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[19世紀後半幕末総合]南北・普仏・西南・日清戦争06

1 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
いつの間にかスレが落ちていたので立てました。

荒らしは放置でお願いします。

2 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
19世紀後半総合スレです。

日本史で見ればペリー来航からの幕末動乱期から
幕府倒壊・戊辰戦争、明治維新・明治新政府、西南戦争、日清戦争。

世界史で見ればパックス・ブリタニカ、
インド大反乱・南北戦争・普仏戦争・ドイツ統一、イタリア統一

兵器史で見れば雷管発明、リボルバー発明、ミニエー弾、ガトリング銃、
アームストロング砲、ボルトアクション小銃完成、モニター艦、装甲艦(甲鉄艦)
四斤山砲(フランス製前装ライフル式の青銅製山砲)など

戦列歩兵・散兵戦などの歩兵戦術から、帆船や蒸気船などまで
19世紀後半の時代で軍事に関係することなら陸海軍問わず、
東洋・西洋の違いも問いません。

上記すべての分野に全部精通している人なんていません。
特定分野に詳しい神が降臨したら歓迎しましょう。
その人が何か別の分野で間違っていても、叩きすぎないようにしましょう。

このスレは、初心者には優しく、敷居は低く、荒らしはスルーしながら、過疎落ちしない程度にマータリ進行です。

20世紀は別スレで。
19世紀後半以前については、近世スレまたは古代・中世スレへ

前スレ
[19世紀後半(幕末)総合]南北・普仏・西南・日清戦争 07
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1363143372/

3 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
おつ

4 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
おつしておいてなんだが、数字が戻るのはどういうわけか?w

5 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:5di/eXjY.net
まことにすみません。

今回が6と思い込んでいました。

6 :名無し三等兵:2013/08/13(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>4
土鍋はなかったことにしよう(キリッ

7 :名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???.net
港区の観光案内見てたら、幕末に硝石一番作ったのは南部藩だったって話があるな。
http://www.voiceblog.jp/b151e/2198.html

曲がり屋で馬たくさん飼ってたから採れたのかもしれんが。

8 :名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???.net
盛岡藩の硝石作りを指導したのは秋田生まれで平田篤胤の弟子の佐藤信淵らしいが、
なにやら怪しげで面白いな。

9 :名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:U7fWiQsc.net
>>8
佐藤信淵とはおもしろくて怪しい人材だな。
調所広郷とも親交があって薩摩藩の尊王攘夷運動にも影響を与えたとか
水野忠邦の天保の改革に際して顧問として参画したとか
水野忠邦が失脚せずに佐藤の提言を積極的に採用していたらどうなっていたろう

10 :名無し三等兵:2013/08/14(水) NY:AN:NY.AN ID:???.net
幕末に硝石丘が伝わって各地で黒船対策で盛んに作られたともいうな
江戸市内は火事対策もあって近郊に火薬庫設けて保管してたと
『世田谷代官が見た幕末の江戸』 角川SSC新書
に出てた
農兵の訓練とか人足の動員、家財の避難とか色々興味深い内容だった。

11 :名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
平田篤胤さんもわからん御仁だ。
思想家なのか単に怪奇オタクなのか、
ただ幕末における影響力が半端ないのに
いまはその影跡形もない…存在自体オカルトじみてる。

12 :名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
よく知らんけど
敗戦でなかったことになったんだろうというのはわかる

13 :名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>7
毎年7500貫って28tだぜ、凄い量だな。
たしか五箇山や白川郷などが、毎年2tくらいだったはず(それも凄いけど)

14 :名無し三等兵:2013/08/15(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
平田篤胤さんは国学の大家ではあるけど
あっちの方まで飛んでしまったから、正統な国学というのは首をかしげるな。
明治の国家神道の流れに平田神道が叛いたのも一因だろうけど。

15 :名無し三等兵:2013/08/16(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
宣長没後の門人とか、平田篤胤個人は山師っぽさがある意味魅力的なんだけど
一応学問やってた本居宣長までの国学に
良くも悪くも宗教性を付与しちゃったからねぇ

16 :名無し三等兵:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:???.net
西南戦争で薩軍は主に前装式ライフル銃を使ったそうですが
どんなライフル銃が多かったのでしょうか。
ミニエー銃でしょうか

17 :名無し三等兵:2013/08/18(日) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>16
後装式スナイドル銃の弾薬製造所設備が政府軍に搬出されたから
主力は前装式エンフィールド銃
・・末期になるとさすまたまで徴用してた

18 :名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>17
前装式ライフル銃を西郷軍は使わざるを得なかったというのが真相の気が。
後装式ライフル銃の方が優秀であっても弾薬を西郷軍は製造できないから

19 :名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>18
初期の弾薬庫襲撃でもスナイドルじゃなくてエンフィールドが持ち去られたみたいだけど
私学校の調練で前装式を使用してたのかな?

20 :名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>18
>>17さんは同じ事を言っているかと。
政府軍側もスナイドルの弾薬補給には苦労していた様ですが。
スナイドル装備の部隊がエンフィールドに交換させられたなんて話も有りますし。
警視隊だったかな?

21 :名無し三等兵:2013/08/19(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
有名な草牟田火薬庫だけじゃなくて
磯の海軍造船所付属火薬庫や坂元村、犬迫村の火薬庫など20数ヶ所が襲撃されて
数十万発の弾薬が奪取されたけど全部ミニエー弾だったのかな?
私学校幹部もスナイドル銃が使用不能となったことを見越して軍備・戦略を見直したのかな?

22 :名無し三等兵:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
西南戦争時、政府側もスナイドル銃不足か弾薬不足で
蔵から引っ張りだし、後方部隊にシャスポー銃、ドライゼ銃、アルビニ銃を
配ったりした。

西郷隆盛が鹿児島に下野してから政府は、鹿児島の弾薬庫には
スナイドル銃の弾薬とかは、置かないようにしたんじゃなかったっけ?
あと西南戦争が始まってからは、外国の武器商人に鹿児島には
武器を売らないように要請した。

23 :名無し三等兵:2013/08/20(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
何か話がかみ合っていない気が

前装式ライフル銃の弾の方が後装式ライフル銃の弾よりも製造しやすい。
半分極論を言えばだけど前装式なら銃弾の手製すら可能だが後装式では手製は不可能。
銃弾の補給を考えると西郷軍としては前装式で戦わざるを得なかったのだろう。
前装式のエンフィールド銃を後装式のスナイドル銃に改造することは可能なのだから。

24 :名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
厳密にはボクサー雷管のついてる金属製の薬莢底部が手作りじゃ厳しかったんだろうな。

ミニエー銃弾は陶器でも飛ぶ。

25 :名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
弾薬の補給に政府軍が苦しまなかったというと嘘だけど
相対的にどちらが苦しんだかというと圧倒的に西郷軍だからな。
苦心惨憺して作った弾がまともにとばないというのは本当に西郷軍にとって悲しかったろうな。

26 :名無し三等兵:2013/08/23(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
金属供出とかもさせていたんだっけ?
長幕戦争のときは女子の弾薬製造隊・ハトロン隊とかあったけど
西郷軍の弾薬製造体制はどんなかんじだったのかな?

27 :名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>18
田原坂の戦いでは西郷軍側が300人程のボルトアクション式ライフル装備の
連発射撃隊を編成して政府軍の突撃を猛烈な射撃で撃退した、ってのを歴史群像の記事で見たので
恐らく私学校の武器庫にもそれなりの数の新型銃があったと思われる

28 :名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>27
1877年当時に、三百丁も揃えられる連発式ボルトアクションライフルって何?

29 :名無し三等兵:2013/08/25(日) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>26
小川原正道氏の「西南戦争」に僅かながらある叙述からすると
末期は本当に悲惨極まりない。孫引きになるが、宮崎陥落後は
「全軍弾鉛に乏しく、錫・銅を以て之を補う、錫・銅も亦尽く、鍋・釜の鉄を溶かし之を支うるに至る(後略)」
と熊本隊の中島典五は記している。

30 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>27 紙製薬莢 ボルトアクション式単発ライフル 
  シャスポー銃(1866年)ドライゼ銃(1848〜1862年)
  金属薬莢 ボルトアクション式単発ライフル
  グラース銃(1874年)モーゼルM71(1871年)
  番外 ヘンリーマルティニ銃(1870年)
  上記の銃に弾倉を付けたのがグラース銃が1884年
  モーゼルが1883年

 田原坂で使われた連発銃ってスペンサー銃とかのレバーアクションの類いじゃない?

31 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
まあ連発銃自体は当時でもわりとあったはず。

32 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
歴史群像別冊の幕末維新の戦争特集号確認したけど、
田原坂の戦いで横平山の争奪戦で薩軍が全軍から7連発銃40丁を集中配備して
政府軍の切り込みに火力で対抗した、ってことだた

33 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
やっぱり抜刀隊は薩軍にとっても相当な脅威というか衝撃だったんだな。

34 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
西南戦争の抜刀隊って元新撰組の連中には声がかからなかったのかな
永倉とか声がかかったらホイホイ参加しそうな気がするけど

35 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
永倉は日清戦争のときにも抜刀隊を志願してるから、
警視隊に入ってたら当然志願するだろうな。

36 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>34
斉藤一が参戦してるじゃん

37 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
斉藤一は切り込みで大砲二門奪取して、新聞で報道されて賞金100円とかもらってるんだな。

38 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
抜刀隊っても戦時臨時編成だし志願したくても入れるとは限らないんでね?
装備する日本刀も集めるのに一苦労したとかあった気がするな

39 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
戦前の巡査はみんなサーベル下げてたからな。 

40 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>38
初陣までに日本刀が集まらず、攻撃が延期になった位だからね。

>>39
この当時の平巡査はサーベルどころか警棒のみ・・・
治安出動では小銃と銃剣が支給される事になっていたし、平時から歩兵としての訓練を受けてはいたけど。

41 :名無し三等兵:2013/08/26(月) NY:AN:NY.AN ID:???.net
いくら示現流や自顕流で鍛えている薩摩の若者でも、
相手が斉藤一や佐川官兵衛や山川浩では相手が悪い。

42 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
実は、抜刀隊の主力は薩摩の郷士階級だったとか
小川原氏の「西南戦争」によると
「薩摩の人を以て薩摩の賊を討つ、賊将の名は皆な其の知る所なり。
又我が旅団の兵卒に薩摩の人多し、互に相接近し、其の声を聞けば、皆な知友或は親族なり。」
という悲劇が西南戦争では起こったとか。
会津出身者が多いと言っても警視隊の1割以下。警視隊の過半数は薩摩出身だったとか。

43 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
城下士と違って郷士は西郷下野に同調せず巡査に留まった者も少なくなかったそうだからな
決して恵まれてるとは言えない巡査職でも薩摩で郷士やっているよりはマシだったんだろうな・・

44 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
t

45 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>43
給料が現金支給だからね。当時これはでかい。

46 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
しかし小隊長はまぎれもなく元会津藩士の丹羽五郎だったからな。
丹羽の小隊は100名で構成され、戦死33名、負傷50名に及んだ。

部下はともかく丹羽五郎や斉藤一が戊辰の復讐のために先頭で切り込んでいったのは事実だろう。

47 :名無し三等兵:2013/08/27(火) NY:AN:NY.AN ID:???.net
桐野は新撰旅団を新撰組と勘違いしてたし。

48 :名無し三等兵:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>42
>小川原氏の「西南戦争」
中公新書のやつですか?

49 :名無し三等兵:2013/08/28(水) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>46
丹羽の小隊が一戦でそこまで消耗するんだったら
他の政府軍も崩壊していたろうし
最初のメンバー100名の内、終戦時に戦死していたのが33名
生き残っていたメンバー67名の内負傷の経験があるのが50名ということではないだろうか?
それとも本当に一戦でそこまで損害を出したのだろうか?

50 :名無し三等兵:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
丹羽五朗(当時は田村)が小隊長をしていたのは抜刀隊では無く、田原坂突破後に再編された植木口警視隊(第二次及び第三次編成)の一番小隊。

そもそも臨時編成の抜刀隊には小隊と言う編成単位は無かった様です。
その日の戦況に合わせて部隊は分割運用されていました。
田村警部も抜刀隊の初陣では加藤警部と共に25名からなる遊軍を指揮しています。

田原坂突破後、抜刀隊への兵力転出等で消耗していた植木口警視隊の元に300名強の増援の巡査が到着。
残余と合わせて6個小隊に編成し、植木口警視隊(第二次編成)としました。
抜刀隊が日本刀のみの装備(田原坂戦末期に例外有り)に対して、こちらは小銃装備の歩兵部隊。
ただし、日本刀も装備はしていて必要が有れば抜刀突撃もしました。

田村小隊の損害が大きかったのは事実な様です。
植木口警視隊第二次編成時(3月22日)には兵力61名でしたが、28日の朝には29名にまで減少していました。
更に、この日の戦闘で、戦死5名、負傷10名の損害を・・・
4月7日の植木口警視隊第三次編成時には解散した三番小隊から補充を受け、41名にまで回復はしましたが、それでも最も兵力の少ない小隊でした。

小隊兵力100名と言うのは延数かと。

51 :名無し三等兵:2013/08/29(木) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>50
詳細な解説、ありがとうございます。
これなら納得がいきます。
幾ら何でも、一戦で100名の内33名が戦死、残り50名が負傷するようなら
他の部隊も大損害を被るはずで、西南戦争の諸書で著名な戦闘となると思われますから。

52 :名無し三等兵:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
別に一戦とはどこにも書いてないが

53 :名無し三等兵:2013/08/30(金) NY:AN:NY.AN ID:???.net
>>30
ウィンチェスター(1873年)はやっぱりない?

54 :名無し三等兵:2013/08/31(土) NY:AN:NY.AN ID:???.net
三月十四日 田原吉次ヨリ高瀬ニ至ル傷者ニ百六十余名 刀創最モ多シ
征西戦記稿付録 軍団病院日記抄

わざわざ軍病院の日記に一筆書き込む位多かったのか・・・

55 :名無し三等兵:2013/09/01(日) 09:37:32.99 ID:???.net
負傷にも、仙台藩みたいに射程内の目立つところに並んでるところを集中砲撃されて死傷者多数というのもあるが、
田村小隊の死傷者多数は意図的にに白兵戦に持ち込んでのものだからな。

56 :名無し三等兵:2013/09/01(日) 09:59:25.13 ID:???.net
今回の●個人情報流出騒動に絡み2ch閉鎖の噂もあるので念のため

2ちゃんねる 避難板一覧
http:// kisekiwo.com/hinan/

57 :名無し三等兵:2013/09/07(土) 07:41:21.37 ID:???.net
負傷っていってもかすり傷程度のものじゃ記録には残されそうもないよなぁ
指が何本か持って行かれたり、刀傷なら斬られ所が悪ければ半身不随もありえそう

58 :名無し三等兵:2013/09/07(土) 13:03:20.04 ID:???.net
桜田門外ノ変や池田屋事件でも現場に指くらいならゴロゴロ落ちてたとか
軽傷に見えても破傷風があるしな、北里柴三郎が破傷風菌の抗血清を開発
したのが明治23年か

59 :名無し三等兵:2013/09/08(日) 18:08:45.34 ID:???.net
天橋立に遊びに行ったら、1900年製造の40口径アームストロング砲がモニュメント的に置かれていた
大正12年に海事思想普及のため海軍省から寄付されたものとのことで、90年野ざらしになってるわけだが
それにしては綺麗なものだった
巡洋艦春日に搭載されていたもので、日本海海戦も経験してるはずだが構造的には
非常に単純なものに見えて、こんな原始的な武器で戦ってたのかと驚いた

60 :名無し三等兵:2013/09/08(日) 19:12:10.79 ID:???.net
>>58
日露戦争になるまで(更にいうなら皮肉にも第一次世界大戦では再逆転する)
戦争で直接死ぬよりも戦争で病死する方が多いというのが現実だった。
(ちなみに第一次世界大戦では戦病死した方がスペイン風邪や発疹チフスによって戦争で直接死ぬよりも多い)
西南戦争の負傷というのは病院に運ばれて負傷を手当てされた人数のみをカウントしていたはずだから
かすり傷くらいだと負傷者にはそもそも入っていないと思う。

61 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 19:39:20.09 ID:0Y3atqjH.net
西南戦争でシャスポー銃を装備した海兵隊(旧幕府歩兵隊の生き残りが主力)が活躍
というのを考えたのですが、無理があるでしょうか。
シャスポー銃は紙製薬莢を使用する等、湿気に大変弱く、戊辰戦争の際にはシャスポー銃は
実戦に使用される以前に実際には錆びついていて使用不能であったというのを
以前ネットで見た覚えがあるので、気になりました。
また、そんなに湿気に弱いのなら、何で清仏戦争の際にインドシナ半島で戦う際等に問題にならなかったのでしょうか。
そのネット情報が正しければインドシナ半島ではすぐにシャスポー銃は使用不能になりそうなのですが。
こういった情報はどこまで信用できるのでしょうか。

62 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 19:46:52.11 ID:???.net
形は単純で原始的だが、地金を作るのが非常に難しいんだよ。
形だけ真似できても同じようには撃てない。

63 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 20:17:54.04 ID:???.net
>>61
シャスポーはインドシナ遠征でも使用されていますよ。
不発率が乾燥地帯と何れくらい増えたのかは解りませんが。

日本の海兵隊は西南戦争前に解散しています。
(部隊編成や軍服はイギリス海兵隊式、装備小銃はマルチニーヘンリーでした)
解散されずに存続したのか、新生海兵隊が編成されたのか、その辺りの設定が必要かと。

64 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 21:08:15.31 ID:0Y3atqjH.net
海兵隊は佐賀の乱にも鎮圧に投入されましたが、史実ではその後に解散に追い込まれていますね。
一応、その後も存続していて西南戦争に投入されたという設定です。

また、海兵隊は旧幕府軍歩兵隊出身者を多数抱え込んだため、マルチニーヘンリー小銃ではなく
シャスポー銃を採用したということで考えました。
清仏戦争ではフランス軍は大苦戦していますから、シャスポー銃の話が全くのデマとも思えないのですが。

65 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 21:19:10.33 ID:???.net
そう言えば、日本の海兵隊が存続して日露戦争に参加するって仮想戦記が有ったなぁ

66 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 22:58:29.72 ID:???.net
佐賀の乱から台湾出兵のあたりで伊藤博文を懐柔しつつあった大久保利通が
ここぞとばかりに山県有朋一派を追い出して陸軍も薩摩閥で抑えるようになってたら
海兵隊存続もあったかも
台湾出兵は陸軍要職の山県の頭越しに進められそのためかなり山県は頭にきてたから分裂はありえた

67 :名無し三等兵:2013/09/20(金) 23:50:58.37 ID:???.net
とはいえ奇兵隊とかも軒並み解体だろ
何かあえて残すような特徴ってあるのか?

68 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 07:48:51.02 ID:???.net
第二次大戦まで存続してたら海軍の基地航空隊が海兵飛行隊になってたかもな。

69 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:17:11.10 ID:???.net
>>67
士族反乱に触発されてなどの理由で陸軍部隊の反乱事件が勃発したが、海兵隊部隊が華麗に鎮圧。
ソ連における内務省軍みたいに、陸軍に対する牽制のため存続が決定とか。

70 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:18:30.66 ID:???.net
日本海軍海兵隊メモ

明治3年、英式海軍採用の流れから英式海兵隊の創設が決定。
明治4年、海兵士官学校が創設され、ブリンクリー海兵大尉が教導に当たった。
海兵隊の兵科は、歩兵科、砲兵科とされ、それに楽隊と鼓隊が付属した。
最高位は大佐。
兵力は明治8年の時点で1390名。

軍服は記章の一部を日の丸や桜花に変えた英海兵隊のコピー。
小銃はマルチニーヘンリーライフル(弾薬盒の形状は不明)
砲兵科の装備火砲は不明。

明治9年、海兵隊士官が廃止され曹長以下のみでの編制に。
明治11年、海兵隊が全面廃止される。
但し、軍楽隊(楽隊+鼓隊)のみは新たに軍楽科として独立し存続する事に。
(制服は海兵隊の物を以後も着用)

戦歴は佐賀の乱(一部は征台の役に参加とも?)位で、平時は儀仗任務を主としていた。
海兵隊最大の功績はフェントン(英第10海軍軽歩大隊付き軍楽隊長)から伝習を受けた鹿児島藩軍楽手達の流れを受け継いだ軍楽隊による西洋音楽の伝習と普及かと。

71 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 10:32:43.19 ID:???.net
追加を・・・

最高位は制定された階級章上では大佐ですが、実際には中佐までだった可能性も。
明治8年時点での最高位の者も中佐でしたし。
大型艦の艦長の階級よりも下に抑えられていたのかな?

72 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 18:46:05.62 ID:???.net
詳細な解説ありがとうございます。
それにしてもマルチニーヘンリーライフルを海兵隊はなぜ採用したのか
ちょっと疑問が。
別に陸軍と同様の小銃を採用しても構わない気が。
確か海軍特別陸戦隊の陸戦装備は基本的に陸軍と共通だったはずですし。

73 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 20:11:34.54 ID:???.net
>>70
元の英国からしてそうなんだけど
何をするのが目的の部隊なの?この時代の海兵隊って

74 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 21:20:32.77 ID:???.net
栄えあるロイヤルマリーンの任務
1.港にいる若者に酒を飲ませて拉致して監禁する。
2.出港後、監禁した若者を監視して、反抗したらケツを何度もぶったたいて死ぬほど罵倒する。
3.拉致した若者があきらめて従順になったら、砲丸や火薬を運ばせる。
4.敵艦に接舷した後、小銃をつきつけて抜刀突入させる。突入したら後ろから敵の指揮官を狙撃。
5. 泥酔させて強制徴募した水夫から艦長を守る。

75 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 21:21:33.35 ID:???.net
海兵隊の当時の任務は、海軍所属の陸兵として小規模上陸作戦、
陸軍支援の陸戦、艦上に勤務しての接舷戦闘というのが英米海軍の考え。
日本海軍が英海軍を模範とした際に同様の考えで海兵隊を保有したらしい。
接舷戦闘なんて明治時代に起こるのか?と言われそうなので補足すると
戊辰戦争の宮古湾海戦でも行われたし、1879年の太平洋戦争でもチリ海軍が実施している。
だから、海兵隊を廃止する方がむしろ不思議な気がする。

76 :名無し三等兵:2013/09/21(土) 23:30:35.44 ID:???.net
>>75
海兵隊を巡る紆余曲折は薩長その他の藩閥間での抗争が大きそうな気が
ウィキのリンク辿ると海兵隊に所属した人間は薩摩系がかなりいる
海兵士官学校生徒の酒井忠利は西郷と縁の深い庄内藩出身
海兵隊はかなり薩摩色が強い感じ
大久保ら政府首脳が長州系への配慮もあって海兵隊廃止したんじゃなかろうか
海軍が独自の陸軍持ってる状況は本家陸軍にとって面白くない状況だし
大久保や西郷は薩摩出身ながら同郷の将校連が幅を利かせているのを快く思ってはいなかったようで

77 :名無し三等兵:2013/09/22(日) 08:45:40.39 ID:???.net
シャスポー銃が、湿気に弱いというのは、紙製薬莢に雷菅を糊付けしてた為。それで湿気が高いと糊付けしたところが剥がれたりして、不発になった。清仏戦争の時も銃剣のみで戦うはめになった部隊があった。とwikiに書いてあった。あとは生ゴムの調達にも問題があった。

78 :名無し三等兵:2013/09/22(日) 14:13:43.19 ID:???.net
まあM16だってベトナム戦争のときは合わない火薬使って大量に不発になったからな。

79 :名無し三等兵:2013/09/22(日) 14:36:13.80 ID:???.net
77だが、清仏戦争じゃなくインドシナ遠征でした。

80 :名無し三等兵:2013/09/23(月) 19:32:18.79 ID:???.net
>>76
その側面も否定しきれないけど、結局、海兵隊はある意味ぜい沢な存在だからな。
米国でも海兵隊は独立戦争以来活動し続けたにもかかわらず、無用論が現代に至っても絶えずに続いている。
接舷戦闘になったら、全ての乗組員が最悪の場合には戦わざるを得なくなるし、そんなことは滅多にない、
また、上陸作戦を展開するのなら、陸軍を投入すべきではないか、等々の批判が19世紀後半の米国でも行われていた。
それから思うと海兵隊に理解がそうあったとは思えない明治初期の政府首脳にとって、海兵隊は必要に思われなかったのだろう。

81 :名無し三等兵:2013/10/12(土) 19:52:52.15 ID:cwA8Kz94.net
この頃の騎兵の活躍譚としてはどんなものがありますか。
南北戦争で騎兵の活躍についてはスチュアート将軍の南軍騎兵が有名ですが。
他にはどんなものがありますか?
普仏戦争とかで騎兵は活躍しなかったのでしょうか?

82 :名無し三等兵:2013/10/12(土) 20:29:39.31 ID:???.net
日本語の歌にもなっている「ブレドウ旅団の襲撃」が世界的有名ですが、
明日早起きしなければならないので、あとで詳述します。
http://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Mars-la-Tour

83 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 19:28:48.19 ID:???.net
>>82
ありがとうございます。楽しみにします。
19世紀後半となると騎兵の黄昏時になります。
騎兵ファンとしては時代の流れとはいえ寂しい限りです。

84 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 19:51:34.77 ID:???.net
>>82
楽しみです

そういえば西部劇を見ると合衆国の騎兵隊はサーベルを装備していないな・・・
ほとんどが拳銃やカービン銃ばかり

85 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 20:09:48.13 ID:???.net
以前に投下した書き込みですが・・・

566 名無し三等兵 sage 2013/04/30(火) 12:10:45.17 ID:???

ゲティスバーグ会戦の初日、北軍第一軍団の到着までの時間稼ぎをしたビュフォード騎兵師団は、半数以上の騎兵大隊がスペンサーカービンを装備。
その火力で南軍の頭を押さえる事が出来たと。
ビュフォードは乗馬術に劣る北軍騎兵に乗馬歩兵としての活路を見出だそうとしていたのが良い方向に出たと言われていますね。

同じゲティスバーグでも3日目、カスターのミシガン州義勇騎兵旅団が南軍騎兵旅団の抜刀突撃を受けた際、全員がスペンサーカービンかバーンサイドカービンと言った連発または後装銃を装備していたにも関わらず同じ抜刀突撃で応え、これを撃退していますが・・・
まぁ、時と場合によると。

86 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 20:12:15.98 ID:???.net
脇道に逸れる質問で申し訳ないけれど、バーンサイドカービンって、“あの”バーンサイド将軍と関係あるの?

87 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 22:46:50.61 ID:???.net
>>85
映画「ゲティスバーグ」だとビュフォードの騎兵隊がレイノルズ来援まで
持ち堪えられたのは、防御に適した地形だったからだとしきりにセリフに
盛り込んでいて、装備については特に言及していませんでした(映像では
ちゃんとカービン銃を装備していたと思うけど…)、実際は地形うんぬん
より装備が良かったからという事でいいのでしょうか?

88 :名無し三等兵:2013/10/13(日) 23:54:41.47 ID:???.net
>>86
“あの”バーンサイド将軍が考案者です。
銃の改良と生産に専念する為に軍を早期退役までしています。
その後、紆余曲折が有り、南北戦争の開戦で志願兵将校として軍に復帰しました。

>>87
地形も重要な要素だったと思います。
只、守備側が地形を選ぶのは当たり前なので・・・
無理な時も多々有りますが。
あと、多少移動速度を犠牲にしても騎馬砲兵を随伴していました。
火力を重視していた騎馬指揮官だった様です。

89 :名無し三等兵:2013/10/14(月) 19:09:19.31 ID:???.net
少し時代がずれますが
南北戦争の北軍騎兵の戦い方は日露戦争の日本軍騎兵の戦い方を想起させますね。
日露戦争時の日本軍騎兵の第一人者、秋山好古将軍は火力を重視して
ロシア軍騎兵と対峙しています。
劣勢な騎兵で戦う以上、騎兵の機動力を多少犠牲にしてでも火力を強化するしかなかったのでしょうか。

90 :名無し三等兵:2013/10/14(月) 19:31:00.55 ID:???.net
一応告知

10月15日 火 午後11時00分〜午後11時25分
激動の世の人材バンク「鍋島直正」(前編)

10月 22日 火 午後11時00分
激動の世の人材バンク「鍋島直正」(後編)

放送概要
幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。日本初の鉄製大砲の開発に挑む部下たちを、直正はどのように導いたのか?直正流、常識破りの人材育成術に迫る。

幕末、貧しかった佐賀藩を急速に発展させた藩主・鍋島直正。藩を建て直すにあたり、直正が最も力を入れたのが、西欧の脅威に対抗するため、藩内で技術者を育成することだった。
沿岸警備のために鉄製大砲の開発が必須と考え、大砲鋳造のプロジェクトチームを結成。しかし失敗続きで藩内から批判が相次ぎ、メンバーは追いつめられてしまう。
そのとき、直正が放った一言とは? 当時の常識を超えた、直正流の人材育成術に迫る。

91 :名無し三等兵:2013/10/14(月) 20:41:54.44 ID:???.net
1870年8月10日、メッツの後方に潜入捜索をしていた第1ハノーバー竜騎兵連隊第1中隊のフォン=ブルメンタル大尉は、
兵力13万人のフランス第2軍がベルダンへの総退却準備をしていると確信し、報告した。

カール王子は一番近くに進出していた兵力3万の第3軍団と第10軍団に総退却の阻止を厳命。
両軍団はメッツ〜ベルダン街道上の要所にあるビオンビルに進出したが、1対4の兵力比の前に第10軍団はたちまちに兵力の半分を失った。

8月16日、先回りした第3軍団はフランス第2軍前衛の2個軍団を迎え撃ったが、
数にまさる仏軍は左翼に野砲兵と騎兵を迂回させて第3軍団の側面を猛砲撃した。

軍団長のフォン=アルフォンスレーベン将軍は軍団予備の第12騎兵旅団にフランス野砲兵の制圧を命じた。

92 :名無し三等兵:2013/10/14(月) 20:59:06.55 ID:???.net
フランソワ・カンロベール将軍の指揮するフランス野砲兵の砲撃は猛烈を極め、プロシア兵の損害が続出した。

フリードリッヒ・ヴィルヘルム・アダルベルト・フォン=ブレドウ少将は言った。
「大損害を被るだろう、しかしやるしかない!」
第7胸甲連隊、第19竜騎兵連隊、第16 槍騎兵連隊は地形と砲煙に隠れて仏軍の1000m前の丘の陰に集合し整列した。

14時、第12騎兵旅団は「ブレドゥの死の突撃」と呼ばれる突撃を開始した。
この突撃は完全な奇襲となり仏軍の指揮は混乱、プロイセン騎兵はフランス野砲兵を蹂躙し斬り刻んだ。
フランスの2個騎兵旅団は逆襲を試みたが、四散する友軍歩兵に妨害され時機を逸した。プロイセン騎兵は砲列を制圧するとすぐに退却した。
突撃開始時に800騎いた旅団は420騎に減っていた。戦死者の中にはビスマルクの息子ヘルベルト・フォン=ビスマルク中尉もいた・・。

しかし前衛の野砲を制圧されたフランス第2軍は総退却の機会を失い、メッツそしてセダンの大敗北へとつながっていくのである。

93 :名無し三等兵:2013/10/14(月) 21:02:54.08 ID:???.net
♪義を見て勇む武士の、心の内ぞ床しける、屍は野辺にさらすとも、玲瓏の月は清く照り
芳名長く後の世に、聞かずや高く謳はるる、ブレドー旅団の襲撃を

ああ見よ独の軍団は、数倍の敵を支へつつ、退くに退かれぬ梓弓
命の弦は危ふくも、怒濤の裡に包まれん、ただ天運に任せつつ、危機一髮のこの苦戦

友軍の急救ふべく、頼むは騎兵旅団のみ、さは云へ神にあらぬ身の、矢玉とびかふただ中に
如何で望みを果すべき、進めば死すと知りつつも、友軍の急棄て難し

94 :名無し三等兵:2013/10/15(火) 19:39:57.50 ID:???.net
長文の紹介ありがとうございます。
騎兵突撃の最後の煌めきですね。
93は軍歌の一節でしょうか。

95 :名無し三等兵:2013/10/15(火) 20:31:01.58 ID:???.net
>>94
旧軍騎兵の軍歌ですね。
ブレドゥ旅団の突撃については「日本騎兵史」の上巻でも詳しく取り上げられていましたよ。
旧軍騎兵は手本にすべしと教えられていたと。

96 :名無し三等兵:2013/10/16(水) 14:41:19.43 ID:???.net
>>95
やっぱり軍歌の一節だったのですね。
騎兵の感情からすれば分からなくないどころか得心してやまない状況ではありますが。
1945年の老河口作戦の日本騎兵最期の煌めきが皮肉にも世界軍事史上最期の騎兵突撃の煌めきとされる
ことも多いことを思うと何とも言えない感情が噴出してたまりません。

97 :名無し三等兵:2013/10/24(木) 23:49:18.32 ID:???.net
日本人が血を流して戦った日清戦争の下関講和条約の第一条(イーコール戦争目的)が朝鮮の独立っておかしくね?
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/morningcoffee/1382619189/l50

98 :名無し三等兵:2013/10/25(金) 00:00:53.43 ID:???.net
>>97
なんもおかしくない
朝鮮半島を独立させておいて中露や列強の支配下になるのを防いでおくのが明治期の日本の基本戦略だし
朝鮮に独立維持出来るだけの力も気概もないとわかったから仕方なく併合しただけだし
日本の国益のために朝鮮を独立させることのなにがおかしいのやら

99 :名無し三等兵:2013/10/25(金) 00:39:24.16 ID:???.net
>>97
(建前に過ぎないとはいえ)戦争目的がはっきり書かれてる
宣戦の詔勅見てみればいい

100 :名無し三等兵:2013/10/25(金) 19:23:55.67 ID:???.net
朝鮮は日清戦争前は清の属国だったからな。
日清戦争は朝鮮の独立のために戦われたという建前は間違っていない。
最も本音がどうだったかというと大喧嘩になる基だから、このスレではすれ違いということで。

101 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 13:47:11.28 ID:emFTEYEK.net
保守も兼ねて

南北戦争で南部が独立を達成するのはやっぱり無理だったのでしょうか。
私としては、南部が海軍戦略を理解していて、海上補給路を確保できていれば
独立できていたのかもと考えてしまうのですが。
南部海軍の実態はどんなものだったのでしょうか。

102 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 21:29:08.18 ID:???.net
沿岸はがっちり封鎖されてたんじゃないの?

