な音をゆっくり言って聞こえる。
(訳「私はウブンゴへ行きたい」と「あの大きな果物はなんていうんですか?」)

キコジェ(忘れた。たまたま思い出した)とか。
チャクラ・アンバチョ・ニメワヒ・クラ「私が食べたことがある食べ物」

これをはっきりゆっくりアフリカ人が言っていると思うと、
アフリカ人の声を思い出せないだろうか。なんだこの言葉は、面白いとか思ったことがあったのではないか。

300 :リーダー :NG NG.net
スワヒリ語の特徴で、今のところ言えそうなのは
だいたいこんなところだろうか。

単語以上に、接辞がつながって文章になるイメージだろうか。
「時制(テンス)」などを聞いたことがあると思うが、これも接辞で表現するのだ。
一文字だけ変化した部分を「接辞」と言っているのである。

5ちゃんの調子が悪いし、この辺にしよう

おわり

301 :リーダー :NG NG.net
5ちゃんが重くて書き込みが勝手に前後したため
まとめておく。

https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/293-295
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/299-300

302 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

303 :リーダー :NG NG.net
戸田山和久『科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる』
NHK BOOKS1022 日本放送出版協会(2005<平成17>)

一回読んでいた
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1446361536/492

科学するとはどういうことか。
帰納的なやりかたを擁護する。
帰納は循環するからダメといわれるが「前提における循環」をさす。
「規則における循環」はダメとは言われていない。

他に「電子は本当にある」というのがすごく難しいという話。
肉眼で見られないものがあるとなんで言えるのか、過去の科学の世界では極論まででてきた。

「メタ正当化」ということをする。
ヒュームという人の論はちょっと形を変えれば考えるヒントになる。

あとは、言葉で説明したりするのは、世界をちゃんと表現することは無理だろう。
言葉にして理解しようにも、完全に世界のありかたを表すことはできていないだろう。

304 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

305 :リーダー :NG NG.net
深見東州『守護霊を動かせ!』たちばな出版(平成19)

「守護霊がいる!」と
信じれば信じるほど守護霊は
大いに力を発揮してくれる!

守護霊はどんな方たちなのか、祈りかた、どうすれば守護霊は本当に動いてくれるのか。
何もなくても感謝をするのは意味がある。
守護霊交替とは何か。

神様とのおつきあいは、守護神、守護霊、人間とのおつきあいでもある。

306 :リーダー :NG NG.net
深見東州『守護霊を動かせ!』たちばな出版(平成19)

「守護霊がいる!」と
信じれば信じるほど守護霊は
大いに力を発揮してくれる!

守護霊はどんな方たちなのか、祈りかた、どうすれば守護霊は本当に動いてくれるのか。
何もなくても感謝をするのは意味がある。
守護霊交替とは何か。

神様とのおつきあいは、守護神、守護霊、人間とのおつきあいでもある。

307 :リーダー :NG NG.net
あかん
バックスペースで戻して書き込まれるようになってる
前はなってなかったのに

308 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

309 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

310 :ブルー :NG NG.net
おはつですー

創作文芸板から帰還しました。カクヨム作家のブルーです。

「世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?」

がベストセラーになって嬉しいです。

311 :ブルー :NG NG.net
最近買った本は「鉄道模型入門」ですかね。

鉄道模型に興味があるんですよ

鉄道模型のマンガ描くために買いました。

312 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

313 :リーダー :NG NG.net
ブルーさんはじめまして

314 :ブルー :NG NG.net
こんにちはー春日部の弱小一人出版社ブルーアイリス
のブルーです。

出版社を立ち上げるつもりで、コンテンツが無かったから
自分で小説を書き始めてもう7年です。

創作文芸板に居ましたが、あそこに小説書ける人はいないと
7年かかってわかったので、シベリアに戻って来ました。

ボチボチ読書していきますんでよろしくです。

315 :リーダー :NG NG.net
よろしくです。

私は読書遅いので基本的に「ほしゅ」ですw

316 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

317 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

もうちょっとなんだけどな

318 :リーダー :NG NG.net
『ワイド版世界の大思想6 カント 実践理性批判/判断力批判 他』
樫山欽四郎 坂田徳男 他訳 河出書房新社(2004)

判断力批判のみを読んだ。
これでいマヌエル・カント三大著書をすべて読み終わったことになる。

神は存在するかしないかは、道徳的に考えなければならないものだとする。
巷で言われるように、「神は存在する」「神は存在しない」の論争があり
お互いに傷つけあってきたわけだが
カントは、この論で言われていることは、おそらくすべて同意している。
存在するというほうの根拠も理解し、存在しないというほうの根拠も理解しているからだ。
どちらかしか思うことができず、自分の意見に合わない人間をいじめていいとするような考えではない、と思う。

別の著書で知ったが、カントは「理神論者」という人らしく、私もどういうものかはいまいちよく知らない。
『純粋理性批判』を見た限りでは、神をいるとも、いないとも言わない、難しい言い方をする。
どちらか一方に固執し、反対する人をいくらいじめてもいいとすると、確かに簡単で楽ではある。
理神論は言っていることが、これでもかというほど複雑になって、
いつになったら区切りつくのと思うくらい、いつまでもどっちとも取れる言い方を続ける。
でも、私にとっては、難しくても、この言い方のほうが、偏っていないと思う。

人間は万能ではないため、偏らないこと自体がほとんどムリである。
客観性を重視している人は、傷つくのを怖がっているから、感情が動かないようにしているだけだったりするからだ。
客観的で、知識が膨大で、ずっと知識ばっかりしゃべり続けられて、感情が乏しい人は
実は、泣くのを恐れていたりする。

泣くとカッコ悪いし、みっともないので、敵に利用されると恐れるのである。
(敵が何者かを言う人はいないが)

319 :リーダー :NG NG.net
私にとっては、反対も賛成も、その間も、明後日の方向も、神霊界がでてこようと
できるだけ、考えに入れてみたい。
だから、カントのように網羅しようとがんばっている話は聞いてみたいと思う。
私の人生で、これが必要になることはないが、客観性を重視するなら、おのずと
賛否両論と、明後日の方向、神霊界どれも、勝手に排除できないと思う。

たとえば、オカルトと聞いただけで「信じない」が出てきてしまう人は、偏った人である。
「信じる」というのは微妙であり、聞いて覚えているだけで「信じている奴はキチガイ」と言い出す人で世界があふれかえっている。
聞いて覚えるだけで信じていることにはならないのを、良く忘れている。
この時点で、客観的であり得ないはずである。
信じる、信じないと思ったら、考える以前の恣意的な独断主義だと気付くべきだろう。

話を戻すが、神の存在について、どういうことかを言っている。
神の存在については、理神論者が「目的論」で論じているらしい。

320 :リーダー :NG NG.net
私たちは、神の御意思に従って生まれてきたとか、
周りにある物体が作られた理由、自然現象、いろんな出来事、などなどが
すべて、究極的には、神の御意思で、作ることを許されたから、人間はこういうことができる。
地球は神の御意思で、人間のために用意してくれたものだから、などというのを「目的論」というらしい。

そして、神の御意思で万物が生まれてきたという考えは、道徳的神学論であるとカントはいう。
道徳的に神の存在、全知全能を考えるのは、「純粋実践理性」からくるんだといっている。

人間の「純粋実践理性」が道徳的に神を想定して、万物には神がお許しになったから
でてくることができるんだと考えるという。

では、そういうことをしても、許されるのか。
「神が存在する」「神は存在しない」の議論をする人の関心ごとがある。
これは、人間の思考が事実だけに頼り、感覚的なことをなかったことにするのは
純粋実践理性をなくして思考するからであって、純粋実践理性をなくして
万物が神の「究極目的」によってでてきたことを論じることは、できないという。

人間は、論理的思考だけだと残虐性を示すので、純粋実践理性によって道徳的に推論することで
論理的に事実だけを見ようとして、足りないところを補うことが可能だとする。

人は、純粋実践理性で、そのように神を想定「しなければならない」とする。

321 :リーダー :NG NG.net
以上のことをいうために、本書のほとんどを費やし、最後に結論を言っている。
それから、最後に「付録」あり、「目的論論的判断力の方法論」で、今言ったことがでている。

『判断力批判』は「2部構成、付録」で構成されている。

神がいる、いないの議論(ですらないケンカ)は、
あなたも聞いたことがあると思うが、全員が全員、いい加減な言い方しかしていない。
どうしても根拠が聞きたい人は、最後の目的論での考え方についての付録くらいは読んでみたらいいかもしれない。
『判断力批判』は付録を言うための準備がほとんどだから。

特に、神は居ないと言われて困っている、神をいないとは思っていない人が読んでみてもいいところだ。

322 :リーダー :NG NG.net
たとえば
神を信じる人をカントは攻撃することもある。
言われているように、神を信じる人は無根拠で、わかりもしないことをわかるという人であり
イマヌエル・フォン・スウェーデンボルグは霊界が見えて、神霊と話ができるとまで言っている。
そういう人のことを攻撃はする。

しかし、
神は居ないと思っている人のことは、極端なのは独断論者だといっている。
どんなに客観性を重視して、科学を根拠に神を否定したところで、恣意的なのだという。
神は居ないといっている人は、事実重視で客観的になれていると思い込んでいるが
どこかで恣意的になってしまい、考えるのを途中でやめてしまっている。

私が見る限り、そうなると頭の中でやることがなくなるので、頭が暇になると
「小人閑居して不善をなす」といわれるように、退屈すると相手を精神攻撃するようになるのである。
相手を精神攻撃する理由は、その分だけ頭が暇なのである。
本当に思考停止していないのなら、精神攻撃するはずがないのである。
そういうことに陥っているため、カントは、神を信じない人には独断的になっている人もいるという。

323 :リーダー :NG NG.net
神は居るという人、神は居ないという人、
どちらも攻撃できるのがカントの立場である。

冷静に読めば、一方だけに味方をしていないわけで、こういう人の話を見たほうが
根拠をできるだけ書いてくれていると思える。
私には網羅的な話は好きだ。
賛否両論よりも、そこからズレた変わった意見も言ってくれるから、
考えもしなかったことを言ってくれるからだ。
偏った人は、自分の立場でしか語らないからだ。

そろそろ終わろうか。

神が存在する、神は存在しないの口ゲンカについてヒントが得られると思う。
おわり

324 :リーダー :NG NG.net
あ、これだけ忘れてた

「他」とは「永遠平和のために」

325 :リーダー :NG NG.net
おう、見てみたら
「永遠の平和のために」と書いてあった

326 :リーダー :NG NG.net
藤井康男『いい話を2時間もたせる本◆愛されるおしゃべり入門』ワニ文庫(一九八九)

面白い話ができる人の話をして、あとは雑学がずらっと紹介される。

著者は「よくそれだけ話を覚えていられますね」と言われるらしい。
こういう質問をする人は、本を丸暗記しようとして挫折したのだろう。
英語を話すときに、全然話せない人には、頭の中に辞書を作るという無駄をしているという。
これは必ず挫折するはずで、よく考えれば、学習には向いていない方法だとわかる。
考えなきゃわからないようなものなので、覚えるのがあまりにもしんどいようなら、疑ったほうが良い。
すると「実は自分のやり方は間違っていて、それを知らないだけじゃないのか」と思うきっかけになる可能性がある。

どうすればそのきっかけが来るのかといえば、とにかく考えるようにすること。
本当にそうなんだろうか、本当にこれでいいのかと。
ひねくれてるんじゃないかと思うかもしれないが、気にすることはない。
これでひねくれていると解釈するようなら、この日本には思考がないことになる。

327 :リーダー :NG NG.net
面白い話をするには、いろんな話を覚えているわけだが、丸暗記は時間と疲労の無駄である。

話題が豊富な人で、何を言っても返事を返してくれるような人がいる。
知識が豊富で、全部話させてくれる質問を待っている人とは、ぜんぜんちがう。
話題が豊富で、何でも知っているような人は、たしかに知識が豊富だが、
場合によって話を作り、場を沸かせることができる。
ただ知識がバラバラにあって、全部話させてくれる人を待っている人は、そういう話し方はできない。

映画「アイ、ロボット」での博士のホログラムが答えた時と全く同じである。
「すまないが、答えが限られている。正しい質問をしてくれたまえ」
主人公がよく考えて答えると
「そうだ。それが正しい質問だ」
これはホログラムだけじゃない、多くの人が陥っているパターンである。
膨大な知識を持っていることを心のどこかで自慢しており、
知識を話させてくれる質問が来るまで、ずーっと黙っている人が多い。
こういう人は、まだ、面白い話し方はできるようになっていない。

面白い話し方ができる人は、へー、面白いと思わせたり、
冗談で笑わせたり、いろんなことをやってのける。
正しい質問をひたすら待っている人は、こういうことはしない。
自分が知識を全部話せるのを待っているので「俺が、俺が」と思っている。

できれば、誰だってすべらない話をしたいに決まっている。
正しい知識で相手をやっつけるのに快感を覚えている段階では、まだまだである。

328 :リーダー :NG NG.net
正しい知識を、覚えている通りに、完璧に言えるようになるだけじゃなくて
相手に楽しんでもらえるように話したい人は、この本を一読していいと思う。
雑学知識も、ほかの雑学の本のように、専門書の説明をコピペして言葉を易しくして薄っぺらになったような文ではない。

話題が豊富な人がどうして、豊富な話題を忘れないでいられるかといえば
知識の丸暗記をしているのではなく、知識を見た時にあーだこーだと思っている。
それを人に言うと無駄が多すぎるが、一人で「これ面白い」と思ってあーじゃないか、こーじゃないかと
好き放題に考えている分には誰も文句を言わない。

そうしているだけで、ある程度、話を覚えていられるのである。
その結果で、だいたい覚えているわけである。

あとは、練習として、会話のついでに思いついたら、すぐ人に話してしまうのである。
会話でも、ちょっとまじめに考えているときでもいつでもいいから、
そういえばこういう話があったなと思ったら、人に話すのである。

知ったことを、すぐに人に話すと、記憶に残りやすいのである。
それを何度かやってみれば、ほぼ覚えていられる。

それから「正確にはどうだったっけ?」と思ったら調べるのである。
何も考えずに丸暗記するより、記憶に残りやすいはずである。

329 :リーダー :NG NG.net
あとは、場数を踏むだけ。
話の最中で、そういえばこういう話があってね、と自然と思いつくままに話をしたらいい。
そして、何度か繰り返せばかなり覚えている。

おそらく、ついでにスルーっと話が出てくる人というのは、そういう風にしているはずである。

知識をたくさん暗記していると思うんじゃなくて、
理解しようとしながら話を見たり聞いたりしている。
あそこがああなって、こうなって、とこねくり回していて、冗談が出てくると自分で笑ったりもする。
そういうことが起こるようになると、一人で話題を集めるのも楽しくなるかもしれない。

そして、人前で話すとき、何一つ浮かんでこないことはあまりない。
人が言ってくれるまで、少しも話せない、ということはないはずだ。
ということは「どれのこと?」「正確には?」「例えば?」という質問は、考えていないわけだ。
そういえば、そういえば、といろいろ思うから、その都度人に話してみて、話し方を練習するといい。

話が旨い人は、知ったことを必ずどこかで人に話すはずである。
話し方の練習と、記憶に残すのである。

330 :リーダー :NG NG.net
これで最後にしよう。 「猥談」のことだ。
なぜ、世の中の文字は小さすぎて読めない!じゃなくて
なぜ、世の中は「猥談」を毛嫌いするのか。
実は、猥談の話し方で、おぞましいほど醜くくもなるし、
直球表現で笑って済ませることもできる。
つまり、この区別をしている人がほとんどいなくて、直球表現しか言わないから
みんなから、エロい話は嫌がられるわけである。
「自分が気持ちよければ後はどうでもいいんじゃないの」と言われてしまう。
話し方になんの心遣いもなく、ただ「ヤりたい」としか言わないんだから
教養ない人でも「いいかげんにしろ」と思う。

あなたも、面白い話ができるようになって、2時間と言わず、何時間でも
人と盛り上がってほしい。
そのほうが人生が楽しいはずであるし、
大笑いして毎日を過ごすと、癌患者の癌が確実に小さくなっている。
大笑いして過ごすのは、癌だけじゃない。
あらゆる健康にもいいのだし何より楽しい。
これからは、面白い話をして笑って過ごそう。

あなたは、最近、涙が出るほど笑いましたか?
お腹がよじれるほど笑いましたか?
後から思い出すたびに、笑ってしまうことをいくつ知っていますか?

映画「レッド・クリフ」より諸葛孔明のセリフを紹介して終わろう。
「知識があると、人生が楽しめます」
おわり

331 :リーダー :NG NG.net
これで最後にしよう。 「猥談」のことだ。
なぜ、世の中の文字は小さすぎて読めない!じゃなくて
なぜ、世の中は「猥談」を毛嫌いするのか。
実は、猥談の話し方で、おぞましいほど醜くくもなるし、
直球表現で笑って済ませることもできる。
つまり、この区別をしている人がほとんどいなくて、直球表現しか言わないから
みんなから、エロい話は嫌がられるわけである。
「自分が気持ちよければ後はどうでもいいんじゃないの」と言われてしまう。
話し方になんの心遣いもなく、ただ「ヤりたい」としか言わないんだから
教養ない人でも「いいかげんにしろ」と思う。

あなたも、面白い話ができるようになって、2時間と言わず、何時間でも
人と盛り上がってほしい。
そのほうが人生が楽しいはずであるし、
大笑いして毎日を過ごすと、癌患者の癌が確実に小さくなっている。
大笑いして過ごすのは、癌だけじゃない。
あらゆる健康にもいいのだし何より楽しい。
これからは、面白い話をして笑って過ごそう。

あなたは、最近、涙が出るほど笑いましたか?
お腹がよじれるほど笑いましたか?
後から思い出すたびに、笑ってしまうことをいくつ知っていますか?

映画「レッド・クリフ」より諸葛孔明のセリフを紹介して終わろう。
「知識があると、人生が楽しめます」
おわり

332 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

333 :ぴょんちさ :NG NG.net
333だなって

334 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
永田善文
小池剛史『ウェールズ語の基礎 入門から会話まで』三修社(2011)

アイルランドの東海岸、海を渡ってついたところはイギリスのウェールズ州のようである。
英語を押し付けられた歴史があって、ウェールズには英語を積極的に受け入れる立場と
ウェールズ語を守ろうとする立場でわかれているらしい。

ウェールズ語を守る活動について、図書館で借りて読んだ
ウェールズ語を維持し、文化を守り続ける活動が活発になった。
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1446361536/263
その結果、普段は英語を使い、文化面を扱う時だけウェールズ語を使用するようになったという。

【独特の文法】
ここにしかない独特の言語である。
文法は「BOD構文」と名付けている。
最初は説明がなかったので「ビーオーディー」と勝手に読んでいたが
最後のほうで「bod」という単語を変化させるからとあった。

ウェールズ語には不思議なことに二つの言い方がある。
「bod」という単語は、英語で言う「will」などのような役割の単語で、これを変化させて
動詞を原形のままにする用法。
もう一つは動詞が人称と数で変化する。
「bod」を使うのが日常で、動詞を変化させるのが文章や公の場の言葉である。
ウェールズ語の日常は「bod:〜する」という助動詞を使って話しているわけである。

Ac wedyn, rydyn ni'n cael cwpaaned o goffi.
(それから、私たちはコーヒーを飲みます)

335 :リーダー :NG NG.net
【文字】
ほとんどアルファベットで、上記のアルファベット文はそのままである。

一つだけ、母音「a,e,i,o,u」の上に山のような記号がつく。「^」
日本語をローマ字で書いて、「あー」を書く時「a」に「^」をつけるのと同じ。
伸ばさないで読む。
これ以外はアルファベットであるが、英語を押し付けられる前からの言語かもしれない。

【数字】
なんだか難しくて、私がいまだによくわかっていない。
いまちらっと見たら、20の倍数ごとに順番に呼ぶらしいので、
20以上の数がちょっとずつズレて20までの言い方を繰り返し、その組み合わせになるので
慣れるまでがややこしい
(数詞で、10進数ではない数え方をする言語は多い。例:フランス語
このことを知っていると、他の言語をやったときに、うろたえにくいかと思う。
なんかズレて繰り返していると思ったら、その数字の進数になっているからである。
10進数ではないので慣れるまでが苦労するかもしれない
このずらした呼び方を途中までやったりする言語が存在する)

336 :リーダー :NG NG.net
ちょっと間違いがあったので訂正も合わせて、こうなるといっておく

ウェールズ語で「32」と言いたいとき
deuddeg ar hugain(デイゼガルヒガインと読む)と書くが直訳すると
「20の上の12」である。

このようにちょっとわかりにくい
だから、数字の組み合わせ次第ではめちゃくちゃ長くなる

「94」pedwar ar ddeg a phedwar ugain(ペドワルアルゼガペドワルイガイン)14+80
こうなるとわけわからん

【私の家族、私の仕事】
「誰々の誰々」「誰々の何々」という言い方がなんかややこしかった。

「私の仕事」dy waith di

単語が3つある?
「私の(代名詞の所有格)+仕事+私の(代名詞)」となるらしい。

337 :リーダー :NG NG.net
【BOD構文の例】
Rydych chi'n siarad Cymraeg yn dda iawn!
ラディヒン・シャラド・カムラエグ・アン・ザ・イヤオン!
あなたはとても上手にウェールズ語を話しますね!

「Rydych chi'n」は「ラデヒン」と読み、「ch」は一回読めばいい。
まれに、こういう省略したような読み方があり、アイルランド語っぽい。

【ちょっとした読み方のパターン】
ビール「cwrw」子音しかないように見えるが「クゥルゥ」「w」は「ウ」とよむ
ウェールズ「cymru」「カムリ」とよむ。「y」は「ア」、「u」は「イ」
ウェールズ語「cymraeg」「カムラエグ」
ウェールズから(来ました)「o Gymru」「オガムリ」Gが音韻変化する
じゃあね!「Hwyl!」「フウィル!」親しい挨拶「y」は「イ」のまま
毎日「bob dydd」「ボブ・ディズ」英語の「th」が濁るほうの言い方
夕方「noswaith」「ノスワイス」英語の「th」が濁らない
アベラストウィス「Aberystwyth」地名
本(複数)「llyfrau」「サヴライ」「ll」息がもれるエル。
               「f」は「ヴ」で音韻変化。言いやすくするため
そのアイスクリーム「ar hufen ia」aの上に^がつく「アル・ヒヴェン・イア」
その喫茶店「y caffe」ア・カフェ
あのカフェ「y caffe'na」ア・カフェ・ナ
その銀行で「yn y banc」アナ・バンク

読み方だいたい書いたが、これがしばしば音韻変化する

ではこの辺にしておこう
おわり

338 :リーダー :NG NG.net
訂正
アイスクリームar hufen ia
二つ目の「a」だけ「^」がつく

339 :リーダー :NG NG.net
>>334にもミスがありました
cwpaaned→cwpaned

340 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

341 :リーダー :NG NG.net
長嶺超輝(ながみねまさき)『ズレまくり!正しすぎる法律用語』阪急コミュニケーションズ(2009)

法律は、すべてを完璧に正しく表現するから、一派常識からズレている。
法律にかかわる人たちは、一般常識と法律用語の間で常に惑わされ続けている。
法律と一般でそっくりな用語があるため、法律家が正しいのか、私たち一般の言い方が正しいのか。

この本を読む気になったのは、皮肉を書いて、笑えるからだ。
【法律】
1.憲法の定める手続きに沿い、国会が定立する一般的抽象的法規範。
2.中途半端に知識を持っている人ほど守らなくなるもの。
などと、笑えるように書いてくれている。
他のテレビなどのように、ただ笑えれば教育などどうでもいいようなギャグではなく
ちゃんと法律にあわせて笑えるように書いてくれるので
テレビやマンガのように笑えるところが人生の役に立たないこともない、と思う。

342 :リーダー :NG NG.net
日本人は、すでに作られたものが機械的に決定していると思い込み
「しょうがない」とあきらめ、どんなにひどい仕打ちも狸寝入りしている。
だが、法律も本物の機械がガッシャんガッシャん動いていても、人が作ったものである。
人が作ったからには、どこかが間違っているのである。

そのことを決して忘れず、すこしでも現状の悪がよくなっていけばいいと思う。
そのためには、悪法(支配者の幼児的なわがままともいう)がどのように私たちに強要されているかを知ることになる。

人間が苦しむ原因には、自分のせいと、他人のせいがある。
自分のことは自分で何とかしようと思うが、他人のせいまで自分のせいにすると精神論で
権力者が逃げ回る口実になってしまう。
世の中や人生をよくするには、日本ではすべて自分のせいということにされている。
しかし、どんなに自分が強く、自分の夢を叶える力があるとしても
それを妨害する人がいては、実現するものも実現しない。
そのことを棚に上げて、日本という国のシステムは、私たちに「すべてお前がわるい」ということにしている。

そんな理不尽がまかりとおるのは、法律の不備を利用して
何も知らない私たちに法律を黙っているからである。

343 :リーダー :NG NG.net
法律の不備は都合よく解釈し、先輩、上司から上の権力、組織、ずーっと上に行って国に至るまで利用している。
そして、一般人が法律に関心をもたずにいてくれると、決して負けないため、黙り続ける。
もし説明するとすればとんでもなくいい加減であり、脅しで私たちの嫌だと思う権利も剥奪しようとする。

それもこれも悪事は、すべて法律を作る人間も、幼児的欲求のある(わがままな)未熟者だからだろう。

それを少しでも良くしていくには、法律を知って、司法試験に通って弁護士資格を取ってくれれば幸いである。
世の中には、弁護士資格はあっても干されている人のほうが多いらしく、
底辺労働者である派遣や、情けない弱虫と言われるニートのように肩身の狭い思いをしているかもしれない。

そういう人たちが、思い切って独立開業し、斬新なアイディアで
法律の世界を変えるようなことをしてくれることを、著者は期待しているようである。

344 :リーダー :NG NG.net
この本は、いくらか法律用語を乗せた辞書のようにリストになっているだけだが、
通読すると、一つの話になっているのである。
一つの話を、用語辞典のように用語を「あいうえお順」に並べた形で展開するのは
なかなか骨が折れそうな演出である。

例えとしては適切じゃないかもしれないが、四コママンガを描くのが大変なのと似ているのかもしれない。
四コマの大変なところは、全部の会話を起承転結「だけ」にしなければいけないことだろう。
四コマ起承転結だけのネタを並べてストーリーにするなんて大変すぎる。
四コマ一つを考えるだけでもかなり大変である。
起承転結の形にするだけでも大変なのに、マンガだからセリフは一コマほとんど一言、二言しか書けない。
これだけでどんなストーリーも展開すると血管が切れそうである。

『ズレまくり!正しすぎる法律知識』は笑いながら読めるし、ほどよく
一つ一つの判例を考えさせられて楽しんで読めると思う。
法律は無駄に屁理屈が多いので、難しくなりやすいから、こういう楽しんで読める本が
多くあってほしいと思う。

日本人は法律と一般人の精神的距離が、地球とアンドロメダ星雲くらいの距離があるので
その距離が少しでも近づいて、ゆくゆくは直行しやすいスターゲートになれば
みなさんも一つ一つの問題に、泣き寝入りしなくて済むようになればいいと思う。

おわり

345 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

346 :リーダー :NG NG.net
さとう好明『ビジネスロシア語』東洋書店(2007)
ロシア人とのビジネスは、おそらくアメリカほどドライ過ぎない。
どちらかといえば、日本人のようにかなり気を使ってあげるほうが良いようだ。

ロシア人の習慣で、日本人にはびっくりするものもあるので知っておくのが良い。

たとえば、出会ったら男性同士でも頬にキスをしあう。
昨日の映画「戦争と平和」でもやっていたが、どうやら普通のあいさつのようである。
こんにちはと言っているだけだが、日本人にはキモイだけなので知っておかないと商談する前に敗北しそうだ。

女性は異性とは嫌がる人もいるため、手にキスをする方法もある。
しかし女性には男性からはしないほうが良いようだ。
女性が求めてくれば返すほうが無難だろう。

あとは、「木を叩く」という習慣がある。
まずいことがあれば魔除けに木を触るという迷信があるらしい。
ビジネスではいきなり木を用意できないから、木製の何かを3回触るとかすればいいらしい。

347 :リーダー :NG NG.net
あとは、無事を祈りたいときに自分の左肩に唾を3回吐き、魔除けをするという習慣もある。
「左肩には悪霊が、右肩には神様がいる」という考えがあるらしい。
これもビジネスで唾をはいていると汚いので、なんだったかな、
息を吹きかけるだったか、手で払うだったかなんかあったが、さっそく忘れたw

ビジネス外国語というのは、言うことがだいたい似たようなものなので
その言い方を覚えておいて、使いまわせばいいことになる。
たしかに効率がいいやり方というものはあるが、効率だけで生活すると
効率を通り越して、態度そのものが雑で、いい加減になって、
他人の都合をなめた行動になりそうな気がするのは、私だけだろうか。

もちろんロシア語でどういうときに何と言ってあげればいいかを載せた本である。
メールでの確認、クレーム対応など。

おわり

348 :リーダー :NG NG.net
山村ひろみ『解説がくわしいスペイン語の作文』白水社(2009)

中級の人には易しく感じるかもしれない程度のレベル。
スペイン語にしたいときに、ただ訳するだけのまさに基本だけひととおり。
場面ごとではなく、文法事項ごとに。

この本でスペイン語で何か言いたいときに、初心者が訳したいときは参考になるかもしれない。
それだけの基本のための本である。
これ以上のレベルの人でも、確認にはいいのかもしれない。

おわり

349 :リーダー :NG NG.net
もうすぐ日付変わる
良いお年をみなさん

350 :リーダー :NG NG.net
あけましておめでとうございます

351 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

352 :リーダー :NG NG.net
三が日もおわってもうたか

353 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

354 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

355 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

356 :リーダー :NG NG.net
アリストテレス『政治学』牛田 徳子 訳(2001年)

古代ギリシャでは自然と、人が作ったものと2つで分けて考えていたようだ。
国家も自然を考えに入れるようにアリストテレスは考えていたのだろう。
『政治学』が書かれた時すでにアリストテレスは、プラトン『国家』を読んでいたらしく
プラトン『国家』に対する批判をする。
図書館のパソコン解説で見たが、プラトンはあまりにも理想的すぎる国家論をしたらしく
アリストテレスが現実的な論を展開するのが『政治学』である。

政治の制度には6種類あると言い、政治は「国制」というものが理想だとする。
政治と言えば、裕福な者が貧しいものを支配するというイメージがあるらしく
6種類の政治のうち、悪いほうが現実のギリシャでよく扱われていた。
その一部は現代日本にも当てはまると思う。

私は日本の政治がアリストテレスで言えばどんなものか、簡単に想像した。
「極端な民主制の結果、寡頭制になったものが日本の社会システムにある。
個人は極端な民主制の結果、独裁僭主制の態度をとるようになった」
簡単に言うと、大勢の多様性を尊重するあまり、一人一人がわがままになってしまったわけだ。

357 :リーダー :NG NG.net
尊重されすぎて、わがままになった一人一人が日本国中にいる。
その国を支配する少数の政治家は、寡頭制によって現代日本をおもちゃにしている。
5ちゃんねるのような世界一の罵詈雑言国家となっているように見える現状は
寡頭制により、私たち全日本人の人一人が信用できない敵に見えるようになっている。

6つの政治のうち、善悪で言えば最悪の制度である「寡頭制」で日本は成り立っていると思うとわかりやすくなった。
日本の政治家が人の気持ちを少しも理解しなくても構わないような態度をとっている意味も理解しやすい。

古代ギリシャに話を戻そう

358 :リーダー :NG NG.net
政治家は基本的にわがままであり、個人的に喜怒哀楽が激しく
気分で他人を奴隷扱いしている。
私たちも含め、一般人というものは、組織、企業、王様、政治家から敵視されることが多く
公共サービスの一部を不当に受けられないように仕向けられる。
いったい、どうして公職というものは他人を疑うのが非常にうまいのか。

アニメなどでも多用される、他人を疑う考え方のテンプレートは「僭主制」かもしれないので少し書く。
「僭主制」は権力者、アニメなどの偉い人、目上の人が目下の人を信用しない論理、
他人を疑うのが基本で、対応するときは自分だけの立場で完全に安全が保障されるまで他人を試している論理である。

「僭主制」を維持する方法が2つある。
1つは悪の限りを尽くすほうで、2つめはその反対である。
これは書いておきたい。

359 :リーダー :NG NG.net
悪の論理はだいたいこうである。
悪の組織のトップは、こういうことをして他人を選別、気に入らない人間を排除する

1.出過ぎた者は摘み取れ。(出る杭は打って二度と出てこれないようにせよ)
  誇り高いものは取り除け
2.共同会食(古代ギリシャの地中海岸地域だけであった会食。
  君主同士が情報交換したり、まとまりやすくするために集まる場)
  仲間の親睦会、教育、その他そのたぐいのものは一切許すな。
  誇り高い精神、信頼関係の2つが起こらないように警戒せよ
3.学校などの技を磨く場を開くことを許すな。
  市民が出会って知り合うことがないようにせよ。(信頼を高めさせないようにせよ)
4.都市に住むものは、いつも人目にさらされるようにせよ
  いつも隷属的な状態におかれることによって、小心翼々な主観を身に着けるだろう
5.被支配者のいうことをすべて知るため、スパイを雇え
  人はスパイを恐れて自由に話さなくなる
6.人々を互いに争わせ、全員が衝突するようにせよ
7.被支配者を貧乏にせよ。君主は親衛隊を雇うために金を奪い、
  「貧乏暇なし」で人々が陰謀を企てられなくなるからである。
8.納税させよ。被支配者を貧乏にするために
9.君主は戦争を好む(人から時間の余裕を奪い、いつまでも指導者が必要になる)
10.友人こそが信用ならない敵である(友人がもっとも簡単に君主を打倒できるから)

360 :リーダー :NG NG.net
「極端な民主制」維持の特徴

・家で女が上位に立つ(かかあ天下)。夫のことを言いふらすからである
・奴隷と女が僭主を好きになる。安楽に生活させてくれる人ならだれでもいいからだ
 誰も尊敬しそうにない政治家が大好きという女性がいることからも、これは正しそうだ

僭主が邪悪な人間を好む理由

民衆扇動家には追従者がつくし、僭主は阿諛追従されたがるので邪悪な人間を好む。
また、僭主は
自分こそが威厳を持ち、自由な人間であると思っているので、他の人間から
威厳を持ち、自由にふるまう人間が出てくると、その人間を毛嫌いし、憎む。
他人が自分以上か、近いとわかると、自分の威厳と自由が帳消しになったと感じるから。
こうして、いきなり特定の個人だけを差別し、ひどい目に合わせるのが僭主である。

僭主の支配維持の種類3つ
1.被支配者の心を費消にして、臆病にさせておく
2.被支配者がおたがいに不審の念を抱くようにする。
  僭主制では、人が信頼しあうと崩壊するので、信頼しあうと困るのだ
3.被支配者には、問題への対処能力をつけさせないようにする

これが、僭主制の悪のほうである。

361 :リーダー :NG NG.net
2つめの僭主制の善のほうは、さっきも言ったように反対になる。
アニメなどできれいごと、完璧で優れた君主がでてくる方法が語られるので割愛する。
アニメなどでちょっと理想的すぎて、人が良すぎる方法が出てきたら、僭主制の善のほうである。

さて、『政治学』の話に戻る。
良い政治とは、まとめれば「悪と善が混ざったもの」だという。
悪はみなさんが詳しく、誰でもやりやすいので、誰もが好んで使う。
だから現実の世界はひどい。
場合によってちゃんと考えて、良いほうを取り入れるのがいいとアリストテレスは言う。

そして、「国制」というものでアリストテレスが考える理想の国を語る。
最後のほうは「国制」の準備で、教育を語る。

子供の教育は、幼い時には汚い表現、ひどい光景を見せないように言い、これを実行するなら
街の作りのすべてが、子供に合わせてないと難しい。
ぶどう酒は病気の原因になるので大人になるまで飲ませない。
子供の時に、運動はほどよくさせるのがよく、スポーツ選手のような、一つの技法を過剰に鍛錬するとか
体力を奪いすぎる方法はよくない。

健康に大切なのは風と水の質だという。
このように人の安全とか、教育を語る。

362 :リーダー :NG NG.net
最後の最後が、音楽教育を語る。
古代ギリシャでは、どうやら音楽そのものをあまりよくないものと思っていたようだ。
音楽は低俗な人間が作るものと思っていたようで、高貴な人間は好んで音楽はたしまない。
音楽を学ぶ必要を語るために、音楽は何の役に立つかを言う。
基本的に音楽は何の役にも立たず、かろうじて、高貴な人間にとっては休息のために使える。

人は体力を使い続けていられないため、休息が必要な時、音楽があったほうがいいという。

音楽を学ぶ必要のほうは、そもそも、音楽を聴いて理解しようとはしないのだろうかと問いかける。
自分からいちいち学ばなければいけないわけじゃなく、人の演奏を聴いて理解するだけではだめなのだろうか。

そして難しい楽器演奏も基本的にダメとする。(インドの楽器とかはまったくダメとする)
特に、笛はダメだとする。

このように音楽教育はいくつかの考えがバラバラに語られ、ようするにどうすればいいかが書かれていなかった。

『政治学』はここで終わる。未完の書である。
ああ、残念な事か。永遠に終わらない本である。

363 :リーダー :NG NG.net
未完成とはいえ、なかなか興味深かった。
悪の手口も書いてあるし、善のやりかたも書いてある。
どうすればいいのかがわかる。

古代ギリシャは現代を少し情報が少なくなったようなものだが
現代でも当てはまるようなことが、当時に考えられていたことがすごい。
今と違って、検索すればいいのではなく、調べ回らないと情報は得られない時代である。
しかも、現実の国家とは争いのほうを好み、アリストテレスも外国人としてひどい目にあったようである。
一人、庇護を受けた将軍がおり、その将軍アンティパトロスのいる国に住むようになったわけである。

比較的安定していた時期に、アリストテレスはプラトンの学校に入ったらしい。
このときに講義もした。著書も多いらしく、現存するものだけでも多そうだ。
何があったか「解説」にあまり書いてなかった気がするが、最後にプラトンと意見があわず、いろいろあったようである。

やがて国レベルの闘争が発生した。
友人テオプラストスとともに、母のいる故郷へ逃れて、その年晩夏、病で63で他界した。
テオプラストスとは出会ってから生涯の友であった。

364 :リーダー :NG NG.net
良い政治のヒントになったし
現代でも当てはまることもあり、興味深かった。

おわり

365 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

366 :リーダー :NG NG.net
クロード・レヴィ=ストロース/中沢新一『サンタクロースの秘密』serica books(1995)

レヴィ=ストロースはフランスの人で、構造主義という考えを編み出した人。
サンタクロースについて書いた論文はこういうタイトルではなく
『火あぶりにされたサンタクロース』というタイトルである。
これが前半にのせてある。

後半は中沢新一という人の解説である。
解説以上の色んなことを書いているため、別にこの人の本にして出せばいいと思う。
訳者だから載せたのだろう。

合わせて110ページくらいだから時間がかかるものではない。

367 :リーダー :NG NG.net
私がこの本を知ったのは、なんとクリスマスの日である。
図書館で『政治学』を借りると決めていて、パソコンでレシートを出す必要があった。
書庫にあるため、職員にレシートを渡してとってきてもらわないといけない。
パソコン検索したとき、ちょっと他の本も見たところ『火あぶりにされたサンタクロース』がみつかった。
すごいタイトルで気になったがアリストテレス『政治学』を借りた。

『政治学』を読み終わると、『サンタクロースの秘密』を借り、何も知らずに中を見ると
『火あぶりにされたサンタクロース』と書いてあり、これかい!w
まあいいか、と読むことにした。

368 :リーダー :NG NG.net
私がこの本を知ったのは、なんとクリスマスの日である。
図書館で『政治学』を借りると決めていて、パソコンでレシートを出す必要があった。
書庫にあるため、職員にレシートを渡してとってきてもらわないといけない。
パソコン検索したとき、ちょっと他の本も見たところ『火あぶりにされたサンタクロース』がみつかった。
すごいタイトルで気になったがアリストテレス『政治学』を借りた。

『政治学』を読み終わると、『サンタクロースの秘密』を借り、何も知らずに中を見ると
『火あぶりにされたサンタクロース』と書いてあり、これかい!w
まあいいか、と読むことにした。

369 :リーダー :NG NG.net
そして『政治学』『サンタクロースの秘密』を読み終わったら、なんと私の誕生日の前日であった。

【火あぶりにされたサンタクロース】
第二次世界大戦後のフランス、カトリック教会は、とある広場で、
サンタクロースの人形を燃やした。
その翌日に広場にあるカトリック教会だったと思うが、屋根の上にサンタクロースの
人形だったか、恰好をした人だったかが出現し、復活劇を演じた。

カトリック協会の自分勝手なイメージ戦略と、フランス経済との関係から
フランスの市民の頭から、サンタクロースはいなくなったというイメージを植え付けようとしたのである。

サンタクロースが死んで、民衆の心を傷つけたので
復活させてもサンタクロースはいなくなったと思ってくれると、カトリック協会はふんでいたのだろう。
ところが、皮肉なことに、復活劇をした結果、フランス市民は復活劇が心を傷つける悲しい出来事どころか
サンタクロースが何倍も素晴らしいものだと思う結果となった。

こうしてカトリックの冷酷非情な印象操作は失敗に終わったようである。

370 :リーダー :NG NG.net
今また書けなくなったので
このまま置いておきます

371 :リーダー :NG NG.net
『火あぶりにされたサンタクロース』にはサンタクロースがなぜあるのか起源が書かれている。
長すぎる本でもないので、一読をお勧めできる。

第二次大戦後のアメリカでおかしな方向へ行ったのだが、
やっていることは経済活動の勝手な解釈である。

だが、この現象だけを見るとクリスマスがなぜこんなに
盛り上がっているのかがわからないのではないかとレヴィ=ストロースはいう。


サンタクロースとクリスマスの風習はどこからきたのか。
たとえばプレゼントを与えるなどの習慣はどこから来たかといえば、
北欧のどこかの民族の発祥から、自然と始まった風習であり、今まで続いていく間に、随時、廃れたり加わったりして変わっていった、と考えるのがいいのではないか。

どの民族も風習は勝手に始めるもので、誰かが制度として決めたわけじゃない。
いつ始まったかを知りようがない、どこかの民族に最初からある風習である。

それが細かいしきたりが、廃れたり、新しいものが加わったりして、基本的なことは残り、今に続く。
見た目、いろんなところが変わってきて、おそらく戦中あたりまで、風習が守られてきた。
それをビジネスで勝手な解釈を作り出したのがアメリカであった。

細かいことは省くが、たとえば、もともとは恰幅のいい髭の立派なおじいさんではないとかだ。

もう一つ例えば、クリスマスとハロウィンはもともと一つだったなどである。

372 :リーダー :NG NG.net
北欧の人々の死生観とハロウィンのホラーのような演出が重なったりもする。

なかなか興味深い内容だった。

いま、私たちがテレビなどで知ったなかで正しいのは、どうやら
聖ニコラウスがプレゼントを子供に上げたというところの一部を除いて、正しいようである。

つまり、本当のところを知っている人はいないのである。

レヴィ=ストロースは私たちが生きている時代の出来事を、正しく知ることは難しいと書いている。
私たちがいなかった過去の歴史を、詳しく知ろうとする場合の
客観的な態度になりにくいため、なかなか、世の中の本当の姿を知ることはできない。
努力はするが、なかなかできないことだという。
それでなんとか分かったことを『火あぶりにされたサンタクロース』として書いた。

「サンタクロースってなんであるの?」
「なんでクリスマスしているの?」
「なんでハロウィンでトリックオアトリートなの?」

気になる人は一読してみるといいかもしれない。
短い本なので。

おわり
「」

373 :リーダー :NG NG.net
最後の「」は消し忘れw

374 :リーダー :NG NG.net
なんとか書けそうなので続けました

http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/366-367
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/369
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1523030859/371-373

