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ワイのポエムを評価してくれ

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/20(火) 01:12:54.26 ID:zKnXRLRV.net
タイトル:長い別れ 作者:(仮名)空澤高紘
いつも別れは突然だ。
誰にも何も言わずにあの人は去っていった。
去っていったあの人の哀しみを夏が来ると思い出す。
残された者は自分の無力を打ちひしがれ、ただ哭くことしか出来ない。
涙は、酷薄な街に、浸透圧の如く流れ出るけど、
乾いた街で雫はライデンフロストのように、霧散していく。
人は忘却を求めるけれど、忘れることができないこともあるんだ。
人の痛みは、心の中で感じなければわからない。
忘れることを求める人は、忘れたいほどの思いを経験したことがない人だ。
夏はいつだって、哀しくて、風鈴の音とともにあの人がまた現れて、逢えることを願う。
夢の中では、いつも子どものまま。
こちらはただ年を取ってしまい、また暑い夏がやって来る。
夏の青空は、どこか物悲しく、雨香が長い別れを思い出させる。

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/20(火) 13:27:16.80 ID:6OWisSEj.net
ただ年だけとって心は子どものままの人が書いたポエムですね!

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/07/24(土) 09:58:10.92 ID:0fVGtUEt.net
電波板みたいだ
そう嫌いではない

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/08/01(日) 00:52:40.64 ID:ibz4ofYq.net
スターグループって、どうよ?

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/10/03(日) 21:44:43.60 ID:7Siax4Cw.net
恋人との別れを詠んだポエムでしょうか?
確かに、ライデンフロストや浸透圧など
ありきたりではない語句を使用されているのは
いいのですが…全体的にはそれ(ありきたり)です。

夏が悲しいのは当たり前なので、
例えば風や風鈴さんに感情を含ませる
擬人法などを使ってみてはいかがでしょうか?

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/23(木) 16:50:00.87 ID:5OpkFUJ1.net
お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛官)についてご存じか。この方は神のような素晴らしい人間性を有しているので覚えていた方がよいぞ

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2021/12/24(金) 20:50:04.59 ID:IGKYRFkt.net
⋀⋀
´ᴥ` やばい糞だった。犬散歩してたら糞をもよおしてきたんだが、まぁ、大丈夫
なんて呑気にしてたら糞の圧力がグングン高まってくる、もう限界だ、いや、すで
に限界を超えている。意を決して引き返す。デパートのトイレで糞しよう。
たどり着けるかわからない、がんばって何とかたどり着いた、しかし、完全に限界
を越している、糞漏らしてないのが奇跡なくらいだ。でも、ここで漏らしたら、明日
からこの町歩けなくなる、根性でトイレに向かうが、途中で女子高生とすれちがう、
糞よ出てくんな、女子高生にばれたらキモーー!!って怖がられて警備員が飛んでく
るだろうが。で、ケツを押さえながらトイレにあえぎつつ到着。
信じられないくらい幸運だ、まだ漏れてないぞ。ドアを開けたがそれが最後だった。
いま、犬が俺のケツに鼻をつけてクンカクンカ香りを楽しんでいる。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/09(日) 07:22:46.26 ID:ZC7DMPWY.net
KOMUGI-NOCO37
トンネルキャンプキラー
ブロック推奨

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/20(木) 03:05:03.10 ID:6ZPBVr+s.net
>>1
>人は忘却〜経験したことがない人だ。
はなくて良い

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/01/20(木) 03:06:08.76 ID:6ZPBVr+s.net
>>7
良い

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/02/27(日) 11:14:01.02 ID:FyKNpR39.net
お前ら和歌山県出身の下村拓郎様(35歳独身、元自衛隊)をご存知か、この方は将来素晴しい人物になるから覚えておいて損はないぞ

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/06(水) 18:06:55 ID:yFxv1saK.net
もう引退したんだからおとなしくしてね
美智子さんも外出しなくてもええよ。
税金使い放題です~

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/14(木) 19:32:30.80 ID:4Hj8TDOx.net
便器の中の水に沈むウンコをしみじみと眺める。
ああ、これが俺の腹の中にいたやつか・・・・
ああ、もしかしたら俺のハラワタもこんなふうなんだろうか。
肉と霊、本当に霊なんてあるのだろうか。
俺が肉に過ぎないのだったら、俺に尊厳はない。
しかし、俺は尊厳があると信じている。
だから、肉体を犠牲にしてでもそれを守ろうとするだろう。
肉体が肉体を犠牲にするなら、肉体でない何かがなくてはならないはずだ。
聖なるもの、それは霊だろう。霊は俺自身なのだ。そして、それを知る者は
もはや一人ではなく、一体である。それは愛である。
愛は神である。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/14(木) 20:35:11.34 ID:zzsdBWx5.net
「霊」は、日本語の古語では、「ち」ですよ。
そう、「いの『ち』」の「ち」
我が身である肉体を犠牲にしてまで何を守るのか。
それは、「ち」の通うものとしての我が身でしょう。
排泄物として排泄されるものの大部分は確かに、我が身としての肉体を
構成していた物質ですが、それはもはや「ち」が通わなくなったので
排泄されるのでしょう。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/14(木) 23:05:12.21 ID:4Hj8TDOx.net
>>14
肉と霊については、キリスト教の立場から書いたものですから、
ちにこだわるものではありません。
ただ、自分のウンコを眺めて、手術で摘出された臓物も同じように
気色の悪い物に過ぎないだろうなと想像したのです。
しかし、日本人の切腹や特攻隊などにみられる名誉や国のために身を
捧げるなどの感性はそれに共通するものがあると思います。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/14(木) 23:21:10.94 ID:4Hj8TDOx.net
シコシコといえば、ラーメンのこしを連想させるなぁ。
シコシコよりシャカシャカとかシュシュシュとかショリショリのほうがリアルだと
思うな。あまりやると痛くなるからほどほどがよい。生き物だから大切に。
無駄に排出されては気の毒というものだ。もとは同じ立場ではなかったのか。
あいつらは心を持っているのだろうか?それとも、俺たちはDNAの情報だったのか。
情報が俺たちなのであれば、あの気持ち悪い発達障害のオッサンは気持ち悪い情報が
容を伴って現れたものなのだ。なら、早く消えてくれ。汚物は実在してはならないのだ。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/15(金) 00:15:08.11 ID:QNVVBGWH.net
命をもつものの体が、その定義からして、まだ排泄されていないもので
構成されている以上、汚物が実在してはならないというのは、
命が存在してはならないというのと同義でしょう。