103 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:25:40.95 ID:???.net
外洋航行できないメリマックくらいだろ。

104 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:46:03.14 ID:???.net
南部海軍の装甲艦って通商破壊作戦に結構出てたと思うが。
以前記録を読んであの浮かぶコンビーフ缶に外洋航行能力があったのかと驚いたが、
どの位遠くまで行ってたか調べ直さんとわからんな。

105 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 22:59:30.97 ID:???.net
ハンプトン・ローズを見る限り
士官の質や戦意では明確な差がない印象があるが
その辺はどうなんだろ

106 :名無し三等兵:2013/11/09(土) 23:30:58.82 ID:???.net
>>101
工業原料のプランテーション農業が主体の南部の経済力なんてたかが知れてるしねえ
基本当時の国際法じゃあ中立国は紛争当事国に武器売ってくれないし
かといって独立承認から戦時同盟締結まで踏み込んでくれる国があるかというと?w
シーレーン確保してもある意味無駄w

107 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 11:20:31.63 ID:???.net
やっぱりベンジャミン・フランクリンみたいな奴がいないとだめなんだな。

108 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 13:04:15.99 ID:x04H3Sg3.net
>>106
それがそうでもないところがおもしろいところ。
実際には、南部は南北戦争末期になるまで弾薬不足から戦闘不能になるのはなかったみたい。
なぜかというと、外国から大量の武器弾薬が密輸入され続けていたから。
フランスからは軍艦まで輸入寸前になっているし
(戊辰戦争で有名な甲鉄艦は元々南部が発注したもので、南部敗北により南部は入手できなかった)

109 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 15:39:40.53 ID:???.net
やっぱりベンジャミン・フランクリンやスネル兄弟みたいなのがいたんだな(笑)

110 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 18:37:18.05 ID:???.net
リンカーンの奴隷解放宣言も、日本では美談的に扱われてるが
欧州の世論を味方に付ける為の戦略なんだよね。

111 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 18:48:11.16 ID:???.net
まあ今でいったら反原発みたいなもんだな。小沢一郎は失敗したけど・・。
しかし小泉純一郎みたいなものいて・・、自民党にとっては爆弾だな。

112 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 19:15:02.95 ID:Kw+32Ilb.net
>>104
ネットでざっと見ただけだけど
南部海軍の通商破壊作戦は第二次世界大戦時のドイツ海軍の行動に匹敵するな。
インド洋から北太平洋まで通商破壊の武装船が出没している。
サムター、ナッシュビル、アラバマ等が活躍したらしい。

113 :名無し三等兵:2013/11/10(日) 21:11:25.47 ID:???.net
>>112
アラバマは日本にもゆかりが。
合衆国(北軍)海軍のワイオミングはアラバマ追跡の為、日本に寄港。
その最中、下関戦争に参加。
フランス艦の艦長の回想では「ヤンキーらしい荒っぽい戦闘方法」だったと。

114 :名無し三等兵:2013/11/19(火) 10:56:49.36 ID:OamBO+mO.net
 
日清戦争と第一次世界大戦はつながっていた。

http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0204/44/292_2.html

それは皇帝夫妻を暗殺して第一次世界大戦を惹起した、

暗殺犯人にあった。

( http://ichiba.geocities.jp/gbsg0309/0103/32/210.html )

115 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 20:55:18.12 ID:n4d4SAYL.net
旧日本軍最初の正式砲がアームストロング砲じゃなくて
4斤山砲なのが…

鉄製大砲の威力理解したうえで採用しないとか
日本陸軍は当初から貧乏性の塊だな

その後継砲もイタリアの青銅製大砲だし。

116 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:20:27.76 ID:???.net
アームストロング野砲は欠陥砲だからな。

四斤山砲にした明治陸軍は正解。

117 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:23:12.74 ID:???.net
発射速度と射程で4斤山砲を上回るけどね。。。

陸軍が創設にあたって鉄製大砲採用しなかったのは
鉄の不足だよ。

118 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:33:47.77 ID:???.net
アームストロングも事故を起こしてからは、閉鎖機構を錬鉄から鋼鉄に変えたんじゃなかったけ。
まあ、ますます日本で製造するには敷居が高くなっていったんだろうな。

119 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:39:43.08 ID:???.net
>>118
製造は可能だけど材料がない…
陸軍の中の人だってクルップ社製の大砲が欲しかったはず。

120 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:53:57.88 ID:???.net
薩英戦争の時に戦闘に参加した21門が合計で365発を発射したところ28回も発射不能に陥り、旗艦ユーリアラスに搭載されていた1門が爆発するという事故が起こった。
その原因は装填の為に可動させる砲筒後部に巨大な膨張率を持つ火薬ガスの圧力がかかるため、尾栓が破裂しやすかったことにある。
そのため信頼性は急速に失われ、イギリスでは注文がキャンセルされ生産は打ち切られて過渡期の兵器として消えていった。

121 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 21:58:34.41 ID:???.net
>>120
四斤山砲の後継砲だが…

クルップのあれが欲しいだろ普通

122 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:06:08.20 ID:???.net
>>119
日本じゃ高炉の建設が遅れて、銑鉄を輸入に頼っていた事?
確か大島高任が釜石に作った高炉も、明治になって官営化以降うまくいかなかったんだよね。

123 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:09:58.14 ID:???.net
>>122
数がいるから青銅砲も間違ってない

零戦や隼が第二次大戦で最後まで使われたのと同じ。

日清戦争では大砲が弱点にならなかったけど日露戦争じゃ
弱点になったけど。

124 :名無し三等兵:2013/11/24(日) 22:16:04.58 ID:???.net
まあどっちみち輸入銑鉄を使ったとしても、鋼鉄の精錬には転炉や平炉が必要だし、
圧延、鍛造するための設備も必要だし、更に加工するための切削機械も必要だ。
まあ一朝一夕にはうまくいかないよね。

125 :名無し三等兵:2013/11/25(月) 08:41:25.78 ID:???.net
>>123
日露戦争の時は、軍の備蓄弾薬が
底をつきそうなレベルじゃなかった?
先にロシアが手を挙げてくれたから
良かったものの

126 :名無し三等兵:2013/11/25(月) 09:46:37.76 ID:???.net
会戦連続後の砲弾不足は第一次大戦初期の仏独英も同じだから別に日本だけの問題ではない。

127 :名無し三等兵:2013/11/25(月) 19:20:55.30 ID:???.net
第一次世界大戦であれだけ砲弾を使用することになるなんて誰も思っていなかったからな。
仕方ない側面もある。でも国力差は冷厳で、日本以外の英仏露独墺伊米全ての国は
第一次世界大戦で半年もたたない内に砲弾の大量生産に成功している。
日露戦争で日本軍が砲弾不足に泣かされたのは本当に国力の差を痛感せざるを得ない。

128 :名無し三等兵:2013/11/25(月) 23:01:06.90 ID:???.net
砲弾っていっても0.何mmの精度が必要だしな。
それを熟練工でなく、そこら辺のねえちゃんに作らせるんだから、必要な技術は規格大量生産のノウハウかね。
日本は後進だからどうしても職人技的な力技でなんとかしてきたから、そこいら辺が弱かったかね。

129 :名無し三等兵:2013/11/26(火) 09:43:14.18 ID:???.net
ロンメルと戦った砂漠ネズミ軍は遅延信管なくて、シリアにあったビシー仏軍の信管を改造して使ってたというから、
そういう応用も重要だな。

ソ連の82mm迫撃砲はドイツの81mm迫撃砲弾も使えるように1mm口径増してるとか。

130 :名無し三等兵:2013/11/26(火) 20:31:58.51 ID:???.net
蘊蓄合戦を繰り返してるうちに、本筋からだいぶ遠ざかってしまったなw
軍オタによくありがちな光景ではある。

131 :名無し三等兵:2013/11/29(金) 07:55:04.27 ID:???.net
82mm砲弾を81mm迫撃砲に入れると詰まるの?

132 :名無し三等兵:2014/01/06(月) 20:05:02.79 ID:mHVgYHHG.net


133 :名無し三等兵:2014/01/08(水) 07:17:29.98 ID:???.net


134 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 19:40:39.63 ID:???.net
半分、話題提供ですが。

シャスポー銃は紙製薬莢のためにアジア地域では湿気に弱く、役に立たなかったという話です。
これは本当なのでしょうか?
それが本当ならドライゼ銃を始めとする紙製薬莢を用いたライフル銃はアジア地域では役立たなかったように思うのですが。
実態はどうだったのでしょう?

135 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 20:13:10.99 ID:???.net
雷管の位置の問題じゃね。
ドライゼは弾丸の底部だがシャスポーは紙薬莢の底部だから比較的不安定な為不発率が高くなる。
それに湿気の問題も絡めば更に不発が多くなるからとか。

136 :名無し三等兵:2014/01/10(金) 22:51:10.84 ID:???.net
対ベトナム戦でフランスが苦戦したのは、シャスポーの不発の多さが原因って話は読んだ
それ以外にも理由はあったんだろうけど、問題になるほど不発が多かったのは確かみたい

137 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 13:32:16.89 ID:???.net
シャスポー銃は、雷管を糊で紙薬莢に貼った為
湿気で糊が剥がれて…
日本の旧陸軍がスナイドル銃を選んだのは
湿気のこともあったのかな

138 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 19:37:07.94 ID:???.net
シャスポー銃は、薬室からのガス漏洩防止に、ゴム製のパッキンを使用していたのだが、
これが消耗品で、当時の日本では作れなかったのも、明治陸軍で使われなかった理由のひとつらしい

金属薬莢型のシャスポーでは、パッキンは廃止されていたと思う

139 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 21:42:57.46 ID:???.net
当時のフランスでは植民地から天然ゴムの確保が容易にできていたけど
イギリスを除いてそれ以外の各国では植民地の問題から天然ゴムの確保が困難だったというのを
何かで読んだ覚えがあります。間違いだったらすみませんが、植民地の無い日本ではその問題は
極めて深刻だったでしょうね。

後、湿気対策が弱いのは、フランスのお国柄というか、フランスの気候の影響かも。
フランス製の品々は湿気対策が気候からかあまり考えておらず、
フランス製のバッグ等は湿気で高温多湿気候の日本ではダメになりやすいとか。
間違いだったら本当にすみません。

140 :名無し三等兵:2014/01/11(土) 23:38:35.30 ID:???.net
19世紀の兵器は技術の進歩が激しいためどれも過渡期っぽいが、
その中でもシャスポーだとかミトライユーズは過渡期感が半端無い。
ドライゼだとかガトリングの様なイノベイティブさはあまり無い。

141 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:07:20.06 ID:???.net
>>138 金属薬莢式のシャスポー銃って
グラース銃のことでは?十三年式村田単発銃の元になった

金属薬莢の単発銃で
英国がヘンリー・マルティニ銃
仏国がグラースM1874
独国がモーザルM1871

142 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 00:33:15.10 ID:???.net
センターファイアの金属薬莢では、
スナイドル銃(英)やトラップドアライフル(米)も忘れないで。

143 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 15:12:13.22 ID:???.net
>>141
ごめん、もちろんグラース銃のことね、シャスポーからの流れなんで改良型みたいな書き方をした

>>140
シャスポーの紙製薬莢+ゴム製パッキンのアイディアは、後の銃器発展の流れを知っている
我々からすれば余計な寄り道なんだが、当時としては物凄い先進技術なんで、
後知恵で批判するのはかわいそうな気もする

144 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 17:05:18.77 ID:???.net
紙製薬莢は製造等の手間を考えればシャープス等の様な雷管外装式でも良かった様な気がする。
まあ当時先進国であったフランスだから問題はあまり無いのだろうけど。

145 :名無し三等兵:2014/01/12(日) 19:41:07.31 ID:???.net
前装式ライフルとして画期的なミニエー銃ですら
1849年の採用だったはず。
それがわずか20年も経たない内に旧式銃として顧みなくなられるとは。
それを思うとこの頃の銃の進歩は恐ろしいな。
紙製薬莢にもそれなりのメリットはあるから、単純に悪くは言えないな。

146 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 01:05:47.52 ID:???.net
>>145
>それがわずか20年も経たない内に旧式銃として顧みなくなられるとは。
>それを思うとこの頃の銃の進歩は恐ろしいな。
一方で20世紀以降だと同じ銃が百年も使われてたりするもんな……。

147 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 01:22:15.61 ID:???.net
枯れた技術ってやつだな

148 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 03:45:40.03 ID:???.net
までも、M1911を設計したジョン・ブローニングや採用を決めたお役人も
100年先でもアレンジの上多用されてるとは思ってなかっただろうと思う。

149 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 09:06:09.51 ID:???.net
>>145
でも、先込め式は南北戦争や普仏戦争(主にフランス軍)でも使われていたから・・・
一気に更新出来る国は限られていたのでは?

南北戦争開戦当初の小火器数(ショルダーアームのみ)
北軍
スムースボア:400,000
ライフル(先込め):100,000
ライフル(元込め単発):3,000
南軍
スムースボア:140,000
ライフル(先込め):35,000

戦争を通してのトータルは、
北軍
スムースボア:510,000
ライフル(先込め):2,850,000
ライフル(元込め単発):303,000
ライフル(連発):100,000
南軍
スムースボア:183,000
ライフル(先込め):435,000
ライフル(元込め単発):4,000

150 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 11:43:49.18 ID:???.net
>>145>>146
確かに1840年末ごろから銃の発達は凄まじい

参考資料:軍事年表(軍事百科事典より)
ttp://www003.upp.so-net.ne.jp/Zbv/sub04.htm


だから近世スレ(戦場に銃が登場した時代から1850年まで)と
19世紀後半スレというスレの使い分けになっているわけで・・・。

近世総合=火縄銃,戦列歩兵,ナポレオン=江戸・大航海時代7
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1388893375/1

151 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 11:48:20.92 ID:???.net
>>144 シャスポー銃ってドライゼ銃の欠点である
長くて折れやすい撃針
発射時の顔面ガス噴射を
無くすために、撃針を短くし、漏れ防止の為ゴムパッキン
じゃなかった?顔面ガス噴射に懲りたモーゼルは金属薬莢式のM1871を作ったけど

152 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 13:44:05.71 ID:???.net
>>149 wikiには
前装式のミニエー銃は
タバティエール銃(フランス版スナイドル銃)
に改良されたとあるがどうなんだろう?
しかし日本語でwaikiにタバティエール銃のことが
載ってるのが少しビックリ。
この頃のフランス陸軍は主力がシャスポー、2線級がタバティエールや前装式ミニエー
弾薬の補給とか大丈夫だったのか?

153 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 18:34:56.63 ID:???.net
>>152
第2次世界大戦において、小銃弾を2種類使った国を思えば大丈夫では?

それで思い出したけど、大山格さんの雑誌コラムで怖ろしい実話が載っていた。
幕末の日本は銃の博覧会状態で、新型の後装式ライフル銃から戦国時代の火縄銃まで実戦に投入されたけど
ライフル銃の弾丸を前後あべこべに込めて撃つレベルの新兵すら珍しくなかったとか。
平時の訓練をきちんとしておくのは大事だな
とつくづく思わされた。

154 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 22:45:53.42 ID:???.net
小銃弾なんて前の時代に山ほど作ったストックが余ってそうなもんだが
使い切るころには全部新型だよ!だよ!(そううまくいくかは知らない

155 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:07:57.54 ID:FhHKiIKj.net
>>153
戊辰戦争ってそう考えると凄い戦争だよな

火縄銃、ゲーベル銃(前装滑腔銃)やら
ミニエー銃(前装線条銃)やら
後装線条銃のスナイドル銃やシャスポー銃まで

カオスすぎる

156 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:13:00.54 ID:???.net
そりゃ一種のゴミ捨て場だし

157 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:14:01.59 ID:???.net
南北戦争後、余剰な銃が日本に流れ込んできたようなもの

158 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:26:24.68 ID:???.net
まあある意味当時の生産能力からすれば、統一規格の方がとても難しいのかもね。
数揃えなきゃならんし。

159 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:29:38.74 ID:???.net
何の統一規格の話だ?

160 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:31:55.30 ID:???.net
複数の小銃、小銃弾を使用するのは補給が大変っていうスレの流れじゃないの?

161 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:36:11.09 ID:???.net
>>160
苦労しすぎたから、明治維新後、そこから「軍銃一定」を日本陸軍が急いだ理由の一つなったのかも

162 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:44:41.40 ID:???.net
前装式なら大きささえ揃えりゃよかったんだがな

163 :名無し三等兵:2014/01/13(月) 23:47:33.86 ID:???.net
小銃弾なんかこの時代ころころ変わるからね。
完成形といえるのは20世紀に入って、無煙火薬と尖頭弾の組み合せになってからだし。

164 :名無し三等兵:2014/01/14(火) 19:56:21.38 ID:???.net
「軍銃一定」を明治の日本陸軍が急いだのは
戊辰戦争で銃弾の補給に苦労した苦い経験が
陸軍の上層部にあったのは間違いないと思うな。

話を少し変えるけど
坂本竜馬が薩長同盟に伴い新式銃を大量に長州に供給したという話で
ゲベール銃が過半数を占めていたのを思い出したのだが
ゲベール銃は火縄銃に対して圧倒的優位を誇るような新式銃なのでしょうか?
私にはとてもそうは思えないのですが。
それとも竜馬も欧米の武器商人の口車に騙されて旧式銃を長州に供給してしまったのでしょうか?

165 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:17:39.82 ID:???.net
wikiに書いてあるのは
火縄銃は裸火を使用するので
欧州流の密集隊形が組めない。
銃剣が装着できないとあるよ。
結局、火の管理が面倒とかあるんじゃないの?

166 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:26:42.81 ID:???.net
いわゆるゲベール銃も高島秋帆が仕入れた頃はフリントロックだったけど、
黒船以降輸入された物はさすがにパーカッションロックだろうし、火縄銃との差は歴然だったんじゃないか。

167 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 08:40:57.95 ID:???.net
>>164
そのゲベール銃がフリントロック式スムースボアなのか、パーカッション式スムースボアなのか分からないけれど、取り合えず不発率は減るみたいですよ。

フリントロック式はマッチロック式に比べ約50〜33%不発が少なかったそうです。
(The Anatomy of Victory: Battle Tactics 1689ー1763)

フリントロック式とパーカッション式では、
U.S. M1822フリントロック・スムースボア・マスケット:6発に1発が不発
U.S. M1842パーカッション・スムースボア・マスケット:166発に1発が不発
との記述が。
(Uniforms of the American Civil War)

和式火縄銃に対して一番優れている点は銃剣を付けられる事かもw
旧式兵器に違いは有りませんが、南北戦争でもフリントロック式、パーカッション式両方のスムースボア・マスケットが使われていましたから、数優先なら値段次第ではお買得?

168 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 13:42:15.72 ID:???.net
発射する際にも、雷管式ならパーカッションキャップを挿すだけの所
火縄は、火縄を当てる位置の調整とかあるからね。

169 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 18:19:13.87 ID:???.net
銃床があることを忘れちゃいかん
先台と銃把だけで両手保持で撃つ和式火縄銃と、銃床があって肩付け射撃ができる洋式銃とでは射撃の精度が段違い
特に未熟練者を動員した場合にはその差は広がる
まあ銃床がないのにも、再装填がやや容易とかメリットもあるけどね

火縄銃は規格化された工業製品というには程遠いって問題もあったしね
戦場の消耗でサービスやるにもきついものがあったろう
流入した雑多なゲベール銃も誉められたもんじゃなかろうが、部隊単位で統一してあればだいぶマシではあったろうし

170 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 18:31:51.05 ID:???.net
火縄銃の精度が悪いとか聞いたことないけどなぁ
規格化した統一製品って何を持って規格化というか知らんけど
部品の互換性とか南北戦争にようやく始まりだぞ

171 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 19:51:31.54 ID:???.net
日本の火縄銃は江戸時代以降に造られたものは前装式滑空銃としては精度が最良の部類だと思うが
射撃大会で前装式マスケット銃の部だと、火縄銃を使う参加者が多いとか
泰平の時代に職人が引き金部分の洗練に努力したしね
ただそれが実戦でマスケットより兵器として有用だったかは別問題だが

172 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:00:21.15 ID:???.net
パワー的にはどうなんだろう。
一般的な火縄銃(大筒とかそういうのではなく)とゲベール銃ではどちらが遠射に向いてるかな。
イメージ的には銃床で大きな反動を受け止めることのできるゲベール銃が有利な気がする。

173 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:21:16.46 ID:???.net
ゲベール銃と火縄銃は銃単体としてはライフルが無い以上
そんなに差はない気がする。
でも部隊として集団運用することを考えると火縄銃だと密集とかしづらい
それにゲベール銃だと銃剣もあるし火縄銃よりも不発率も低いし
そんなこんなを考えるとゲベール銃の方が優位かも。

174 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:27:19.64 ID:???.net
本体重量とかはどうなん?

175 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:38:25.04 ID:???.net
西洋的な考えではたとえ単発での命中精度が低くても、斉射することで敵に損害を与えるのが重要だと思う。
そのための戦列であり、多少精度が低くても遠くまで撃てる事が大事。
もちろん散兵では単発の精度が重要だけど。

火縄銃は精度は高いけれどもゲベールの様な使用方法では無い訳で、パワーで比較したらどうなんだろうと思ったけど、
wikiとか見てもなかなかエネルギーまで書いてないんだよね。

176 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:42:44.32 ID:???.net
黒色火薬使ってる限りは秒速400メートル台で後は弾の重さなりにしかならんのでは

177 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:50:54.77 ID:???.net
取り合えずゲベールは320ヤードは飛びますね。
もっとも、殺傷能力が残っているか否かは分かりません。
ヤーゲル(ベーカーライフル)だと600ヤードでの射殺記録が有りますが。
火縄銃やマッチロック・マスケットは、どの位度飛ぶのかな?

火縄銃でも密集隊形での使用は問題無いのでは?
ヨーロッパではマッチロック・マスケットを使用して密集隊形を運用していますから。
危険が無いとは言いませんが・・・
事実、全員がフリントロック・マスケットを装備した初めての連隊は、大量の火薬が身近に有る砲兵や段列の護衛任務に使用された位ですし。

マッチロック・マスケットでは出来るけれど、火縄銃では出来ない何らかの理由が有るのかな?

178 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 20:53:05.64 ID:???.net
飛距離は口径にもよるだろうしなぁ

密集というか斉射する時は火縄銃は火縄の管理が大変そうで向いてなさそうではある

179 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:00:45.32 ID:???.net
ブラウンベスの口径は約19mmだそうだが、
火縄銃ではwikiの分類で見るとだいたい士筒(さむらいづつ)にあたる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/火縄銃

士筒は「十分な鍛錬と財力を持つ侍のみが用いることができた。」とあるので、
やはり西洋の方が高威力な感じがする。

180 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:04:03.36 ID:???.net
ブラウンベスは命中率が悪く有名だったようだ

ヨーロッパは騎兵対策で(馬を確実にぶち殺したい)から威力を求めたとか何かの本に
ストッピングパワーとはもともとそこから来た概念だとか

181 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:08:27.34 ID:???.net
他のシャルルヴィル・マスケットとかスプリングフィールドとかのだと17.5mmだね。
ここら辺が標準的かな。
火縄銃で言えば中筒と士筒の中間くらいか。
うーん微妙な線だw

182 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:16:07.97 ID:???.net
つうか一般的な火縄銃というのがどういうものか解らなくなってきたw
たぶん身分、経済力によって結構好き勝手なものを持ってたんじゃないか。
もしそうだとしたらそれこそが近代戦に向いてない要因だが。

183 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 21:28:08.56 ID:???.net
>>180
ブラウンベスは大口径な分、ジャジャ馬で有名だった様ですね。
その代わり、使いなれたイギリス兵の手になると恐ろしい兵器になったと。
半島戦役でのランス軍は臨時編成の対ゲリラ中隊に鹵獲ブラウンベスを装備させていましたが使いこなせたのかな?

184 :名無し三等兵:2014/01/15(水) 22:26:03.42 ID:???.net
>>182
今、手元にないので大間違いだったらすみません。
歴史群像の上杉家の軍法を調査した記事で
ある程度は火縄銃の口径は上杉家中では統一化されていたらしい。
関ヶ原以前は上杉家は機動力重視で小口径の火縄銃を採用していたが
関ヶ原の結果を踏まえて大口径(といっても士筒級)の火縄銃の採用に踏み切り
火力重視に切り替えた結果、大坂の陣でさすがは上杉家と名を挙げたとの記事がありました。

そのような感じで戦国時代の大名家の場合
家ごとにある程度は火縄銃の口径が統一化されていたのではないでしょうか。
そうしないと補給の面からも苦労することになると思います。

185 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 06:11:09.45 ID:???.net
士筒級といってもブラウンベスと同等のものと考えれば上杉家はさすがと言うべきなんでしょうね。
補給については弾丸の鋳造や早合につめるくらいなら個人レベルでやってたと思うけど、やはり部隊単位では口径の統一
はしていたと考えるのが自然でしょうね。

186 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 08:49:23.51 ID:???.net
ちょっと話はずれるが
昔、百科事典でスナイドル式和銃と書いてあるものや
形状は火縄銃で、発火式が雷管式の銃の
写真を見たことがあるが
どのくらい改造されたんだろう?
スナイドル式和銃って、銃身にライフルが切ってあったんだろうか?

187 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 19:22:43.93 ID:???.net
>>175
弾丸重量(口径)が決定的であとは安全の範囲で火薬量調整して随意に威力調整できるしね
黒色火薬の爆速の関係で上限はあってそれ以上は危険なだけだったりもするが

188 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 19:31:20.05 ID:???.net
>>186
当時の日本で独自にライフリング加工ができたかというと疑問
不可能と断言も出来ないが
明治の13年式村田銃だって銃身は国産化出来ずに輸入に頼ったぐらいだし
工作機械や治工具の入手もあるし動力の問題もあるしねえ
ただ、一品物なら原始的にボタンをハンマーで叩き込んで加工した可能性もあるし

189 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 22:25:02.30 ID:???.net
でもスナイドル式というからには後装でないとな。
単に施条型というのであればヤーゲル式とかミニエ式でいいわけで。

想像では火縄銃を無理矢理後方開口しそこに紙実包をねじこんで無理矢理発射みたいなハァハァ。

190 :名無し三等兵:2014/01/16(木) 23:03:30.39 ID:???.net
火縄銃を後装式に改造したやつ
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/3034
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/3536
火縄銃を雷管式にしたやつ
http://www.日本の武器兵器.jp/archives/3576

191 :名無し三等兵:2014/01/17(金) 19:57:52.62 ID:???.net
火縄銃でも後装式に改造したり、雷管式に改造できるとは知らなかった。
日本人は昔から本当に器用ですね。他の国でやった実例があるとは思えない。

そういえばスナイドル銃と言えば、明治初期の日本陸軍の制式採用小銃だったけど
他にもドライゼ銃やシャスポー銃も日本陸軍は用いていたとネット検索をかけると出て来る。
どのくらいの割合で各銃は採用されていたのだろう。
やっぱりスナイドル銃以外は数百丁とかその程度しか使われていなかったのだろうか。

192 :名無し三等兵:2014/02/16(日) 01:56:25.31 ID:???.net
映画「ゲティスバーグ」で、北軍の砲列に到達して倒れた
バージニア軍の旅団長アーミステッドが攻撃前に部隊に呼びかけて
「ヴァジーニアンズ」とジにアクセントを置いて発音していたが、
州の名前もジにアクセントが置かれるんだな。
カタカナで書くなら棒を入れるのはジの後でないといけないわけだ。

ニューオーリアンズもよくオーリーンズと発音する人がいるけど。

193 :名無し三等兵:2014/02/16(日) 19:48:41.62 ID:5AXrSAwE.net
>>192
それは知らなかったな。

最近と言っても4か月近く前だがゲティスバーグ前にリー将軍が北部侵攻を決断した
最大の理由が自ら率いる南軍の将兵を北部で略奪した物資で食わせるためだったという話を読んで衝撃を受けた。
ゲティスバーグへ向った理由の1つが将兵に履かせる靴のためだったというのは知っていたのだが。
これってどこまで信用していいのだろうか。

194 :名無し三等兵:2014/02/19(水) 16:00:45.53 ID:???.net
南北戦争と言えば焼きまくり殺しまくりの
シャーマン将軍。
北部ではシャーマン将軍の蛮行は
目をつぶってたのか?

195 :名無し三等兵:2014/02/20(木) 00:24:01.72 ID:???.net
シャーマン側の言うところによると
リンカーンは容認してた

196 :名無し三等兵:2014/02/20(木) 19:29:36.32 ID:???.net
>>194
こういうのは被害者側と加害者側とで記憶が全く変わってくるからな。
被害者は根深く覚えていて(更に自分の都合がよく覚えるが)、
加害者側は全くとは言わないまでもそんなには記憶しないことが多い。
それにシャーマン将軍の蛮行はシャーマン将軍直卒の将兵が
いわゆる「海への進軍」中に行ったことでもあり、最終的には
グラント将軍率いるポトマック軍と南軍主力を挟撃して覆滅するという目的もあった。
それからすると北部ではシャーマン将軍の蛮行は非難されなかったとは言わないが
非難しにくいものではあったろう。

197 :名無し三等兵:2014/02/21(金) 13:45:53.27 ID:???.net
>>194
私有財産の破壊に付いては一度、南軍と話し合えとは指示はしたものの、内容はシャーマンに一任。
指示を受けてシャーマンが話し合った形跡は無しらしいと・・・
リンカーンが後にシャーマンの事を「有能な判事」と呼んだ事は事態を容認したとも取れるとする説も有りますね。

198 :名無し三等兵:2014/02/24(月) 19:42:51.93 ID:FAZ5xMax.net
シャーマン将軍自体がいろいろ多面的な評価ができる人間なのが更に問題をややこしくしている気がする。

シャーマン将軍は20世紀の総力戦の創始者といわれるくらいで
前線と後方を区別せずに南北戦争で北軍の勝利をもたらすためにまい進した。
一方、Wiki等でも書かれているが「戦争は地獄だ」という名言を残すくらい戦争は嫌っていた。
目的のためには手段を選んではいられない、でも、良心からするといいのだろうかと懊悩する、
そういった極めて人間的な存在にシャーマン将軍は思える。
そして、北部が容認していたかどうかだが、それこそ人それぞれで、一部の人は容認していたが、
一部の人は非難していたというのが正解だと思う。

199 :名無し三等兵:2014/02/24(月) 22:58:49.23 ID:???.net
そういえばアトランタ陥落がリンカーンの再選に影響したんだっけ。
リンカーンはシャーマンの事を非難しづらい立場だな。

200 :名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:09:30.43 ID:???.net
詳しい人の回答があるかと思ってたが案外ないもんだな
文春新書の戦争指揮官リンカーンには
グラントやシャーマンは戦況は報告するが、その裏で行う破壊工作については報告していなかったので
リンカーンがどこまで知っていたかはわからないとあるな

あと、リンカーン自身は資材の破壊命令まではだしてない
とある

201 :名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:33:27.68 ID:???.net
どうもいろいろ微妙なようだkら興味あるなら読んでみると面白いかもしれない
たいして分量があるわけでもないが

202 :名無し三等兵:2014/02/24(月) 23:34:33.73 ID:???.net
三連投になるけど>>197のネタも同じようだな

203 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 06:04:56.74 ID:???.net
戦車の愛称になっているぐらいだからなー。人気。

なっていないの誰だっけ?

204 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 09:48:05.09 ID:???.net
M4中戦車の愛称にシャーマンってつけたのイギリス人で、ここからアメリカ人の評価を推し量るのは無理がある。

205 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 13:44:17.58 ID:???.net
確かシャーマンはメンヘラで
グラントはアル中
じゃなかった?

206 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 19:39:29.00 ID:???.net
>>205
シャーマン将軍については知らないが、
グラント将軍はアル中一歩手前の状況だったのは間違いないみたい。
副官は常にグラント将軍の目の前に酒瓶が置かれないように常時注意しないといけなかったとか、
シャイローの戦いでも従軍記者に戦闘中に泥酔していたために敗北寸前に追い詰められたと報道されたとか。
(私としては泥酔していても勝てるって、南軍が滅茶苦茶無能だったとしか思えないですが)
グラント将軍と酒は切っても切れない迷関係みたいです。

207 :名無し三等兵:2014/02/25(火) 21:04:25.58 ID:???.net
>>206
それ言ったら、日本海軍なんかはアル中だらけだしな!

208 :名無し三等兵:2014/02/26(水) 04:12:26.34 ID:???.net
>>204
グラント
リー
スチュアート
シャーマン

そんなもん?どういう選考なんだろうね?

209 :名無し三等兵:2014/02/26(水) 07:46:54.34 ID:???.net
>>206
リンカーンがグラントの酒癖を指摘された時、
「彼の飲んでいる酒の銘柄を知りたいものだ。他の将軍達にも飲ませてやりたいのでね。」
と、有能なら酒癖など問題無いと暗に指摘したと。

>>208
イギリス軍の命名だとしたらなぜ南北戦争に拘ったのか謎・・・
まぁ独立戦争や米英戦争の将官の名前は付けたくないだろうけど。

210 :名無し三等兵:2014/02/26(水) 19:31:05.06 ID:???.net
半分スレ違いになるけど
英国にとってみれば自国に関係なくて米国で活躍した将軍となると
南北戦争から取らざるを得なかったというのが真相ではないだろうか。

211 :名無し三等兵:2014/02/26(水) 20:19:46.69 ID:???.net
英国人、命名センスはいいんだよな。P-51だって米軍の付けた“アパッチ”より
“マスタング”のほうが明らかにかっこいいし、似合ってる。

212 :名無し三等兵:2014/02/26(水) 20:29:21.80 ID:???.net
スピットファイアとか無茶苦茶なネーミングじゃねえか

英国スレもうないのな

213 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 08:24:04.78 ID:???.net
>>212
あるぞ

ブリテンの兵器はキモイ 第44波
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1389935782/

214 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 11:40:47.87 ID:???.net
なんだかんだ言って、一番アメリカ人が死んだ戦争が
南北戦争。

215 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 14:00:42.37 ID:???.net
南北戦争関連戦車では
M36ジャクソン駆逐戦車
M551シェリダン空挺戦車
もある。

あとはパットン、チャーフィー、パーシング、エイブラムス、
などで南北戦争とは無関係。

216 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 15:53:18.09 ID:???.net
パーシングってテキサス独立戦争の時の人物だよね?

217 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 20:01:07.56 ID:???.net
>>216
第一次大戦の米国のヨーロッパ派遣軍総司令官のパーシングからじゃなかろうか

218 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 21:18:01.06 ID:???.net
M26戦車パーシングなら第一次世界大戦からだな。

テキサス独立戦争から米墨戦争で活躍した米国の軍人の多くは
南北戦争でも令名を馳せているので調べ出すと結構面白い。
超有名どころだとリー将軍はグラント将軍を指揮下において米墨戦争で戦功を挙げているが、
南北戦争終結の名場面ともいえる南軍降伏の際のリー将軍とグラント将軍の会見の際に
お互いに米墨戦争の際に思いをはせ何とも言えない感慨にふけったとか。
他にも多々あるな。

219 :名無し三等兵:2014/02/27(木) 23:17:48.26 ID:???.net
アラモを忘れるな!byパーシング

220 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 20:23:14.78 ID:jO7U34Sk.net
アラモで思い出したのだけど。
20年以上前に購入したアラモ砦を舞台にしたボードゲームで
メキシコ側に対してテキサス側の射撃能力が相対的に高く評価されており
その原因としてメキシコ側はマスケット銃なのに対して
テキサス側は前装式ライフル銃を装備していたからとゲームのルールブックに書いていたと思う。
これは私に記憶違いなのだろうか。今手元にはそのゲームがないので確認できないのだが。

221 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 20:30:50.79 ID:???.net
>>220
SPI/HJのアラモかな?
テキサス軍の火力が高かった覚えは有るけど理由は忘れてしまった・・・

222 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 21:15:11.36 ID:jO7U34Sk.net
>>221
HJの雑誌TACTICSの付録ゲームだったことは覚えているのですが、
SPIが原作だったかまでは覚えていません。
20年以上前ですし、今は(雑誌も含めて)手元にないですし。
ライフル銃自体は米国独立戦争以前からあるものですが、
テキサス独立戦争は、デルヴィーニュ式のライフル銃が登場したばかりの頃で
時期的に(19世紀後半というこのスレ自体からも)微妙極まりない時期です。
詳しい人のフォローを求めます。

223 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 21:41:41.34 ID:???.net
ボードゲームについてならこっちのほうが詳しいぜ

良品戦争ゲーム(PC・コンシューマ・ボードetc)を語る10本目
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1363562021/

224 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 22:54:10.69 ID:???.net
ベイカーライフルのwikipediaよると、アラモの戦いで
”メキシコ側が”同銃を使用してた、とあるなあ

テキサス側もベイカーライフルなら装備できない理由はないけど、
問題は装備率か

225 :名無し三等兵:2014/02/28(金) 23:29:21.64 ID:???.net
デイビークロケットは熊退治するくらいだからライフル銃くらい装備してんじゃね。
まあ冗談はともかくとしても義勇兵とかは狩猟用のライフル銃とか使ってたんじゃないか。

226 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 00:04:31.20 ID:???.net
歴史群像にもライフル使ったって書いてあるな
種類は書いてない
メキシコ軍は旧式マスケットだと

227 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 01:57:34.23 ID:???.net
http://www.tamu.edu/faculty/ccbn/dewitt/adp/history/1836/the_battle/the_weapons/small_arms.html
http://www.guns.com/2011/05/06/remembering-the-alamo-and-the-guns/

眠いので貼るだけ

228 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 02:13:08.44 ID:???.net
[14.0] 射撃戦闘と射程距離(選択ルール)
解説
 以下のルールは選択ルールで、プレイヤーの合意によってのみ使用される。
 19世紀初期のマスケット銃はおおむね旋条のない先込め銃で、有効射程は
80ないし120ヤードだった。
 しかし有名なケンタッキー・ライフルは例外で、250ヤード以上の距離でも
恐るべき精度を示した。
 アラモ砦内でも、ケンタッキーやテネシーからのグループがこのライフルで
武装していた。
 しかしメキシコ軍の装備はすべて、短射程の先込め銃であったのだ。

229 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 02:14:09.66 ID:???.net
ルール
 射撃戦闘において、ユニットの火力は射程が7ヘクスを超える1ヘクスごとに
1下がる。例えば射程が9ヘクスなら2下がるわけだ。
 さらに、射程が14ヘクスを超えると射撃は全く行えない。
 これらの射程を数える時には、攻撃側のいるヘクスは数えないが、防御側のいる
ヘクスは数える。
 ただし、砲と、テキサス側の Kent と Tenn のユニット(シルエットが違うことに
注意)はこのルールの影響を受けないものとする。マップ上のどの地点に対しても
全火力で射撃できるのである。

230 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 14:20:16.61 ID:???.net
前装式ライフルは、ミニエー弾発明前と後で分けた方が良くない?
ミニエー弾前だと装填にかなり苦労したとか…
ちなみにエンフィールドP1853とスプリングフィールドM1861は
どちらが多く日本に入ってきたんだろう?