375 :リーダー :NG NG.net
二度書き込んでしまったりしてごちゃごちゃしたので
>>374でまとめました。

それでは

376 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!6 六花の王女』Illusration三嶋くろね(2015)

「妹が欲しい」
王女アイリス登場。
義賊をしているクリス登場。
クリスは前にも出てきたらしいが私はもう忘れたw

377 :リーダー :NG NG.net
正田圭(まさだ・けい)『サクッと起業してサクッと売却する
就職でも自営業でもない新しい働き方』CCCメディアハウス(2018)

著者は自らを「連続起業家」と呼ぶ。

378 :リーダー :NG NG.net
田中靖浩『数字は見るな!3つの図形でわかる決算書超入門』
日本経済新聞出版社(2011)

財務と会計の違いを説明する。
財務の中に財務会計というものがある。
この違いは外国語単語の類義語と似たようなものなのでがんばって区別しよう。
外国語ではこのくらいの区別だらけである。

「数字は見るな」とは、どうやら「簿記に頼るな」みたいな意味のようである。
経営者の世界では簿記崇拝の風潮がある。
財務などの本がどれくらいでているかというと、簿記がほかのジャンルより3倍くらい多い。
これだけ簿記が崇拝されるのは福沢諭吉が『学問のすすめ』で簿記について触れたからのようで
これを参考にした大学まであるので、仕方がない面もある。

また、簿記検定などで採点者だけにとっての都合で本を出版する。
私やほかの経営者、会計を学びたい人たちは、かならずといっていいほど挫折する。
これは勉強方法が間違っているから、簿記苦手意識が量産されていることになる。

だから著者は「数字に強くなるとはどういう意味なのか?」を丁寧に解説する。

379 :リーダー :NG NG.net
会計を学ぶには、まず、「数字を読む」ことから始めること。

日本では簿記のような技術を最初から完璧に網羅するまで、実践させないようにできている。
だが学習の順番としては、実際の数字を読んで、何を表しているか「全体像」を知るのが先である。
だいたいどうなっているか、全体を知ってから、興味が出てきたところをつっこんで学ぶ。
これが逆だと、初心者はたいてい挫折しているのである。
だが、テスト採点者だけの都合で本を描き、学校教育まで作ってしまったので
初心者にやさしい本と言いながら、完璧なまでに網羅し、難しい本ばかりである。

初心者には、細かすぎる技術をやって、それがどうなるかもしらないで
計算方法、表記だけを学べない。そのことを考えることもできない専門家が検定を作ったのである。

日本の教育というものは、すべて、テストするものだ家にとっての都合で作られているので
みなさんは勉強とはつらいものだと信じている。

380 :リーダー :NG NG.net
会計を学ぶには、まず、「数字を読む」ことから始めること。

日本では簿記のような技術を最初から完璧に網羅するまで、実践させないようにできている。
だが学習の順番としては、実際の数字を読んで、何を表しているか「全体像」を知るのが先である。
だいたいどうなっているか、全体を知ってから、興味が出てきたところをつっこんで学ぶ。
これが逆だと、初心者はたいてい挫折しているのである。
だが、テスト採点者だけの都合で本を描き、学校教育まで作ってしまったので
初心者にやさしい本と言いながら、完璧なまでに網羅し、難しい本ばかりである。

初心者には、細かすぎる技術をやって、それがどうなるかもしらないで
計算方法、表記だけを学べない。そのことを考えることもできない専門家が検定を作ったのである。

日本の教育というものは、すべて、テストするものだ家にとっての都合で作られているので
みなさんは勉強とはつらいものだと信じている。

381 :リーダー :NG NG.net
会計を学ぶには、まず、「数字を読む」ことから始めること。

日本では簿記のような技術を最初から完璧に網羅するまで、実践させないようにできている。
だが学習の順番としては、実際の数字を読んで、何を表しているか「全体像」を知るのが先である。
だいたいどうなっているか、全体を知ってから、興味が出てきたところをつっこんで学ぶ。
これが逆だと、初心者はたいてい挫折しているのである。
だが、テスト採点者だけの都合で本を描き、学校教育まで作ってしまったので
初心者にやさしい本と言いながら、完璧なまでに網羅し、難しい本ばかりである。

初心者には、細かすぎる技術をやって、それがどうなるかもしらないで
計算方法、表記だけを学べない。そのことを考えることもできない専門家が検定を作ったのである。

日本の教育というものは、すべて、テストするものだ家にとっての都合で作られているので
みなさんは勉強とはつらいものだと信じている。

382 :リーダー :NG NG.net
初心者は楽しみながら出ないと覚えにくいため、そのつもりで著者は書くようにした。
(私、リーダーが学習についてさんざん気になって長年考えた結果
初心者、中級車、上級者で学習方法を変えるしか道がないことがわかってきた。
日本の教育を考える政府などが、そんなの気に食わんといって自分勝手に教育を作っても構わない。
テストで採点する人だけにとっての教育にしている限り、海軍式訓練タイプの教育しかない。
つまり、なかなかうまくできない人には罵詈雑言を投げかけ、態度次第ではぶん殴ってもいいという訓練方法である。
日本の教育はこれが基本である)

初心者が学ぶために入り口をやさしくするために、本を描いたらしい。
「会計を学ぶとき、初心者にとってはとんでもなくハードルが高い」
これがみなさんの学習意欲を下げているので、すこしでも入りやすくしようとした。

初心者向けなので、一見、関係なさそうな内容にも触れて楽しんで読める。
競馬、ダイエットなどに例えて教えてくれる。
決算書には無駄に複雑な数字がいっぱい書かれているが、一つ一つに困ることなく
全体像を、どこがどうなっているか簡単に知りたい。
そのためには、どう考えて初心者は始めればいいかを書いている。

それを妨げるのが簿記崇拝であった。
前著『数字は見るな!簿記があなたの会計力をダメにする』を少し変えたのが本書である。

これでみなさんの、決算書を読むストレスが減りますように
おわり

383 :リーダー :NG NG.net
また同じレスだぶっちゃったね
戻すと書き込まれちゃうのに
戻すの癖になってる
戻さないやり方のほうが不便だからねw

384 :リーダー :NG NG.net
著◎吉丸慶雪(よしまる・けいせつ)『新装版 発勁の科学 長打・強打の秘密を解く!』
ベースボール・マガジン社(2002)

前著に『合気道の科学』という本があるらしい。
「勁」はアニメなどで攻撃方法の解説でたまにでてくる。
著者によれば「透徹力」と呼び、できるだけ強い力を手の先にまで到達しできるだけ強く攻撃することをいう。

マンガなどでも、拳を握る時、親指以外の四本の指先を押し付けるように強烈に曲げ、
当たる時に押し付けて支えるようにすると、より強くなるといっているアレである。
この方法は間違っていると書いてある。

マンガで中途半端な知識で書かれていた。足から力が腕に到達して腕により力が入るとあった。
これでわかったといって実践できる人はおそらくいないだろう。

アニメ、マンガで好まれる「発勁」とはそのように、中途半端に伝わっていて、いくら真似してみてもできるようにならない物である。
マンガ家がいい加減な知識で言うだけではなく、格闘技の世界でもよくわかっていない。
だから著者がまとめてみた。

385 :リーダー :NG NG.net
太極拳だけが発勁を意識した「鍛錬法」が編み出されているらしい。
(ほかの格闘技にはない)
これを「あるやり方」で練習するからこそ、なんとかできるようになる。
「あるやり方」がわかっていない限り、誰がやろうと、技の精神まで踏まえた再現はできないという。

日本の教育は「型」をまねるだけであり、精神はないがしろになっていることは、この本でも語られる。
私の経験からでも「日本の礼儀作法が形骸化している」ことは、小学生のころから、高校までの流行りの言葉であった。

礼儀作法、日常生活に決まり事があるが、誰一人として説明しないので、誰も知らないのである。

386 :リーダー :NG NG.net
なぜ日本は「すべてを型にガチガチにはめる」ことをやりたがるのか。
日本人は縮こまった姿勢で生活しているからだという。

欧米は「背筋を伸ばして」生活するため、おおらかに、広い世界に出て自由に行動するのを許す。
ところが、日本は「猫背になって」生活するため、農業やってるじいさん、ばあさんは必ず背骨が前かがみに、極端に丸まってしまう。
これは日本の文化であり、縮こまった姿勢が、行動にも表れるようだ。
日本人はやることなすこと、完璧に「型」を事細かく決めて、まったく変えてはならないという文化だという。

私が思うには、世界の悪行の政治と偶然似ていると思われる。
世界の君主、大統領、王様などが幼児的な専制、強制的な縛り付けによって
他人の自由を奪うような政策と、日本の小さくまとまった狭い世界観の「型」とが、偶然似たのだろう。

あまり日本の悪口ばかり言わないように言えば、偶然の一致なのかもしれない。

だが、そのことをほとんどの日本人は知らないため、幕府や政府の幼児的なでしゃばりで
国民の権利を奪っているだけに見えていると思われる。

話を戻す

387 :リーダー :NG NG.net
『発勁の科学』では、大きく分けて二つのことを研究する。

1.「勁」をどうやって「発する」のかを語り
2.それを練習する方法の二つを語る。

この本を読めば、ゴルフで長距離を飛ばせるかもしれないし
野球でホームランをかっ飛ばせるかもしれない。
ホームランを高確率で打てれば、ヒットをコントロールしやすくなるだろう。

合気道がなぜあんなげ方をするのか。
柔道、相撲のことを簡単に騙る。
太極拳など、中国拳法を主にとりあげる。

野球でホームランをかっ飛ばしたいなら、ただ腰をひねると考えるのではない。
どんなスポーツでも、腰をひねる動作とは、なぜそうしなければならないのかなど。
何も考えずに、ルール通りに型を守ってやったところで本当にやったことにはなっていないなど。
興味深い内容だった。

かなりがっつり論じている本で、柳生但馬守宗矩なども参考にする。
重たい本で、300ページくらいの厚い本だが、写真や図が多いのでさほど時間はかからない。
「気の力」などとおおざっぱすぎる説明しかもらえなくて、
コーチの言うことを聞きようがないと困っている人は、読んでみてほしい。
コーチはこの本に書かれていることを、体でわかっているだけで、説明できないだけなのである。

「これだから、頭よりも体が賢いヤツは・・・」
ライトノベル『スレイヤーズ!』(たぶん第二巻)リナ・インバースのセリフより

おわり

388 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

389 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

390 :リーダー :NG NG.net
ドラッカー『マネジメント 課題・責任・実践 I』有賀裕子(あるが・ゆうこ)訳

「もしドラ」で話題になったが、あれは「エッセンシャル版」とある。
私も「もしドラ」きっかけに読んだが「エッセンシャル版とは何か」と偉そうなことを思って放置し、
マネジメントの原文翻訳を読んだと思っていた。
「essential」を辞書で見たところ「必須の」とある。
「マネジメント エッセンシャル版」は最低限これだけはわかってほしいものを短くまとめたものだとわかる。
原典を全部読もうものなら異常なほど長い。
全四巻の一冊目である。

私はいつも不思議に思うのだが、哲学書のような長ったらしい本に出てくる人々は
「この本を読んだ」とさらっと言っているが、本当に読むと何か月もかかる。

この人たちは忙しいはずだが「それは読んだ」とさらっというほど気軽に全部読んだのだろうか。
忙しい人が時間が空いたときに読むと何年もかかったりしないのだろうか。
どうやってさらっと言えるほど気軽に読めたのだろう。

実は大変だったけど、日本人みたいに自虐ネタで大変でしたと笑うと
そこを突かれ、利用されて敗北させられるから、簡単に言うだけにしているのだろうか。うーむ

391 :リーダー :NG NG.net
「マネジメント」
これは難しい言葉だといって始まる。
実は一言でマネジメントイコールこれだ、という言い方がないという。
どういうものですか、長くなってもいいから説明してくださいと言えばどういうものかは言えるらしい。
一言では言えないという。

「マネジメントI」を読んだ今の時点で思うのは、いいリーダーシップなどで言っている
良いリーダーとしてのあらゆる行動、考え方、いい組織のまとめ方などの総省のことをマネジメントというらしい。
今の日本でいい仕事とか、いいリーダーシップとかで言われる表現のすべてがドラッカーが書いている。
おそらく日本はドラッカーの言葉を意味も解らず連呼している者と思われる。
ちなみに人間の心について傷ついたのを落ち着かせるとか、心理学での成功法則とか
人生が成功するための心の持ち方などのすべての表現がアドラー心理学なのと全く同じ現象である。
日本では、古典名著のどれかをありがたがって、連呼しているだけで意味はよくわかっていない。
何か知らんが素晴らしいから、繰り返し言っているだけで、実行する知恵は日本にはない。

話がそれた

392 :リーダー :NG NG.net
「エッセンシャル版」よりも短くまとめれば、本当にいいリーダーシップを発揮する
すべての行動をマネジメントというらしい。

ドラッカーの時代も今も、公務員の仕事は結果が出ないことで有名である。
あとは国策のほうでも政府が他人に禁止する以外無能だったりする。
すべての仕事人間がやる気がないのは給料システムが悪いからであり、
組織がうまくいかないことでブラック企業と言われるくらいに残虐非道な組織になる。

組織が悪い方向へいくのが、ざっといえばマネジメントの欠落からきているということである。

何かうまくいかないところがあれば、ほとんど確実にマネジメントが欠けていると言えるのかもしれない。
それくらい、うまくいかないところにマネジメントのないところあり、とイコールでつなげたくなる。

すべての企業が従業員にいい加減すぎる対応をしたり、
公務員が偉そうにふんぞり返っているだけで結果を出さないままでも許されるかのようにのさばっていたり、
政府が人数が多いだけで結果を出さない人間の集まりだったり
ほとんどの企業のほとんどの店員が客より偉そうにしていて、仕事に対する意欲がほとんどなかったりする。
これらのようなことは、給料システムが諸悪の根源のようである。

393 :リーダー :NG NG.net
政府にとって、国民が不在の政策をすることは基本である。
日本社会のほとんどすべての組織が、政府と同じように
他人の行動を禁止する以外の無能しかいない。
そしてほどんとの日本人の行動が、学校教師や公務員、警察のように
他人に厳しく禁止するだけしか思いつかない単細胞な人間だらけになった。

こうなった理由がどうやら「予算」にあるようである。

政府が国民不在の政策を基本にしているとか、人数が多いだけの烏合の衆になっているのは、
予算で国が動いているからである。
予算を与えられないと何もできないということは、仕事の結果を利用する顧客が
救われるかどうかなどが、どうでもよくなるからである。

このあたりを知ると、すべての組織が効率さえよければあとはどうでもいいような態度
になっている理由が見えるかもしれない。

394 :リーダー :NG NG.net
予算では組織を運営しないほうが良いところで予算にすると
福祉、学校、医療などの生活に必要なサービスがいい加減になるわけである。

そうじゃないようにするのが、良く言われる「成果」を重視して給料をもらうシステムである。

企業の多くは、サービスを与えた結果、客のほうが価格を決めて、収入を得ている。
だから成果を出さないと収入につながらない。
競争が激しい。これは、政府のような予算で動く組織とまはるっ切り違うという。

だから「マネジメント」では予算で動く組織と、成果で生きている組織を別で考えている。

395 :リーダー :NG NG.net
この本『マネジメント』では予算と成果では別といっている。
成果主義が絶対とは言わず、予算のほうが良い時、成果主義のほうがいいときがある。
悪くなりやすいのが予算のほうであり、あまり悪くなりにくいのが成果のほうである。
予算で動く政府などが成果をだしたことがたまにあるが、基本的に堕落する。

『マネジメント I』ではマネジメントとはどういうものかざっと説明し、
実例がでてくる。

一貫しているのが「マネジメントとは何か」で、今話題になっていると思うが
リーダーシップを本当にすばらしく発揮することを書いている。

396 :リーダー :NG NG.net
世の中には「くたばれ組織」という考えがあるという。
奴隷扱いされて働かされるとマネジメントの欠如のように狂った組織になる。
それを知った人は、縛り付けられることなく、自分で起業し、各自必要と思うことをやったほうがいいという風潮がある。

それがいいというなら『マネジメント』は無用である。
この本はそういう風潮を後押しするものではなく、務めと責任に焦点をあてる。
いかにマネジメントを使い責任を果たすか。

経営者にとっての「企業の社会的責任」という、誰も考えづらかったテーマを扱っている。

そしてマネジメントを取り入れることで、務め、責任、実践により
ほんとうに優れた経営をするほうが、解決に向かう。

縛られた人の立場から出て行って、独立開業して自分でやったほうが良くなると思うが
そういうことをせず、責任を果たしマネジメントを取り入れれば良くなるという。

腐った組織も変えることができるわけである。

397 :リーダー :NG NG.net
腐った組織の、腐った根性の上層部も変わる可能性がある。
制度が変わるのだから。

社会が良くなるのに何が足りないか。
いい人材が足りないとはよく言われることだが、ドラッカーはそうじゃないという。
いい制度を作らないからだという。

『マネジメント』では現在、リーダーシップ関連で当たり前に言われていることが
ほとんどでてくる。
いいリーダーとしての心構えが全く同じと言っていいほどそっくりな事ばかり言うが
ほとんどはドラッカーが言っていたわけである。

たしかに一度読んでおいてもいいと思う。

おわり

398 :リーダー :NG NG.net
抜けていた所だけ書いて終わる

日経BP社(2008)

399 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!7 億千万の花嫁』Illustration:三嶋くろね
角川スニーカー文庫(2015)

そろそろカズマ達は街に信用されるようになってきた。
だがダクネスが大変な目に遭う。
悩んだり苦しんだりご褒美に興奮したり忙しい。

めぐみんがげきおこ。
アクアの宴会芸スキルが少しだけ触れられる。

ダクネスがあいかわらず脳筋で頑固なので大騒動になる。
久々に(だったか忘れたが)エリス様登場、エリス様の秘密が明らかに?!

400 :リーダー :NG NG.net
明らかってほどじゃないかもしれないが
エリス様についても触れられる

401 :リーダー :NG NG.net
『サバイバルの基礎がわかる本』地球丸(2008)

[執筆]吉田 徹
[協力]海上保安庁、以下略

アウトドアの工夫から始まる。
危ない目に遭ったらどうするか。
死んでしまうほど危険な場合。
都市災害。
知っておくとこれから先、何かの役に立つかもしれない。

402 :リーダー :NG NG.net
最後に「資料編」
公共機関のHPを載せる
災害や気候の特徴などの情報を載せているが
何も知らないと、頭が固くて面白くないデータの羅列化と思って敬遠してしまう。

データも出ているが、情報量が多いから参考になるとか
読み物としても読めるHPもあると言ってくれるため
精神的距離がすこしは近づいただろうか

403 :リーダー :NG NG.net
尾崎哲夫 著『はじめての民法総則』自由国民社(1997)

民法を知ると法律の考え方の基礎がわかるらしい。
民法は「法律の王様」と言われているらしいので「おう、そうか」と読むことにした。

法律には、大きく分けて二つで「公法」と「私法」がある。
民法は「私法」に入る。

民法で中心となり、もっともややこしいのが「表見代理と無権代理」の考え方である。
人の立場によってバラバラだから、規則だけ見ても何のことを指しているかさっぱりわからない。
複雑なところだけは、実例から「この場合はどれにあたるか」を一つ一つ見るしかないかもしれない。
これからは、興味があれば、気になるところだけ見ていればいい。

世界と比べて「日本は法律が必要以上にややこしい」と外国人が言っていたから、
すべて見るほど時間がある人はあまりいないだろう。

「時効」という有名な言葉だけ、ちょっと書いておこう。
「短期消滅時効」というのがある。
お金の支払いなどで、請求を忘れた人は、これから紹介する期間を過ぎれば事項である。
つまり「あ、忘れてた」と気づいた日がこの期間内なら、金をもらわないままにしないでおこう。

1.医療の治療費・工事の費用など 3年
2.会社の給料・商品の代金など  2年
3.飲食代・宿泊料・運賃など   1年

気づいた時がこの期間内なら間に合う。すぐにでも請求に行こう

404 :リーダー :NG NG.net
支払いに行くのも一緒
「あ、忘れてたわ」と気づいた日がこの期間に間に合うようならすぐに支払おう

405 :リーダー :NG NG.net
『山本有花のやさしいFX投資法ぜんぶ教えちゃいます!』中経出版(2013)

巻末に「山本式FX法」を7項目にまとめて、最後のページから書き始めている。
まとめだが、一冊読んでる時間がない人が
これだけ読んで実践に十分か私にはわからない。

406 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

407 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

408 :リーダー :NG NG.net
もうちょっとかな

409 :リーダー :NG NG.net
細川博昭『鳥を識る なぜ鳥と人間は似ているのか』春秋社(2016)

鳥は恐竜の生き残りである。
科学雑誌で、恐竜のイラストに羽毛が描かれたのを覚えている人はいるだろうか。
ある時期にいきなり、恐竜に羽毛が描かれた。
ちょうどこのころ、鳥と恐竜の関係もわかってきた。
恐竜の体は鳥とそっくりであり、小型化して鳥のように進化した動物もいた。
恐竜が隕石で滅んだ頃、鳥は生き残ったわけである。
なぜ恐竜は絶滅したかというと、巨大だからどこにも隠れられなかったからだという。

小型化して進化した動物はいざというとき生き残りやすいが、
天敵に隠れて生活していたため、体重が軽いのでダメージが少なかった。

鳥と恐竜の関係から始まり、鳥の体がどうなっているかを解説する。

410 :リーダー :NG NG.net
鳥の体は、実は人間ととてもよく似ている。
形、構造は全く違うのに、働きが同じと思うくらいそっくりである。

鳥の体の中、内臓などすべての器官の形は、蜂を正面から見たような形に見える。

大きな違いと言えば「気嚢(きのう)」といって、魚で言う浮袋のような袋がいっぱいついている。
気嚢がついていて、鳥は小型の生き物であるため、非常にコンパクトにできている。
サバイバルに必要な機能は、明らかに人間より優れている。

たとえば、視力は人間の数倍良い。
赤外線を除いて、電磁波などの波(なみ)が見えているらしい。
また、人間と同じくカラーで物が見えているが、人間の何倍も鮮やかに、
人間でも見られないほど複雑な色が見えていて、それはもうきれいだという。
今はテレビでかなりきれいに、複雑な色でも映しているが、鳥はその数倍目が良いだろう。

411 :リーダー :NG NG.net
鳥の体は、人間が持ってる機能が一通りそろい、ものすごく効率がいい。

鳥の目は横についているのは知られている。
人間の視野が真横から前方に集中し、真横より後ろはちょっとだけ視界に入り、意識してみられない。
鳥の目は、真後ろ以外は完全に見える種類もいるという。
前方で両目が重なる範囲が鳥はかなり狭く、本当に前方しか見られないが
目が横につき、視界がほとんど真後ろまで入っていて、後ろの天敵もなんとか見ようとする。
真横だと、右と左で違うものがみえてややこしくないのかと思うが、鳥にとっては問題ないらしい。
ほとんど全方向が見えて、両目で見られる範囲が極端に狭くても大丈夫である。

私には、この方が効率が良いと思う。
人間は真後ろは首を回さないとみられないが、鳥は人間よりも大きく回せ、ほとんど全方向が見られる種類もいる。

412 :リーダー :NG NG.net
鳥の性格も、野性と人間に飼われてでてきた性格が同居している。

「ドバト」というハトは、私たちが外出するとその辺で
灰色のハトがぽっぽと鳴いている。
ドバトが、人間に品種改良され、飼われもした後に野生化した種類である。

野生では鳥も、どの生物も敵対行動とサバイバルに忙しくて
許される行動パターンが限られ、個性がなくなったかのようになってしまう。
しかし、それでも個性は垣間見えるという。

鳥に個性があるのがはっきりと人間にもわかるようになったのは
人間に飼われるか、比較的安全な場所で鳥が戯れることがあり、専門家が研究したからである。

かつて人間は鳥のことをよく知らなかった。
だから頭が悪いと思い込み「birdbrain:とんま、マヌケ、バカ」という言葉が生まれた。
人間は鳥に感情がないと思っていたが、人間の傲慢にすぎなかった。

専門家が研究していろいろわかってきたため、この考え方が改まってほしいと著者は言う。

そもそも、科学でわかろうとわかるまいと、最初からバカにしなければよかったのに。

413 :リーダー :NG NG.net
『鳥を識る』では、さらに、鳥はどのように物事を理解するのか、記憶、など頭の働きも考える。

長くなるから簡単に言うと、鳥の記憶、脳の働きは人間とほとんど同じである。
鳥と人間の脳は形がまるっきり違うが、働きが同じではないかと思うくらいそっくりで、
しかも人間よりもはるかに頭が良いことがわかってきた。

たとえば、空間記憶は人間の何倍も正確に把握するという。
認識、思考、記憶の種類や順番も人間と同じである。
人間は、いちいち資料を読んだりしながらでないと確認できないことが多いが
鳥は実物を見直さなくても記憶を頼りに推測することができる。

人間は、いちいち実物を見ながらでないと理解できないと思っているが、私は間違っていると思っている。
人間は自分で思っているほど頭の使い方をわかっていないからだ。
正しい勉強法すら知らないのだから。
苦しみながら勉強し、ほんのわずかしか覚えていられない人間は、頭の使い方が下手だと思う。
それは、自分は記憶力がないという思い込みから来ていると思う。

話を戻そう。

414 :リーダー :NG NG.net
鳥について、専門家が研究してかなりわかってきた。
体の仕組みは信じられないほど効率が良く、人間の体のほうが無駄が多い。
鳥の頭脳は、人間よりもはるかに頭が良い。
人間よりも多言語習得が早い。

著者は『鳥を識る』で書いたことが人に知れ渡り、鳥に対する認識が変わり
鳥の立場が向上し、鳥が自由に羽ばたける世の中になってほしいと望む。

人間の無知により、鳥は頭が悪いと思われ「かわいい」以外の解釈をされなかった。
人間が鳥を知ろうともしなかった、なんだか人間のほうが愚か者見たいになってしまっている。
この言葉だけではなく、状況がそうなってしまっている。

だから、鳥への誤解が解け、鳥が知性豊かで個性豊かで、興味深い生き物であると知られてほしい。
鳥に学ぶこともあると思う。

これから鳥への認識が変わり、人間も鳥を尊敬するようになればきっと
鳥と人間が会話する世の中も実現するかもしれない。

著者はそうなってくれることを願って、鳥について書き続けるといっている。

おわり

415 :リーダー :NG NG.net
今、じっぷらに全く書けない状況

416 :リーダー :NG NG.net
見に行ったら書けた

417 :リーダー :NG NG.net
トマス・ホッブズ『哲学原論 自然法および国家法の原理』伊藤宏之・渡辺秀和 訳
柏書房(2012)

この本は1700ページくらいあるが、複数の著作をまとめたものなので
一巻読んだところで数に数えておく。

哲学原論第一巻『物体論』のみを読んだ。
哲学原論は全3巻ある。その第一巻。
図書館では、1700ページのこの本の隣に『物体論』だけでも置いてあるw
第二巻が『人間論』第三巻が『市民論』となっている。
そして付録か何か、書簡があり、自然法および国家法の原理と、すべてをまとめた本である。

『物体論』だけで一冊である。

418 :リーダー :NG NG.net
『物体論』はまず、トマス・ホッブズの著作の最初だからか
哲学の仕方について、ホッブズの考え方を書く。
ただ詳しいことはほぼ完全に忘れてしまった。

2,3年前だと思うが、この本を読み始め、疲れたので途中で休憩を入れて
現在まで保留になっていた。
だから最初何を書いていたか、目次や本文をしっかり読まずに見ても思い出せない。

たぶん、ホッブズの考える「哲学の仕方」を一通り書いて、
ほんの少しだけ政治での国家権力の横暴について書いていたと思うんだが。

そして「物体論」というだけあって、物体大きさの比較、物体の発生の仕組み、物体の発生する原因などと続く。

419 :リーダー :NG NG.net
『物体論』はそのまんま、物体の存在の仕組み、原因、大きさの比較などだけで終わっている。

A−BとCーDの比率は等しいとか、いろんなものの形の輪郭線とか
移動経路とかの線を引いて、アルファベットを打っている。
この自然現象は、A−B:C−Dの比率が、角度が、長さが何倍だとか書いてある。

例えるなら、日本人の私たちは、中学校の数学で「証明問題」を知る。
角度が等しいことを証明せよとか、△ABCと△DEFが等しいことを証明せよなどというのと全く同じである。

『物体論』は自然現象を三角形や円形の図にして線で結び、アルファベットで等しいとか
この線を通って太陽Aから目Bに向かってA−Bを光が到達するとかいっている。
比率、仕組みをそのように線を引いて証明するのが延々と続く。

最後にこの著作は全三巻あり『物体論』は第一巻だと明かされる。

本当にそれだけの本だった。

おわり

420 :リーダー :NG NG.net
『物体論』はそのまんま、物体の存在の仕組み、原因、大きさの比較などだけで終わっている。

A−BとCーDの比率は等しいとか、いろんなものの形の輪郭線とか
移動経路とかの線を引いて、アルファベットを打っている。
この自然現象は、A−B:C−Dの比率が、角度が、長さが何倍だとか書いてある。

例えるなら、日本人の私たちは、中学校の数学で「証明問題」を知る。
角度が等しいことを証明せよとか、△ABCと△DEFが等しいことを証明せよなどというのと全く同じである。

『物体論』は自然現象を三角形や円形の図にして線で結び、アルファベットで等しいとか
この線を通って太陽Aから目Bに向かってA−Bを光が到達するとかいっている。
比率、仕組みをそのように線を引いて証明するのが延々と続く。

最後にこの著作は全三巻あり『物体論』は第一巻だと明かされる。

本当にそれだけの本だった。

おわり

421 :リーダー :NG NG.net
また二度入ってしまった

422 :リーダー :NG NG.net
暁なつめ『この素晴らしい世界に祝福を!8 アクシズ教団VSエリス教団』
Illustration:三嶋くろね 角川スニーカー文庫(2016)

アクアが「エリス祭だけあるのは不公平じゃない!アクア祭をすべきよ!」と言い出す。
カズマは今日も私利私欲で動き、クズマである。
ダクネスは忙しい。
めぐみんはお預けを食らう。

タイトル通り、アクシズ教とエリス教が張り合う。
アクシズ教がアホすぎてエリス教の敵にもなれないなどもあるが
このラノベのいつも通り、その差が関係ないくらい大ごとになる。

一方、クリスとカズマが神器の回収をしている。
聖鎧アイギスがしゃべり、わけのわからん展開になる。

423 :リーダー :NG NG.net
そして、エリス様いいなあ。
完璧すぎる。

424 :リーダー :NG NG.net
アクシズ教の教義は一つだけ出てきたが、
エリス教の教義はいつかでてくるだろうか

425 :リーダー :NG NG.net
A.アインシュタイン『科学者と世界平和』井上 健 訳 講談社学術文庫(2018)

前半 科学者と世界平和
アインシュタイン「公開書簡」解説 佐藤優
後半 付録『物理学と実在』

「科学者と平和」では、アインシュタインの平和論、
4人のロシア人の反論「アインシュタイン博士の考えの誤り」
アインシュタインの返事、佐藤優の解説、となっている。

アインシュタインは「世界政府」が必要だという。
私が時々言っている世界連邦政府と同じで、世界が一つの国になるというものである。
つまり、世界に国境がないので、国家間の戦争はしないのである。


科学は、科学が扱っていない人心、倫理道徳などの理屈にない
あらゆる面で平和に貢献はしないで、戦争に貢献している。
たとえソビエトが参加しないといっても、いつでも来てもいいとして
世界は一つの政府になるべきだ。

426 :リーダー :NG NG.net
私が時々語ることについてここで少し。
争いのために敵対する人間の行動、戦争映画や傭兵映画で
主人公たちがやっている話し方で、人を疑い、自分の利益を総どりするために
牽制し続け、力でやっつけようとする考え方。
戦いをするアニメなどで主人公が、敵を相手に怒ったような顔と、低い声で話す。
そのように戦いのための考え方で、人は争いを好きなだけ増やしている。

「書簡」では、このような敵対行動の考え方、行動を
「馬を好い位置に配置するために、人間が弄する手口とおなじものです」といっている。

争い、敵同士で相手をやっつけるためならあらゆる理屈で良い負かそうとしている。
アメリカのドラマでも、ものすごい速さでまくしたて、
相手が言ったことを一瞬で言い返し、相手の何も言えないくらい問答無用で正しいことを返そうとしている。
おそらくこの理屈の扱い方のことだろう。
(ちなみに日本でこれはできない。
やる人はいるが、海外ドラマや、バトル映画などの真似にすぎない)

427 :リーダー :NG NG.net
話を戻そう。
アインシュタインは「世界政府」で一つの組織が世界をまとめるようにいう。

それに4人のロシア人が「アインシュタイン博士の考えの誤り」という書簡で返事する。
「世界政府」という考えは、経済面で市場を独占しようとしているだけだと。
(アインシュタインがソ連が参加するつもりならと言っているにもかかわらず)
ソ連が参加しないのを前提にして、門戸を開いてやっているとあなたはおっしゃると書く。
いくつか根拠を過激発言で示し、「世界政府」というものは認められないとする。
だがそういうのも、アインシュタイン博士の功績、人となりなどを踏まえて尊敬の念を示すものですと言う。

それにアインシュタインが返事し、同じようなことを繰り返し、
言葉は変えてある。

だいたいこんな風にやり取りされる。

428 :リーダー :NG NG.net
佐藤優氏が、上記の書簡について解説する。

その次に、「物理学と実在」という文章を掲載している。

アインシュタインは生存中ずっと、量子力学などいくつかの理論に疑問を持ち続けていたという。
物理学の分野が、どのような順番で扱われ、発展し、当時の物理学に発展するまで構築されたのかを語る。
それと同時に、量子力学などいくつかの分野の疑問についても触れる。

それで何をしているかというと、物理学の数式で、地球上のあらゆる物体、現象を
完璧に記述できているとは、私(アインシュタイン)には全く思えないのです、と書いている。

そのことを説明するのが「物理学と実在」である。

相対性理論なども、簡単に数式を示しながら、理論が考え始めた根拠から、
構築を通過し、発明に至ったのか、経緯を簡単に説明してくれる。

数学、物理学、量子力学、力学などの分野に詳しい人には
非常に読みやすい本だと思われる。

429 :リーダー :NG NG.net
数式もポイントだけ出てきて、決して易しいとは言えないものだが、
すっきりまとまっていて、読みやすい。
アインシュタインがどうやって相対性理論などを作り、
世界の認識がどうなったかなど、知識ある人には面白い本ではないかと思う。

物理学の記述がすっきりまとまった本を読んだのは
『神様のパズル』という小説以来だ。

430 :リーダー :NG NG.net
アインシュタインは、数式を使って論理的な記述をすることと、
地球上、現実にいろんな物体、現象がでてくることとの、
つながりを、物理学の基礎で記述することはできていないといっている。

量子力学など、物理学の記述が、仮に完璧なものだとしても
現実の物体とのつながりを表現できるとは思えないと。

量子力学の記述が、物体の実在とのつながりを完璧に記述できている者と
科学者がみなせば、大きな誤りを犯すでしょうと言っている。

つまり、現実にいろんな現象が起きて、論理的に合わないのが不思議なのだが、
このことを無視して、物理学の基礎だけで説明できるとは思わないほうが良いわけだ。

私(リーダー)の思うことは、理系に詳しい人は、現実が神秘的なほどに
不自然な現象が起きていることを、認めようとしない傾向にある。
数式で説明できないことは、現実に成り立たないと言い張る。
現実の不思議な現象を目の当たりにし、数式などで検討した結果、
数式で説明できないので「そんな神秘は最初から存在していない」と言い張るのである。
これは、物事の順番が前後してしまっている。

検討した結果、検討する前から存在しないなどというようになるのである。
これが神の存在を否定することにもつながったりする。
検討した結果、後に出てきたものが、最初からあるというのを「論点先取りの誤謬」という。

検討した結果が、検討する前からあるものとしてしまうのである。
科学をする人で極端な人は、神秘や神を頭から否定することが多い。
話がそれた

431 :リーダー :NG NG.net
『科学者と世界平和』は非常に読みやすい本で
知識ある人にはとても面白いのではないかと思う。

それでも、知識があってもなくてもいいから、
無知から数学を学ぼうとしている人なら全員一読してもいいのではないだろうか。

この本で数式がでてくるが、ポイントだけである。
途中の長くて複雑な計算は出てこないで、言葉だけで簡単に説明している。
一言だけでの数式でも難しいので「こういうもの」と思ってわざと進めてしまうといい。
私はそれでも何とかなった。

アインシュタインが何を考えていたか、ほんの少しだけわかった気がする。
私が今まで見る限り、神秘をざっくりとこき下ろす人しか知らないが、
アインシュタインは神秘を否定しきらない考え方と、
論理的に成り立たないことがバカなのを認めてもいて、神秘は記述できていない考え方と
相反した二つの思想が共存している。
だから、神秘を記述できていないことを根拠に、簡単にバカにしてはいなかった。
日本の数学好きもそうであってほしいと思う。
数学で記述できないことをバカにする人が多いのは、神秘ともいえるほど、
なぜこうなっているのかわからない、という物質のふるまいが
どうしても説明できないことを、悪いことだと勘違いしているからである。

432 :リーダー :NG NG.net
記述できなくて、神秘体験が説明できないのを悪く思うことこそ非科学的である。
数式のために物質があるのではなく、物質のふるまいを表現するだけなのだから、
あまり数学を過大視しないで頂きたい。

神秘などを認める人の性格をバカにすることは、非論理的であり、物理学の議論と無関係のことである。
この無関係性は数学者が証明した。
だからバカにすることは誤りであり、恣意的な事である。
「科学は絶対とは言ってない」といっておきながら、数学をわからない人を絶対的にバカにする人がいる。
バカにするようになったら、自分の立場だけで考えている。
自分が得意な分野だけで宇宙は成り立っていないのである。
そのことを忘れてはならない。

どうか、その優れた頭脳を駆使して、アインシュタインのように、相反する認識でも
おちついて整理して話してほしい。
くれぐれも、自分の得意分野を理解しない人を馬鹿にするようなことだけはあってはならない。
指摘し論じることと、バカにすることを混同している人は多い。
もっと丁寧な言葉遣いを心掛けると、アインシュタインのように落ち着いた調子で言えるのではないかと思う。

それでは、おわり

433 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
日付がわからないいい。

434 :リーダー :NG NG.net
時間は上げないと表示されないから
最新10だけしか表示されない

435 :リーダー :NG NG.net
ニーチェ 著『黄金星(ツァラトゥストラ)はこう語った<上>』小山 修一 訳 鳥影社(2011)

ツァラトゥストラという人物が、旅をしながら
真理のための方針の光を人々に照らし、導くため色々語る。
色んな所に訪れるが、そこにいる人間はどのように愚かかを言って、
ツァラトゥストラは語り続ける。

「光を当てる」というのは比喩で、自分が何をしているか知らない状態を闇などという。
ツァラトゥストラのようによく見ている人(星?)が語ったりすることで
大衆は始めて自分たちの状態を知る。
そのように知らされて、知ることを、比喩で「闇に光を当てる」などという。

この言い方は『ツァラトゥストラ』だけではなく、古今東西、ほとんど同じように言う
人類というものは、人の心の状態を、ファンタジーのような映像で語ることが多く
人間が、自分自身の心について同じようなイメージを持っていることがうかがえる。

だから比喩表現というものはメチャクチャに見えて、法則性がある。
その法則性が人間心理である。

私たちが生まれる少し前までは、人類は人間心理のことを本当にわかっていなかった。
ニーチェのような観察力ある人が、人間心理の法則に気づき、
どういう状態か、人を怒らせて戸惑いながらも、考えていった。
ツァラトゥストラという「星の光」で照らす比喩を使って、世の人々に
バカなことはしちゃいかんよ、と知らせようとする。
ツァラトゥストラが旅をし、いろんなところで愚かな人間とケンカし、
賛同してくれる人間を仲間にしていく。

436 :リーダー :NG NG.net
ニーチェ、ツァラトゥストラのような観察力ある人が知ったことを
人に言おうとすると、愚かな行動を認めようとしない大衆にいじめられるわけだ。
この本では、一つ目に訪れた街でサーカスのような催しをしている人達に
お前らはこのように間違っているので「超人を教えてやる」と語る。
しかし、嘲笑われ、迫害されるのである。

だから「こいつらあかんわ」ということで、最初の街を後にする。
そして旅を続け色んな所へ行く。

そういうストーリーにしながら、ニーチェが言いたいことを展開するようだ。
だが、私以外の人が良く知っているように、この本の半分以上が比喩である。
比喩が激しくなさそうなところでも、人間心理をある程度分かっていないと理解できないことだけを書いている。

哲学研究として研究が進まない理由は、人間心理という面で考えにくいからではないだろうか。
人間心理の知識を持たず、哲学だけで考えると無理が出そうである。

437 :リーダー :NG NG.net
とにかくひたすらツァラトゥストラは、いろんなところへ旅して
敵に指摘し、賛同者を弟子にしていく。
『ツァラトゥストラ<上>』はすでに、ツァラトゥストラはどのくらい旅をしたのかわからないが
最後のほうで「顎髭をさすりながら」と書いてある。

438 :リーダー :NG NG.net
ところで注釈は、この本を研究する大学生のためにつけられたものだという。
訳者がドイツ語の訳の努力を書いてあって、直訳では理解が無理らしい。
意訳しておいたという記述が多い。
注釈は学生のためだから読む、読まないは自由だが、
本文を読んでも全くわからないような情報も書いてある。
本が書かれた時代背景とツァラトゥストラの意味などである。

ニーチェは「お前ら宗教者が愚かなことを続けるようなら、
やがて戦争になる」と言いたかったのだろう、と注釈にある。

439 :リーダー :NG NG.net
『ツァラトゥストラ』は哲学書ではなく、文学作品だろうか。
比喩だらけで、たいていの読者には意味が解らない。

なぜ比喩を言うかというと、愚かでバカな偽善者どもに言っても無駄だからである。
それでも言わざるを得ないとなると、受け入れやすそうな言い方を探す。
おのずと、思わせぶりな表現になるしかないのである。
「お前のここが悪い」といって聞く人間は少ないからである。

それで比喩を使って気づいてもらおうとするが、周りの愚か者も
それで聞いてくれるほど素直ではなかった。

しかも、現代の研究で「比喩ってわけわかんない」といっているのに
愚かな行動をやっている本人に、比喩で言ったところでわからないわけで、
それを理由に、忠告する(ニーチェのような)人のいうことに逆らうわけだ。

こうやって、人類は、多くの戦争を防げなかったわけだ。

戦争が増え続ける水面下では、このような詩人の戦いがあったと思われる。
本当に愚かな人間どもにとっては、詩人から注意された時は「いかに無視するか」が大切だからである。
本当に忠告を無視して見せたため、戦争を防げなかった。
戦争当事者は、そのくらいの愚か者ばかりだったわけだ。
良い人は、愚か者になかなか勝てないで、現代まで来てしまった。
嘆かわしいことである。

440 :リーダー :NG NG.net
あと、このような比喩表現で誰かに伝えようとする文章は、
後から、時代が変わって、状況が違うときに読んでもわからないことが多い。

なぜなら、愚かなことが繰り返されるぴったりのタイミングで、
まさにそのことについて触れていて、特殊な内容になっている。
だから状況が変わると、何の話をしているかの前提から理解できないことが多い。

日本と違って外国の本は、わかりきったことをあまり言わないで
思ったことは長々と説明するものである。
ちなみに、現代日本は解りやすさの強要をしすぎて、最低限必要な説明もしていないことが多い。
さらに、外国は言いたいことは十分に説明するが、そのためか、わかりきったことはほとんど触れない。
日本の著書のように専門用語の羅列で書くことは決してない。
外国では省けそうなところも専門用語なしで長々と書くため、専門用語に頼る日本にはなかなか理解できない。

愚かな行動をとっている時期の精神的なことに触れているため
精神以外でしか考えない日本では、理解が速く進むはずがないのである。

私は今回読んで思ったが、人間心理を簡単でいいので知っていると
理解の負担はかなり減るのではないかと思う。
少しでも人間心理を知ろうとしてきたのが、こんなところで役に立ってしまった。

文学は、極論すれば理屈だけの学問ではないだろうが、実際、あまり極論でもないだろう。

441 :リーダー :NG NG.net
人間が愚かな行動を改めるには「お前の欠点を認めろよ」という攻撃だけでは駄目だろう。
人間心理に無理のない社会システムを作って、自分で作ったもので、
自分が引き裂かれる気持ちになるような、ばかばかしい社会にしないことだろう。

今は人の気持ちは「他人の性格がむかつく」という理由だけで理解しようとしないため
人の気持ちに合わない社会が出来上がっている。

それは人間心理を知らなさすぎるからだ。
ムカつく人間の精神を知ることはムカつくことだが、
知らないままでいるのは、結局は自分の精神を理解せず、自分で自分を傷つけかねないのではないか。
そんな心を傷つける方法しかわからない人が、他人を守れるわけがないのである。
強くなった者はもっと、弱者の気持ちに耳を傾けるべきだろう。
それが、鍛えて強くなった人間に課せられた責任ではなかろうか。
強くなるだけで、責任があると思う。

442 :リーダー :NG NG.net
私にとっては、日本語訳でも言葉が良いと思った。
ドイツ語で読めればさぞ、楽しいのではないかと思う。
だが比喩で、いろんな意味を含むため、専門家ですら誤読しそうである。
日本語でも「人間のことをよくわかっている」と思った。さすがニーチェ

443 :リーダー :NG NG.net
最後に
「神は死んだ」

これは「宗教に頼り切るな」という意味であろう。
おまえな、神に頼ってばかりいないで、自分で考えたらどうだと
ニーチェは言いたいのではなかろうか。

そういうことで
おわり(Das Aus.)