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/15(金) 07:07:58.85 ID:w8FFyd9X.net
公表されていることが事実なら、今回、病院で行われたのは、救命医療ですら
なく、救命医療の形骸化である。病院に到着したのは、心肺機能だけは維持
されている脳機能の回復を期待することのできない脳死状態である可能性
が極めて高い患者でさえなく、既に心肺機能も停止して、脳の活動も認め
ることのできない、つまりは、命がある徴候がどこにも見られない死体である。
輸血は、「救命行為」としてそれを続ける限り、その間は、医師が死亡宣告を
しなくてもよい形式上の口実が得られるという理由で続けられたことになる
ので、事実上、死体に人工的に血を通わせてその血を廃棄していただけ
ということになり、それは医療行為でさえなく、救命行為の意図的な形骸化
であると言わざるを得ない。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/15(金) 08:25:44.22 ID:w8FFyd9X.net
硝酸アンモニウムといえば思い出されるのが、しばらく前に暴発して
多数の犠牲者を出して世界的な大問題となったタカタのエアバッグの
インフレータだ。リコールでは、なぜかフロント・エアバッグの
インフレータだけが対象となり、まったく同じ機構が使われている
にもかかわらず、サイド・エアバッグのインフレータはリコールの
対象とされなかった。したがって、わざわざ危険な爆薬を自分で
調合するまでもなく、タカタのエアバッグが搭載された中古車の
サイド・エアバッグのインフレータをテロリストが入手したなら、
今回の犯人のような技術力さえあれば、簡単に殺傷力のある兵器
を自作できてしまうだろう。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/15(金) 08:53:52.53 ID:w8FFyd9X.net
というか、エアバッグのインフレータそのものが軍事技術の民間転用である。
タカタのインフレータを開発した米国タカタの子会社も、確か、
ロケット推進技術にかかわるロックウェル系の子会社だったものと
記憶している。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 08:06:47.36 ID:NEdF/OeO.net
固有名詞にばかりこだわって、誰々が何々をしたという捉え方しかできない
から、物事の仕組みが分からない。人々の組織化と行動の原理から見れば、
その組織が、カルト、宗教団体、フーリガン、極右/極左集団、テロ組織
など、どのような思想信条を名目として、それを表向きの口実としていた
ところで、その活動実態は、国家内国家の別働部隊に過ぎないだろう。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 08:46:46.65 ID:NEdF/OeO.net
個々の「陰謀」は「事実関係」として糾弾するが、「陰謀論」は許さないって、
個々の試合で行われた「八百長」は糾弾するが、「八百長が全体で組織的に
行われている」と論じるのは許さない、というようなもの。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 09:57:02 ID:NEdF/OeO.net
少しは「論理的」に物事を考えるようにしてみてはどうだろうか。
ロシアを中心とする共産圏は、形の上では米国を中心とする西側諸国との
冷戦に負けて崩壊したわけだが、そのことによってロシアを統治する権力の
継続性が失われたわけではない。同様に、日本は第二次世界大戦で
連合国側に敗れて敗戦国となったわけだが、そのことによって日本を
統治する権力に地殻変動が生じて、中国大陸にまで日本の統治権を
拡大しようとした日本国内の統治権力に継続性が失われたわけではない。
敗戦国として管理下に置かれて、メディアを含めてすべてが強力な
指導を受けることになっただけの話である。例えば、戦時中に日本軍の
落下傘を製造していたタカタは、戦後には米国連邦警察のパトカーの
安全ベルトを製造し、落下傘の製造で得たノウハウを活かして、
エアバッグを開発することになり、軍事技術であるインフレータの製造
は、米国の「子会社」にその開発を委託することになった。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 10:04:24 ID:NEdF/OeO.net
そのような戦後の状況下で、戦前から日本の統治権力の中枢で活動を
つづけている人々に、その活動の名目がなんであれ、日本国外でも
ネットワークを広げる正体のよく分からない非政府の民間組織が急速に
強い影響力を発揮するようになっていることが認められたとしたら、
その組織は、どのような性質のものであると判断することが「論理的」だろうか。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 13:21:32 ID:NEdF/OeO.net
今回の事件は、その衝撃の軽さ(国内株式市場すら無反応だった)において、
「歴史の終焉」(その有名な宣告から約30年遅れで)を人々に告げ、
本当の意味でそれを体感させる出来事となったのだろう。

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 16:41:06.46 ID:NEdF/OeO.net
ここでタカタを引き合いに出したのは、別に突飛なことではない。
安倍元首相は、岸信介の孫だが、戦後日本史上最大の債務超過額で
経営破綻し、中国資本+米国資本に吸収合併されたタカタの当時の
社長兼CEOの高田重久は、現在も存続するタカタ財団の高田暁子
の息子、戦後間もない時期に凸版印刷の取締役社長に就任した
山田三郎太の孫である。凸版印刷は、その年には業務として
日本銀行券(要するに紙幣)まで印刷している。

山田家(凸版印刷社長・山田三郎太の家系図) | 閨閥学で
見ることのできる家系の人脈と、
凸版印刷(株)『TOPPAN1985 : 凸版印刷株式会社史』で戦前、
戦中、戦後の凸版印刷の社史を参照してみるといい。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/16(土) 16:49:15.52 ID:NEdF/OeO.net
ちなみに、暴発事故を起こしたタカタのエアバッグのインフレータを
開発、製造していた米国タカタの子会社は、米国空軍基地としても
使用されていたワシントン州の飛行場に隣接した施設として存在し、
今は、中国資本+米国資本のJoyson社によって運営されている。
この飛行場は、ボーイング社が新型機のテスト飛行に利用してきた
ことが知られ、
>国産ジェットを「1兆円空回り」に終わらせた
と報じられて、結局は凍結されることになった三菱重工による
小型ジェット旅客機「スペースジェット」(SJ、旧MRJ)の開発
のために使用されていた飛行場もそこである。タカタの債務超過額
もだいたい1兆円程度と言われているから、奇遇と言えば奇遇だ。

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/17(日) 00:03:07.52 ID:5BW1NNLW.net
どうしてこんなどうでもいいような情報を検索して収集したのかというと、
私自身がタカタ株で痛い目にあったから。インフレータのリコール騒ぎが
一向に収まらない状況でも、海外のタカタ子会社は何の問題もなく営業
を続けているばかりか、既存の工場拡大のための投資を進め、雇用を拡大
していたので、債務不履行という事態に陥ることはないだろうとタカを
くくっていた。実際、最終的に中国資本+米国資本にタカタの全資産を
譲渡し、債務は業界内で処理するという形で決着がついたので、連鎖
倒産が一件もないばかりか、関連企業に対する債務の不払いすらなく、
記憶に間違いがなければ、社債も補償されたはずだ。権利が一方的に
没収されて損をしたのは個人としてタカタ株を購入した個人投資家だけ
だったはずである。資産を切り売りして、何とか債務を返済しようと
力を尽くして、力及ばず倒産し、企業再建の一環として買収された
ということですらない。投資によって事業を拡大しながら、そのまま
吸収合併されるという、いわば、企業の「発展的解消」である。
まさか空軍基地に隣接する元米国軍需産業の子会社が中国資本に
そのまま売り渡されるとは思っていなかったので、最後まで
株を手放さずに損をしたのは、私個人の歴史的状況の変化に対する
読みがとても浅かったということだが、とてもよい教訓となった。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/17(日) 00:12:05.28 ID:5BW1NNLW.net
Air Force 2 visits Moses Lake | Columbia Basin Herald
Staff Writer | May 3, 2022 1:20 AM

MOSES LAKE - A C-32A — the military version of the Boeing 757 —
with the tail number 80001 taking off from the Grant County International
Airport during a series of touch-and-go take-off and landings Monday
afternoon. The plane is one of four C-32As used as Air Force Two to
transport the Vice President, First Lady and Secretary of State.
Officials with the Port of Moses Lake would not comment on the plane’s
presence in Moses Lake.