231 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:00:52.93 ID:???.net
テキサスでは使われていないだろうけど、当時の米軍はホールライフルもそこそこ使用しているみたいだね。

232 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:34:05.50 ID:???.net
>>228,229はゲーム「アラモ」のルールでしょうか。
どうも直接引用、紹介して下さり、ありがとうございます。

233 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 21:47:47.31 ID:???.net
>>230
確かにミニエー銃以降のライフル銃と
それより前のライフル銃だと装填方法が全くといっていいくらい違うからな。
ミニエー銃以降とそれより前で分けて
このスレではミニエー銃以降に限るべきだろう。

234 :名無し三等兵:2014/03/01(土) 22:20:00.79 ID:???.net
>>233
とは言っても、南北戦争でもミニエー以前のライフルが使われているし、ゲティスバーグ以降の北バージニア軍ではスムースボア・マスケットの装備が増えたりしているから・・・
技術の話ならともかく、戦史や戦例の話ではミニエー式以前を切り捨てるのは無理かと。

235 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 19:24:31.70 ID:???.net
>>234
それをいうと戊辰戦争では戦国時代以来の火縄銃どころか槍までが使用されていますね。
ミニエー銃以降に限った話題は技術面に絞って話すべきだと思います。

236 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 19:41:43.52 ID:???.net
それをいうと清仏戦争や日清戦争でも米西戦争、ズールー戦争、北清事変でもスムースボアライフルや槍が使われているからな。

槍は日露戦争でもコサック兵が使っていた。

237 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:16:09.13 ID:???.net
日清戦争のときは連弩も使われたらしい。要は相手を殺傷できれば
時代遅れだろうが何でも使う。

238 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:18:52.91 ID:???.net
投石は未来永劫使われるであろう

239 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:29:31.08 ID:???.net
太平洋戦争のときは竹槍も

240 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:54:44.14 ID:QCmp9UkY.net
ホームガードパイクの出番ですね、これは・・・

241 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 21:55:24.46 ID:???.net
ごめんなさいsage忘れてました

242 :名無し三等兵:2014/03/02(日) 22:22:19.55 ID:???.net
>>236 おいおい スムースボアライフルってなんだよ?(笑)

243 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 03:06:50.56 ID:ElFFVpKj.net
南北戦争の一般的な北軍歩兵はどのぐらいの弾薬を携行したんだろう?

左肩からかけるあの弾薬盒のサイズだと精々2,30発程度しか入らないような気もするんだけど…
それとも弾薬盒に入ってるのはあくまで即応弾で、雑嚢・背嚢に予備弾薬でも持ってるんだろうか

244 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 12:49:40.59 ID:???.net
>>243
最も一般的だった弾薬盒(ライフル・マスケットと同時期に採用)は60発入りでしたよ。
内部には縦長のコンテナが左右に並んで2個。
それぞれのコンテナは上下段に仕切られていました。
10発1組の弾薬包4包(40発)を左右の下段に、
包を解いた弾薬20発を左右の上段に収納していました。

スムースボア・マスケット時代に採用された40発入りの旧型弾薬盒も使用され続けました。
南軍では戦争中に再生産までしています。

予備弾薬を雑嚢や背嚢に入れていたかは分かりません。
必要ならやるででしょうが、規則上認められていたのか否かは・・・

245 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 13:32:21.15 ID:???.net
ねえ、時期的にスレチかもしれないんだが聞くけど、
歩兵に食糧などを入れて両肩に回したベルトで負わせるリュックサックは
何時頃から使われだしたんだろうか。
元は猟師がかなり古くから使っていたものらしいが、
例えば七年戦争ではどの軍でも肩掛け式を左右交互にたすき掛けにして
使っていた。正面からみて白い帯が胸で交差しているのがそうだ。
ロボジッツの戦いに参加したスイス人ブレーカーの書いたものによると、
パン袋や水筒や弾入れや雑嚢を交互に負うので胸が両側から締めあげられたという。
遅くはナポレオン戦争まで一部の部隊はそんな格好をしてるよね。

246 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 16:10:09.46 ID:???.net
ランドセルの起源?

247 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 20:34:35.34 ID:???.net
>>245
あれは背負い辛そうですよね。
特にプロシア軍のは。

ランドセル式を採用した最初の正規軍は、フレンチ・インディアン戦争中に北米大陸で活動していたイギリス軍軽歩兵やフランス海軍歩兵中隊の様です。
どちらも現地軍(イギリスはアメリカ人レンジャー、フランスは民兵)の装備を北米大陸限定で採用。
あくまで非正規装備品です。

正規軍全体への採用は7年戦争終了後。
フランスは1763年の軍服改定時に一部で採用が始まり、1767年の軍服改定時に犬または山羊革のランドセルを全面採用。
イギリスは遅くとも1768年の軍服改定時に全面採用。

プロシア軍での採用は1806年戦役の敗北後と、かなり出遅れ・・・
シャルンホルストによる軍制改革の一つとして行われた1808年の軍服改定時に採用されました。

248 :名無し三等兵:2014/03/03(月) 23:05:54.53 ID:???.net
へえ、詳しいですね。
ここんとこの流れをみて、知ってる人がいるかもと思って
聞いてみたんだけど。手元に資料があるんですか?

249 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 06:59:57.67 ID:5Cgea7tX.net
リエナクトで使ってるようなトップクラウンが凹んでないスローチハットって日本で売ってるのかね?

そもそもスローチハット自体日本じゃほとんど売ってないし

250 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 09:50:30.11 ID:???.net
バック・トゥー・ザ・フューチャー3で
ドクが被ってたみたいなクラウンの高いやつかい?
あれは高すぎか

251 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 14:05:48.01 ID:???.net
>>250

ttp://49thvirginiainfantry.com/Slouch%20Hat-BeeHive%20DB.jpg

こんな感じのがイメージに近い

252 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 18:03:05.99 ID:???.net
でもスローチじゃないよな?

253 :250,252:2014/03/04(火) 18:18:26.39 ID:???.net
slouch hatって言葉は昔、マーク・トウェインの自伝を英語で読んでいて
お目にかかったんだけど、広いつばの前が垂れた帽子って理解してた。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Slouch_hat
でも画像検索したりウィキペで引いたりした結果だとイメージと随分違う。

要はつばを維持するのに>251の帽子やメキシコ帽や山高帽のように
外周に行くに従って寸法を詰め気味にして反り返るようにしたり、
針金を入れて水平にしたりしないで、
側面に反り癖をつけて前後を水平にした帽子ということなんだな。

254 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 19:00:59.15 ID:???.net
>>248
ランドセル(ナップサック)採用の流れは覚えていたので、軍装関係の資料から軍服改定年の確認を。

255 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 23:20:25.50 ID:???.net
ウィキペを探したが英語版のBackpackの生地は全く歴史関係を欠いている。
独語版を参照してそれを翻訳サイトを通して読んで
この記事(Tornister)をみつけた。
ttps://translate.google.co.jp/translate?hl=en&sl=de&tl=en&u=https%3A%2F%2Fde.wikipedia.org%2Fwiki%2FTornister
歴史が書いてある。

こんなのも見つけた。
ttp://www.dererstezug.com/packingatornister.htm
すると今まで毛布だと思っていたのは外套だったのか?

256 :名無し三等兵:2014/03/04(火) 23:29:02.79 ID:???.net
最後のノートは、外套の裾の方は内側に織り込めってこと?

257 :名無し三等兵:2014/03/05(水) 04:23:03.97 ID:???.net
どうやって寸法合わせるのか知らないけど、
要は降ろした時立つようにってことだろう。

258 :名無し三等兵:2014/03/05(水) 13:18:40.99 ID:???.net
だいたいオスプレイのメンアトアムスのイラストの解説とかに書いてるだろ。

259 :名無し三等兵:2014/03/05(水) 15:17:29.18 ID:???.net
もう中古しかなくね
図書館においてあったりもするけど

260 :名無し三等兵:2014/03/07(金) 01:57:07.83 ID:???.net
アメリカの南北戦争再演バンドが演奏してた「Lorena Bright Smiles」という曲について何か知っている人いますかね?

どうも再演に限らずマーチングバンドだと定番(?)の曲みたいなんだけど

ttp://youtu.be/gGUeqMmKhFo

261 :名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:21:19.98 ID:???.net
行進曲ならプロイセンやオーストリアに限るぜ。

262 :名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:23:45.81 ID:???.net
LorenaとThy Bright Smileの二つの曲だろ?

263 :名無し三等兵:2014/03/07(金) 13:32:21.62 ID:???.net
♪俺は油で揚げた玉葱が大好き

でも>>261にやる玉葱はねぇ

264 :名無し三等兵:2014/03/07(金) 22:00:54.56 ID:???.net
クラリネットこわしちゃった!

265 :名無し三等兵:2014/03/08(土) 00:15:34.71 ID:???.net
ジャガイモが大好き
最初に自炊したころ、それを主食にしたくらい。

266 :名無し三等兵:2014/03/11(火) 08:40:01.95 ID:???.net
宮さん宮さん

267 :名無し三等兵:2014/03/11(火) 19:38:26.97 ID:ghIn26sD.net
>>266
宮さん宮さんで思ったのだが

戊辰戦争で活躍した旧幕府諸隊というと何が挙がるだろう。
また、薩長側だと何が挙がるだろうか。
私の想いの中では薩長側は特に思い浮かぶ隊名は無く
薩摩藩兵とか、長州藩兵、佐賀藩兵という形で思い浮かぶ。
一方、旧幕府側だと伝習隊とか、衝鋒隊、遊撃隊といったあたりが思い浮かんでくる。
皆さまだと、どんな隊名が思い浮かぶのでしょうか?

268 :名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:06:06.82 ID:e5TYpvS5.net
飛行隊
茶坊主隊

269 :名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:08:22.92 ID:???.net
>>267
奇兵隊が思いつかないの?

とりあえずあげると雷神隊

270 :名無し三等兵:2014/03/11(火) 20:33:14.37 ID:???.net
幕府側なら撒兵隊
地元で戦ったからw

271 :名無し三等兵:2014/03/12(水) 00:04:40.12 ID:???.net
パトロン隊

幕府側なら
菜葉隊、葉っぱ隊に名前が似てるから

272 :名無し三等兵:2014/03/12(水) 04:28:56.06 ID:???.net
上関茶筅隊
佐分利隊

273 :名無し三等兵:2014/03/12(水) 08:42:16.66 ID:???.net
イベントスレより
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1383531842/717

赤塚梅祭りだと
日本でも珍しい西洋銃砲隊(ゲーベル銃)によるオランダ語号令に基づく演武を毎年やっていたかと
まぁ開催地が高島平ですから当然なんですけどw

274 :名無し三等兵:2014/03/12(水) 19:59:18.26 ID:???.net
長州藩は奇兵隊を筆頭にいわゆる諸隊があったな。
印象に残る名前と言えば伊藤博文が率いた力士隊かな。
これって本当に相撲取りばかりから編制されていたのだろうか?

275 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 03:08:03.54 ID:???.net
長州の諸隊は結成当初は自発的で面白い面もあったのだが、
元治の内戦後の慶応の軍制改革で厳しく統制されてしまったんだよね
その点では戊辰戦争の旧幕側のほうが面白いかも知れない
仙台の衝撃隊などがそう。

276 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 07:29:44.76 ID:???.net
いわゆる諸隊って民兵組織に近いのかな。

277 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 08:27:29.72 ID:???.net
むしろ傭兵だろ

278 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 19:41:48.87 ID:???.net
隊によりけりだろうね。
傭兵寄りか民兵寄りは。

279 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 19:58:40.97 ID:???.net
私としては長州藩の諸隊は義勇兵という側面が強いと思うな。
奇兵隊の結成を見て自らも長州藩を護るんだという想いから結成されていったのが長州藩の諸隊。
一方、旧幕府の伝習隊や衝鋒隊等は文字通り傭兵だった。
鳥羽・伏見の戦いの後、金のためならということで五稜郭まで戦い続けた。
何か幕府が敗れたのが分かる気がする(そして慶喜が抗戦を諦めたのも)。

280 :名無し三等兵:2014/03/13(木) 21:16:07.26 ID:???.net
>>278
罪人の隊とか、ペテンや人さらいで人を集めて入隊させた隊はないの?

281 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 07:10:38.99 ID:???.net
そんな連中に銃をもたせて率いたいか?

282 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 08:11:17.86 ID:???.net
幕府歩兵隊だって、博徒とかが大量に混じってたんだから、大して変わらん

283 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 08:22:28.16 ID:???.net
奇兵隊だってならず者は多かったはず。
脱走兵が倉敷浅尾騒動をおこしてる。

284 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:15:26.98 ID:???.net
>>281-282
プロイセンではそうやって掻き集めた兵隊で七年戦争を戦い切ったじゃないか。
いや博徒は志願して入るんだからそこが違う。

285 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:21:17.27 ID:???.net
そういえば、博徒ややくざ者のほうが兵隊に向いていると
大鳥 圭介が言ってたな。本音かどうかは分からんが。

286 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 10:57:23.61 ID:???.net
親分子分の関係と服従がはっきりしてる博徒やヤクザは頭をなんとかすれば何とか
勝海舟と新門辰五郎みたいに。

287 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 12:42:21.07 ID:???.net
彰義隊にも新門の手の者が混じっていたしね。
上野敗走後、最後まで丸毛靭負に付き従った者の中にも。

他にも、火消し人足や魚河岸の連中から江戸守衛の為の町兵を編成しているよ。
実戦には参加していないけれど、仏式伝習をしたと。

288 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 12:44:54.17 ID:???.net
>>285
譜代の旗本や御家人が、鳥羽伏見じゃ大して役に立たなかったんだから、
大鳥がそう言いたくなるのもわかる

289 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 20:40:58.79 ID:???.net
今、手元にないけど野口氏が幕府歩兵隊という本の中で
博徒やヤクザ者が幕府歩兵隊で活躍した理由を書いていたな。
実際、太平に慣れて夜襲を卑怯と言って夜は寝るものだといって寝てしまう
譜代の旗本や御家人よりも夜襲に備えて起きておく博徒やヤクザ者が戦場では役だったと思う。

290 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:47:06.94 ID:???.net
長期平和による戦士階級の貴族化問題か

291 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:51:43.76 ID:???.net
そうだね。市役所の職員にいきなり銃を渡して「戦え」と言われても
どうしようもない。

292 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 21:54:40.15 ID:???.net
藩内に階級闘争があった薩摩とか土佐は士分だけで間に合ったのか

293 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 22:05:46.90 ID:???.net
>>292
薩摩藩の場合、士分が人口の3パーセントを占めるというどこの軍事国家という状況だから
士分だけで間に合ったと思う。
土佐藩の場合は、大山巌元帥の曾孫の大山格氏が書いた記事によると
ミニエー銃を渡された士分は初陣の際には銃弾を前後逆に装填して発射できず、
結局、ミニエー銃を棍棒代わりに使って戦う惨状だったとか。
実戦経験を積むにつれ、このような惨状は解消されていったのだが、
泣き笑いをするしかない悲喜劇が戊辰戦争では起きたものだとつくづく思う。

294 :名無し三等兵:2014/03/14(金) 22:09:18.33 ID:???.net
>>290
貴族化というより役人化

295 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 00:23:05.27 ID:???.net
WW2ではやくざは役立たずだったという話を読んだことがある
詰まるところ当人の資質ということかな
もしくは親分が参加していたら統率も取りやすいとか

296 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:51:06.47 ID:???.net
戦闘の様相がやくざの出入りライクなものから近代戦に変わったってことじゃ?
歩兵戦術でいえば、第一次大戦を境にガラッと変わってるし。

297 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:55:09.92 ID:???.net
やくざの出入りレベルなら役人化してても御家人の方がやくざよりつおいんじゃね

298 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 08:58:40.81 ID:???.net
戦列歩兵→散兵+戦列歩兵→散兵→中隊戦闘→分隊戦闘と変遷してきてる
からなぁ。

299 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 09:04:47.16 ID:???.net
>>297
御家人も内職に励まないとと食べていけない

300 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 12:49:16.27 ID:???.net
>>279
当初はそういう動機もあったし、参加者に士庶平等という理念もあったが、しょせんは幻想
対幕戦争の過程で統制が重視され、自発的要素は徹底して潰されていったのさ。
革命やら軍隊に幻想を持っちゃいかん。

301 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 15:09:27.92 ID:???.net
>>300
長州の奇兵隊が良い例だよね

302 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 19:12:49.55 ID:???.net
そういえば遊撃隊というのは
長州藩の諸隊にも旧幕府の諸隊にもあるな。
越後戦線で勇名を馳せたと言えば雷神隊と衝鋒隊ともう1つあったはずだけど
その1つが出てこない、どなたか知りませんか。

303 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 23:32:01.10 ID:???.net
>>285
世襲化した下級武士よりゃマシだろ
道場剣法しかやったことなくてそのくせ新時代に対応する意思薄いし
貧乏で栄養失調状態だし

304 :名無し三等兵:2014/03/15(土) 23:35:21.85 ID:???.net
>>293
なんか人口比おかしいぞ
全国平均でも武士が7%程度はいたはずだから

305 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 00:15:52.00 ID:???.net
ttp://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7860.html

江戸末期だが全国平均で6.4%
士分に限っても3.6%

一部の藩は郷士で「かさ上げ」する形になるから異常な人口比率になるけどね

306 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 06:42:43.62 ID:???.net
松代藩の場合、10万石で3000人の士分を雇っていたけど
家族が含まれていないから、家族を含めると1万5000人くらいに増えるかな。
となると人口の15パーセントが士分ということになる。
全国平均の士分の割合と実際に雇われている士分とは違うからな。
ちなみにネット情報だと薩摩藩の士分は人口の26パーセント。
これだと人口の5パーセントは戦場に送り出せたのではないか?
77万石の石高から推測すると4万近い軍勢になる。薩摩藩恐るべし。

307 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 07:48:38.55 ID:???.net
郷士って半農半士で碌な報禄も与えられないで、有事の際は真っ先に出征されるという事かな。

308 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 09:46:47.41 ID:???.net
>>307
まあ永久予備役みたいなもんだな
年貢の減免とかはあったにせよあんまり愉快な身分じゃない

309 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 09:54:48.83 ID:???.net
>>308
そんな身分でも金のある奴は買ったというから身分てすごいね。

310 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 14:45:45.24 ID:???.net
1石取といって、1年間の俸禄が1石しかない武士も珍しくなかったらしいからな。
1年365日なので日給に直すと1日米3合にも満たない。
当然、家族どころか自分も食べていけないので家族全員が内職三昧だったとか。
公務員のワーキングプアは江戸時代は当然だったんだな。

311 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:13:57.59 ID:???.net
>>310
大身の武士でも借金漬けだったらしいし。

312 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:32:24.06 ID:???.net
普仏戦争のフランス軍は当時の最新銃であるシャスポー銃を持って戦闘に臨むもボロ負けしたのだから、ライフルの性能だけで敵を圧倒できる時代ではない。
鉄道による輸送力や大砲といった機械力もさることながら、重要な局面では騎兵や歩兵でどれだけ敵を押し込めるかという突撃力はこの時代においては最重要だ。

313 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:36:10.93 ID:???.net
西南戦争はタイミングの問題がある。
もっと早いタイミングで西郷隆盛が蜂起していれば、熊本城は篭城の準備が整わず、あっさり陥落し、
戦いが長期化して財政が困窮した明治政府は西郷に講和を申し入れたかもよ。

314 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:43:52.07 ID:???.net
>>312
プロシア軍も後装のドライゼ

315 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 15:44:51.29 ID:???.net
土鍋こっちに移動…?

316 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 16:18:54.38 ID:???.net
普仏戦争はマイナーながら、その後の世界史に絶大な影響を残した戦争だよな。
もし普仏戦争でナポレオン3世が勝っていたら、20世紀の第一次大戦やロシア革命は起きなかったかもしれないんだから。
ヒトラーも独裁者にならず、パン屋の店長ぐらいで人生を終えていたかも

317 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 16:26:36.38 ID:???.net
ナポレオン3世が勝っていたらエッフェル塔よりでかいナポレオン3世の像がパリに建立されたかもな

318 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 19:03:19.29 ID:???.net
普仏戦争ではプロイセン軍の大砲が敵を圧倒したってあるけど、どんな大砲だったんだ?
クルップ製で4ポンドと6ポンドが配備されてたって聞いたんだが・・・

319 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 19:33:18.42 ID:???.net
>>318
普仏戦争に関する記事が載った「歴史群像」も「コマンドマガジン」も実家にあるので
答えにならない答えかもしれませんが。
結局のところ、普仏戦争は孫子のいうところの「我を知り敵を知らば百戦百勝」を地でいった戦争です。
プロイセン側はフランスの長所や短所を調べて勝算が十二分にあると判断して開戦の決断をしましたが
フランス側は国民世論に押されて開戦しただけで実際には戦争の準備ができていませんでした。
メキシコ出兵やインドシナ派兵でフランス陸軍の精鋭は消耗しており、ある意味再建途上。
ナポレオン3世もその事情はある程度把握していて開戦を避けたかったのですが、
これまでの失政で世論の支持を無視できなくなっており、開戦の決断をせざるを得ませんでした。
そして、無惨な敗北。世論は一転して、何故世論を無視して非戦の決断をしなかったのか、と非難を浴びせて
フランスで帝政復活は無理な状況になります。
世論というもののいい加減さを普仏戦争は教えてくれます。

320 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 20:35:46.79 ID:???.net
>>314
しかしシャスポーの方が優秀だったと>312は言っているんだろう?

>>316
なんでパン屋?

321 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 21:03:02.34 ID:???.net
でもシャスポーの紙薬莢の底に雷管って抵抗あるな。ガス漏れ用のゴムパッキンは良いとしても。

322 :名無し三等兵:2014/03/16(日) 21:43:21.37 ID:???.net
>>311
以前読んだ武士の家計簿って本によると
常時年収の二倍の借金があるのが平均的だったらしいな
借金先は、親戚や領地の農民なんかが多かったそうだ
案外商人からの借金は比較的少なかったらしい
領地の農民はいざとなったら収めるはずの年貢を差し押さえれば済むけど、
そういったことが商人はしづらかったからだとか

323 :名無し三等兵:2014/03/17(月) 19:50:37.47 ID:???.net
>>322
年収の2倍の借金って今でも珍しくない気がするな。
住宅ローンを組んだ人だとよくあるレベルになる。
この頃の借金の利息はどれくらいだったのだろう?
ちなみに薩摩藩とかは250年賦かつ無利息で元本のみ返還で借金をしていたからな。
よく金を貸してくれたものだ。

324 :名無し三等兵:2014/03/17(月) 19:58:41.54 ID:???.net
>>323
住宅ローンなら土地や建物といった物がある。
この時代の武士の借金は生活費。
消費者金融に年収の2倍の借金があるようなもの。

325 :名無し三等兵:2014/03/17(月) 20:53:35.76 ID:???.net
徳政令まだーちんちん

326 :名無し三等兵:2014/03/17(月) 21:24:15.07 ID:???.net
ご一新でがらがらぽん

327 :名無し三等兵:2014/03/18(火) 08:52:13.70 ID:???.net
>>318>>319 普仏戦争に関しては
wikiにも結構詳しく載ってるよ。
仏側の大砲は前装式の四斤山砲系列で
プロイセン側はクルップの後装式とか

328 :名無し三等兵:2014/03/18(火) 21:18:34.88 ID:???.net
>>327
普仏戦争はフランスが一方的に兵器の面で優越していたわけでもないし、
プロイセンが一方的に兵器の面で優越していたわけでもない。
フランスもプロイセンも兵器の面だけから見ればお互いに優越してる面があり
それを自分の有利に生かせればお互い必勝だった。
でも、結果論だけでいうとそれを有利に生かせれたのはプロイセン側だった。
本当にフランスの軍人が少しでもまともで世論を無視できる強さがあったと惜しまれる。

329 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 13:52:20.13 ID:???.net
兵器の優位を生かしただけで必勝はねーだろ

330 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 14:03:46.21 ID:???.net
鉄道の整備とか短時間での動員能力とか事前の計画が優れていたんじゃないの。
まあ19世紀後半の戦争って多かれ少なかれ鉄道と港湾をめぐる戦いだよね。

331 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 19:36:25.51 ID:jMR1RvdM.net
>>330
戊辰戦争や西南戦争で鉄道は活躍していたっけ?

332 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 19:56:03.19 ID:gtKTaeca.net
わかりきったことを聞くなよ

333 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 20:10:39.98 ID:PSqg4sk/.net
西南戦争で東京・横浜間を鉄道輸送した位かな?
これのおかげで警視隊は東京を発ったその日の内に横浜港から出航出来たと。

334 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 20:55:37.00 ID:jBnTqb8/.net
>>331
戊辰では海軍はそれなりの活躍をしたけどね

335 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 21:10:20.49 ID:0PYSCu/5.net
戊辰では新潟港の制圧が重要局面だね。

336 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 21:53:18.29 ID:/0AKEemR.net
西南戦争も海運での補給がなきゃ政府軍あんな早期に鎮圧できなかったろ

337 :名無し三等兵:2014/03/19(水) 22:59:50.15 ID:cQti7U2v.net
警視庁全職員アンケートで選んだ首都140年の10大事件の第9位に西南戦争
がランクインしているらしいな。

338 :名無し三等兵:2014/03/20(木) 07:30:43.73 ID:ztwmh/Ji.net
一位は226事件か?

339 :名無し三等兵:2014/03/20(木) 08:42:16.55 ID:XcprMQlZ.net
https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/anket/140year.htm
〆切は今年5/6だから、まだ決着してない

>>338 おうむがえしする前にぐぐれよ
そのうちに、ガセビアを信じたなどの、ひどい目にあうぞ

340 :名無し三等兵:2014/03/20(木) 17:27:15.96 ID:ztwmh/Ji.net
>>339
その程度調べるのも馬鹿らしい話題だし
会話のできんこだね

341 :名無し三等兵:2014/03/20(木) 21:29:22.41 ID:MZLjfdig.net
>>336
西南戦争では政府軍が制海権を握っていたからな。
熊本城の救援も八代からの背面軍によるものだし、
鹿児島への上陸作戦は薩軍の抗戦計画を根本から崩壊させた。
本当に薩軍に海軍戦力があって、南九州の制海権を確保できていたら
西南戦争の流れはかなり変わったのではないか。

342 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 10:43:58.64 ID:LKqbGMZI.net
西南戦争の時の薩摩側って
落としどころを どう考えてたの?
士族などの反政府勢力を結集して、打倒新政府?
それともある程度、新政府軍にダメージを与え
薩摩に触れると火傷すると思わせ
独立するとか?
それとも何も考えてないとか?

343 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 10:48:10.21 ID:s0pJpM96.net
最初からそんな事を考えてたような計画的な反乱では無いだろ

344 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 11:18:26.90 ID:1/mrquBw.net
西南戦争の薩軍側ははっきりいって開戦計画とかなくて暴発しただけだからな。
参加した者の中には西郷陸軍大将を先頭に東京へ向えば、ナポレオンが皇帝として復活したように
陸軍の将兵は競って西郷側に転じるという楽観論まであったくらい。
熊本城に籠城して鎮台兵が抵抗するのは本当に意外だったとか。

345 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 12:07:50.66 ID:LKqbGMZI.net
ということは、西郷王国化して新政府の言うことを聞かない薩摩を潰したい
大久保らが薩摩を挑発して暴発させたということ?

346 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 15:22:27.41 ID:PfdFsleT.net
何故そこで陰謀論めいた話になるのか

347 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 16:51:20.97 ID:LKqbGMZI.net
じゃあ薩摩が勝手に暴走したとでも?それじゃ自爆じゃん。

348 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 17:10:04.15 ID:j//hJKr+.net
自爆だよ。だから暴発。

349 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 21:10:45.50 ID:HNUfRwYl.net
>>345
意図的な挑発はしなかったけど、薩摩がある文章を西郷暗殺指令と勘違いして暴発しちゃったんだっけ。
大久保も後日「これは誤解しても仕方がない」と言ったとか何とか。

350 :名無し三等兵:2014/03/21(金) 21:45:34.69 ID:7Bi/1tNn.net
>>349
確か「西郷を視察(シサツ)せよ」という指示を政府が薩摩の状況を探る密偵に出したのを
薩摩側は「西郷を刺殺(シサツ)せよ」という指示が密偵に出たと誤解したのだったかな。
薩摩側は西郷陸軍大将を刺殺せよとは言語道断と激高して挙兵したが、
個人的な理由の挙兵ではないか、と板垣退助を始めとする薩摩以外のほとんどの反政府勢力はそっぽを向いてしまい、
結果的に西南戦争は大失敗に終わる最大の原因になってしまった。
もし、薩摩側が大久保以下の現政府の失政を正当に糾弾するとして挙兵していれば、
板垣らの行動も変化し、薩摩川の勝利の目もあったと思う。

351 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 01:11:32.71 ID:0Fs0p6G3.net
一応暗殺の口供書はあるが拷問による捏造と本人が言ってるレベルでわけがわからん
そしてそれを東京に問いただしに行くというのが戦争の大義名分
なにそれというレベル

だから以後の行動もテキトウ
全国レベルで決起を促すとか、最初から長期自給の構えとか船で東京急襲とか
手を尽くせばもっと大変なことになったのは間違いないところ

352 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 01:23:48.92 ID:wQuzQuNU.net
>>323
亀だが、同書によると藩士の関しては利子は15〜18%が普通だったようだな
高めなのは、大名ほど信用があるわけでなく、町民ほど担保がとりやすい訳でない、ということで高めなのだそうだ。
個々で考えると、年収の二倍の借金があって利子が15だったら年収の3割分の利子が毎年増えるわけで……
まあ火の車だったのは当然だよな、と。

あと、金の使い道なんだが、原書が手元にないので正確には分からないんだが
たしか、複数の通過儀礼や年中行事、それに武士という身分を手に入れた祖先を祭るために宗教団体に寄進するお金
こういった武士で居続けるための「身分費用」がかなりの割合を占めていたらしいな。

353 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 10:42:13.38 ID:CV8ykK/x.net
>>340
親切に忠告されてるのに、感謝の意も示さない
ググレカスって蹴飛ばされたほうが良かったようだな
バカが偉そうにしてると滑稽だ

354 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:15:40.67 ID:hMYXjnA+.net
>>320
普仏戦争でフランスが勝って歴史が変わり、第一次大戦もロシア革命も起きなくなればヒトラーの出番は無い。
ただヒトラーは出番が無くても口の上手さや不屈の意思でパン屋とかビアホールの店長としては活躍したと思うよ。
あとヒトラーはセールスマンも得意そう。

355 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:20:42.18 ID:hMYXjnA+.net
西南戦争の西郷は明治政府の閣僚だったのだから、明治政府の弱点を理解していたはずだ。
弱点とは明治政府の財政難と薩長閥の内部抗争だ。
明治政府の重鎮はしょせん成り上がり者だから、金や地位を巡って醜い内部抗争を繰り返したのだし、
そこに磐石の政権基盤があったわけではない。

356 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 11:31:43.12 ID:hMYXjnA+.net
蜂起する前の西郷らは行動を厳重に制限されていたわけではない。
ならば、どうせ死ぬ気なら東京に集結し、東京で蜂起をするという手もあった。
大久保利通も数人の暗殺者に暗殺されたのだし、東京で蜂起していれば明治政府の重鎮の邸宅や役所を灰にするぐらいはできただろう。

この東京蜂起の場合は武器をどうするのかという問題がある。
大人数が小銃を持って東京に集結するのは不可能だからだ。
まず手ぶらで東京に集結し、棒や即席の火炎瓶などの身近な武器で武装し、夜間に東京や神奈川の武器庫を襲撃して武器を奪い、闇夜に乗じて
東京各所に放火して騒乱状態を作り出す。
そのうえで馬車に乗って逃げる政府重鎮を狙う。

357 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 16:37:41.25 ID:0Fs0p6G3.net
また土鍋か

358 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 17:39:18.55 ID:5p7fsFEW.net
そういや古代中世スレは落ちたままだね

359 :名無し三等兵:2014/03/22(土) 17:51:24.47 ID:HOT/zts5.net
強制IDになったから対処が楽だな

360 :名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:20:01.03 ID:veiqLhRq.net
古代中世スレも、立てなければ立てないで、この幕末スレ見たいに、また別のスレッドを荒らすだけじゃないのか。

ところで渾名の『土鍋』の由来はなに?

361 :名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:34:20.65 ID:v7eQlDiR.net
これが受けたからじゃね

216 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/08(土) 18:43:36.93 ID:g+S3DfCX [1/2]
>>213
そういう話をする方というのは、普通「そういう用法もある」という言い方はしないで、
「刀は脳震盪起こさせるためなんだぜ、どうだおまいら知らなかっただろ!」と
得意満面のドヤ顔で話させることが多いです。

>>214
鉄の普及なら図書館で勉強してね。昭和40年代くらいでも、地方にいくと
鍋釜すら鉄じゃなくて、土鍋でご飯を炊く、なんて普通だったんだから。

218 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 20:54:25.71 ID:???
>>216
>昭和40年代くらいでも、地方にいくと鍋釜すら鉄じゃなくて、土鍋でご飯を炊く、なんて普通だったんだから。

ただの印象論でデータとかは何もないわけか。
このスレは軍板の中でも特に根拠なしで進むスレのようだな。

219 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:00:41.86 ID:???
土鍋を使うのは鉄が普及していなかったから・・・w

220 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/08(土) 21:04:13.18 ID:???
土鍋を使うのは鉄が普及していなかったから(キリッ

「ドヤ顔」って書くヤツは結局自分の知らない知識を他人に披露されて悔しい!
ってだけだからな。

221 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/08(土) 21:29:28.54 ID:sr7AkfTh
土鍋が根拠wwww

362 :名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:37:51.25 ID:veiqLhRq.net
そうか……まぁ地方によっては、土鍋で飯を炊いてたなんて例は幾らでもありそうだが、一般的とは言いかねるよな。
ましてや軍事にまったく関係ない話だし。

363 :名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:42:21.99 ID:v7eQlDiR.net
軍板は飯の話好きだから
議題は鉄の貴重性の話だが土鍋に全部もってかれた

363 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 22:19:29.27 ID:???
ところで鉄鍋で飯たいた方がいいの?
進化の理想としては土鍋→鉄鍋→電気炊飯器?

368 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/14(金) 23:01:51.61 ID:???
土鍋→鉄鍋は上位互換なのか否か

369 名前:名無し三等兵 [] 投稿日:2011/10/14(金) 23:16:39.02 ID:4NIWFlBI [8/11]
土鍋→鉄鍋は上位互換かどうかは知らんが(少なくとも炊飯では)、
土鍋→鉄釜は上位互換であり、それが50年前まで互換できなかったということは・・・
なぜだったかわかる?

なお、町屋では土鍋→鉄釜が上位互換だったが、
囲炉裏のある農家では土鍋→鉄鍋は明らかに上位互換だった。その違いは・・・
図書館で勉強してくれ。自分で。
何でも他人から投下してもらって、それで文句ばかりじゃ韓国に負けて当然だ。

386 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 09:53:33.60 ID:???
鉄鍋はあまり料理には向かない
アルミも

具体的に言うと保温性
金属は陶器より熱しやすく冷めやすい

364 :名無し三等兵:2014/03/23(日) 19:42:54.28 ID:v7eQlDiR.net
剣豪・チャンバラ・時代劇を語るスレ
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1314011090/

387 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 10:04:23.57 ID:???
圧力IH炊飯ジャーが最上位ってことでいい?

393 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/15(土) 13:16:00.16 ID:???
蒸気カット圧力IH炊飯ジャーこそ至高

544 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 21:13:03.28 ID:???
このスレ見て圧力IH炊飯ジャー買ったよ

545 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:47:10.29 ID:???
>>544
おお、このスレで初めて建設的なことが起きました!おいしいご飯を楽しんで下さい!

546 名前:名無し三等兵 [sage] 投稿日:2011/10/25(火) 22:58:39.07 ID:???
>>544
とうとう土鍋生活から脱したか。おめでとう。

365 :名無し三等兵:2014/03/24(月) 00:08:02.53 ID:OuvbEuC0.net
>>358
避難所のおーぷん2ch軍板にもスレはあるけど過疎ってる

366 :名無し三等兵:2014/03/24(月) 19:31:58.67 ID:Z/7jH1+c.net
>>358
あのスレは電波粘着が居付いてるからほとぼり醒ましのためにしばらく建てないんだろ

367 :名無し三等兵:2014/03/24(月) 19:38:01.02 ID:aKssHgaK.net
ID出るから連鎖あぼーんが効いてよい

368 :軍事板強制ID制式採用選挙4/19-25:2014/03/31(月) 17:00:24.38 ID:6UlnFs+9.net
強制ID制仮導入ノ是非ヲ問フ投票ヲ4.19ヨリ決行セリ!総員参加セヨ!自ラノ意思ヲ示ス戦ヒニ!