444 :ぴょんちさ :NG NG.net
444だなって

445 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

446 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

447 :リーダー :NG NG.net
ニーチェ 著『黄金星(ツァラトゥストラ)はこう語った<下>』小山修一訳 鳥影社(2011)

ツァラトゥストラの励ましの言葉が聞き覚えがある気がする。
日本のマスメディアで自分を信じるなどのあらゆる「きれいごと」とそっくりだ。
日本で悪評高い「精神論」「根性論」「絆」というもの。
自分の能力を信じればできるとか。
日本で辛い時に必ず出てくるきれいごとは、もしかしたらツァラトゥストラが言ったことかもしれない。

そう思えば日本に自虐史観があるというのがわかる気がする。
ニヒリズムは孤独による落ち込みからはじまっているようだ。
孤独の苦しみは、大事なものを失った悲しみに似ている。
日本は敗戦により自信を喪失し、二度と立ち直らなくなった。

話を戻す

448 :リーダー :NG NG.net
<上>から旅は続き、一度洞窟に戻る。
いろいろ想像が膨らみ、また洞窟から出て旅をする。
しばらく通常の旅をし、愚かな人間への怒りなどをぶちまける。
このとき愚か者の考えていることを良く言えている気がするが
比喩表現なので誰のことなのかとか、背景すらもよくわからない。

しばらくしてツァラトゥストラと同様に「最高を目指す者(釣り上げられた者)」を見かけるようになる。
一人目は王だが卑しい人間ではなく、最高を目指しているからすばらしい、
私(ツァラトゥストラ)の洞窟に招待したいから、行っててくれないかと勧める。
ツァラトゥストラは私を求めている者がいるから行かなければいけないと旅を続ける。
また「最高を目指す者」と出会い、何人かを洞窟に招待する。

しばらくして想像が膨らみ、ある木の下で横になると眠りに落ちる。
すぐに目が覚め、移動し、洞窟の手前で大声で叫ぶ人の声を聴く。
洞窟から中の人が喧嘩しているようだ。

ツァラトゥストラは洞窟に入り、招待した「最高を目指す者」を忘れていたことに気づき、語る。
何をケンカしている。
最高を目指してすばらしいあなたたちが、集まるとケンカするのか、うんぬん。

こうして、洞窟での食事会の話に入る。

449 :リーダー :NG NG.net
招待された「最高を目指す者」たちはツァラトゥストラにさとされ喜ぶ。
その日はおさまったのか、いつのまにやら洞窟の者たちは全員寝ていたようでいきなり朝になった(と私は思った)。

目覚めたツァラトゥストラはかなり悟ったような感じで
ただ苦しむだけではなくなっていた。
(木の下で眠った後あたりから考えることが変わってくる)

一人だけが目覚める静寂の中、洞窟から出て、遠方を見ているようでいろいろ思う。
そしてツァラトゥストラのある気づきと共に太陽が昇る。
するとツァラトゥストラは不思議な光景を見て、何が起きたのかわからない。

だが、ツァラトゥストラは孤独があろうとも気づきを得たので、
ただ苦しいとは思わなくなった。

450 :リーダー :NG NG.net
洞窟で招待客に語った後から、
初めて(じゃないのかもしれないが、ここまでは気づかなかった)
過去に孤独で寂しくて苦しんでいた気持ちがなくなるとせずに
理解したうえで、生きることを肯定するというニーチェの論調が出てきたと思う。

ニーチェはたしかに生きることを肯定する言い方をしている。
ツァラトゥストラに言わせている。

<上>の最初に一言だけ「神は死んだ」と出た。
<下>の後半で「神は死んだ」がいきなり連呼される。

日本では「神は死んだ」は「俺を助けてくれない神なんか死ね」という意味である。

しかし『ツァラトゥストラ』では、明らかに
「神をあてにせず」という言葉を使っている。

「神は死んだ」という意味は、本当は「神なんかに頼り切らないで
自分でよく考えて生きて、つらい気持ちを整理してはどうだ」ということだろう。

私(リーダー)の考えとも似ている部分がある。
宗教をやると、神が完全に助けてくれると思う人が多く、
自分では何もしなくていいと勘違いしている人が、日本、いや、世界中にいる。

神を信じて宗教に入ると、神が全部やってくれると思っている人があまりにも多い。

「神はいない」「神を信じない」と言っている人の言い分は
要約すれば「俺を助けてくれないから信じない」といっているわけである。

451 :リーダー :NG NG.net
神が居ることに対して、私たちはどのような態度で生きるのが良いのか。

「神に半分だけ頼る」ことである。

人類が神を憎むようになったのは、自分を助けてくれないからである。
「棚からぼた餅」で自分は何もしなくても助けてくれると思っている。
人類は自分は何もしなくていいと思ってしまった。
だから神は死ねという意味で『ツァラトゥストラ』「神は死んだ」を使っている。

日本人はそんな浅い意味で「神は死んだ」使いづづけていたのだ。

「神なんて死ねばいいのに」といっているだけである。
自分がたすけてくれないからいない。
あまりにも自分勝手で、調子が良すぎる解釈ではなかろうか。

452 :リーダー :NG NG.net
私たちはどういう態度が良いのか。
自分でちゃんとやって、神を信じている、という態度が良いのだ。

神を信じたら、神がやってくれて自分は全く何もしない。
逆に、自分でやったら神はいない。
なぜそうなるのか。
その神経が理解できない。

これからは、暗い気持ちにならないで人生を過ごすためにこう思うべし。

「神様に半分頼る」あとは自分でやるんですよ。
甘えちゃいけませんよ。
神がいないかのように一人でやって「神様ありがとうございます」

こういう態度が良いのだ。
おわり

453 :リーダー :NG NG.net
私たちはどういう態度が良いのか。
自分でちゃんとやって、神を信じている、という態度が良いのだ。

神を信じたら、神がやってくれて自分は全く何もしない。
逆に、自分でやったら神はいない。
なぜそうなるのか。
その神経が理解できない。

これからは、暗い気持ちにならないで人生を過ごすためにこう思うべし。

「神様に半分頼る」あとは自分でやるんですよ。
甘えちゃいけませんよ。
神がいないかのように一人でやって「神様ありがとうございます」

こういう態度が良いのだ。
おわり

454 :リーダー :NG NG.net
最後、二回入れてしまった

455 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

456 :リーダー :NG NG.net
NHKテキスト『アラビア語講座』2018年度4−9

前にももう一冊NHKテキストアラビア語講座を読んだが
過去スレがどこにあるかわからない。
探してたら30分以上過ぎた(見つからない)

実は前のテキストになかった文法解説が見つかったためこのテキストも買った。
今回のテキストに「条件法」がでていた。
「もし〜ならば」などという言い方が3つある

【表記法】
テレビなどで見かける蛇がのたくった文字は、実は母音記号がないとは前に書いた。
どうやらただ母音記号がないだけで文字はそのままのようだ。
どの母音記号がつくか知っていれば理解できるが、一つの単語表記で複数の発音が考えられる。

一つの単語の蛇がのたくった文字に母音記号を補おうとすると
過去か現在か未来かもわからないという事態になることに気が付いた。

これは困った。母音記号付きで知っていないと推測不可能だ。

457 :リーダー :NG NG.net
前に読んだ本でこれだけは過去スレで見つかった
石垣聡子・金子順子 著『はじめてのアラビア語』ナツメ社(2010)
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1446361536/763-765

たぶん文法に触れてないようなので、少し
【基本3文字】
アラビア語とヘブライ語だけが「3文字」を基本として言葉が作られている。
ほとんどすべての単語は、辞書で調べるとき「3文字」がわかりさえすれば変化がずらっと見つかる。
調べるときに、これならなかなか便利である。

【アラビア語辞書】
上記の便利な「3文字」から探すタイプと
アルファベット順に並ぶタイプと、二種類あるそうだ。
後者のアルファベット順だと、ある単語の変化形を探すのにすごく苦労するという。
これだけで言えば断然、「3文字」で探すほうが便利そうだ。
同じ3文字で作られた単語がずらっと出てくる、こりゃ便利。

【複数形】
名詞も、形容詞も、複数形になると、単数形とは似ても似つかない読み方になる。
ただし、10個くらいのパターンに収まるそうで、たんに単数と複数を比べただけの話だろうか。

【形容詞】
名詞の後ろにつくようだ

【動詞】
最初に来るタイプの文の作り方と、
主語の次にくるタイプの文の作り方とある。

458 :リーダー :NG NG.net
【基本4文字】
いくつか、4文字になる単語もある。
ヘブライ語も同様である。

【双数形】
アジアの言語には双数形(2つを表す)がある。
どこか別のところで知ったが、ヨーロッパでは双数形があったが
ずいぶんと過去の時代になくなったんだそうだ。
日本語には双数形はあったんだろうか。

アラビア語の双数形を知った時、なぜかわからなかったが、
人間の足、手、耳、目などがたいてい二つついているため、特別視されたものと思われる。

459 :リーダー :NG NG.net
【神、アッラーのおかげで】
【アッラーの思し召しがあれば】などというとき

'インシャー・'アッ^ラーフ
という。

言いやすく「インシャラー」ともいう。

【喉を閉める発音】
神の思し召しで「'イン」とか「'」をつけたが、これも発音である。
「あっぁっぁっぁ」と何度もいうと首、喉のあたりで開け閉めするはずである。
これに文字があるのである。

頻繁にでてくるため、いちいち詰まってしまうが、滑らかに言うようにするのが良い。
ちょっと立ち位置を変えると、まっすぐいけないやりかたでもなんとかなるように
言いにくい時は、それでも滑らかになるように、微調節しながら言うといい。
日本人はこの自分で考えて微調節する意識がほとんど育っていないので、慣れるまで意識してやろう。
テレビなどを見たらご丁寧に、やりにくい時は立ち止まってしまうが
これでも滑らかにいけるように、微調節すると慣れること自体が困難、ということはなくなるだろう。

460 :リーダー :NG NG.net
【'ア^ッラーフの言い方】
正しくはこっちだった

'ア^ッラーフ

最初の「'」は今言った通り。
「^ッラ」は、省略したところを補うとわかる。

文字通りなら「アル・ラー」で「THE 神」である。
「アル」は英語の「THE」にあたり「定冠詞」とよぶ。
「ラー」はたしか「太陽文字」といって、この時だけ「アル」発音が変わる。
「ル」の部分を読まず、「ラ=la」の子音を二回繰り返すことになっている。
「ラー」と伸ばすと「laa」とテキストには書いてある。(本によっては横棒もある)
発音を示すと「A llaa」となって、「アル」の「ル」で「^」をつけて省いていると示し、
つながったことを示す。
フランス語のユニゾンとかで丸い線をつなげているとか
音楽記号の「スラ―」と同じである。つながったことを示す。
「'A^llaah」の「h」は声を出さず、喉からかすれて「フ」といい「x」という記号で発音を示す。

よって「'A^llaah」で「'ア^ッラーフ」と読んでいる。

「'インシャ・'ア^ッラーフ」神の思し召しがあれば

461 :リーダー :NG NG.net
【はい、いいえ】
アラビア語で「はい」は「ナ'アム」。「'ア」は喉を閉めて息が詰まるあれである。
「いいえ」はlaaで「ラー」という。
神のラーと同じだ

【貴方は、と言いたいとき】
アンタという
外国語はまれに日本語似ているのもあって面白い。
だがこれに頼ってはならない。そんなに多くはない(笑)

とりあえずこの辺にしておこうか
おわり

462 :リーダー :NG NG.net
岡本祐子/深瀬裕子 編著 シリーズ生涯発達心理学1『エピソードでつかむ 生涯発達心理学』
ミネルヴァ書房(2013)

一生で人は、心がどのように発達するのかの心理学。
若者が、人生に苦しむ理由が、これまでの生活のせいだといっているのは
生涯発達心理学で考えられている。

もちろん、影響がないわけではないというか、影響がなかったらこんなに苦しくないだろう。
学問というものは無駄に難しく言っていて、言葉にすればするほど現実が見えなくなる。

私が思う限り、生活が心が壊れるかどうかに影響するかと言えば、
長期にわたって、どういう思いをするかによる。

おおざっぱに若い時、中年など真ん中、老年とわかれる。
この本を読んだ限り、やっぱり日本の生活でどういう心になるかってことだ。
私の直感では、日本の心理学は外国では役に立たないだろう。

463 :リーダー :NG NG.net
簡単に言って、若い時は「得る時期」、年を取ると「喪失する時期」となる。
40代くらいまでがなんとか体力も充実している。
40代からは成熟し、やっとこの人生の過ごし方に慣れてきた感じ。
私たちの感覚で言っても、落ち着いてくるのかもしれない。
おそらく体力で衰えがほぼ初めて感じられると思うが、私の経験から一時的だと思われる。
なぜなら、体力が落ち始めたばかりでそんなに落ちているわけがないからだ。
これを気にするのは、仕事で体力の限界を無視しているからだろう。
(野生生物としては、体力があるほうが強くて生き残る可能性が高いからもてはやされるが
日本社会はこれを台無しにしようとしている)

年寄りを意識し始めるのは60代からだろうか。
聞いた話では「60代から何でも面倒くさく感じる」とか。
体力の衰えを含め、いろいろ衰えるため「喪失」したように感じる。

こういうと人生は結局、最後は落ちていくのみか、
「老兵は死なず」はお題目なのか、老兵はやっぱり死ぬのかと思う。
だが、何もしなかった場合にすぎない。

通販のように年のせいにして暗くなっているほど儲かる業界が発展しているなど情けない話である。

464 :リーダー :NG NG.net
生活で心が傷つくとかいうのが、アイデンティティにあたる。
簡単に言えば「自分はどうしたいのか」を根本から問うことになる。
人生が自分の手ではどうしようもならないと感じて、自分の人生や
仕事、これからどうしたいかを聞かれると嫌がらせにしか感じない人は、
このアイデンティティを作ることに失敗しているわけである。

それは、(人が死ぬとは限らず、嫌なことばかりで)不幸が重なり、
自分が腹が立つように、うまいぐあいに人生が悪い方向へ進んでいる人。
自分の存在と、世の中を悪くしか考えられなくなっている。
この人たちは、周りから精神論で「お前がふがいないからだ」とかいろいろ言われる。
だがちゃんと嫌なことが起きたからこそ、人生をあきらめるようになった。

さて、周りの人から見たらなんでそんな人がいるのか、甘えてるんじゃないのか。
楽をしようとして、不貞腐れているんじゃないのか。
これは、結果であって、何もできない人生を送らされると、何もしようとしなくなるため、
だんだんと精神的な毒素が溜まり、気もよどんできて、不貞腐れるようになる。
そういうことが長期間続くと楽だから、いつのまにか動く気がなくなるのである。

そうなってしまうのはなぜかと言うと。幼いころの「信頼感」ができていないからで
「不信感」が幼いころから育ってしまったことになる。
だんだんと、人生をさかのぼってきましたね。

465 :リーダー :NG NG.net
親が親として失格、親から見たら自信がないためにうまく子育てができなかった。
すると、子供が親に笑顔を向けようとすると、親は避けてしまう。
ほかにも、親が禁止ばかりしてしまい、子供が何をするのもやめさせ、
親の言うとおりにしかやらせない。
こういうことを幼い子に繰り返すと、人生をあきらめる人間に育つわけである。

「三つ子の魂百まで」というが、心の傷のことである。
良いところなら一生続いたほうがいいけど、心の傷が一生続くと
この子は、一生、自分ではどうしようもない悩みが勝手に噴き出して苦しむわけである。

もちろん、心のケアをしない場合である。

精神病院などいろんなケアが用意されてはいるが、
たいていは専門家の頭が固すぎて、対応は遅れ気味である。

466 :リーダー :NG NG.net
幼いころの親とのコミュニケーションが十分に取られると子供は、
「自分が何かすれば正常な反応がくるとわかっている」と感じたり
「自分が何かすれば、結果が出て、思い通りに行くこともある」と感じたりする。
この感覚が「自分と世の中への信頼感」へとつながる。

これができて初めて、人はためらいなく思いを表現することが出来る。
「信頼感」が十分に育っていないと、何をしても無駄などのよく見かけることを言うようになる。

子供が幼いころ、親が軽く目をそらしただけで、子供の一生が台無しになる。

467 :リーダー :NG NG.net
もっとさかのぼろう。
ハッピーバースデー!
あなたには名前がついて、大人の女性は母親となりました。
生まれてから3年以内に「信頼感」を育てると、自分を信頼する子になる。
たとえば、どうしても消極的で、何を言っても人と打ち解けない、という未来がなくなるかもしれない。
誰とも仲良くするかはわからないが、素直に感情表現できるようになるかもしれない。
自分に自信がなくて、委縮して5ちゃんねらーになる(笑)のは、自分への「信頼感」がない。
だから生まれてから、3年は人格を壊さないようにする必要がある。

そのためには、母親も、子育てに自信がないという状態をなくさないといけない。

悲しいことに、母親が赤ん坊を死なせる事件が多い。
食事を与えないなどしている(ネグレクト)とか、暴行して殺してしまうケースなどがある。
これは、母親が子育てに自信がないからである。

ということは、まだ子供が生まれてくる可能性もないうちから
子育てのときの心構えを学んでおく必要がある。
「えーめんどい」と思う女性の皆さんはこう考えてみてはどうだろうか。

あなたは学生の時に学校か、親から性知識を知ったはずである。
性知識を知っておくのが大事だといって教わっても、あまりにも早すぎて「エロオヤジめ」としか思わなかっただろう。
しかし、子供を産むかもしれないからセックスもするだろうと思うようになると
性知識が「少しは」ないといけないかもしれない、と気づいたのではないだろうか。

男性に失礼だが、異物が女性の大事なところに入るのである。
しかも男性は力が強い。女性から見たら恐怖でしかないのではないだろうか。
この時どうなるか、完全に知るには体験するしかないが、
恐れを小さくするには、知識があったほうが良い。

性知識と似ていて、子育ての知識も早すぎる時期から知っておけばいいのではないだろうか。

468 :リーダー :NG NG.net
細かいことはともかく、母親に子育ての自信がないけど、
旦那には相談できないほど冷酷非情だったり、無関心だったりするため、
母親一人(と思い込ん)で悩み苦しみ、ストレスが溜まっている。
子供が泣いたりすると、腹が立ってしょうがなく、衝動的に殴るんだそうだ。

私がニュース報道で見た限りでは、その殴る力が強すぎたのである。
弱かったらいいわけではないが。

3歳までは精神的な強さの基礎を作るので、しっかりと子育てしたい。
それも、子育てのよく見かける雑誌とかの表面的なことではなく、
子供の心がどういう状態で、何をすれば子供に正常な心を育てられるのか。
人の心がどう動くのか。
人の学習心理はどうなのか。
人は、基本的に、物事を枠でくくったように、分類しながら理解しているとかも、
ほとんどの女性はわかっていないはずである。

大人の世界でも、人を動かすのが上手な人がいる。
海外ドラマで言えば、イケメン俳優のサイモン・ベイカーが「メンタリスト」の主人公をやっている。
この主人公が人を動かすのがとてもうまい。
人を動かすにはこうするんだとわかる。

人を動かすとは、どうすることをいうのか、母親はもっと知るべきだろう。
そして、母親も感情に振り回されても思い直せるくらいには知識を持たないといけない。
何も知らないと、感情を根性で押さえつけるしかなく、ストレスがたまったらつい殴ってしまいそうになるのを無理に押さえつけるしかない。
それは難しいことはわかるはずだ。

469 :リーダー :NG NG.net
腹が立ったらそのまま我慢するしかないのは、何も知らないからである。
人間一人を育てるということがどれほどのことか、考えなければならない。

もっとさかのぼって、
妊娠してから出産までのこと。
「妊娠したら、母性愛に勝手に目覚める」というらしいが、間違っている。
実際には、妊娠につながるエピソードが人によっていろいろあると思うが
そのエピソードのどこかで「ああ、私は母親になる(なった)んだな」と、やっと感じるものだ。

世の中には、勝手に自覚する機械がどこかにあるという言い方が多い。
だが、これは全部間違いである。

自覚を育てるには、これからこうなるんだという気持ちにさせてくれるようなエピソードを
体験していると、どこかで心から感じるのである。
そうならないかぎり、自覚はしない。

日本社会は人を育てるときに「見たから分かっただろう」という機械があると思い込んでいる。
学校教育はそれで成り立っていると言っていい。
それは、人がどうすれば学ぶか、日本社会全体がわかっていないからである。

日本は人を育てることにあまりにも無知なのだ。

470 :リーダー :NG NG.net
専門知識がいくらあっても、専門家が石頭で対応が遅れる。必ずと言っていいほど。
それは、人を育てることが出来ないほど、専門家の心が成熟していないからだ。
あと、学校教育が悪くて、覚えたことを使う感覚も身についていない。
だから、日本中のあらゆる職業の専門家が、石頭で人の話をほとんど聞けないのである。
人を育てるということは、育てられる人の人生が、育て方でだいたい決まること。
知識がいくらあっても、現実に対応できない限り、役に立たないのだ。

471 :リーダー :NG NG.net
「信頼感」が育たなくて、何もできない人間に育った若者が多い。
私の考えでは、もしかしたら、学生の時から、いきなり年寄りの人生を強いられているのかもしれない。

日本社会は年寄りの味方で、若者の敵となる社会システムだが、それ以上に、個人の才能の問題かもしれない。

若い時から、哲学的な雲をつかむような、中国古典のようなあいまいなことがわかると
もしかしたら、若い時から、年寄りの人格形成を求められているのかもしれない。

そうなると、若い時に人間社会で生きていると同時に、人間社会の薄っぺらな感じを受けてしまう。
すると、その若者は、世の中に本質がなく、世界平和や社会をよくする考え方など嘘ではないかと感じるのかもしれない。

これはどうやら、生涯発達心理学では扱われていないのかもしれない。
この本を読む限りでは、社会をよくすることは考えられていない。
ニーチェのような哲学の問題は触れられていない。
私も、そこから、人間の心について言われていることの、すべては触れられていないと思った。

生涯の心理的発達を論じた本だが、日本人の書き方は表面的すぎて、
外国人ほどの細かさがなく、すべての名称のつながりがどうも見えない。
だから、本質まで知るには物足りないが、人がどのように成長するかは、そこそこ具体的になる。

少しだけ介護の話をしよう。

472 :リーダー :NG NG.net
本を読んで思ったのは、理論と実際がまったくつながっていない。
その理由は、介護職員が覚えたことを使えていないということだ。

あと、宇宙一腹が立つ人間である家族を介護するというのは、腹が立ってしょうがない。
これが、介護ストレスがたまり続ける理由だろう。

こういう時は、複数の知識を一気に使うのが良い。

それでは、そろそろ最後にしようか。
生涯発達心理学では「三つ子の魂百まで」だから性格は治らないという考えではない。
辛いことがあったり、生活が詰まらないなどで、自分の嫌なことだけがあるような人生で
人間は、そうなろうとも、どう考えればその中である程度の折り合いをつけて適応できるか、よくよく気持ちを整理することになる。

私の思う限り、つらいこと、苦しいことがありながらも、うまく折り合いをつけて適応し
辛いことが、ただの辛いことではなく、考え方を工夫することで成長する材料にするのが良いと思う。

生涯発達心理学では、死ぬことになろうとも、死を考えることを通して
考え方をまとめて、より成長するものとしている。
だから、年寄りになろうと、私たちはずっと、考え直して、死ぬ15前でも成長し続けるのである。

日本の禅僧で「喝−!」といった状態のまま亡くなったひとがいた。
この人のように、明るく死ぬべきなのだ。

473 :リーダー :NG NG.net
今の日本社会、大人になって二度と勉強しなくなったように見える人がいる。
世界でも、日本人ほど本を読まない人は珍しいという。

人生につらいことはあるが、それすらも学びの糧として成長しよう。

私なら、志半ばで死ぬか
「喝ー!」と言った人のように暗い気持ちを払しょくしながら死にたい。

年寄りになって、明るくいられる人は、熱中できることを持っている人である。
みなさんも、何歳になっても熱中できることをしよう。
健康長寿でいたければ、医療機関に金を使わず、大笑いするほど楽しい生活を送ろう。
死ぬ瞬間まで明るくいられるのが良い死に方ではないか、と私は思っている。

おわり

474 :リーダー :NG NG.net
木曽綾子『人間の愚かさについて』新潮新書(2015)

人間の愚かさと弱さは無限である。

475 :リーダー :NG NG.net
エッセイ。
なんだかキリスト教のシスターが書いている気がした。
すでに80を超えていて、毎日すこしの痛みと付き合っている。
だが、どんな状態でも体がちゃんと動くほうが幸せだという。

人生について、社会問題について、いくつか思うことを書いている。

「メディアの美談の類には用心する」
お坊ちゃまお嬢ちゃま記者の「報道」

メディアは日本がどうなろうと知ったことではなく、
嘘をつこうと、視聴者が誤解しようと関係なく、儲けているようである。

メディアのきれいごとは、現実を知らない戯言である。
これは、人生経験を大して積んでいない引きこもりでも知っている現実である。
それなのに、世の中を多く見てきたメディアが非現実的なきれいごとで、きれいに締めくくる。

私(リーダー)は、マスコミが最も大切にしていることは何かを考えたことがある。
1.視聴率
2.オチで奇麗にまとめる
3.短く書く
4.一喜一憂してもらう事
5つくらい考えていたが、しばらく考えていなかったので失念した。
金が大事なのは当然である。
売れさえすれば簡単に済ませるはず。

私が考えた優先順位に「真実を伝えること」は含まれない。
直感した限りでは、8つくらいマスコミの優先順位が思いつきそうな気がしたが
一応5つである。一つは忘れた。どうせ悪人呼ばわりされるくらいひどいことである。

476 :リーダー :NG NG.net
メディアがなぜ愚かかといえば、無知だからと
日本社会が良くなることなどどうでもいいからである。

「ボランティア活動」
金を渡しさえすれば「あーいいことした」で済んでいるのは「甘ちゃん」である。
ボランティアで貧困国、疫病で苦しむ国にお金を渡すと、最大、ほとんどが盗まれるそうだ。
役人だろうとこっそりちょろまかす人はいるし、現地に移動するときに強盗に襲われるそうだ。

今思えば、この本は
日本社会を支配する愚か者が、無知であることを示していたのかもしれない。

477 :リーダー :NG NG.net
「ルワンダの虐殺、ベルリンの屈辱」
「ルワンダ、南アフリカ」
アフリカは日本のメディアが知ったら気絶するくらい残虐な暴動がある。
木曽綾子はルワンダ、南アメリカなど、アフリカによく仕事で訪れるという。

貧しい人が多いから、お互いに盗みあうらしい。

ボランティアも、現実を踏まえてやらないと、物資とお金が届かないことになりかねない。
衣服などを送った時、集まってくる人たち一人一人に、必要と思うものを渡しては「いけない」。
日本人なら絶対にやろうとするので、ここで無知をさらけ出さないように書いておく。

木曽綾子も個人に必要そうなものをわけて渡していた。
だが「そんなことしていては時間がかかる。適当に配ってくれ」
「でも、それだと必要なものが必要な人にいきわたらないのでは」
「貧しい人々は、お互いに盗みあうか、売るかする。
だから適当でいいから配ってほしい」

この現実を知らないで「アフリカで苦しむ人たちに支援を」とか言っているのは
無知をさらけ出しているようである。
この現実を隠しているメディアは、きれいごとを並べ立てて悦に入っているのかもしれない。

478 :リーダー :NG NG.net
「安心して暮らせる老人などいなくなる」
全く苦しまないなんてことができるはずがない。
人間の体が生きている限り、年を取れば勝手に不調がでてくる。
日本のメディアは「完全に心配しないで生きていける」とテレビで言っている。
それこそが、非現実的なことである。

こんなきれいごとだけをテレビで見せることは、自分で生きていかない人を作ることになる。

【「安心しない」毎日をすごす】
年寄りの認知症発症は「ペスト」が流行っているかのように広がっている。
この認知症については、木曽綾子が考えたところ、どうやらこういうことらしい。
「安心しないで」よく考えてすべてのことにじっくり対応していると、認知症になりにくいのではないか、ということ。

私(リーダー)が感じているのも、認知症の人は
「頭の回転が速くてボケた」という人はいないようである。
「ものすごく頭を使い続けてボケた」というわけではなさそうだ。
ボケた人は、普段から大して頭を使っていないのではないかと思う。

これが、最も金がかからない予防法ではなかろうか。

479 :リーダー :NG NG.net
年寄りが心配する、ずっと自分の足で歩いていたいことについて。

単純なことで、木曽綾子が言うには、歩き続けていればいいようである。

面白い現実がある。
木曽綾子は、右足を骨折し、治ったら今度は左足を複雑骨折した。
体質もあって、左足は治っても松葉づえがいるか、車いすか、と医者に言われた。
所が、彼女はどこか「あまのじゃく」のようで、治る前から歩けるときは歩いたという。
それが良かったのか、松葉づえもなく普通に歩けるようになった。

もしかしたら、医者の言うとおりに安静にしているほうが、歩けなくなるのかもしれない。

だから、あなたが病院のお世話になったとすれば、こうすればいい。
周りが何と言おうと、歩きたければ歩けばいいのである。
日本人なら心配して、痛くないように気を使ってくれるが、これこそが無知な人間の心配である。

「無知だから心配」なのだ。

あなたが今、何を感じたか、私にはわからない。
その私が、あなたが今何を感じたか知りもしないで、アドバイスしてあげたらどうだろうか。
そのアドバイスが実は間違っていて、私が得意げにアドバイスを続けたらどうだろう。
あなたが「違う」と言っても通じない。
殺したくなるほど、うっとおしいはずである。

480 :リーダー :NG NG.net
なんとなく大丈夫と思ったら、自分で動いていいと思われる。
どうせ、他人にはあなたの体調の現実なんてわからない。
医者だって、どんなに知識があっても、目の前のあなたの表情の意味は知らない。

気にしないで「歩きたい」と感じたらすぐ歩けばいい。
骨折したら痛いからじっとしてて、というのは、余計なお世話だ。
歩きたくなるのは、体が欲しているかもしれない。
そういうことこそ、医学の知識にすべきだろう。
聞いたこともないような物質が流れているとか、よく考えたら知らなくてもいいことも多い。


また、科学の現実を言えば、聞いたこともないような物質があるとか言っているのは、
科学的には「仮説」なのだそうだ。
医学では、働きが見つかり、「分泌物」を仮定するらしい。
その働きのある「分泌物」が確かにあるとわかって初めて決まる。

だから、かつて、「ベータカロチン」が「ベータカロテン」に名称変更した。
名前が変わったからなんだっつーの

481 :リーダー :NG NG.net
このくらいにしておこうか。

このように、木曽綾子が「人間の愚かさ」について語る。

人間の愚かさは「無知」なくせに偉そうにアドバイスして
「いや、違います」といっても聞かない、その態度がいけないわけである。
どんなに知識をもってアドバイスしようと、あんたの推測は間違っているんだ。
目を覚ませとマスコミや政治家に言ってやりたい。

それでは、
おわり

482 :リーダー :NG NG.net
これだけ追加

日本社会がなぜ、ふつうに考えて成り立つことが理解されないのか。
どうやら、日本を支配している勢力のボケどもは、自分で考えていないようである。
日本人全体が、よく考えられなくて、言われるままにじっとしている。
社会が狂おうと「政府が助けてくれる」と思っているのが日本人の姿勢である。

自分もその愚かな思考停止をしている可能性がある。

日本人全員が、外国人のように考えて、現実を踏まえて当然のことがわかればいい。
そうすれば、権力者と言えども、日本人をすべて気に入らないからと消すことはできまい。
日本人全員が考え方を改めれば、もしかしたら、政治家のボケ、メディアのアホと言えども、
考えを改めざるを得ないかもしれない。

そういうことで
おわり

483 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

484 :リーダー :NG NG.net
溝手康史『登山者のための法律入門 山の法的トラブルを回避する』
ヤマケイ新書(2018)

おそらくこの本が出版されて間もないころ、
アウトドアグッズの店に置いてあったのを見て、気になっていた。
図書館で借りて読んだ。

思った通り、法律のような知識があると役に立ちそうだ。
山は人間が済む家の周辺と関係なさそうだが、いくらかは関係がある。

距離は遠いが、安全について法律でどう考えればいいかがわかる。

そして、日本人が大嫌いな「責任の所在」のことも考える助けになる

485 :リーダー :NG NG.net
まず、日本の法律用語は、外国語のようなものだという。
「事務」という言葉は、事務所での仕事を意味しない。
法律用語では、「義務ではないこと」をいうらしい。
「義務」と「事務」で対比して覚えておこう。
法律用語は、知っていないといきなり言われてもわからないと思う。

私の感覚では、ニュース番組、会社などが私たちに何かお願いする時は
誰もが法律用語ばかりでしゃべっていると思う。
ニュースは間違いなく法律用語でしゃべっている
(マスコミへの悪評でよく言われるように、そのことを知らなくてもお構いなし。
マスコミは、実は、法律用語をよく間違えて放送している。
知識を得てよく聞いてみよう。
マスコミは知っていればわかる簡単な間違いをひんぱんにしている。
だから視聴者は必ず誤解する)

486 :リーダー :NG NG.net
日本の自然風景について、これは知っていて損はない。
山、川、いろんな地形は、法的に誰かの所有であるということだ。

住んでいるところから遠くて、山奥なんて誰も法的に所有してない気がする。
実際には、所有者がいる。
個人だったり、組織だったり、国だったりする。

だから、アウトドアで自然を利用すること自体が、他人の所有物を使わせてもらっているんだそうだ。

だが心配はいらない。
所有物だから使うなという人はほとんどいない。
ルールがしっかりしているから許してもらっているのではない。
逆で、責任の所在が「雑」だから許されている。

所有者が、状況次第では面倒くさいので普段は何もしないのだ。
だから、みなさんアウトドア愛好者は、問題なく外で遊んでいる。
なので心配はいらない。

何かトラブルがあった時に、簡単に知っていると役に立つという話だ。
それでは「責任がふりかかるかどうか」の話だ

487 :リーダー :NG NG.net
「責任の所在」
サークルとか、同好会で、仲間が集まって登山をしている場合。
トラブルがあって、誰が悪いかという話になったらどうなるか。

「自己責任」である。
日本人が避けてばかりいる自己責任である。
(日本では、自己責任をいうと騒ぐ理由は、自分で考えて行動するのを
国やシステム、組織、家族が邪魔しているからだ)

488 :リーダー :NG NG.net
登山は自然を相手にする。
どうしても、少しはトラブルがある。
だから、それをわかっているので自己責任なのである。

今の日本社会は「自分で何もしなくても安全です」となぜか言い切る。
だから、日本人の大半は問題があると文句ばかり言って、自分では何もしない。
それは、国も悪いところがあって「全部助けてあげるので自分では何もしなくていいですよ」と示しているからである。

ところが、現実は「何もない」ことだけはあり得ない。
自分の足でしっかり立って、転ばないようにするのは「自己責任」なのである。
自分でケガをしないように気を付けることもなく、助けてくれないと怒る人が多い。
「お客様は神様」と思って、何をしても許されると思う人がいる。
それは、企業や国も「自分で何もしなくても安全です」などというからである。

そんなことあるはずないのに、自分で自分の身を守ることを
国や企業がもっとも理解していないため、こうなる。
(あと、法律で考えると個人差がわからなくなる。
個人差を考えても、想像力が働いていないのがわかる
道理で公務員などが命令しかできないわけである)

489 :リーダー :NG NG.net
さっき言ったように、サークルなどで仲間で参加している分には
全員に何の責任もない。

サークルのリーダーをして責任があるかと言っても、ないのである。
自己責任だから、個人の問題までリーダーが良く見ていなくてもいいのである。
「注意義務責任」といって、わかりやすく言うと「気を付けてよく見ておく」くらいの意味のようだ。

「注意義務責任」というのが、よく見ているくらいのかんたんな注意で
私たちが、あまり意識しなくても、痛くならないように工夫したりするのがそうである。
人にぶつからないように、よけるのが難しくてできないという人はいないだろう。
なんとなくやっているが、これを人にやってもらう人はいないだろう。だから自己責任である。

「責任の所在」が発生して法的に争うのは、参加者を募ってイベントをしたりするとき、
学校が登山講習というものをするばあい。

490 :リーダー :NG NG.net
あとは、登山は無理をしないほうが良いということ。

熟練者でも、判断を誤ると事故につながる可能性がある。
だが、しがらみ、かっこつけたり、もうちょっとで到着するからと、急いだりしすると
たいていは事故や遭難になっているそうだ。

老人になって、自分の体力を正しくわかってなくて、事故を起こすこともあるという。
いつの間にか衰えているのに気づかないのだろう。
しばらく確認していないときは気を付けよう。

著者が言うには、登山は楽しむものだ。
ガイドブックに登頂までの時間が書いてあるという。

日本人はすぐに極論に走り、時間内にたどり着けない人は人としての価値がないと思うという。
これは日本人の悪い癖で、現実よりも思い込みを優先しがちである。

法律を知ると言えば
「そんなに知っていないと登山をしてはいけないんですか」
「知らなければ登山をするなというんですか」と、すぐに簡単に済ませようとする。

そういうことはない。
トラブルが起きて、勝手に加害者にされないためにも、簡単に知っておくのは良いと思う。

何も知らなかったため、トラブルが起きてから自分が加害者になることがある。
なんでそうなるのか、簡単に知っておくくらいは良いと思う。

491 :リーダー :NG NG.net
サークルとして友人同士が集まって登山すると、責任問題は生じない。
リーダーをあえて決めないときもあるという。

自然を相手にする登山は、どうなるかわからず、いくらかリスクがある。
わかっていて登山するので、自分だけの問題まで他人がかぶる必要はないのである。

たとえば、「連れて行ってあげる」と言ってしまうと、責任問題が生じる部分が出てくる。
ただみんなで行くとして、リーダーを決めさえしなければいい。
この場合は、自己責任である。

日本では、自己責任や、責任が発生する時の理解が全くと言っていいほどない。
法的に責任が発生する理解はないと言っていい。
日本人は、人が何かした時だけ、ずいぶんと簡単に責任をうるさくいう。
自分は何もしないようにしておびえて暮らし、雑談もしようとしない。

それは、責任が感情的に理解されているからだ。
「悪いことを下かどうか」で考えていて、責任がどのように発生するかを
少しも考えていない。
自分が責任を被るのを過剰に怖がり、逃げようとするのに精いっぱいである。
まるで「責任を取るには死ぬしかない」と思っているかのようである。

このたりの「責任」に対する理解を「健全」なものにするために知っておいて損はないだろう。

492 :リーダー :NG NG.net
最後に
著者はヒマラヤに行ったことがあると言うと、刑務所かどこかの人が
「それは、がんばられましたね」と言われるという。
日本では登山とは「がんばるもの」というイメージがあるそうだ。
私も、本を読んで「登山は楽しくなさそう」と思った。
そう思うのは、日本陸軍か何かが鍛えるために行軍することを考えているのではないだろうか。

あと、日本人は自然への対応と、自分の問題の「自己責任」への対応がへたくそすぎる。
日本社会は信じられないくらい、甘やかされた国である。
解りきったことだけをしていようと、守られる国を作っている。
その範囲内でビジネスをして過剰に儲けている。
客は買い物をするだけで意見も持たない、金の袋と血の袋でしかない。

それで済ませようとしているから、何が起きてもうろたえてしまう。

人生も自然も、これから何が起きるかわからないのに、
何が起きるかわかる社会を作っている。
(ということは、自分で考えて振舞うのを邪魔するわけである。
自分で考えて、日本社会と完全にあっている時だけ認められる。
少しでも違うと見下される)

そういう「わかりやすいこと」だけで生きているから、何が起きても対処できない。
だから、大地震の後のボランティアがまったく動かないのである。

493 :リーダー :NG NG.net
登山で何が起きるかわからないことに対処するのと同じように
街での生活でも対処してほしい。

「自分で自分のことをやらなくても安全ですよ」なんて言っているのは日本だけである。
外国では、自分で自分のことを守れるのが前提で法律が作られている。
日本の理解で外国へ行くと、生きて帰ってこれないかもしれない。
外国と日本のルールは違いすぎるのである。

何が起きても、自分で対処することができるのが、最も問題が少ないのである。

そういえば
日本では「事故防止のために規制をつくる」ということをやらない組織は存在しない。
だが、これは最も効果のないやりかただという。
日本のすべての企業は、注意書きが多すぎる。

494 :リーダー :NG NG.net
今度こそ最後

そういうことなので
日本人は「責任の所在」を考えることもできず、怖がるだけである。
ここで、どういうときに責任が生じるのか、簡単に知ってみてはどうだろうか。

おわり

495 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ

496 :リーダー :NG NG.net
ピーター・ドラッカー『マネジメントII 務め、責任、実践』日経BP社(2008)

現在の世界は、全体が組織のようになっているため、ドラッカーが論じたらしい。

順不同で書いていこう。
【ジニ係数:格差がどれくらいあるか】
ジニ係数とは、0が平等なことを示す。
1が最もひどい格差があることをしめす。
小数点でどれだけの格差があるか示すので、一目瞭然だから
格差があるかどうかは、ここを見ればいい。
1は100の変わりだろう。
1のほうがわかりやすいが少数点なのでわかりにくい?あれ?