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/17(日) 07:29:20.82 ID:5BW1NNLW.net
ところで、安倍元首相は岸信介の孫で、岸信介といえば、いわゆる満州人脈
の代表格だが、奇しくも、中国資本Joyson+米国資本Key Safetyによる
タカタ資産の買収劇にも満州人脈が一枚噛んでいる。

>Luo: Taking new job in China for personal reasons.

August 23, 2017 01:00 AM
Key Safety CEO resigns as final Takata deal looms

Luo served as a X-factor in the bid to win Takata, according to
Crain’s Detroit Business, an affiliate of Automotive News. Luo's
family hails from Manchuria, a region in northeast China controlled
by the Japanese until the end of World War II. His father spoke
Japanese and worked on the Japan-owned South Manchuria Railway.

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/17(日) 11:00:03.64 ID:5BW1NNLW.net
人々は、公共性の維持と支配の関係についてつねに誤った捉え方を
する(ように絶えず誘導されている)。だから、共産主義を理念と
する支配と市場主義を理念とする支配をあたかも対立するもの
であるかのように錯覚してしまうのだ。統治のために掲げられる
理念がどのようなものであれ、支配は、公共性を私物化によって
廃棄することによってではなく、その運用管理において絶えず
有利な立場を保ちつづけることができるように公共性を維持する
ことによって成立する。

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/17(日) 11:07:09.09 ID:5BW1NNLW.net
言い換えるなら、自らが有利に運用管理することのできる公共性を維持する
ように人々につねに貢献させることができなくなれば、支配は崩壊する。

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/18(月) 07:34:59.21 ID:VZhPBz5O.net
モノゴトを原理的に考えようとしないということは、
いつでも目の前に意図的にぶら下げられた餌につられ、
立派な服を着せられただけの案山子に怯えるということだ

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/18(月) 09:32:29.76 ID:fBgnzrJB.net
>眠れ早く
誤解してたかもしれない。
これはおまいの切実な願いだともとれる。
誰に向けてか?俺とは限らない。
誰でもいい、聞いてくれ、この願いを・・・・・・
だが、ここでは誰も聞いてくれないだろう。
聞いたふりなら、あるいはするかも知れない。
だが、信用するな。そいつにとって、おまいは何だというのか。
聞いてくださるのは、運命を司る存在に違いない。
そのお方に願うといい。
その願いは聞かれるだろう。だが、そのことを知ることはおまい次第だ。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/18(月) 13:47:56.26 ID:VZhPBz5O.net
市場主義において維持されるべき公共性の最たるものが市場で一般に通用
する通貨であり、それが通用する市場そのものである。「富の独占」という
ことがよく言われるが、自分だけ独占的にいくら金持ちになったところで、
自分がすべての通貨価値(当然、負の通貨価値である負債も含む)を私物化
してしまい、他の誰も通貨を利用しなくなれば、金持ちになることの
意味も消滅することは明らかだろう。そこで、現在、協力に推進されて
いる「キャッシュレス社会」となどのようなものなのか、何をどのように
推進しているのかをよく考えてみることだ。

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/18(月) 13:48:29.86 ID:VZhPBz5O.net
協力に推進×
強力に推進〇

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/21(木) 08:19:35.81 ID:SF9f8UmP.net
公共性の維持強化とは、即ち、公共性を通じた支配の維持強化である。
それ故、公共性と支配の関係を原理的に考えるなら、人は他の何人にも
支配されることなく平等であるべきであるとする平等主義の理念と
公共性により大きく貢献することこそが人として正しい、高く評価
されるべき振舞いであるとする道徳/倫理は、本来的に矛盾する。
そして、その矛盾が原理的に生じること自体を各々に否認させる
ようにダブルバインドによって、倦むことなく絶えず繰り返し
導こうとするのが支配のイデオロギーとしての思想である。

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/21(木) 09:15:30 ID:SF9f8UmP.net
支配関係において人事的に自らを高く評価してもらえるように積極的に
ダブルバインドの誘導に協力する、あるいは誘導する役割を自らが
買って出るというのは、ごく普通に見られる一般的な態度だが、
そうではなくただ誘導に従うだけの立場で、わざわざ自分から
誘導してもらいたいと願うのは、かなり狂っている。

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/22(金) 07:39:51.90 ID:6yYCJwVX.net
支配は、公共性を通じて維持強化されるのだから、大半の人々が公共性の
推進に自ら進んで積極的に協力しようとするなら、人々を支配する関係性も
自ずと全体主義的な傾向を強めることになる。これは、たまたま生じる
といったような現象ではなく、理の当然である。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/22(金) 07:41:08.17 ID:cyGmwCV8.net
公共の敵とは誰のことか。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/22(金) 07:49:46.15 ID:cyGmwCV8.net
漱石の考察は、哲学的に見れば、ようやくその入口に立った程度のもので、
示される認識も極めて浅いものに過ぎないが、少なくともその入口に立つ
ことを可能にする初歩的な認識を示してはいる。

>ただもう一つ御注意までに申し上げて置きたいのは、国家的道徳という
ものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。
元来国と国とは辞令はいくら八釜しくっても、道徳心はそんなにありゃ
しません。詐欺をやる。誤魔化しをやる。ペテンに掛ける。滅茶苦茶な
ものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、
よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義
から考えると、それが大変高くなって来るのですから考えなければなり
ません。<
三好行雄編、『漱石文明論集』、岩波書店、pp.136-37

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/22(金) 08:02:04.79 ID:cyGmwCV8.net
漱石は、帝国大学を卒業し、高等師範学校で教師をし、貴族院書記官長の
長女と結婚し、国費で英国に留学し、新聞社で働いていた経歴の人間なので、
経験もなしに単に想像で「陰謀論」的な認識を示しているわけではない。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 08:03:57 ID:K4B573Fb.net
ひとは、自らの自律性を高めるのに役立つ自動性を強化することを望んでいる
のであって、それと引き換えに自らの自律性を犠牲にして自動性を強化する
ことを望んでいるわけではない。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/23(土) 17:20:17.94 ID:K4B573Fb.net
自動化と自律性の関係については、《maîtriser》という行為の観点から
考察することが大切だろう。自動化は、通常、振舞いの《maîtrise》を
容易にするために行われるものと考えられている。インフラ構築の
ためという名目で行われている自動化は、どのような《maîtrise》を
容易にするように推進され、誰にどのように役立っているのか。
人々がそれを支えに生活するインフラ/下部構造の構築の推進は、
それを反転させて見れば、同時に《maîtrise》のためのスープラ/
上部構造の構築でもある。

45 :I'm about to lose control:2022/07/23(土) 19:17:42.98 ID:K4B573Fb.net
《maîtrise》がその反転する相において互いに合致しない、つまり、
《soi-même》/"oneself"として現れないということは、どのようなことだろうか

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/26(火) 13:20:50.72 ID:mzujmJiN.net
去るが如くに来たり、来たるが如くに去る。
如来と如去の合致において自己が現れることに
のり(法/則)/《maîtrise》としての自己がある。

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/07/27(水) 10:09:05 ID:pgDG357m.net
À chaque fois, on se surprend en s'échappant.