【4/19〜4/25までの期間、強制ID表示の是非を問う再投票を行います】

議論中失礼いたします。
皆様お気付きのように3/19に、軍事板では任意ID制から強制ID制への変更が行われました。
今回の導入は飽くまで仮導入のため、実施一ヶ月後に是非を問う投票を行います。

投票当日に向けての議論は現行自治スレにて、自治スレ他で指摘された強制ID制導入
に伴うメリット・デメリットのまとめはまとめウィキにて行っています。

自治スレッド53(ID強制表示本採用投票4/19予定)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1395286401/

軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

これらを参考に、強制IDに賛成の方も反対の方も共に、投票による意思表示をお願いします。

369 :名無し三等兵:2014/04/09(水) 19:17:15.53 ID:/G+2GTyl.net
保守も兼ねて

南北戦争の頃は前装式ライフル銃や甲鉄艦が花形だったと思いますが
戊辰戦争の兵器調達と絡む話はどんなものがあるでしょうか。
私の知っているのは薩長側が調達した「甲鉄」は南軍が発注したものというくらいです。
他にもいろいろありそうなのですが、ご存じの方はおられませんか。

370 :名無し三等兵:2014/04/09(水) 19:33:42.54 ID:dj5Shoyu.net
盛岡藩は潜水艦を買って宮古湾に配置する計画をしていたらしいぞ。
蒸気船を買ったのは、東北諸藩では一番早かった。
箱館の警備もしていて訓練は進んでいた。

潜水艦購入計画は延期されたが、宮古湾は実際に海戦場になった。

371 :名無し三等兵:2014/04/10(木) 19:05:39.24 ID:I2QmVTFT.net
>>370
この頃の潜水艦というと
動力は何を使っていたのだろう?
まさか人力?

372 :名無し三等兵:2014/04/10(木) 20:08:50.97 ID:6mqCvuvr.net
ハンレイみたいなのか?

373 :名無し三等兵:2014/04/11(金) 10:51:58.83 ID:KoyAiBZt.net
桜田門外の変。
当時黒船は日本各地に出没し、沿岸に停泊し薪や食糧を求める事頻繁で、
太平洋岸の水戸藩はそういうことはかなりの頻度でおきていて、藩士はそこに
日本侵略にたいする憂慮があった、とする歴史学者の説がある。

水戸藩委に限らず幕末の我が国沿岸の各藩hでは公式記録に残らないまでも、
そういうことは多々あったろう。 そこでは殺戮などはなく友好的、人道的
な交流があったと思われる。

374 :名無し三等兵:2014/04/11(金) 10:55:21.67 ID:KoyAiBZt.net
戊辰戦争か我が新発田藩は奥羽越列藩同盟を離脱して官軍に寝返った。
 そのことは卑怯かもしれないが領民を戦火から守ったことは、近代国民国家
の意識の芽生えとして特筆されるべきだ。

375 :名無し三等兵:2014/04/11(金) 12:03:26.08 ID:0AYwWJP1.net
秋田藩はボコボコにやられて死にそうだったやんけ

376 :名無し三等兵:2014/04/11(金) 20:04:50.82 ID:Ofo4Vne7.net
寝返りというか、味方を裏切って敵方に奔るタイミングというのは本当に難しい。
もちろん、領民を護るためとか大義が立つのは必要不可欠ではある。
長州戦争、四境戦争においても津和野藩や広島藩等、幕府から寝返るとは
いわないまでも長州藩に好意的中立を保ったことが長州藩の勝利に貢献している。
外国でもそういった例は事欠かない気がするけど
どんなものだろう?

377 :名無し三等兵:2014/04/11(金) 20:21:10.58 ID:rHjkBFJt.net
>>376
30年戦争のザクセン侯とかまさにそれ
いつもいつも最悪のタイミングで寝返りして結果的に新教連合、ハプスブルグ家、他のドイツ諸侯と各方面から
批判された挙句、ウェッジウッド女史にまで侯の優柔不断な態度が30年戦争の長期化を招いた主要因とまで断罪されてる始末

378 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 04:28:26.00 ID:Xu1rZW/l.net
もともと秋田のあたりって日本海交易で関西圏との繋がりが強かったんでしょ。
列藩同盟はお義理で参加した感じで、離脱も想定内だったんじゃね。

379 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:01:55.32 ID:Ufa7NsFP.net
確かに庄内藩等の対応を見ていると
秋田藩の離脱は想定されていた可能性が高いな。
しかし、秋田藩の寝返りが藩内に多大な被害をもたらしたことを考えると
何とも言えない感じが。
薩長側も秋田藩の救援を試みはしたが、援軍も中々送るのに苦労したし。
裏切るのは本当にタイミングが重要だな。

380 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:22:47.35 ID:farovRrV.net
>>371
南部のは人力。ハンレイには最初、今で言う電動機を積もうとあれこれ
試行錯誤をし、金も無駄遣いし、それから蒸気推進にしようとし、
それもうまくいかなくて結局それまでの試作艇同様人力用クランクをとりつけた。

381 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 19:35:36.34 ID:Ufa7NsFP.net
>>380
当時の技術力からすれば人力も仕方ないか。
潜水艦を蒸気推進で動かそうなんて
シュノーケルが実用化されないと無理だろうし。

382 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 22:18:28.80 ID:K3BwrQUn.net
一体何を作ってどうやて太平洋を越えて売りつけるつもりだったのか
そもそもホンマかいなという

383 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 22:54:41.37 ID:fapa8Nd5.net
>>382
武器の輸出の話はトンデモじみた実話がゴロゴロしているからな。
戊辰戦争絡みで結構知られている話としては
薩長側の主力艦の「甲鉄」が元々は南部連合がフランスに発注した軍艦の2隻の内の1隻で
南部連合が崩壊した結果、フランスはデンマークとプロイセンという戦争直前の2国に1隻ずつ売りつけようとしたが
先にデンマークとプロイセンが戦争を始めてしまい、デンマークが敗戦。
戦勝国のプロイセンは何とか1隻を買ってくれたけど、デンマークは購入してくれずじまい。
その結果、フランスは米国に押し売りを掛けて、更に薩長に転売され、「甲鉄」になったという。
説明している私にも何でこうなったのか、よくわからない。

384 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:11:37.29 ID:K3BwrQUn.net
>>383
特に軍艦は完成まで時間かかるからいろいろあるさw

しかしなかなか数寄な船だったのね

385 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:17:25.53 ID:Xu1rZW/l.net
それを言うなら数奇だろ
数寄な船だと茶室かなんか積んでそうな

386 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:17:40.30 ID:7qNuT3/T.net
しかし、当時は先進国も軍艦は海外で作って買ってるところが多かったのを聞くと不思議な気分

387 :名無し三等兵:2014/04/12(土) 23:36:48.21 ID:K3BwrQUn.net
>>385
なるほどと思ったが辞書引いたらどっちでも同じだわ
当て字だそうで

388 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 13:25:47.04 ID:nZcFX7W6.net
甲鉄の話って目茶苦茶複雑やね。
英語版wikipedia、日本語版wikipedia、日本語のwebサイト、それぞれ話が微妙に違うw

389 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 13:40:36.35 ID:LfXnkZBz.net
>>388
伝言ゲームかw

390 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 15:23:26.87 ID:uUauzeoR.net
>381
蒸気を耐圧容器に貯めといて潜航後エンジンを回す考え。
南北戦争後に二ヶ国くらいで実験的にはそれなりに成功した。

>383
「甲鉄」には一応南部側の回航員が乗り組んで出航したろ?
北の軍艦二隻がこれを警戒していたけど
とうてい太刀打ちできなかったから接触はさけていた、
入港前に南部が降伏した、と記憶しているけど違った?

391 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 15:56:44.36 ID:uhM2kNDC.net
積んでおいた、軍艦「甲鉄」始末、が見当たらない・・・

392 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 17:02:51.30 ID:CnUKy367.net
聯合艦隊軍艦銘銘伝だと一応南北戦争に従軍したってなってるな

393 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 19:24:57.55 ID:1xq/k4ok.net
「甲鉄」が日本にたどり着くまでの状況については
私の持っている雑誌「コマンド」8号の記事に載っていたけど
それも微妙に異なるからな。
フランスがデンマークへの売り込みに失敗して、結局、南部連合に売却することに再決定。
しかし、南部連合の主要港が北軍の制圧下にあったためか、一旦、ハバナへ向かうことになり、
ハバナにたどり着いたところで南部連合の降伏の報告を受けたためにスペイン政府が購入。
更にスペインから米国へ、米国から徳川幕府へと転売されて、日本に到着。
後は結構ご存じの経緯を経て、薩長が入手ということになっている。
真実が本当にわからなくなってくるな。

394 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 21:32:45.74 ID:6Xnt53Ox.net
自分も本が見つからないが、数年前の自分のレスを発掘したので参考までに

>ストーンウォールが正しいが、ストーンウォール・ジャクソンと呼ばれることもあったそうだ。
>
>中村彰彦著 軍艦「甲鉄」始末 という本によると、
>このフネは元々南軍向けにスフィンクスという名前でフランスで建造され、
>デンマークに売却されてスコルテーダに、
>再びフランスに戻されてオリンダに、
>回航中に南軍が奪取してストーンウォールに、
>さらに回航途中でキューバに叩き売られ
>続いて北軍のものになり、
>日本に売られて甲鉄に、
>最後に東になったそうな。
>
>延べ8カ国に所属し、7つの名を持つということになります

395 :名無し三等兵:2014/04/13(日) 23:17:29.33 ID:CnUKy367.net
ストーンウォールジャクソンて南北戦争のジャクソンのあだ名じゃねえかw

396 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 00:52:54.71 ID:/pvKT5w9.net
>>394
八つの国を股にかけ、七つの名を持つ男…、って書くと格好良いな。

397 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 15:14:56.65 ID:t25cKs+J.net
てs

398 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 15:16:03.42 ID:t25cKs+J.net
>>397
どんなアバズレだよってかw

399 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 19:56:18.64 ID:ZtsAWtLT.net
>>398
甲鉄の処女だろw

400 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 20:11:47.22 ID:VvUb3W4a.net
船は女性だからな。
でも、甲鉄は処女ではないはず。
ちゃんと敵艦に対して砲撃して、処女は失っている。

401 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 20:48:12.20 ID:vafz2fVt.net
スペインがこらうちのもんだし、売らね、と頑張ったらどうしたろう。

402 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 21:25:43.34 ID:WXANZX7u.net
>>401
米西戦争が史実より30年早く勃発しキューバの歴史が変わったかも

403 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 22:24:18.36 ID:bOWt7OPm.net
スペインにしても旧南部連合の船員に押し売りを掛けられて無理やり買わされたみたいだし、
アメリカに買い取ってくれ、と半分泣きついた感じだから、
その流れはないと思うな。
それよりも戦争勃発が遅れてデンマークが無事に買い取っていた場合が気になる。
姉妹艦同士が撃ちあうという悲喜劇が起きていたかも。
姉妹艦同士が撃ちあうことなんて滅多にないことだと思うから。

404 :名無し三等兵:2014/04/14(月) 22:33:34.31 ID:xYbfQXJq.net
筑紫は黄海海戦に出てないもんな。

405 :名無し三等兵:2014/04/15(火) 08:19:45.94 ID:xWPh4iw2.net
>>400
ドイツ戦艦「ビスマルク」は男みたいだけどな

406 :名無し三等兵:2014/04/15(火) 11:32:02.64 ID:DTuN7KlX.net
>>405
単なる総統の戯言
今現在も、原語では定冠詞「Die」付きで呼ばれてる(女性1格)

407 :名無し三等兵:2014/04/15(火) 19:58:17.72 ID:pIT4Ry0D.net
>>395
ストーンウォールジャクソンか。
南北戦争で綺羅星のごとく輝く将帥の中で
南軍の中ではリー将軍とともに人気のある将軍だな。
ジャクソンは軍団長としては有能だけど全軍の将帥という立場では
それほどでもないという評価を読んだけど
本当のところはどうなのだろう?
北軍のバーンサイド将軍と同様なのだろうか?

408 :軍事板強制ID制式採用選挙4/19-25:2014/04/19(土) 03:10:46.45 ID:oDJ31SLQ.net
4/19〜4/25までは、軍事板強制ID表示の制式採用の可否を問う選挙期間です。

投票所はコチラ。
軍事板強制ID制式採用投票スレッド
http://nozomi.2ch.net/test/read.cgi/vote/1397822163/l50

議論スレはコチラ。
自治スレッド54(ID強制表示本採用投票4/19-25)
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1396337551/

議論まとめや参考データはコチラ。
軍事板強制ID制メリット・デメリットまとめWIKI
http://idtroops.wiki.fc2.com/

皆様からの投票、お待ちしています。

409 :名無し三等兵:2014/04/26(土) 21:06:43.53 ID:57oPLcMi.net
甲鉄と開陽は当時の東アジアにおいてどれくらいの有力艦だったのでしょうか。
昔、読んだ歴史雑誌で仮に甲鉄までも幕府海軍が手に入れて榎本が率いていたとしても
薩長側はすぐに甲鉄と開陽をしのぐ軍艦を調達して五稜郭を攻略できたという記事を読んだ覚えがあるのですが
ネット情報では甲鉄や開陽は東アジアのみならず当時の世界では有数の軍艦だったという話まで出て来るもので。
本当のところ、史実の流れが異なった場合、薩長側は甲鉄や開陽をしのぐ軍艦をすぐに購入できたのでしょうか?

410 :名無し三等兵:2014/04/29(火) 15:20:11.49 ID:ePWXbdIM.net
新政府軍に金がない、というのは置いておくとして。

>>フリーゲート艦
開陽を事例にすると建造から引き渡しまで3年かかってるので新造は間に合わず。
各国の極東艦隊およびアメリカ本土から就役済みの艦艇を購入する場合は
戦列艦は別として開陽と同規模のフリーゲート艦が主力になってるので
比較的新しい艦艇の購入は相手側の好意がないと難しいかと。
5〜10年で解体メンテが必要になる時代なんで中古はかなり型落ちします。

>>甲鉄
同型艦はプロシア海軍行きなんで購入不可
北軍の建造した帆機走の装甲艦はボロボロなので不可
砲塔装甲艦(モニター)は余っている状態で甲鉄購入時に勧められたりしてる。
ただ装甲艦にしては舷側の高い、甲鉄でも回航に1年かかってるので購入しても
到着に時間がかかるのでの五稜郭戦には間に合わないかと。

411 :名無し三等兵:2014/04/30(水) 19:23:18.00 ID:1ECK4cDX.net
>>410
新政府軍は金がないはずですよね。
私の覚えている雑誌記事だと「甲鉄」の購入がすぐ現場で即決できたことや
戊辰戦争中に旧幕府軍を兵站面で圧倒できたことを傍証として
新政府軍がお金に困っていたことは全くないといっていました。

後19世紀では軍艦は建造費より高い金額を示せばすぐに売買契約が成立する
(一例としてジュゼッペ・ガルバルディ級二等戦艦はアルゼンチンやスペインに次々と
売却され最初発注してから8年後にようやくイタリアは4代目として取得した)ものなので
買おうと思えば新政府軍はすぐに買えたというので当時の軍艦はそういうものかと思えました。
やっぱり甲鉄や開陽クラスの軍艦はそうそう買えるものではないのですね。

412 :名無し三等兵:2014/04/30(水) 20:27:17.53 ID:PU6BOct/.net
NF文庫の新刊に「巨砲艦」ってのが出てて、この本が甲鉄に一章を割いてるが、
排水量1358t砲、3門、9ktの装甲艦は当時としてはあんまり有力な船には見えんなあ。
他国のお下がりで良ければ、もっとほかの船を手に入れられたんじゃないだろうか。

413 :名無し三等兵:2014/05/01(木) 13:07:30.10 ID:el0waeFQ.net
甲鉄と同じ時期の装甲艦
フランス
ラ・グロワール級 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AB
マジェンタ級装甲艦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%82%BF%E7%B4%9A%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6
ちょっと遅いがオセアン級 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%BB%E3%82%A2%E3%83%B3%E7%B4%9A%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6

414 :名無し三等兵:2014/05/01(木) 13:15:47.79 ID:el0waeFQ.net
英国
オーシャン http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%B3_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6)
ウォーリア http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2_(%E8%A3%85%E7%94%B2%E8%89%A6)

415 :名無し三等兵:2014/05/01(木) 19:39:53.87 ID:NAPIjmEx.net
英仏の主力艦を見る限り
甲鉄はどう見てもしょぼい軍艦にしか思えないけど。
新政府軍なら甲鉄クラスはすぐに買えるように思える。

416 :名無し三等兵:2014/05/02(金) 23:37:58.28 ID:W7Xi7cle.net
>>415
 いやいやいや、官軍の貧乏さを見くびってもらっては困る。
 それに、甲鉄艦クラスでも、世界の裏側から回航する費用つけたら相当の金だろ。

417 :名無し三等兵:2014/05/03(土) 00:49:36.46 ID:e9rmxcnv.net
>>416
回航中にどんどんポンコツになっていくというw

418 :名無し三等兵:2014/05/03(土) 07:55:02.61 ID:21Rh+BrY.net
甲鉄の購入費用は40万ドル。日本までの回航費用が別途10万ドル。

419 :名無し三等兵:2014/05/03(土) 11:12:02.32 ID:9RG4Naoz.net
そりゃあ国産しなきゃってなるわなあ

420 :名無し三等兵:2014/05/03(土) 19:13:13.33 ID:bvSo9tAu.net
ちなみに甲鉄がスペインから米国に買い取られた際の費用は1万6000ドル
いかに日本が足元を見られて米国から高い買い物をさせられたか分かる。
回航費用は別としても25倍になっているのだから。

421 :名無し三等兵:2014/05/04(日) 17:57:09.08 ID:+xiHRRat.net
甲鉄を米国が買ったときの価格って、南軍がフランスから同艦をハイジャックして、武装を搭載するために
キューバのハバナに入った後、北軍の監視が厳しくて出航できず、船員に給料を払うために艦長がキューバ当局に
捨て値で売却したときの価格で、それを戦後に統一した合衆国が買い戻したって時の価格だから、
艦の価格とは言い難いと思うぞ。

422 :名無し三等兵:2014/05/04(日) 21:04:54.07 ID:FMmrXD7z.net
>>421
甲鉄はコマンドマガジンの記事を読む限り
フランスから出航する際に武装は完全に搭載済みだったみたいだけど
コマンドマガジンの記事が間違っているのでしょうか。

423 :名無し三等兵:2014/05/05(月) 20:29:44.55 ID:ctrn29Ex.net
「巨砲艦」の記述によると、甲鉄は同型艦が二隻建造され、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン戦争で
争っていたプロイセンとデンマークにそれぞれ一隻づつ、フランスの中立の意思を見せるために非武装状態で
引き渡されるところだったとか。プロイセンは購入して自国で武装を搭載し、
戦争に負けて不要になったデンマークは引き取りを拒否したとか。
これが南軍にハイジャックされ、後に甲鉄となる。

424 :名無し三等兵:2014/05/07(水) 20:04:25.67 ID:q5n0sELT.net
>>423
その記述には少し疑問が。
何故、甲鉄は日本に引き渡された際に英国製のアームストロング砲を積んでいたのか?
アームストロング砲は司馬氏の著作等で誤解されているが実際には英国でも欠陥砲扱いされた代物で
英国以外ではほとんど採用されていない。
甲鉄もその後、米国製のバロット砲にわざわざ換装している。
もし、フランス出航時に非武装だったのならアームストロング砲を英国から輸入してまで搭載するとは思えないのだけど。

425 :名無し三等兵:2014/05/07(水) 20:21:15.50 ID:84fsS3Bg.net
南軍の工作員は後の甲鉄、この時点での艦名オリンダを奪取した後スペインに向かい、同地でブローカーから入手した
アームストロング28cm(300ポンド)前装滑腔砲と12.7cm(70ポンド)ライフル砲を搭載している。
武装が日本到着後に換装されたのはご存知の通り。

426 :名無し三等兵:2014/05/08(木) 19:00:43.75 ID:bXT/y/bF.net
>>425
詳細な説明ありがとうございます。
何となく裏がありそうな気がするのは考えすぎでしょうか。
70ポンド砲はともかく300ポンド砲ともなるとそう簡単には軍艦には搭載できません。
予めフランスの造船所と南軍の工作員との間では談合済みでシージャックされたことにして
スペインの港で大砲を搭載できるように話をつけていたような気がします。
陰謀論が好きなせいかもしれませんがデンマークとプロイセン双方に軍艦を売りつけるような
造船所ですからそれくらいしかねない気がするのです。

427 :名無し三等兵:2014/05/08(木) 20:14:35.02 ID:BvNzGSEV.net
うん、行先の無い軍艦の処分に困ってただろうし、シージャックは南部連合とフランスの共謀が疑われてる。
ちなみに甲鉄もプロイセン軍の同型艦も、浅喫水で沿岸作戦用に設計されたこのタイプの船、
両国ともあんまり使い勝手はよくなかったそうだ。

428 :名無し三等兵:2014/05/09(金) 19:30:16.50 ID:/Jf3BBCI.net
確かに甲鉄のスペックを見ると沿岸防衛用の軍艦なのは間違いなさそう。
開陽はその点については外洋での戦闘も考慮して建造されたみたいで
甲鉄と開陽を比較すると沿岸防衛重視の軍艦と外洋戦闘重視の軍艦の対比のようで興味深いな。

429 :名無し三等兵:2014/05/30(金) 20:06:52.24 ID:ZBQddbT/.net
散兵戦術ってあるけど散兵線ってのはどれくらいの密集具合だったんだろうか(普墺〜日露あたり?)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/LJB9_-_Zimmer.jpg
画像は普仏戦争の絵画だけどこれだと戦列歩兵と変わらないように見えるけど・・・

430 :名無し三等兵:2014/05/31(土) 14:12:37.32 ID:dByv+7PN.net
>>429
その時代の歩兵は戦列歩兵と大差無いかと。
歩兵の兵科分けも、戦列歩兵、軽歩兵(徒歩猟兵、ライフル銃兵)のままで、隊形も横隊+散兵が未だに主流だったみたい。

散兵戦術と言っても全ての歩兵が散兵として戦う訳では無いし。
散兵の比率がナポレオン戦争の頃に比べて増えた程度?

ナポレオン戦争でのイギリス軍大隊(10個中隊、約660名)
2列横隊の9個中隊(幅495フィート/150.9メートル)の前面に散兵1個中隊(66名)が展開。

南北戦争での大隊(10個中隊、約500名)
2列横隊の8個中隊(幅132ヤード/120.7メートル)の前面に散兵2個中隊(約100名)が展開。
各中隊の10ー20%を散兵に充てる方法も。

※英米軍ともに定数では無く、前線での平均的な兵力

431 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 00:33:35.37 ID:F2R0otWF.net
それって大隊ではなくて連隊では…?

少なくとも南北戦争では10個中隊1000名で連隊
(定員割れが常態化してて大抵500名程度)を編成してたんですが…

432 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 01:10:50.76 ID:0GzpIs/W.net
10個中隊で1000名つうことは1個中隊100名か
なんだか周時代の軍制みたいだね

433 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 08:17:18.55 ID:rWlkX8ef.net
>>431
説明不足ですみませんでした。
散兵の密集具合の話でしたので、はしょってしまい・・・

戦前の規定(1855年?)では、兵力に応じて連隊を複数の大隊に分割する様に指示されていましたが・・・
開戦後には一部の合衆国正規連隊(連隊名にU.S.が付く)で、
1個連隊=2ー3個大隊(多くは2個)
1個大隊=8個中隊
の編成が行われていただけの様です。

主力である州義勇兵(連隊名に州名が付く)では、
1個連隊=1個大隊=10個中隊
の編成が行われていました。
この場合の大隊は、戦闘隊形に移行した連隊の別称くらいの意味な様ですが、一つの規模の部隊を状況に応じて異なった単位名で呼ぶ事は別の時代や国でも有りました。

434 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 17:26:00.73 ID:iiXK+L1D.net
ぶっちゃけ第一次大戦初期くらいまで一列横隊組んで敵陣までノッシノッシと歩いてたよね
んで機関銃陣地の十字砲火喰らって死体の山

435 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 18:34:41.67 ID:fWLn0GZS.net
映画「トレンチ」のイギリス軍がまさにそんな感じだったな。

436 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 18:43:17.91 ID:Z3iIHJy6.net
重装歩兵や槍兵の時代じゃあるまいし、
野戦で銃兵に横隊を組ませる意味ってあまりないんだよね。
傭兵や騙されて兵隊になった連中ならそうしないと
逃げたり死んだふりしたりする可能性高いから仕方ないけど。

437 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 21:17:14.32 ID:5AU7nX2r.net
横隊だと敵の攻撃を分散できるので有利なのかな。
まあ結局機関銃による側防射撃には無力だが。

438 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 21:20:05.10 ID:g5qFAWml.net
銃砲撃横一列で怖くない

まあなぎ倒されちゃ意味ないんだけど

439 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 22:03:06.42 ID:rWlkX8ef.net
小銃の火力が弱かったから固まって射つしかなかったのかと。
あそこまで密集しなくともって気もするけれど、散兵や散開気味の横隊だと白兵戦で不利になるし・・・

ライフルの比率の増えた南北戦争でさえ射撃戦の距離は平均で150ヤード以下。
相手がその気なら、突撃時の歩調
ダブルクイックステップ:1歩が33インチ、1分間に165歩
で1分掛かるか掛からないで白兵戦間合いまで進出して来る。
その間に密集隊形に移行するか(隊形変換時は射撃が出来ないけど)、阻止射撃に専念するか(各自2ー3発は射てる)。

防御側有利と言われていた戦争だから、散開隊形と言えども阻止射撃に専念するのが正解だったらしい。
逆に言うと白兵戦間合いまで行ければ攻撃側にも勝機が。
その為に考え出したのが歩調を1分間に180歩以上に上げるってのも凄い話だけど。

440 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 22:29:26.89 ID:g5qFAWml.net
つかボウガンが忌避されたのと同様に
狙撃も嫌われたらしいから
それがヨーロッパの密集偏重から後の横隊戦術につながってるような気がしないでもない

441 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 23:09:28.12 ID:YqHEiyXx.net
馬が突っ込んでくると散兵じゃどうしようもないからだろ。

442 :名無し三等兵:2014/06/02(月) 23:59:57.54 ID:AJPm6DmF.net
人が突っ込んできてもどうにもならん
別に殺されなくても散開してる隙間に敵がなだれ込んだらもう統制とか不可能だし
通信機でもあればいいが

443 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 02:15:55.97 ID:kbZAGoPc.net
その前に指揮官が撃たれるから統制できなくて前進できないよ

444 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 08:04:06.34 ID:m9FtOZMK.net
>>443
中世や古代なら部隊指揮官の死傷で攻撃が頓挫したかもしれないけれど、
このスレの時代なら次席指揮官が引き継いで続行かも。
ナポレオン戦争でさえ、そうだったからなぁ

445 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 09:36:32.54 ID:t4F19SfK.net
このころの銃剣突撃を指揮するのは将校と決まっていたから、
小隊以下には分割できない。下士官は銃剣突撃を指揮する教育を全く受けていない。
下士官の任務は兵隊の逃亡防止。

だから最低でも50人、100人ごとの銃剣突撃になる。
下士官が銃剣突撃指揮できるようになるのはヴェルダン戦以後のフランス軍から。

446 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 09:48:17.04 ID:t4F19SfK.net
小銃の有効射程距離までは縦列で前進し、有効射程距離あたりで横一列に並び点
野砲・小銃の一斉射撃で制圧し、敵の銃列が崩れた隙に銃剣突撃し、よってたかって敵兵を串刺しにする。

しかし第一次大戦ではそこを陰に隠れた重機関銃で薙ぎ倒される。

447 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 19:14:41.95 ID:Bmizg05k.net
戊辰戦争では散兵戦術が進んでいたのではなく、射撃が下手だったせいなのか。
五稜郭の戦いで伝習隊が16時間に及ぶ射撃(3万5000発も消費した)を浴びせたにも関わらず
新政府軍の兵士400名のうち死者は2名、負傷者は21名だったとか。
1人当たり90発近い射撃を行っているにも関わらず。
最も新政府軍側の方がもっと酷く伝習隊200名のうち死者1名、負傷者2名の戦果しか挙げられずじまい。
ちなみに新政府軍側は後装式に改造済みのスナイドル銃を装備していたらしい。
戊辰戦争では射撃はこれほど当たらないのか、と印象に残っている。

448 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 19:31:59.89 ID:1KtzmKYW.net
お互いに損害きらって撃ち合ってたらそんなもんじゃね
射撃の腕と以前に遠かったら当たらんだろう
大砲があれば打開できそうな気もするけど

つか南北戦争の少し後とは思えんなw

449 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 20:42:17.51 ID:N/0UwmJ+.net
>>447
もしかして、4月13日から14日に掛けての二股口の戦い?
両軍共に当てる事には、あまり拘っていなかったみたいですよ。

新政府軍の状況は、台場山に作られた旧幕府軍の胸壁陣地を下から見上げながらの射撃。
その上、間断無く射ち掛けていれば銃声に臆して逃げ出すだろう、と考えていてマトモに狙って無かったと。

射ち下ろす旧幕府軍も胸壁越しに射っては隠れで、やはりマトモに狙って無かった様子。
後の回想(麦叢録)に「乱放(乱発)」と書かれている程。
もっとも、正面に注意を引き付けている間に側面に回り込 せた別動隊で新政府軍を後退せているから、やる気は充分だったかと。
指揮官が土方だしw
(兵力、質共に劣っているので正面からの力業では勝てないと言っていたとの回想も)

両軍共、そんな感じな上に間には熊笹が繁っていて・・・

450 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:06:35.41 ID:Ur0qcPo7.net
それから10年も経たない西南戦争では、田原坂の半月で官軍の戦死者2000人。
3月20日なんてその日だけで戦死者495人。

451 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:36:01.85 ID:DjcNb7oV.net
この時代の戦闘での戦傷者の内訳
ミニエーシステム以降は砲弾よりも銃弾で倒れた兵士の方が多いのだろうか

452 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 21:41:47.69 ID:PRGgsHGu.net
つっても田原坂では一日平均32万発も撃ったそうだぞ
政府軍の数字だから薩摩側ははるかに少なかっただろうけど

453 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 22:13:39.40 ID:bzu9VNBa.net
戊辰戦争は、戦術がどうのというより素人同士の大喧嘩っていうイメージだな。
1000人規模の大部隊でも数人の死傷者で敗走したり、そうかと思えば同じような
規模の部隊でも2〜3割死傷者が出るまで戦ったり、大した損害も出てないのに
負けた気になって自刃してしまったり…。

454 :名無し三等兵:2014/06/03(火) 22:18:15.44 ID:55hVHp4U.net
>>450
>戦死者495人
死傷者436人、行方不明者59人だったかと。
二股口の様に正面からの直接戦闘を避けた戦闘とは違い、迂回路でさえ激戦になった戦闘での損害は半端無いですね。

>>451
北九州に作られた軍病院の記録「征西戦記稿付録 軍団病院日記抄」には、

三月十四日 田原吉次ヨリ高瀬ニ至ル傷者二百六十余名 刀創最モ多シ

と有ります。
刀傷が一番多いなんて日本の特徴、てか田原坂戦だけの特徴かもしれませんが。

455 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 07:15:39.41 ID:d1oLqBT4.net
維新後間もない時期に村田勇右衛門どんが薩摩の二才どんらに実戦的な射撃訓練を施しちゃったからな

456 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 10:45:57.92 ID:iHn7EV8K.net
村田と言えば、東郷隆の「狙ろうて候」読んだ人はいる?
「大砲松」が面白かったので気になるけど、実店舗や図書館で見掛けないから・・・

457 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 11:14:49.28 ID:d1oLqBT4.net
>>456
面白いよ、東郷隆の最高傑作という声もチラホラ

458 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 16:48:48.56 ID:Lv5vH3H5.net
>>456
松が面白いなら素直におすすめ
実業日本社文庫版なら入手容易かと
マイナーレーベルで在庫処分されでもしたのか、ブコフで東郷作品で一番見かけるタイトルかもw
幕末ネタで長編作品だと、九重の雲とか学研M文庫で全く同じ主張してる本があって、アチャーと苦笑いさせられたりw

発明家っつうより優秀な野戦指揮官に見えてきて、人生間違えたようにも思えてくるがw
ついでに比較用に兵頭二十八のイッテイなんて読み比べてみると、同じ人物の人生ネタにしてその出来の格差にもう笑うしかない

459 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 20:28:30.97 ID:/iCclZcP.net
>>451
南北戦争における北軍の医療調査記録によると
砲撃による死傷者は全体の戦闘による死傷者の8パーセントに過ぎなかったとか。
ただ榴散弾による死傷者なのか銃弾による死傷者なのか区別せずに
全て銃弾による死傷者にしているに過ぎないという批判もあるようなので参考までに。

460 :名無し三等兵:2014/06/04(水) 21:00:06.45 ID:GCQL6KjD.net
>>457
>>458
有り難う御座いました。
小説はスレ違いと言われるかとドキドキでしたが、質問して良かったです。
他の戊辰物と銃物もこの機会に探してみますね。

村田関係ですと、本人に直接取材した「村田銃発明談」がGooglebooksに上がってますね。
手書き原稿を複写した物ですが・・・
ヨーロッパ視察で終わっていますが、以前読んだ活字版はもっと長かった気も?

461 :名無し三等兵:2014/06/11(水) 22:54:24.53 ID:JWEHMArX.net
BSで放映してた映画「王になろうとした男」観たけど面白かった。
キプリングの小説を映画化したものだけど、wikiみると19世紀末の色々な出来事をモデルにしてるんだね。

462 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 11:46:09.95 ID:FOSi0CeK.net
19世紀末期の軍事関連の映画って少ないよね。
ショーン・コネリー主演のモロッコを巡る列強の争奪戦を舞台にした「風とライオン」って映画見たけど面白かった。
最後ドイツ軍が悪役になってしまうのは王道なのか・・・w

463 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 20:53:02.90 ID:K0jD8cQq.net
まあどうしても20世紀の大戦争を経た後だと19世紀後半は渋めの内容になっちゃうのと、帝国主義という欧州にとっては
あまり触れたくないwものを描かなくちゃならないので少なくなっちゃうかな。

それでも大英帝国植民地もの(ズールー戦争等)やアメリカ南北戦争ものがあるんだから、普仏戦争とかあってもいいと思
う。僕の知らないだけかな。

464 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:00:51.86 ID:LgFTp5JY.net
20世紀初頭まで範囲に入れて良いのなら、フォート・サガンがお薦め。
前半はモロッコ、後半はWW1の西部戦線。
フランス軍服オタには目の保養。

465 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:38:10.93 ID:VpawB5sR.net
19世紀末期だと!
なら1900年舞台の北京の55(ry

466 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 21:45:12.92 ID:FA9khWIK.net
フランス軍の軍服?赤いズボンのやつしか認めんぞ・・・!

イタリア独立戦争〜普仏戦争頃の戦闘描写がある映画ってたしかにないね。
ツべでいろいろと探してるけどなあ・・・

467 :名無し三等兵:2014/06/15(日) 22:08:41.32 ID:9LsC/htl.net
>>466
>フランス軍の軍服?赤いズボンのやつしか認めんぞ・・・!

それこそフォート・サガンの世界。
主人公はフランス人将校としてシパーヒを指揮しているから、アラブ系民族服風の軍服の群が見られるよw

468 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 11:10:00.68 ID:DF0s/HLm.net
普仏戦争関連の映画という質問で
ヤフーの質問にあって、回答が「ナチスに挑んだ女」
だった。ビスマルク関連の映画にもないのかな〜
日本でも日清戦争や台湾出兵辺りの映画は少ない。

469 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:28:06.15 ID:dOjArwAM.net
本当に何で日清戦争を舞台にした映画が少ないのかな。
近代日本が最初に行った対外戦争ということで注目度もありそうなのに。

欧州関連に話を戻すけど1871年に終結した普仏戦争以降は
いわゆる列強同士の本格的な戦争は第一次世界大戦まで無かったから
必然的に1872年から1913年までを舞台にした戦争映画は少なくても仕方ないと思う。

470 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:31:46.83 ID:OwCpYcZC.net
ボ、ボーア戦争とかあるし

471 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:50:06.27 ID:dOjArwAM.net
それを言い出したら米西戦争とか、義和団の乱とか
アフガン戦争、第一次エチオピア戦争とかもありますね。
ボーア戦争の当事国オレンジ自由国やトランスヴァール共和国を列強と呼ぶのはちょっとためらわれます。

472 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 19:51:04.92 ID:i2cY4AdY.net
ズールー戦争なんて3本も映画があるよ!