【1970年代のジニ係数】当時の格差がどれくらいか?
日本、アメリカ、カナダ、オーストラリア、イギリスが、およそ0.35
西ドイツ、オランダが、およそ0.4
フランス、スウェーデンが、0.5前後

【機械操作者と大工場トップの給料格差】
機械操作者:大工場トップ=1:4(アメリカ)
            =1:3(日本)
            =1:7(ソ連)
            =1:6(中国)

497 :リーダー :NG NG.net
【いちばん合理的な税制はいたってシンプル】
合理的な税制はわかっており、ごくシンプルである。
給与、資産譲渡益など、中身を問わず、
すべての他人所得の税率を一律にし、最高税率を
たとえば全収入の50%に抑えるのだ

【格差があることに最も文句があるのは、おもに中産階級】
少しならアメリカでも格差が縮まっており、それでも文句を垂れるのは
「格差が広がっている」との思い込みがあり、そのままになってしまっている。

なぜ「昨今、ますます格差が広がっている」との思い込みがあるのかは、だいたい以下の理由からくる。

人種差別(もちろん黒人)、インフレ、税制の仕組み
マスコミの報道内容:
大企業のトップは、税引き前の総額を世の中に知らせるためにマスコミに知らせている。
トップが自分の給料総額を知らせるのは、敵企業に見せつけて強く出るために利用しているから。
一般人がそれを見ると、いろいろ考えた結果、税金で半分以上が引かれることを理解する。
税引きした金額が「あえて社会に危害を加える」ために使われていると思い込む。

そういえば、日本では利益という言葉は禁句であり、
「利益」といえば即「搾取」を意味している。

498 :リーダー :NG NG.net
日本以外では、利益の言葉に、搾取ほどの意味がない。
それは、働き方の仕組みからくる。
日本では働く人たちが、アメリカのように転職を繰り返して
すきなことをして収入を得ることなど考えるだけ無駄だからだ。

日本では永久就職が当然みたいに言われ、これに反しようとする日本人がいたら
その日本人は、一生不幸な目に遭うかもしれない。

だが、日本の永久就職のやり方では、働く人々には
憎しみと、恨み、怒りが生み出される。
そのことを政府は知らないうえに、人間を組織に抱え込むことで仕事が亡くならない
ようにしてやっていると思っている始末である。

499 :リーダー :NG NG.net
【社会的責任とはどういうことか?】
ドラッカーは一言で言ってくれた。

「何よりも大切なのは、害を及ぼさないこと」

これが責任である。
私たちは、自分で心掛けることもあるかとおもうが、
他人に向けて、外をまき散らさないように、気を付けるのも必要となる。
ようするに、「周りに害を及ぼさないこと」を社会的責任という。
公益のための責任というのも「周りに害を及ぼさないように意図的に調節すること」をいう。
別の言い方をすれば、このことを「倫理」という。
「倫理道徳」の「倫理」である。
余談だが「道徳」とは「害を及ぼさない」ようにするのにどんな理由があるか、みたいなものだろうか。
中国古典などで人生訓、よりよく生きるための立派な考え方など書いてあるのがそうである。

つまり、あなたが人に迷惑をかけないように気を付けているのが【あなた個人からみた社会的責任】である。
これを、トップは組織を代表して示すわけである。

あなたはもしかしたら、学校でクラブ活動の部長をやったことがあるだろうか。私はない。
何か役職を持つと、組織を代表して、要求をまとめて生徒会や委員会に知らせるはずだ。

そのやり方は、クラブのメンバー全員の言い分をまとめ、全員の言い分ができるだけ通るように要約し、
これをクラブの要求であると、生徒会などに言う事になる。
私はやったことがないが、そうなっているかと思う。

そのクラブが何かして、周りはさまざまな反応を示すわけだ。
ここがよかった、ここがダメだったと。
ダメだったところを調査し、治して解決し、もうそうならないようにする。

そうやって「周りに害を及ぼさない」ようにすることになる。

500 :リーダー :NG NG.net
組織が行動すれば、必ずどこかは「ダメだった」と言われる。
それを調査し、解決するのも組織の社会的責任である。

日本は理解できないかもしれないが、めちゃくちゃすぎるクレームがきたら
当然、聞かなくてよい。
組織を困らせるのが目的の、めちゃくちゃすぎるクレームがあったとしても、
その部分を差し引いて調査する冷静さがあれば、罵詈雑言が無かったらどうだったか考えられる。

私の経験から、困らせるための罵詈雑言は、証言が罵詈雑言ついでに言われているに過ぎない。
罵詈雑言の部分がなければ、ただの証言なのだ。
罵詈雑言の部分は白紙も同然なので、罵詈雑言の形でなく、ふつうに調査すればどうかをよく考えたい。
企業のメンバーの頭の中だけで、罵詈雑言の部分から普通にもどす解釈力、翻訳力が大事だと思っている。
たんなる罵詈雑言から、通常後に翻訳できるかどうかがカギではないかという気がしている。
すべての組織に、それは伝えておきたい。

すべての組織の働く人々は、いちいち感情的にならないようにしてほしい。
客がどれほど罵詈雑言を言おうと関係なく、普通ならどういうことかをよく考えてほしい。

501 :リーダー :NG NG.net
【企業と政府の関係】
企業が、政府の代わりに何かすることは「越権行為」にあたる。
日本もどの国も、政府の代わりをしている企業がある。
その企業は、企業でありながら、性格は官僚的になっていて、政府の一部に見える。
日本でも政府がすべて口出しをしたり、天下り先になったり、
政府の代わりにやっているような企業はいくつかある。
その企業はおそらく戦後に、必要だからと政府から言われて始めた企業だ。

だが、企業が政府の代わりになると越権行為となるらしい。
身の程を弁えない行動になってしまう。

502 :リーダー :NG NG.net
【組織コミュニティに全責任を与える】
だから、組織コミュニティに全責任を与えて、スムーズに行動できるようにする必要がある。
最近言われているリーダーシップで「任せてくれれば」といっているやつか。

現在、リーダーシップ論は「人に任せられるかどうか」が問われると言われる。
これは、いずれ人に任せないといけないと感じる上司からみたら「クソ生意気な下っ端風情が。
いっちょまえに俺に意見しやがって、社会的にも顔面もつぶしてやろうか」くらいに腹を立てているようだ。
「任せてほしい」という部下に腹を立てるのは、上司の不勉強、人の話をちゃんと聞かないのが原因である。

上司は、部下は俺に逆らって言ってるんだと思っているかもしれない。
部下は逆らい半分と、権限を与えられなければ何をしても妨害されるのを理不尽に感じている。
ドラッカーも部下が感じる意見を理解していて、
「全権限を与えなければ、やりようがない」という当然のことである。
だが、日本の組織では、部下に決して、わずかな権限も、責任も与えていない。

ドラッカーがいうのは、実際に行動する人に全責任を与えたほうが
仕事の質が良くなり、行動も早いということ。当然のことである。
組織の行動が遅かったり、何をしても結果がかんばしくないのは
部下に全権と全責任を与えていないからである。
その後始末を上司がしたくないから、与えないのである。
日本は政府から個人まで責任を与えることが許されないので、日本のほとんどの組織の行動が遅いか、
行動しても人の気持ちを無視したようなことしかしていない。
これでは「売り手市場」と言われて当たり前である。

現在の日本でリーダーシップ論を聞いたら、上司に逆らっているとしか思わない。
しかし、ドラッカーの話から見ても、部下のほうがわかっているとしか言いようがない。
上司は人の話をちゃんと聞かず、何を言われたか簡単に決めつけるから腹が立つのだ。

上司も、日本社会や企業の機能不全、それによる癌のような病巣の大量発生に苦しめられて腹が立つのである。
上司が心掛けるべきは、人の話を聞く能力を育てることだ。

503 :リーダー :NG NG.net
【政府は】
現代は世界が組織を柱としたシステムになっている。
日本は「日本株式会社」といってすべてが社員に近い解釈をしている。
そのためか、就職しない人には存在価値がない。

組織を柱とした社会だからこそ、政府は企業のトップマネジメントのように振舞うしかない。
医療、学校、福祉、学術研究、さまざまな分野で問題が大量発生している。
これらの問題を政府が代わりにやっては「いけない」。

ドラッカーがいうように、組織コミュニティに任せるのが良い。
日本の職場でしょっちゅう聞く「任せてほしい」というものだ。
上司は「任せたくない」と言い続けるが、さっき言ったように、任せるほうがいい。

日本の上司が「任せたくない」ことから腹を立てるという極論に至る。
それはなぜかといえば、日本では上司は自分に関係ないこともすべて上司がやらないといけないとしているからだ。

日本の企業と、世の中の関係も同じだ。
企業が問題を起こした場合、代表して謝罪するのは良い。
だがそれ以上に、誰がどうしたかを無視して、すべてをトップが片づけないといけないとするのがいけない。

ドラッカーは、そんなことまで上がやってはいけないと言っている。

関係ないことまで上司やトップがやっていたら、組織の目的のための仕事が一つもできないことになりかねない。
日本はこのあたりを明らかに理解しておらず、
事なかれ主義の人がとにかくペコペコしておくのと同じである。
「ごめんなさい、ぶたないで」と子供が懇願するような態度を、日本ではやらないと首になる。

そんな態度でいれば、いざというときに一人で逃げ出す性格になるだろう。

504 :リーダー :NG NG.net
日本では、本当の意味でいいことをしようとすると
「一人で勝手に死ね」となりやすい。
そうならないようにするためには、ドラッカーがいうようなことをする。
本当の意味で健全に動く組織を作って、
安心して全責任を受けることが出来る社会を作る必要があるだろう。

善いことをしたら、当然、状況が変わっていく。
その時にどうすればいいか、日本人が最も理解していない。

505 :リーダー :NG NG.net
というか、日本人は状況が変わること自体の経験がほとんどない。
だから、状況がかわるとどう振舞えばいいのか知らない。

アニメなどを見ていると「勝手に状況が変わってくれさえすれば、
それに合わせて行動してやるのに」という子供の粋がった気持ちがうかがえる。
これは無理もないことである。

ヒーローがどうやって現れるかは、たしかに状況が変わらなくてもやっていればいい。
だが、やったぶんだけ状況が変わらないと何をしてもヒーローは結果を出せない。
外国でも、日本と同じく変化を恐れるのが普通だろう。
だが、何度も理由を添えて訴えかけると、比較的早く折れているからこそ、
世界では、新しいことを始めるのがスムーズだ。
日本では、この理由さえ分かれば比較的、早めにうなずくようなことはない。

日本では、何か始めたい人から誘われたら「オウム真理教が勧誘してきた」くらいに思っている。
そう思ったら、何が起きてもオウム真理教としか思えなくなっている。
日本では、何かしたい人が訴えかけたら、しばらくすると折れて「しょうがないな」とならない。
どうすれば折れることが出来るかも知らないからだ。

私も人に誘われたり、説得されたりして、しばらくしてしょうがないなと折れた経験が何度かある。
実際に、折れたらどうなるかというと、渋ったのが原因であとあと面倒なことになった。
何をしても状況は変わらないのである。

日本の何がおかしいかと言えば、人の言う事を聞く経験が足りないのだろう。

506 :リーダー :NG NG.net
人の話を聞けて、そうですね、じゃあやってみましょうと
人の言う通りに動く経験が、日本人にはない。

これをやったほうが良いと聞いたその場で、じゃあやってみましょうと
本当にやって見せて、初めて状況は変わるのだと、日本人は知らない。

このことは日本人が世界一理解していないかもしれない。

507 :リーダー :NG NG.net
今までいろんな本を読んできて思ったが
どんなに難しい状況でも、解決策を探せばあるということがわかる。

ドラッカーもこうすればここがこう変わると書いているのだから
一部でもいいから、言うとおりにやってみたらいいと思う。

日本人に足りないのは、実際に変えられた経験からくる自信である。

日本社会はあなたから実践を奪っているので
自分で、良いと思ったことをどんどんやってみてほしい。

【日本は重商主義】
重商主義とは、帝国主義があった国が、帝国主義が終わって、重商主義に代わるそうだ
日本で行われる重商主義は、ドラッカーのころ以前から時代遅れである

【日本は独裁色が濃い】
こういうことも書いていた。

あとは人材の活用、適材適所とか。
どれもこれも、今でいういいリーダーシップ論の内容そっくりである。

それでは、長くなってしまったのでこの辺で
おわり

508 :リーダー :NG NG.net
何森 仁
小沢健一『数学がまるごと8時間でわかる』明日香出版社
(1994年11月28日 初版発行
 2009年2月23日  第108刷発行)

学校で習う算数から数学までを、一通りわかりやすく教えてくれる。
今の理解力でちょっと悩んだのは微分積分のあたりだけだった。
時間をかけたらわかるかもしれない。

冗談を入れて、笑いながら読めるように工夫している。
かなり読みやすかった。
2ページずつ、見開きで一つの話題を説明してくれる。
どこかで、問題を2,3個だけ用意している。
この問題も冗談が含まれる。

色んなものに例えて教えてくれて、誰が読んでもわかりやすいと思う。
さすが108回も刷りなおされただけのことはある。

著者はたぶん、例えのために実験もしたと思う。
実際にやるとこうなりますとか、時々書いてあるから。
これなら微分積分の理解も少し得られると思う。

509 :リーダー :NG NG.net
また、新しく知ったことを。
学校教育は、どうやら理系だけを求めているようである。
数学教師になるまでの進路が書いてあって、どの学部を通過しても
かならず数学が関係ある学部に入学することが条件となる。
大学受験に英語、数学が必ず出てくるのはこのためか。

この進路設定から想像すると、世の中は理系だけを求めている。
人生で楽をしたければ、理数系をやるのがよさそうだ。
社会問題の何がいけないかと言えば、理系をやらないことを止めないことだろう。

理由として考えられるのは、なぜかはっきりと数学が苦手という人がいるためだ。
私が思う限り、数学が苦手な人がいる理由は、教え方が悪いからである。

これまでの学校教育では、出来なくても無視して突き進むからだ。
できない人は自分で何とかしようとはするが、なんとかならないから死ぬまで苦手でいるわけだ。
最初に数学がどこかでわからなくなり、確認できなくなったため、
自分は数学ができないDNAなんだ、とまで思うようになってしまった。

ところで「公文塾」についての本を一冊読んだが、あの本はよかった。
公文式がどういうものかを知れば、数学が苦手なあなたでもほぼ確実に得意に慣れるとわかる。

だから私が知る知識では、90何%の人が数学ができるようになる。

実は学習というものは、やり方を工夫すればほとんどの人ができるようになる。
それに希望を持って、あなたも勉強をやり直してみてはどうだろうか。
だんだんわかってきている、と思えるようになれば、自分でやるようになるはずだ。

510 :リーダー :NG NG.net
ここではちょっとだけいうが
すごく難しいことを最初からするのではなく、
すごく易しいことからプチプチつぶしていくのがいい。
できないと思い込んでしまう理由は、出来る範囲も確認していないためである。
実はあなたはできることまで「できない」といっているのだ。
まずは、易しい問題から始め、ちょっと悩むと思ったらそこがあなたのレベルと思っていい。
意外と低いところで悩むはずだが、これまでと違って確認ができるはずである。
確認さえできれば、あなたは「自分ならこれくらいはできる」と確信をもって言えるようになる。
そう言える範囲を広げていけば、自信がつくだろう。

自信とは、やってからつくものである。
自信を持ってやれと言われたら嘘っぱちだと思え。

それでは、おわり

511 :リーダー :NG NG.net
森田季節『てらめぐりぶ?』イラストとマンガ●風華チルヲ 好白出版(2016)

「えっ
まだ行くんですか・・・」
ずーん・・・・

寺関係しか興味がない部長は「別当」と呼ばれ(呼ばせているから)
普段、全然怖くない仏像を彫る。
いつもにこにこ何を考えているかわからない副部長は「権別当」と呼ばせる。
「ごんのべっとう」と読む。
同学年の新入部員は修行僧みたいにストイック。

主人公の笠縫香深(かさぬい・かふか)は帰宅部入部希望者である。
できるだけ楽をして学校生活を送ろうとする、健全な女子高生だ。

別当が「かふかんも気に入るよ!」だったか言っていた。
「変なあだ名をつけられた!」

まあ文化部だからそれなりに楽できるだろう。

甘かった。

512 :リーダー :NG NG.net
『tてらめぐりぶ?』は一冊限りだと思うが
多くのお寺の名前が出てくる。
しかもかなりマニアック。

この本を読めば、寺を楽しむ人の視点がなんとなく感じられるらしい。

513 :リーダー :NG NG.net
イラストの部分は、イラストだけではなくマンガになっている。
コマ割り、セリフがある。

ギャグと寺巡りの日常で、なかなか笑えたのでお勧めできる。

「次はこのお寺に行くよー」
もう執念である

おわり

514 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
これだけ追加したい

イラストとマンガ●風華チルヲ
前に「アットホームロマンス」というコミックを読んだとこのスレに書いた。
この作者でもある

おわり

515 :リーダー :NG NG.net
あれ。下げてた?

516 :リーダー :NG NG.net
山田孝子・小西賢吾『比較でとらえる世界の諸相』英明企画編集(2017)

比較文化学。
別名、異文化理解。
日本と世界のさまざまな民族の文化、価値観を比較する。
まったく異質の他人がどういう人か理解すれば、人は寛容になれると思う。

ロシアのサハという地域で、企業の経済的な活動が入り込む。
世界各地で、企業は全く同じものを売り飛ばし、必要もないのに商品を押し付ける。
それに抵抗するかのように、サハのシャーマンを復活させようとしている。
写真があるが、伝統の恰好をしていて、藁かのみを着ている。

そこから思うのは、資本主義やマルクス主義などの経済的な金儲け主義が
それぞれの民族の伝統を完全につぶすことはないのかもしれない。

517 :リーダー :NG NG.net
私個人としては、日本の政治家、正確が官僚になった大企業などが人を苦しめるしかできない神経回路が
どこにあるのか、ヒントになる気がしている。
今のところ、私にとっては、日本の経済大プロジェクトはどういう神経をして
いらないものを押し付けるのか、よくわからない。

マスコミや政治家、企業、公務員、店員、家族などが思考停止している。
普通に考えていればわかることを、わざわざ変えて自分で苦しんでいる組織が多い。
わざと論理性と多様性を抹殺する人々の神経にも、地域や生活の価値観があるはずである。

自分で苦しんでいながら、その苦しみは全部人のせいにして激怒する。
その神経が知りたい。

私が思うに、わざとおかしいことをするのは思考である。
いったいどんな価値観でわざとおかしいことができるのか。
その文化、価値観が根底にあるわけである。

今までどこを調べれば根底の価値観、文化がわかるか見当もつかなかったが
比較文化がヒントになるかもしれない。

518 :リーダー :NG NG.net
著者の一人が、チベットのシャルコク地方を訪れた。
風景を見たら日本の田舎にしか見えない。(写真アリ)
だが、住んでいる人はチベットの習慣で生きている。

たとえば、人の死は平気なようである。
それはなぜかといえば、チベットの有名な「死者の書」の価値観があるからだとか。

死とは、次のステージへ行く準備だという価値観が徹底しているようで
ぜんぜん悲しくないようである

日本を含め、世界は人の死を悲しむが
どうせ自殺するくらい落ち込むんだから、こういう価値観を知って
悲しみすぎないようにするのもいいのではないかと思う

519 :リーダー :NG NG.net
ただ、悲しみすぎないことを企業が休日を与えない言い訳にすると
企業が悪にしか見えないだろう。

比較文化とはどんな感じか、入り口を示しただけなのでまだまだだが
日本人はもうちょっと他人を理解すべきだと思う。

こういう話を聞いたことがある。
欧米は人を恨んだりして、どこまでも攻撃しようとしたとき、
「しまった」と思って辞める理由があるという。
その理由が聖書にあるような、人生の指針が頭に入っているから。
それを現場で思い出し、ふと思うらしい「あ、しまった、こんなことはだめだと」

一方、日本はどうかというと、どこまでも攻撃をするのをやめる理由がないという。
理由は、人生の指針になるような言葉をほとんど知らないからだ。
知っていても、現実の生活に当てはめる人はいない。

だから、日本人の場合、人を恨めば一生、攻撃し続けようとする可能性が高い。

そういうことをなくすためにも、多様な価値観を知るべきではないだろうか。

なぜ、人は永遠に恨み続けられるか?
多様な価値観を知らず、自分の苦しみを絶対化し、心が狭くなって、小心者になるだからではないだろうか。

520 :リーダー :NG NG.net
日本人はあり得ないほど潔癖である。
日本で「汚れている」と思っているものを完全排除しようとしている。
その結果、手に入れたのは、慢性の体調不良である。
だから、日本人は世界から見て無知なのかもしれない。

経済活動で多様性を抹殺している現状は、心が不健康だと言える。
そして体も不健康になってしまったのだ。

日本人は自分の価値観が絶対ではないことを知るべきだと思う。
しょうもない理由で怒って人を殺しているのだから。
他人を理解しないことで、狭い価値観で「俺様」「お嬢様」になってしまっている。

ちょっとの違いを知ることで、悩んだときにただ傷ついたり、
怒ったりしない価値観を手に入れよう。
本当に困った時こそ、どうするか考えられる価値観を持ってほしい。

そういうことで
人生、もうちょっと力を抜いてもいいのではないだろうか。
何事も、正しくないと許さないという人生訓などないのだから。

おわり

521 :リーダー :NG NG.net
大木 健 著『整理と解説 フランス文法』白水社(1983)

やっぱりフランス語はちょっと難しく感じる。
前に読んだ「早わかり」シリーズは、書かれていることが少なかった。
今回の本で詳しいことを知った。

開くと左ページに黒板の板書のようにまとめ。
右ページで解説。

さっそく独特の文法を紹介する。

522 :リーダー :NG NG.net
【代名詞】
フランス語の特徴は、代名詞の使い方がややこしい。
しかも重複して感じるくらいよく似ている。

ところがなぜか書かれていることは区別できるらしい。

【特定の状況でしか使わない文法】
面白いのが、小説のように、セリフになっていないところで描写している部分がある。
この文章のことを「地の文」というらしい。
「地の文だけでしか使わない文法」というのが存在している。

他にも「この場合くらいしか使わない」という文法がある。
このため、書かれていることが区別できるのかもしれない。

【補語人称代名詞の直接代名詞、間接代名詞】
直接、間接に示す代名詞の選択が限られるケースがある。
この文法以外で書かれた場合と区別がつくらしい。

たとえば「vous」は直接に示すときは使わない。
こういう文法がありながら、現実に書かれる時は「vous vous」と続く。
一つ目、二つ目で書かれる理由が違う。

【再帰代名詞】
ヨーロッパの言語は再帰表現(自分に対して自分で何かをするというとき)で代名詞が二度使われることがある。
「私は、私に」といちいち書くことになっている。
「私は顔を洗う」というとき、フランス語でここに書けないから無理に日本語にすると
「私は私に顔を洗う」みたいに言う。
いくら日本語で不自然だからそういうことを言う奴はキチガイに決まっていると言ったところで
外国語だ、これに慣れるしかないw

523 :リーダー :NG NG.net
【特定の動詞が、特定の文法のみを要請する】
「この動詞なら、この文法で書くことになっています。
他の文法も当てはまるように見えても、そう言いません」ということ。

世界の言語のうち、いくつかは、「たった一つの単語だけに適用される文法」なんてものがある。
しかも、いやらしいことに、こういう単語に限って日常的に何度も出てくるのである。
楽はできないのだ

524 :リーダー :NG NG.net
【代名詞の複雑さ】
重複しそうなくらいに似たものばかりなのに、区別はつくようにしてある。

現実には、「フランス語は誤訳しやすい」と聞いたことがある。
かの有名なノストラダムスの大予言が読み取れないのは、誤訳している可能性が常に付きまとっているためであった。
似ていても区別はつけられるのだが、専門家はとっさに何を言っているか、すぐには区別はほとんど付けられない。
専門家というものはどんなに簡単なことでも、理解以前の、意味不明なことがあると認識するだけでも長期間を要する。
しかも日常の表現でこのざまである。
ノストラダムスの予言というものは、本当は「できるだけわからないように」書かれたものである。
日常語でも誤解してばかりの専門家に、わかるわけがないのであった。

525 :リーダー :NG NG.net
【半過去、大過去】
英語で「過去に終わって今も効果が続いている」といったり
「そのことを過去にしただけ」などという説明が、完了形として出てくる。
これに似た意味だと思ってもいい。

【条件法】
この半過去、大過去が「もし」などと訳が分からないことを言い出すこともある。
「事実に反した、もしも」という場合なのは同じだ。

だが、時制があったりなかったりする。
これはフランス語と日本語だけかもしれない。
日本語は(というか人間のほうが)、可能な限りあいまいに話そうとする。
「もしも」と言う場合、仮定にしておきたいことが
過去のことか、未来のことか示さない場合がある。
「もしも〜なら、こうだろう」というときに過去か未来かフランス語で示せるし、示さないこともある。
日本語は(人間の希望により)できるだけ示さないようにしている。
未確認だが、日本語でも細かい違いは示せるだろう。
外国語の翻訳をやってのける時点で、出来ると思っている。
日本語文法に存在しないものは書けないが、哲学書の日本語訳は案外できているようだ。
つまり、日本人に示す気がないだけである。
これが理由で、私は、日本人にも「細かい違いを意識せよ」と言っている。

526 :リーダー :NG NG.net
【文字について】
英語で見かけるアルファベットと、若干の違う文字がある。「oe」がくっついたようなものとか。
アルファベットに似た文字には、アクセントのような記号が何種類かついている。
この記号はアクセントではなく、文字の一部だと思っていい。
発音に影響はない。

【じゃあ、アクセントは?】
フランス語に「アクサン」はない。
「e」の読み方が複数ある。「エ」か「eの逆さま発音記号」か「無音」になる。
「e」にアクサンがつくと「エ」になるのでわかりやすい。

【半過去、大過去の接続法】
普段は完了や過去と思っていい。

ただ、接続法は、初心者ならあまり気にしなくていいようだ。
会話にはほとんど使われない。

そのルールは、半過去は「現在」の変わりで、現在の意味、
大過去は「過去」の代わりで過去の意味になる。

英文法の知識で言うが、違いを示しておく。
ただ現在、過去の意味にしろと言われたら、ただ過去にやったことがある、
現在やっている、とだけ言えば良い。
英語で「過去、または現在、やる習慣があって、繰り返しやっていた」という意味もあると思う。
半過去で書いて、普通の現在形の訳、
大過去で書いて、普通の過去形の訳、ということである。

英語を少しでも覚えている人は、英語との違いに慣れよう。

527 :リーダー :NG NG.net
接続法の説明はそういうことだ。
これと、「過去にやった結果が今も続いている」が完了形だ。
ややこしくなるか。

「本を置いた」は、日本語では区別がつかない。
外国語では完了形で書くと「本は今もそこに置いてある」となる。
接続法で書くと、「本を置いたが、今はそこにはない」もしくは「そう思うだけ」という意味だ。
そこから、どの言語でも接続法だと、丁寧になるようだ。
すみませんが、こうしたいんですが、お願いできますかというニュアンスがある。
「すみません」「おねがいします」と言ってなくてもこの丁寧さが出る。
それなのに、現実に外国人は「すみません」も「おねがいします」もちゃんと言うのですごく丁寧なのだ。
できるだけ言わないようにするか、
立場の強い人間が無理やり言わせる日本人とは違う。

日本では体育会系の先輩が絶対的に偉いという価値観にすぎない。
だが、外国では目の前の人間がテロリストかもしれないし、連続殺人犯かもしれない。
自分は無害ですよ、普通ですよと示すために、外国ではちゃんと丁寧にゼロから説明する。

そのうえで、わかりきったことを省いているわけである。

日本では意味もなく、できるだけ多くを省いていて、4文字以下で話そうとしているし、
できれば口を動かしたくない。
これと、外国人が短く言うときは、考え方が違う。

話がそれた。

528 :リーダー :NG NG.net
【フランス語の音はキレイか?】
何も知らない人も、フランス語をしゃべるのを聞けば
「なぜかキレイ」と感じる。
「m」の音が柔らかいからという音声分析の理由もある。

【子音の発音】
ほとんど問題ないと思うが、「r」の発音が、のどちんこを震えさせる。
日本ではあまりイメージが良くないのか、痰を吐くとき「かーっぺ」と聞こえてしまう。
だが、フランスではきれいなのだ。
ちなみにドイツの「r」もやり方が同じだが、結果として聞こえる音が全然違う。

フランス語が「がーっぺ」の「が」に聞こえているが、
ドイツ語はのどちんこで「ら」を言おうとする、ずいぶんと器用な言い方である。
ドイツ人の発音を聞けば「ら」と言っているとしか聞こえない。
フランスは「が」か「は」である。そこがちがう。

それでも、フランスではきれいということになっている。
日本人は「がーっぺ」と痰を吐くイメージくらいしかないかもしれない。
だが、「そういうもの」と慣れるしかない。

慣れてから、理由を考えるともしかしたら見つかるかもしれない。

その理由を知れば、あなたはのどちんこ異文化理解をしたのかもしれない。

529 :リーダー :NG NG.net
そういう発音があるのが嫌だと言うと、異文化理解を拒否していることになるだろう。

異文化だから、それをいますぐ善いと思え、というのは難しい。
だが、時間をかければ慣れる。

外国語がこういう音をしているのは仕方がないことである。
まずはこの文字で、この音だということに慣れること。
日本人感覚で汚く見えても、フランスではきれいなのである。
それをこき下ろすのは大人げない。

解っていても慣れないのは、慣れるのに時間がかかるからである。
できるだけ多くの時間を外国語に触れておくこと。
あなたがダラダラしていても日本語を流ちょうに話せるように、
同じ感覚でフランス語も言えるように、自分の感覚を慣らしておく。
それができれば、今までさんざん望んでいてできなかったこともできる。
スッと言葉が出てくるケースが、少しずつ増えていくのである。
そのためには、自分がダラダラと思ったことでも、即興で外国語にする習慣をつける。
簡単なことだけでもいいから、自分が言いたいことに近いフランス語、他の言語にしてみる。
常にぎこちないと思う。
すぐに思い出せず、だらだら思いついたことをそんなにしっかり訳しようとすると、
案外やりづらい。

これを克服するヒントを経験から言えば、
ふと思ったことをパッと外国語に直すための準備をするのが良い。

530 :リーダー :NG NG.net
思いついた、パッと外国語に直した、あっていた、ということを繰り返すと退屈せずに頭に残せる。
丸暗記とは全然違うやり方だと思うが、学校での勉強法が間違っていたからである。
教師も楽ができるから、いい加減に教えている。

そうやっていろいろと、覚えやすくなる工夫をしてみると、きっと退屈しないと思う。
それと並行してであれば、丸暗記もしていい。
これまでの学校勉強法がダメな理由は丸暗記「だけ」だったからだ。

私も覚えていられなくて困っている。
どうやるか、その結果は簡単だった。
自分が覚えやすいやり方で覚えればよかったのである。
「丸暗記だけをしろ」というのが学校だが、あなたは覚えやすいと思う方法でやればいいのだ。
そして、たった今覚えたことを、できるだけ使ってみることだ。
教科書のような例文を作らず、いきなり言いたいことを外国語で言うくらいでいればいい。
あなたは今日本語でつぶやけるのだから、その気軽な感覚のまま外国語に直す練習をするのだ。

531 :リーダー :NG NG.net
最後に
『かぐや様は告らせたい』でフランス語を話すシーンが出てくる話で終わる。

会長がディスられたので、かぐやはディスった女に、フランス語で罵った。
思いつく限りのひどい罵詈雑言で女を攻め立てた。

ところで、かぐやたち金持ち、裕福、優秀な人たちは、
フランス語が話せないなんて考えられない社会に生きている。
会長は話せないのを隠し通そうと必死で、わかっているふりをしたが
それが良かった部分もあるのが、ここの面白シーンである。

会長はフランス語が実は話せないと解ったら恥さらしになってしまうから
必死だったのだ。金持ちの社交界は大変だ。
みなさん、そういう世界に生きていないのなら、そこだけはまあよかったのではありませんか
理解できないと見下される社会だと、次合うまでに詰め込まないといけない。
それができるという上流社会は、底辺社会をなめているとしか思えないがw

底辺社会は勉強自体が出来なくて悩む、まさに別世界の人たちだろうw

だが、上流社会はたまたま「勉強方法が良くて」上流に慣れたのである。
実は勉強方法が良いから成績がアップしたので、勉強方法が悪くて勉強できる人は
理解力に頭を使う余裕はない。
記憶したことを思い出すだけで頭の容量を使い切るだろう。
考えるなんてことはできない。
日本の表社会はそういう丸暗記の人だけの社会である。

そうではない勉強法を、わたしも考えているので、学校とはやり方が違う。

532 :リーダー :NG NG.net
私の知る限り、学校と違うほうが比較的覚えやすい学び方だと思う。
本当にいい学び方の本を何冊か見て、学校と同じ、という本は全くなかった。
例えば、外国語習得方法は、
日本の「読解しか考えていない学校」でやっているやりかたを反対にするといい。
細かいことを抜きに言うと、日本の学校のやり方の順番を逆にすると覚えやすいやり方になる。

みなさんも、自分で工夫して、いろいろなことを理解していってほしい。
学校よりもいい方法とは、どうやら自分なりに覚えやすい覚え方のようである。
覚えたばかりでもいいから、いきなり実践のように使ってみると理解力も増す。
それを、難しいことだけするのではなく、易しいことでもやってみるといい。
勉強は無駄に複雑だが、現実はそのすべてを必ず実践するわけではないのだ。
場合によって使う知識が違う。
もしあなたが、全部が難しすぎて勉強もできないと思っているなら、あなたのやり方は間違っているかもしれない。
一つもわからないなんてあるはずがないのだ。
やり方が悪いのと、自分に自信が無さすぎるのだ。
やりやすいやり方で勉強し、わかるようになってくれば、自信がついてくる。

そういうことで
何一つわからない状態から脱しよう
おわり

533 :リーダー :NG NG.net
『かぐや様は告らせたい』で何が言いたかったか抜けた。
これだけ。

何が言いたかったかというと、フランス語での罵詈雑言のところである。
罵詈雑言も言えるほど外国語ができるというのは、すごいことである。
「あなたは英語でケンカできますか」
教科書に載っていたことを探している頭で、外国語をスムーズに話すなど不可能である。

覚えたばかりの言葉でケンカまでするとなると、暗記だけしているようではできないのである。

これは、ふつうに人に話そうとしたことがあれば感じられる。
どこかで見たから思い出せるようでは、話せないのである。
その言葉を使って、言葉のルールに従って、高速で何か言うわけである。
それができないと、外国語で「ケンカ」「議論」だけでなくほとんどの会話ができない。

かぐや様の罵詈雑言シーンのように、言いたいことを外国語に直せるのが良いということである。
罵詈雑言を言ってもいいという意味ではない。
罵詈雑言に関しては、日本よりも世界のほうが許されない。

だから、外国語で言いたいことを長く語れるようになってほしい。
そう思って、『かぐや様は告らせたい』を出してみた。

今度こそ
おわり

534 :リーダー :NG NG.net
フレッシュフィールズブルックハウスデリンガー法律事務所[編]
『よくわかる独禁法グローバル実務』商事法務(2015)

独立禁止法でどうすればいいかQ&A.
どこから見てもいい本だが、全然知らないから最初から読んだ。

日本の独禁法は戦後に独自で作られ、ガラバゴス化した。
日本のやることは普通に考えて実行すればいいものを、余計なものをつけたり、
勝手にはずしたりする。
日本独自の法律もある。
世界との違いを修正して考えれば済むことなのでグローバル実務が必要になる。

535 :リーダー :NG NG.net
独禁法で参考になるのはEUである。
ドイツの独禁法も「EU→ドイツ→日本」と移っていったらしい。
EUからアメリカにも移っている。

【独占禁止法とは何か?】
独占禁止法は、企業が商品を売るときにどこまでが売る企業の自由にできるか。
売る企業の活動から、直接的、間接的に害を受けた者との関係などを扱う。

ヨーロッパが「カルテル」というどこかで聞いたことを取り締まる法律である。
カルテルは欧米では問答無用の犯罪行為とされ、場合によっての妥協はなさそうである。
ただ、「行為のどこまでがよくて、どこまでがカルテルにあたるか」でややこしくなる。

ある行為がカルテルに当たるかどうかを決める基準の決め方が少ないようである。
それを許されようとするかのように、日本の法規制は、区別しなければいけない部分などの
肝心なところが欠けているようである。

「独占禁止法」の本を探し始めて見つけると、「競争法」と「経済法」という言葉のほうが目立つ。
どうやら経済法の独占禁止法、競争法の中の独占禁止法、らしい?
まだ確かめていないので知らない。
独占、搾取、差別、一方的な支配については独占禁止法が扱っているようである。

みなさんが、日常から、悪い行為のことを「差別」「搾取」「独占」「支配」
「地位の維持」などといっているが、法律用語では独占禁止法に当たるようだ。
(前に読んだ本の感想でも書いたが、法律用語は、私たちが日常でいう意味と全く違う。
外国語のように意味を勝手に変えられていて、その意味を知らないで使うと、ネット上ならこき下ろされる可能性がある)

536 :リーダー :NG NG.net
【カルテル?どこかできいたなという人へ】
カルテルは、過去にテレビでちらほら見かけたことがあった。
そこから私は「なんか知らんが悪いことらしい」というイメージを持っていた。
カルテルとは、
「誰にも知らせずに価格を決めること」と「誰にもしらせずにこっそりと
企業間で情報交換をして、一方的な市場独占をすること」らしい。
その何がいけないのかというと、経済で当たり前の「競争」が妨害されるのがいけないらしい。

ある企業がどこにも商品を置いたりして、日本中でその商品しか売れない。
同業他社は何もできないので悪い。
そのための情報交換とみなされては経営者が犯罪者になる。

「価格交渉」とは。
商品の価格を高いままで維持しようとする工作のことらしい。
きっと居酒屋、料亭などで、こっそりと交渉した連中だけの販売をして、市場を独占しようとするわけだ。
商品の価格は最低限の価格水準を上げようと企む輩がいる。
高くしたがる理由は、個人的に儲けるだけではなく、法律の理由が書かれていた。
こういう感じの行為をカルテルという。
それを防ぐために独占禁止法でいろいろ決めているらしい。

537 :リーダー :NG NG.net
【日本の裁判までの日数はなぜ長い?】
EUは至れり尽くせりというくらい経営者を守る仕組みができていて、
日本の数倍良いかもしれない。
日本で裁判が猛烈に長いのは「何か手続き上でたくさんありすぎるのか」とか
「きっと忙しすぎて時間がかかるんだろう」と思う人が多いと思う。
実際には、非効率なだけであった。

【オランダ】
オランダの裁判が非常に効率がいい。
仮処分、仮差押のことはオランダで決めるほうが良いと言われているらしい。

【どの国で処理するか?】
外国との取引で独占禁止法での処理をする場合は、どの国に報告するかで
やりやすさが雲泥の差になる。

538 :リーダー :NG NG.net
どの国で処理するかは、企業のメリットも考えなければいけない。

【先進国と新興国】
独禁法の考え方の違いが、先進国、新興国でざっくりとわけられるようだ。
日本も先進国の考え方を基礎としていて、この考え方の国が地球上に多いと思う。
ところが新興国では、考え方が違う部分が多く、そこをわかっていないと
新興国との処分で日本企業が不利にさせられる。
残念ながら、国によって微妙に違うルールをよく考えて対応するしかなさそうだ。

だから、独禁法での手続きの際、最初にどの国に報告するかは気を付けなければならない。

そういうややこしいことを抜きにして、普段はどうするかというと
EUに報告すればいいそうだ。
だが、この報告の時点で結局は自分でよく考えるしかない。
報告してしまったらそれで処理されて、実は他の国のほうが良かったと言っても
取り消しなどでまた法律がかかわってくる。

たしか「命令等取消訴訟」という。
普通に処理を進めるのを、なかったことにするのに法律がある。
最初からちゃんと考えておくしかない。
「やっぱ変えます」といって「じゃあやめましょう」と、今ここで言えばできるというものではない。
法律の理屈があり、手続きがあり、上の言葉にあるように訴訟しないといけないのだろう。

539 :リーダー :NG NG.net
【当局】
マスコミでも「当局」という言葉を聞くが、おそらく違う。
「当局」は国で独占禁止法を扱うトップ組織のことらしい。
それにあたるのは、日本の場合はどうやら「公正取引委員会」のようである。
日本で独禁法を根拠に処理するなら、公正取引委員会がでてくる。
ニュースで「公正取引委員会」「当局」をしょっちゅう聞くが、こういうものだったのだ。

【競争を促す】
独占禁止法とは、競争を促す法律であった。
価格の交渉、たしか「価格の協定」だった。
価格協定と、陰で情報交換をすることで、同業他社が何もできなくなって
競争がなくなるのをいけないとしている。

競争がなくなる行為をカルテルといって、欧米では問答無用で犯罪としている。
日本は問答アリみたいなものなのか、工夫すれば逃げおおせる輩もいる気がする。
そのため、日本の法制度は、世界と比べて過剰に複雑になっている。
独占禁止法でいえばEUはとても効率が良い。
EUは言っていることがとてもすっきりしていて、非常にわかりやすい。
至れり尽くせりで悪いことになるのを防いでくれる。

日本はあちこちで勝手に変えてあり、言い訳するかのように条件を付けている。
これなら、自分だけ得をするような輩は工夫すればいくらでも独占できると、私は感じた。

【そういうことで、今後はどうか】
新しい仕組みというものは、扱われ始めて、しばらくすると
自然と行動が同じになり、効率化してくる。
日本は実は、独占禁止法で裁く手順は、実際の行動が決まらない状態でまだ確立できていないそうだ。
不慣れで、効率のいい動き方をまだ発見していない。
だから、EUから学ぶことで、現在足りないところはくわえられるかもしれない。
現在猛烈に効率が悪い部分が、良くなっていく可能性はある。

540 :リーダー :NG NG.net
さっきも書いたように、日本の裁判手続きに時間がかかりすぎるのは
忙しいからではなく、ただ効率が悪いだけであった。
(効率が悪ければ、余裕がなくなる)

日本はいい方法をまずは取り入れることから始めればいいのではないかと思う。
変えるな。解釈しなくていい。解釈を新システムに取り入れなくていい。
令和の名前のように、ろくなことにならない。
取り入れるだけで社会がよくなると思う。

【おわり】

541 :リーダー :NG NG.net
訂正
さっきも書いたように、日本の裁判手続きに時間がかかりすぎるのは
忙しいからではなく、ただ効率が悪いだけであった。



さっきも書いたように、日本の裁判手続きに時間がかかりすぎるのは
忙しいからではなく、やり方が悪いだけであった。

【この本を読もうと思ったきっかけ】
1.なんで日本の裁判は長すぎるのか。
2.不当に「お前だけ悪い、お前だけダメ」と言うのがなぜ許されるのか

これが気になったからだった。

おわり

542 :リーダー :NG NG.net
深見東州『日本霊界風土記 伊勢』たちばな出版(平成18年)

ちゃんと効果が出る参拝方法
神様に対する姿勢
なぜ正五九なのか
「天照大神の五徳」とは?
天照大神様はアピールの神様
アピールすると物事は動く
うまくいかなくて困っている人は積極的にアピールをしよう

543 :リーダー :NG NG.net
深見東州氏の本は、講義で口頭で話す形になっているので、2時間くらいで読める。
気軽に読める本である。

544 :リーダー :NG NG.net
誤解させそうなので言いなおす

深見東州氏の本は口頭の講義をまとめた本もある

545 :リーダー :NG NG.net
西井和弥 著『瞬訳 中国語ー初級編ー』アスク出版(2009)

この本は日中の訳をパッと言えるようにするためにできた。
中国語コロケーションの短いもの。
私は全く知らないから知るために読み始めたので「こういうのか」と思うだけにとどめた。
ほんのちょっとだけ、反対向きの中日が思いついた。

話題ごとに分類してある。
たとえば「自然」という話題がある。
左ページに「ROUND 5」
右ページに日本語10個並び、一つは「雲と虹」。
めくると(左ページに)中国語10個並び「雲彩 和 彩虹」とある。
「自然」のコロケーションの終わりに「腕試し」で例文の穴埋め問題。
覚えたばかりのコロケーションを埋めてください。
これはやらなかった。

「腕試し」の次にコラム「学びのヒント5」などとして、学び方を書く。
これを繰り返している。

次にコロケーションのフレーズ集。
最後に中日単語集。

546 :リーダー :NG NG.net
岡山県立図書館にあるのと同じ本と気づかず、中古で購入。
時々しか見ていなくてほとんど進んでなかった。
だが、つい数日前、ただ見るだけのやり方だから、比較的早く進むのに気づく。
今回終わらせた。

練習問題は基本的にやらない。いくらでも時間がかかってしまう。
知らない単語が頻繁に何度出てきても、まったく思い出せないことは昨日、別の本(ホメオパシー心理学)で実感した。
だから、はじめて知るために読むときは、練習のために思い出そうとはしない。
わかろうとわかるまいと、ざーっと終わりまで見てしまう。
もちろん、途中でわかっていないところがると、頭に穴が開いたように何もない。
だが、解らないところで止まらず、わざとそのまま、次を読むと次からはわかったりする。
それを知らないままにするのはもったいないので、一通り見てしまおう。
全体がだいたいこういうイメージかと、知ってからわからないところを見直すといい。
わからないところでとまって半永久的に考えようとすると、いつまでも読み終われず挫折の原因になる。

よって、とりあえずは、初めてなので「こう言うことになってるんだ」と知るためだけに読んだ。

547 :リーダー :NG NG.net
それでは
おわり

548 :リーダー :NG NG.net
秋葉亜子著 グェン・ティン・ゴック・トー ベトナム語監修
『文法からマスター!初めてのベトナム語』ナツメ社(2017)

タイ語、中国語、クメール語(カンボジア)などと同じく、単語は全く変化しない。

【文字】
アルファベットだが、上・下・右上になんかの記号があり、難しそうに見える。
実際には、記号を外してアルファベットだけと思っても、最初は全く問題ない。
ベトナム語のアルファベットの頭に記号が二つもついているが、こういう区別をする。
「a」の発音は「大きく開けてアー」、記号を付けると
「英語の「逆さまe」のようなあいまいに開けてアー」
「あいまいに開けて、短いア」
この「a」三つ(口の開け方)を区別するためと、アクセントの区別のために記号みたいなのがつくだけである。

口の開け方の記号、アクセント記号がどっちもつくから頭に二つもつく。

もとのアルファベットの発音を基本的に守って、記号に合わせて発音が少し変わる。

549 :リーダー :NG NG.net
記号だらけでパソコンで通常はベトナム文字は書けないと思う。

ベトナム語のアルファベットは漢字に直せることを、この本で初めて知った。
中国に支配されていた歴史があるらしい。

【発音:声調】
ベトナム語だけの発音がある。
図にして、上下に線をひいて、高い低いを示すとする。
真ん中を横線を引っ張って、これを普通の高さにしているのは中国、タイと同じ。
線グラフのようにイメージしよう。

声調は6種類。ベトナム語にしかない声調がある。
「aの上に?の点無しがつく」
「真ん中から少し上へ、すぐ下がり真ん中より少し下から上がり、上のほうまで行く」を上の方でやるものが一つ。
「aの上に〜がつく」
今のを低くしたようなもの。
「aの下に.がつく」
普通に「あ」というのを途中でやめ、半分にしたような音。
ベトナム語だけの声調は以上。
【文字の独特の読み方】
母音:口の開け方の記号がつく
da, gia, ra:どれも「ザ」と読む    sa, xa:サ
lの下がちょっと曲がる:「L」の音。  cha, tra:チャ
tha:タ
(ダと読むのは、dの縦棒に横線をクロスさせて十字架(クロス)になる)

550 :リーダー :NG NG.net
nha:ニャ
qua:クア
nga/ngha:ンガ。鼻の奥で鼻声になるような音。
      実は日本語でも発音表記で「カに半濁音」で表記されることがある。
アナウンサーや俳優にとって「カに半濁音」はなじみである。

【最後の文字】
タイ語と同じ。「t」なら「ト」とならそうとして閉じたまま。
「ト」と音を出さない。
「Thit:肉」は最後「t」を言おうとして舌をつけたまま。
「ティッ」としか聞こえないが、これが「t」だとは慣れるとわかる。
他にも最後が「p」なら唇を閉じたまま。
これが「p」だとは慣れるとちゃんと違うのでわかる。
女性なら韓国語で経験済みの人もいるだろうが、同じように息が詰まりそうになる。
息を止めたまま言うのがコツだろうか。

nh:最後がanhとあれば「アィン」とすこし「ィ」を入れて読む。
m:最後の「ム」を言おうとして閉じたままである

551 :リーダー :NG NG.net
【見慣れない語順】
「ハロン湾はユネスコに世界文化遺産に指定された」
ベトナム語の語順にすると。
湾 ハロン (善いことを)された UNESCO 公 認 
である 遺 産 文 化 世 界.