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/15(月) 20:19:24.99 ID:bt+boGi7.net
背中から水虫がでたとか言ったらウソになる。
水虫が足の指の付け根に出たというのも、ウソである。
足に虫を飼っている人は狂人である。

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/17(水) 18:39:10.01 ID:h6RUjG9M.net
名前: ボクチン仔犬だよ ◆P10fR708T6
E-mail:
内容:
>統統ー教会の聖本や壺っていくらで買ったの?
聖本などというものはない。一般に聖書と呼ばれる本は置いてあるが誤用している。
壺は売ってるらしいが、俺が買わされたのは5万円くらいの象牙の印鑑3本セット。
占いのおばちゃんにしてやられた。
>あとローンは組めるのかな?
ローンで買わされた。
>教えてくれ売国教会の信徒さん
2daysとか7daysとか、泊まり込みの数日間で洗脳され、騙されて、それとは
知らずに韓国のわけのわからないところに金を吸い取られたりしてるんだろうな、
俺の5万円もそんなやつらの私腹の肥やしになってんだろな、俺の望むところでは
ないが、結果的に売国になったかも知れん。
噂によれば、統一教会は原爆賛成らしい。しかし、これはキリスト教とは相容れない
ものだ。典型的偽キリストと言えよう。

コリント第二の手紙 10章4節
わたしたちの戦いの武器は肉のものではなく、神に由来するものである。

エフェソス人への手紙 6章12節〜
わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものものではない。
・・・・・神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、
正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。
その上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者が放つ火の矢
をことごとく消すことができるのです。また、救いを兜としてかぶり、霊の
剣、すなわち神の言葉を取りなさい。

マタイによる福音書 26章52節
そこで、イエスは言われた。「剣をさやに納めなさい。剣を取る者は皆、剣
で滅びる。・・・・・」

50 :うかぶおも・かげ/Spiegelbildとしてのイデア:2022/08/18(木) 09:52:44.35 ID:UwI1KSrF.net
おも(面)ふ(覆)ことにおのれ(己)がある
Allez, ça va te changer les idées
おもてに出ればおもひ(=うら)も変わる
おもひ(=うら)とは、面(も)/Spiegelに映し出されたかげである
映し出されるかげが消えれば、おもひ(=うら)も、面(も)/Spiegelも消える

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 10:02:54.23 ID:UwI1KSrF.net
自己は、実効性を発揮した反転可能性/キアスムの効果として現出する。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 10:23:22.83 ID:UwI1KSrF.net
哲学における《chiasme》についての言説を分かりにくくしているのは、
それを「両義性」/「両価性」/《ambiguïté》/《ambivalence》として
説明する用語法そのものだろう。この用語法の困難がどこにあるかと
言えば、それは、これらの表現における「両」/《ambi-》が、ただちに
双数性としての"2"を想起させてしまうことだ。すると、《chiasme》
は、二つ一組の「二項対立」として捉えられることに回収されるか、
「双方向性」/《double sens》として、あるいは、さらには、
その数を不特定にした不確定の「多義性」/《ambiguïté》として
理解されることになってしまうことである。

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 10:57:40.06 ID:UwI1KSrF.net
反転可能性としての《chiasme》の重要性は、それが「双方向性」/《double sens》
を示すことにあるのではない。そうではなく、この反転可能性なしには、
そもそも、「方向性」/「意味」/《le sens》そのものが現れることができない
のである。したがって、何らかの「方向性」/「意味」/《le sens》が現れる
限りにおいて、この反転可能性/《chiasme》はつねにすでにそこに
固定されて抑圧されるという形で潜在的に表れている(つまりは、
姿を消して潜んでいる)のである。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 11:12:34.78 ID:UwI1KSrF.net
ゲーテは、そのようにして潜んでいる反転可能性/《chiasme》を感じ取れる
ようにする言語表現を好んで用いる作家だが、実は、その反転可能性/
《chiasme》を日常言語において感じ取ることは、ドイツ語においてよりも、
日本語においての方がはるかに容易である。それは、日本語が、
その形成において、そのような反転可能性/《chiasme》を徹底的に
積極的に利用しているからである。

例えば、ゲーテの"Dichtung und Wahrheit"からの次の表現を参照してみる
といい。
>Seitdem jenes leidenschaftliche Mädchen meine Lippen verwünscht
und geheiligt (denn jede Weihe enthält ja beides), hatte ich mich,
abergläubisch genug, in acht genommen, irgend ein Mädchen zu küssen,
weil ich solches auf eine unerhörte geistige Weise zu beschädigen fürchtete.<

Goethes Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Band 9,
Hamburg 1948 ff, S. 449-503.

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 11:34:30.28 ID:UwI1KSrF.net
>あの情熱的な少女が私の唇を呪い、聖(きよ)めて(お祓いというものは
すべて二つの面をそなえている)以来、私はひどく迷信的になり、重大な
精神的害をあたえることを恐れて、誰であれ少女にキスをするのを
用心してきた。< ゲーテ、『詩と真実 第三部』、p.19

ここで、ドイツ語の原文における"verwünscht und geheiligt"が、
「呪い、聖(きよ)めて」と訳され、それがここでは「お祓い」
と訳される"Weihe"の二面性であるとされるわけだが、この
「お祓い」/"Weihe"(カトリックの用語では「聖別」、英語では、
"consecration")が、日本語の「いは(祝)ひ」/「いは(斎)ひ」に
相当し、"verwünscht und geheiligt"が呪詛を唱えること、
つまり、「のろ(呪)ふ」ことと、祝詞を唱えること、つまり、
「の(祝)る」ことにそのまま対応しているのを見てとることは
容易だろう。

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/18(木) 11:50:39.24 ID:UwI1KSrF.net
ここで「二面性」とされている反転可能性/《chiasme》は、二つの方向性を
ひとつにまとめて組にしたものなどではなく、「いは(祝)ふ」ことがすなはち、
「いは(斎)ふ」(「忌み慎む」ことを伴う)ことになり、まつ(祭/奉/祀)る
ように「の(祝)る」ことがすなはち、「のろ(呪)ふ」ことになることを
示している。

別の例を挙げると、覆ひを「『さ(去)』る」ことがすなはち、
「『さ(晒)』らす」ことになるのであって、「『さ(去)』る」ことと
「『さ(晒)』らす」ことが別々の方向性としてまず存在して、
それが組み合わされて「さ」によって表現される様態の
反転可能性/《chiasme》がもたらされているわけではない。

57 :ただ(直)そこにいるだけの自己というVorspiegelung:2022/08/19(金) 11:39:42.61 ID:5x8/pwmC.net
自己のただ(正)しさを確信しようとする人は、哲学をすることを忌み嫌う。
なぜなら、哲学をすることは、自らがただ素直(すなほ)にそこにいるだけ
であることに潜む禍(まが)に気づかせてしまうからである。
そして、この禍(まが)は、つねにただ(正)しいおこな(行)ひだけをする
ようにどれほど自らをなほ(直)したところで決して解消することは
できないのである。

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 17:48:24.05 ID:5x8/pwmC.net
反転可能性としての《chiasme》についての言説が分かりにくくなること
の大きな要因として、《chiasme》という表現そのものが物象化されて
捉えられてしまうことにある。《chiasme》が単に「キアスム」と
カタカナに移されても、この言葉が何を表現しているのか不明で、
それを説明するのに「交叉」、「絡み合い」などの言葉が用いられる
ことが多いが、カタカナの「キ」に移される《chiasme》の《chi》は、
実のところ、ギリシャ文字の"Χ"を表しているに過ぎない。
したがって、「キアスム」という表現において、この"Χ"が「交叉」や
「絡み合い」を代表するように用いられているとする理解は、
間違いではないが、ここに既に表現の物象化の問題が絡んでいる。