「ズール戦争」「ズールー戦争・野望の大陸」「ズールー大戦争」とタイトル被りまくってるけど

473 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 21:36:51.70 ID:NDxziAPR.net
黒光りするピッケルハウベをかぶり紺色の軍服を着てドライゼ銃を構えるドイツ兵の戦列と、
赤ズボンでシャスポー銃を長距離から射撃する赤ズボンの仏兵を映像でみてみたい

474 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 21:55:05.52 ID:8n1jbYhK.net
一八九四甲午大海戦は燃える映画だぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=7EzObwXVsgU
特撮も力作だ。予告より本編の方がいいような気がした。

475 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 22:01:00.38 ID:8n1jbYhK.net
マフディーの乱なんか6回も映画化されてるそうだ。
http://www.youtube.com/watch?v=Z58VID4Qjf0
2002年版。映画としては糞だったが、このシーンだけはよい。

476 :名無し三等兵:2014/06/16(月) 22:05:11.67 ID:1HfRxhHZ.net
「戦争と冒険」だったか、若き日のチャーチルの伝記映画がありましたね、
クライマックスはボーア戦争でチャーチルが捕虜になった後、脱走するシーン。

477 :名無し三等兵:2014/07/03(木) 18:04:26.39 ID:XL0dXpfm.net
ピケットチャージ

478 :名無し三等兵:2014/07/03(木) 20:29:06.27 ID:HGFk4i4L.net
ピケットチャージか

南北戦争の南軍の頂点ともいえる突撃だな。
ロングストリートの代わりにジャクソンが率いていれば、
栄光が得られていたのか、もっと悲惨な結果になっていたのか
気になって仕方ない。

479 :名無し三等兵:2014/07/03(木) 20:58:29.71 ID:7j0yd6PE.net
ジャクソンなら初日にセメタリー・リッジを占領させていた、あるいは自ら占領していたと思う。
で、会戦の流は全く別の物に成っていたかと。

480 :名無し三等兵:2014/07/04(金) 18:50:49.52 ID:VHM6lifR.net
スレチかもしれんがビスマルク時代の映画見つけてきた
派手な戦闘シーンはないけど軍装見てるだけで満足だ
https://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=qyIGZ9355tg#t=5601

481 :名無し三等兵:2014/07/04(金) 20:30:09.39 ID:XZV0tEnK.net
ビスマルク時代もこのスレの時代だな。
産業革命により染色技術が格段の進歩を遂げたのもこの時代。
おかげで軍服の色もキレイになった。
フランス陸軍だったか、軍服の色を視認性の低い色に変えることは
軍隊精神に反すると主張したのは。
キレイな軍服でこそ兵士は勇敢に戦うとか、幾ら何でもと思ってしまう。

482 :名無し三等兵:2014/07/04(金) 20:42:32.83 ID:inGxwpDU.net
心理的な効果はある程度)あったんじゃないか?
先史時代から戦士はきらびやかに飾って自らを強い存在だと暗示することはあったわけだし

483 :名無し三等兵:2014/07/05(土) 08:54:11.64 ID:huzGnwbM.net
>>481
20世紀初頭、WW1までのフランス軍の軍服改訂は迷走しましたからね。
各種のトライアルを重ねた結果
「今までので行く!」
ですからw
1911年には先進的なグレイ・グリーンの物までデザインしていたと言うのに・・・
軍上層部に、この軍服を採用するだけの先見の明と度量が有れば、WW1の流は変わっていただろうとさえ言われる始末。

軍服改訂の各種トライアルは、ここが上手くまとまっているかと。
http://rosalielebel75.franceserv.com/reforme-uniforme.html

484 :名無し三等兵:2014/07/05(土) 13:21:45.92 ID:pBujBZ4c.net
>>480
ケーニヒスグレーツの戦いだね

485 :名無し三等兵:2014/07/06(日) 19:22:43.39 ID:fg+V25dX.net
普墺戦争か。
オーストリアの改革が順調に進んでいて
普墺戦争でオーストリアが勝利していたら(単純な国力差からいえばそうなってもおかしくなかった)、
歴史はどのように変わっていただろうか?

486 :名無し三等兵:2014/07/07(月) 00:02:59.79 ID:Q+s9JsNB.net
改革の進展は民族主義への理解につながる。
小ドイツ解決を否定した上で、ハプスブルク帝国が民族ごとの連邦制をとることになったら、
相対的にプロイセンに対抗できなくなるのではないだろうか。
バルカンでロシアに対抗しなければならない情勢でプロイセンへの従属を強いられ、
結果として大ドイツ解決のような形でドイツ統一・ハプスブルク連邦の解体が起きるかもしれない。
その場合帝冠の行方はどうなるのだろうか。

487 :名無し三等兵:2014/07/07(月) 01:22:12.59 ID:ZyiJSVMo.net
>>483
1911年の部分
ヘルメットがかっこいいね
しかし胸甲?騎兵は胸甲つけたままなのか・・・w

488 :名無し三等兵:2014/07/07(月) 07:08:06.63 ID:H+XtKP85.net
>>487
フランス軍の騎兵はWWTまで胸甲をつけていた部隊があったはず。

489 :名無し三等兵:2014/07/07(月) 21:09:04.98 ID:Q1KjnAr+.net
>>487
徒歩兵科のヘルメット(カスク)型制帽は普墺戦争や普仏戦争でプロシアが勝利して以来、シャコーやケピに代わり各国で流行していたそうです。
(ピッケルハウベに似た物からイギリスの海外派遣軍用に似た物まで各種)
流石にフランスではピッケルの代わりにクレスト(鶏冠みたいな部分)を付けていますが、よりにもよってフランスが採用するのは如何かと思いますが・・・

WW1緒戦でのフランス軍胸甲騎兵の軍装は19世紀末と殆ど同じで胸甲も着用していました。

20世紀初頭撮影
ttp://img507.imageshack.us/img507/5434/cuicxd3.jpg

1914年
ttp://img831.imageshack.us/img831/4641/cufrmarne14.jpg

1914年8月、パリ市内を通り前線へ向かう胸甲騎兵
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9f/French_heavy_cavalry_Paris_August_1914.jpg

ドイツ兵捕虜を護送する胸甲騎兵
ttp://historyfan.tumblr.com/image/3385649804

1914年9月、幾つかの胸甲騎兵連隊は馬から降り、徒歩胸甲騎兵(Cuirassiers a Pied)として運用され始めました。
胸甲は着用しませんでしたが、ヘルメットはクレストを外して着用しました。
ttp://www.ami1rc.org/images/1900-1918/1a15.jpg

490 :名無し三等兵:2014/07/23(水) 19:38:31.45 ID:8uvwPWEv.net
日清戦争といえば書店で
大谷正氏の「日清戦争」が中公新書から発売されているのを見かけて購入。
これからゆっくり読んでいこう。
結構、日清戦争関係に詳しそうなので楽しみ。

491 :名無し三等兵:2014/07/24(木) 01:00:22.21 ID:7l8clqI3.net
南北戦争150年だそうで米では催し物が続いてるとか新聞に書いてあった

492 :名無し三等兵:2014/07/27(日) 09:23:44.72 ID:qVgiuK9d.net
>>491
と言っても、150周年のメインは昨年とか一昨年だな。

493 :名無し三等兵:2014/07/27(日) 19:08:52.51 ID:3ud14u01.net
南北戦争だと前装式ライフル銃が全盛期で
後半(1864年以降)だと後装式ライフル銃が北軍で主装備化するんだったっけ?
あたかも西南戦争における政府軍と西郷軍の装備の差異を彷彿させるな。

494 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 05:12:43.44 ID:sTQEOckL.net
>>493
構図としては普墺戦争が原型モデル?

495 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 07:40:07.82 ID:+ZASYqAG.net
>>493
さすがに北軍と言えども後装式は一部の部隊や兵科向けだった様です。

後装単発のシャープス
ライフルは約9,000
カービンは約 50,000

後装連発式のスペンサー
ライフルは約12,000
カービンは約110,000

後装連発式のヘンリー・ライフルは約1,700

後装単発式のバーンサイド・カービンは約55,000

後装単発式のスミス・カービンは約30,000

騎兵のカービンに付いては後装化が進んでいた様で、しばしば完全後装化の連隊や旅団が戦史に登場します。
歩兵のライフルに付いては後装化は進んでおらず、ましてや完全後装化に付いてはベルダンズ・シャープシュターズの様な極一部の精鋭連隊に限られていたと。

南軍側が用意出来た後装単発銃は各種合わせても10,000以下と言われていて、約4,000とする資料も。
後装連発式に至っては皆無とのことです。

496 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 14:49:52.75 ID:DCcg71mQ.net
合衆国陸軍が装備した、後装式銃ってトラップドア式の
スプリングフィールド銃じゃなかった?確か1873年式
1860年代後半の欧州強国での後装銃配備具合って
大英帝国がスナイドル銃、プロシアがドライゼ銃、フランスが
シャスポー銃とタバティエール銃、ロシアはクルンカ銃?
オーストリアは?

497 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 20:04:04.03 ID:Bxsag5BQ.net
http://en.wikipedia.org/wiki/Weapons_of_the_Austro-Hungarian_Empire
わ・・・Wanzl Rifle?

498 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 20:47:13.51 ID:+ZASYqAG.net
>>496
スプリングフィールドのトラップドアは一番古いM1865(前装式からの改造)でも、登場時期は南北戦争終了後ですね。
南軍戦争中は前装後装に関わらず、雑多な種類のショルダーアームが使われていました。

北軍のショルダーアームは、24種類の前装銃、27種類の後装銃、そして25種類のカートリッジ・・・
結果、両軍の多くの連隊は複数の種類のショルダーアームで武装する事に。
その場合でも、エンフィールド(.577カートリッジ)とスプリングフィールド(.58カートリッジ)の様に、せめてカートリッジが共用出来る組み合わせで支給する努力がされていたと。
ゲティスバーグに参加した北軍歩兵242個連隊の内、170個連隊がこの2種類の組み合わせで編制されていたそうです。

499 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:39:15.67 ID:MszWv/2i.net
補給担当の将校が発狂しそうなレベルのショルダーアームの種類ですね。
太平洋戦争の日本軍の小銃が2種類しかないのに叩かれていることを思うと
なおさらショルダーアームの種類の多さにびっくりします。
ところでクルンカ銃と言うのを初めて見ましたが、ロシアで大量に採用された銃なのでしょうか。

500 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:47:18.11 ID:yrxyVzCr.net
ドゾーつ http://www.militaryrifles.com/Russia/Krnka.htm

501 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:47:23.98 ID:R2SHRfRZ.net
センターファイアカートリッジが実用化するまでは、なんだかんだいっても歩兵の主力ライフルはミニエータイプだったんだろうね。
でもスペンサー銃のリムファイアカートも意外と強力で、350grの弾丸を初速370m/sで撃ち出すんだから.44マグナムに近いよね。

502 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:49:12.34 ID:yrxyVzCr.net
1867年の露土戦争では大半の兵がクルンカだった、と書いてありますね。
http://www.militaryrifles.com/turkey/Plevna/ThePlevnaDelay.html

503 :名無し三等兵:2014/07/28(月) 21:50:04.58 ID:yrxyVzCr.net
×1867
○1877

504 :名無し三等兵:2014/07/29(火) 07:48:48.34 ID:0ZOPxZ3U.net
>>502
ライフル旅団は別の後装銃、ベルダンライフルを使用していたのですね。
南北戦争でシャープシューターズを率いたベルダン准将が設計に関わった後装銃なので、ライフルマン向けだったのでしょうか?
小口径で命中率が良かった分、威力は弱かったらしいですが・・・
日露戦争の鹵獲品が日本国内で猟銃として流通していた経緯も有るので、実用上の問題は無かったのかも知れませんが。

505 :名無し三等兵:2014/07/31(木) 19:42:40.38 ID:aFDYr/mA.net
鹵獲兵器を有効活用するというのは第二次世界大戦レベルでもあったくらいだから
違和感はないけど。ベルダン式は38式歩兵銃でも採用されていたはず。
小口径でもライフル銃はそれなりの威力がある。
少なくとも対人用として考えるなら22口径のライフル銃でも大けがをさせるには充分な威力があるからな。

506 :名無し三等兵:2014/07/31(木) 21:37:30.89 ID:jOCtpSNC.net
22口径の護身用拳銃だって当たりどころが悪ければ死ぬからな。

ブラジルのスポーツ用品店には銃床がカラフルなプラ製の22口径単発の
子供用ライフルがワゴンにザラッと盛ってあった。

507 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2014/08/01(金) 21:12:28.19 ID:Xt8m/k28.net
戊辰戦争

架空の人斬り
ttp://22.snpht.org/140801210942.jpg
齋藤 一
ttp://22.snpht.org/140801210943.jpg

508 :名無し三等兵:2014/08/24(日) 10:12:48.85 ID:amaO0Ybm.net
ネタ?

ゲティスバーグ会戦の軍及び軍団司令官のウエストポイント卒業席次

ポトマック軍 G.G. ミード少将 1835年 19/56名
第1軍団 J.F. レイノルズ少将 1841年 26/52名
第1軍団 A. ダブルディ少将 1842年 24/56名
第2軍団 W.S. ハンコック少将 1840年 18/25名
第3軍団 D.E. シックルズ少将 政治家出身、戦前の軍歴無し
 1861年6月、民主党連邦下院議員からニューヨーク市志願兵旅団の連隊の一つに大佐として入隊
第5軍団 G. サイクス少将 1842年 39/56名
第6軍団 J. セジウィック少将 1837年 24/50名
第11軍団 O.O. ハワード少将 1854年 4/46名
第12軍団 H.W. スローカム少将 1852年 7/43名
騎兵軍団 A. プレソントン少将 1844年 7/25名

北バージニア軍 R.E. リー大将 1829年 2/25名
第1軍団 J. ロングストリート中将 1842年 54/62名
第2軍団 R.S. イーウェル中将 1840年 13/42名
第3軍団 A.P. ヒル中将 1847年 15/38名
騎兵軍団 J.E.B. スチュアート中将 1854年 13/46名

参考(北軍)
ミシガン騎兵旅団 G.A. カスター准将 1861年 34/34名
 卒業直前に南部出身候補生の多くが退学して行った南北戦争を象徴するクラス
 実戦で頭角を表し、1863年6月、23歳で准将に(最年少将官)
G.B. マクレラン少将 1846年 2/59名
 リー将軍が最も手強い北軍将軍と語った優れた軍隊組織編成者
 ゲティスバーグ会戦の頃には全ての司令官職から解任されていた

509 :名無し三等兵:2014/08/24(日) 12:06:27.06 ID:IOeFpU9t.net
>>508
ほほう。
マクレランは秀才なのか。

ところで、Ewell は「ユーエル」でないの?

510 :名無し三等兵:2014/08/24(日) 20:22:35.77 ID:amaO0Ybm.net
>>509
ごめんなさい
Ewell はユーエルでした。
人名地名は結構いい加減に呼んでしまってるので・・・

マクレランは秀才タイプですね。
攻撃側が有利と言われるナポレオン時代の戦術に精通していながら、銃砲の発達で防御側が有利になった現状も理解していたと。
しかし、その為なかなか攻勢を掛けなくなってしまい、リンカーンと対立関係に。
でも戦争前半には必要とされる時に必要とされるポジションに就いていたんですよねぇ
不思議と・・・

511 :名無し三等兵:2014/08/25(月) 19:40:17.86 ID:TBuSm+Z3.net
リー将軍のマクレラン将軍評を思い出すな。
新聞記者が北軍最優秀の将軍は誰ですか、という問いに対して
リー将軍は言下に「マクレランだ」と即答したとか。
実際にマクレラン将軍の下で北軍は建設されたようなもので
マクレラン将軍がいなかったら北軍の将兵のどれほどが南軍の銃火の中に突撃できたか
疑問に思う。
でも、南北戦争を扱ったゲームでは大抵平均以下の将軍として評価される
(野戦指揮能力からするとそう評価されるのはやむを得ない気がする)
本当に不思議な将軍ですね。

512 :名無し三等兵:2014/08/25(月) 20:11:11.49 ID:TGT/7auK.net
マクレラン将軍は部隊指揮官より行政タイプなんだろう。
編成や補給をガッチリやってくれるから兵隊には人気があったとか。

513 :名無し三等兵:2014/08/25(月) 22:19:55.51 ID:rHjOklJv.net
リーはグラントではなくマクレランが最強の敵。
ナポレオンはウェリントンではなくカールが最強の敵。

自分を負かした奴は素直(冷静)に評価できないらしい。
リーもナポレオンもやっぱり人の子だな。

514 :名無し三等兵:2014/08/26(火) 13:05:21.31 ID:UFF9isN5.net
>>513
ナポレオンはイギリス嫌いだから苦笑いするしかないけれど、リーの場合はガチでは?

勢いの有る頃の南軍、彼我の装備や兵站の差が余り無く、何よりジャクソンが配下に居たリーを攻防共に破ったのはマクレランだけだし。
アンティータムでは会戦だけでは無く、メリーランド戦役も失った上、リンカーンに奴隷解放宣言まで出されてるから。

じゃあ、北軍総司令官はマクレランのままで良かったのでは?と言うと、それは違う気もする・・・

515 :名無し三等兵:2014/08/26(火) 20:30:08.48 ID:qQ0VhJ13.net
マクレランは実際にリーと戦う相手と見た場合、リーと相性が悪いと思う。
リー将軍は劣勢であっても敵軍を誘出して局所優勢を作出して敵軍を叩くのが得意だが
マクレラン将軍はWWUのモントゴメリー将軍と同様に自軍が圧倒的に優勢と確信が持てるまで待機して
その上で力押しの攻勢をかけるタイプ。
モントゴメリーもマクレランも自国の国力が敵に対して優勢にあり、そういった戦法が取れる。
この戦法の困ったところは劣勢なリー将軍にとっては対処の仕様が無いところ。
国力の優勢な側が持久戦略を取り、圧倒的な戦力を確保して攻勢をかけてきたら
劣勢な側に対処する方法は存在しないから、劣勢な側は無理しても短期決戦を挑まざるを得ない。
そういうことを考えるほどリー将軍にとってマクレラン将軍は嫌な相手だと思う。

516 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 19:39:35.99 ID:UOsvYWD4.net
優勢な兵力をバックにした力押しはグラントの方な気が・・・
当初は2倍の兵力だったウィルダネスの戦いでは、正面のリーを圧倒している最中、両翼に側面攻撃(片翼は増援の別動隊による)を受けて敗れたりしてるし。

マクレランは、その慎重さからか正面以外も警戒(疑心暗鬼の方が近い?)しながら戦っている感じ。
その代わり、正面に敵を上回る兵力を配置出来、尚且つ不測の事態に備えられるだけの予備兵力を確保出来なければ攻勢を掛けない。
その条件が満たされ無い時は防御体勢を敷いて籠る。

2倍の兵力で望んだアンティータムの戦いは、リーとの双方による兵力随時投入のチキンレースの果てに多くの予備兵力を残したまま勝利。

両軍同兵力ながら砲兵戦力では南軍を凌駕していたマルバーンヒルの戦いでは、野戦構築陣地に引き籠り、攻撃を仕掛けて来るリー麾下のジャクソンを削り勝利。
半島戦役自体は失ったものの、バージニア半島からの撤退には成功。
(南軍的に無視出来る存在になっていたとも・・・)

リンカーンの様に「今すぐ結果を出せ」的な上司とは反りが会わないのは仕方が無いかと。

517 :517:2014/08/27(水) 19:54:44.49 ID:UOsvYWD4.net
>>516
×随時投入
〇逐次投入
やってしまいました・・・

518 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 20:21:20.78 ID:IjIzQF+P.net
マクレランは慎重すぎるから
世論を気にしなければならないリンカーン大統領と相性が悪いのは仕方ない。
世論を気にせずに戦争をできるならマクレランは優秀だけど
世論が攻勢を望んでも何だかんだと理由をつけてマクレランは引きこもってしまう
(と世論は見てしまう。マクレランとしては充分な戦力を整えて攻勢に出たいのだが)
こうなるとリンカーンとしては世論の圧力の前にマクレランを解任せざるを得ない。

519 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 20:28:45.59 ID:dRnaHt1H.net
マクレランは、情報収集にピンカートン探偵社を活用していたのだが、
同社があげてくる南軍の兵力見積は常に過大で、生来の性格に加えて、
その報告のせいでますます慎重になったと読んだことがある。

520 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 22:02:07.09 ID:uCmsuZUJ.net
結局は自分が敗けた相手には「あの時、こうだったら勝てた・・・」的な感情の方が
先にくるけど、苦労しながらも打ち負かした相手からは「あの時、もしこうされたら
敗けてた」というような感情があるから・・・

>リーはグラントではなくマクレランが最強の敵。
>ナポレオンはウェリントンではなくカールが最強の敵。

こういう事になるような気がする

521 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 22:48:51.50 ID:Oz6TOblJ.net
自分が(戦争を繰り返して)弱くなったときにあいつらが出て来たから負けたんであって
全盛期だったらあいつらなんてひとひねりだった

的な思いもあったかもしれない

あいつらはおいしいところだけかすめ取ったごっつぁんゴール野郎なんだよ
みたいな

522 :名無し三等兵:2014/08/27(水) 23:05:53.53 ID:bi7XjWUK.net
そりゃそうだろうね。
ナポレオンにすればプロシア軍が来なければウエリントンを撃破できたと思っているし。
リーにすれば勝機のあった前半に勝ちを取らせなかったマクレランが手ごわかった。
グラントが出てきた時にはもう勝敗は決まっていた。

523 :名無し三等兵:2014/08/28(木) 21:17:19.28 ID:L/HzW9pw.net
確かにな。
グラントがリーの相手になったのは最早、南北戦争の帰趨が決まった後だから。
リーにしてみれば、グラントが主な相手になったときはもうどうにもならなくなった後という想いがしたのだろう。

ピンカートン探偵社はネットで見るとこの探偵社の諜報活動の威力により、
南北戦争の終結は最低3年は早められたという評価があるみたいだが本当なのだろうか?
私が昔、読んだ雑誌記事だとピンカートン探偵社は南軍の兵力を常時最低でも実際の2倍以上と見積もっていて
アンティータムやゲティスバーグでは北軍が圧倒的劣勢兵力と事前評価しており、
そのためにマクレランやミードは追撃を断念せざるを得なかった。
もし、きちんと南軍の兵力をピンカートン探偵社が把握していたら1863年中に戦争は終結した
という全く逆の評価がされていたのだが。
どちらが本当なのだろう?

524 :名無し三等兵:2014/08/29(金) 08:19:37.74 ID:zYB1KHFj.net
>>521ー524
あの台詞には続きが有って、そこでリー自身が似た様な事を言っていますね。

グラントは戦争後半に成功を納めたが、それはマクレランの業績の上に成り立っていた。
最初から攻撃的なグラントが指揮を取っていたら南部は独立出来ていただろう。
的な感じで

McClellan, by all odds. で検索すれば全文が出て来るかと。

>>523
追撃したらしたで悪い方に転ぶ気が・・・
でも、ピンカートン探偵社の話は面白そうですね。

525 :名無し三等兵:2014/08/29(金) 14:17:49.21 ID:ltvo1uRS.net
>>524
検索してザッと読んでみた。

マクレランが前半で頑張ったから後半でグラントは勝てた。つまり、グラントが最初から
指揮していたら、当然オレが勝っていた。という事は、マクレランに勝たせなかった
オレが一番。

でOK?

526 :名無し三等兵:2014/08/30(土) 10:02:26.10 ID:fw/IL3v6.net
>>525
そこまでは言って無いと思うけどw
最盛期のリーと言うか南部を倒すには、マクレランの用意周到さと慎重さ、グラントの積極性が必要だったって事なのかな?
まぁ、それらを兼ね備えていたら殆んどの戦争に勝てる気も・・・
よほど国力が残念じゃ無い限りは。

527 :名無し三等兵:2014/08/30(土) 12:47:15.42 ID:NIvMbC2T.net
マクレラン将軍は戊辰戦争の大鳥圭介とどこか似ている気が。
名軍政家であって優秀な軍隊は作れるけど
実戦の指揮はどこかダメなところとかが
特に2人共戦況を慎重に読み過ぎて予備の投入をためらってしまうところとかよく似ている気が。

528 :名無し三等兵:2014/08/30(土) 21:18:26.15 ID:x8KxcOHI.net
>>527
大鳥は普通だよ。アレだけ戦力差があったら負けるでしょう。

寡をもって衆を撃破したら名将でしょ。

529 :名無し三等兵:2014/08/31(日) 16:00:40.11 ID:lTKIGGSz.net
>>526
南北戦争の約百年前のこと
ダウンが慎重に負けないように戦い、ラウドンが積極的に攻勢をかけて……
確かに理想的な組み合わせ
ここでも人気や評価がラウドン>ダウンっぽいのも泣けるが

530 :名無し三等兵:2014/08/31(日) 16:57:10.14 ID:ISPhCq83.net
>>529
そりゃあいつの時代、どこの組織できも慎重な意見なんて人気ないでしょw

イケイケドンドンですよw

531 :名無し三等兵:2014/08/31(日) 17:21:47.42 ID:DB0Nbt/x.net
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532 :名無し三等兵:2014/09/02(火) 19:43:04.68 ID:hbxFvzQ/.net
ピンカートン探偵社は

現場のエージェントは、南軍部隊発見の成功報酬欲しさに、怪しげな情報でも報告した
上層部はエージェントの報告を精査せず、怪しげな報告でもそのまま集計した
エージェントの報告が正しくても、別々のエージェントが同一の部隊を発見しているものを、複数の部隊を発見したとして集計した

ということを積み重ねた結果、南軍の兵力を実情の数倍にして報告したらしい

533 :名無し三等兵:2014/09/03(水) 06:35:46.83 ID:PCMTM9J4.net
そのへんはスパイってどこもそうよね
露探みたいにありもしない日本軍の待ち伏せを大量に報じてドッガーバンク事件引き起こしたり

534 :名無し三等兵:2014/09/06(土) 12:18:43.13 ID:4xc2Renn.net
>>527
大島は維新政府側に居たら
大村以上に活躍したかな?

535 :名無し三等兵:2014/09/06(土) 13:41:33.91 ID:HLvEkRrA.net
だから士官学校や陸軍大学での情報参謀教育が必要なんだよな。

536 :名無し三等兵:2014/09/06(土) 15:57:31.99 ID:4xc2Renn.net
古屋佐久左衛門 とか?

537 :名無し三等兵:2014/09/06(土) 17:19:17.72 ID:w2LNPrUa.net
衝鋒隊と古屋佐久左衛門、良いですね。
衝鋒隊戦史や佐幕派史談は読んだけど、他に何か良い本は有るかな?

538 :名無し三等兵:2014/09/09(火) 19:06:29.48 ID:l9MS0Yuh.net
天野とかも近代軍の指揮官としてはどうなんでしょうね?

539 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:25:24.72 ID:DZoGWl7F.net
陣笠スレとのマルチですまん。日本史板にはあまりミリオタがいないもんで・・

時代劇だと甲冑を着た際、下級武士(足軽含む)は鉢金巻いた上に陣笠被ってるけど、
高級武士は漆塗りの陣笠(大名陣笠・端反笠)の下には鉢金巻いてない。何か理由あるの?

八重の桜でも、兵達は韮山笠の下に鉢金巻いてたが、山本覚馬らは鉢金巻く時は陣笠脱いでた。

540 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:30:59.93 ID:fDL6avmO.net
>>539
それこそ兜首だからじゃね?

541 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:37:01.27 ID:oaJLzhLl.net
甲冑を着ていると銃弾を受けた時、
銃弾によって甲冑が破壊され、その破片によって傷口が拡大してしまう。
だから、戦国時代でも末期になると紙鎧みたいなのが装備されている。
高級武士ほど情報入手が速かったので幕末になると甲冑は速やかに高級武士ほど捨ててしまった。
鉢金も甲冑同様に思われたからではと。
鉢金については全くの憶測だが。

542 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:37:16.96 ID:DZoGWl7F.net
いや、構造的に鉢金巻いちゃうと大名陣笠は被れないとか、痛むとか理由があるのかな、って。

甲冑来た上に紙製の被り物のみって、何かさみしくない?

543 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:39:42.03 ID:DZoGWl7F.net
>>542>>540へのレスね。

>>541
甲冑を着てると被弾時に逆効果なので戊辰戦争時までに廃れたのは読んだことがあった。

幕末限定というより、江戸時代中期以降の話ね。

544 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:42:27.72 ID:DZoGWl7F.net
連レスすまん。

時代劇や八重の桜での話は、甲冑を来てる高級武士の被り物のことね。
江戸中期以降に兜を被る代わりに陣笠被ってるあのスタイル。

545 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 21:51:52.97 ID:qQc4CRWl.net
笠をかぶってるのは兜だと蒸れてすぐぶっ倒れるので、合戦ギリギリまでかぶらないものだからだろ。
ただでさえ江戸時代の兜は戦国時代より重くて首に負担かかるし。

鉢がねつける時に笠を外すのは、鉢がねが兜に準じたものなので
本来兜をつける身分であることを表すために笠を外してつけるのではないか。

546 :名無し三等兵:2014/09/12(金) 22:10:52.64 ID:DZoGWl7F.net
なるほど・・

547 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 09:21:47.93 ID:gPePkdu5.net
>>543
第2次長州征伐のときに、鎧やべぇ鎖帷子とか最悪って記録があったって
野口武彦の著作にあったな

548 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 09:36:25.74 ID:5ttvuvNh.net
そもそも胴体や頭部に銃弾受けてしまったら
鎧着てようがなかろうが死ぬのに変わりなさ
そうと思ってしまう。
あのころの銃って軍馬一撃で屠れるように
強力だったんでしょ。
それなら白兵用に鎧着るのも悪くないような気もするが伏せたり走ったりするのに
都合悪かったのあな。

549 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 10:16:09.42 ID:1ZgudJaR.net
戦国の事は分からないけれど幕末の韮山笠と陸軍笠では、前者には前頭部に余裕が有り、後者には無いとは言わないが少々狭いかと。
被り方に依っては前頭部に乗せる感じになるし。
だから物理的にってのも有るかも。

後、韮山笠は単なる被り物なのに対して、陸軍笠は階級章を兼ねた正式な被り物って違いが関係しているとか?

八戸の桜、総集編でも良いから再放送してくれないかなぁ

550 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 10:37:31.53 ID:NvkEka6c.net
元 DZoGWl7F だが
なるほど・・

ちなみにこれが、上で述べた八重の桜でのシーンの一つ。「蛤御門の戦い」から。
http://www.youtube.com/watch?v=y6HGQQ8vsl8

ちなみにこれは忠臣蔵、赤穂城明け渡しの際の軍勢。こっちでは下級徒歩(足軽?)は鉢金を付けず、円錐形の陣笠のみを被り、
高級徒歩や上士は鉢金のみを頭に付けてる。
http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=sU2-RinAXLY#t=692

551 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 19:26:38.91 ID:Uu842KHC.net
戊辰戦争では、
大村益次郎を筆頭に元医師から軍人に転職して
戊辰戦争で大活躍と言う人材がごろごろいるけど。
この人たちの本来の医師としての技量はどれほどだったのだろう?
少なくとも大村については適塾で緒方洪庵から私の代わりに塾生を指導してほしい、
と言われた割には、医師としては超やぶ医者で
地元に帰った時には大村先生に診てもらったらすぐに死ねるといわれるレベルだったらしいのですが。
他の方々はどのていどだったのでしょう?

552 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 20:02:01.23 ID:pfBg4LXl.net
大河は予算や時代劇の伝統やらで甲冑やらの考証はいい加減だって大学の先生が言ってた

553 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 20:27:15.72 ID:L8tHR2/y.net
そもそも論として大河を元に考えていいのかという話はあるよな

554 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 21:05:27.47 ID:vZBO3WqW.net
>>551
漢方医や蘭方医ならともかく、先人の積み重ねの少ない最新の西洋医学だと自分の経験や腕が全てですから微妙だったかも。

江戸に進駐した西南雄藩の医師が良い機会だからと横浜へ行き、外国人貿易商から携行用手術機具セット(ドイツ製だったか?)を購入。
大きくて使い辛いが外国人サイズだからかと納得しつつ前線の手術で使用していたと。
ある日、一緒になった医師に自慢がてら見せた所「獣医用と書いて有りますけど・・・」と。

こんな手探り状態でしたから・・・

555 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 22:23:49.29 ID:o4Mj0HjB.net
>>551
蘭方医の医者の肩書って、蘭学を学ぶ口実が実学としての医術ぐらいしかなかったための名乗りみたいなもんだしねえ
資格試験のある時代じゃなし、名乗るだけなら勝手ではあったし
大村とか福沢とかは、臨床医としての実践ほとんど適塾時代にしてないんじゃないかなあ?
生計の手段として医者って当時でも悪いもんじゃないから、そっちをまじめに取り組むのも多かったろうけど
ただ適塾はじめ当時の蘭医塾って、外語学校に医学講座がオマケでくっついてたようなところあるしw
推して知るべしでw

556 :名無し三等兵:2014/09/13(土) 22:36:48.84 ID:v4jVcNg/.net
大鳥なんかは医学より軍事のほうが面白くなっちゃって
医学書は読めなくなったとか言っているな。

557 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 09:39:55.51 ID:tAdk5gIW.net
理論先行でしょうしねえ。
実技をするときは「家庭の医学(比喩)」を読みながら直すようなもの?
その「家庭の医学(比喩)」も読めない漢方医との比較になるので。

でも松本良順は評価高いのでは?

