2ちゃんねる ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【神社】寺社にまつわるオカルト話32【寺】

257 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2017/03/03(金) 17:57:10.74 ID:uqGhT18x0.net
http://yomenainickname.blog.fc2.com/blog-entry-25.html

『古事記』冒頭あたりでは、天地開闢の際に「高天原」に最初に出現した神が天之御中主神であるとしています。
その後、高御産巣日神、神産巣日神が現れ、すぐに姿を隠したとしています。
この三柱の神を造化三神といい、性別のない「独神」といいます。
実は、道教経典の記録には、「高天、天原もしくは皇天原に神がいます」という趣旨のことが書いていて、
これが古事記の「高天原」の元ネタであり、この三柱の神々は道教での「三気の尊神」が元ネタでしょう。

古事記はその後、次々と生まれて来る神々の名をあげるわけですが、
そのときの国の状態を「国稚く浮かべる脂の如くして、くらげなすただよえる時」と描写している。
そこにイザナキとイザナギが天の沼矛を突き立てて、矛からしたたり落ちたしずくがオノゴロジマになったと古事記は続けます。
この「浮かべる脂の如くして、くらげなすただよえる」という描写は、
道教の錬金術(錬丹術。科学の源流)の経典『周易参同契』にある表現とそっくりなのです。

天武天皇が道教家であることを考えると間違いなく元祖日本思想とされる古事記ですら道教思想が色濃いことがわかります。

・死んだイザナミに会いにイザナギが黄泉の国に行く神話で、イザナギはイザナミに驚き(見るな→絶対に見る はお約束)、
桃子三箇を投げつけて鬼の追跡を振り切り、黄泉の国から逃げ切ります。
この鬼を撃退するために桃子三箇を投げつけるというのも、
道教の文献『漢武帝内伝』の辟邪に桃実三箇を用いた西王母の故事に基づきます。

道教における桃で魔を払う思想を反映したイザナギの桃投げの後、イザナギは川の水で穢れを払うために目を洗います。
すると、洗った目から天照と月読命、鼻から(なんか嫌ですね)スサノオが生まれます(それって単なる汚れ以下略)。
それは道教のしきたりそのままです。道教の経典『黄素四十四方経』に死体を見たら目を洗ってみそぎをすることが書かれています。
更に同じ経典『業報因縁経』(生神品)に左右の目が日月となるというふうに書かれています。
月との対比や文字遣いから天照は太陽神でしょう。

総レス数 1000
362 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★