この場合、象形として利用されるギリシャ文字の"Χに過ぎない表現が
物象化されるとはどのようなことだろうか。ここでもやはり、それに
対応する日本語の表現を考えてみると、それがどのような事態であるのか
より容易に理解することができるようになる。

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 17:50:34.61 ID:5x8/pwmC.net
誤:捉えられてしまうことにある
正:捉えられてしまうことがある

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 18:07:42.02 ID:5x8/pwmC.net
岩波古語辞典で「あざな(糾)ひ」という項目を参照すると、
>吉凶糾へる縄の如しといふ
という例文が記載されている。

吉凶は糾える縄の如し
(晉の孫楚の「征西官属送於陟陽侯作詩‐吉凶如二糾纆一、憂喜相紛繞」による)
禍福は糾える縄の如し
(「史記‐南越伝」の「因レ禍為レ福、成敗之転、譬若二糾纏一」から)
出典:コトバンク、精選版 日本国語大辞典

「あざな(糾)ふ」という表現そのものは、既に古語として使はれなく
なっているが、現代の日本語においても「吉凶(または禍福)糾へる縄の如し」
は諺として通用するものして残っているだろう。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 18:27:28.83 ID:5x8/pwmC.net
この「吉凶(または禍福)糾(あざな)へる縄の如し」 という諺において、
《chiasme》の《chi》(カタカナの「キ」に移される)として
「交叉」や「絡み合い」を代表するよう象形として利用される
ギリシャ文字の"Χ"に対応する表現を容易に見出すことができる。
それは、「糾(あざな)ふ」という表現において用いられる漢字、
「糾」の右側に構成要素として用いられている「丩」である。
Wiktionaryの英語版で「糾」および「丩」の"Glyph origin"
を参照してみれば、その象形の利用の仕方として「丩」が
《chiasme》の《chi》としてのギリシャ文字の"Χ"に対応する
ことを誰でも直ちに確かめることができるだろう。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 18:33:01.83 ID:5x8/pwmC.net
Definitions
丩 Alternative form of 糾/纠 (jiū, “to entangle; to entwine”).
Pronunciation
Middle Chinese: /kɨu/
(出典:Wiktionary)

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 18:54:06.70 ID:5x8/pwmC.net
ところで、「吉凶(または禍福)糾(あざな)へる縄の如し」という諺を
聞いて、人はどのようなことを思ひ浮かべるだろうか。
《chiasme》を反転可能性において理解しようとする場合、当然、
注意が向けられなければならないのは、「糾(あざな)ひ」の作用の
様態であり、「糾(あざな)はり」の結果としてもたらされた
「縄(なは)」ではないはずである。ところが、多くの人は、
「縄(なは)の如し」の方に意識が集中してしまひ、
「糾(あざな)ひ」の作用の様態を捉えようとすることが疎か
になってしまうのだ。これとまったく同じことが、《chiasme》
において「交叉」や「絡み合い」を代表するように用いられている
と理解されるギリシャ文字の"Χ"についても生じる。
つまり、"Χ"が、"/"と"\"が交互に現れる(潜む)こととして
ではなく、その結果の形象としての"Χ"ばかりに意識が向いて
しまうのである。これが、《chiasme》の理解において生じる
ギリシャ文字"Χ"の物象化である。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 19:02:20.44 ID:5x8/pwmC.net
しまひ ⇒ しまい

古語のつづりとして「しまひ」でもよいのだが、ここでは別にそれを
強調する意図はないので、現代語のつづりに戻しておく。
つづきは、アクセス規制されなければ、また後で書くことにする。
他の板の場合と同様に、どうせまたいつ永久書込みアクセス禁止に
なるか分からないが。

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 19:06:02.95 ID:5x8/pwmC.net
誤:交互に現れる(潜む)こととしてではなく
正:交互に現れる(潜む)こととして理解されるのではなく

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 21:08:59.18 ID:5x8/pwmC.net
"chirality"(カタカナ表記で「キラリティー」として知られる)という
表現がある。カタカナで「キ」に移される"chirality"の"chi"は
やはり、ギリシャ語の"Χ"に対応するので、《chiasme》の《chi》
と共通であるが、"chirality"は、ギリシャ語で手を意味する
"χειρ"を語源とするので、《chiasme》と特に関係があると考えられて
いるわけではない。それでも、反転可能性としての《chiasme》を、
物象化された"Χ"としてではなく、"/"と"\"が交互に現れる(潜む)
こととして見るなら、そのことを"chirality"に関連付けて考察して
みることも面白いのではないかと思う。ただし、私自身、"chirality"
という言葉以上に、それについての論考について何か詳しく知って
いるわけではないので、無駄な混乱を避けるために、ここで
それに深入りするのは控えることにする。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 21:50:12.88 ID:5x8/pwmC.net
>>53
>何らかの「方向性」/「意味」/《le sens》が現れる限りにおいて、
この反転可能性/《chiasme》はつねにすでにそこに固定されて抑圧される
という形で潜在的に表れている(つまりは、姿を消して潜んでいる)のである。<

私は、このように述べた。ところで、私は以前から、日本語において
再帰表現を形成するのに用いられる「〜ふ」について、それが「〜」に
対して反転を働かせることの指示として用いられていることを指摘し、
その反転の作用を説明するのに、「(x/y)^-1=y/xにおいて"^-1"が
反転の作用を働かせるように」という疑似数学的な隠喩を用いてきた。
ここでは、「〜ふ」と切り離して、"^-1"を反転作用を働かせること
の隠喩として用いるなら、《chiasme》においてギリシャ文字"X"
によって表現される「あざな(糾)ひ」の作用を、/=(\)^-1と
\=(/)^-1の相互性として便宜的に説明してみることもできるのでは
ないかと思はれる。私は、ここで別に、演繹的な操作を可能にしよう
として数学記号を隠喩として用いているわけではない。そうではなく、
私が伝へたいのは、/が現出するとき、すなわち、そこには
\が/=(\)^-1という関係で反転可能性として姿を潜め、逆に
\が現出するとき、すなわち、そこには/が\=(/)^-1という
関係で反転可能性として姿を潜めるという相互性である。

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
「吉凶(または禍福)糾へる縄の如し」という諺に関連付けて言えば、
「糾(あざな)ひ」の作用の様態において、吉=凶^-1と凶=吉^-1の
相互性、あるいは福=禍^-1と禍=福^-1の相互性として、
二項対立における対立項を、つねにすでに反転可能性として潜伏
させており、さもなければ、吉も凶も、禍も福もそれ自体として
は現出することができないということである。