558 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:19:55.92 ID:AkNJW05+.net
>>551です。
松本良順みたいに医師を目指して蘭方医を極めた人はともかくとして
大村や大鳥みたいに転職した人は確かに臨床経験も少ないでしょうし、
医師としての腕はやはり駄目の可能性が高いでしょうね。
福沢も医師を目指して適塾の門をたたいたわけではないですから
医師としてはまるで駄目でしょうし。

559 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:32:46.92 ID:PTxqX2PM.net
>>558
てか諭吉はまず血が全くダメだったという…w
当時の内科医だったら全く血を見ず薬草煎じて処方だけ出してることも可能だったろうけどなw
でも蘭方医に期待されたのは先進的な西洋外科医術w

560 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 19:35:24.08 ID:m/43b9tp.net
松本良順、高松凌雲
この2人の奥詰医が双璧なのかな?
色々と対照的な経歴の2人だけど。

561 :名無し三等兵:2014/09/14(日) 21:28:25.74 ID:ix7Cnae3.net
>>560
そういえば高松凌雲の実兄の古谷佐久左衛門も
医師から軍人への転職組だったな。
幕末にヘボン医師から医術を教えてもらっていながら
戊辰戦争で戦火の中に散っていった。
この人は弟に似て腕はよさそう。

562 :名無し三等兵:2014/09/15(月) 01:11:39.01 ID:XlAbP2ar.net
手塚良仙みたいに徹頭徹尾蘭方医って人も当然ながらいる…と思ったら、
幕府歩兵屯所付医師から帝国陸軍軍医だから、医師と言っても軍事色強いな…

563 :名無し三等兵:2014/09/15(月) 03:46:35.44 ID:4b+OD4gl.net
一応、村田蔵六は村医者の息子だから医者が本業になる筈だったんだけどな。

564 :名無し三等兵:2014/09/17(水) 00:40:24.05 ID:5wo0Sq5F.net
              ,,,、、、、、、、,,,
           ,r''.:´.:;;;;;;;;;;;;:;:;:.:.::`ヽ
          /.:.:;;;;;:;:;:;;;;;;;;;;;:;:;;;:;:;:;:;;;:゙、
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         /^ヾ!   ,,,zf_で;ソ´ ヾでソ;;{
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565 :名無し三等兵:2014/09/19(金) 06:47:19.99 ID:0JTi8kOT.net
長州藩の医学校の依頼で
女性の解剖と人体の仕組みの講義を行っているから
臨床医ではないが医学者としては名声が十分にあったんでしょう
大村益次郎

566 :名無し三等兵:2014/09/19(金) 07:24:15.47 ID:yAIgWXGA.net
実際に臨床に携わっていた村医者の大半は
良くて自分の故郷の藩医について修行して
そのまま農村で開業といったコースだから
大阪や江戸のような先進地域で洋学を学んだ人間は少数派
遊学で得た知識や人脈を買われて政治や行政の方面に進むのは必然でしょう

567 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 17:13:17.28 ID:Klnpr5B7.net
蘭学医の名分で、蘭学書を読み理屈だけ独学しながら、きっちりと実戦でも勝てる兵法を身に付けたんだから、少なくとも天才ではあるんだろ?
向き不向きはあるにしても……

568 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 19:37:45.70 ID:nLrVQHPN.net
その点からいえば大鳥圭介は机上の理論家かな。
戊辰戦争でも大鳥圭介が指揮を執ると常に敗北するので
味方からも大鳥の指揮下には入りたくないと拒否されたという伝説が。
結論から言えば実戦勘というものが大鳥にはなかった気がする。

569 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 20:22:55.93 ID:/MBwH/3R.net
>>568
負けてなお威在り。
ということで、負けてもまた非とが集まってきて人徳もあったらしいよ。
普通負けたら見方から殺されたり、下ろされたりするものだが。

570 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:16:27.78 ID:cn3tV+yF.net
確かになんだかんだ言っても
大鳥率いる伝習隊は五稜郭まで戦い抜いているからな。
人徳が無かったら、伝習隊から大鳥は追い出されていてもおかしくない。

571 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:28:01.63 ID:VL1CCqYJ.net
>>568
机上の理論家と言うよりも、西欧戦術に忠実に従い行動した実践家では?
それを色々と条件の異なる日本でやってしまったのが・・・
ある程度開けていて西欧式部隊機動の出来る小山では勝っているし。
相手は西南雄藩では無いけどw

572 :名無し三等兵:2014/09/22(月) 21:32:40.39 ID:QkPhly3b.net
>>567
軍事に関しては天才だったね。まぁ教科書どおりの戦闘法に負ける幕府側が酷すぎるとも言えるが。

>>568
大鳥はまあまあだと思う。あの戦力差で勝ったら戦争の神様だよ。

573 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 07:43:12.43 ID:Da0GNntt.net
土方歳三はゲームだと旧幕府系の将帥としては最高の評価を受けていることがあるけど
実際の戦闘の腕はどうだったのだろう。
大村益次郎と同程度の評価を見たこともある。

574 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 08:26:29.90 ID:aQiwJePf.net
最高が否かは微妙だけど前線指揮官としては良いのでは?
部下の掌握や戦術眼はともかく、戦略眼は解らないけれど・・・
指揮した兵力も西欧なら連隊以下だし。
もしかしたら名大隊長止まりなのかもしれないなぁ

575 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 10:18:23.82 ID:pKjhgIPp.net
土方大将旗下の第三軍が旅順を攻めるのは見たくはある

576 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 15:00:42.67 ID:JrLZUWBP.net
>>575
止めてあげて
土方さんはその時は1835年生まれなので69歳の老将よ(ちなみに乃木将軍は55歳)
大山元帥でも62歳でご老体と呼ばれているのに。
70歳の老いた身に鞭打って奉天会戦の先陣を承るというのは講談だといい話だけど
現実に置き換えてみると満州の吹雪の中で70歳で戦うなんて過酷過ぎる。

577 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 15:22:48.44 ID:TlVJ3Wl8.net
元々は多摩の農民で、西洋兵学を学んだわけでもないのに、銃砲を装備した部隊を率いて、
少なくとも前線指揮官としては成果を残しているんだから、やはり素質はあったんだろうな、
土方歳三。
師団クラスの部隊を率いたらどんな采配を見せたのか、興味あるな。

578 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 17:21:41.04 ID:aQiwJePf.net
土方には西南戦争で新選旅団を・・・
桐野の「またあいつらか!」の勘違いを現実の物にして欲しいなw

579 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 19:20:13.96 ID:pN2Yhmzy.net
>>578
ネット仮想戦記ではごろごろありそうなテンプレな話だな。

580 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 20:27:06.04 ID:hCbswNWW.net
まぁテンプレだけど日露よりは現実味が有るかな?
同人歴史小説にも有ったけど、とても読み進められる様な品物じゃ無かったなぁ
状況よりもキャラ優先で。

581 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 20:59:22.65 ID:EZ+495aE.net
「薬屋やってました」黒田如水もそうだったな

軍事は実学だから、自然科学系からの転向は容易なのかねえ

582 :名無し三等兵:2014/09/23(火) 22:10:56.96 ID:K/1hvTGT.net
石田散薬がそんな自然科学と呼べるほどのものかと調べたら、なんと昭和23年まで製造されてたんだな。
つかwikiがあること自体驚きだったw

583 :名無し三等兵:2014/09/24(水) 09:15:12.82 ID:5LXTapSJ.net
日本の場合、一個師団を維持するには、日本円にして1800億円かかる。
これは自衛官1人につき2000万円に相当する。

もちろん近直の物価や為替では、また変わってくるのだろうし、
そもそも今の自衛隊は、師団制から旅団制へ移行しているのだが、
それでも軍隊と言うものが、如何に金のかかるものか分かるだろう。

ヤキマ演習に40億円を費やすことなぞ、何ほどのこともない。

護衛艦なら公試後に荒らしの中へ突っ込み、潜水艦なら圧壊深度
ギリギリまで潜って、実際に性能を、確かめるものだ。
出来るだけ実戦に近い環境で、実戦経験豊富な米軍立会いのもと、
カタログデータではない、実際の性能から、使い勝手まで確かめるのは、
国防に寄与すること大である。

ペーパードライバーに、客の命を預けるタクシー会社などないのだ。
ネット・マーチに青春を捧げたヘリボーは知らず……

584 :名無し三等兵:2014/09/24(水) 09:18:12.92 ID:5LXTapSJ.net
失礼しました、2CHビュワーが誤作動したようでし。

585 :名無し三等兵:2014/09/24(水) 14:07:27.18 ID:CjwPbZnc.net
>>572
今市の戦いでは珍しく旧幕府・会津軍の兵力が優勢だったけど
まぁ敵が板垣だったしね

586 :名無し三等兵:2014/09/24(水) 22:59:06.66 ID:GWI/n5j2.net
ちょっと上のフィクションの話で思い出したけど、昔「維新の嵐」ってゲームがあった。
プレイヤーとして土方を選ぶと、エンディングの一つに、薩摩屋敷に斬り込んで、
並み居る薩摩藩の重臣を全て葬り去るってのがあったなあ。

587 :名無し三等兵:2014/09/25(木) 04:43:46.80 ID:Ul/YP9Xp.net
>>586
なにその警察官が強盗するような展開。

588 :名無し三等兵:2014/09/25(木) 09:53:49.25 ID:ZdfELgCD.net
>>586
たぶん、板垣は戊辰での最高の指揮官だろうなぁ。
もし板垣があのままずっと軍籍にいたらと考えてしまう。

589 :名無し三等兵:2014/09/25(木) 12:33:55.63 ID:1bnEGd3w.net
そうは言えば、板垣退助が、民主主義と国民国家について書いた文が、どこかに無かったっけ?
幕藩体制のままだと、頭が挿げ替わるだけだから、庶民の支持や協力が得られなとかなんとか。
自由とか理念とかじゃなく、富国強兵のために民主主義が必要なんだって意見は、流石に軍人だわ。

590 :名無し三等兵:2014/09/25(木) 12:53:58.07 ID:P1QlwIdO.net
>>586
幸栄のゲームだっけ?
それなら遊んでみた事がある。
適当にやってたら宗旨 (尊王・佐幕) が変わっちゃってゲームオーバー。

591 :名無し三等兵:2014/09/25(木) 19:21:59.73 ID:Ul/YP9Xp.net
>>588
板垣の評判が良いのは聞くけど、
具体的にはどの辺がよかったの?
どの辺で活躍?

小笠原唯八や山地元治、土佐の将才のほどは
具体的にはどうなんでしょ?

592 :名無し三等兵:2014/09/26(金) 18:21:56.16 ID:H+/nYr0a.net
松原岩五郎著「最暗黒の東京」岩波文庫を読んだ。
明治25年ころ新聞に発表されたもの。

新聞記者である著者が貧民窟に入り込んで残飯屋に雇われ、
毎日三台の大八車を引いて士官学校へ行き、残飯残菜を払い下げてもらっていた。
貧民窟のさらに下層の人々はここで買う物でどうにか腹を満たしていたが、
分量は日によって大きく違った。
多分激しい演習があると残飯が出ないんだろう。
三日も空荷で帰ると貧民達が飢えるので
三日目に彼は係に頼み込んで畑の肥やしにするものや
豚の餌にするものをもらってきて、それでも大いに感謝されたという。

593 :名無し三等兵:2014/09/27(土) 21:16:48.57 ID:z1nZb5xJ.net
山田顕義や板垣退助の指揮が良かったと聞くがそんなに良かったのかな?

594 :名無し三等兵:2014/09/28(日) 02:52:49.34 ID:GTqOz9YW.net
700の兵を三つに分けて2500の兵を攻撃するという
気が狂ったかとしか思えない伊地知の采配
実際勝ってしまったわけだが彼の脳裏には一体何が閃いたのだろうか

595 :名無し三等兵:2014/09/28(日) 09:17:43.11 ID:b4/Inbc4.net
でもこの戦例って悪い前例になってしまうんだよね。

596 :名無し三等兵:2014/10/01(水) 05:52:36.40 ID:2DTJkcrw.net
>>594
そこは誰でも勝てたのでは?

597 :名無し三等兵:2014/10/01(水) 20:30:33.26 ID:2RyuzfGn.net
>>596
余りの非常識さに相手が勝手に混乱してくれたおかげだからな。
誰でも勝てたと言われると疑問を覚える。
相手に冷静に対処されていたら、逆に各個撃破されて伊地知は大馬鹿の烙印を押されたはず。

598 :名無し三等兵:2014/10/01(水) 21:28:22.24 ID:2DTJkcrw.net
>>597
相手は近代歩兵じゃないし。

599 :名無し三等兵:2014/10/01(水) 22:35:01.93 ID:tYzR0olA.net
>>598
はいはい
それなら何であの後、会津若松まで進軍するのに手間取ったの?

600 :名無し三等兵:2014/10/02(木) 02:35:11.22 ID:rsNoi7hd.net
>>599
それこの話題と関係ないよね?

601 :名無し三等兵:2014/10/02(木) 18:50:13.73 ID:7LP/WboR.net
>>599
そら白河城を会津・仙台+α連合軍が圧倒的兵力で攻め立ててたからじゃないの
援軍にきた板垣を丸々、目の前の連合軍本隊ガン無視で棚倉攻撃に投入してるのは草生えるが

602 :名無し三等兵:2014/10/02(木) 20:11:25.85 ID:7LP/WboR.net
>>597
混乱はしてないんじゃないの?
単に囮の中央軍に全力で釣られたクマーしただけで

603 :名無し三等兵:2014/10/02(木) 21:13:29.10 ID:rsNoi7hd.net
戦力的に伊地知の白河口は助攻で平潟が東北方面の主力。

604 :名無し三等兵:2014/10/05(日) 08:05:20.21 ID:EGZLat/a.net
新政府側の近代歩兵の連隊や大隊指揮官は指揮官は誰が有名?

605 :名無し三等兵:2014/10/05(日) 18:19:14.53 ID:/IyoI+yF.net
板垣退助とかどうだろう
ただ、余り勇将というイメージがある指揮官が新政府側では思いつけないんだよな。
勇将というより智将というイメージが新政府側の指揮官には先立つ感じがする。

606 :名無し三等兵:2014/10/05(日) 18:26:53.74 ID:EGZLat/a.net
大鳥や赤松や鍋縞系の門下が習得した操錬を活かした歩兵の運用だったんでしょうか?
それとも装備だけ洋式になっただけで、あとは現場指揮官の裁量で運用したのかな?

後者のようや気がしてきた。

607 :名無し三等兵:2014/10/05(日) 20:46:06.47 ID:ro+EHs1M.net
>>606
赤松って誰だったっけ?
鍋縞は鍋島の誤字と観たが。

608 :名無し三等兵:2014/10/05(日) 21:33:09.31 ID:D91BGj4s.net
>赤松って誰だったっけ?

赤松小三郎のことでは?

609 :名無し三等兵:2014/10/06(月) 19:28:05.17 ID:dE+6Qx1/.net
>>608
ネットで赤松小三郎のことを見たが
さすが真田家の家臣だと感心した。
真田日本一の兵の伝統は幕末まで脈々と受け継がれていたということか。

610 :名無し三等兵:2014/10/08(水) 15:57:46.11 ID:Aqx19Ux+.net
殿様だけ見るとううん?って感じだけど(断絶してるし)
軍の方は、長岡城再奪還戦の主力に薩長と並んで選抜されるぐらい強かったんだっけ

611 :名無し三等兵:2014/10/08(水) 21:06:08.39 ID:XN/8NL6j.net
>>610
真田家の松代藩が得た戊辰戦争で得た賞典録は、薩長土に次ぐ第4位(他にも同じようにもらった藩もあるが)で
鍋島家の佐賀藩をしのぐ。越後口で主力の一翼を担って奮戦したからな。
10万石で3000も藩士!を動員した価値があったということか。
これだけ石高の割に動員できたのは他は薩摩藩だけだからな。

612 :名無し三等兵:2014/10/08(水) 22:15:56.61 ID:/+SLycbF.net
>>610
えー?真田幸貫は名君だよ。養子大名だけど。
しでかし屋の佐久間象山もよく飼って使っていた。
近代兵制への移行も藩の素性の賜物だよ。

613 :名無し三等兵:2014/10/08(水) 22:51:26.98 ID:Jjf2l0rQ.net
>>609
最後がかわいそうだったね。赤松小三郎。
油断は禁物なんだね。

614 :名無し三等兵:2014/10/12(日) 14:37:29.35 ID:LQf+pXmG.net
保守

615 :名無し三等兵:2014/10/17(金) 20:02:05.56 ID:OBj9Cgma.net
戊辰戦争に登場した銃で一番命中率が高かったのは
エンフィールド銃というのは本当なのでしょうか。
後装式ライフルのスナイドル銃やシャスポー銃は実は命中率では
エンフィールド銃以下だったと聞いたのですが。
現代の自動小銃がボルトアクション式の小銃より命中率が落ちるように
戊辰戦争時に登場していた、前装式ライフルから後装式ライフルへの過渡期の後装式ライフルは
命中率は低下したというのは本当なのですか?

616 :名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:06:51.12 ID:2ZLi5HY3.net
>>615
wikiにいろいろのってるじゃん。
過渡期の製品だからいろいろ問題あるけど、センターファイアのメタルカートリッジの利便性が勝ったんじゃね。

で、日本語wiki見てて気になったんだけど、MkIIIになって銃身が鋳鋼から圧延炭素鋼に変わったと書いてあるんだけど、
英語wikiだとiron barrelからsteel barrelとなってるんだよね。
俺もてっきり錬鉄から鋼鉄に切り替わったとばかり思ってたんで、日本語wikiに違和感を感じたんだけどね。
そもそも錬鉄の時代から圧延なり鍛造して使ってたんだから、鋳鉄っていう表現はおかしくないかな。

617 :名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:09:49.23 ID:2ZLi5HY3.net
ラスト一行で鋳鉄と書いたのは鋳鋼の間違いね。長文スマソ

618 :名無し三等兵:2014/10/17(金) 22:27:38.80 ID:2ZLi5HY3.net
もうひとつ書き忘れてた。wikiっていうのはスナイドル銃のwikiね。たびたびスマソ

619 :名無し三等兵:2014/10/18(土) 01:07:10.02 ID:K7Rnev2X.net
気にスナイドル

620 :名無し三等兵:2014/10/18(土) 22:12:49.63 ID:PfEaTZM3.net
>>615
閉鎖が甘いとガス圧が落ちるので初期の後装式はミニエー銃やエンフィールド銃と比べて飛翔能力に劣る。
それでも連射制の優位があったので軍性も含めて普墺戦争で勝利。

621 :名無し三等兵:2014/10/20(月) 16:03:23.75 ID:jF0iBoUQ.net
幕府も不発が多く使い勝手が悪いシャスポー銃より
2流だがフランス版スナイドル銃のタバディエール銃を
貰った方が良かったかもね。

622 :名無し三等兵:2014/10/21(火) 19:48:30.12 ID:eBucstRG.net
>>615です。
やっぱり初期の後装式ライフル銃は命中率が前装式ライフル銃に比べて落ちるのですね。
それよりも連射能力が高いし、伏射もできる以上、後装式ライフルが圧倒的優位なのは分かるのですが。
タバディエール銃を幕府が使用することはありえない気が。
シャスポー銃というタバディエール銃より優秀なフランス製の銃があるのに。
F15戦闘機を購入可能なのにF4戦闘機改良型を購入可能ならそれで我慢しろというようなものです。

623 :名無し三等兵:2014/10/21(火) 20:00:34.95 ID:fW5nsEBc.net
逆にF15を貰ったって、その高性能を活かせる
設備、環境、人が無いと 宝の持ち腐れだよ。

624 :名無し三等兵:2014/10/21(火) 21:47:32.01 ID:0Hh9DlGo.net
イランが購入したF14みたいなもんだな

625 :名無し三等兵:2014/10/21(火) 22:09:10.38 ID:zU4frohQ.net
>>624
あれはイラン革命のせいだから。

確かに設備、環境、人がいないと役に立たないのは事実ですね。
西南戦争では前装式ライフルを主装備にした西郷軍が善戦していますし、
戊辰戦争での越後戦線ではガトリングガンがそう役に立たなかったそうですし。

626 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 01:20:40.34 ID:GMPoiut+.net
>>624
あっ、同じこと思った。期待は持っていても稼働品が少なかったり、フェニックスミサイルを供給してもらえなかったり。
生産国とは違いますわな。

627 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 05:00:20.11 ID:FsMTdXSG.net
弾薬の製造可能性でいえば、紙(布)薬莢で雷管外装式のシャープスあたりが一番実用的な気がする。
まあ専用の雷管だけは輸入しなければならないだろうけど。
性能は南北戦争で折り紙つきだし。

628 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 07:24:28.01 ID:GMPoiut+.net
>>627
日本は多湿だけら向いてないと思う。
戊辰の主役はミニエーとエンフィールド。
幕府や薩摩が装備した後装銃も少数導入で陸軍が標準に採用した兵制も諸藩の多数派であった前装ライフルを前提にしたフランス式だし。

629 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 07:56:04.80 ID:FsMTdXSG.net
>>628
多湿で問題になったのはシャスポーの紙薬莢の底部に雷管を付けた構造だと思ってたけど、
シャープス等でも問題になったの?
確かに前装式なら紙実包を破って火薬を注入するから、その分着火に有利そうだけど。

630 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 08:25:27.18 ID:m6IFZwdh.net
>>627
メイナード・テー プ式は専用雷管しか使えないけれど、ディスク式の方には一般的な金属雷管が使えますよ
ですから、金属雷管専用のM1849や、ディスク・金属併用のM1852以後(M1855を除く)なら専用雷管に悩まされずに使用可能かと
特にフルストック歩兵銃のライフルマスケットはM1859とM1863のみなので、歩兵用に輸入するなら自動的に併用雷管式の物になるし
(この両年式は今まで以上に金属雷管の使用を考慮した機構に変更されています)

>>628
雷管が湿気に弱いのはメイナード・テー プ式ですから、専用のM1850、M1851、M1855を避ければ湿気に関しては問題無いかと
M1855は納入前に陸軍から湿気問題でキャンセルされているので、下手したら在庫を売り付けられる危険が有るかもw
(メイナード・テー プ式の採用はキャンセルを除くと結局は2年間)

631 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 08:43:30.57 ID:FsMTdXSG.net
>>630
失礼ですけど、もしやスプリングフィールド小銃の事をいわれてるのでは?
それはそれで非常に参考になりますが。

そしてシャープスの場合ですが専用の雷管が必要だと思っていましたが、wikiを見ると通常の雷管も使用可能とのこと。
いかにも実用的なアメリカらしい感じです。

632 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 09:03:38.47 ID:FsMTdXSG.net
シャープスの英語wikiを見ていると>>630氏の言われてるのはやっぱりシャープスの事のようですね。
だとしたら相当お詳しい。
どうも失礼致しました。

633 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 11:09:25.76 ID:kaayfqGO.net
シャープス銃は高性能なのに何でスプリングフィールド銃と
更新出来なかったの?と思ったら高価なのね。
ということは、ナポレオン三世がシャスポー銃三千丁を
プレゼントしたというのは、大盤振る舞いだったのね。

634 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 14:09:30.44 ID:m6IFZwdh.net
>>633
庄内藩がシャープス(M1859かM1863のカービン?)を1丁30〜45両で600丁も購入していますね
長岡藩でも纏まった数を購入している様です
日本はアメリカに次ぐ使用量だったのかな?
イギリスへの輸出数が不明なので何とも言えないけれど・・・

635 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 20:48:05.62 ID:wGhYJF+H.net
>>633
あれは本当に大盤振る舞いだったと思う。
幕府が勝利した結果、シャスポー銃を装備した日本陸軍と言うのも見たかったな。

636 :名無し三等兵:2014/10/22(水) 22:35:09.70 ID:RX2Hu6Bv.net
>>635
明治初期に一部の鎮台兵が普通にシャスポー銃使ってるんだけどね
村田銃が行き渡るまでは戊辰戦争時の銃を使うしかないんだし

637 :名無し三等兵:2014/10/23(木) 07:20:57.49 ID:BKjc/L+J.net
マルティニ・ヘンリーを海兵隊が装備したりと、各種小銃が使われていましたね

海兵隊の使用していた弾薬盒の形が分かる方いらっしゃいますか?
軍服やサーベルは資料が有るけれど、下士官兵卒の装具類は不明点が多くて・・・
中西立太氏のイラストは疑問点が多いし

638 :名無し三等兵:2014/10/24(金) 20:47:02.96 ID:dbusw9tu.net
>>637
いろいろと事情はあるのでしょうが、なんでわざわざマルティニ・ヘンリーなんてマイナーな銃を
という疑問を海兵隊は採用したのか、と疑問を覚えてしまいます。弾薬等の調達も大変そうですし。

話を変えますが、西南戦争では地雷が新兵器として使用されたのですね。他にも新兵器が使われたのでしょうか。

639 :名無し三等兵:2014/10/24(金) 21:04:44.62 ID:5I8n9eAl.net
英軍の制式小銃だからマイナーではないでしょう。
あと日本語が変。

640 :名無し三等兵:2014/10/25(土) 18:35:52.78 ID:4Y7UN7+h.net
>>636
幕府歩兵が本当にシャスポー銃を使ったのかは疑問らしいね。
最終段階の函館ではミニエーを使っていた。

ドライゼ銃ならプロイセン式兵制を採用した紀州藩に装備されていた。そのあと、明治新政府へ上納された。
それが纏まった数であったため、西南戦争の不足のときに訓練された元紀州藩兵共々動員したとか。

641 :名無し三等兵:2014/10/25(土) 19:18:13.04 ID:a/DipDKa.net
>>638
明治政府の海兵隊はイギリス海兵隊がモデル
それでマルティニ・ヘンリーなのかな?と

642 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 19:39:43.43 ID:NaWxRLrl.net
話を変えるが、小川原正道氏の「西南戦争」だと
屯田兵は「ロケット」攻撃を人吉攻防戦で行ったらしいのだけど
この頃からカチューシャみたいなロケット弾が存在したのだろうか?
それとも、これは小川原氏の誤りなのだろうか?

643 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 19:50:24.30 ID:IdsVE5V+.net
まさか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B1%E3%83%83%E3%83%88
この類か?

644 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:02:31.96 ID:NaWxRLrl.net
>>643
孫引きだけど、このロケット攻撃により人吉市街が
「火勢忽ち焔騰して終夜白日の如し」と化してしまったらしい。
こんなに威力があるのだったら、もっと知られていてもいいと思うのだけど

645 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:24:43.48 ID:Y6rKQvu2.net
アメリカ国歌にまで歌われる様なモノだものな。

646 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 20:32:44.50 ID:mNo5AlS3.net
薩英戦争でも使われてたよな。
よっぽどアームストロング砲より役立ってたような。

647 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 21:39:32.45 ID:DOAmkkD+.net
映画でも、リメイクされた方の「アラモ」とか日本未公開の「ゲティスバーグ」とかでも
ロケット弾らしきもの飛ばしてる。

648 :名無し三等兵:2014/11/02(日) 23:00:57.25 ID:QkYcEdrg.net
コングリーブロケットって命中精度は悪いけど射程と威力があって、艦艇から陸上への焼き討ちなんかに使われてたんだっけ

649 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 08:47:50.79 ID:nVLaWiJh.net
「屯田兵沿革 戦闘記」
屯田兵司令部 明治26年刊
がGooglebooksで閲覧出来ますよ
屯田兵沿革→前史・創設から明治26年迄の部隊史
戦闘記→西南戦争の戦史

戦闘記には5月31日にロケットによる攻撃を行ったと有ります
>>644さんの
>「火勢忽ち焔騰して終夜白日の如し」
の文章は、戦闘記の当日分に有ります
人吉市街全体では無く、薩軍が守備していた山田郷を指している様です
6月1日の人吉突入に伴う火災(始めは幾つかの町のみ)は退却する薩軍による放火としていますが、村落の焼失原因は相手側に有りと主張される事が多いので・・・

肝心のロケットに付いては型式を特定する様な記述は屯田兵沿革にも戦闘記にも無い様です
屯田兵沿革には明治7年にガトリング4門をアメリカより購入と有りますが、西南戦争に持ち込んだのか否かは記述が有りません
想像よりも優良装備の部隊だった様です
陸軍中将兼開拓次官の黒田清隆が北海道憲兵事務の総理として管轄下に置いていたから?

650 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 11:51:06.54 ID:IGPVtcTw.net
やっぱり南北戦争の余りだったのかな?

651 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 17:23:50.64 ID:ousrAIpu.net
だとしたら火薬しけってなかったのかな

652 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 19:52:27.80 ID:g7O6dLJp.net
やはりコングリーブロケットの可能性が高いみたいですね。
ありがとうございます。
他にも気球が用いられたり、風船砲弾弾薬?という謎の兵器が投入されたりとか
西南戦争はいろいろな兵器が用いられていますね。

653 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 20:03:37.78 ID:Eyj/070F.net
>>652
あー、>>643書いたものだが
薩英戦争で使われたのはヘイル・ロケット(旋回して飛ぶ。安定棒無し)らしいのでぐぐってみたら

http://page.freett.com/sukechika/meizi11/03wepon/meizi07-4.html
> その結果、明治十(1877)年二月十二日、政府軍の軍艦「孟春」・「鳳翔」に艦載用ロケット弾、
>「東艦」に6斤ロケット弾50発、3斤ロケット弾30発が装備された。
>これらのロケット弾は対地攻撃用であり、西南戦争が始まると、
>軍艦は元より駅逓局用連絡船、郵便船にも自衛用に搭載された(但し、実戦使用は無かった模様)。

とあるのを見つけてもうた

654 :名無し三等兵:2014/11/03(月) 22:45:01.30 ID:nVLaWiJh.net
>>653
面白いサイトを有り難うです
Hale rocketで検索したら、やたらと近代的なランチャーが出て来て驚きましたがw
角度の浅い迫撃砲みたいな形

イギリス人のウィリアム・ヘイル(1797-1870)が開発、最初の売り込み先はアメリカ
米墨戦争で使われた後、クリミア戦争でイギリス軍が使用したが、この時は正式採用にはならなかった
1867年にイギリス軍の正式採用となり、主に植民地戦争で使用されたと

サイズは各種有るが、24ポンド(約10kg)ロケットの標準射程は1200ヤード
条件が整えば4000ヤードにまで延びる事も

張ってくれたサイトの情報から想像すると、ロケットは屯田兵固有の装備では無くて、艦艇から派遣されて来た臨時編成の海軍陸戦砲兵なのかな?
それなら屯田兵沿革に装備の記載が無いのも納得出来るし

655 :名無し三等兵:2014/11/04(火) 21:02:16.30 ID:uTFhB7BU.net
おもしろい情報を教えていただきありがとうございます。
ヘイルロケットは全く知りませんでした。

656 :名無し三等兵:2014/11/04(火) 21:40:52.15 ID:q0N8yhdk.net
この頃のロケットって炸薬と着発信管ついてたの?

657 :名無し三等兵:2014/11/05(水) 16:33:04.31 ID:Yd4eYFw0.net
どうかなと思うよ。
ヘイルロケットってのは噴射孔を三つにして噴射ガスに角度が付くような
鉄の羽根をつけ、ロケットに回転を与えることにより
コングリーブロケットから竿を省いて
飛距離や発射器を改善しただけのものだから。

基本的にこのころのロケットは街や港に群がって停泊した船に火をつけるのに
効果的なだけだった。

658 :名無し三等兵:2014/11/07(金) 18:33:07.07 ID:NUKIs3CP.net
南北戦争の将校に名誉勲章、死後151年 米国
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3031149

659 :名無し三等兵:2014/11/08(土) 18:16:44.77 ID:zbUTzVr6.net
>>658
下級将校にも関わらず戦史に名前を残している様な人物が叙勲されるのは良い事かと
でも、タイミング的に中間選挙が見え隠れする時期なのが残念・・・

アロンゾ・ハースフォード・カッシング
ウィスコンシン出身
1841-63年

1861年6月、ウエストポイント卒業(34名中12番)砲兵科
ニューヨークにて任官

第1次ブル・ラン、ヨークタウン、7日間戦争、メリーランド戦役、フレデリクスバーグに北軍砲兵将校として従軍後、ゲティスバーグ会戦へ

ゲティスバーグ会戦
第2軍団付属砲兵旅団/合衆国第4正規砲兵連隊/Aバッテリー指揮官(中尉)
兵員126名
3インチ・ライフル砲6門

会戦3日目、ピケットの突撃が始まった時、カッシング中尉のAバッテリーは、前進して来る南軍の正面に位置する石壁沿いに砲列を敷いていた
そこは石壁が直角に2度折れ曲がっていて、後に「血染めの角」と呼ばれる様になる場所の近くだった

南軍が石壁に到達した時、隊の使用出来る砲は2門だけだった
カッシングは、その内の1門に残った砲兵を集めた
それは腹部に受けた傷からはみ出した腸を手で抑えながら出した命令だった
カッシングが地面に倒れ込む直前、彼の砲は轟音を立てて至近距離から南軍に火を吹いた

致命傷を受けた南軍のアーミステッド将軍が覆い被さる様に倒れていた砲身は、カッシング中尉が最期に指揮していた砲だった
その場所は後に「南軍最高到達地点」と呼ばれる様になった

660 :名無し三等兵:2014/11/10(月) 10:48:17.10 ID:o/NNlBGf.net
ヘイル・ロケットの話題を見てて思ったが
この頃にはボム・ケッチは無かったのかな?

661 :名無し三等兵:2014/11/10(月) 14:02:13.24 ID:nOzBaJ2R.net
>>660
ボム・ケッチに含まれるのか判らないけれど、南北戦争の北部海軍には
モーター・スクーナー:13インチ臼砲1門と火砲一組を搭載
が有りましたよ
主に河川での交戦に使われたと

662 :名無し三等兵:2014/11/10(月) 20:48:22.78 ID:qX2SAas1.net
アレだよね、駅らしい所にズラーッとならんだ写真があり、
また映画「続・夕陽のガンマン」にも出てくるえらい肉厚の臼砲。

663 :名無し三等兵:2014/11/10(月) 22:01:15.32 ID:N07gFNe7.net
>>659
映画「ゲティスバーグ」のピケットチャージのシーンで、北軍の砲兵が負傷したらしい
他の兵?を抱えていて、それを地面に横たわらせてから南軍戦列に至近距離から
砲を発射するシーンがあるけど、もしかしてそれ?

664 :名無し三等兵:2014/11/11(火) 19:30:05.29 ID:AkAoz+VG.net
>>663
ガーネット将軍の最期のシーンの少し前?
砲兵軍曹に支えられていた砲兵中尉が頭部に被弾したのか揉んどり打って倒れるシーンが有りましたね
その後、軍曹は砲に戻り引き綱を引き発射
砲口の先にはガーネット将軍が・・・

丁度、血染めの角の突出している方の石壁沿いに並んだ2門の3インチ・ライフル砲での出来事でした(右側の砲)
後のシーンでは同じ場所でアーミステッド将軍が倒れました(左側の砲)
カッシング中尉は力尽きて倒れたのでは無く、傷に耐え踏み留まっていたところを頭部に被弾して倒れたとする話も有ります
細部に関しては目撃者に依って一致しない事も有るでしょうし、映画の絵面の都合も有るでしょう
多分カッシング中尉の最期を描いたシーンで間違いないかと

665 :名無し三等兵:2014/11/17(月) 19:45:14.44 ID:EWozkVVW.net
少し上で屯田兵の話題が出ているが。

ネット検索を掛けると屯田兵にも騎兵や工兵、砲兵までいたみたい。
屯田兵だけで軽師団が編制できそう。
それにしても騎兵はまだしも、工兵や砲兵の屯田兵は訓練が大変では、と思うのだが。
そのあたりは問題にならなかったのだろうか?

666 :名無し三等兵:2014/11/17(月) 21:28:25.05 ID:df2+GNoh.net
屯田兵の工兵・砲兵・騎兵は各小隊が若干でした
農作業以外に土木作業にも従事していましたから、その中から工兵を組織するのは無理が無いかな?
また、軍馬飼育に付いての教育を受けた者もいましたから騎兵も有り?
飼育と戦闘とは違いますが・・・
日露戦争では屯田兵の中から、第7師団の各連隊付き乗馬歩兵小隊を編成していますから、それなりの練度は有ったのかと
屯田兵の騎兵だけでは足りそうも無いので、歩兵でも乗馬の出来た兵がいたのかな?

砲兵は謎・・・

667 :名無し三等兵:2014/11/18(火) 19:41:00.55 ID:EJA39K/j.net
>>666
砲兵はやはり4斤山砲が主装備だったのでしょうか?

668 :名無し三等兵:2014/11/23(日) 19:22:49.60 ID:8ZvQap/p.net
基本的にはWWUまで、人力で運ぶのが大半だからなぁ……
ナポレオンが騎馬砲兵を好んだのと対照的だ

669 :名無し三等兵:2014/11/23(日) 19:43:58.05 ID:VPkPoAgc.net
>>668
それはあくまでも非常事態によるもの。
日本も山砲はともかく野砲は馬で運んでいます。
昭和になると自動車牽引を考慮して機動砲という分類まで作っていますし。
ただ、実際問題として、自動車どころか馬にも事欠くことから人力でやむを得ず運ぶことが多かったので
大日本帝国陸軍は砲を人力で運ぶというイメージが浸透する羽目に。

670 :名無し三等兵:2014/11/24(月) 00:13:22.83 ID:/iY8cCji.net
お馬さんの質も劣ってたからねぇ

671 :名無し三等兵:2014/11/24(月) 05:19:18.70 ID:5ynwdId6.net
戊辰とか西南戦争とか国内で戦争してた時は道路が狭くて大変そう。
日清のときの朝鮮半島や遼東半島がまだ道路は広そうな感じがする。ただ補給には苦労したみたいだけど。
日露になってようやく鉄道が使える様になって、前線の近くまでは鉄道で移動できる様になったと思う。

672 :名無し三等兵:2014/11/24(月) 07:49:43.25 ID:1SUalSJe.net
幕府陸軍の仏式砲兵隊は分解した四斤山砲を馬の背に乗せて運んでいますね
鳥羽街道では薩摩の砲撃に驚いた幕府砲兵隊の馬が四斤山砲を乗せたまま逃走したけど・・・

大鳥圭介の伝習隊は歩兵のランドセルを馬の背に乗せて運んでいました
こちらは小山の戦いで新政府軍の銃声に驚いてランドセルを乗せたまま逃走・・・

それなりに馬匹輸送の記録は有るけれど牽引や荷馬車では無いみたい
銃火器の音にも慣らしていないし、やはり本格的な物では無いのかな?

673 :名無し三等兵:2014/11/24(月) 08:19:19.36 ID:iYtZmO0E.net
戊辰戦争の頃は文字通りの荷物を積むだけの馬だろうな。
江戸時代に馬で物を引くというのはまれだったと思うから。
鳥羽・伏見や小山の戦いで幕府側が使った馬は、臨時に買い求めた馬で
軍馬として調教されていなかった可能性が高そう。

674 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 12:32:16.52 ID:kunb9UoR.net
>>670
WW2までは馬の質 (牽引力)も充分ヨーロッパ風に高くなっていたでしょう?
支那戦線ではそれが祟ってバタバタ斃れたらしいけど。

675 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 15:32:27.21 ID:HW/C86Qb.net
馬の質が問題外だったのは日清・日露の話ですな。
1906年の馬政局 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%94%BF%E5%B1%80
の設立から30年計画での品種改良で、競走馬としての能力はともかく、
軍馬としては見劣りしなくなってる。

676 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 18:47:53.09 ID:4usPxEBN.net
軍用馬の品種改良に付いては幕府のフランス軍事顧問団が種馬を兼ねてアラブ馬26頭を持ち込んでいますね
品種改良の担当は榎本軍にも加わったカズヌーヴ伍長
しかし、戊辰戦争の混乱で計画は頓挫
殆んどの馬は有力者の乗馬として一代限りで消耗
明治のフランス軍事顧問団の調査によると9頭のみの存在が確認出来たと
内1頭は千葉で繁殖(2-3頭)していたとの話も有りますが・・・

677 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 20:44:17.37 ID:9Wiu9Jjo.net
このスレは基本的に日清戦争までだから
日本の馬の質は大問題の時期ですね。
それにしても、義和団の乱では日本の馬は欧米諸国の兵に嘲笑されたというのは
どこまで本当なのでしょうか?