基本的に英語に似た語順だが、「世界文化遺産」が反対になるなどがある。
「句」として複数の単語でまとまったものも、日本語や英語の反対になる。

うろ覚えで言うと「私のために」と言いたいなら、「に ため 私」のようにベトナム語で書く。

「彼 動詞する 何々 に ため 私」のようになっている。

【もうちょっと独特な語順】
「止まりなさい」をベトナム語で「止まる 止まる」と書くが、ベトナム語は同じ単語ではない。
「Dung lai.」記号抜きで書けばこうなり、「ドゥン・ライ」と思ってもいい。
「Dung」が「止まる」で、「lai」が「止まる、寄る」という意味の単語。
だから同じ意味の単語を繰り返す表現がベトナム語にある。

実際は「Du`’ng la.i.」
「u」に「’」が完全にくっつき、その左に「`」を詰め込む
「l」の下が少し曲がる。
「a」の下に「.」をつける。

記号が多いので、いちいち書いていられないので、できるだけ書かない。
気が向いたらどんな文字か見てみるといい。

552 :リーダー :NG NG.net
【以外と読めそう?】
アルファベットで、読み方の種類も多くない。
さっきも言ったように記号なしで考えて読んで大きく間違っていないのが助かる。
「ra」を「ザ」と読むなどがあるが、理屈がわかれば読みやすいと思う。
1.記号無しで「abc」「r:ザ」などの見たままと、とりあえず思っておく
2.記号に合わせた修正をする
これだけで読める。

さっきも少し書いたが「漢字」に直せるため、同じ読み方で同じ文字が多い。
巻末単語集で気づいたが、複数の単語でベトナム語が全く同じのものがある。
声調だけ違うものもあるが、よく見なければ全く同じと思うかもしれない。

中国語と同じく、そっくりでも意味が取れれば、かなり読めると思われる。
日本人も漢字の音読みで全く同じでも区別はできている。
いつどこで出てくるかがだいたい決まっているからだ。
中国語も、ベトナム語もこれと理屈は同じである。
漢字圏の影響を受けている。

「語順」は、英語で言われるのと同じく、頭から読む練習をするだけだ。
英語じゃないとき、日本語と逆に返ったり、返らなかったりするため、
左から順に読んだ順番で理解するようにしていればいい。

そういうもんだと思って、その順番で出てきてもわかるように心と頭の準備をしよう。

「文法からマスター!初めてのベトナム語」は非常に簡単なことだけで
とてもわかりやすい。
数字がなんていうのかちゃんとはわからないくらいで、入門にはちょうどいいと思う。

それでは、そろそろ
おわり

553 :リーダー :NG NG.net
もうちょっとだけ書いておきたい。
すこし文字のことを書くか。

【記号解説付き、単語集】
できるだけ記号がどうつくかを書いておく。
現代用語は、英語をそのまま取り入れてもいい。
さっきも「UNASCO」はそのままである。
tivi:ティーヴィー:テレビ
Wi-Fi、CD

そのままではないものもある
nha` ve^. sinh:ニャ ヴェ スィン:トイレ
「aの上に`」「eの上に^下に.同時につける」

xe:セー:車
anh:アィン:あなた
cho:チョー:〜させる
xem:セム:見る
a´o:アオ:服
「aの上に´」

554 :リーダー :NG NG.net
Toi la ky su.:トイ ラー キー スー:私はエンジニアです
「To^i la` ky〜 su’.」記号つき
「oの上に^」「aの上に`」「yの上に〜」「uの右上に’をくっつけてしまう」

この記号で「口を開けるか」「アクセント:声調」が表示されているわけだ。

【トイレの単語「eの上に^下に.」】
二つの記号が同時についている。
これは、上の記号で「英語のさかさまeのようにあいまいに開けて」
下の記号は声調で「あいまいeを言うのを途中でやめるような声調」
「えっ」とか「あっ」を短く言うようなもの。

Chi:チ:あなた
「iの下に.」
普通にチと言うのを半分にする

理屈はこうだ
「あ」と普通に言うと「一音」といって、日本語では「一拍」といっている。
日本語で「いる」と言えば「二拍」という。母音が二つあるからだ。
ベトナム語で「下に.」がつくと途中で終わって聞こえる。
「一音」が「半音」になったというので、半分になったように、と言っている。
声調の図表では、真ん中の高さから始まってすぐ急降下する。→↓
結果として、「あ」が半分に聞こえる。

文字でどうしても見たい人はコミック『森田さんは無口。』だけで使われている文字が参考になる。
「あ」が半分になっている。
「下に.」を無理に文字にするならあれだろうと、一人で思っている。

今度こそ
おわり

555 :ぴょんちさ :NG NG.net
555だなって

556 :リーダー :NG NG.net
おひさ

557 :リーダー :NG NG.net
『ヘブライ語入門』日本ヘブライ文化協会(1985)

ご存知、イスラエル、ユダヤ人が使う言語。
聖書にも書かれているがこれから話そう。
今回なんとか音読したが、ぜんぶつっかえた。まあ仕方ない。

【現代ヘブライ語、聖書ヘブライ語】
よく知られている。
イスラエルに行って普通に話すのが現代ヘブライ語。
聖書はもともとヘブライ語だが、現代と違って古語のようなものか。
歴史が複雑なので書かないが、最初はギリシャ語ヘブライ語とのセット(?)で存在した。

【独特の文法】
やはり、どこの国とも違う文法である。
こういうのは歴史の初めに弱い国で、最初から独特の言語があった。
弱い国がなんとか生き残ろうと必死で大きくなったため、こういう状況になるのだ。
ヘブライ語は最初から廃れずに残った言語だが、ずいぶんと変わったようである。

558 :リーダー :NG NG.net
【表記は3つ:1.現代ヘブライ語の書き方】
現代ヘブライ語を話せなくて学ぶ人は、母音記号(点と線)付きで学ぶ。
そうしないと私たちにはわからない。
イスラエルの子供も、はじめは母音付きで学ぶらしい。

現代ヘブライ語は日常で使うときには、なぜか母音記号がない。
「字母」といって、母音記号を付けない「子音だけ」の書き方をする。
ニュースや動画でみたら、文字の上下に点と線がない。

私は、母音記号をただ外しただけと思っていたが、ずいぶんと違う。
そのままだと読み取れないようで「ヴァヴ」「ユッド」という文字を余分につけて区別している。
だから、母音記号で基本を知ったら、今度はテレビで見るような「子音だけ」の書き方を別に学ばないといけない。

「子音だけ」で最初からテキストに出ているのもあるが、私にはできそうにない。
母音記号があってほしいので、テレビなどの文字は全く読めないのだ(笑)

559 :リーダー :NG NG.net
【2.聖書ヘブライ語】
そういえば現代ヘブライ語の説明で二つとも書いてしまった。
「子音だけ」と「母音付き」の二種類である。

聖書ヘブライ語は子音だけだったのを、それじゃわからないので母音と、抑揚をつける記号を追加した。
もともとの聖書ヘブライ語の「子音だけ」は、テレビと一緒で母音記号を外しただけかと思った。
ところが、聖書にしかない書き方をしているらしい。

聖書はとにかく省略だらけ。
「彼にそれを渡す」と言いたかったら、単語3つや2つ書くのではなく、
解りきっていることを省略して「単語1つ」に省略してしまう。

【聖書ヘブライ語の未完了動詞】
未完了がすごくわかりにくい。
頭に「ヴァヴ」という文字をつけて未完了をつけることでほぼ共通しているが、
現代の言葉は、聖書では「ヴァヴ」をつけて、未完了の動詞の母音がちょっと変わるということが起きる。
ほとんどの動詞の母音がちょっとかわるため、どう変わるか私には、見ないとわかりようがない。

560 :リーダー :NG NG.net
【現代ヘブライ語文法:右から書く】
アラビア語と同じである。ちなみにアジアの言語のいくつかは、左から書くとは限らない。
現代もあるか知らないが、昔は上から下から、右から左からなんでもありの言語もあったようだ。
古い文字で言えば、マヤ文明、メソポタミア、ヒエログリフなどはあっちこっちから書いていたらしい。

【基本の3文字】
アラビア語と同じで、基本の文字が3つある。
この3つの文字にいろんな母音をあてはめて、ちょっと文字を追加したり、
省略したりして色んな事が言える。
【7つの態】
英語などで言う「能動」「受動」「使役」などというのが「態」と呼んでいるだけである。
基本は「パアル態」といって、ふつうの動詞である。
これが変化すると態が変わり、「受動」「使役」などと言えるようになる。

561 :リーダー :NG NG.net
【語順】
右から書くだけで、英語とあまり変わらないようである。
文を書き、関係代名詞をつけ、文を書く、というのを右からやるだけである。

【発音】
あまり難しくない。
「半母音」というのがある。
記号は「e」を小さく書いているが、「エ」とよもうが「無音」だろうがかまわない。
というか私には区別できない。

「そして」という意味の単語「ヴェ」があるのだが、これが「半母音」である。
記号は、文字の下に「:」をつけて読み方は「e」と小さく書いている。
色んな単語の途中で「:」がでてくると「無性」になる。

あとは「ア」と読む母音記号がアクセントのない閉鎖音とかいうので「オ」と読むことがある。

例:昼「ツォホライム」。「ツォ」の記号が「ア」に見えるが「オ」と読む。

562 :リーダー :NG NG.net
【文字の末尾形】
さっきの「ツォ」の「ツ」と読む文字。
普段は「と」の逆のような文字になる。
文字の最後が横になっている。
単語の最後にくると「逆と」の最後が横ではなく、下に伸びる。
「y」ににている。
こういう「下に伸びる」という文字がいくつかある。

たしか、文字の名前が「逆と」のようなのを「ツェー」だったか言って
「y」になると「ツェーソフィート」だったか言う。
他の「下に伸びる文字」も「〜ソフィート」という。

「p」の読み方の文字が「ペー」で
単語の最後で下に伸びて「ペーソフィート」という。

563 :リーダー :NG NG.net
【連結系】
複合語になると変化する。
語尾の途中で伸ばすだけになることが多そうだ。

後面白いのは
【複数形の語尾:イーム】
形容詞の「よい」を「トヴ」というが、複数形にすると「トヴィーム」。

日本のキャンプファイヤーダンスで「マイム・マイム」というのがある。
ヘブライ語で「水・水」といっている。
「水」を「マイム」といって、数えられないがたまたま(?)複数形と同じ形をしている。
複数形として変化する。

私は「イーム」で終わるのを知ったらすぐに
「でじキャラット」の「目からビーム」を思い出した。

564 :リーダー :NG NG.net
【どこか日本っぽい?日本がユダヤっぽい?】
「日本、ユダヤ同祖論」というのがあるらしい。
このことを日本中が半ば信じていない感じである。
なぜかオカルト好きだけが反応しているからだろう。

ヘブライ語を音読して気づいたが、読むときに芽生える意識が日本と似ている。
日本はテレビなどで、話し方が過剰に演技じみていて、自然に話すことは決してない。
話し方がすべて決まっていて、ドラマや音楽では聞こえない音というものが存在せず、
むりやりすべての音を聞かせようとするので不自然である。

日本が自然な話し方を全くせず、演技じみている理由は【聖書ヘブライ語】の読み方ではないかと思う。

聖書ヘブライ語はちょっと大げさに読むらしく、記号がつけてあるくらいだ。
記号のところで大げさに感情をこめて読むのが決まっていて、必ずやらなければならない。

この意識が、日本の不自然な話し方とそっくりなのだ。

【ヘブライ語の読み方の雰囲気】
私の印象では「日本語のアナグラム」である。

ヘブライ語を読んでいると、日本語単語の文字をバラバラに入れ替えたようなものに感じた。
ヘブライ語単語によっては、日本語そのままの音もある。
日本語で読んで、日本とイスラエルでは、同じ音、違う意味として認識すると思う。

それくらい、ヘブライ語と日本語が似ている。

ヘブライ語のリズムも、日本語に似ている。
欧米のように詰まりすぎていることがなく、日本語の一つずつ置く意識で読んでもいいと思う。

こんなところでも「日ユ同祖論」が!?

565 :リーダー :NG NG.net
【豊富な変化】
単語の変化がロシア語ほどではないが多めにある。
語形変化以上に、実際に場合によって一音ずつバラバラに音が変わり、音の変化が豊富である。

さっきも言ったように、現代ヘブライ語の書き方が二種類あり、
聖書ヘブライ語は別物と思ったほうが良い。

現代ヘブライ語は日常で、テレビや、貨物船の荷物表記にたまに見かけるのを見ればわかる。
母音記号がない。
ただ母音記号を外しただけではなく、この書き方のルールを知らないと全く読めないと来た。

【母音記号付きで始める】
どうせ読めないので、母音記号付きで始めるといい。
母音記号無しで「文字だけ」の場合、母音記号付きで
なんというか知って「ヴァヴ」「ユッド」が余分についているとわかれば読めるかもしれない。

アラビア語では、ただ記号を外しただけのようだが、
ヘブライ語は上記のように書き方が違う。

簡単ではないが、こういうルールを簡単に聞いておくとすこしはマシか?

566 :リーダー :NG NG.net
ヘブライ語について大体言ったと思う。

文法に極端な複雑さはないのだが、「態」というものが「使役」などを示していることに慣れる。
そしてこれ以上にやりにくいのが、読み方である。
リズムが日本語の意識でわかりそうで全くわからず、全部の文字でつっかえて読んだ。

だがヨーロッパの言語とはリズムが全く違う。
日本と同じではないが、日本のリズムに近く、欧米のリズムは忘れたほうが良い。

まあだいたいこんなもんか、
それでは、そろそろ
おわり

567 :リーダー :NG NG.net
これだけ追加

【読書の状況】
新品で買った。
今のように読書の意識がなかったため、しばらく好きなところだけ見ていた。
それだけでも動詞以外はほとんど見てしまった。
動詞はなんとなく見づらく、敬遠するのが何年も続いた。
読まない日のほうが多い。
ときどき好きなところを見るだけであった。

現状のように読書するようになり、「ヘブライ語入門」を一通り読みなおそうと思った。
何か気でも狂ったのか、読み方を変えた。

好きなところから見たのがよくて、見たことがない部分は少なかった。

このスレのように読書のさっすを増やしたい場合には、好きなところを見るだけのやり方は向かない。
最初は読み通す意識がなかったし、実際に一度も読み通していないまま、10年は過ぎている。
冊数をこなしたい場合は、ある程度理解するために、好きなところをバラバラに見た後で、
一冊読み通すようなことはしない方がよさそうだ。

初めてでわかりそうになくても、一冊読み通すなら、読んでしまうほうがよさそうだ。

最初に一回、最後まで読み通しておいて、それから好きなところを見る方法をやるようになった。

568 :リーダー :NG NG.net
あとで、最初からちゃんと読まないように見返す。
二回目からは、好きなところだけいくらでも考えたらいいのだ。

最初の一回は知らないので、全体を見たいと思うだろう。
それで、最初の一回に、でっかい本でも全体を見る工夫を話してみた。

参考にしてほしい。
もっといい方法を見つけたら、それをしてくれていい。
できれば一回だけでも全部を見ておきたいという、欲深い人のために言ってみた。

おわり

569 :リーダー :NG NG.net
吉成 薫『ヒエログリフ入門 古代エジプト文字への招待』六興出版(1988)

【ヒエラティック、デモティック】
壁画のキレイなイラストは、公文書などに丁寧に描くようなものだ。
キレイな字で書くのが普通だから、複雑になり、一文字書くのは漢字よりも時間がかかるのではないだろうか。

だが手書きの文字も残っているようである。
今の私たちが文字を知ってさえいれば、シャーペンで書けるようなものもある。
ヘビの象形文字は、同じ曲がり方をした線でいいのだ。
壁画とは別に、手書きの文字どう書くのか、私たちにはわからない。
専門家がまとめてくれているので、それで知るしかない。

ヒエラティックがちょっと手書きに近づく。
デモティックが完全にノートに素早く書くような文字である。
これこそ、絵じゃなくて文字である。

私たちが印刷や壁画で丁寧な形を見ているのはヒエログリフである。

【sdm・n・f型動詞】
「d」の下に「_」が引いてあるので「セジェム・エヌ・エフ型」という。
時制、いろんな動詞の言い方をこの「セジェム・エヌ・エフ型」で表す。

【語順】
動詞が最初に来るようである。
「美しき少女が祈る偉大で永遠のラー神を彼が語る」と勝手に例を出すと、
「語る(彼が)祈る、美しき少女、ところの 偉大で永遠のラー神」のような語順になるようだ。

570 :リーダー :NG NG.net
【ヒエログリフで書いてみようのコーナー】
書いてみよう1、2、3
日記を書いてみよう1(マニアへの道)
日記を書いてみよう2(ちょっとやりすぎ)
歌詞を訳してみよう(やめるなら今)
諺を訳してみよう(ほとんど病気)
古典を訳してみよう(もう取り返しがつかない)

このように笑わせる項目をつけている
歌詞は、日本の歌詞をあえて訳してみる。
ぞうさん ぞうさん お花が長いのね そうよ 母さんも なーがいのよー
諺も日本のもの。
古典は「方丈記」「サラダ記念日」だった

【読み方は決まってない】
古代言語の正確な読み方は、永遠にわからないと言われる。
現存する遺跡や文書から推測するしかない。
ところが、ヒエログリフに関してはほかの古代語以上に読み方が決まらないのだろうか。
わからないところは「え:e」を入れると、世界で決まっているらしい。

実際の文章を音読してみると「コレジャナイ感」がある。
勉強するにはコレジャナイ感を我慢するしかないのか、もうちょっと何とかならんのか。

それでは
おわり

571 :リーダー :NG NG.net
何日たった?

572 :リーダー :NG NG.net
保守

573 :リーダー :NG NG.net
ほしゅ
でなぜか書けない

574 :リーダー :NG NG.net
“How to Make Love All Night(and Drive a Woman Wild)”
Barbara Keesling, Ph.D.(1994 or 1998)

洋書。
タイトルを直訳すると「一晩中愛し合う方法(そして本能の赴くまま女性を攻め立てる)」
うまい言い方はわからない。

Make Loveは「愛し合う」だが「ベッドで愛し合う」というニュアンスも持たせられる。
ベッドが関係ない「愛し合う」でもどちらでもいいはず。
driveとは「ヤル気」「欲望」という意味だそうだ。
動物などが穴などに「追い立てる」みたいな意味もあるらしい。
driveはご存知、基本語の一つであり、たくさんの意味がある。

この本は、セックスがうまくいかないカップルの悩み相談の本である。
男性がどうするかを書いている。

たいていの男性にイク元気がないのは理由があるようだ。

575 :リーダー :NG NG.net
タイトル訳を訂正する。
「一晩中愛し合う(そして本能の赴くまま女性を攻め立てる)方法」
wildはおそらく「ちゃんと理想通りにできるから当然、無理なく」といったニュアンスだろう。
うまくいかないから、なんでちゃんとイケないのか、理由がわからないのでwildではない、ということだろうか。

内容は、「multiorgasmic men」になるのが目的。
「連続絶頂ができる男」、本当に上手にイクということは、しばらく絶頂が続くらしいのだ。
うまくイケれば3,4分ほど絶頂が続く。
女性もそれに協力するので、女性も3,4分の絶頂により満たされることが出来ると思う。

576 :リーダー :NG NG.net
英語で正確には読み取れないので簡単に言う。

結論から言う。
イクまでの興奮Levelが10段階ある。
リラックスしたまま、呼吸を整えながら、
うまいタイミングで[PC muscl]という部分をもみ、ほぐれると
無理のないイキかたをするらしい。

普通の人はイクのに無理があり、一瞬しかイケず、
しばらく続くなんてことはない。
しかもなぜか精液をちゃんと出す元気もない感じがする。
まったく耐えられない。

それはなぜかというと、力を入れたままだから。
かなりリラックスすると、無理のない精液の出方をする。
興奮レベル「arousal level」をかなり丁寧に調節している。

577 :リーダー :NG NG.net
arousal levelは10段階あり、9から9.9までがイキそうになっている段階のようだ。
9に至るまでが、ものすごくゆっくりエクササイズしている。

全部の段階で、呼吸を整えて、しばらくじっとしてリラックスするのを待つ。
1からレベルが低いうちは、待ってばかりで、まずはリラックスに慣れる。
これが何段階も続き、すこしエクササイズするたびに、挿入したまま、
現在の興奮状態をよく感じ、しばらく感じているように指示される。

次に改めて、最初からやり直して段階を少しアップさせる。

うまくいかないときだったか、緊張しすぎるときとか、
スムーズに精液が出せないとか、何かぎこちないときにPC musclという部分をもんでいると
力が抜けるか何かで、やりやすくなるらしい。

578 :リーダー :NG NG.net
基本的な考え方は、PC musclをエクササイズして鍛えるのが目的のようだ。
PC musclに力を入れられるようになって、早漏が解消されるようである。

私には正確には読めていないが、
セックス「intercourse」がうまくいかない人は、参考にしてみてはどうだろう。
実践しながら、必要なところだけ知識をあてはめるほうが足りないところは経験で補えるかもしれない。

英語を読んでみたい人は、実際に読んでもいいと思う。
難しい本ではない。
そもそもやさしいレベルの本を探してまで読んだのだから。

579 :リーダー :NG NG.net
最後にPC musclとはどこをさすのか。

陰嚢と肛門の間の部分が筋肉なのだが、ここである。
おそらく女性の性器がある部分でもあると思う。
余談だが、女性はどうなるのが良いかというと、性器の絞まりが強いのが良いそうだ。
男性は勃起が固いほどいい。

セックスがうまくなれば、無理なく絶頂「orgasum」に達する。
ただオナニーするだけでイクのが急で、あっというまにつらくなるのは間違っているようだ。
目を閉じてリラックスして、呼吸もちょっと意識して深くするのがいいようだ。
ゆっくりと興奮が高まると、すぐに無理になるような高まり方ではない。
全然無理のないまま、意外と長い間高まっていく。
タイミングよくPC musclをもむ。

細かいタイミング、エクササイズの途中でどうなるかは本に書いてある。
「trouble shooting tips」も載っている。

580 :リーダー :NG NG.net
参考になるのは、スポーツをやっている男性の喜びの声だ。
ただ喜びを表現するのではなく、スポーツマンらしく、無理のないエクササイズについて
アドバイスもしてくれて、すこしだめ長めに紹介されている。

スポーツも同じく、エクササイズというのは、日々の必要量だけエクササイズするのが重要だ。
今日の分を決めてしっかりやった後は、今日はもうやらないのが大事なのだ。
この練習計画を維持することのほうが、筋力を増すよりも重要だ。

無理は禁物ですよ皆さん。
「ダンベル何キロ持てる?」でも言ってるではないか。
何も食べず、休まずに、ひたすら運動していればいいわけじゃなくて、
必要な栄養を保つために食事をするのもエクササイズなんだと。

最も難しいのは、運動することではない。
運動しないときに、しないでいられるかどうかが、最も難しい。
ちゃんと休む時間もあるからこそ、計画通りの結果が出るのである。

おわり

581 :リーダー :NG NG.net
■伊藤 光彦 著『現代ドイツを新聞で読む』白水社(1992)

ベルリンの壁崩壊後、統一をめぐって何が起きたか、新聞で読む。
壁の上に男がハンマーを持って乗っかり、喜びながら足元に叩き下ろすのを見たのは覚えている。
ドイツの建国が戦後で、ドイツマルクができたのが私が小学生のころらしい。

このころのドイツは、社会が良くなったことを世界でも強烈に体験していた。
日本の東京オリンピックなどどうでもいいくらいだろう。
日本のビジネスが発展し、オリンピックが開催され、盛り上がったことよりも
戦争の原因をなくしたことのほうが大事に決まっている。
だが日本はそんなこと知ったことではないかのように、今も商業で売ることしか頭にない。

それはともかく、ドイツは最大の問題をいくつか解決した喜びに沸いていた。
東西分断で片方が普通に経済や雇用があったが、もう片方が大半の建物が半壊、全壊していた。
時代はヒトラーの時代が終わってすぐから、ベルリンの壁崩壊、1991年くらいまでのことか。

582 :リーダー :NG NG.net
最初は新聞の読み方がわからないのでほとんどイメージできなかった。
読んでみると、日本と違って国内を教育するために、考えさせられるようなことも書いている。
(日本の新聞は新情報が記事の1/3ほどでましなほう、
白紙同然の記事も多数ある。絶対に日本国民の教育につながらない)

とりあえずキーワードを少し書いておこう。
1.ドイツという名前だけでもいろいろある
現在の私たちが言っているのは「ドイツ連邦共和国」という。
1990年10月3日の統一でこの名前になったわけだ。
それ以前、いろいろ言われた。
「まだDDRである国」「以前に/これまで/かつてDDRであった国」「新しい連邦州」など。
東ドイツ、西ドイツの名前だけでも、状況次第で様々な解釈がされたが
基本は、かつて敵だった国を受け入れるのをためらっていたためだったようだ。

もともと仲間で引き裂かれたとしても、長期間違う考えでいると敵対するほうが主流になり
一つになろうとすれば複雑な気持ちになる。

仲直りというものは気まずい

583 :リーダー :NG NG.net
2.壁があったところを越境する人の続出
庇護をどうするかという問題

3.ライプチヒ
4.Wir sind ein Volk「我々は1つの国民だ」
この本が出たころのヴァイツゼッカー大統領が統一の演説で使ったりする。
5.シュタージ(秘密警察)
ヒトラーのゲシュタポを参考に作られた。
統一前にもめた時に
6.2+4=5!

6.

584 :リーダー :NG NG.net
7.連邦共和国基本放題23条 「統一」
8.ボンとベルリン
政府の場所までもめた。
政府はベルリンにあったが、ヒトラーなどのため同じ轍を踏みたくないと騒がれた。
ボンは小さい町らしく、そんなところに政府があること自体を嘲笑われたりした。
「首都というよりは首村ではないか」

新聞には「Bonn」が良く出てきて、著者は「政府」と訳している

585 :リーダー :NG NG.net
キーワードは20あるがこれだけにしよう。
これだけでも本を見ながらでないと書けなかった。

『現代ドイツを新聞で読む』はベルリンの壁崩壊から統一までの記事をいくつか紹介する。
政治だけじゃなく、文化面、スポーツなどもある。
もちろんドイツ語で書いてある。
1.訳を書き、最初は逐語訳。
全ての言葉の意味を書いてくれる。
2.すべての単語集
3.記事のキーワードの解説。
さっき書いたドイツ情報全体のキーワードも随時、参照するよう書いている
本の書き方はこうなっている。

途中の記事からは全訳をのせる。
単語集はつなぎの言葉など、情報ではない部分を省く。すべての単語の意味は載せなくなる。
だから新情報、キーワードの直訳
(1つめの記事からずっと、意味を選ぶ背景が複雑な場合、
著者が判断して選んだ訳をした部分があり、断りを入れてある)
単語集が減ってもキーワードの解説は通常通り。

586 :リーダー :NG NG.net
そして最後に、当時のドイツ大統領ヴァイツゼッカー「ドイツ統一の日」演説がすべて載っている。

この文章を読んでいるあなたは、そろそろ想像つくと思うが
この本はドイツ語の新聞でどう報道したかを、ドイツ語で読んでみる。

日本の新聞と違って、ドイツの新聞は読者を教育しようとして記事を書いている。
世界ほとんどどこでも、新聞というものは(ついでかメインか知らないが)教育も同時にやっている。
日本は教育しない。意味が無かろうと記事を書き、売れてしまえば、その場で消え去る。無駄が多い。
独裁国家、国のトップがどんなにひどいことをしていても新聞で教育しようとする。
普通は、メディアを使って、思い通りの性格に国民を洗脳しようとするはずだ。

だが、日本ではそんなことはしていない。
洗脳して酷いことをしないようにしているのではなく、メディアで商品を無限に売り続けるためである。
日本ではどんなに盛り上がった商売をしようと、日本人の性格はよくしないので
性格が悪くなる一方だし、日本社会がまったくよくならない。
ものすごい速さで大量の商品を売り続け、新品同然の商品をすぐにゴミにする。

外国ではそういう経済もして、国をよくしようともしている。
国をよくすることと、破壊しなければ成り立たないビジネスとの折り合いがつけられないだけである。
日本はそんなことは一切考えていない。
日本国民は、企業が無限に売るための機械である。
客は、商品を無駄にしないために消費するための機械であり、
戦争ビジネスと考えが似ている。

587 :リーダー :NG NG.net
日本ではベルリンの壁崩壊の喜びのようなことは、起きないだろう。
日本で何かいいことがあれば、すべて、大量販売と大量消費だけにつながるだろう。
日本国中のごみは、すべて新品同然の商品である。

ベルリンの壁崩壊当時、日本の中学生がこんなことを言ったらしい。
「ドイツ人になってあそこへ行って、同じ喜びを味わいたい」

ベルリンの壁崩壊は、まるでアニメなどで作ったかのような、
「世界がよくなった出来事の一つ」ということになるだろう。

日本でオリンピックなど、いくつか大きなイベントはあったと思う。
だが、すべてが大量消費と大量販売以外に、何もしていない。
こういうことが日本で全く起きたことがないのは情けないではないか。

日本は「日本がよくなる」とはどうすることを言うのか
研究機関を作ってでもいいから考えたらいいのではないだろうか。

考えないなんて選択肢はない。

おわり

588 :リーダー :NG NG.net
やっぱり、ほしゅで書き込めないな

589 :リーダー :NG NG.net
若狭基道 著『ニューエクスプレス アムハラ語』白水社(2018)

エチオピアの言語。
大昔、この付近はアビシニアと言われた。
ファンタジーで人気の「アビシニアン」というのはこのこと。
なぜか白人ばかりが出てくる。
最初から余談。

【文字】
パソコンで普通に書くのは不可能だろう。
アムハラ語の文字の印刷になると、
線は筆というより「ヘラ」のようなもので書くのだろうか。
「H」の横棒が少し上にある。
「0」のような文字
「θ」のような文字。
「ム」がもっと丸く、もっと左下につきでている。
「Φ」を斜めにしたようなもの
「Ψ 」を逆さまにしたような文字。

【文】
「、」にあたる記号は「:」。
「。」にあたる記号は「::」これを斜めにする。菱形。

590 :リーダー :NG NG.net
【語順】
文字は書けないので、訳の後に日本語で語順通りに書く。
この本にも書いてある。

(訳)「彼は毎月彼女に手紙を書いていた」
(語順)に-各-月-[定冠詞]・手紙を・彼は-書く-に-彼女を・いた
(訳)「彼女は彼の手紙を読んでいなかった」
(語順)の-彼-を・手紙-[複数]・彼女は読まなかった・いた

【動詞】
あなたたちはキスした「アマッチョホ」
彼は彼らをだましました「アッタッララッチョウ」
「アッチョウ」「アッチョホ」を見て
「マッチョアネーム?ここは大胸筋マッチョアネーム」を思い出した。

【文字2読み方】
「アッタッララッチョウ」
attallalaccaw
文字は「基本」の形が有り、上などにちょっと「母音」の印がつく。
普通は「子音1つ」「母音」になるはずだが、頻繁にttやllのようにいう。
ただし、「基本」の文字を重ねることはなく、慣れるまでは読みづらい。

「tt」のようになっていることを示す記号「・・」を頭につけてもいい。
だが、実際の文章で使われることはないらしい。
エチオピア人は見慣れているので、なくても区別がつく。

591 :リーダー :NG NG.net
エチオピア生活の感覚が私たちとは大きく違う
【時間】
一日24時間だが
日本でなら7時というとき、アムハラ語では1時。6時間ずれて表現する。
【電話番号】
頭はゼロならゼロというが、二けたずついう。
0912 34 56 78なら「零九、十二、三十四、五十六、七十八」と表現する。
【一年は365日だが】
うるう年もあって366日だが、新年は9月11日ごろに始まる。
【一年何か月か】
ひと月30日だが、13カ月あり「13番目の月」が5日(または6日)しかない。
この本が出ている2018年は、エチオピアではまだ2010年。
今日、2019年10月8日なら、先月、まだ2012年になったばかりということ。

592 :リーダー :NG NG.net
「13番目の月」が5日(6日)しかないのは、
古代ローマで最初に使われた暦の名残なのだろうか。
12か月を30日で計算すると、何日かあまって、最後にもってきた。
のちに変わり、今でいう、祭日のような日が少しだけ、季節ごとに当てはめられている。
入れ替えただけなので、一年全体の日数はそのままで続けられているわけだ。
また余談。

【その他の文法を少し】
「マッチョ」みたいな語尾もあったが、
他に「アッラー」がつくものも頻繁にある。
具体的な単語の基本にもなっていたり、語尾変化についたりする。

「私たちに(都合よく何かする)」というとき「-allan」というらしい。
「-」ハイフンの前に動詞を入れる。

【重複派生形】
動詞をただ「する」というだけじゃなく「〜して、そして〜して」と言ったり(副動詞)
「すること」(分詞)「しなさい」(命令)「してしまった」(未完了)などの言い方をすること。
別の文法というより、派生しているのだろう。

593 :リーダー :NG NG.net
【発音について】
極端に難しいものはなさそうである。
ただ「c'a」のように書いてあるものは聞きなれない。
無理にカタカナでいえば「チ・ア」で声を出さず「チ」で声で「ア」という。
「チア」と一気にいう。「ア」だけ言うと喉でいうのと同じ。
見慣れないのはそれくらいだろうか。

発音記号で「c」の上に「v」がつくなど見慣れないものがあるが今回は省く。
上記のアルファベットでは、そのまま書けるところしか書かなかった。
ほとんど他の言語の発音記号でも出てくるので参考にするといい。

あと、「a」の上に「・・」の説明が本にないようなので書いて終わる。
記憶がたしかなら英語でよくある「ae」でアとエの中間である。
「e」の逆さまがあいまいな「ア」、「エ」に聞こえることもあるらしく、
エチオピア人は言いやすいときに好きなように変えると言う。
「a」これだけなら普通の「ア」でよい。
最後に、三種類の「a」が普通の「ア」でいいが
5つの文字だけが、大きく口を開けて「ア」と読む。

【子音二つに聞こえるところ】
さっきもちょっと書いたが、子音二つのように頻繁に読む。
[samma:サンマ]聞く
[mm]は一文字で書くので、慣れるまでは読みにくい。

594 :リーダー :NG NG.net
一文字で[mm]と[m]どちらも読める。
だから読み替えて単語が別になる。
エチオピア人は慣れているからわかるらしい。

【最後に】
とりあえずこの辺にしようか。
アムハラ語の法則以外に、文化面でも見慣れない。
日本どころか、世界のほとんどと、エチオピアの生活は違うようだ。
なかなか独特の存在だと思う。
おそらく、弱かった国が生き残り、古い言語がそのまま残ったのかもしれない。
もしかしたら違うのかもしれない(おい)
どこにも見当たらない文法っぽいので、生き残りかもしれない。

アフリカの言語はほとんど知らないが、
スワヒリ語ともずいぶん違うようだ。

世界は広い
おわり

595 :リーダー :NG NG.net
世界は広いな、大きいな

596 :リーダー :NG NG.net
ヘーゲル『精神現象学』ワイド版世界の大思想07
樫山欽四郎 河出書房新社(2004)

読むのに3カ月近いだろうか。
少し困ったことになったからだ。
読み始めると性格が悪い人間のことが書いてあり、そうだそうだとか
思うことがいっぱい出てきて、考えていると全然進まなかった。
最初は「緒論」だが、すごく時間がかかった。
これではまずいと思って、思うところがあっても考えないようにした。
ところどころ思うことが出てきて、似たようなことが繰り返された。

かなり後のほうになって、いまさら、気にしないでさっさと読み進める気になった。
それが3日ほど前である。
なんとか進められて今日の夕方読み終わった。

この本は「本当の知とは何か」ということを書いている。
これだけのことである。
ヘーゲルは考えを温めて、大人になってだいぶ活躍してからやっと一冊目の本を書いたらしい。
それが『精神現象学』で、最初からいきなり、膨大に書いているにもかかわらずまとまっている。

一つの話の中では、ちゃんとわかるように書いている。
哲学者の間では『精神現象学』は話が飛んでいることで知られているようだ。
ヘーゲル自身も、話がまとまらないのか、実はよくわからないところがあったのか、混乱していたと思われる。
ヘーゲルが自分でも「不幸な混乱に巻き込まれる」などと書いていたらしい。

考えが不十分なことと『精神現象学』出版に苦労が多かったことの両方だろうか。

597 :リーダー :NG NG.net
実は話が飛んでいるらしい。
本当の知、自分そのものと、自分そのものに対する実在する自分とかいう
2つの対立を語るのは一貫している。
だが、意識の話になり、自己啓発の仕方を語り、本当の知を得ようと言っている。

古今東西の哲学者の間では、
自分の中の意識と自分に対する意識の統合みたいなことなのか
自己啓発で二つの意識の対立を解決させて本当の知を手に入れる話か、
どっちなんだ、と思っているらしい。

世界中どこでも人間というものは、複数の意味があるとどっちかだと思いたがる。
そしてもう一方はないんだと思いたがる。
ヘーゲルはそういう考えは間違っていると言っているが。
私個人としては、こういうときは、下手すればどっちもあるんじゃないかと思う。
人類は、複数のことが関われば、一つを選んで考え、その一つしかないと考えがちである。
他のことはないとまで言い出す。
こんな認識の仕方では、たしかに、真相を見抜くのはあきらめたほうが良い。

598 :リーダー :NG NG.net
話を戻そう。
ヘーゲルがずっと同じことを繰り返す。
「自分そのものと、自分そのものに対立して実在する(と思っている)自分」とか書いている。
「即且(自体)的自己」だったか、なんかよくわからない言い方をする。

簡単に言うと、あなたの心の中心で「これは私です」とわかっている。
本か何か物体を見て「あ、あそこに本がある」とあなたはわかる。
本は実際にそこにあるんだけど、「あ、たしかにあるね」と思っているだけのことを言っているようだ。
「あ、あそこに本がある、と、ミサカはそこにあるものの存在を認めます」みたいなことをいう。
今気づいたが、ミサカの語尾は、ちょうどいい。
「こう思っているだけだ、まだ言っていない、物体は見たからあると言っただけである」というのがヘーゲルの言っていることだ。

599 :リーダー :NG NG.net
自独(自体)的意識
だったか、なんかよくわからない用語を繰り返す。
なんかよくわからないので著者が(カッコ)で補っているようだ。

話が発展して、自体が「この場合は、こうなっているものだ」と勝手に決めつけ
対立して実在している実態、つまりあなたのような存在が
「不当に言われてやらされている」のように言う。

これは実は国家が、権力で他人に無理強いしている状況のことを言っている。
『精神現象学』の真ん中よりすこし後くらいから、宗教の話も入る。
宗教はなぜ、神を利用して嘘をついてまで他人を虐げ続けるのかを語る。
ヘーゲルは「神とは、人間が作った概念である」といっている。
人間の心の中では神をそのように貶めているのである。

本の最後の解説にあるが、
人間がなぜそういう決めつけをしたがるのか、意識の心理というものは、
なぜ、こういうことをすることになっているのか。
根本からは、結局はよくわからないと、ヘーゲルは考えているらしい。

神は人間が作った概念だが、それで解決とは思っていないようだ。
そもそも人間の心がこのようになっていること自体の、理由が神秘的でわからないのだから。

600 :リーダー :NG NG.net
論理学というものは、どう考えるかが決まっているんだが、
それだけで済むほどことは単純じゃない、とヘーゲルは言いたいんだろう。