いくら「な(萎)え」から回復するように「まが(禍)」を「なほ(直)」
しても、「まが(禍)」が反転可能性として潜んでいなければ、
「なほ(直)る」こと自体あり得ず、また逆に、「まが(禍)」に、
それが反転して「なほ(直)る」可能性がないのであれば、
「まが(禍)」自体も存在し得ないと言うこともできるだろう。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/19(金) 22:31:09.35 ID:5x8/pwmC.net
>「定かに思ひ弁(わきまへ)ねども、禍福は糾(アザナヘ)る纏(ナワ)の
如し。人の命は天に係れり」※読本・南総里見八犬伝(1814‐42)二
(出典:コトバンク、精選版 日本国語大辞典)
という感覚は、ディドロの『運命論者ジャックとその主人』にもとても
よく表現されている。「運命論者」と聞くとなにか、物事の成り行きに
ついてあらかじめどのようにか決定されていることそ知っていると
確信している「決定論者」を想像するが、「ジャック」はそのような
人物ではない。そうではなく、現状で表れている吉凶禍福がどうであれ、
いつでもつねにそれが反転する可能性がそこに潜んでいることを
はっきりと自覚している人物である。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/20(土) 10:13:56.83 ID:vqOYrm8e.net
運命論者とは、できることをつねに快く受け入れる者(《celui qui
accepte tout le temps volontiers ce qui est à venir》)のことである。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/20(土) 10:35:43.83 ID:vqOYrm8e.net
日本語において「〜ふ」が働かせるような反転作用に対応するような
関係性は、フランス語の表現においてもその例を見ることができる。
例えば、「しの(凌)ぐ」と「しの(忍)ぶ」の関係に関連して考えて
みると、《soumettre》と《se soumettre (à 〜)》がちょうど
そのような互いに反転する関係にあることが分かる。ところが、
フランス語では、これをただちに、「動詞の作用を自己に働かせる表現」
であるものと解釈して、作用を働かせる自己の存在を前提として
しまうのである。しかし、この反転可能性は、自己が現出する
ための要件であり、まず自己が存在してそれに対して反転が生じる
と考えることは錯誤である。にもかかわらず、西洋の哲学の自己に
関する議論は、そのように自己の存在を前提としたうえで、
どのようにして自己が現出し得るのかをうまく記述しようと
もがきつづける傾向が強い。日本語で哲学をしようとする者は、
その枠組みがもたらす困難を理解しようとする必要はあるにしても、
その枠組みにいつまでも囚われてみせる必要はないはずである。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/22(月) 15:25:05.96 ID:5i6SVt+K.net
次もゲーテの『詩と真実』からの引用である。
>Der Mensch mag seine höhere Bestimmung auf Erden oder im Himmel,
in der Gegenwart oder in der Zukunft suchen, so bleibt er deshalb doch
innerlich einem ewigen Schwanken, von außen einer immer störenden
Einwirkung ausgesetzt, bis er ein für allemal den Entschluß faßt,
zu erklären, das Rechte sei das, was ihm gemäß ist.<
Goethes Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Band 9,
Hamburg 1948 ff, S. 449-503.

ここにおいてもやはり、西洋の思想や哲学は、自己の存在を前提とした
解釈に囚われてしまう傾向が強い。すると、ここにおける»ein für allemal«
("once and for all")は、運を快く受け入れようとする運命論者としての
決意から、何らかの定めを己にふさはしいものと信じ込み、何があろうと
決してその信念を曲げようとしない妄信的な決定論者の頑なな姿勢に
変わってしまう。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/22(月) 15:58:19.97 ID:5i6SVt+K.net
「のり」にあ(合)ふことにおいてみづから(身づ柄/自ら)がある、すなはち、
おのれ(己)の具体性(「からだ(躯)」を具えた性質)が現出するのであって、
自律性とは、あらかじめ存在するものとされる自己をどのようにか
律する(《maîtriser》)ことではない。自己の存在を前提として、
「のり」にみづから(身づ柄/自ら)を合はせようとすることに
おいて現れる《maîtrise》は、自己の「抑制」であり、みづから
(身づ柄/自ら)が「のり」であろうとする(《La loi, c'est moi 》)
ことにおいて表れる《maîtrise》は、他者の「支配」である。
いずれの場合にも、キアスムにおいて反転可能であるはずの
「のり」がその一面性に固定されることによって、自律性は
見失われることになる。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/23(火) 09:13:53.90 ID:W8XvBY8R.net
>「人は神の似姿である」と言われるが、日本語において「かみ(神)」は、
「かがみ(鑑)」を意味する(和語の「かがみ」自体は、「光の像を観るもの」
を意味する)「鑒(Middle Chinese:/kˠamH/)」の流用であり<

日本語では、「考える」こと自体がキアスム的な反転可能性を探ること
を表現している。「考える」の古語は、「かむかふ」であり、
「かむかふ」とは、「かむ(鑒)か(交)ふ」である。だからこそ、
よい「かむ(鑒)か(交)ふ」は、一瞬にして「ひらめく」、すなわち
鏡面に映る光の反転の効果を発揮するのであり、定まらない考えは、
二転三転するのである。

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/23(火) 09:32:40.18 ID:W8XvBY8R.net
ひろ‐め・く【×閃く】
[動カ四]《「びろめく」とも》
2 落ち着きなく動き回る。ふらふらする。
「居も定まらず―・きて」〈枕・二八〉

出典 小学館デジタル大辞泉

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/23(火) 09:34:16.12 ID:W8XvBY8R.net
誤:よい「かむ(鑒)か(交)ふ」は、
正:よい「かむ(鑒)か(交)へ」は、

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/23(火) 13:42:57.26 ID:W8XvBY8R.net
自由自在とは、意のままになることであるが、何が意のままになるのか
といえば、キアスム的な反転が意のままになるのである。

78 :ネコに小判:2022/08/24(水) 08:18:12.41 ID:8Igqiefx.net
大多数の人々は、お金を自由につかふことができることを望んでいる
のであって、お金から自由になることを望んでいるのではない。
人以外の他の動植物は、お金を受け取ることも、お金を支払うこともないので、
その振舞ひは、お金(=通貨価値)から完全に自由である。
お金が自由になるということは、必然的にお金をつかはないことも
できることを意味している。さもなければ、自由にお金をつかふこと
にはならない。それは、地球の重力圏内を、自由落下をつづけながら
周回するスペースシャトルの船内で身体が浮遊していることが、
重力から自由であることを意味しても、重力が自由になることを
意味しているのではないのと同様だ。重力が自由になるとは、
思ひのままに浮くことも、沈むこともできることである。

79 :酒はのんでものまれるな:2022/08/24(水) 08:49:40.04 ID:8Igqiefx.net
お金をつかはずにいられない人や酒をのまずにいられない人は、
自由落下をつづける人に重力作用が自由になるわけではないのと
同様に、お金が自由につかへるわけでも、酒が自由にのめるわけ
でもなく、お金や酒に対して、云はば、自由落下状態にある。

通貨経済を基盤として成立する社会においては、政府であれ、
企業であれ、統治権力を行使する側は、デフォルトで、
お金に対して自由落下状態にあり、地球を周回するスペース・シャトル
のように地表に対して回りつづけることで墜落、つまり、
この場合には、統治の崩壊を回避している。政府や企業には、
金をつかはないという選択肢はないので、地表に対して回り
つづけることができなくなれば、金に溺れることになる。
どれほど酔っぱらっても酒をのみつづけるしかなく、さもなければ
酒にのまれてしまうことになるアルコール中毒患者のようなものだ。