678 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 21:30:30.37 ID:HW/C86Qb.net
>>676-677
日本でまともに品種改良が行われるようになったのは
馬政第一次計画 ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%AC%E6%94%BF%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E8%A8%88%E7%94%BB
からで、それ以前は地区単位でバラバラな繁殖計画だったし、大々的に
種牡馬・種牝馬を導入することもなかった。去勢もあまりされなかった。

義和団事件の際、去勢していない & 気の荒い在来種の馬を使ったことで
「馬のような恰好をした猛獣」と言われたというのは、広く知られた話だし、
嘘だとも思えない。

ただ、この改良計画によって在来種が激減、というか半ば絶滅しちゃった
のが悲しいところ。

679 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 22:30:09.30 ID:kgH01SVv.net
いま残ってる木曽馬は駄用馬の系統しかいないのに
日本では明治までずっとこれに乗ってたんですよ、みたいな紹介のされ方してるのが何だかなあ
あれは山奥のお百姓さんが農作業専用にこっそり飼ってた馬の子孫だろと。
乗用の木曽馬なんか品種改良で消えただろと。
なぜ間違いなく乗用馬だと言える御崎馬の方をクローズアップしないのか。

680 :名無し三等兵:2014/11/25(火) 23:04:06.62 ID:YQJAVfuo.net
「馬のような恰好をした猛獣」でググったら
ttp://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/975/
っていうページがヒットした。なかなか参考になりました。

681 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 19:37:55.87 ID:S4MhyTvS.net
日本馬はいろいろ誤解や偏見に満ち溢れている存在だと私は思う。

日本馬のサイズを持ち出してどうしようもないとほざく人もいるが、
それならチンギスハンの蒙古馬のサイズを持ち出すと黙る人が大半。
チンギスハンの蒙古馬のサイズは日本の明治期の馬のサイズと大差ない。
それなのに、日本馬のサイズだと大人を載せるのは絶対無理www、
日本馬で乗馬戦闘なんて子どもでも絶対無理とわかるのに戦国時代の騎馬武者の存在を信じるなんて
大馬鹿、大馬鹿wwww、
何ていうのがネット世界では横行している。

だから、どういう状況を想定しているのか、そして馬に何を求めるのか、きちんと設定しないと
あさっての方向に話が転んでしまう。

682 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:29:56.27 ID:HJuzd6Aj.net
イメージだけの話で申し訳ないが
去勢や蹄鉄の関しては別として、馬の大きさに関しては
アラブ経由で西洋馬が大型化した結果日本馬が取り残されたん?

683 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:48:39.12 ID:JugvBcJV.net
明治陸軍の騎兵がいかにデタラメだったかは、良くも悪くも日本騎兵の父と呼ばれる秋山好古の経歴を見ればわかる。

秋山好古は松山藩の石高10石の徒士の子弟で、馬とは何の関係もない家庭環境で育った。
秋山好古が乗馬を始めたのは士官学校に入ってからで、騎兵科の同期は3人だ。
その中で一番優秀だったのが士官学校に入ってから乗馬を始めた秋山好古だった。
義和団事変のときの陸軍騎兵で、室町戦国時代の乗馬武士のレベルは語れない。

684 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 20:52:21.59 ID:JugvBcJV.net
伊藤博文や山県有朋は良くも悪くも騎兵隊でなく奇兵隊出身。
上士の乗る軍馬のことなど全く理解していない。

685 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:04:20.00 ID:S4MhyTvS.net
江戸時代に乗馬文化が日本では完全に廃れたからな。
確か早馬を使えたのは幕府のみで、大名ですら藩元と江戸との連絡は早飛脚に頼るしかなかった。
(だから、忠臣蔵で赤穂への江戸からの連絡に早馬を使うのは全くの出鱈目)
こんな状態だから、日本馬は江戸時代に農耕馬が主な用途にならざるを得なかった。
更に農地の限界から、馬耕よりも人手で耕作が当然になった。
(馬を食べさせる農地があるなら、人手でその農地を耕作した方がよいという理屈。)
このため、農耕馬も激減した。そんな状況だから、馬も少しでも小さい方がいいという理屈が横行しだす。
そんなこんなが積み重なって、明治初期の日本馬は異常に小型化して、馬に関する技術も退化していた。

686 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:16:11.69 ID:JugvBcJV.net
こないだもりおか歴史文化館で見た展示説明だと、
南部藩では「駒」は牝馬で、「駄」は牡馬だという。
「上駒」を使えるのは上級武士だけ。庶民が運搬用や農耕用に使えるのは軍馬として使えない「駄」、つまり牝馬だけ。
「駒」の売買は厳しく規制されていた。幕府の早馬はみんな南部馬。

687 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:19:11.64 ID:7usMEnua.net
>>685
飛脚ってめちゃ速かったはずだぞw
幕府の飛脚はつぶよりで構成されてる。

688 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:20:22.50 ID:S4MhyTvS.net
>>687
飛脚は馬に乗っていたっけ?
乗馬文化の話をしているのだが。

689 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:22:10.09 ID:S4MhyTvS.net
それを言い出したら、古代地中海世界で騎兵が発展しなかったのは
山がちの地形では人が走って連絡する方が馬よりも速かったからと言う説があるくらいだから。

690 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:22:53.99 ID:7usMEnua.net
>>688
人のほうが早いんだよw
駅逓で馬取替とか面倒くさいんだよ。

軍事上の理由で橋のない川もかなりあるので
人が渡してた。

NHKのタイムスクープハンターでも増水した川に
突入する川越人足の話あっただろうがw

691 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:24:40.97 ID:c6ICxViC.net
>>682
北ヨーロッパあたりの土着の馬が元々デカかったらしい。いわゆる重種ってやつ
そこに走るのは速いけどそんなに大きくないアラブを掛け合わせたって感じかな

銃器が発達したせいで、とにかく騎兵は敵が弾込める前に突っ込めないといかんってことで
必死こいて改良したんよ

692 :名無し三等兵:2014/11/26(水) 21:41:37.83 ID:ZXLhGiMQ.net
でかい馬はそれだけ飯食うし、農耕馬としてはでかすぎて不経済だからいらない
意図的にでかくしようと頑張らない限り特に山がちな日本なんかではでかくならない

ヨーロッパは一時期無暗にでかくしようとしたからな
ペルシュロン系だったか中世騎士は馬鹿でかくしすぎ鈍重で足が弱いとかなんかか当時から批判してた奴もいたとか

中国だと漢や唐ですでに国営牧場作って馬そろえたりしてるんだが
ヨーロッパの馬飼育精度がどうなってたのは詳しくは知らない

693 :683:2014/11/27(木) 00:18:40.10 ID:Y2wU4yGJ.net
>>691-692
なるほど。ありがとう

694 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 00:52:30.37 ID:O35hqR7h.net
織田信長が整備しだすまで、日本は主な街道すら人がすれ違うのがやっと、江戸時代に入ってようやく旅籠が出来たくらいで、馬車を通すようにはなってない。
大都市の中と、江戸や大阪、京都など重要都市の周辺のみが、かろうじて大八車を使えたくらいで、舗装道路なんてほとんどなかった。
しかも都市圏ですら、橋が痛むという理由で荷車の通行を制限していたし、荷車の所有と使用は許可制、人に怪我をさせたら死罪だったほどだ。

実は抱え大筒などの砲術書には「梯子や土俵、荷車などを利用して撃て、いたずらに抱えて撃つな」と書いてあったくらいだが、肝心の車が街道を進めない。
だから大砲にしても牽引が出来なかったため、分解して駄馬なり牛なりに載せるしかなく、比較的に軽量な山砲が好まれたってだけの話しだ。
それ以前には軍艦のカッターなどに載せる、ボートキャノンが転用されてたくらいだから、いかにインフラが足を引っ張ったかが分かるだろう。

695 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 08:32:13.24 ID:LasmwX9U.net
>日本は主な街道すら人がすれ違うのがやっと

信長以前の軍隊の行軍なんかはどうしてたの?まさか一列縦隊?

696 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 09:42:06.07 ID:t4t0mMfr.net
獣道というのもあるが、近代陸軍みたいに四列縦隊とかはない。

要するに大名行列が武士の行軍隊形。平地の敵前では備の陣形。

697 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 13:55:08.25 ID:vbqc1jyB.net
馬を軍事に使い出したのは近東だと思うが、
少なくとも歴史に現れたのはそうだと思うが、
最初は小さくて弱く、人を乗せて走れなかったから
ごく軽く作った二輪車を牽かしてそれに射手などを乗せたんだよね。

698 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 14:57:27.98 ID:aOC9euYU.net
>>695
『センゴク』の桶狭間戦記などは、当時の雰囲気を良く伝えているよ。
マジで一列縦隊か、良くても二列で、左右に草木の迫る、間道のような道を行軍するんだ。

699 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 19:46:28.34 ID:HznZ4mPZ.net
こういうのって、どこまで本当なのだろう?本当に東海道でも戦国時代は1列でしか行軍できなかったのだろうか。
行軍となると前の人と最低1メートルは空けないと武装した兵士は行軍できない。
火縄銃にしても長槍にしてもそれは変わりない。そうしないと兵士同士がぶつかり、行軍どころではない。
となると小田原の戦いのときは豊臣軍は先頭から後端まで200キロメートルと言う長大な行軍を行ったことになる。
また、関ヶ原の戦いで東軍7万8千は先頭から後端まで78キロという長い隊列で行軍せざるを得ず、
赤坂から関ヶ原まで東軍は絶対に駆けつけられない。何しろ、前列の部隊が展開して布陣しないと道路は空かないのだ。
従って、関ヶ原の戦いは大嘘ということになるのだが。

700 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 21:24:39.65 ID:pzsBL7Gn.net
そろそろスレ違いになってるぞ。
まあ江戸時代の旧街道なんかでも広くなってるのは宿場町周辺だけで、途中の道はやたら細くなってるという話は良く聞く。

701 :名無し三等兵:2014/11/27(木) 23:47:41.27 ID:+C591jmT.net
信長が街道整備したときには幅3間

 江川には舟橋を仰せ付けられ、嶮路を平らげ、石を退けて大道とし、
 道の広さ三間間中、路辺の左右に、松と柳を植え置き 『信長公記』巻8


江戸時代の東海道は6間

 天下之通路自他共大海道ハ六間  『家康百箇条』

だけど、すべての区間が6間ではなかったようだ

ttp://sfsnet.s180.coreserver.jp/sfsnet1/news_images/2007/20071117_yamamoto-hirosi/soushukodo-fujisawa_lecture.pdf

702 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 08:43:38.59 ID:kApwurXm.net
幕末の官軍は、山あいで道が良くない中山道じゃなく
中山道よりは整備されてる東海道を使用した。
道をあまり整備せず、大井川などに橋をかけなかったのは
江戸を攻めづらくしようとした、幕府のもくろみ

703 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 08:54:14.76 ID:uwIFksqB.net
板垣退助「・・・」
近藤勇「・・・」

704 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:33:39.88 ID:pltrvK+n.net
でもまあ幕末の動乱で、日本が一気に体制が入れ替わったのって、やっぱり蒸気船の影響が大きいよな。
大量の兵員を移動するのにそれまでの交通インフラじゃ無理。
黒船の来航を驚きをもって迎え入れた当時の日本人は、なかなかいいセンスを持ってたと思う。

705 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:40:29.50 ID:Un3fMWi8.net
いや、挑戦征伐とか関ヶ原とか大坂の陣とか島原とか10万は普通に動員してるで

706 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:50:38.27 ID:W9BkWNlz.net
戊辰戦争の戦闘(一会戦)で万単位の参加兵力なんて無かったしなぁ
地元でも戊辰戦争の戦闘が有ったけど、両軍合わせて二千行ってないし
そんな兵力でも宿場町三つが灰塵に・・・

707 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:56:17.55 ID:ddCcB/aV.net
>>705
ちょっと粗い計算をしてみる。
10万人の兵糧として、1日に100トンの兵糧が最低でも必要になってくる。
(米だけでおかずなしというのが大前提。おかずを入れたらもっと必要になる。
WWU中の米軍は兵士1人当たり1キロではとても足りない(米国の食事はおかずが必要不可欠)
と計算していた。)
100トンの兵糧を前線に運ぶのに人力でどれくらい必要だろうか。
1人100キロ運べるとでも?それでも1万人は必要だ。
更にその運ぶ人のために食料は別途必要で。頭が痛くなってきそう。
本当に10万人動員して、兵糧は十分に確保できていたのだろうか?

708 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 19:57:30.01 ID:ddCcB/aV.net
>>707
一部訂正。1万人ではなく1000人が必要。

709 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 21:15:15.69 ID:K1hPz9xM.net
近世大規模軍隊の兵糧輸送は基本的に船だよ。
秀吉の九州征伐でも、輸送船が追いつくまでに手持ちや近隣の
食料食いつくして飢餓状態、とかやってる。

あとは敵地の城を落として貯蔵食料を食うとか。朝鮮はこれかな。

710 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 21:23:02.28 ID:Un3fMWi8.net
城自体が要塞兼倉庫だから行軍はなんとかなる

朝鮮では補給不足で島津さんがだいぶひもじい思いをしていたそうだが

711 :名無し三等兵:2014/11/28(金) 22:19:28.61 ID:pSNvac64.net
>>706
長州征伐では10万単位で動員した結果幕軍惨敗で
銃持ってる奴だけが戦力だって気付いたから
以降は銃火器の数にひっぱられた動員になってんだよ

712 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 00:40:11.23 ID:OXTuELPH.net
>>711
ゴメン、戦争全体の動員数の話だったんですね
一会戦の参加兵力と勘違いしてた

四境戦争の幕軍も各口(戦線)への派兵戦力は公式では万単位だけど参加実数は
・芸州口は先鋒(大敗した伊井とか)は三千、後続の主力でも五千
・石州口は八千
・大島口は三千
・小倉口は小倉藩の参加部隊は分かっても実兵力が良く分からないので・・・
でも個々の戦闘の参加兵力は多くないと思います
高杉がゲリラ戦を仕掛けていたから
(何れも海上兵力は除く)

これ以後、兵力は揃えられた火器の数に影響を受けたと言う説には、何か納得

713 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 03:10:58.18 ID:fUyzSde6.net
黒船、つまり蒸気機関の船に限った話ではなく、中世末期から近世にかけての軍隊は、艦船からの輸送を期待できる沿岸部か、鉄道ないし河川のそばで無い限り、補給が停滞して戦えなくなるんだよ。
西洋の近代軍が植民地の原住民に負けた戦いのほとんどは、内陸部で補給を期待できず、また移動に時間がかかって分進合撃を阻まれる状況で、平たく言えば動員力を活かせない時に発生している。

ただし逆も真なりとは限らず、インカ帝国のように少数の近世軍隊が、人口数万の帝国都市を陥落させることもある。
もっともインカ帝国は鉄器すら持たない石器時代の文明だったし、生贄の儀式で徴発を繰り返し、被支配民族の恨みを買ってたなど、特殊な条件が色々と重なってたが。

714 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 03:36:27.95 ID:3bu2M5LV.net
蒸気船のメリットはまず大河川など大型帆船の入りづらいところでも行動できるところだよね。
阿片戦争なんかでは小型の蒸気船が大型の軍艦を曳航して天津や揚子江沿岸まで進行してる。

日本沿岸だと湾内での活動に有利じゃないかな。湾内に設置された砲台に接近して砲撃戦を行う等は
従来の帆船では難しいと思う。

715 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 04:03:28.86 ID:3bu2M5LV.net
あと日本沿岸だと従来は季節風を利用した航行をしてたと思うんだが、蒸気船だと季節による制約を受けるのが
なくなるのが大きいんじゃないかなあ。

716 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 05:00:38.49 ID:qbRHhsNa.net
やっぱ破壊力より機動力だよね

717 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 05:03:05.06 ID:jvnHCest.net
>>713
インカが滅んだのはヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌でやられたからだよ
「 銃・病原菌・鉄」を読め

718 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 08:52:10.94 ID:OXTuELPH.net
西洋の近代軍が植民地の現地人軍に負けた戦いで>>713の条件に当てはまる戦いって何処だろう?

西洋軍が大敗した有名所だと
イサンドルワナは補給は充分な状態だったけれど、ズール族を舐めて掛かって全滅
ハルツームは政治的な問題で解放軍の派遣が遅れて籠城軍が全滅
で、条件と違うし

強いて言えば、山岳地帯で包囲され全滅したカブール撤退でのガダマク?
カブールを明け渡せば軍人4500と民間人12000の安全な撤退を保証するとの協定を結んだ後に撤退
しかし、協定は反故にされ30000の現地人軍に襲撃を受け軍人民間人共に全滅
(戦死以外に凍死とかも有ったけど)
やはり少し違うし・・・

719 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 09:00:07.71 ID:OXTuELPH.net
>>718
間違えを・・・
×ガダマク
〇ガンダマク

720 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 10:39:25.54 ID:eZE6ZBxm.net
>>717
インカ帝国はまず皇帝を捕虜にしたのが良かったんじゃないの?
まあ読んでみようと思うが。

721 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 23:03:24.04 ID:8P1P9rkU.net
>>718
イギリス側は1200人しか居ないじゃないか?

722 :名無し三等兵:2014/11/29(土) 23:28:53.52 ID:8P1P9rkU.net
あぁイヤ改めてwikiったが、イギリス側はヨーロッパ兵800人の、アフリカ兵が900人だ。
最終的な被害者数が1200人ね。
対するズールー軍は2万人で、死傷者は3000人。

723 :名無し三等兵:2014/11/30(日) 10:40:58.15 ID:h9oQqcnp.net
死傷者の数と戦場の勝敗は関係ない。旅順で勝利したのはロシアでなく日本。
硫黄島で勝利したのは日本軍ではなく海兵隊。
モガデシオで勝利したのはデルタやレンジャーではなく、ブラックホーク撃墜したソマリアの武装住民。

724 :名無し三等兵:2014/11/30(日) 19:47:41.89 ID:QgrhbQRs.net
>>723
確かにおっしゃるとおり。
日本も本土決戦を決断していたら、一億玉砕をはたして米ソに降伏する
屈辱を味わうことなく、千載の栄光に輝いたろうに。
返す返すも残念でならない。

725 :名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:36:04.62 ID:BZUbQ9oS.net
>>724
まぁ共産国家の衛星国になるんだけどねw

726 :名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:42:16.40 ID:CoPjICaJ.net
>>722
wikiの数字にはナタールのヨーロッパ人入植者兵が入っていない様ですね
入植者兵を入れつつ数字を丸め直すと

イギリス兵750人
入植者兵200人
先住民兵1050人
(その他、兵站馬車の御者等の民間人300)

入植者兵の数は少ないですが、ズールー族との交戦経験は豊富でした
彼らの忠告や助言を無視し、ズールー族を過小評価した結果が、イサンドルワナでの敗北に繋がったと

727 :名無し三等兵:2014/11/30(日) 20:59:45.51 ID:jkc3OPaK.net
>>725
衛星国にはならないよ。
日本人は米ソに徹底抗戦して絶滅するのだから。
降伏するくらいなら死を選ぶ、東条英機が説いた戦陣訓に則る日本人。
千載の栄光に輝き、世界史で永遠に語り継がれると思います。

728 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 00:57:53.68 ID:YCpje965.net
西洋の軍が現地軍に負けたのってベトナムあたりでフランス軍が清軍に大敗したのがなかったっけ

729 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 13:35:15.90 ID:HcLob5jd.net
いや逆に死傷者少なくても軍事的に完敗ということもある。殺人は軍事作戦の第一目的ではない丸

薩英戦争はイギリスの方が死傷者多いが、砲台全滅して市街焼かれた薩摩の完敗。
馬関戦争は海岸砲台占拠された長州の完敗。
ラバウルは終戦まで占領されなかったが別に日本軍の勝利でもなんでもない。
連合艦隊も瀬戸内海にプカプカ浮かんでるだけではどうということはない。

730 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 19:43:02.74 ID:uYMeuuuf.net
>>729
全くおっしゃる通り、パラグアイを見よ。
死傷者を多数だし、国民の8割を失おうとも、独立を維持し、軍事的には勝ったといえる。

731 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 21:10:51.85 ID:IubEYBcN.net
>>730
言えるわけね〜だろ。三国戦争について30秒ぐらい調べてから出なおせ。

732 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 21:40:41.17 ID:Q99SERft.net
>>731
ロペス大統領はパラグアイ史上最大の英雄になっているじゃないか
間違ったことは言ってない。

733 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 22:41:42.36 ID:csAZsKrF.net
>>730
傀儡政権が続いて二度と工業国として立つことを許されず、
未だに工業製品無関税でもか?

734 :名無し三等兵:2014/12/01(月) 23:05:34.52 ID:GyVLoTAN.net
>>732
ナポレオンはフランスの英雄だけど、フランスはナポレオン戦争で軍事的に負けていますよ?
英雄の存在と勝ち負けは無関係かと

735 :名無し三等兵:2014/12/02(火) 01:15:17.68 ID:sG6s1ib9.net
独立を勝ち取ったなら、政治的にも軍事的にも、勝利と見做すのが公正ってもんだろ?
それが例えピュロスの勝利であったしても、敗北するよりはずっとマシだよ。
WWUのロシアも、一連のインドシナ戦争におけるベトナムも、被害に見合わない勝利だったけど「負けるべきだった」なんて声はないぜ。

736 :名無し三等兵:2014/12/02(火) 02:01:36.38 ID:sFLTVcz+.net
>>735
お前が気違い荒らしなのは理解してあげたから、消えろ。

737 :名無し三等兵:2014/12/02(火) 10:09:18.47 ID:t38sAL/o.net
突然どうしたんだ?
眠いなら寝てから書き込めよ

738 :名無し三等兵:2014/12/02(火) 22:20:34.59 ID:i717qqH3.net
>>735
「負けるべき」なんていう意気地なしは中々いないからなw
まぁ大日本帝国みたいに負けて大経済成長できたのが例外なんだよw

739 :名無し三等兵:2014/12/02(火) 23:18:28.42 ID:RlIDs/Mm.net
>>738
ドイツなんて第一次と第二の二回もやってますぜw

740 :名無し三等兵:2014/12/03(水) 09:19:51.33 ID:yUfnxxnH.net
フランスも七年戦争、ナポレオン戦争、普仏戦争、西方電撃戦、インドシナ戦争に敗北してるが、
今のドイツは電力も食料も全くフランスに依存している。

741 :名無し三等兵:2014/12/03(水) 19:55:30.60 ID:0X4NJ1UT.net
>>739
流石に3回目はやる気がないようだw

742 :名無し三等兵:2014/12/04(木) 00:33:46.16 ID:iWCNhOhJ.net
>>741
する必要のないものをやる気云々で語られても

743 :名無し三等兵:2014/12/04(木) 07:25:32.97 ID:MBwRr0ce.net
まあ西欧内部で抗争する必要ないしな。
欧州での対立線はぐっと東方に移って、ロシア、ウクライナ間だし。
ただロシアがエネルギーカードを武器に欧州の何カ国かを取り込む可能性がこの先無い訳ではない。

744 :名無し三等兵:2014/12/04(木) 13:31:49.11 ID:F7JbEMWc.net
今はフランスもドイツもロシアと敵対する気はさらさらない。

我儘し放題で孤立してるアメリカがうるさいから対立するフリだけしてる。
日本も同じ。

745 :名無し三等兵:2014/12/21(日) 19:35:05.82 ID:YcsO7j71.net
保守も兼ねて

日清戦争で日本軍や清国軍が使った火砲はどんなものがあるのでしょうか?
小銃に関しては日本では村田銃が主に使われた(最も後方部隊までは装備されていなかったみたいですが)ようなのですが
どんな火砲が使われていたのですか?

746 :名無し三等兵:2014/12/22(月) 20:25:50.33 ID:fozoT+8m.net
日本陸軍はこういうのですね。
http://d.hatena.ne.jp/taron/20130421/p3

747 :名無し三等兵:2015/01/13(火) 13:05:23.00 ID:Z/zZZIlf.net
パリテロのニュースで知ったけど、今のフランス内相の名前はカズヌーヴって言うんだね
いや、それだけなんだけどw

748 :名無し三等兵:2015/01/13(火) 22:04:19.90 ID:E2Uf+x6r.net
>>747
カズヌーヴか
幕末のあの人の子孫かも

それにしても19世紀後半の頃に軍事顧問として外国に派遣された人には優秀な人が揃っていますね。
フランス軍事顧問団のシャノワーヌ大尉は後にフランス陸軍大臣まで出世しましたし
ラストサムライのモデルといわれるブリュネ大尉も将軍にまで昇進しています
(フランス軍参謀総長となったというのは訳語的にはやや不正確だとか。
日本では参謀総長は陸軍大臣と同格ですが、ブリュネが務めていたのは陸軍大臣の部下で少将クラスが任命される役職。
従ってせいぜい陸軍省の局長クラスとのこと)
日露戦争でバルチック艦隊司令官を務めたロジェストヴェンスキーもブルガリアに派遣され
ブルガリア海軍の事実上の司令官の地位をロシア海軍大尉の身で務めている。
他にも有名な例が多々ありそう

749 :名無し三等兵:2015/01/14(水) 19:56:45.51 ID:oghDIUZ9.net
ブリュネが務めていたのは
Chef d'Etat-Major du ministre de la Guerre
戦争大臣付き参謀長
で、戦争大臣の補佐が任務だった様です
chef de cabinet
主席補佐官、主席秘書官
と、文官を思わせる名称で呼ばれる事も

Ministre de la Guerre
時代によっては陸軍大臣の性格が強かったり、海軍への影響力が強かったり弱かったり・・・
シャノワーヌの就任直前には Ministere de la Marine
海軍大臣
が制定されていました
現代は
Ministere de la Defense
国防大臣
として全軍を統轄してます

旧軍の陸軍参謀総長に近いのは
Chef d'Etat-Major general de l'Armee
戦争大臣付きとは異なり、実際の作戦立案と実行に関わったと
(旧軍の参謀総長の様に陸軍大臣と同格と迄は行かないみたいですが)
階級は当時のブリュネと同じ General de division
(現在のNATO階級区分の少将とは異なり、旧軍の中将の方が近いかと)
WW1以降は上位の常設階級が制定された為、それらが務める事も有りました
権限の拡大に合わせて名称も変化して行き、現在は
Chef d'Etat-Major des Armees
統合参謀総長
として、全軍の作戦その他を統轄しています

※eのアクセントは省略

750 :名無し三等兵:2015/01/16(金) 19:46:58.57 ID:Fu0LM1YU.net
>>749
詳しい解説をありがとうございます。

それにしても戊辰戦争と日清戦争は遠いようで近いみたいですね。
戊辰戦争と日清戦争と両方で活躍したと言えば立見将軍が有名ですが(日露戦争でも活躍しましたが)
他にも私が知らないだけで結構いそうな気が。

751 :名無し三等兵:2015/01/17(土) 02:08:31.78 ID:hBRFszsm.net
>>725

衛星国どころか朝鮮半島ともどもよくて「東アジアのバルト3国」、
悪けりゃ「東アジアのカリーニングラード」になってかもしれんよw

752 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2015/01/27(火) 20:51:05.51 ID:5ezGaGUL.net
NHK教育 2015年1月27日(火) 23時00分〜23時45分
先人たちの底力 知恵泉(ちえいず) 負けても生き残れ!「榎本武揚」


幕臣として函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗した榎本武揚。
敗北後は一転して新政府の高官となった。なぜ彼は生き残ったのか。そこには一つの秘められた思いがあった。

番組内容テーマは「負けても生き残れ!」。榎本武揚ほど波乱万丈の人生を送った人も少ないだろう。
幕臣として、函館・五稜郭で最後まで新政府軍に抵抗。敗北後は一転して新政府の高官として登用された。
なぜ彼は生き残れたのか。いや、生き残ろうと思ったのか。
ともすれば「転向した」と非難される榎本。その人生を探ると、すさまじい能力と決意が明らかに。
新政府側の人間を感動させた榎本の行動とは?
埋もれた榎本の功績に光を当てる。

753 :名無し三等兵:2015/02/01(日) 19:15:32.37 ID:EkOaif4x.net
日清戦争の頃の列強の海軍力はどれくらいなのか分かりませんか。
ドイツが艦隊法を制定する以前の海軍力が分からないもので、どうかよろしくお願いします。
イメージだと英が突出していて、仏がそれに次ぎ、露が世界第3位。
独米伊は遥かに格下。清日は問題外というところなのですが。
本当のところはどうなのでしょう?

754 :名無し三等兵:2015/02/05(木) 11:12:26.93 ID:B3gOpfrV.net
個人的な考えだけど、英国が1番というのは
分かるが、アメリカの評価が低すぎないか?
フランスと同等或いはその下くらいだと
おもうのだが
ドイツはティルピッツ前は、沿岸警備隊に毛が生えた
程度と 何かで見た記憶がある。

755 :名無し三等兵:2015/02/05(木) 19:32:02.86 ID:x4t4PrKv.net
>>754
以前、何かで見たのですが
米西戦争に独が介入を検討した際に、独海軍により米海軍を圧倒して、独陸軍による米本土上陸、ワシントン占領も可能
と独陸軍参謀本部は判断したそうです。
大間違いだったらすみません。

756 :名無し三等兵:2015/02/05(木) 22:54:48.80 ID:Cutb2tX1.net
>>753
コンウェイの図鑑持ってるから、ひまさえあれば艦種ごとの隻数まで調べられるよ。
今度の休みにでも調べてみっか。

>>754
日清戦争ということは米西戦争前。フランスと同等どころか、やっと「戦艦作ってみた」
程度だと思うが。

757 :名無し三等兵:2015/02/06(金) 18:50:49.81 ID:d4kGUt+w.net
>>753
ゲームの話で申し訳ないが、「パックス・ブリタニカ」だと米海軍の初期戦力は
日本以下だったよ。

758 :名無し三等兵:2015/02/06(金) 23:36:22.94 ID:tbySsZAM.net
Pax Britannica の日本は強すぎ。明治13年に10戦力海軍ユニットなんかないだろ。

759 :名無し三等兵:2015/02/06(金) 23:54:15.30 ID:37bSCZpd.net
ちょっと調べてみたんだが、米西戦争勃発時のアメリカの戦艦は
テキサス、メイン、インディアナ、マサチューセッツ、オレゴン、アイオワ
の6隻みたいだな。

>>758
あのゲームの日本海軍は日本海海戦の勝利という要因が戦力に
プラスされている。実際の艦艇の数ではなく。

760 :名無し三等兵:2015/02/07(土) 07:52:47.85 ID:vrBA3DyU.net
>>759
メインが沈んだところから戦争スタート。

リメンバー・メインのキャンペーンが打たれてアメリカは対スペイン戦争の戦意を燃やしました。

761 :名無し三等兵:2015/02/07(土) 21:50:43.94 ID:kHaFqLpM.net
アメリカは、第二次大戦まで
戦争開始→軍拡
戦争終了→軍縮の繰り返しだから
よく分からん

762 :名無し三等兵:2015/02/07(土) 23:37:49.69 ID:yK1OUPtx.net
戦時に困らなくて無くていい状況なら常備軍なんか少ないほうがいいに決まってる

763 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 09:36:40.55 ID:RxaSOkue.net
アメリカは、モンロー主義だったからね。
現在のように世界の出来事に、顔を出すのが
珍しい

764 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 19:58:43.57 ID:3gxB2kdg.net
数えたよー。
まずは欧州列強から。

一等戦艦/二等戦艦/小型装甲艦/旧式装甲艦/甲鉄巡洋艦/防護巡洋艦/無防御巡洋艦/水雷艇。
一等戦艦は1万トン以上、二等戦艦は5000トン以上、小型装甲艦はそれ以下。

イギリス 20 / 2 / 4 / 31 / 12 / 73 / 26 / ca.100
フランス 7 / 10 / 8 / 15 / 7 / 17 / 33 / 221
ロシア 4 / 4 / 4 / 25 / 4 / 3 / 1 / 50
ドイツ 4 / 5 / 6 / 8 / 0 / 3 / 31 / 104
イタリア 5 / 3 / 0 / 11 / 1 / 10 / 3 / ca.120

765 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:03:55.27 ID:3gxB2kdg.net
欧州二等国。

オーストリア 0 / 3 / 0 / 3 / 1 / 5 / 12 / 49
オランダ 0 / 1 / 12 / 0 / 0 / 0 / 16 / 22
スペイン 0 / 1 / 0 / 3 / 3 / 6 / 19 / 15
スウェーデン 0 / 0 / 6 / 0 / 1 / 2 / 0 / 15

766 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:12:24.84 ID:3gxB2kdg.net
アジア諸国。

トルコ 0 / 1 / 0 / 15 / 0 / 0 / 7 / 26
清 0 / 2 / 0 / 0 / 3 / 5 / 14 / 11
日本 0 / 0 / 0 / 3 / 1 / 7 / 8 / 24

アメリカ諸国。

アメリカ 0 / 0 / 0 / 0 / 1 / 9 / 6 / 2
アルゼンチン 0 / 0 / 3 / 2 / 0 / 3 / 0 / 23
ブラジル 0 / 0 / 4 / 3 / 0 / 3 / 2 / 21
チリ 0 / 1 / 0 / 2 / 0 / 4 / 2 / 13

767 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:21:44.61 ID:3gxB2kdg.net
清国海軍を除いて、1894年末の勢力を示した。
アメリカ合衆国の平和ボケぶりはすごいが、すでに戦艦の建造は開始している。

768 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 20:52:51.42 ID:DIe+aeX1.net
おお、本当にありがとうございます。
アメリカが南米三国以下の海軍力とは意外。
そして、普通に考えたら日清戦争で日本の海軍力は圧倒的に劣勢。
よく日本が日清開戦を決断したものだ。

769 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 21:08:53.93 ID:3gxB2kdg.net
>>768
アメリカ最初の戦艦「テキサス」が建造されたきっかけは、ブラジル海軍の小型装甲艦
(二等戦艦に分類してもよかったかも)「リアシュエロ」の建造を知って、
「いまブラジルと戦争したら、アメリカの全艦隊でかかってもリアシュエロ1隻にかなわないぞ!」
と議会で糾弾されたからだそうです。
「テキサス」は1886年予算、1889年起工、1892年進水、1895年就役。

770 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 22:21:36.23 ID:DIe+aeX1.net
19世紀末のブラジルは意外と海軍大国だから

確か世界で2番目にド級戦艦を保有したのはブラジルだったはず
(さすがに自国建造は無理で、英国に外注したそうだが)

771 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 22:27:50.81 ID:YzwkaT+C.net
アルゼンチン、ブラジル、チリの南米ABC3か国で軍拡してたんだよね

772 :名無し三等兵:2015/02/08(日) 23:17:01.20 ID:WyQMsy4M.net
>>763
モンロー主義ってのはたこく不干渉とちゃうよ。
南北アメリカ大陸はアメリカが牛耳るからヨーロッパは手を出すなって感じで。

773 :名無し三等兵:2015/02/09(月) 07:51:45.00 ID:PAxfk0r0.net
この時期の軍艦って日進月歩だよね。
ちょっとアップデートを怠ったら、あっという間に遅れを取ってしまう。
90年代ころのパソコンや携帯みたい。

774 :名無し三等兵:2015/02/11(水) 19:24:24.86 ID:veqhsiUI.net
そういえば日清戦争開戦の際に日本海軍の恐怖の筆頭だった鎮遠は
日露戦争までは何とか二等戦艦だったけど日露戦争終戦直後には時には戦艦どころか海防艦扱いになったとか。
本当に日進月歩としか言いようがないな

775 :名無し三等兵:2015/02/28(土) 10:52:09.37 ID:LCCRfGgC.net
保守

776 :名無し三等兵:2015/03/01(日) 23:23:07.35 ID:ZC3nH6/S.net
まあ、現代の超大国アメリカと、片田舎に降って湧いた往時の弱小国家アメリカはもはや別の国だと考えた方が…
国のあり方やら何やら、根幹に通ってるものはともかく、実情がまるで違いますし

777 :名無し三等兵:2015/03/07(土) 18:00:06.86 ID:BEq7GRus.net
ペリーが来る十年以上前から日本は西洋式の陸戦部隊を養成していたとは。

778 :名無し三等兵:2015/03/07(土) 19:20:26.78 ID:toQZGkyb.net
>>777
問題は、それが幕府主導の下、全国規模で編制できなかったことだな。
それが実現していたら、幕末から明治維新の流れが大きく変わっていたろうに

779 :名無し三等兵:2015/03/07(土) 20:53:38.38 ID:BEq7GRus.net
>>778
そんなに違わないのでは?長州藩とか佐賀藩とか紀州藩とか。
封建制を自ら崩す改革ってのは無自覚に陥っている場合が多そうだし。

780 :名無し三等兵:2015/03/07(土) 20:56:53.42 ID:BEq7GRus.net
高島秋帆
下曽根信敦
江川英龍

この辺から長崎横浜系へ流れる西洋歩兵の話希望。

781 :名無し三等兵:2015/03/11(水) 00:38:57.45 ID:wF42b+Ic.net
つべにあがってる黄海海戦のシナ映画www
艦長が犬を軍艦に持ち込んで黄海気分だから負けるんだろww

海戦の勝因と敗因は日本軍最低級のプロ軍人を錬成したのに対してそもそも漁船のりレベルの民間人をほぼ訓練なく軍艦に徴用して職業軍人編成してなかったんだよね。9割
負けて当たり前だろ


黄海海戦は元々の総力はチャイナが1.5倍以上で上だった。砲撃戦の経過も職業軍人側の日本も徴用漁民のシナも大差なく5分の経過だった。
ところが交互に被弾してからシナ側はダメージコントロールが一切出来ず職業軍人の日本兵はそれができたから継戦でできて同時に大破したとしてもチャイナは継戦できなくて撃沈された

旅巡も同様。当時世界屈指の大要塞があったのにやはり無訓練の徴用兵を使って防衛戦にならなくて継戦不可能になった。

装備でかてて練度と戦争計画、指揮官の少なさによる敗北

782 :名無し三等兵:2015/03/11(水) 18:56:59.47 ID:KQ+RQou8.net
西洋歩兵の話なら高野長英を忘れてはいかん。

783 :名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:38:54.52 ID:RSRV+lgT.net
>>781
清国の北洋艦隊で撃沈された軍艦は黄海海戦では巡洋艦3隻だけだが
それも700発以上当ててやっとこの始末。
日本海軍の練度は高かったかもしれないが、装備がどうにもならん。

784 :名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:52:05.51 ID:RSRV+lgT.net
>>781
旅巡も同様とあるのは、旅順要塞攻防戦のことだと思って書くけど。
(大間違いだったらすみません、旅巡という世界屈指の大要塞を無知で知らないので)。
そもそもこの時の清国軍は1万3000人ほどしかいない。
1万6000人が残存していたにも関わらず日露戦争時の旅順要塞守備隊は降伏のやむなきに至ったように
旅順要塞を2万人以下で守るのは不可能(日清戦争時と日露戦争時と要塞規模や程度は違うけど
守備隊が守らねばならない範囲はそう変わっておらず、要塞線は25キロもあったので、1キロ当たり500人で
清国軍は守備する必要があった。しかも予備隊なしで。これでは守り抜くのは無理と思うが、762の頭の中では余裕なのだろうか)
日清戦争の頃、機関銃もない時代に1キロ当たり500人の防衛線で守り抜けるものだろうか?