科学のさまざまな物体について観察日記のように書き記したり、
論理学で一つ一つを決めたりすることは
「自然を解体する」ことになるという。

あなたは、一度、この文章から目をそらし、今いるところの周りを見まわしてみよう。
いろんなものがある。壁しかなくてもいいから。
壁だけだとしても、壁に梁という棒が通してあったりするし、
壁の材質はなんだろうか。
たいていは壁紙を貼っているだろうか、はがせば土壁だろうか。
あなたがいる場所は寝転んでいるだろうか。
おそらく今、お菓子をつまんでいるだろう。
ジュースを飲みながらかもしれない。
いろんなものがあるわけだ。
これだけで、たくさんの物が出てきたが、そうやって一つ一つに名前を付けたり
あーだこーだと特徴を言ってみたり、
あたかも無数のバラバラのものがあるかのように言っているわけだ。
そういうものの考え方をしているのは、ものが部屋になるようにつながって
できているのに、論理学でわざわざバラバラにしていると言っている。

ジュースを飲んでいるコップとか、缶一つをとってみてもいい。
これについて思うことを、何個でもいいから特徴を行ってみる。
円柱形、取っ手があるかないか、どんな色か、重いか、軽いか、
中身はまだあるか、もうないのか。
バラバラにするのは、持っている物の「そのまま」「そのもの」を理解できていないんだと言っている。
切れ目なんか入っていないものに、特徴をあげて切れ目が入っているかのように言って
それが本当に「そのもの」を理解しているというのかと。

601 :リーダー :NG NG.net
人間は、心があるから、何か一つに決めつけないとやってられない。
言葉の性質上でも、一つずつしか言えない。
だから、言外のニュアンスというもので、複雑な状況を伝えようとする。
これができるには、人間にバラバラにする力、バラバラになった者をつなげ治す力と
それを記憶する力が無ければならない。
記憶しなければ、理解しようがない。

その方法は限られていて、この方法が少しでも変わってしまうと、決めつけたい人間なら思考停止してしまう。
公務員や、思考停止した店員と同じだ。
言われたことを、言われた順番にしかできない。
現実には客が気分で要求してくるが、店員から見たら、マニュアルにないことを
いってくる客に逆らうのである。
こんなことしているような学問は、本当の知ではない。

602 :リーダー :NG NG.net
宗教で神を利用して人を虐げるのも、何かを決めつけるために、嘘をつくからだ。
ヘーゲルは「嘘をつく」という便利な言葉ではすませていないが、
もし、神を利用する人間が言っていることを深く質問すれば、答えられないはずである。

国家権力から、会社の上司、家族の上下、自分の知力に至るまで
このような心のメカニズムが働いている。

通常、多くの人間は、こういうメカニズムを滅ぼそうとして、気に入らない人間はすぐに殺そうとするはずだ。
そうじゃなくて、そもそも、こういういじめのようなことをする根本理由がわからない。
だから、そういうものがあるのを踏まえて、
他人を虐げるような考え方と、自分という存在とをうまく活用し、
争うだけしかできないような考え方を卒業し、より賢く生きる知を作る方法を模索している。

簡単に言えば「人はなんで争うの。仲良くしようよ
仲良くするための方法を一緒に考えよう」ということだ。

こういう話に並行して、つねに
「自分そのものと、自分に対立して実在する自分」という二つのことを繰り返している。

愚かな行動を臆面もなく繰り返すことなく、
あ、こんなことをしたらまずいな、簡単に処理しないで丁寧にやろうという
おちついた考え方に至って初めて「悟性」に至ると言っている。

通常の哲学では「悟性」が最初から言われるが、
これだけのことがあって、愚かなことをしなくなってやっと「悟性」と言えると言っている。

603 :リーダー :NG NG.net
「悟性」というのは、哲学用語で私には難しいが
「よく思考する」といったことか。
グッドの「よく」である。

辞書を見るとなんだか難しく言ってて記憶できないが、
どうやら思考することを言っているらしい。
心には思考しない部分もあるからだ。
「哲学」は一見、心ではない機械的なことを言っているようだが、心のことを言っている。
そこに物体があり、あなたが何を思おうと、そこに置いてあるのが「実体」。
それを見て「あ、あそこにある」と思っているのが哲学の言っている部分だ。
言い方のせいで、物理学のようなことを言っていると錯覚するが、
物理的なことには触れないと思う。

そこに本があるとか、リンゴがあるとか、円があるとか、非常に単純なことを
例えにして、過剰に難しいことを言ってくるのである。
話がそれた

604 :リーダー :NG NG.net
【ヘーゲルの生涯をうろ覚えで】
ドイツに生まれ、比較的早く母親が他界。
フランスで生活したらしい。
ヘーゲルの書いた本には、ドイツ語とフランス語があるようだ。
教養に関して(上記で言った、決めつけて、自体的に)イメージを持っているラテン語もわかると思う。
ヨーロッパでは教養ある人はラテン語がわかる。
ただし、古代語で、会話が廃れてしまったため、読み書きしかしないらしく、日本の学校教育全体と似ている。
その範囲で、ラテン語をある程度話すと思われるが、
その上手さは日本の英語教育なんか足下に及ばないほど高いだろう。
日本人は英語でラジオ番組を作るのはいまだに不可能だ。
ヨーロッパではラテン語でラジオ番組を流しているところもあるというが
狭い地域でしか流れてないと思われる。
一度聞いてみたい。

605 :リーダー :NG NG.net
ヘーゲルはほかの哲学者と同じく、大学で教鞭をとる生活をした。
そこでヘーゲルの考え方についてくる人も出てきた。
その人たちの手でヘーゲル学派ができたそうだ。

ヘーゲルは最初の著書『精神現象学』を書き始め、この本の完成までには困難があったらしい。
ヘーゲルはナポレオンの活躍にとても心躍らされたそうで、『精神現象学』の執筆を急いだ。
そして『精神現象学』が夜中に完成し、その日のうちにフランス革命が起きたのだ。

606 :リーダー :NG NG.net
【私の読書生活は偶然か?神秘か?】
『精神現象学』を読み始め、最初は腹が立つ人間のことを的確に書いてあって
同意していると、「緒論」だけで一カ月近くかかった気がする。
こりゃまずいと、とりあえず進めたら、ときどき腹が立つことを書いてくれたりして興味深かった。
なぜ宗教は神を利用するのか、国家権力はなぜ人民を虐げるか。
家族のメンバー一人一人の考え方の違い、父親と母親の役割の違い。
家族の部分を読めば、おそらく、家族はどういうものなのか大きなヒントにできると思う。

人間関係は、虐げる人間と、虐げられる人間の関係がどうなっているか。
いちいち納得できることばかりだった。

『精神現象学』の後半、出来るだけ急いだ。
自己啓発で、決めつけて支配する考え方と、弱い自分との折り合いをつけ
「悟性」にいたり、「本当の知」「本当の学」に至ることを言う。

そうやってバカバカしい考え方とうまく折り合いをつけ、
進歩発展、平和、気分良く生きやすい世界を作ろうと努力できる賢い考え方になるように語る。
そういう考え方を「絶対知」という。
「絶対知」の章で終わる。

私が『精神現象学』を読む間、軽い困難があった。

607 :リーダー :NG NG.net
読書も後半に入ってくると
なぜか、返却日と台風が重なるのだ。
毎回ではないが。
ほぼ毎回の返却日は雨である。
本をぬらさないためにも、返却日前に帰すようにはしている。
ほぼ毎回、返却日より何日も早く本を返すので、ぜんぜん進まなかった。

それが結局今日まで続いた。
明日台風19号が来ると言うので、どうしようかと思っていた。
今日読み終われてよかった。かなり急いだが。
ヘーゲルは最後の執筆が急に速くなったように、
私も最後は読むのを速くした。

台風が来るなんて、ヘーゲルの苦労のほんの一部でしかないかもしれないが
なぜか似ている気がした。
どこが似ているかというと、タイミングが似ているからだ。
ヘーゲルの出版に対する苦労、私はちょっと返却しにくい。
ヘーゲルが執筆を最後に早めた、私は読むのを速めた。
ヘーゲルの本完成すると大事件、明日、何十年ぶりに大きな台風19号がわずかにそれる件。

608 :リーダー :NG NG.net
『精神現象学』は学問の基本を丸暗記して済ませていてはできない考え方だろう。
普通に論理を扱うと、「二律背反」といって、二つの逆のことでケンカしあう。
これが、人々がどうしても争いをやめない、論理面の理由になるだろう。

俺はこうだと思う、いや、俺は反対だと思う、とだけ言い合って
自分の意見を押し通そうとしていると、相手を殺したくなるのは時間の問題だからだ。
どうしても言う事を聞かない人間は、殺すしかないと、今の人類なら簡単に思いつく。

対立の歴史、ケンカの歴史があって、効率よく気に入らない人間を殺して回っているからだ。

二律背反を解決するには、ふつうに学問していると自己矛盾してしまったり、
飛躍してしまう。
そうなると、通常の学問では、物事を単純化して決めつけてしまう。
「偽」といって、考える前から間違っていると決めることになっている。
「偽」と決まったら、なかったことにしてしまう。
じゃあ、なかったことに、という簡単なことではない。

これは、さまざまな差別や対立を見たらわかる。

609 :リーダー :NG NG.net
自分だけが正しいと思い込み、自分の考えに合わない人間は排除しようとする。
そんな扱いをされた人間は当然怒り、何か言うが、却下される。
正しいと思っている人間が優越感から相手を憎みだし、
間違っていることにされた人間は、不当だと言って相手を憎みだす。
これが長引き、まったく状況が変わらないままでいると、殺すしか方法がないと思う。

そうやって、人類は殺していい人間を作ってきた歴史がある。
殺される人間は、すこし考え方が違うだけだったりする。
仲間内でも、一言一句が同じでないとなると、殺すくらい憎しみあったりする。

だから、グループの中でも暴動が起きたり、殺人があったりするわけだ。

対立した考え方が、絶対に譲らないことから来ている。
ただいやだ、と言っているだけが、社会問題にまで発展するのは、
長期間、いやだと言い続けているためだ。

610 :リーダー :NG NG.net
2つの反対の意見は、ケンカするしか方法がない。
論理学では、この2つだけでは仲良くする方法は存在していない。
そのせいか、3つ目の別の考え方を模索すると、問答無用で「偽」になるらしいのだ。

それじゃあダメだと感じた学者は愛情があった。
なんとか、常識では理解できないこともなんとか考えられないかと思う。
そうやって、全体を網羅するような考え方が出てくる。
ヘーゲル、カントなど、網羅的に論じて、今までになかったものを生み出そうとする。
この考え方を悪とみなす人はおそらく、今のところ通用している常識を良く学んだ人間のはずだ。
そもそも、その常識が言われるのがなぜか、までには頭が回らなかったようで
カント、ヘーゲルのような人が、そこを突くと、激怒するのである。

この場合の激怒で、ケンカが始まるのが、論理学ではない部分なのだ。
ヘーゲルがわからないと言っている、
神を信じている人間が神秘でわからないと言っている、根本的なところだ。

理屈にないため、理屈で言えない部分に当たる。
常識的な学問には、この部分を丁寧に扱う意識が欠如しているのである。
常識で言えると丸暗記でも間に合うが、その常識がそもそもどういうことなのかと言われると
うっかりしてたと思うなどして、激怒し、カントやヘーゲルが悪いとか言い出すのだ。
これが支配者側の「自体的」という部分だ。
「自体的」な部分は、今まで例外なく人を虐げる権力者のほうである。
科学者の想像力がない人たちで、宗教団体で特にひどかった信者たちの考え方なのである。

「対立して出てきた実体と思っている自分」というのが、
自分一人じゃないと認識するような部分で、物体がある、あそこに人がいる、と思っている部分だ。
「自分から出て行った実体と思っている自分」が、もし、都合の悪いものだとしたらどうか。
「なかったこと」にして、忘れようとしてしまう。
これが「学校で学問をするとバカになる」と言っている部分である。

611 :リーダー :NG NG.net
「たしかに、俺たちには学はねえ。
だがな、もし、学校でしっかり教育を受けていたなら
とんでもねえアホになっていただろうな」

ボブ・マーリー(ミュージシャン)

612 :リーダー :NG NG.net
だから、ヘーゲルはアホ、バカにならないで、都合が悪いとかわがままいってないで
うまく折り合いをつけて、愚かな行動をとらない自分になれと言っているのだろう。

カントと同じく、ヘーゲルも網羅的に語る人のようだ。
常識的な哲学者には、ヘーゲルは嫌われていたようだ。
だが、「解説」によれば、ヘーゲル哲学は現代哲学に大きな影響を与えているという。
常識的な人は、網羅的に語り、二律背反以外に、新たな対立を生むように見えても
うまくアウフヘーベンするしかなかろう。
それをしなかったら、物事をバラバラにしてしまう学問に頼り、他をすべて忘れる。
それをまとめる人がいるから、嫌って、憎んで、殺そうとするわけだ。

嫌いかもしれないが、その感情に負けないで、なんで殺す必要があるのか、
なんで、憎む必要があるのか、なんで、嫌って自分だけ正しいなどと言っていられるのか
考えられるようになってほしいものだ。

613 :リーダー :NG NG.net
そういうことで
相手が間違っていると思っていたら、
自分が間違っている証拠かもしれない。

言葉を扱っている人は特に気を付けないといけない。
口に戸は立てられないとかいうが、これは言葉をまったく工夫しない、
腹が立ったら何をしてもいいと思っているから言われているのだ。
口が開いているからと言って、何でもかんでも好き放題に出していたら
いずれは戸口から銃弾が発射されるだろう。

言葉を工夫するには、簡単に済ませられることをあえて、じっくり見ることである。
そうすれば、わかっているつもりだったことが出てくる。
わかっていても、扱いが雑だったりするのだ。
そこをあえて知ることから、本当の知が始まるのではないだろうか

おわり

614 :リーダー :NG NG.net
これだけ追加
『精神現象学』は過去に一冊読んだ。
だが訳文の書き方が独特過ぎて、とんでもなく読みにくかった。
原文はたくさん「注解」で解説しているが、「注解」と書くと煩わしいので
「注解」の中身はそのまま本文に続けるとか言い出した。

読んだら、本文だけがざーっと進んで見える。
だが「注解」が入っているので、いちいち話が途切れたのだろう。
その箇所がわからないし、話が途切れたかもわからない。
本文だけ読んでいればいいから楽、というつもりで書いたのだろう。
だが、後でさっぱりわかっていなくて、記憶に残らなかった。
訳者が「注解」をそのままで、読者に知らせない書き方をすると言った。
「注解」を知らせなければ、すらすら読めると思ったのは
そんなことをして、読みやすくなるのかどうかは知らないのだろう。
実際に読みにくかったようで、私はまったくわかっていなかった。

それで、今回、長いけど読むことにした。

おわり

615 :リーダー ◆de85kRb5gY :2019/10/12(Sat) 22:09:38 ID:発信元:133.204.225.167.net
西岡 敏【著】仲原 穣 
伊狩 典子【協力】中島 由美
『沖縄語の入門 たのしいウチナーグチ』白水社(2000)

便宜上、わかりやすくするために
沖縄が「ウチナーグチ」で沖縄以外を「ヤマト」と使い分けている。

【文字】
日本語。基本的にひらがなだけか、カタカナだけで書く。
漢字を使ってもよい。
【発音】
日本語と、アルファベット、訳を書き、
細かい違いをわかりやすくするため、さらにアルファベットで表示。

ナーダ、ユデーウゥラン、イチュターマティ
naada, yudee-wuran, 'ichutaa mati.
まだ読んでいない、ちょっと待って

フェーク、ユメー!
hweeku yumee!
早く読めよ!

'ichuaaに「'」がついているが、「イ」とだけいうときに喉で言う。
「イッイッイッイ」と言ってみると、喉で言う。その記号がつく。

wとか、Nから始まる言葉もあって
沖縄語は、日本語よりも発音が多い。

日本語は世界一、発音が少ない言語かもしれない

616 :リーダー ◆de85kRb5gY :2019/10/12(Sat) 22:26:16 ID:発信元:133.204.225.167.net
【やいびーん、やいびーみ】
タチュン「立つ」
タチャビーン「立ちます」
びーん、がついたら丁寧語になる。
ヤイビーミ?「そうですか」

マンガ「あずまんが大王」で大阪さんが
「やいびーん、やいびーん、やいびーみ?」とやっていた。
あと、マンガ「ラブひな」で素直にならないまま逃げ回って世界一周する話がある。
沖縄で、じいさんがひらがなばかりで沖縄語で何かしゃべっているところがある。
「なんとかんがぬん」「なんとかちゃびたん」とか言っている。

【沖縄の文化】
日本とかかわりが深い。
沖縄の歌はウクレレで有名だ。
「島唄」などがあるが、誕生の歴史は不憫である。
社会問題でたまにいう絶対的貧困という状況に、本当に陥ったことがある。
だからしかたなく金を手に入れるために、地域の目玉、名物を作ったわけだ。

【57577ならぬ8886】
沖縄だけの短歌のリズムがあるらしい

617 :リーダー ◆de85kRb5gY :2019/10/12(Sat) 22:28:53 ID:発信元:133.204.225.167.net
【ごーやちゃんぷるー】
ゴーヤとは沖縄語で「にがうり」だ。
ちゃんぷるーはやっぱり「混ぜる」という意味だそうだ
この「ちゃんぷるー」は、ゴーヤと肉だけではない
地域によって違う食材でちゃんぷるーを作っている

もやし「マーメナチャンプルー」(豆菜)
ソーメン「ソーミンチャンプルー」(素麺:あずまんが大王)
キャベツ「タマナーチャンプルー」(玉菜)

炒める料理は「タシヤー」という
ソーミンタシヤーという料理があるらしい。

【古い歌に古い言い回し】
琉球の古い言い回しが、歌に残っている。
私たちが古語で話すと言えばアニメくらいしかないのと同じである。

それでは
おわり

618 :リーダー :NG NG.net
呉 兢 著 守屋 洋 訳『東洋の帝王学 貞観政要』徳間書店(一九七五)

620年くらいのころ。
唐の太宗(李世民)がこころがけた帝王学についての本。

このころの中国は政治家には教養が必要だと学んだ頃だった。
秦の始皇帝、隋の煬帝が政治家の悪い見本である。
善い見本は、暁瞬である。
当時、三国志の諸葛孔明を参考にする人もいた。
暁瞬は論語の孔子よりも前、春秋戦国(三国志)よりも前。

たった今検索し、簡単にみると、いつの間にか瞬なる人物がいたことになっている。
暁はいたようで、肖像画が残っている。
もし舜がいなかったとしても、理想的な善政の書物か何かを
本当に政治に使ったということになる。
これは、政治家になったオヤジというよりは、SFやファンタジーが大好きな男の子である。
(現代科学でも、タイムマシンを研究し始めたきっかけがSF小説だそうだ。
SFから入って研究し、どうやら可能かもしれないくらいは考えられている。
実現しない理由は、材料がない、金がない、安全がない
方法は最終決定が出ていない)

619 :リーダー :NG NG.net
当時の中国は中央集権で、一人の君主がすべてを担当していた。
各分野の担当官を配置し、さらにその部下が動くわけだ。
その仕組みの中で、君主が心を乱し、無意識にでも愚かな行動をとると
行動の結果が大勢の人間の人生を揺るがせてしまう。
いろいろわかっていなければ、そんなことは人間には出来ないわけだ。
だから善政の方法を探っている。

今もリーダーシップ論として、中国古典のような帝王学と、
西洋の王様の考え方や、現代ビジネスのMBAがある。

620 :リーダー :NG NG.net
世界各地、どう振舞ってきたかには特徴がある。
西洋は、細かすぎることを言っているのは、理屈にない部分がお手上げ状態だからだ。

中国などは、逆に、理屈にない感覚の部分も非常によくでてきて
言葉遣いは、理屈にない感覚の説明を、どこまでも理屈っぽく言っている。
だから、占術、霊的な側面の記述が、西洋並みに細かいわけである。

日本は具体的なことはお手上げ状態。
理屈にない部分は、日本人にはもともとわかっているような状態だが
表現することはおろか、意識して扱うこともほとんど不可能である。
だが、理屈にない部分の扱いは中国などの東洋の考え方である。

このように、場所によって雰囲気、場所の空気、文化のような特徴が随分と違う。

西洋、ユーラシア、ユーラシアの真ん中あたり(地政学でハートランドともいう)
アフリカ、インド、中国(もっと大きく東洋)、(東洋と重なって)日本、
北アメリカ、南アメリカというように、人の考え方に特徴があるらしい。

これが世界中の人間の多様性を生んでいる。
一人の人間がいくら勉強しようと、これらすべてを理想的に統率できるものではない。
国連はできもしないことをやろうとしているのかもしれない?

621 :リーダー :NG NG.net
話がそれた。

唐は過去の悪政と善政から、政治家として教養が必要だと学んだ。
だから政治家は書物を何度も読んだ。
(竹簡という。竹の割りばしのような平べったい棒を無数に並べ、ひもで結ぶ。
内容を書いて完成したら、巻いたことから、本の冊数のことを「一巻」「二巻」という。
マンガの一巻、二巻のことである)

一方、現代日本では、政治には教養なんてものは邪魔にしかならないと思っているそうだ。
日本政府がすべての問題で、おかしい行動をとるか、何もしないでいるのは
無知蒙昧、無教養なためだろう。
毎回毎回、いつまでも間違い続けるのは、どんな悪党でもできない。

テストで実力で0点をとるのがどれだけ難しいかということだ。
だから日本の政治家は無知を強制する組織なのである。
その考え方が、日本全国の企業などの全ての組織に浸透していると思っていい。
だから、あなたの上司は教養を毛嫌いするのだ。

教養を好いと思う人は、個人的にいいものだと思っていると思われる。

622 :リーダー :NG NG.net
無知無教養では、会社を持つどころか
自分ともう一人の友人関係すらも、失敗できるだろう。
失敗して、馬は合うが、とくべつ尊敬はされないとか
怒らせて仲直りをしたくてもできないだろう。
自分のほうは、怒りに任せて何でもやってしまうだろう。

そういうことをなくすために、私たちはまったく勉強しないでわかるものではない。
生まれつき、そこそこ謙虚で、豪語することもないとする。
そんなに派手なこともせず、失言もない。
金は大金がないだけだとしても、金遣いは荒くない。
人から物を借りたら、何年たっても返したい気持ちになるほど誠実だ。
そういう人も、いないとは言わない。
なぜなら、誰かが何らかの才能を持って生まれてくるのは、人間にはコントロールできない。
何故かそういう能力を持って生まれてくるので、そんな能力がある理由はわからない。
一応は輪廻転生があるが、これは話を省こう。

あなたは「俺は意外とできる部分がある」と思えることがあると思うが
なんでそんな能力を持って生まれてきたのか、輪廻転生以外には説明がつかない。

だから、帝王学がなくても、できていることはある。
だが、それだけで、まったく勉強しないで国を理想の形にできるなんて思う人はいない。

国を理想の形にするため、政治などをするには勉強は避けられない。
政治の法律、技術的なこと
書類作成などの、仕事に必要な作業などだけではない。
人としてどれだけ立派になれるかも含まれる。

現代社会のビジネスには人としての戒めは含まれていない。
仕事がこなせて、金儲けができれば、人間のクズだろうとかまわない。

623 :リーダー :NG NG.net
企業の面接では、嘘つきを採用する企業が実在することも知っている。

本当は、教育の内容には、知識や、
物事を成し遂げるのに何をするかを学ぶだけではなく
人としてどう振舞うかの考え方も含めているものだ。

日本では知識や行動だけを身につけさせ、人としては育てない。
だから、職場には小学生以上に、精神が子供のままでいる大人ばかりなのに気づいていない。
職場で何があってもケンカばかりし、自分の立場だけを主張し、
問題解決をすべて他人のせいにする。
人としての教養がなく、子供以上に、問題があったら怒るしかできないような小人しかいないのである。

624 :リーダー :NG NG.net
何があってもうろたえ、怒って人のせいにして
大将しようとする前に、他人を徹底的に責め立てる小人ばかりなのだ。
知識だけ詰め込んで、人としてのふるまいを黙っているからだ。
だが、日本人はそうやってわがままばかり言う人が増え続けている事には
決して気づけないような状態にある。
だから治せないのである。

わがまま人間を作っている可能性はないと思って
他人がわがままを言った時だけ、相手に怒鳴りつけることで、被害者面しているわけだ。

そういう態度にならないために、教養が必要なのだ。

太古から、人類はそういうことにならないように、戒めのために
帝王学、人としてのふるまいを研究し、まとめ上げてきた。
それを一緒に学び、間違いを指摘しあうことで、愚かな人間を減らそうとする。

それなのに、現代社会は、人としての戒めを捨てるようになっている。
その結果が現代日本の現状である。

625 :リーダー :NG NG.net
これからは、帝王学、西洋の戒め、他の国々の格言、なんでもいいが
愚かな行動をとっているなら「そっちじゃないよ、こっちだよ」と言ってくれる教科書が必要だ。

この教科書も、どんどんいいものに作り替えていけばいい。
すでに作られているから、一部を訂正するだけやっていればいい。
古典名著を訂正するなど恐れ多いと思う人は、すでに治す部分はほとんどないと思ったらいい。
古典名著が本当に優れているなら、いくら考えても治すところなどないはずだ。
だから、そのまま活用すればいいから、書き直さなくていい。
古典名著を崩してしまう心配もない。
というかコピー技術がある現代は、古典の当時とは違う。
A4コピー用紙で好きなだけメモでも取ればいい。
本当に優れているなら、ずーっと直されることはないはずだ。
それだけ、著者の人間観察能力が素晴らしいということだ。

「治すなんて恐れ多い」なんて馬鹿の一つ覚えの単純な反応をしているのは
よく考えないで人の話を聞くからだ。
こう言われる前に、よく考えてから返事をするべきだ。
よく考えないで返事をするから、単純なことしか言えないのである。
そこによって、頭の回転の遅さ、教養のなさが、他人にバレてしまうのである。

626 :リーダー :NG NG.net
そういうことで
『貞観政要』のような人生指南書を読むことで
性格の悪い人間が減ってくれればいいと思う。

おわり

627 :リーダー :NG NG.net
訂正
性格が悪い人間

628 :リーダー :NG NG.net
訂正
>>621
唐は過去の悪政と善政から、政治家には教養が必要だと学んだ。

>>624
大将しようとする前に、他人を徹底的に責め立てる小人ばかりなのだ。

対処しようとする前に、他人を徹底的に責め立てる小人ばかりなのだ。

629 :リーダー :NG NG.net
李 蓮玉[著]『CDレッスン 驚くほど身につく韓国語』高橋書店(2001)

【文字】
ハングル文字。
ときどきハングル語と呼ぶ人がいると思うが、ハングル語というものはない。
韓国語をハングル文字で書くのである。
たぶん、これがごっちゃになっている人がいると思う。
私もそうだった。

【発音】
難しくはない。
「エ」の発音は二種類しかない。
普通に「エ」というのと、大きく開けて舌をすこし下にへこませて「エ」。
唇をすぼめてエロオヤジが女の子にキスを迫るように押し付けて「ウ」
唇をイにしたまま「ウ」というと、イとウが一緒に聞こえるが日本語の「ウ」がこれがあいまいになっているのである。
日本語の「ウ」は世界中の「ウ」があいまいになっているようだが、早い話がいい加減に発音するのである。
余談だった。

「ア」は一つだろうか
「イ」も一つだろう
「オ」は二種類で、唇が小さめの「〇」になるようにウに近い音に聞こえる。
大きめの「〇」になって「ア」にも聞こえる。

630 :リーダー :NG NG.net
【子音「った」、息を吐いて「ぱー」という発音】
日本語で「言った」の「った」のような発音がある。

テレビの韓国人、北朝鮮人の声を聴くと意外とはっきり聞こえるのが「pha」。
息を吐いて「パー」というのが、意外とよく聞こえる。
どんなに学んでも全く聞こえるようになっていない人でも注意すれば案外聞こえる。

【小さいツで終わるような音】
花は韓国語で「ッコッ」みたいになる。「'kos'」
上記の「った」のような音。
最後「っさ」と言おうとして舌を当てるだけで、息のスーも出さない。
「コッサ」っと言おうとして「コッ」と舌をつけたままで終わると思うとわかりやすい。

「t」「p」「k」で「ッ」で終わるような音が韓国語の最大の特徴か

一泊「ハルッパム」ha rut' pam
「t' p」この間の発音は、pに合わせて口を閉じない。
tにあわせて、舌をつけてとめ、pにする。
これをスムーズにやるには、息を止めるのが良い。

631 :リーダー :NG NG.net
上記のやりかたを、息を止めながらやってみよう。


【ちいさいッのようなk,t,p,nの終わり方、区別つけられる?】
「いっぱい」「いっかい」の「っ」は言う人は違いが分かるが
聞いている人は違いを意識したことがないと思う。
だが実際に違うことは理屈は解ると思う。
それを理屈じゃなくて、聞いて違うのがわかる。
あとで「t」「p」を言おうとして止めるのをちょっと練習してみると
なんとなく、違う音なのか気のせいなのかよくわからない余韻があると思う。
唇を閉じた音らしきもの、舌を付けたらしき音の余韻のようなものが聞こえる。
これが一瞬でわかるか、今のように何度も確認しない限りわからないかの差である。
何度も確認しないとわからないだけであって、わかるのである。

こういうのは慣れである。
東南アジアの言語にこういうものが多いので、韓国語だけで考えて
他の言語と関連しないかのようには考えないほうが良いだろう。

実際には複数の言語が似たようなことをしているのだ。
言語ごとに専門用語をわざわざ変えてわからないようにしているのは専門家である。
これが客観性や論理性の欠点なのである。

632 :リーダー :NG NG.net
【語順】
日本語と同じようだ。
名詞と形容詞の位置だけが逆とか、他の言語で当たり前にある。
韓国語はそんなこともなさそうだ。
ただ日本語の語順に並べて、韓国語に当てはめればよさそうだ。

【実際に読んでみた感覚】
まさに日本語の意識で言葉を並べる感じがする。
日本語の漢字の発音と比べても似ているものが非常に多い。
韓国訛りなのかと思うくらいだ。
この差がある理由は日本で言えば漢字を使うかひらがなを使うかの違いのようなものだろう。
韓国(朝鮮)も「漢字圏」に入るのか、漢字の読み方が反映されているのだろう。

この本に
「文法というよりは、それぞれに対応する語彙やさまざまな表現の仕方をおぼえる
といったほうがよいでしょう」とあるが、その通りだ

日本語のこれは韓国語でこういうのかと意識しながら読むのを繰り返す、
というやりかたが通用しやすい
(ほかの言語は文法をがっちり学びながらでないと、読む練習にも入れないが
基本は同じである
文法を中途半端に理解した状態で「実際にはこういうのか」と意識しながら
対応させて読むのを繰り返すとよい
それと文法学習を並行して違いを治しながら読む
そうしているうちに少しずつ正確になっていく
韓国語ではその文法面の負担が軽いだけの話であり、なくなるわけではない
たまたま日本語と考え方が似ていてラッキーなだけである
基本は変わらない)

633 :リーダー :NG NG.net
【不規則変化表】
不規則変化表を書いてくれているのがありがたい(まだ見ていないが)。
実はこれも日本語とあまり変わらない。
全ての外国語が語形変化するが、日本語だけはしないと思っていないだろうか。
日本語で豊富な言い換えができるのも、語形変化しているからである。
日本語は、ヨーロッパの言語のような語形変化もするといわれている。
一文字ごとに入れ替え可能なところは、アジアの言語の特徴ではなく、
アルファベットを使う言語の特徴である。(例:トルコ語)

また余談だった

634 :リーダー :NG NG.net
【発音の組み合わせ】
文字の並び方によって、文字通りではない読み方をする。
言いやすくするためで、どの国の言語も必ず存在する。
「-as mo-」とつながるとする「人 口」と書いてある。
「あっ も」とならず、「あんも」と読む。
このように、文字のくっつき方で読み方が変わるのは韓国語テキストにちゃんと書いてある。

【韓国語の読み方のむずかしさ】
韓国語の読み方で難しいところは、このつながり方が豊富なことである。
文字のつながりで読みやすくするために読み方が変わるが、
この組み合わせは膨大になるらしく、13000ほどらしい。

可能性としてはこれだけの組み合わせがあって、
実際の会話でコロコロ変化するわけである。

韓国ドラマを見ていて、同じ言葉を言っているはずなのに
同じ音に全然聞こえないと気付いたなら、それが理由ではないだろうか。
実際には自由自在に話しているから、読みやすく読み方が変わる組み合わせが
ドンドン出てきて変わっているから、全部違う言葉に聞こえる。

これが韓国語の難しいところだと思う。

この読みやすくするための組み合わせは、実際に使われるのが1800ほどしかないと
いうのだから、その豊富さには驚かされる。

1800でも実際に話す時に全然違って聞こえるくらい
いろんな言い方をしているわけである。

635 :リーダー :NG NG.net
とりあえずはこのくらいにしておこうか

韓国語は日本語に似ているので、本当に学ぶというよりは
「この場合はこう言うんだ」と対応させて読むのが中心になりそうだ。
それ以外にやることがあまりないのは、幸運と言える。

これだけ優しい言語なのに
学ぶハードルをまだまだ下げるというわがままを通したい。
重要なので二回言いました
そこまでして楽して学びたいか、はいそうです

おわり

636 :リーダー :NG NG.net
はいそうです→もちろんです

637 :リーダー :NG NG.net
高瀬淳一『サミットがわかれば世界が読める』
名古屋外大ワークス……NUFS WORKS 1(2015)

G7サミットとはどんなものか。
マスコミがちゃんと説明したことが無いので、一般人は誤解している。
利害関係の調節でひどいことがこっそり行われているとか。
首脳がパーティを開くだけとか。

実際は、首脳が守らないといけないルールを作っているらしい。

G7「国連が機能していない」と言われ、存在しないのと同じという批判はよく聞く。
その理由は、役割のため。

638 :リーダー :NG NG.net
G7,国連が機能していないように見えて、存在していないのと同じ、
ニュースでよく聞く割りには、まったく何もしないように見える。
それは、方針を示すだけの役割だから。

自ら具体的なことも乗り出すと「自分勝手にコントロールしている」などと言われるかららしい。
あと、現場の仕事を奪うことにもなる。
そのうえで、気にして環境問題のほかにもいろいろ扱うようになった。

方針を示すだけの会議だから、具体的なことまで出ていく必要はない。
できるものならやってもいいが、出ていかなくても文句を言われる筋合いはない。
それぞれの役割がある。

海外ドラマで、仕事している人の立場で、これはやる必要がないと
臆面もなく、堂々と言ってのけているのにもかかわらず、周りも文句を言わないのである。
これですぐ文句を言うのは日本くらいだろう。

639 :リーダー :NG NG.net
『サミットがわかれば世界が読める』は、
なんだか読者のご機嫌をうかがっているように見えた。
あとは役人らしく無味乾燥な記述をしているだけだが、
親しみを込めて丁寧に「ですます」で言っている。

G7の数字は過去(2015年以前)に3回だけ変わっているが
実は自由に変えてもいいらしい。
自由に変えていいが、何もなければ必要ないから3回にとどまっただけだろう。

G6,G7,G8,G20と、ニュースで聞いたことがあると思う。

640 :リーダー :NG NG.net
冒頭の「利害関係」「首脳のなれあい」に見えるのは
サミットの見た目で、マスコミがよく知りもしないで簡単に判断した結果らしい。
この本では
サミット・ガバナンスだったかと合わせて2種類で区別している。

「なれあい」の可能性があるのが、やっぱり悪徳政治家の思惑に当たる。
本当に世界や日本社会を良くしようと思っていない政治家なら、サミットなど時間の無駄である。

もう一つはサミット・ガバナンスだったかいう側面である。
これが、理想論かもしれないが、こうすべきという姿勢である。
世界、日本社会を良くしようという方針があるからこそ、サミットで話し合う。

日本全国各地で、衛生、環境、生活さまざまな問題のサミットが設置されている。
実は、日本の政治家は普段、このサミット会場を行き来しているようである。
政治家は普段一体何をしているのか、どこに行っていたのかと疑問に思う人もいるのではないだろうか。

641 :リーダー :NG NG.net
神戸に健康サミットとか、新潟に農業関係のサミットがある。
全国各地に、扱いやすい問題なのか、そのようにバラバラにある。
政治家は日常、こういうところを行き来して、会議を繰り返しているのだろう。
そこまでしても日本が良くならないのなら、現実の人間にやる気がないのかもしれない。
良くしようとやる気がある人間が、どんなにやろうとしても妨害されている可能性がある。

政府機関はやる気があれば、何でもできるのである。
ほんの少しでも政府機関のサービスを受ければ、その賢さには驚かされる。
それを生まれてこの方、一度も受けたことがないこと自体がおかしいのである。

642 :リーダー :NG NG.net
最後に、G7のようなところがあるおかげで、国家の首脳は
みなさん、会社員のように上からつつかれて急かされる役目もある。
首脳にとっての上である。
各国首脳のサミットで、課題をやっていなければ、怒られたり急かされる。
日本の首脳がどんなに腐った人間でも、やらないわけにはいかない。

日本の政治家は、人の言う事を一切聞かなくていいのかと思っていた。
やっぱり、そういう戒めがないといけないのである。

悪徳政治家が利害との関係を無理やりひねり出してでも、
G7の言う事を聞くだけは聞こうとすると思う。
そうしないと世界規模での日本の立場が危ういから、やらないわけにはいかない。

これは、日本のバカ政治家にはいい薬なのかもしれない。
あまり効かないとは思うが、効果が不十分な薬であろうとないよりはましなのだ。

だが、日本の政治家はこれくらいはちゃんとやってもらわないと人格を疑われると思う。
やらない理由をひねり出すようなら、人として危険だと思う。
そんな人間が決して選ばれない社会になればいいと思う。

そういうわけで
G7がどんなところか、これで少しでも理解できていればいいが。

おわり
社会をよくする会議をいくらやったところで

643 :リーダー :NG NG.net
最後の一行消し忘れ

644 :リーダー :NG NG.net
長井利浩『明治憲法の土台はドイツ人のロェスラーが創った
ヘルマン・ロェスラー(Herman Roesler)の『日本帝国憲法草案独文』の現代語訳を通して』
文芸社(2015)

明治憲法の誕生は、ヘルマン・ロェスラーというドイツ人と
井上毅(いのうえ・こわし)という人が中心だった。
それを伊藤博文が高く評価していたというのが真相だと言う。

ところが、現在多く出ている歴史関係の本には、伊藤博文のことだけ書かれており、
この2人のことはまったく触れられていないと言う。

明治憲法のドイツ語文が日本語訳されていなかったので、
戦争70年後になったことでもあるし、日本語訳してもいいのではないか、ということで
この本ができた。

645 :リーダー :NG NG.net
明治憲法の1/3くらいだろうか、プロイセン憲法をそのまま採用しているところがある。
これを提案したのがロェスラーであった。
一部を除けば、天皇(と同じ行動がとれる者が)一方的な行動をとるのに都合がよさそうな内容である。
このシステムは現代日本でも行われているようだ。
天皇制が、万年一系といって、直系の地位族だけの世襲制で、
「決して他の一族に変わることはできない」というのもそう(プロイセン憲法が出典)だ。

明治憲法は漢詩の書き下し文の文体で書かれていて、古語のような言い回しで
ひらがなではなくカタカナである。
漢詩書き下し文でひらがなではなく、カタカナになっているのも理由がある。

在ラス→在らず
逮捕スヘカラス→逮捕すべからず

のように、濁点がないので、慣れるまでは読みづらい

646 :リーダー :NG NG.net
あと、漢字は繁体字といって、画数が多いほうの古い漢字である。
現代の漢字熟語もあり、
古語のように、大和言葉にも漢字を使うことが多い。
だが、とりあえず推測してみてだいたいこうだと思ったら案外当たっていると思う。
現代の漢字と同じ意識で読んでいいし、ひらがなに直したらこれだろうと思ったらあっていると思う。
それくらい、現代と似ているところがある。
だから、今の私たちもゆっくり読めばそれなりに読める。

大日本帝國憲法の冒頭が「告文」とあって、祝詞になっているが
祝詞の全文が一文になっており、信じられないほどの悪文に見える。
文が途中で途切れて「皇祖」という言葉が5回も出てくる
「祖」は繁体字だが、キーボードで変換リストになかった

647 :リーダー :NG NG.net
古い漢字は
繁体字、もしくは異体字である。

【当時のドイツ語】
ロェスラーの「Roe」は、現代ドイツ語で私の知る限り見たことがない。
これは古い言い方ではないかと思う。

あと、私にはわからないが、文法が当時がちょっと違ったようだ。

現代ドイツ語で「bin」が文の最後の単語に出てこないと思うが
ロェスラーの文には「bin」で終わっている文があった。
昔はちょっと文法が違ったのかもしれない。

ちなみに日本が古語のように書くのは役人などの公文書で書くことになっていたらしい。
だから一般人は読めても書くことはないのだ。
もちろん、読めない人のほうが多かった。

読めない理由の一つは、古語のように書き始めて日が浅いからだろう。
明治の一般人にとっては、
何だか知らないが偉い人が読めない言葉でしゃべっていると見えていたと思う。
漢詩の訳を古語のように書くことも知らなかったのではないかと、私の想像である。
話がそれた

648 :リーダー :NG NG.net
マスコミが偏った報道をして
伊藤博文だけが歴史で語られ、私たちはよく知っている。
だが、明治憲法を創るのに最も貢献したのが、ヘルマン・ロェスラーと
井上毅(いのうえ・こわし)という怖そうな名前の日本人であった。
キーボードの漢字変換で一発で出てくるとは思わなかった。

この2人はとても優秀だった。
ロェスラーは政治、経済、文化、教育と、複数のことを理解できた。
井上毅は、「明治の朱子」と言わしめるほどのすごい人で趣味は短歌だったとか。

これほどの人物2人が歴史でわざと伝えてもらえなくて
私たちは知らないわけだ。
この2人が優秀すぎて、周りは嫉妬で活躍を妨害していたものと思われる。
マスコミに教養があるはずがないので、優秀な人間の邪魔をしないはずがないのである。
(マスコミは教養の知識くらいは暗記しているが、使い道のないくらい深いことは一つも覚えていないだろう)

649 :リーダー :NG NG.net
【嫉妬】
本当の意味で優秀な人間がいると、基本的に迫害を受ける。
迫害をする人間は、そこまで優秀じゃないからだ。
「なんで見た目が悪い(笑)こいつがこんなに優秀なのか」と見下しているからこそ、
本当の意味で優秀な人は必ずと言っていいほど妨害される。
本当の意味で優秀じゃない人が、迫害をする立場に立つのだ。

それは、悪い意味で言えば今言ったことだ。
だが、いい意味で言えば、この迫害者は迫害する予定があったわけではない。
優秀になりたいが、なれないという向上心からくるものだ。

どうしてこれ以上のレベルに行けないのか、と悩んでいるところに
優秀な2人がでてきたわけである。
なんで見た目がみすぼらしい(笑)こいつがこんなに優秀で
俺は、こうなりたくてもなれないのかと、自分への怒りが、この2人に向かうのである。

よく言われる「嫉妬から悪いことをする」というのは、こういう意味があったのだ。

向上心があり、どうして上に行けないのかと悩んでいて、
簡単に上に行ける(ように見える)人が現れて、悔しいのである。
これが「嫉妬」の正体だ。

「嫉妬」とは、手に入る可能性のあるものなのに、手に入らないとき、
簡単に手に入れた(ように見える)人がいるときに発生する。

自分への怒りだが、油断すると相手のせいにするのだ。
こうなるとみっともないので、こうならないための教養なのだ。

650 :リーダー :NG NG.net
教養のない愚かな人間が、
本当の意味で優秀な人間を妨害するのは解りきっている。
だから、ヘルマン・ロェスラーや井上毅のような優秀な人間が歴史から消される。
マスコミや、他の政治家は意図的に言わないようにして、嫉妬心から逃げているのである。
そうやって、一部の人間に都合がいい歴史を書くことになる。
マスコミも含めて、あまりにも情報操作、ミスリードに都合がいい立場にいる。
書物を好きなように書いて、気に入らない人間を憎むように私たちを洗脳することも思い通りになる。