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/24(水) 09:38:49.42 ID:8Igqiefx.net
勘違いしてはいけない。そのような通貨を基盤とする統治権力が、
金が自由になる人を優遇するように振る舞ふなどということは、
そのように見せかける演出として以外ではあり得ない。そのような
統治体制にとって、金が自由になる人は、そうであること自体において、
自由落下をつづけながらも墜落しないように周回をつづける運動の
波に便乗するフリー・ライダーである。人以外の動植物などの、
そもそも金から自由な存在は、利用できる限りにおいて、実力行使
による支配の対象であるが、金が自由になる存在は、波にのみ込まれて
金に溺れ、自由落下に巻き込まれるようにする必要のあるターゲットである。

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/24(水) 11:51:06.42 ID:P5ZJR0au.net
8月にコオロギが鳴いていた。
秋というにはまだ早いというのに。
イガイガ栗の実も落ちていた。
クラゲがゆらゆら泳いでもいた。
あの栗、バフンウニににてんなぁ、バフンウニを
吊るしておいても見分けつかんだろう。
犬の散歩の独り言。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:[ここ壊れてます] .net
自由に考えようとする者にとって教養と経験はつねに不足している。
しかし、そのことは、自由に考えることの妨げとはならない。
なぜなら、その不足を感じていないならば、自由に考えることはできないからである。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/25(木) 10:38:31.94 ID:PqoCXlXO.net
>Die Hoffnung, immer vernünftiger zu werden, uns von den äußeren
Dingen, ja von uns selbst immer unabhängiger zu machen,
konnten wir nicht aufgeben. Das Wort Freiheit klingt so schön,
daß man es nicht entbehren könnte, und wenn es einen Irrtum bezeichnete.<

Goethes Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Band 9,
Hamburg 1948 ff, S. 449-503.

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/25(木) 13:55:40.52 ID:PqoCXlXO.net
体制のいかんにかかわらず、統治権力にとって、被統治者自らに
「できる」こと(それが「人を助けることが『できる』』」であれ、
「何もしないことが『できる』」であれ)はすべて、越権行為であり、
フリー・ライド(ただのり)。すべての「できる」を「させて『いただく』
ことができる」に変換する必要がある。被統治者は、「いただく」
からには、それ相応に「お返し」をしなければならない。「お返し」
をしなければならないことは負担だが、それでも、他でもない自分が
「いただく」ことが自分に有利に働くなら、被統治者はこぞって
「させて『いただく』ことができる」ように競い合う。しかし、
「させて『いただく』ことができる」ことが「お返し」の負担しか
もたらさないようになれば、人は誰も「いただく」ことを暗黙裡に
避けるようになる。その結果、被統治者の間で「いただく」ための
競い合いの生じなくなった統治においては、非統治者の各々が
「させていただかないことができる」ことを心から望みながら、
何事も「させられない限りはしない方がよい」という態度に落ち着く
凪が生じる。

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/25(木) 13:59:34.80 ID:PqoCXlXO.net
そのような凪が生じることこそが、統治権力にとっての体制の危機である。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 08:07:39.24 ID:77aAPRJa.net
人事評価において試験の点数や学歴などだけでなく履歴における「経験」を
重視するとは、どのようなことだろうか。一般的には、経験とは、何らかの
出来事について第三者としてではなく「身をもって知る」ことを指す。
それ故、交通事故や火災などの事故に遭うのも、強盗や暴行の被害を
受けるのも、地震や津波の災難に遭うのも、借金で首が回らなくなる
のも、家賃が払えなくなってホームレスになるのも経験である。
しかし、無論、そのような経験が人事において特に好評価の対象と
なるわけではない。では、高い評価が与えられる「経験」とはどのような
ものだろうか。

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 08:35:24.14 ID:77aAPRJa.net
「ボランティア活動」に参加することは、その活動内容に応じて、プラスに
評価され得る「経験」とみなされる。では、「ボランティア活動」とは
何を指すのか。例えば、この掲示板に書込みをすることは、それを他人の
指示に従ってやっているのでない限り、「自発的/自主的な」活動であり、
「ボランティア活動」とは、他人に強制される義務ではなく、報酬と
引き換えに他人に使われるのではない、「自らの意志による活動」を
意味するのだから、「ボランティア活動」に含まれてもよさそうなもの
だが、それが「自らの意志による活動」であるというだけでは、
「ボランティア活動」の要件を満たさず、また、それが他人の役に立って
いるか否かも関係ない。

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 09:28:22.18 ID:77aAPRJa.net
「ボランティア活動」とは、それが日本語において「奉仕活動」と理解される
とおり、「おつか(仕/使)へさせて『いただく』ことができる活動」に自らが
参加することを意味している。そして、それが何に奉仕するのかと言えば、
それは「慈善事業」、つまり、「善を恩恵として施す事業」に
「おつか(仕/使)へさせて『いただく』」のである。

人事評価において「ボランティア活動」に参加した「経験」、すなわち、
「(慈善事業に)おつか(仕/使)へさせていただいた経験」は、その「経験者」
が、組織からの暗黙の要請(場合によっては、しばしば、半強制的であり得る)
に応じることを強くは忌避しないことを示したということで、マイナス
に評価されるのを回避するのには役立つが、特に大きくプラスに評価される
ということはない。高く評価されるのは、それが、「おつか(仕/使)へさせて
『いただく』経験」であることを認識して、それを「いただいた機会」
として捉えて、その立場から、「おつか(仕/使)へさせて『いただく』こと
ができる活動」に積極的に参加するように他の人々を導くことができる
ことであり、さらに高く評価されるのは、自ら発案して「おつか(仕/使)へ
させて『いただく』ことができる活動」に参加する人々を組織することが
できることである。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 10:12:59.98 ID:77aAPRJa.net
こういうことをきちんと最初から言語化していれば、自らに無用な混乱、
軋轢、葛藤を抱え込むようになるのを避けられる。米国には、
「善行は必ず罰せられる/罰せられない善行はない」という諺があるが、
これには、「自分は善いことをした/しようとしているのに、なぜ
それが嫌がらせされ、妨害され、不利益を被り、嫌な思いをしなければ
ならないのか」という、一般に多くの人が抱くことのある思いが反映され
ている。しかし、この思いには、もともと自らの置かれている立場に
関する誤認がかかわっているのである。

「おつか(仕/使)へさせて『いただく』ことができる」ことに関係なく、
「自らの意志によって善いことをした/しようとしている」なら、むしろ、
組織的に嫌がらせされ、妨害され、不利益を被り、嫌な思いをしなければ
ならないことになるのは当然である。それは、直接に善いことをして
あげた相手にはとても感謝されたとしてもである。なぜなら、
その善行はそのまま、それが明示されたものであれ、暗黙のものであれ、
組織的な「慈善事業(善を恩恵として施す事業)」の運営に対する妨害活動と
なるからだ。したがって、「余計なことばかりしやがって」という反応
を引き起こし、それに応じた対処が行われるだけでなく、今後そのような
ことをする気が起きなくなるようにするために未然の対策も講じられる。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 10:21:11.53 ID:77aAPRJa.net
"do-good‧er"という表現がある。
ロングマン現代英英辞典では、次のように説明されている。
>someone who helps people who are in bad situations, but who
is annoying because their help is not needed
– used to show disapproval<

「おつか(仕/使)へさせて『いただく』ことができる」ことに関係なく、
「自らの意志によって善いことをした/しようとしている」者は、
組織からみれば、つねに「余計なことばかり」して目障りな"do-good‧er"
なのである。「ボランティア活動」は、それが何の役に立つにせよ
(何の役に立たないとしても、さらには人々に実害しかもたらさない
としても)、そのような"do-good‧er"に「おつか(仕/使)へさせて『
いただく』ことができる」立場を弁えさせるための仕組みとして機能し、
そのように運用される。

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 10:38:35.65 ID:77aAPRJa.net
>>82
>神が右手に一切の真理を、また左手に真理を探究せんとするただ一つの
熾烈な欲求を握り給い、私にその一[つ]を選べと宣われるならば、たとえ
後者には私を不断にまた永久に迷わすであろうという仰せ言が付け加え
られていようとも、私は神の左手にすがり、「父よ、これを我に与え給え、
至醇なる真理はひとえにあなた様のみのものなれば」と言うであろう。<

レッシング作、篠田英雄訳、『賢者ナータン』、p.229

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/26(金) 16:47:06.03 ID:77aAPRJa.net
統治は、船の舵とりに喩えられることが多く、その場合、船が水路を
安全に航行して、暗礁に乗り上げて難破するようなことがないことを
確実にすることが、その基本としてイメージされるが、その最も
根本(破綻をきたさないように「均衡を保つ」こととされる)においては、
むしろ、「当面は地表に墜落しないように自由落下状態を無期限に維持し
つづけること」としてイメージする方が妥当である。この基本をきちんと
認識していないと、直面する問題の解決策に関して、多くの無用で、
無効な幻想に囚われるることになる。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 01:16:50.54 ID:Cgo/JUDN.net
誤:るる 正:る

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/27(土) 15:43:58.08 ID:Cgo/JUDN.net
エンデバー("endeavor"、スピノザ用語では、"conatus"/「コナトゥス」)
と名付けられたスペースシャトルの船長を務めたマーク・E・ケリー本人が、
今では国の統治に直接にかかわる立場にあるというのも、スピノザ的に見て
とても象徴的なことだろう。ちなみに、その妻も、銃撃を受けた事件で
日本でも知られることになった政治家のガブリエル・ギフォーズである。
>アリゾナ州選出連邦下院議員(ピマ郡、ピナル郡、サンタクルス郡)、
同州上院議員及び下院議員を歴任した。民主党指導者会議のメンバー<
(出典:Wikipedia)

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/28(日) 08:23:18.28 ID:3nVHs9Bj.net
キアスム/《chiasme》は、哲学において用いられる数多くの「概念」の
うちの一つなどでは決してない。それについて反省することなしには、
自己そのもの/"oneself"が現れ得ないのだから、キアスム/《chiasme》
は、哲学をすることの基本である。日本語で考えるなら、そもそも、
「〜のうちの『一つ』」という場合の「ひと」つであること自体、
「匹(Middle Chinese: /pʰiɪt̚/)」、つまり、"matching"の流用なの
だから、「二つが一つ/一つが二つ」というキアスム/《chiasme》の
表れである。キアスム/《chiasme》を、哲学者がその都度の議論に
おいて用いる「概念」と横並びで考えることは、キアスム/《chiasme》
についての反省がまったく働いていない、すなわち、哲学すること
にすらなっていないことになるだろう。

96 :ま(任)けのまにまに/まき(任/牧)ば(場)とは:2022/08/28(日) 08:49:57.86 ID:3nVHs9Bj.net
例えば、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズによって用いられた「ノマド」と
いう概念がある。私は、ドゥルーズの著作は、ほぼ読んだことがない(どのような
ことが書かれているのかを知るためにページをぱらぱらとめくってみた
ことがある程度である)ので、ドゥルーズ本人が「ノマド」について具体的に
どのように論じたのかは知らない。それでも、日本大百科全書(ニッポニカ)
「ノマディズム」の解説を参照すると、英語で表現するなら、それが
"being at liberty"ということについての論考であることが分かる。

>配分された定住地を統(す)べる法の世界は、家畜が自由に遊動する境界なき
空間の次元によって裏打ちされているのである。あらゆる存在者にとって
等しい一義的存在とは、まさにノマド的なノモスだということになる。<

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/28(日) 09:07:00.58 ID:3nVHs9Bj.net
では、この「ノマド的なノモス」についてキアスム/《chiasme》 的な
反省を働かせてみるとどういうことになるだろうか。

>彼[ドゥルーズ]はさまざまな個物の多様性・特異性を保証する存在の
一義性をノマドの概念によって説明した。ノマドの語源をたどると
古代ギリシア語の動詞「ネモー」に行き着くが、これは「配分する」と
同時に「放牧する」といった意味をもつ。そして前者が「法」という
意味での「ノモス」に関連するのに対して、後者は「牧草地」という
意味での「ノモス」に関連する。< 
(出典:日本大百科全書(ニッポニカ)「ノマディズム」)

「ノモス」は、「牧草地」という意味で用いられるのだから、それを
日本語として「まき(任/牧)ば(場)」(英語では、"concession")と
言い換えたとしても、何の異論もないだろう。では、「まき・ば(場)」
の「まき」とは、どのようなことだろうか。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/28(日) 09:30:21.59 ID:3nVHs9Bj.net
万葉集の歌を詠んでいると、「まけのまにまに」という表現によく出会う。
「まけのまにまに」とは、無論、「ま(任)けのまにまに」であり、
現代の日本語にすれば、「任(まか)せられるままに」ということになる。
このことから、馬などの家畜を放牧する場曾である「まきば」の
「まき」も、「牧」という漢字が当て字として用いられているものの、
「ま(任)き」であることが分かり、このことは、「ま(任)きば(場)」が、
英語の"a concession"に対応することからも確認できる。
>a grant of land or property especially by a government in return
for services or for a particular use
>a right to undertake and profit by a specified activity
>a lease of a portion of premises for a particular purpose also :
the portion leased or the activities carried on
(出典:MERRIAM-WEBSTER DICTIONARY)

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/28(日) 09:55:04.56 ID:3nVHs9Bj.net
したがって、「ま(任/牧)きば(場)」としての「ノモス」は、家畜が
自由に移動すること、つまり、家畜を放牧することができる場所/
"a place at liberty"であると言うことができる。では、「配分する」
を意味する用法に由来するとされる、「『法』という意味での
『ノモス』」の方はどうだろうか。こちらの方も、馴染みのない
古典ギリシア語ではなく、母語とする日本語や、より慣れ親しんだ
英語をメタ言語として用いて考えてみるなら、それがどのような
表現として用いられたのか、容易に類推することができる。

それは、「ま(任/牧)きば(場)」としての「ノモス」と「法」としての
「ノモス」は、「自由/勝手に〜することができる(場)」と「〜させて
『いただく』ことができる『ゆるし(≒"allowance"≒「配分」⇒
「法/ノモス」)』」の関係にあるということだ。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2022/08/28(日) 10:01:33.85 ID:3nVHs9Bj.net
このこともまた、日本語の「ま(任)き」に対応する英語の"concession"の
用法を参照してみれば、すぐに確認することができる。

>concession noun (SOMETHING ALLOWED)
something that is allowed or given up, often in order to end
a disagreement, or the act of allowing or giving this<
(出典:Cambridge Dictionary)

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