そんなことがあってはならない。
マスコミは勘違いした客観性なんてものを持ちださないで
本当の客観性で、起きたことをそのまま書くべきだろう。
今の日本のテレビ、ニュース、あらゆるメディアを見たら、売る以外のことをしていない。
社会をよくする気もないし、読者、視聴者の性格を治そうともしない。
日本社会の価値観に都合がいい人間に私たちを作り替えようという気もない。

かといって、私たちが自由に生きるのは、気に入らないのである。
マスコミは無教養、無知で、物事をありのままに考えることもないのだ。
伝えるときは売れる時だけであり、売れるなら他人の秘密などいくらでも語る。
自分は都合の悪いことは、黙っているのにあまりにも都合がいい。
どこに行っても、取材はOKが出るので、脅しているのかもしれない。
そういう態度でいていいはずがない。

651 :リーダー :NG NG.net
そういうことで、
マスコミが都合よく報道することなく、ありのままに伝えるようにすべきだろう。
本当に優秀な人ほど知らせないという行動が、すでに
「自分はバカです」と大音量でCMしていることになると気付くべきだ。

教養を身に着け、本当に優秀になった人がいて腹が立つのなら
その悔しさをバネにして、もっと学んではどうか。
学ぶ気がなく、二度と勉強しないから、相手を迫害する(いじめる)のである。
おわり

652 :リーダー :NG NG.net
トルストイ『人生論』原卓也/訳 新潮文庫(昭和50年発行、平成29年第60刷)
Лев Николаевич Толстой(リェーフ・ニカラーエヴィチ・タルストーイと読む)
“О жизни”(ア・ジーズニ)

動物的個我が理性的意識に従属すると、本当の幸福が得られるという話。
簡単に言うと、普通に考えられている幸せというものは、人間の真実の「生命」を追求するための
手段として利用して、真実の「生命」を知れば本当の意味での幸福が得られる。

私たちは普通、学問を通して、知識や理屈でものごとをみている。
それがいずれ死んでなくなってしまうときになると、悲しくなるものだと思っているが
その認識は間違っているとトルストイは言う。

死んだりしていなくなって悲しいのは、普通に考えている意識の欺瞞であると。
私たちは本当は、真実の「生命」を知っていて、そのことをまた認識すれば
死なんてものはなくなると言っている。

科学は「影を研究する」と言われ、宇宙の真実の本当のところだけは見えず
その影のような断片だけが見えて、いったいなんの影なのかだけは確認できないと言われる。
それで満足しているのは間違っているとトルストイは言う。

653 :リーダー :NG NG.net
トルストイ『人生論』原卓也/訳 新潮文庫(昭和50年発行、平成29年第60刷)
Лев Николаевич Толстой(リェーフ・ニカラーエヴィチ・タルストーイと読む)
“О жизни”(ア・ジーズニ)

動物的個我が理性的意識に従属すると、本当の幸福が得られるという話。
簡単に言うと、普通に考えられている幸せというものは、人間の真実の「生命」を追求するための
手段として利用して、真実の「生命」を知れば本当の意味での幸福が得られる。

私たちは普通、学問を通して、知識や理屈でものごとをみている。
それがいずれ死んでなくなってしまうときになると、悲しくなるものだと思っているが
その認識は間違っているとトルストイは言う。

死んだりしていなくなって悲しいのは、普通に考えている意識の欺瞞であると。
私たちは本当は、真実の「生命」を知っていて、そのことをまた認識すれば
死なんてものはなくなると言っている。

科学は「影を研究する」と言われ、宇宙の真実の本当のところだけは見えず
その影のような断片だけが見えて、いったいなんの影なのかだけは確認できないと言われる。
それで満足しているのは間違っているとトルストイは言う。

654 :リーダー :NG NG.net
人は物体がいずれ滅んでいくと知っていて
それが残念で、悲しいと思っている。
そう思うのはおかしい、人間は本来、真実の「生命」に生きるものである。

おかしい考え方をしているのは、科学などで私たちが普通に学んだり、知ったりする見方が
悲しく、虚しく、つらいきもちを生み出すように教育していると言っている。
だから真実の「生命」を追求せよと言う。

真実の「生命」を私たちはすでに分かっているんだから、科学で余計な知識をつけるな。
科学で考えるまでもなく、科学で考えようとしていることはすでに知っている。
むしろ、科学で目に見えない真実の「生命」までは絶対にわからないのだから
人間が自分で真実の「生命」を意識しようという。

真実の「生命」を意識する習慣がないのは、科学が人が虚しくなるように教育しているんだと言う。

655 :リーダー :NG NG.net
年寄りになってもうすぐ死んでしまうから、現代日本で保険がはびこるのも
死が悲しいことだという恐怖と不安を利用して儲けようとしていることになる。
だから日本では生命保険会社のCMがやたらと多い。
保険の事業を始めたほうが儲かる可能性がでてきたからである。

話がそれた。

トルストイはいう。
知識などで物事を表面的なことだけをみて、真実の中身なんて存在しないなどと示している。
だから、真実の「生命」を強調する。

私たちがすでに「生命」を知っている理由は、子供から下の赤ん坊までの態度を見たらわかると言う。
大人は知識や経験で心が傷つき、人生をあきらめたが、
子供はまだそうなっていないので、真実の「生命」が輝き、あふれている。
だが、大人にも「生命」はずっとあり、大人が知識や経験でわからなくなっているだけである。
いや、わからないと教育されて生きてきた。

だから、教育された表面的で薄っぺらい中身の空虚な知識は、
中身、真実の「生命」の要求に従って生きるための手段にせよという。

656 :リーダー :NG NG.net
真実の「生命」の要求とは、「愛」に生きることである。

自分一人だけが助かろうとするのは、薄っぺらな知識で真実が存在しないと
思ってしまっている人がやっている。
真実の愛が存在しないと思い込んでいるので、その亡くなっている部分には別の感情が入り込む。
それが恐怖、不安、猜疑心などの感情である。

薄っぺらな知識で動物的個我が創られる。
私たちは肉体を持っているとか言っているが、肉体が私たちの生命そのものを説明なんかしていない。
科学でどんなにすごいことがわかっても、すべてがあなた自身ではないと言う。

あなた、私、人間「自身」というものは真実の「生命」にしかない。

表面的な知識と普通の認識、中身の本当のあなた、真実の「生命」の関係は二重丸を想像するといい。
「◎」の大きいほうが科学や、ふつうの考え方で物を見ていて、
本質なんてわからなくて、見るもの聞くものがすべて、何の意味もない物体がそこにあるだけに見えている。
表面の薄っぺらな蜜柑の皮、柿の皮である。
「◎」の小さいほうは、真実の「生命」の要求があり、あなた自身、人間の内面を差す。

人間が苦しみを感じているのは皮がすべてだと思っているから。
真実の「生命」を信じていない人間は、薄っぺらな皮しかわからないので、
中身には恐怖と猜疑心が満たされるため、何事も疑う。
こうなると、いつ他人が自分を痛めつけるか心配なので、先に痛めつけておくわけである。

こうやって人間は悪事をするんだという。

657 :リーダー :NG NG.net
人間がこんな体をしているのを根拠に、神秘や愛情が存在しないと決めつけるのが科学である。
トルストイの言い方だと、科学で中身のない薄っぺらな知識のほうが生命であるという。
ようするに、人間がこんな体をしている物理的な状態が、無形の「生命」と直結していると思っている。

少し考えてみてほしい。
あなたの体がどうなろうと、あなたの性格に関係あるだろうか。
あなたの心は皮膚ではない。
心は心、皮膚は皮膚である。
精神と肉体がセットで言われるように、心と物体が同じと思う人はいない。

だが、科学は人間が病気になるから人間の生命そのものだと嘘をついている。
人間の体に悪玉菌がいて病気になることがある仕組みが、あなたそのものだと科学は言っているのである。
そのとおりと思う人はいないだろう。

658 :リーダー :NG NG.net
体の仕組みと、真実の「生命」が全く同じと思う人はいない。
精神と肉体という言い方をするのと同じで、物体と真実の「生命」とセットにする。

真実の「生命」を忘れて、表面的な物体だけを見て生きると
何事も信用できなくなり、あなたは物体の状態によって幸せが左右されることになる。
つまり、他人があなたの人生を決めるわけである。

だからつらくなる。
知識しかなくて「生命」なんてものはないと思うと、知識が自分をいつ傷つけるかと心配になる。
だから、その妄想が強烈すぎると、自殺を考えるようになるという。
こうやって人は自殺したくなるという。

659 :リーダー :NG NG.net
だから動物的個我で、ただの知識や物体の科学しかこの世に存在しないと思っていると辛い。
この辛い気持ちを解決するのが、真実の「生命」や愛の要求に従うこと。
真実の「生命」や愛は、子供の時からあなたは知っているからできるという。

この「生命」「愛」は一時やればいいというものではない。
もともと人間に備わっているのだから、死んで終わるものではないと言う。
生まれた時に初めて「生命」に生きようとしたり、「愛」を持とうとするわけじゃない。
もともと人間という存在が「生命」と「愛」を持っている。

ただ持っているだけの状態を、あなたの外に見かけるわけがないのだ。
だから世の中には生命、愛がなさそうに見えるのだ。
自分が生命、愛である。
動物は自分がどんな状態か、自分の外から見ることが出来ないのと同じ。
あなたは自分が生命みなぎり、愛であることが外から見えなくて当然である。
だから生命、愛を意識して、薄っぺらな認識に中身が備わる。

人類皆そうなっているので、生命、愛は永遠である。
つまり、死ぬも生まれるもないのである。

660 :リーダー :NG NG.net
知識だけだと、誰かをいたわる理由が存在しないので、痛めつけても平気である。
それが科学の欠点だ。

そこに「生命」の要求を入れる。
人間の本当の幸福とは、自分一人だけが助かることではない。
人類全員がお互いに助け合うことこそが、真実なのである。

始まりも終わりもない「生命」が、全員、助け合うのが本来の状態である。
知識や科学などの薄っぺらな屁理屈は、助け合い、永遠に幸せになるための手段でしかない。

661 :リーダー :NG NG.net
真実の「生命」は、始まりも終わりもない、時間と空間を超越している。
ただずっとそこにいて、今愛を感じていることしか認識しない。
だから老いて死んでいくことが悲しくなることなどありえないのである。
ただそこにいて楽しそうにしていて、何時間たったとかどこにいるかとかは考えない。
今どう思っているかが大事であり、ただそのようにしているだけが生命である。

その生命が、そのようにしているだけのために知識を使う。
それ以上の過剰な屁理屈は害悪でしかないのである。

トルストイの考え方は、ふんふーんと楽しそうにしてそのままずっといるだけと言っている。
どうなろうと、「生命」の要求に従っていれば、悲しいも死んでしまうも何もないと言う。
ただ幸せなだけだ。

苦しいことが会ったら、すべて、この幸せを成長させるだけのために苦しむという。
「生命」を意識できている人はそのように解釈すると言う。

「生命」を信じていない人が、すべてを疑い、なめられたくないと恐れたり
先制攻撃をしておいて
敵でも何でもない他人を、まず脅しておくのである。

トルストイの言う通りなら、人間が残虐行為をしないでいられる方法も書いている。
自分の中で滅びの悲しみは嘘っぱちだとも書いている。

この考え方を知っておくことで、明るく元気に生きてほしいと思う。
そうしているうちに、あれ、なぜか体が止まっちゃった。
あっそう、で済ませられる未来が来るかもしれない。

つらいことが多い人生でどう考えるべきかが書かれている。

662 :リーダー :NG NG.net
ちょっとでも辛いのが怖いという人は、つらさは幸せをより素晴らしくするためにあるんだということだ。
つらさ、苦痛を感じなかったら、よりよく、なんて思わなかっただろう。
ただ意味もなくつらいのではないと、よく考えよう。

とくに日本ではわずかな苦痛でも恐れているので、よく考えたほうが良いだろう。

最後に、タイトルのロシア語のこと。

663 :リーダー :NG NG.net
О жизни

「人生について」で知られているからこうなっているが、
「ジーズニ」は「生命、人生、生活」などという意味がある。
内容から言って人生ではなく「生命」のようである。(訳者によると)

「人生について」「人生論」で知られているから
訳者は余計なことをしない方が誤解がないと思って「人生論」のままにしたという。

内容からは、どうみても「生命」である。
訳者が「ジーズニ」を「生命」とあえて統一しておいたのはあるが。
全く問題なく読める。

664 :リーダー :NG NG.net
私も普段から「人生が生活の邪魔をする」などという。
人生、つらいことしかないと思っている人は、人生が自分を邪魔して見える。

勝手に不利な状況に陥るのは、神秘的な力がはたらいて
自分の人生の全体が、自分に不利になるように動いていると思えている。
これまでの人生、悪いことしかなかったと思うので、人生が自分を邪魔すると思う。
何がいけなくて人生は自分を邪魔してくるのか。

よく言われる考え方をすれば、宇宙のルールのようなものがあるのである。
トルストイのいう「生命」の要求に逆らっているから不利な状況に陥る。
ここまでなら今の日本人でも思いつくが、もう一つ。
不利な状況に陥る条件としては、かなり神秘で、理屈が無いことを言っておく。

つまり、「生命」の要求に反したことを思うだけで不利な状況が実際にやってくる。

665 :リーダー :NG NG.net
なぜなら、自分一人だけではない大愛に生きていないからで、
この考え方を知らないだけでも本当につらいことが起きてしまうのである。

何もしていないのに、知らないだけで実際に苦しめられる。
まるで、自分を観察して、愛を知らないようだと解ったら戒めている誰かがいるかのようだ。
そんなことが起きるのは、偶然に通りかかってなんとなく話しかける、問うことすら起きない
確率的にあり得ないほど狂った確率で起きることになる。

普通に通り過ぎれば出会うはずが、普通に通り過ぎても絶対に出会わないのは
人生が出会いを妨害していなければおかしい。

だから、人生「生命」が要求することにあった考えを持たないだけで
じっとしていても、なぜかつらいのである。

現実の世界はそうなっているんだと、ここで知っておいてほしい。

そういうことで
現実は「言わないから存在しない」という理屈は通用していないのである。
間違ったことをしなくても、間違ったことを思うだけでも実際に責任を取らされている。
間違ったことを思わなくても、知らないだけでも責任を負わされるように
後始末のような、つらい仕打ちがやってくるのである。

なぜそんな世界に私たちは生きているのか。
バレなければ何をしてもいいなどと思っていてはいけないのである。
現実は理屈にはないことのほうが90%以上あるのだ。
知識や理屈なんていくら使っても、愛を実行できなければ今まで何をしてきたの、ということになるのである。

おわり

666 :ぴょんちさ :NG NG.net
666だなって

667 :リーダー :NG NG.net
おひさ

668 :リーダー ◆de85kRb5gY :2019/11/23(土) 02:01:11 ID:発信元:133.204.225.167.net
ほしゅします

669 :リーダー :NG NG.net
著|玉田 大 水島朋則 山田卓平『国際法』有斐閣ストゥディア(2017)

国家間の法律。
世界情勢ニュースででてくる用語がこれ。

『国際法』法典のような、六法全書に当たるようなまとまった書物はないと言う。
世界の条約が締結とか、
政府機関(WHO、NATOのようなもの)がいろいろやっている全体の通称だと思われる。

デモ活動や暴動、戦争、紛争、人種差別、労働者が不当に扱われるなどの問題があると
国連などが命令したりするための法律。
香港のデモで勝訴などといっているのも、法律を守って訴えたから、今は落ち着く。
おそらく中国政府は、今後、このようなことを指せないように仕向けるだろうと、今日、テレビでコメントしていた。

670 :リーダー :NG NG.net
国とはどういうものか、国家間の約束ごと。責任。
世界の全国家に対する責任のことを「対世的責任」というらしい

地球をどのように利用するか。
【海】
国境の延長線上で分割する。
大陸棚などの名称はこの法律の区別から来ているようだ。
てっきり理科の専門用語化と思っていた。
「島」の定義もある。

「排他的経済水域」と「大陸棚」の限界は、普段は一致させることにしている。
大陸棚がきれいな円形になるわけがないので、自国の大陸棚がはみ出ていると
所有権を主張したりする。
そして、一部だけは認められていたりする。
キレイな円形のどこかから突起物がでたような領域が自国の領海である。

671 :リーダー :NG NG.net
【陸】
尖閣諸島などのこじれた領土問題は、海岸線からの距離「200カイリ」の範囲内で
どちらのものかという争いをしている。
国際法の話なので、中のことよりも外のことを解説する。
200カイリより近いところがややこしい。

【海洋法】
海峡などを戦艦が通る「ハイスクール・フリート」の世界である。
海軍の上層部はすべての戦艦がどこを通っても、自軍の兵士に向かって
この海洋法を考えて発言しなければならない。

【南極】
かんぜんに中立の領域で、誰のものでもない。
南極点のポールから、放射線状に円グラフのように各国の領域が決められているという。
日本の「白瀬調査隊」が実際に南極へ行ったらしい。
これがアニメ「宇宙よりも遠い場所」の元の話だろう。

【領空侵犯と領海侵犯】
空から他国の領域に入ると「領空侵犯」というのは映画で素人でも記憶している。
ところが、海のほうは「領海侵犯」とはなかなか言わないのに気づいているだろうか。
海のほうはただ他国の領海に入った程度なら「領海侵入」というらしい。
よほどのことがない限り「領海侵犯」にはならないという。

672 :リーダー :NG NG.net
【宇宙協定】
宇宙も徐々に法律できめている。
【月協定】
これがあるからスペースXは月の土地を販売できるのだろう。

映画は「スター・ウォーズ」「スターシップトゥルーパーズ」
ラノベは「スターシップ・オペレーターズ」だろうか
ラノベの一巻だけ読んだことがある。

【犯罪者受け入れ】
テロなどの犯罪ほどでなくても、国家間を犯罪者が移動すれば国際法が関わる。
重要度というか、上下関係のように優先順位が決まっていて
そのせいで過剰に厳しい処罰を受けたり、処罰されるべき犯罪者が逃れるケースがある。

673 :リーダー :NG NG.net
過剰な厳しさや、思いがけず逃れないようにするため、
世界情勢のような様々な問題が発生し、収めようと注意するために条約を決める。
条約を作り、各国が署名し、締結、実効されれば社会問題が変化していく。
つまり、世界情勢で政治家が、デモ活動などに対してやっているのは
「やめなさいよ。さもないとこうするよ」という「しつけ」なのである。

【平和維持に武力を使うか?】
しつけのために条約が創られ、原則、武力で平和維持をするのは禁止となった。

PKO「平和維持軍」は、通常は自衛のためだけに武力を使っていい。
だが、のちに日本が介入し
平和活動のためにほかの誰かが活動中、危険な目にあった時に
守るために武力を使うのは良いことになった。

674 :リーダー :NG NG.net
【干渉・介入】
ニュースで「アメリカの干渉」「中国の介入」のようなことをよく聞く。
介入とは、平和的手段で他国に指示を出すこと。
平和のためであっても武力を手段としてはいけないことになっているので
武力を使わないで何かすることを「干渉」「介入」と言っている。

【日本国憲法の重要性】
条約、憲法、法律には、どれを優先すべきかの序列がある。
国によって違っている。
ニュースでなぜこれが優先的に語られるのか、ヒントになるかもしれない。

条約>憲法>法律(オランダ)
憲法>条約>法律(日本ほか)
憲法>条約=法律(アメリカ)

条約を優先すれば、世界の言う事を聞きやすい。
憲法を優先すれば、世界に逆らいやすい。

675 :リーダー :NG NG.net
そういうことで
だいたいを書いてみた。
世界情勢のデモ活動や戦争、紛争、人道危機などの問題は
条約が決まって行われるといきなり収まったりする。
このようにして、少しでも、いい世の中を作ろうとしている。

人間関係は「しつけ」をやめることができない。
世の中がどういう場所か、問題を戒めながら他人に思い知らせる。
戒めの見せ方を工夫して「何をしていいのか、何をしてはいけないのか」を叩き込むしかないのだ。

おわり

676 :リーダー :NG NG.net
佐島勤『魔法科高校の劣等生16 四葉継承編』Illustration石田可奈(2015)

――深雪が俺の妹ではないなどということはあり得ない

677 :リーダー :NG NG.net
日本語の伝統を守る会『雅やかな大和言葉「御所言葉」を上品に話す』主婦の友インフォス情報社(2016)

京言葉と御所言葉という言葉があって、
やわらかく聞かせたり、幸運をなくさないように聞かせるもの。
忌み言葉というものを避ける。
日本人がたんなる物の名前を聞いただけで、物の名前を言った人のことを
性格が悪いと思うのもおそらく大和言葉にあるだろう。

べつに性格が悪いから物の名前を知っているわけではないと思うが。

【若干の御所言葉:下ネタ】
おてすまし:トイレ
よそよそへまいる:トイレへ行く
おすそ:下半身
たとうがみ:ティッシュペーパー
おちょうず:大小便
おまる:腰
おめぐり:生理

今、下ネタを直接的表現しか言いたがらない人が多い。
こういう言葉を知っていると、汚いと思われにくいが
日本人のことだ、汚いと思うはずだ

678 :リーダー :NG NG.net
【体】
あせ:血
おつむ:頭
いど:尻

【食】
かぼ:かぼちゃ
ゆかり:ニシン(ふりかけの「ゆかり」か?)
くこん:酒
ねりくこん:濁り酒、白酒
くこんこと:酒宴、飲み会
まんまん:饅頭

679 :リーダー :NG NG.net
【人間関係】
めこ:女の子
わこ:男の子
いもせ:愛し合う男女
あもじ:姉
いろねこ:妹(色猫?にゃんにゃん?)

【他】
おたから:お金
ひくい:安い
うちまき:米
しらいと:素麺、索麺
おべん:弁当
おいた:かまぼこ
おひら:鯛

たもじ:タバコ
例文「たもじ吸う人肩身が狭い」

680 :リーダー :NG NG.net
【寝具】
おしとね:布団
おねめし:ねまき、パジャマ
つきよ:巻鮨
例文「月夜の晩にはみんなでつきよ」
むもじ:麦
およなが:夜食
例文「夜長に備えておよながを」

このくらいにしておこう

681 :リーダー :NG NG.net
簡単に前書き、リストがずらっと並ぶだけの本。
一ページ3つで大きな文字で並ぶ。
それだけなので、読んだ時間は丸々でも半日もたっていないと思う。
すぐ読めるので、一読してみてはいかがかな。

言葉や文化を維持している限り、何があってもその民族は廃れないと思う。

最後に本の冒頭にある言葉を書いて終わる。

682 :リーダー :NG NG.net
Quand un peuple tombe esclave, tant qu'il tient sa langue,
c'est comme s'il tenait la clef de sa prison...

Alphonse Daudet
"La Dermiere Classe"
(Dermiereの一つ目のeに`がつく)

ある民族が奴隷となっても、その国語を保っている限り、
牢獄を開ける鍵を握っているようなものです…

アルフォンス・ドーテ
『最後の授業』

おわり

683 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
保守

684 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/02(月) 23:19:57 ID:発信元:111.169.124.197.net
ピーター・ドラッカー『マネジメント 務め、責任、実践 III』有賀裕子[訳]
日経BP社(2008)

有名な『マネジメント』。
過去にエッセンシャル版を読んで、組織形態の4タイプを知ったと思うが、
この3巻でやっと「5つ」でてくる。
一番いいのは「連邦分権制」という。
残り4つはあまりよくないが、何事も欠点の一つくらいはある。
だから複数の仕組みを使い分けることになる。
たった一つですべてをこなそうとするほうが愚かと言える。
日本のビジネスは何事も単純に考え、それが正しいと思い込む。
「発言したことはすべて存在する」などと解釈するのはもってのほかだ。
そんな解釈をすれば、現実がめちゃくちゃになるし、理論がまったく扱えなくなる。
実際に日本政府のやっていることが、やってはいけないことが中心になっているのも
現実を見ないで、妄想を見て判断しているからだ。

数学は、現実を考えていない説明だけの部分で現実に合わせようとムリをしている。
だから過剰に理屈っぽいし「数学をやるとこの世の全てが機械でできているように見える」と言われる。
そう見えるのは自然なことだろうが、だからといってそれがすべてと思っては、 それこそ非科学的な態度と言える。
何事も、単純に扱うほど愚かなことはない。

685 :リーダー :NG NG.net
なぜ人は単純に考えるかというと、一度にたくさんのことは考えられないからだ。
記憶は、がんばっても一度に7つで、できれば1つに近づけるほうがいい。
並べるときは3つにしたほうがいい。

記憶はそれくらいしか覚えられないし
思考できるのは、一度に一つのテーマだけだ。

だから、頭がいいとはどういうことかというと
一つのテーマを考えるときに、何が起きても対応できて
途方にくれない人のことを言う。

だからビジネスで物事を単純にしか考えないのは頭が悪いと言える。
はなしがそれた

686 :リーダー :NG NG.net
5つの仕組みは
「職能別組織」
職能(専門的なこと、具体的なこと。課内)の中を見る。
日本ではモノづくり、書類整理などのそれぞれの具体的な分野で、みんなが最高を目指している。
ニュース、テレビでスポーツなど、それぞれの活躍で最高を目指す。

こうすると、たくさんの分野の集まり(企業、日本など)がどこへ向かっているかがわからなくなる。
自分以外の課のことには無関心になる。
イライラがつのる。
「チーム型組織」
職能別と相性がいい。
モノづくりのような限られたことでも、知識労働でも何でもいいが、
その場で突発したことに、いきなりグループを作って動くための組織。
日本人の性格がチーム型組織的な考え方である。
人間の人生全般がこの組織にみえるようになっていることに気づいた。

チーム型組織は芸能界、CM用映画撮影のような現場で使われる。
一人一人がチームの責任をもって仕事をする。
一人一人の間で、一緒に仕事をする相手の個人的事情はどうでもよくなる。
一人一人が自分の専門をチームで生かすために集まるので、
マーベルの映画のように、複数のヒーローがわがままをいって、まったくまとまりがなくなる。

チーム型組織では、上下関係がないというのが、意外だった。
日本では、体育会系にあるように、チームに上下関係を持ち込む。
一秒早く来ただけの理由で、先輩風を吹かせるから、調子に乗る先輩が多い。
後輩は、自分に後輩が出来たら仕返しをしようと企んでいる。

一人一人のすぐれた能力が必要だから集まって一つの仕事をする。
だから、上下はない。
そこから、状況次第でふさわしいと思う人間がリーダーになると言う。

687 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/02(月) 23:46:20 ID:発信元:111.169.124.197.net
「疑似分権制」
「分権制」
この二つは文字通りそっくりだから、「分権制」の説明はほとんどない。
ようするに権限がもうすこし緩んだのが「疑似分権制」だ。
この制度では、自分の利益だけを追求するようになる。
「職能別組織」も自分の利益を追求するように必ずなるので、似ている。

「システム型組織」
「チーム型」は個人であつまるが、「システム型」は組織が集まる。
もちろん、一つ一つが自律しているので、まとまらないはずだ。
だが、個人ではないからか、うまくやっているケースは意外と多い。

経営研究の専門家ではNASAだけが話題に上ることが多い。
NASAはご存知、そのわりにはよくやっているイメージがある。
実際によくやれているのは、宇宙には有権者がいないからだと言う。

他に「システム型組織」を扱うのが、なんと日本である。

688 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/02(月) 23:53:43 ID:発信元:111.169.124.197.net
日本の組織は、どうやら「システム型組織」であることが多いらしい。
しかも、他の制度も場合によって使っている。
唯一、いいといえるのが「連邦分権制」だが、これも使われる。
日本はよさそうに見える。
これだけ言えば理想的にも聞こえる。

では、なぜ、みなさんは現実に
仕事に関して憎しみのほうがつのっているのか。

システム型組織をすると「なあなあ」で済むのだ。

全ての人間が、自分が何をしているのかを知ることが出来ない。
会社が何を目的としているのかもわからない。
情報共有もない。会社の方針に明快さもない安定性もない。
問題の解決策が何か思いつき、実行しても長続きしない。
柔軟性はあって、新しいアイディアを受け入れるが、受け入れすぎるくらいになる。
マネジャー、優秀な人材の育成には向かない。
経済的に行動することもできない。

これらの問題でシステム型組織が機能停止するのを防ぐには、
人間同士のコミュニケーションで、人間関係の力に頼るしかない。

ところが、日本では人間関係を拒否する人ばかりなのだ。
ニュースや声を聴けば、人を育てるなど嫌だと大声で言う人もいる。
明確に、人間関係を拒否している。

もっとも必要な解決策を、大声で拒否して、人とケンカまでするのだから
日本のビジネスは機能不全を続けているのだ。

689 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/02(月) 23:57:21 ID:発信元:111.169.124.197.net
日本の企業は何をしているかよくわからない態度だ。
欧米の企業からみても、日本人は時間稼ぎをしているように見えると言う。

おそらく日本人は自分がやったことを他人がやったことにするために
アリバイを作り続けているのだろう。
物の名前を言っただけで罵詈雑言と解釈するのだから、
普通に考えた行動はとらないのだ。

日本人がやることはおおむね、事実に反してしまうわけで、
日本人がどうしてもできないと悩むのは当たり前のことなのだ。

日本人がイメージしていることと、実際が違うのだから
どうやってもできなくて当たり前である。

だが、日本人はその解釈でいいと思っているのである。
事実を重視するという言葉を暗記したから言っているのであって
実際に事実を重視できていないのだ。

690 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/03(火) 00:19:33 ID:発信元:111.169.124.197.net
「経営は科学なり」というそうだ。
体育会系が、無知のままいきなり出ていてやるだけでは済まない。
いくらかの知識があっても、パッと出ていける、というくらいの勇気でいいのだ。
体育会系で、深く考えずに体を痛めつけるだけの忍耐力があるだけで採用する企業ばかりだが
そういう人間は、精神的ダメージには弱いのだ。
体を痛めつけるだけが人生の苦労だと思っているようでは、
弱者を守ることなどできない。

弱者の前に立って、強い敵を本気でぶん殴るだけが問題解決と思っているようでは世の中を変えられない。
必要かもわからない商品を大量生産するだけに終わる。
争いは最小限に、話もして解決に導くということは
言葉が扱えなければいけないのである。
体育会系が経験でしゃべればいいわけではなく、知識が必要なのだ。
経済学、経営学、政治学の何もかもを知る必要はもちろんない。
だが、無知で体だけの人間が、繊細さと大胆さを求められる平時の経営がなぜできると思うか。
困ったら銃撃、困ったらぶん殴る人が、交渉できるだろうか。
交渉ではなく、ご機嫌取りをするようになるだろう。

だから、少し知ったうえで、まったく迷わない程度の勇気があればいい。
必要以上の筋肉馬鹿は、このままではだめだが、不採用といって消してはいけない。
だから人材育成をし、みんながマネジメントの意識を持つのだ。

691 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/03(火) 00:19:48 ID:発信元:111.169.124.197.net
マネジメントは人材育成をはずすことはないだろう。
人材育成をする気がないなど、採用する人間を最小限にとどめようとするに等しい。
そんなことをしていて、人材不足に文句を言っているのを滑稽と思わなければならない。

そういうことで
日本人は仕事も、生活までも憎しみだらけで、元気が無くて
うまく考えられなくて、ご機嫌取りばかりしている。
それは、「人を怒らせるシステム」があるからである。
そんなシステムを作っておいて、人が勝手に怒ったと思うなどバカのすることだとわかるだろう。
これからはマネジメントを取り入れ、人々は喜びがあり、成果を実感する仕事ができるようになってほしい。

怒りは、思考停止を作り出すのだから。
おわり

692 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/11(水) 22:52:11 ID:発信元:111.169.124.197.net
叢小榕(そう・しょうよう)『老荘思想の心理学』新潮社509(2013)

『老子』『荘子』『列子』『韓非子』『呂氏春秋』『淮南子』などの名言を心理学で解釈する。
2000年以上前から、人の心についてわかっていて、しかも活用していたという話。
孔子の弟子たちは、人の心の仕組み、動きを観察し、実際に他人の悩みなども解決してきた。

ところで『荘子』などの思想を持つ人たちは、『孔子』をあえて否定してみる一派らしい。
「ほんとうにそうだろうか」とか「孔子はこう言っていてみんな素晴らしいと言っているが
それが正しいとしたら、こんなことになる」などと、否定してみる一派がいた。
それが可能なのは、言葉ですべてを表現することなど不可能だからである。
この不可能をやれると信じていないくせに、他人に強要する人が理系にいるようである。
しかも、自分は証明しないように仕向けて、論理学を持ち出して「そっちが先に証明しなさい」と言ってくる。
専門知識を怠慢の理由にしている。話がそれた

693 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/11(水) 22:56:07 ID:発信元:111.169.124.197.net
「足るを知る」「胡蝶の夢」など、有名な話を心理学で解釈する。

面白いのは、当時の中国人は、夢と、起きているときの世界を区別していなかったようである。
だから「胡蝶の夢」のような、混乱があったわけだ。
今の私たちは、起きているときにほっぺをつねったら痛いから現実だと思う。
おそらく、西洋でも同じように思うだろう。
だが、昔の中国では「夢とうつつ」を同じ世界ととらえていた。

それは、老荘思想で「万物は一つ、すべてつながっている」と思っていたから。
無為自然がいいといっているので、欲望などがすべてなくなれば、何事も一緒じゃないか。
だから死のうと病気になろうと、なんの心配があろうと言っている。
全部が、大自然、宇宙の一部なんだから同じじゃないか。宇宙が一喜一憂するかね。

そこから「じゃあ、私は今、夢を見ているのか?起きているのか?」となったんだろう。

面白いのは、物をなくしたりすると、物がなくて記憶だけになる。
万物が一色のように、区別がなくなるので、記憶だけを頼りにしようにも忘れるわけだ。
あれ、どっちだっけ、俺は物をもっていたのは夢を見ていたからか?
と考える。

これは本にでなく、今ここで思ったが
日本人は生まれつき、これが直感で理解できる。
というか、うまれつきに見えるのであって、このような認識をする文化で育ったため
区別がつく状態で生きているのだろう。
日本人はおそらく、起きているときと、寝ているときの区別はついていたと思われる。
そうでなければ、政治や国の未来を、巫女の「夢見」に頼って決めたりしなかっただろう。

694 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/11(水) 22:57:54 ID:発信元:111.169.124.197.net
今思い出したが、平安時代の日本とかで
今の私たちと同じように、夢のことを語っていたはず。
それで、昔から日本では、夢とうつつの区別はついていたんじゃないか。

中国の老荘思想はそれがごっちゃになりやすいので面白い。

この本は、著者は、大学教授で心理学の専門家と知り合いになった経験がきっかけらしい。
居酒屋で老荘思想を語り、心理学の解釈を聞いているうちに、本にする気になったようだ。

久しぶりに心理学の話を読んで、月曜日に読み終わった。
そういえばそうだったなと、半ば忘れていた。

人間にどういう心理があるか、ケーススタディーになるのではないか。
一読してもいいと思う。
ちょっと悪文だから、理解しにくくても心配しなくていい。
文章について、私のイメージを言えば、推敲が足りない感じがした。

それではこの辺で
おわり

695 :リーダー :NG NG.net
ましこひでのり『愛と執着の社会学 ペット・家畜・えづけ、そして生徒・愛人・夫婦』
三元社(2013)

人が人を虐げるのは、動物虐待と同じである。
動物はペットになって可愛がられるか、競馬などに使われているかの違いがある。
野性は人の影響がないように、人類は気を付けているつもりだが、実は大きな影響を受けているという。

ペットは可愛がられているが、本当にかわいがるなら家に閉じ込めない。
私はペットを飼ってないのでくわしいことはわからないが
ネコには家にいても構わないタイプと、家にいなくてほとんど外出しっぱなしのタイプがいると思う。
この本を読む前から、外出しっぱなしにするか、ネコがいつ出ても帰ってきても構わないとしたほうが良いと思う。
この本を読んで、動物全種類を外出がいつでもオーケーにしないと、ただの執着心ではないかと思えてきた。
(日本の地方自治体は、動物を飼うのを禁止する以外は何も考えられない無能だ)

競馬の競走馬は、実はとてもかわいそうな生活を送っている。
アニメ「ウマ娘 プリティーダービー」でサイレンススズカが日本最高としてでてきた。
(フランスにもっとすごいのがいるという設定だが、事実かもしれない。
競馬に詳しい人なわかるだろうけど、私は知らない 笑)
サイレンススズカは、実際にアニメのようにすごい速さで走った。
だがアニメと違って、走るだけで足を折ったかして退場、数日後に殺害された。

普通、動物は、足が取れるまで走ったりはしない。
人間が強制したのである。

696 :リーダー :NG NG.net
野性動物への影響は、
保護のためにできるだけ近づかないとか人類はほざいている。
実際には生活に影響がでるくらい、人間がうっとおしいらしい。

動物と人間の間で何か問題があると、動物が一方的に従わされる。
人間の都合がいいように、動物をコントロールしている。
(日本の地方自治体は、強制する以外何一つ考えられない無能だ)

ペットとして可愛がって、たしかに飼い主とネコが全く同じに見えるくらい仲良くしていることもある。
飼い主はペットに似るとも言われる。(そうか?)
人間も手の甲で顔を触ったりするようになる。たぶん。

そして捕鯨問題は、捕鯨反対派に過激な集団、グリーンピースがいるが、
これも言っていることは間違っていないようだ。
(といっても言っていることを私はしらないが、この本で感じた)

本に直接書いていたわけじゃないが、どうやら捕鯨反対派は
動物を大切にする意識が人類に合っても、それはただの欺瞞であると、
理解したのではないだろうか。
調査をして、そのことに気づいてしまったのではないだろうか。

ペットを可愛がっている人がいるのも確かだ。
私も動物を見たら基本的にかわいいものだと思う。
顔よりも、性格がかわいいと思う。
おおむね、大切にされるような心の持ち主が動物だと思う。
(野生のような環境にいる動物は、警戒心が激しい)
だが、どうやら、ちゃんと調べれば、動物に対する態度はほとんどが欺瞞のようだ。

697 :リーダー :NG NG.net
『愛と執着の社会学』によると、動物に関しては、反吐がでるような残虐な仕打ちがある。
ペットを可愛がっている人から見たら、悲しくなるようなことが積極的に行われている。
この文明社会にて、食材になる動物が、どうやって食材になるかとか、私たちは見ることが無い。
想像してしまったら、なんとなく「うげっ」と思うが、普段は考えないだろう。
実際には、ホラー映画のほうがマシなくらい、悲しくてひどい光景がある。
それがあったうえで、私たちは牛肉、馬肉などを食べていられるのだ。

この本の前半が動物のこと。
後半は、同じ仕打ちを、立場の弱い人間がくらわされているという話だ。
なんとも、吐き気を催すような話である。

698 :リーダー :NG NG.net
人間の世界では、立場の強い人間が一方的に
立場の弱い人間に対して、ひどい仕打ちを好きでやっている。

ブラック企業、パワハラ、セクハラ、いじめのような、その場の人間関係だけではない
社会制度の全てがそうなっている、と思ったほうがわかりやすいというのが
社会学からアプローチした解釈のようだ。

学校は「通わなければならない収容所」である。
企業の行動の一部はナチスの考え方が基礎になっている。

どちらも、身体的に無理をさせて「病気になったら許さない」と言っている。
これは、競走馬が走るだけで足がもげ落ちるように強制しておいて、
足がもげ落ちてはいけないと言っていることになる。
(サイレンススズカのように走る馬も含め、すべての競走馬は、やせこけるくらいに摂食している
その状態であのキレイで健康的な肉付きをしているのだ
陰で痛めつけながら、見た目はきれいにしているわけだ)

学校教育が個人差を無視するのは、動物に多様性を求めないのと同じことだ。
「平均点は70点、60点以下がいることは許されない」という方針らしい。
60点以下は落ちこぼれではなく、人間ですらないのだ。
だから、上位の5%くらいに生きることを認めているのである。
残りの95%くらいは、人間ではないのだ。
その低得点の畜生どもが、仮に勉強して後から成長しても認める用意はないと思われる。(私の主観だが)

それで、低得点の畜生どもが採用してくれる企業がいれば、そういう意識のない社長がいるからだ。

そう思うと、日本政府の政策方針が、上位のわずかな人間たちだけで日本が作られているのがわかる。
また、「国民不在の政治」といわれるのと符合すると思う。

699 :リーダー :NG NG.net
食肉になる動物に愛情を注がないのと同じで
おちこぼれる人間は、10代ですでに生きることを拒否されている。
それを知らずに、みなさんは生きているのだ。
(私が今まで本を読んできたことから、別ルートで生きられる可能性はあるが
ここでは割愛する)
動物が人間社会で生きたいというはずがないし、政治に意見があるわけがないのである。
だから、あなたが意見を言うと、立場の強い人間は意図的にあなたを冷遇しても、誰も咎めないのである。

話がそれたから、次は愛人などの話にうつる。

愛人は、奥さんがいながら・・・・というものだろう。
そういうドロドロしたものじゃなくても、ピュアに恋人がいるとかいうのもある。
良く言われるように、恋愛というのは独占欲である。
自分への不信感と、家畜扱いの文化から、大切な人に愛情を向けているというのは、その人の妄想にすぎない。
愛していると言って、一人の人間を所有しようとしている。
子供が良く言っている「縛り付けられた人生」というものである。
縛り付けているほうの親が、子供に期待して、執着しているのを愛情だと嘘をついているのである。

このタイプの嘘を「自分に嘘をつく」という。
自分で間違っているとわかっていながら、手に入れることに執着して
手に入らないのが嫌なので、なんとか自分をごまかしていることをいう。
だから、この人たちは、四六時中、すごく頭を使って生きているはずである。
試に、この人が何かしているときに普通に話しかけてみるといい。
まっすぐに返事をしないと思う。
ためらうようにしか話せず、自分で物事を決定したくないかのように、
何かをごまかすように、あいまいな言い方しかしないと思う。
この人の行動には嘘があるから、スッと答えが返せないのである。
日常の、イエス、ノーの返事すらまともにできない。
何か言い訳じみて、説明臭い答えが返ってきて、こっちは無理に納得させられると思う。
そうやって、あなたに話をやめさせないと、不安なのである。

700 :リーダー :NG NG.net
企業のブラックじみて、ほとんど犯罪に近い行為を繰り返すことは有名だ。
論理的思考もできない上司が部下を家畜扱いしている。
佐川急便は、新人の研修に罵詈雑言を吐いて、新人の忍耐力をつけることにしているという。
企業によっては「大卒の新卒の鼻をへし折るのが最初にやること」といって恥を知らないが、そういうところは多いだろう。
人をいじめるのは、とても気分が良い。

学校が生徒をまともに相手をしないので、
生徒間でいじめがあるのだろう。

学校の体罰問題もこの本で触れている。
教師やコーチの思い通りにならない生徒を殴っているのである。
教師は指導プランがあるが、プランがあるだけでは生徒を育てられない。
人間関係をしない教師が、生徒をのびのびと成長させられるはずがないのである。
プランがあるだけで、指導能力がないのを棚に上げて、気に入らなければ殴るのである。

教師にリーダーの能力がないのを隠せていないことにも気づいていない。

701 :リーダー :NG NG.net
世界のあらゆる場面で
この家畜扱いの考え方で説明できるのではないか、ということらしい。

食肉になる動物がどんなにひどい仕打ちを受けているか。
その考え方で、人間同士の虐待行為を考えるとすっきりすると言う。
社会問題で、国家の弱者、貧困者が国のシステムから虐待を受けているのもそれだ。
私は昨日、過去の英字新聞記事を見た。
「ガーディアン誌」で、カンボジアの「うい」という女の子が困窮から仕方なく売春婦の仕事をして、レイプされる。
英字新聞を読む練習のために読んでいるが、なんともひどい話である。
このおんなのこは当時まだ12歳である。
欧米のエロオヤジの金持ち共は、「処女かどうかなんて関係ないんだ。
ヤらせてくれることと、容姿が良ければそれでいいんだ」というつもりで、女を買う。
この被害者は必ず弱者である。
アメリカの金持ちと、アメリカの売春婦だと近そうに見えて、見た目はよくわからないが
社会的に売春婦は弱者であり、アメリカ社会で悪いように見られている。
純潔を売り物にするクズ女と言っているが、そうさせたのが国家である。

貧しい家に生まれたのはかわいそうなことだが、もっとかわいそうなのは
貧しい家に生まれた人間の未来を勝手に決めることである。

物事を正しく理解する理想は「何が正しいかであり、誰が正しいかではない」である。
だが、現実は、客観的な科学者ですら「何が正しいかではなく、誰が正しいか」で物事を決めつける。

702 :リーダー :NG NG.net
今回のような見方から、社会問題発生のメカニズムが少し見えた気がする。
だが、かなり広くあてはめられるような考え方だと思う。
どこの国でも、強い人間が、弱い人間を虐げているのである。
その理由は、ペットのようにかわいがるだけでマシなほうだ。
まともな人間として扱わず、喜ばせようとあらゆるケアを押し付けるだろう。
ペットのように扱われた人間が何を感じているかなど、考えることはない。
家庭内での母親のように、子供の心親知らず。

酷いのは、競走馬のように、馬が陰で泣いていきていることである。
上記のペット扱いでも、泣いて過ごすくらいひどい仕打ちになっている。
日本はおおむね、ペット扱いだから、家庭内の奴隷扱いや家畜扱いは明るみには出ない。
「うちの問題につっこむな」と言っているが、これがまかり通るということは
子供の自殺者を増やすことになるだろう。

なぜなら、競走馬のようにこき使われてひどい目に遭うのも、ペットとは変わらないからだ。
ペットのようにかわいがっているのは自己満足、偏愛、独善、偽善である。

703 :リーダー :NG NG.net
そして、ストーカーにも触れられる。
ストーカーこそが、この本の全てをまとめたような存在だろう。
ストーカーの心理はどうやら「自分はこの子をこんなに愛しているのに、
この子はちっともわかってくれない」ということらしい。
わかってくれないのなら、いっそ、永遠に僕のものにしてあげるね・・・
といって、愛情表現していると信じているが、実際には尾行する。
行き過ぎると、アイドルのように愛するあの子を殺してしまう。

ロバート・デ・ニーロが出ている映画「ザ・ファン」もそんな話だったと思う。
殺しかねないくらいストーキングが悪化する。

人間は「よかれ」と思っていろんなことをするが、ほとんどが偏愛と執着である。
いいと思ってやったことのほとんどは、独善、小善、偽善になる。
全て、本人の気持ちをわかろうともしていないのである。

本当に純粋に愛するなら、相手の気持ちをよく聞くはずである。
聞く前に「こう思っている」ということ自体が、間違いだと気付いていないのである。

704 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/13(金) 22:22:19 ID:発信元:111.169.124.197.net
今回の話を、人間関係のヒントにできればいいと思う。
いいと思ってやったけど、間違っていることは多い。
「だって人間だもの」
たしかに「長い付き合いでわかる」と思うかもしれない。
かといって「決まっている」と言って細かく施してあげれば、激怒されたりする。
きっと、訳が分からないと思う。 なんで怒られたのか。
そこで、自己啓発本にあるような「質問力」があればいい。

警察のように聞くのは、最悪の聞き方である。
警察の聞き方は拷問に等しいからだ。
日本人は特に、一問一答形式でしか話が通じない傾向がある。
学校の問題を解いた経験から、「これに答えよ」「答えはこれである」「正解」とだけやってきた。
こんなのが人間関係なはずがない。
ちょっと考えれば、常識でわかるではないか。

ここで常識でわかると言うのは、結論を決めていないということだ。
だいたいはこれが人間関係で行われるはずがないことは想像がつく。
だが、具体的なやり取りは触れていない。
具体的なやり取りを決めてしまうと、相手の答えを決めてから質問することになる。
きっと、相手がどう答えてもこちらは全く理解できないはずだ。
人間関係で、怒らせることが多いのは、こういう決めつけが多すぎるからである。

「人間関係でこんなことをするはずがない」、具体的には無数にありますよ、と言っている。
「一問一答形式」だけでは間に合いませんよね。
それくらいはちょっと考えたらわかるでしょ、ということだ。

705 :リーダー :NG NG.net
「ちょっと考える」だけでもやってみなさい。
結論を決めないが、ちょっとだけ、おおざっぱに考えておく。
すると、途方もないことでも、目星がつくようになる。
デタラメな方向は向かなくなる。
方向性だけ決め、だいたいその辺でいい。
細かいことは、話をしながら想像して、特定すればいいじゃないか。

実際のところは、相手に聞くまでこっちには決められない。
あなたの理解力で修正が利く範囲なら、ズレても構わないんだ。
「これを求めているとわかっている」と聞く前から決めるから、自分勝手になるんだ。
どんなに純粋な愛情だろうと関係なく、聞きもしないで決めたらダメなんだ。
何と言おうと、それは間違った愛情になる。
人間はさまざまな要素が同時にかかわっていて途方もないからこそ
今大事そうなことを、目星を付けるだけにする。
だから自分ですべて決めるわけにはいかない。
よくわからないところは、聞く必要がある。
日本人は質問自体を性格が悪い証拠とみなすが、これは間違った常識だ。
聞きもしないで勝手に決めていることを棚に上げている。

目星をつけて、いくつかの質問で修正を加えて、想像するくらいの頭脳は使うべきだ。
ちょっとは頭を使って生きないと、日常会話も理解できないほどボケてくるぞ。
そうやって、想像力がつくのだ。

そういうことで、
世の中から虐待が一つでも減りますように。
おわり

706 :リーダー :NG NG.net
これだけ
『愛と執着の社会学』は悪文である。
前回の『老荘思想の心理学』より読みにくい。
捕鯨問題の話が特にまとまりがない。

本全体を通して、一文だけで多くを言おうとしている。
5ちゃんねるなどでもよくある書き方をしている。
たくさん思ったことを急いで書こうとするあまり、長い一文になるのだ。

著者は「この本はとても早く書き終わった」とあったので思った通りである。

それでは
おわり

707 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/17(火) 21:30:12 ID:発信元:221.171.67.170.net
伊沢正名(いざわ・まさな)『葉っぱのぐそを始めよう、「糞土思想」が地球を救う』
山と渓谷社(2017)

緊急事態ではトイレに行けず、地味に困る。
だから野糞をしよう。
土に穴を掘り、済んだら埋める。

うんこを土に埋めると、微生物が食べて、数カ月間、いろんな匂いに変化する。
無臭になって、新しい草が生え始めるそうだ。
1年くらいで完全になくなるらしい。

これで、ほとんどノーコストでいられる。
ところが経済活動は、処理施設のために膨大なエネルギーと金を無駄遣いしている。
本当は生物として、地球と一緒に生活しなければいけないはず。
だが、経済活動の「効率化」と「金儲け」のために、やらなくていいことをやっている。
処理施設で処理して、水分と燃えカスを分離、燃えカスはコンクリートになる。

すると、地球上から、私たちの体のぶんの物質が消えてしまう。
その分だけ、地球は栄養不足になっているようだ。
人間の死後、土葬にすると体の成分が自然に還るが、火葬するので還らない。
地球環境の異常はここからも来ているだろう。
現在、地球上のほとんどの場所で、地面の栄養が足りない。

どうなるかというと、自然の土で野菜などを育てると、栄養不足の野菜が自然に出来上がるわだ。

708 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/17(火) 21:40:32 ID:発信元:221.171.67.170.net
人類が自然に還す習慣をつけていれば、ごみ処理は極端に少なく、
賢くやれていただろう。
現在、ごみ処理で環境を破壊していて、科学のせいで人類の知能が下がった。
論理的、科学的な思考で、人類は知識を詰め込んだだけで、想像力がなくなったのだ。

著者は、「糞土師」と名乗ってまで、人間が捨てる物を自然に還す運動をしたいらしい。
この運動はかなり浸透しているらしく、新聞に載ったこともあった。
新聞では、ほんの少しでも汚そうな言葉を聞くのを毛嫌いする「良識ある人々」になる。
日本社会は、ほんの少しでも汚そう、悪そうに見えることを徹底排除する。
たとえば、日本人は大声を出すことは許されない。(許さないとは決して言わないが
ぜったいに言わせたくないので、卑怯者である
他人に強制したという責任を取りたくないが、確実に他人に強制しているのだから卑怯である)

あと、日本では、はっきりした発音でしゃべるのは、ケンカを売っていることになる。
だから、外国語発音を身に着けるのは、ほぼ不可能である。

709 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/17(火) 21:50:47 ID:発信元:221.171.67.170.net
自然と共生していれば、人類にやることはかなり少なくいられたはずだ。
金儲けにならないから、どんなに小さなことでも金に換えたい、という経済の理屈はあるだろう。
日本経済は、優先順位もわからないほどのバカだ。
全ての商品で大儲けしようとして、すべての商品が大した価値ではなくなっている。
だが、急いで儲けたい欲望に負け続けている。

これに開き直っているのか、この欲望の経済学を全人類に強制して回っているのが日本の経済活動だ。

金儲けのため、やらなくていいことをやろうとして、無理にでも作り出さなければいけない。
これは「売り手市場」という。
いらなくても客に無理やり欲しがらせてまで、大儲けする考え方だ。
「日本経済は売り手市場」という言葉を聞いたことがあると思う。

自然と共生する考え方で人類が存続するには、全人類に人格形成ができていなければならない。
少なくとも、人格形成をする教育が無ければいけない。
(ところが日本の教育には人格形成は存在しないのだ)

うんこのことを簡単に聞いただけでも、自然を大切にすることを考えさせられた。

男の子はうんこと言う言葉を連呼するのが、三度の飯より大好きだ。
うんこと聞けば、そのリズムがここちよいようで、笑ってしまう。
だが、うんこが肥料にならなければ、作物はたくましく育つことが出来ないのだ。

栄養不足の作物を食して、私たちは慢性の体調不良に悩まされるようになっている。
これからは、正常な地球環境を取り戻すために、うんこを燃やさずに、土に還すことを意識するのもいいかもしれない。
出来る範囲で、還せばいい。
この本でそのことを書いている。
一読すれば、都会に住む人は、地球の一部になった気がして解放感を感じるだろう。
それが本来の人間の「生物としての」姿だろう。

710 :リーダー :NG NG.net
人類の「生物としての」姿を取り戻せば、私たちの存在が、どこかおかしいのも直ってくるはずだ。
免疫不全症候群のような、はっきりと出ないが、本調子にならない状態が続くようなことは終わらせないといけない。
今は、自然の農作物ですら、栄養が足りないかもしれない。
「自然の素材が良い」と言いながら、自然を守る方法がまったく思いつかない思考停止ばかりがある。

自然のままの行動を、これからの人類の習慣にすべきだろう。
うんこは、昔、畑にまいていた。
とても栄養の多い農作物ができていた。
これをしなくなってから、畑の農作物の栄養はどんどん減っていく。
それを食べても、人間は元気にならない。

本当に栄養のある野菜などを食べたらどうなるか知っているだろうか。
頭がシャキッとして、目が見開いて、ぼーっとしていたのが、胃袋に入れた瞬間からパッと覚める。
濃くて質のいいコーヒーを飲むと、胃袋に入れた瞬間からシャキッとするが、同じことが起きるのだ。
野菜を食べても何も感じない時点で、狂っているのである。

このように、人類は環境を墓石続けている。

なんでそうなるかというと、人類は環境に関して無知なのだ。
だから、人類史は、戦争がほとんどになる。
おそらく、人類史を見ると、環境を守るために気を付けていた記述はほとんどないはずだ。
たとえば、三国志の時代に森を守るために、気を付けて戦争を下という記述は全くないはずである。

人類は、自然に関して一切考えず、破壊だけしてきたのだ。
そうやって、動物の住む場所も、命の数も減ったのだ。

711 :リーダー :NG NG.net
これから、人類は、自然と動物を守れ。
今の日本のような、農業だけを機械的にお勧めする言葉を暗記するようではダメだ。
農業の業界は、社会から隔離された異世界なのだ。
ヤクザやマフィアが、彼らだけの世界で勝手に生きて、警察だけ接点があるのと同じことだ。
農業は、まったくの別世界で上下関係ができて、上に絶対服従なのだ。
農業を始めれば、今まで生活していたサラリーマンの世界から完全に隔離され、二度と戻れないかもしれない。

本来の人間の姿を取り戻すために、地球環境を大切にする社会を作らなければならない。
政府が何を言っても知ったことではない。
それくらい重要で、緊急のことだ。
これを聞いて、良いね、と口先だけで言う政治家がいたら、その人は無知だ。
国家ぐるみで、生物としての人間をよく考えなければならない。

712 :リーダー :NG NG.net
人間の進化がおかしいので、地球に合わなくなったので「人類は地球の癌」とか
「ウイルス」と言われる。
だが、それでも、地球上の生物には変わりない。
だから、自然環境と一緒に生活すればするほど、人間は心地よい気分になるのだ。

自然のすばらしさを知ろう。
地球と一緒に生活することを覚えれば、文明社会の「良識」の間違いに気づく。
自然と寝起きすることで、人間に健全性と優しさが戻るだろう。
機械的で、同じ毎日で、心が締め付けられる生活などありえないのである。
自然を知れば知るほど、私たちは「生かされている」と思えてくる。

そういうことで
私たちと自然の関係を知らないから、地球を壊す活動をしても知らんぷりができる。
(知らんぷりじゃなくて、知らないのだが)
自然がそこにあるのがどれだけ大事で、私たちの体にいいのか、無知だから
自然は、汚れるだけと考えているのだ。

おわり

713 :リーダー :NG NG.net
相原 茂『CDつき 改訂増補 必ず話せる中国語入門』主婦の友社(平成26年)

赤い本。京劇の孫悟空の絵がある。
この前作(同タイトル)を改訂増補したもの。
「中国が認めた!ほめた!最強の入門書」と書いてある。

カラーの写真付き、本文も色付き。
これが理由で買った。
カラーだと、むりに自分から分析しようとしなくても、
脳内イメージが区別しやすいのである。
写真がカラーだから、現実そのままということになる。
実践で見かけた時、脳内イメージの修正が働かない分、負担が軽いわけだ。

この負担は、あなたが思った以上に重い。
無意識の思考が止まってしまうくらいの影響があると思われる。
ということは、心で理解しないわけで、
覚えているだけで、自分から使えない、という可能性があるわけだ。
心にまで記憶や理解が浸透しないと、覚えたばかりの言葉がつかえないからだ。

あなたが、日本語すらも自由に駆使できないとすれば、それが理由である。

714 :リーダー :NG NG.net
普通の例文集。
専門的な根拠で、可能な限り易しく省きまくった本だと思う。
今人気の(?)どこまでも易しくしたタイプの本。
難しいことを抜きに覚えたい人はどうぞ。

715 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/20(金) 23:23:42 ID:発信元:221.171.67.170.net
中国語の特徴を簡単に書こう。
【漢字】
日本語の意識で覚えられると思ったら痛い目を見る。
ただ、比較的早い時期から、所見で読んで、意味が取れそうな感じにはなれると思う。

【発音】
これがわからないと、聞いて理解するのは不可能である。
日本語の意識で漢字の読み方を推測するのはやめよう。
いちおうは、すべての漢字の音読みから推測すれば、半分だけわかる気はする。
「n」と「ng」の区別に法則があるように見えるし、かなり使える。
その意識で音を区別するのもいいが、こういうときこそ理屈抜きでそういう音なんだと思っておくほうが残りやすい。

アイドルの歌などのフレーズが一発で頭に入るのも
理屈抜きで、リズムで記憶しているためだ。

中国語をしゃべっているところをよく聞くと、
だいたいの発音でなめらかに言っているのがわかる。
よく聞くと、何を言っているかは区別がつくのである。

区別がつく範囲で、滑らかに大体で言えば良いのだ。
誰だってそういう風に話す。
日本人は、正確さだけを気にしているが、それは後からついてくるのだ。

716 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/20(金) 23:32:22 ID:発信元:221.171.67.170.net
【文法】
中国語に文法はある。
文法が無いと解釈すると、実は日本語と違うところで必ず間違うだろう。

【語順】
中国語で大事なのは語順である。
語形変化しない言語共通の特徴がある。
語形変化で区別できないため、単語が増えるのである。
それを並べて区別するしかないのである。
だから、類義語がとても多い。

おそらく、語順の種類が少ないとこれまた区別ができないのだろう。
さまざまな工夫がある。
(一文字の動詞はそのまま置けばいいが
二文字の動詞は、ドイツ語の分離動詞ににた分離をするなど)
「あまり深い意味はなく、役割のためだけ」の単語がある。
二度繰り返して、意味をはっきりさせようとする傾向がある。
二度繰り返す、もう一つのパターンが「少しだけ〜する」という意味になる。

【日本人には比較的学びやすいが・・・】
読み書きから、だいたいイメージ通りかもしれないが
できるだけ「発音はこうだ」と意識しながら読む癖をつけよう。
わざと、中国語の発音を意識して読めば、覚えやすいかと思う。

それではこの辺で

717 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/20(金) 23:36:45 ID:発信元:221.171.67.170.net
小林朝夫『子どもの「頭のよさ」を引き出す フィンランド式教育法』主婦の友社(2011)

「お母さんは、なんで勉強しなくていいの?」

勉強しなくていい理由を必死で子供に言って聞かせるようならば、
子どもは一生懸命には勉強しなくなるだろう。
一生懸命勉強する姿勢があっても、結果につながらずに悩み続けるだろう。

子どもが勉強しない理由は単純だった。
親が勉強しないからである。

親が何かに頑張っているように、子供からは見えていないのだ。
親が自分の不幸に文句を垂れ、子供に不満をぶつけているのは頑張っていることにならない。
子どもが納得しないのが証拠だ。

718 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/20(金) 23:45:41 ID:発信元:221.171.67.170.net
日本には「まともな教育」というものは存在しないようである。
何をしているかというと、「今すぐに全部覚えろ」と言っているだけである。

日本では、明らかに、正しい勉強法を知らない。

日本人にとって、勉強とは拷問並みにつらいものである。
なぜかといえば、実際に拷問だからだ。
教師はそのつもりはないと思うが、ならば、正しい勉強法を知らないのだ。
教育について無知なばかりに、多くの教師は子供にものを教えることが出来ないのだ。

教員試験のしくみを簡単に知った。
教室での研修もあるが、ちゃんと教育することを学ぶ仕組みではありえない。
研修講師がちゃんと教育することを学んだ場合、その人がたまたまである。
日本の教育の意識では、ちゃんと教育することを認識させることは、基本的に不可能である。

なぜなら、勉強することがどういう状態を指すかの認識から間違っているからだ。

日本人はおそらく、勉強と言えば拷問並みにつらいものという体験をしたと思うが、
それ自体が間違っているためである。

719 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/21(土) 00:00:50 ID:発信元:221.171.67.170.net
フィンランドでは「子供の教育は国民全員でやる」と大統領が言い切っている。
ここから日本と違うから、日本は必ず間違うのだ。

【ゆっくり】
小学生などまだまだ始めたばかりの子は、ゆっくりと教えていく。
一つの言葉に子供が疑問を持つとする。
フィンランドでは、その言葉をめいめいが、一通り理解するまでじっくり調べると言う。

【フィンランドでの読書】
一冊の本を、いくらでも時間をかけてゆっくり読む。
宝物のように、大切に扱う。
本がすぐにボロボロになるという。
物をとても大切にする。

わからない言葉があれば、上記のように、良く調べる。

【フィンランドの家族】
子供の成長をとても大切にする。
携帯電話の問題は、なんと政治で規則が決められている。
要約すれば「携帯電話の教習所」のようになっている。
国家ぐるみで、携帯電話の使い方を学び、
危険で信用できないインターネットサイトなどにはとても警戒しているという。

ちなみに、日本では、携帯電話に関しては何も用意していない。

720 :リーダー :NG NG.net
【論理的思考のつけ方】
論理的思考とは、どうすることか。
「24時間考え続けること」

日本ではアニメや映画の影響で、何事も一瞬で処理するのが偉いと思わされている。
一瞬で処理するとは、記憶が定着しないことを意味する。
待たなくていいから「忍耐を覚えない」ことにつながる。
短時間でできてしまうため、我慢を知らない人間になる。

あと、日本人には、頭が疲れるころに、かろうじて理解すると
「自分は頭がいいのではないか」と思う人がいると思う。
これは実はたいして頭がよくない。
間違った覚え方をしているため、ここまで疲れるのである。
余裕で高度なことをやってこそ「本当に頭がいい」といえるのではないだろうか。

日本では、余裕で高度なことをやると「サボっているのではないか」と解釈する。
これこそが、日本に高度な思考が存在していない証拠、
高度な能力を身に着ける意識がない証拠である。

日本人は、レベルの高い活動をしたことが無いから、そんなことが言えるのだ。

721 :リーダー :NG NG.net
東大生など、レベルが高い人から見たら、一目瞭然だ。
日本中で、高度なレベルを「ふざけている」と解釈しているビジネスを見て、道化師を見ている気分になるだろう。

東大生、論理的思考を高度に扱える日本人なら
テレビなどで行っている、レベルの低い人間に合わせた発言の全てが情けなく見える。

自分が、行くところまで行った経験をもっているからわかるのだ。
上の方から見たら、下の方にいる人間が「ああ、この階層で迷っているな」と、
どのあたりで困っているか、何をすれば一発解決するかもわかっている。

日本のビジネスや教育は、論理力がそのレベルに達したことがない。
だから、もっとレベルが低い人に合わせて言ってやっている自虐ネタが
これ以上ないほど無駄な活動に見えている。
やらなくてもいいことを、やっているように見えているだろう。

722 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/21(土) 00:15:57 ID:発信元:221.171.67.170.net
カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』という本にこうある。
「論理性の蔑視」

ヘーゲル『精神現象学』
(世界の)学者は、一つの事しか理解できず、それしかないと言い張る。
論理的思考というもので、現実にある物体を切り刻んでいる。
思考停止である。
(そんな感じのことを、十分に語っている)

【フィンランドは自然ばっかり】
フィンランドの大きさは、日本と同じくらい。
たったそれだけの大きさに、湖が19万もあるという。
土地のほとんどが森などの自然だ。
これだけ聞いたら、いったいどこに街があるのかと思う。
(人口は約560万人)

子どもたちは、自然の中で育つので、とても素直に育つ。
自然が、人間を素直にするようだ。

おもしろいことに、フィンランドの森で人の手が加わっていないところがないと言う。
だが、自然を壊さない範囲で保護しているという。
ただ放置するとめちゃくちゃになるからだ。
日本では、出来るだけ木を伐採しようとしている。
建物は壊しては立て直すために、住人を毎回、その家から追い出しているのだ。
家がマンションなどに変わる時、家の住人は命令で出ていくしかないなどと言っているはずだ。
次の建物を作るために、貧乏人を追い出しているのだ。

723 :リーダー :NG NG.net
とりあえず、うまく書けなかったが、
フィンランドとの違いが少しは書けたかと思う。

【フィンランドの教育水準が世界一】
このことは有名である。
日本は数字が良ければ、やり方を問わない傾向がある。
日本の悪いところが世界になかなか知られない理由は、数字だけは良いからだ。
日経平均が20000を超える少し前くらいから、日本経済は暴走した。
令和にし、2020年オリンピックで盛り上がった。
まるで、労働者の過労死など知ったことではない、それどころか、
過労死するなど、クズ人間だからだと言い続けて何十年か経っている。
欲望に突き動かされるように、必死で盛り上げようとしている。
そんなところでコロナウイルスが出てきたのだ。
いま日本は、手放しで盛り上がげるわけにはいかなくなった。
そこを必死で言い訳して、やめない理由を探していると思われる。

そこまでして、日本人の心はすさむ一方である。

フィンランドでは、日本のような余裕のない暴走は見当たらない。
日本の意識では、サボっているように見える。
だが、日本が考えなしの行動をものすごい速度でやっているだけである。
当然、結果が出にくいに決まっている。
それを、人のせいにするのだから、日本の環境は良くないのだ。

そういう愚かな行動で、自力で生きていけない人間にならないように
フィンランドでは気を付ける。

724 :リーダー :NG NG.net
【落ちこぼれのいない学習は可能である】
人は、どうやって学習するものなのか。
日本ではこの意識が欠けている。
私の思う限り、人がどうやって学習していくのか
ざっとまとめると、だいたいわかると思っている。

私は幸運にも、他の本で知った。
ほとんどの生徒の成績を上げて、かなりいい点にすることはできる。
だいたい96%の生徒はかなりいい点が取れるようになると言う。
もうちょっと高かったかもしれない。
わかることは、精神に障害でもない限り、生徒はいい成績が取れるようになるのだ。

そこから考えられるのは、学校では教え方が悪いことになる。

どうやったら人は学習するのか、考えようともしていないのだ。
いや、日本人は「正しい勉強法」を知らないから、まともに考えられないように育ったのだ。

725 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/21(土) 00:44:24 ID:発信元:221.171.67.170.net
【日本人だけが頭が悪い】
フィンランド人は、日本人の倍は頭がいいはずだ。
私は外国人と話す時だけ、スムーズな会話ができる。
ほとんどの日本人とは、スムーズな会話ができない。
話しかけられて、まともに返事をすることもできない日本人ばかりなのだ。

映画などで見かけるようなスムーズな会話で、
アニメのように、お互いに確認しあいながら、一つずつ理解していく会話が、現実の日本にはないのだ。

そういうことが、日本でなくなる必要がある。
日本人に、論理的思考力がつき、想像力が死なないようにしなければならない。
フィンランド人は、論理的思考力と想像力のバランスが良い。
それを実現するために「人はどうすれば無理なく学習できるのか」を知らなければいけない。

日本人は、無理なく学習しよう。
ムリなく学習することによって、賢くなって、
日本の間違いだらけのシステムを変えられるくらいになろう。

おわり

726 :リーダー :NG NG.net
栗原 薫/マルユット・コウリ『CD付 フィンランド語が面白いほど身につく本』
中経出版(2002)

【文字】
「面白いほど身につくシリーズ」と言っていて、
かなり易しく、すっきりまとまっている。
フィンランド旅行で、とりあえず話すのに間に合う程度の語学力をつける。

易しい本はすべて、一部を省いている。
全部はわからないが、とりあえず言いたいことを言うくらいはできるようにしてある。
この本と、辞書があればいいと思う。

【フィンランド語の語源???】
この本には載ってないが、他の本で見た。
フィンランド語は、いったいどこからきた言語なのか、専門家の間ではわかっていないという。
私から見ても、複数の言語に似た単語、複数の言語の徳塗油を持つ文法がちらほらでてきて、
いったいどれが期限なのか想像もつかない。

【日本語に似ている言葉が多い】
意味は違うが、日本語の読み方の単語が多い。
アルファベットだがカタカナで読み方を書くほうが日本語っぽく見えるか。
靴屋:ケンカカウッパ
蛇口:ハナ
あなたは:シナ
地図、カード:カルッタ
スカート:ハメ
櫛:カンパ

727 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/23(月) 00:16:09 ID:発信元:221.171.67.170.net
タイプミス
徳塗油→特徴

もう少し日本語に似た単語を
夏:ケサ(袈裟?)
10月:ロカクー(鹵獲?)
バーゲン:アレ
青空市場:トリ
絨毯:まっと(本当にmattoと書く)
4:ネルヤ(寝るや)
これ:タマ
2:カクシ

【他の言語と似ている】
アルファベットを書くときは「アルファベット:読み方:意味」と書いておく
kioski:キオスキ:店
taksi:タクスィ:タクシー
metro:メトゥロ:地下鉄
lamppu:ランップ:ランプ
hattu:ハットゥ:帽子

728 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/23(月) 00:23:04 ID:発信元:221.171.67.170.net
torstai:トルスタイ:木曜日(トルストイ?)
ovat:オヴァト:(彼/彼女は)〜である(vatがサンスクリット語に似ている)

一つだけ、チベット語ににているのもあった。
どこに書いているかわからないのを後から見つけるのは難しいw 

kirja:キリヤ:教会
ドイツ語に似た感覚

的確に選ぶの難しいからここまでにするが
複数の言語に似ているものがちらほらあるので、
いったい何が起源なのかわからない

729 :リーダー :NG NG.net
前に読んだ本によると、
フィンランド語にしかない特徴を持っているという。
他のどの言語とも違う経緯をたどってフィンランド語になったと思われる。

以前にテレビでフィンランドに移住している日本人の番組をやっていた。
こんなところに日本人という番組だったと思う。
この番組で言っていたが、この日本人が住んでみて、初めてわかることもある。

この日本人は女性で、彼女が済む街で、本当に何もなく吹雪いていた。
一日の半分以上が真っ暗な時期であった。
サーミ人という民族が住んでいて、彼らでも、フィンランド語の起源らしい
おおざっぱな言い伝えくらいしか知らないようだった。
それをこの日本人女性は聞いたことがあって、テレビで紹介された。

サーミ人の起源と関係あるのかもしれない。

730 :リーダー :NG NG.net
余談だった。

この本は簡単にフィンランド語であいさつ、
旅行で頼みごとをする程度の力をつけるためにある。
(格変化は15あるが、本書では10紹介している)

この本の共著者、マルユット・コウリという人は女性らしい。
私たち日本人にはどっちの名前なのかもわからない。
苗字と名前の区別くらいしかできない。
(どの国でもあまり変わらない。
苗字が後に来る方が圧倒的に多い。
日本人のように苗字が先に来るケースは珍しいかもしれない。

世界の人名で、最も多いのが、苗字と名前の間に「父称」といって
父親の姓が入る。
古代ギリシャで、兵士が敵の頭を殺すと、その兵士がたったいまできた死体のそばで
自分の父親がだれである、将軍誰々をうちとったりーと叫ぶらしい
それが「イーリアス」にでているが、これも余談だった)

731 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/23(月) 01:14:52 ID:発信元:221.171.67.170.net
最後に バラバラなことを書いて終わる

『フィンランド語が面白いほど身につく本』は基礎だけにしては多めに載せてくれている。
他の「面白いほど身につくシリーズ」よりも、すこしだけ厚めである。
中古で買ったからCDなしw

読み方をカタカナで書いてくれたら、ほとんどその通りに(ローマ字のように)読んでいい。

こういう易しすぎる本は単語数が圧倒的に少ない。
出来るだけ単語数が多い辞書を持とう。

とりあえずこれだけにしておくか
それでは
おわり

732 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/24(火) 23:34:10 ID:発信元:221.171.67.170.net
梅津正樹『知らずに使っている 実は非常識な日本語』アスコム(2013)

間違っていると知らずに使っている言葉を紹介する。
この本は、悪文である。
とある言葉の解説は、まとまった話と思うとすっきりしない。
解説に必要な情報を選び、どのように説明するかが破綻している。
おそらく、親しみを込めて、出来るだけ易しく、わかってあげているような表現にしすぎた。
読者の気持ちをわかろうとするあまり、客観的には理解できない。

この本は、バラバラの情報が「へー、実はそういう意味なんだ」とバラバラに知るだけになる。
理由を聞いても「これだ」と決まらない感じがするので、心に残らない。
だから記憶するしかない。
懇切丁寧に説明してくれているとは思わない。

細かい意味を指摘しながら、だいたいの意味で解説されると混乱する。
この項目で言葉が足りないと思ったら、後の項目でその足りないと思っていた言葉がでてきたりする。
記憶だけで書いていると思われる。

733 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/24(火) 23:50:44 ID:発信元:221.171.67.170.net
少し興味を持った言葉を紹介しよう。
【数日って何日のこと?】
「2,3日」「3,4日」「4,5日」「5,6日」どれも〇
かなり年配の方々は5,6日と思っているらしい。
若い人が2,3日と思っている。
ちなみに、私は5、6日くらいで考えていて、9日までだと思っていた。
私は年寄りじゃないんだが
私個人の経験では、数日とは1000日でも当てはまると思っている人がいるが間違いである。
【怒ると叱る】
怒るとは、感情的に腹を立てること(ということは怒鳴りつける)
叱るとは、相手の悪いところを諭すための行為
でっかい声で罵詈雑言あびせて叱っているとは言わない
相手を諭すどころか、相手の存在否定にしかならない
【かわいい】
もとは「顔映ゆし」。恥ずかしくて赤面する。
見た目がいい女の子がそんな顔をしたら、キュンとしたのだろうか。
今のアニメで恥ずかしがる女の子だけを愛でるのは、心理的な理由だろう。
人間は恥ずかしがっているときが、心理的にもっとも隙が多い。
人間を信じないような人にとっては、相手が赤面しているときが最も安心できることから
アニメの女の子の恥ずかしがる姿を特に愛でる。
愛でる以外に何もない、という扱いは人間扱いしていないことになる。
見た目の良さ以外にも、良いところはあるはずだ。
【やばい】
もとは牢屋を意味する「厄場」との説がある。
「法に触れたり危険であったりして、具合の悪いさま、不都合なさま」。
悪いことに使う。
今はいい意味でも使うようになる。
やばいですね☆

734 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/24(火) 23:58:40 ID:発信元:221.171.67.170.net
【2連勝】
2と「連」が重複しているという。
強調のためなので「〇」
【耳ざわりのいい音楽】
「耳触り」と思っている人は「×」
「耳障り」と書く。
障りは、カイジで有名な「ざわ、ざわ」ということ。
雑音などで、不快な感じがすることを言う。
間違いの理由は、「触り」だろうが、物を触る時に書く。
感覚なので「障り」
【普通にあるよ】
よくある、頻繁に、どこにでもある、ということだろう。
他にもいろいろな意味で使われ、どの意味でも使い分けにくい人が多いと思うので
わかりにくい言葉の一つ。

735 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/25(水) 00:07:38 ID:発信元:221.171.67.170.net
「ようするに、何を言っても間違っているんじゃないの」という気になってくる。
間違っていると知らずに使っている言葉が多すぎるのだ。

その理由は、みんなが大体の認識で言葉を使い、
人の話を聞くときは正確に聞きたがるからではないだろうか。

正確に聞きたくても、みんなが雑な言い方をする。
何を聞いても誤解するに決まっているじゃないか。

だから、意味を知らないまま、経験で「だいたいこういう意味なんじゃないの」と思って
使っていることが多いと思う。

この細かい違いをはっきりさせると、誤解も減ると思う。
大体の意味で話す人が多く、聞くときは完璧な意味をとらえようとして聞く。
正しい日本語じゃないと思って話を聞いている人が多いけど
その人は、自分はちゃんと区別して喋っているだろうか。
ちゃんと区別して喋っている人を見かけないのはなぜだろうか。
理由や、意味を聞いて、まともに返事もしない人が多いのはなぜだろうか。

言葉の意味を正確に知るより大事なのは
話の流れから、不自然に聞こえないように話すことではないだろうか。

そういう話し方を心掛ければ、
完璧な日本語が話せなくても、会話がスムーズになる。
ここちよいスピードで話せるので、誰と話しても楽しくてしょうがないはずである。
そういう経験をしないで、正確さだけを求めるのはどうだろうか。
一度、だいたいの意味でもいいから、相手の心情にあわせて話してみてはどうだろうか。

736 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/25(水) 00:10:12 ID:発信元:221.171.67.170.net
とくに専門家は、記憶した知識だけですべてをこなそうとする。
理解するヒマもなく記憶している人は、現状に合わせて話すのに苦労しているはずだ。
バラバラの知識を思い出すだけで苦労するはずだ。
それは、学び方がおかしいのだ。

この本は、言葉の説明が終わって、
結局どうしたらいいのかがわからないままで終わる。
最終的に「ようするにどうなったのか」があいまいなままである。
これは日本人の書き方の特徴だ。
バラバラの知識を集めるだけで、どう見せるかが下手なのだ。
世界と違って、日本人の専門家とは、すべての言葉を暗記している人にすぎないのだ。

そういうことで
相手の心情と、状況に合わせて、自由自在に知識を出し入れできるようになったほうが良い。
それができるようになれば、学習レベルに関係なく、スムーズに会話できるはずだ。

おわり

737 :リーダー :NG NG.net
上野誠『さりげなく思いやりが伝わる大和言葉 常識として知っておきたい美しい日本語』
幻冬舎(2015)

私たちがしゃべっている言葉に大和言葉が混じっている。
筋がいい、けじめをつける、場違い、ほどよい、ねぎらう、かねがね、腑に落ちる
いさめる、顔ぶれ、ごめんください、ごめんなさい、ゆゆしき、あながち、ありあわせ、妙なる・・・

例文付きで紹介しているが変えて紹介しよう
「腑に落ちる」
もともと理系志望だった彼女が、文系に変わった。
それも、よりによって古文を学びたいと言い出す始末。
俺にはまったく、ようわからん。腑に落ちないことだ。
(ぼくたちは勉強ができない!の彼女と同じである)

これだけ、どこかで聞いた話だったので

738 :リーダー :NG NG.net
大和言葉は、いろんな使われ方をする。
古語でいくつか意味があったが、現代では一つの意味しかない。
古語でこんな意味だったが、現代は変えて使われる。
意味が入れ替わった。

たとえば
「全然、そうだ」
現代は「全然ない」と否定にすることになっている。
若者言葉で「全然そうだ」というようになった。
大人はそれが「けしからん」と思い、若者を見下している。
だが、古語では「全然いい」と言っていたという。
若者の言い方は正しかったのだ。
だが若者が認められないのは、大人に歯向かっているからだ。
知識があって、意味が変わっているからだ、なんて若者が癒えれば、見下されない可能性がある。
大人は、その若者を将来有望で、素晴らしい若者と思うか、
若者が良く知っているのが気に入らなくて、国語力が無いクズとみなすかのどちらかだ。
なんでクズなんていう大人がいるのかというと、若者がそれだけできる奴なのが悔しいからだ。
そんな子供じみた大人は、もっとよく勉強して過ごせばよかったのだ。
そういうことに気づかず、腹を立て、良くできるところを軽蔑して見せるのだ。
実際には、へー、そんなことを知っているなんて優秀な奴だと思っている。
だから自分が負けた、負けそうなのが腹が立つのだ。
話を戻して

739 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/31(火) 23:06:04 ID:発信元:221.171.67.170.net
世代が変わるにつれて、若者が言葉の意味を勝手に変える理由はこれだろうか。
1.若者が意味をちゃんと覚えていないから、間違いから、勝手に変わる。
2.若者と大人の仲が悪くて、若者が大人に逆らい、大人は先輩風を吹かせる
(心理学では、子供にとって大人は怖い存在である。
それで、子供だけで仲良くし、大人は子供たちの世界にはいない
大人は大きくてみすぼらしい年寄りになっていくので、
無意識に、異世界の異種族に見えていると思ってもいいだろう)
3.ちょっと違う言い方をしてみたい。
ちゃんと覚えていないのが理由で、意味を合わせた範囲で言い換えることはできない。
気分で言い換えるので、言葉の意味そのものが大きく変わる。

大和言葉は、細かい状況を説明できる言い方だと思う。
ひらがなが多く、音がやわらかいため、柔らかいもので優しく触れるように感じる。
そこから、精神的ダメージがないように、言いたいことを伝える。
さらに、目上の人に失礼のないような意味が勝手に含まれている。
直接表現をすると汚いし、強烈なのがびっくりするようである。
不快な気分にならないように、やさしく示すのに大和言葉は良い。

おそらく、日本人の不可解な言動の理由は大和言葉だろう。
ただし、困ったことがある。

740 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/31(火) 23:15:51 ID:発信元:221.171.67.170.net
事実だけをありのままに伝えるのがほとんどできないことだ。
場合によっては、物の名前も、事実も言ってはならない。

さらに、大和言葉や敬語の基本がある。
発言者(自分)はできるだけ貶め、目上の相手を持ち上げるようなことをずっとやりつづけなければならない。

これをやって、動作が遅くならないようにするために、大和言葉はよさそうだ。

日本にあるすべての組織の、すべての行動が、極端に遅い。
その理由は、一つ示すために膨大な過保護な動作をしなければいけないことだ。
日本の組織では、ティーポットを隣の部屋に移動する意思決定でも
数カ月かけなければいけないことがある。
ちょっと持って行って、と言えば済むのに、数カ月間、前置きが必要だ。
もうしわけありませんが、ちょっといいですか、と、
前置きで心の準備をするのに、数カ月かかるのだ。
それに、日本のやることはいつも何をしているのかわからない、時間稼ぎのような行動だ。
そのわけは、おそらく大和言葉の意識と、言霊信仰にあると思われる。

741 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/31(火) 23:22:51 ID:発信元:221.171.67.170.net
時間稼ぎをつねにやるから、日本の行動は極端に遅くて
世界から嘲笑されている。

それは、大和言葉の理解は、科学的態度ではないからだろう。

科学的態度と大和言葉を組み合わせることも日本人には出来ないようだ。
それは、類義語を扱えないことからうかがえる。

私は、この本を読んで感じたことがある。
大和言葉のニュアンスを知って、外国語の類義語のように扱うことが出来ればいいと思う。
大和言葉は、閊える状況が決まっているので、その状況と思ったらとっさに言えるようにする。
外国語を学ぶとわかるが、複数ある意味を、ちゃんと、その場面で使えればいい。

この本を読んで、大和言葉の意味を少し知って分かった。
外国語と似ていて、ちゃんと意味に合った状況で使えるようになればいい。
すると、大和言葉を使っても、日本人は事実を伝えることが出来ると思うのだ。

今の日本の若者は直接表現しか通じないが、大和言葉を外国語の多義語のようにうまく使い分けると
表現の雑さがなくなると思うのだ。
大和言葉には、話す人がどう感じているかも示すことが出来る。

今は、ビジネスや、専門用語の丸暗記で若者がしゃべっているが、
これは、単なる事実を機械的に示したものだ。
マスコミのように専門用語だけで説明したところで、発言者に心を感じない。
時事用語には心を感じる意味がないからだ。

そこに、大和言葉を混ぜることで、日本人に精神的ダメージがないように
難しいことでも伝えられればいいと思う。

742 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/31(火) 23:28:15 ID:発信元:221.171.67.170.net
大和言葉を少し知ってわかった。
日本人は、大和言葉を使って、事実を伝えようとすることはできる。
外国語と似ている。
それは、現代日本語と違って、大和言葉には細かい意味があるからだ。
大和言葉と現代語を混ぜて、何でも伝えられるようになればいいのではないか。
その範囲内で、大和言葉にならないようなことは、我慢して聞くべきだ。
物の名前を教えろと聞いておきながら、答えられたら逃げるようなことがあってはならない。
その理不尽さえなければ、日本人の行動は、まともになるだろう。

743 :リーダー ◆de85kRb5gY :2020/03/31(火) 23:33:53 ID:発信元:221.171.67.170.net
大和言葉と、言霊信仰の意識で、日本人は事実を変えてしまうのではないか。
どこからみても日本人の行動はストレートではない。
一つのことをするのに、まっすぐ処理せず、あっちこっち走り回って
ありもしない問題の処理をしながら、周囲から一つのことを終わらせる。
まっすぐ前に進まず、一度周囲へ出て行って、最長距離を通って前に進む。
常に何かを取り繕っており、無駄な動作が多い。

それは、目上の人の気分を害しないようにするのだろう。
しかし、事実を捻じ曲げてまで、目上の人の気分を害しないように
行動しなければいけないとすれば、それは異常な社会と言わざるを得ない。

目上の気分を害しないのは構わない。
それをしなければ、目上の人は、目下の人の社会的地位を潰すだろう。

しかし、事実を捻じ曲げてでもご機嫌取りをしなければいけないのなら、
目上の人は教養がないのではないだろうか。
教養どころか、物事の順序も知らない。
目上の人がわがままを通すにも、もうちょっと賢くやるべきだろう。
だから、何事も、事実を捻じ曲げない範囲でしなければならない。
全人類を潰せる人間がいたとしても、それをしていい根拠はないのだ。

そいういうことで
大和言葉を賢く使い分けることで、
日常会話をして、事実を伝えることもやってしまえばいいと思う。

日本人のおかしな行動が治るには
言葉と事実をうまく使い分けることだ。
絶対に、言葉と事実を捻じ曲げてまで、チヤホヤされようとしてはならない。
おわり

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