785 :名無し三等兵:2015/03/11(水) 19:52:45.72 ID:RSRV+lgT.net
762は782の誤記です。
すみません。

786 :名無し三等兵:2015/03/12(木) 10:40:10.58 ID:LZX49emn.net
そもそも日清戦争時の旅順要塞と
日露戦争時の旅順要塞は別物だろう

787 :名無し三等兵:2015/03/13(金) 01:02:59.91 ID:M01wpem9.net
日清時代の旅順は要塞と言ってるが砲台はあるけど城塞都市のようにシナ囲郭をめぐらせた総構えみたいなもんだし
新市街もなかった

788 :名無し三等兵:2015/03/19(木) 16:04:12.87 ID:n52UYfo3.net
wikiの戦闘経過見てたら北洋艦隊は衝角攻撃を取ってるようだけど、
同航戦じゃダメだったの。連合艦隊がまわりぐるぐる回って撃ったらパニックになるじゃん

789 :名無し三等兵:2015/03/19(木) 17:53:38.08 ID:h9n5aGGc.net
衝角の一撃にかける思い・・・かっこいい!

790 :名無し三等兵:2015/03/19(木) 19:28:11.76 ID:+il8wWJ4.net
日清戦争直前の最新の戦訓がリッサ沖の海戦だから仕方ない。

更にいうと、黄海海戦(日清戦争)でも、結局、清国海軍の装甲艦を日本海軍は沈められていない。
装甲艦でも砲撃で沈められるじゃないか、というのが実証されるのは、日本海海戦まで待たないといけない。

日清戦争の戦訓は、(日本を含む)列強海軍に言わせると、清国海軍が臆病なだけじゃんwww
やる気が清国海軍にあったら、日本海軍は体当たりできずに逃げて終わりだよ、というのが結論だった。
(だって、日本海軍の砲撃では清国海軍の装甲艦は沈められない。清国海軍の軍艦を日本海軍が沈めようとしたら
日本海軍の軍艦は体当たりするしかないけど、そうなったら、清国海軍が絶対有利。
戦車戦で装甲を抜けない戦車砲弾を敵戦車に幾ら浴びせてもムダなのと一緒、
日本海軍は最終的には弾切れで逃げるしかなくなる。)

791 :名無し三等兵:2015/03/20(金) 21:32:28.63 ID:aEWPrb2+.net
>>790
戦車と違って、逃げる頃には甲板上はエライことになって砲戦能力は喪失されてるけどな
艦橋だって無事じゃないし
天蓋付き砲塔の主砲の中身は生き残ってるか?
って定遠鎮遠も主砲はカバー被せただけだっけね

792 :名無し三等兵:2015/03/23(月) 17:36:06.07 ID:Uf4QwSc+.net
日本側は相手が衝角戦で来るというのは分かって速力の出る艦作ってたわけでしょ。
阿波沖海戦で開陽が春日に振り切られたり、宮古湾で接舷攻撃が失敗したりという実体験があったからかしら

でも沈まないとはいえ被弾や火災に見舞われながら突進するのは乗組員には相当怖いと思うけどね…
何度も目標を変えて突っ込んでるわけだし

793 :名無し三等兵:2015/03/23(月) 23:13:09.40 ID:ykWMvZCc.net
士気が低いと思われがちな清国艦隊だが、撃たれまくりながら弾が尽きるまで
戦闘を続けた定遠鎮遠、衝撃を図って前のめりに沈んだ致遠など、勇敢な
行動も少なからず見られる。

まあ、蒸気艦時代になって、乗組員のほとんどが限られた視野しか得られなくなった
ためかもしれないけどね。
指揮官さえくじけなければ、乗組員が知らない間に勇敢な突撃をすることもできるわけで。

794 :名無し三等兵:2015/03/24(火) 13:46:50.19 ID:y5AXoKkk.net
黄海海戦では超勇・楊威out 日本は比叡out
済遠・広甲逃亡広甲out
鎮遠の砲撃で松島大破その後out
致遠特攻out
経遠out

致遠が突っ込んだのは主力艦が砲撃食らってバラバラになった後だけど
結果から想像するほど大きな差があったわけでもないのだな

795 :名無し三等兵:2015/04/23(木) 02:54:21.64 ID:9XTcF1Et.net
北洋艦隊の幹部は日本海軍をかなり高く評価していて、日本海軍のほうは早期開戦論で威勢が良かった
でも黄海海戦が終わった後でそれらの士官もみなショック受けたみたいね

796 :名無し三等兵:2015/04/26(日) 20:09:40.19 ID:Xl2X5zlP.net
戊辰戦争の洋式歩兵の式はどんなレベルなんですかね?
大隊レベル?

797 :名無し三等兵:2015/04/27(月) 19:39:14.05 ID:Kf2ipVQR.net
野口武彦氏の「幕府歩兵隊」を実家に置いているから、記憶をネットで補足すると。

幕府歩兵隊は、2個大隊からなる連隊編成まで行われていたみたい。
でも、鳥羽・伏見の戦いから後の混乱により、伝習隊や衝鋒隊は大隊レベルに止まったみたいだね。
薩長はどうか、というとそもそも連隊規模が編制可能なほどの動員編制能力が藩には無かったから、
大隊レベルで編制して、後は必要に応じて集成して大規模な部隊を臨時に編制していた。

798 :名無し三等兵:2015/05/05(火) 20:59:46.27 ID:NxL9EDfy.net
動員兵力ネタみたいなので

南北戦争連隊動員兵力 南軍 / 北軍
動員対象人口 5,500,000 / 22,000,000
動員兵力 950,000 / 2,100,000
歩兵兵力 740,000 / 1,680,000
歩兵連隊数 500 / 1,320
各連隊平均総従軍兵力 1,480 / 1,272
(戦争中に各歩兵連隊に配属された総人数、定数や一時的な兵力とは違います)
死傷者数 340,000 / 375,000
各連隊平均死傷者数 680 / 284
(この計算だと全ての死傷者は歩兵連隊から出ている事になってしまいますが・・・)

Battle Tactics of The Civil War
Paddy Griffith
より

経済力や工業力以前に人的資源が圧倒的に違う
それにも関わらず死傷者数は殆ど同じとか・・・

799 :名無し三等兵:2015/05/05(火) 23:57:14.57 ID:Tc2ah3+P.net
戦力差はあっても個々のの戦闘においては戦力差が相手に与える損害に直結してないんだな
同兵力消耗の消耗でも南軍が戦力支えきれず後退というのが中盤以降多かった気がす

800 :名無し三等兵:2015/05/06(水) 00:49:22.75 ID:wF4s2l/v.net
戊辰戦争や南北戦争に西洋列強が観戦武官を派遣していたわけないと思うけど、
それでも当時の日本の作戦運用レベルや練度、戦争全体の感想について
列強の高官や軍人が述べた言葉ってない?
できたら書籍を紹介してくれるとありたがいんだけど。

801 :801:2015/05/06(水) 00:50:28.70 ID:wF4s2l/v.net
>戊辰戦争や南北戦争に

南北戦争じゃなくて西南戦争です

802 :名無し三等兵:2015/05/06(水) 19:13:06.74 ID:m3+iDRZi.net
ブリュネさんとか遺していそうなのだけど見た覚えがないな。
戊辰戦争ではフランスの軍事顧問団の一部が五稜郭まで付いていったのだから
ありそうなのだが。

この時代だから列強の軍人はほとんど人種偏見の目で見ていただろうから遺っていないのかも。
日露戦争で機関銃が威力を発揮したことすら、黄色人種だから威力を発揮して、白人相手には無力と
欧米では判断したらしいし。
第一次世界大戦で白人にも機関銃が威力を発揮するのはおかしいと驚愕する羽目になったらしいが。

803 :名無し三等兵:2015/05/06(水) 22:08:21.20 ID:jX7dCyoT.net
幕命でオランダ留学中の榎本武揚や赤松則良が第二次シュレージェヴィッヒ・ホルシュタイン戦争を観戦した件について。

しかも、プロイセンとデンマークの両国からそれぞれ戦地を見てきているとか。

804 :名無し三等兵:2015/05/06(水) 22:16:52.74 ID:5Q6xD0BL.net
本になってるんですかね?

805 :名無し三等兵:2015/05/06(水) 23:18:38.73 ID:rD/cnXW9.net
なんと、榎本はモルトケのすぐ近くにいたのか。

806 :名無し三等兵:2015/05/09(土) 09:26:14.30 ID:wPUiAeN8.net
>>802
宮古湾海戦で捕虜になったコラッシュの回想なら翻訳されていますよ
「フランス人の幕末維新」収録
箱館戦争生き残りの記
ウージェーヌ・コラッシュ
有隣堂 1996年
軍事的に云々よりも日本での冒険譚の様な内容でしたが・・・
でも、面白かった

イギリス軍人の記録なら横浜開港資料館発行の資料集に横浜駐屯軍の報告書等が収録されています
「史料でたどる明治維新期の横浜英仏駐屯軍」
横浜開港資料館 平成5年
しかし、戦争の記録では無く、横浜での駐屯の記録が殆どです
英軍の軍服を勝手に売り買いする事を禁止する、なんて通達が日英双方から度々出ていたのが興味深かった
英文のみの資料も多いですが

807 :名無し三等兵:2015/05/12(火) 16:11:55.89 ID:6DyubdnB.net
佐藤賢一のラ・ミッション読んだ人いる?

808 :名無し三等兵:2015/05/12(火) 19:02:50.12 ID:Y4cJRGGG.net
おもしろかったよ。ロッシュともども、日本に来る前の前史が興味深い。
「皇帝暗殺」と前後して読んだんで痛感したが、日本が鎖国してる間の周りは激動だったんだよな…・

809 :名無し三等兵:2015/05/12(火) 21:49:04.06 ID:ujvC+KUV.net
本当にクリミア戦争から南北戦争から等々
日本が明治維新を無事に迎えられたのは奇跡だと思う。
アヘン戦争の経緯からいっても、どこかで日本史がくるっていたら、
日本のどこかが香港みたいな欧米の租借地になっていてもおかしくなかった。
実際に、史実でも四境戦争の際に長州藩に対して彦島を英国は租借地にしたいと打診していたらしいし。

810 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 09:10:45.72 ID:4n5cY/KF.net
中国と違って日本は小さな、魅力の少ない市場だから、
欧米も血を流してまで植民地化したいなんて思ってなかった、
幕末から明治にかけての日本人の「植民地化される」という思いは杞憂だった
なんて意見を目にすることがあるけど実際どうだったんだろう?

あと南北戦争がなかったら、やっぱりアメリカは史実よりも幕末の動乱に積極的に干渉していただろうか?

811 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 11:55:50.47 ID:EAZz0l+F.net
>>810
何を言ってるんだ全く逆よ
19世紀中盤の中国はお茶ぐらいしか輸出品目のない貧しい国
欧州の繊維製品は売上が伸びず、一方で中国人は裸族のような生活をしてた
同時期の日本は世界最大級の金保有国だったし開国後は近代化のために大規模な技術導入を図ったしその一方で絹を中心として輸出も行った
貿易相手としては日本の方が遥に価値が有ったの
日本が植民地化されなかったのは、人口規模と武力で事実上不可能だったからだよ

812 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 12:39:36.76 ID:D/ja3Wix.net
経済史をちょっと学べば、19世紀清朝の経済規模がいかに大きく、対して日本が取るに足らない国かなんて
直ぐにわかる事なんだが、これだからネトウヨは……
幕末日本の軍事力なんてあって無いようなものだ。薩摩も長州も幕府も戦って勝てないと理解したから開国したんだろうに。

813 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 12:51:09.91 ID:3KK2f/dl.net
>>810
列強の東南や北東アジア地域進出の後方支援基地として使えるかと

>>806等の史料集によると、日本は気候その他で兵士の回復地として適していたと
イギリスは中国駐留軍の傷病兵を横浜に運び療養させたりしていた
フラン軍の多くはベトナム派遣軍からの分遺隊だったが、横浜は別天地だったと
攘夷テロの危険が有ったにしろ、将兵には居心地の良い土地だった様ですね

814 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 16:38:28.00 ID:E+PwBQWn.net
>>813
ナム戦の頃と変わらないな。

815 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 19:58:17.28 ID:km5zfqkA.net
朝鮮半島にしても明治時代には米とかを日本に輸出できるくらい経済的に余裕があったらしいが。
それを言ったら、李氏朝鮮はスターリン時代のソ連並みの独裁国家だったから
飢餓輸出で国民を大量に餓死させながら米を輸出していただけと言われた。
私には信じられないけど、李氏朝鮮はそんな国王主権の独裁国家だったの。
東学党の乱とかがあったのに。

816 :名無し三等兵:2015/05/13(水) 20:47:40.92 ID:EfyHLGE7.net
>>812
そりゃ当時だって人口は中国が日本の数倍いたから単純にGDPの比較だったらはるかに大きかろうさ
ただし社会の豊かさは人口規模やGDPだけで決まるわけでないしね
貿易の相手としては、国力の大小は措いて、阿片ぐらいしか売るもののない相手より先進技術バンバン買ってくれる払いの確かな相手のほうがありがたかろうに
それと戦って勝てるかと占領して継続的に支配可能かは別問題だし
地球の反対側の人口数千万規模で訓練された武装勢力が人口の数パーセント居る国を植民地化できた国は当時の欧州にはひとつもないよ
ネトウヨはまああれだけど自虐史観の徒もまたねえ
自国の相対的な国力を過小に評価し貶めることが逆に過去の悪行を正当化する居直りの手段になってたりするからなおさらだわ
後進国だったから仕方がない
貧しかったから仕方がない
ってなw

817 :名無し三等兵:2015/05/14(木) 00:49:48.02 ID:eShR45Cj.net
>貿易の相手としては、国力の大小は措いて、阿片ぐらいしか売るもののない相手より先進技術バンバン買ってくれる払いの確かな相手のほうがありがたかろうに

鎮遠はじめ、フルセット。使いこなせたかどうかは別問題としてだが。

818 :名無し三等兵:2015/05/14(木) 13:24:31.20 ID:TcU2IAwu.net
>訓練された武装勢力が人口の数パーセント居る国

さすがに過大評価じゃないの
ほぼ大多数がが戦力にならないか、時代遅れでしょう

819 :名無し三等兵:2015/05/14(木) 22:38:44.19 ID:Y58cwndp.net
そんな内外の単純化した話でなく、植民地化への道ってのは内部対立や上下対立が外国を率いれたり国富利権を売り払ったりして進行するのでは?

820 :名無し三等兵:2015/05/14(木) 23:01:04.92 ID:zvnbjtaM.net
ほうほう、わかりやすい実例としては、どの国だろう?

821 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 00:13:09.53 ID:utpy5yej.net
内部対立が外国を引き入れた好例は朝鮮。

822 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 00:28:27.34 ID:MDynISDd.net
戊辰戦争が長引いたら、徳川が徹底抗戦してたら
フランスが徳川を後押しして、イギリスが薩長を後押しして日本が悲惨なことになってた
っていう話は現実味あったのかな?

823 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 02:09:32.67 ID:Tj9YjRVx.net
ロシアの脅威がある限り英仏協調は続くだろうし
実際幕府に肩入れしすぎたロッシュはクビにされてる
日本で悲惨な英仏代理戦争は起こんないんじゃないか

824 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 05:30:18.02 ID:MvCHOIkR.net
>>820
インドは?

825 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 20:40:51.85 ID:A2znrbm9.net
>>823
ロシアの脅威って、戊辰戦争はドイツ統一以前でもあり、
そこまでロシアの脅威は大きかったっけ?
ドイツ統一のための普墺戦争や普仏戦争にプロイセンが踏み切れたのは、
クリミア戦争後の混乱のためにロシアに余力が無かったからと学生時代に教えられたが、
大嘘で、クリミア戦争などロシアにとってはかすり傷だったのだな。

826 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 20:43:47.39 ID:A2znrbm9.net
途中送信してすみません。

英仏が協調しないとロシアに対抗できないのが19世紀後半の現状だったとは知りませんでした。
英国の名誉ある孤立と言うのは大嘘でロシアに対抗するためにフランスなり、ドイツなりと
手を組まないといけないのが英国の現状だったのですね。

827 :名無し三等兵:2015/05/15(金) 21:05:29.07 ID:ImodY6ZJ.net
ageて何勝手に納得してんだこいつ?

828 :名無し三等兵:2015/05/16(土) 23:34:11.03 ID:gy0IEQxU.net
沿海州の獲得、ウラジオストックの建設、日本で言えば対馬占領ってクリミア戦争後だよな?

829 :名無し三等兵:2015/05/18(月) 19:50:13.79 ID:1dLLl0Qi.net
>>828
対馬はロシアに占領されていたのか
知らんかった。
よく奪還できたものだ

830 :名無し三等兵:2015/05/18(月) 20:01:00.99 ID:xB9BSIBM.net
掛け算もできないバカが大半の連中だから楽勝よww

831 :名無し三等兵:2015/05/18(月) 22:01:02.04 ID:73n6Y3VG.net
>>829
風雲児たちの最新刊でロシアの対馬占領について描かれているぞ
色んな意味で衝撃的な話だw

832 :名無し三等兵:2015/05/19(火) 11:43:12.40 ID:Yd6ls2YW.net
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E8%BB%8D%E8%89%A6%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E5%8D%A0%E9%A0%98%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これで見ると全島を占拠したわけでなく
一部に港を作ろうとしたみたいだよ

833 :名無し三等兵:2015/05/19(火) 22:03:34.30 ID:5rNhthFH.net
>>829
イギリスが介入したからね。日本が自力で取り戻したわけでは無い。

834 :名無し三等兵:2015/05/21(木) 03:25:03.57 ID:kphfuDYP.net
日本側の姿勢もあったと思うよ。
どっちにせよ列強の公使団は協議して日本政府と交渉するから、
ロシアの独走でポサドニック号が対馬を占拠し続けるのは不可能じゃないか

835 :名無し三等兵:2015/05/24(日) 21:46:08.10 ID:Nw21nVRh.net
19世紀後半のロシアは、対外的には膨張、国内的には混乱する一方で、
文化的にはロシア文学が全盛期を迎えるなどなかなか興味深いね。

836 :名無し三等兵:2015/05/31(日) 19:17:43.90 ID:eWYp/i1m.net
明治の頃に、ロシアが独走して朝鮮半島に根拠地を作ろうとしたことが無かったっけ?

日英が介入して潰したと覚えているが、朝鮮自体は拒否できる力が無く、むしろロシアを歓迎したとか。
これでは当時の日本が朝鮮は信用できる国家ではないと思うのも仕方ない気が。

837 :名無し三等兵:2015/05/31(日) 19:32:02.21 ID:2F5rwxK5.net
そりゃ日清戦争の後だ

838 :名無し三等兵:2015/06/04(木) 21:41:28.55 ID:gECbyp9P.net
NF文庫に日露戦争の兵器という本の後半に昭和四年の兵器廠保管参考兵器沿革書ってのが載ってるんだが
面白いぞ、銃剣から始まって機関銃まで乗ってる
ざっと見小銃が80種ぐらい火縄銃からゲウエール銃ヤーゲル銃に始まって全然聞いたことのないようなのまで当時の写真付きで載ってる、当然荒い写真だけど
銃剣の一覧表というのも珍しいのではなかろうか(なぜか小銃と別の項目で軍刀もちょびっとある)

大正十一年に始めた在庫整理だから全部が十九世紀のものというわけじゃないだろうけどそこは許して

839 :名無し三等兵:2015/06/04(木) 22:09:48.45 ID:nKPG7ROP.net
>>838
あれ見てるだけで楽しいよねー。あんまり役には立たないけど。

840 :名無し三等兵:2015/06/04(木) 22:30:10.98 ID:gECbyp9P.net
>>839
スペック的には見た目でわかることが書いてあるだけのが多いからねえ
来歴も数もほとんど不明とか
写真も荒すぎてほとんどわからないしw

841 :名無し三等兵:2015/06/06(土) 17:04:31.46 ID:C26ivn8M.net
古式銃図解辞典って
もう手に入らない?

842 :名無し三等兵:2015/06/06(土) 17:36:21.59 ID:InQ8IoCZ.net
図解古銃辞典
所 壮吉
の事かな?
2006年の版なら未だ店頭で見掛けるよ
ネットだと売り切れが多いみたいだけど
古書でも良いなら沢山有るし

843 :名無し三等兵:2015/06/06(土) 18:55:17.12 ID:C26ivn8M.net
そうなの?
今から10年近く前に、実家の近くの
本屋で見かけて、値段を見て躊躇し
1ヵ月後に意を決して買いに行ったら
もう無かった(泣)

844 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 11:24:03.41 ID:UfTj6zp1.net
             アメリカの内通組織、日本海軍!

「1532」

明治10年(1877年、西南の役で、西郷隆盛たちが新政府に嵌められて、
不満分子として殺された)には全ての仏(フランス)技術者が帰され、それからの帝国海軍は、一気に英国式になりました。
米英は、日本海軍にどういう内通者を置いたか?海軍のフリーメーソン人脈は?

米内、山本、井上の“海軍反戦トリオ”は、戦争開始前からのアメリカへの内通者で、
日本を負けるように仕組んで、今の日米安保体制に持って行った私もと思います。

「今日は出撃はないだろう」と艦上の攻撃隊だった飛行士たちが証言している、
ということは、その後の海軍が言い続けた大嘘の「運命の5分 」はなかったと言うことです(沢地久枝さんが暴露しました)。
山本五十六(やまもといそろく)聯合艦隊司令長官、は、
始めから負けるように仕組まれて、そえでミッドウエーで4隻の主力空母を失わせられたのだ、と推測されます。

海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、
彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。
あの“海軍善玉、陸軍悪玉(陸軍が戦争の元凶を作った)“論を書き続けた言論人、評論家たちは、
どう反論するのかと、私はずっと疑問に思っています。

彼らは、これから、真実の炎で、焼き殺されなければいけない。
今からでも大きな真実を語ろうとする者たちの声を、集めなければいけない。
そしてどんどん表に出さなければいけない。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。副島隆彦注記。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。
このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

845 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 11:47:47.66 ID:UfTj6zp1.net
戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。
悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。文藝春秋と新潮社から、戦後、沢山の本が出た)。

ミッドウエー海戦という決定的な敗北を喫した。これで日本の太平洋戦争での敗北は、早くも決まった。
山本は、ずっと呉(広島)の戦艦大和の艦橋に居て、無線で指令を出していた。
無線封止(むせんふうし)さえしていなかった。これらはすべて露見している。
本当は、ミッドウエーには、戦艦大和 が先導して、空母艦隊を守りながら、戦闘(海戦)をするべきだったのだ。

今もなおアメリカの手先を自認している者ども、おのれらの恥多き人生を深く、真の英霊たちに向かって恥ぢよ。

この時の、「飛龍」艦長、山口多聞(やまぐちたもん)少将(第2航空戦隊司令官)の戦い方と死に方こそは、
帝国海軍の軍人の鑑(かがみ)である。
敗戦後も、おめおめと生き延びて、「私たち海軍は、平和主義だった」などと、
よくも、あの恥知らずの、アメリカの奴隷になった軍人どもは、言えるものだ。
文藝春秋、新潮社よ、産経バカ右翼は論外)お前たちの歴史の偽造を、私、副島隆彦は絶対に許さないからな。
山口多聞は、艦長として残り、飛龍沈没と運命を共にした。

南雲忠一(まぐもちゅういち)、栗田健男(くりたたけお)(聯合艦隊司令長官)ども!!!許さん。
それから、航空隊の司令官の、源田実(げんだみのる。戦後もずっと自衛隊代表で、参議院議員をやっていた)。
お前たちも、心底、怪しいのだ。始めからアメリカとつながっていた、スパイ軍人どもだ。
お前たちを、これから、日本国の真実の歴史の法廷に、引き釣り出す。

ミットウエー海戦で敗退したあとも、山本を連合艦隊長官から罷免せず、単に海軍内の庇(かば)い合いだけをした。

私が言いたいのは、海軍首脳は始めから負けるように作戦を立て、
陸軍を太平洋に引きずり込んで、海軍も陸戦隊(りくせんたい)や基地の設営部隊は見捨てられました。

メディアも“海軍反戦トリオ”“海軍3提督”とかの虚構は作るものの、真の敗戦責任を問うた事がありません。

846 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 12:31:22.21 ID:fzBgUWoz.net

この馬鹿はナニ?

847 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 19:25:34.47 ID:qC9NL/Vi.net
>>846
なんだか、わざと不正確な書き方をしているね。

848 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 19:39:00.53 ID:Dh6L165K.net
https://www.youtube.com/watch?v=k5Sny2_m7MI
1864年のドイツ・デンマーク戦争?
これすごく見たいぞ・・・

849 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 21:17:15.21 ID:EATUW/Dw.net
>>848
1864年にドイツは無いはずだが(ドイツ帝国建国は1871年)

プロイセンとデンマーク双方にフランスから姉妹艦が売りつけられることに成功していたら、
史上まれな姉妹艦同士の戦いが見られたのに、とても残念。
その場合は、甲鉄(デンマークに売却予定が買ってくれなかった)が日本に来ないので、
戊辰戦争の行方も少し変わっていたかも。

850 :名無し三等兵:2015/06/09(火) 23:32:58.35 ID:Dh6L165K.net
すまんドイツ連邦(オーストリア主催)でした・・・

南北戦争の映画はあるけどクリミア〜普仏戦争の映像化作品ってないよな〜

851 :名無し三等兵:2015/06/10(水) 00:01:56.38 ID:DXNJqWFx.net
おい、「進め竜騎兵」を知らんのか…って、「駅馬車」と同時代の作品だから無理ないかな、゛The Charge of the Light Brigade”だ。
とりあえずこれ使ってる(というか曲付けた)、Iron Maiden”The Trooper”のPV(EMI Musicが上げてる正規品)見とけ。なかなか凄い。
https://www.youtube.com/watch?v=4uq6Ax-zzkQ

852 :名無し三等兵:2015/06/10(水) 01:01:29.03 ID:8YIy9yQU.net
「遥かなる戦場」もバラクラバでの軽旅団の突撃を扱った映画ですよ
こちらにはアルマ河会戦のシーンも有った気が

853 :名無し三等兵:2015/06/10(水) 12:55:18.55 ID:zfc7Bfm/.net
遥かなる戦場も、進め竜騎兵も、DVD化されてるけど、レンタル屋で置いているところは少なそうだな

遥かなる戦場から、軽騎兵の突撃

ttps://www.youtube.com/watch?v=M4gTt6rptTU
ttps://www.youtube.com/watch?v=cBiUWQ5YLQ4

854 :名無し三等兵:2015/06/10(水) 22:27:05.31 ID:mq3gPNGo.net
ttps://www.youtube.com/watch?v=M4gTt6rptTU
っていうか関連動画に、映画のフルが
アップされてるじゃん。字幕なしだけど

855 :名無し三等兵:2015/06/15(月) 15:28:10.16 ID:/gj4A7Ji.net
メキシコ出兵時での
ブエブラの戦いの動画があったんだけど
そのなかで電信を使用してたんだが
1862年で戦場で電信って使われてたの?

856 :名無し三等兵:2015/06/15(月) 16:23:33.05 ID:5DQC5b6S.net
>>855
使われていますよ
南北戦争の行軍は電信線を設営しながら行われたとも言える位、多用されています

戦争指揮官リンカーン
文春新書
は、リンカーンと前線との電信のやり取りから構成されている南北戦争通史です
オススメ

857 :名無し三等兵:2015/06/15(月) 22:18:55.32 ID:uDCc4RFQ.net
>>856
戦争指揮官リンカーンって、基本的には良書なんだが、著者が微妙に陰謀論入ってるのが……
もっとも、引用されている電文を読むと、逆に、著者の主張する陰謀論が成り立たないことが分かるという、
ちょっと不思議な本。

858 :名無し三等兵:2015/06/17(水) 19:24:09.70 ID:+F0PWbh3.net
幕末のフランス仕込みの幕府洋式歩兵って戦列歩兵?
太鼓に合わせてマーチするの?
幕府洋式歩兵が一番まともに活躍した戦いって何?

859 :名無し三等兵:2015/06/17(水) 22:25:56.07 ID:4cuaZmB1.net
>>858
地形的に戦列歩兵は適さないので軽歩兵戦術を伝習したそうです
旧幕臣の洋画家、川上冬崖が「幕臣調練図」と言うタイトルの絵を残しています
それに自ら英語のタイトル
「drilling of the light infantry of the first Regiment」
と書き加えています

軽歩兵戦術の伝習はフランス軍事顧問団の派遣前から決まっていた様で、歩兵科の顧問の内訳が
戦列歩兵将校 1名
戦列歩兵下士官 1名
徒歩猟兵将校 1名
徒歩猟兵下士官 3名
と、なっています
当時のフランス軍では軽歩兵連隊は既に廃止されていたので、徒歩猟兵大隊から顧問が派遣されて来たのでしょう

幕府歩兵連隊は徒歩猟兵から軽歩兵戦術の伝習を受けた歩兵
幕府軍で正式な徒歩猟兵に相当するのは撒兵隊
(徒歩猟兵と同じく大隊編制)

860 :名無し三等兵:2015/06/22(月) 20:31:53.99 ID:9uKxbJmB.net
高島流は戦列歩兵だっけか。

秋帆が失脚して、洋式調練が広まらなかったのは、散兵戦術の導入の上では、
むしろプラスだったのかなあ。

861 :名無し三等兵:2015/06/22(月) 21:07:43.12 ID:6GFQ5V1j.net
>>860
ヤーゲル銃装備の兵もいたから、戦列歩兵+徒歩猟兵による散兵かな?
まさにナポレオン戦争時代の戦術

散兵戦術も洋式調練じゃないと無理かと
フランス革命初期の志願兵達による「結果としての散兵」ならまだしも、イギリス軍ライフルマンが導入していたバディシステムの散兵戦術等、本格的な物はキッチリ洋式調練をしないと

862 :名無し三等兵:2015/06/22(月) 21:12:10.23 ID:9uKxbJmB.net
>>861
あ、失礼、散兵戦術なら調練不要って意味ではないです。

仮に、高島秋帆が失脚せず、戦列歩兵戦術が広く取り入れられていたら、
散兵戦術への転換は、史実よりも更に遅れていたんじゃないかなと。
一度取り入れられたシステムを、別のシステムに変更するのって困難だから。

863 :名無し三等兵:2015/06/23(火) 05:27:37.39 ID:KS2oD++k.net
>>860
広まっているよ?

864 :名無し三等兵:2015/06/23(火) 13:38:03.52 ID:749i69E8.net
>>862
19世紀だと戦列歩兵戦術と散兵戦術が別々に存在していた訳では無いからなぁ
散兵戦術普及の代表格として扱われている南北戦争も戦列歩兵+散兵
ナポレオン時代と比べて散兵の比率は増えているけれどね

ナポレオン戦争のイギリス軍大隊
10個中隊中、1個中隊が散兵
南北戦争の大隊
10個中隊中、2個中隊が散兵
複数大隊が散兵線を敷く事も有ったけれど、その時は旅団の残り(主力?)が背後に戦列を敷いていた

そもそも南北戦争中のアメリカ軍歩兵操典のベースはフランス軍の1791年版の英訳
中隊数や横隊の列数が変更されたり等、進化(アメリカへの適正化?)してはいる

あと、本気で軽歩兵や徒歩猟兵の戦術を導入しようとするなら、兵士の体力作りから始めないとダメかと

865 :名無し三等兵:2015/07/15(水) 17:18:54.09 ID:7AucXlLU.net
鳥羽・伏見の戦いの後で小栗忠順が具申した
優勢な艦隊で東海道の官軍を砲撃して、箱根を越えたら
関所を閉ざして・・っていう作戦を
具体的に検証した本やIF戦記ってない?

866 :名無し三等兵:2015/07/15(水) 22:09:05.32 ID:STll8zkw.net
>>865
現実は中山道が主力だから

867 :名無し三等兵:2015/07/15(水) 23:59:55.12 ID:6OoImxur.net
>>858
まともに活躍の定義がはっきりしないので一例を上げるに留まるが
慶応四年四月一六日の宇都宮小山近郊での戦いは幕府歩兵によるワンサイドゲーム

伝習大隊による一斉射撃からの突撃で須坂・館林藩兵を撃退
同日には佐幕派の凌霜隊(スペンサー銃装備)が笠間藩(火縄銃およびゲベール銃装備)を一方的に叩きのめしていたり

868 :名無し三等兵:2015/07/19(日) 12:12:20.12 ID:OdFRq1PV.net
白村江の戦い  〇唐 VS 日本●
文永弘安の役  ●元 VS 日本〇
文禄慶長の役  〇明 VS 日本●
日清戦争    ●清 VS 日本〇
日中戦争    〇中華民国 VS 大日本帝国●

869 :名無し三等兵:2015/07/24(金) 00:46:33.88 ID:CEI5LWVT.net
漢民族は日本に強い?

870 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 08:34:18.26 ID:H+qA4Slx.net
幕末西南の「全軍散兵+抜刀斬込」戦術はヨーロッパに習うべき戦例はあるのかな?
全軍散兵に近くなった普仏戦争は維新後だし……。

火力戦から抜刀斬込にどうやって持ち込むかのマイクロタクティクスもよくわからん。
幕末の歩兵戦術を細かく描写してあるようないい本はないかな?

871 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 09:13:02.53 ID:Yv86cH3u.net
ハイランダーチャージ

872 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 10:51:34.31 ID:dzSSOgSc.net
>>870
幕末西南が「全軍散兵+抜刀斬込」戦術なのかは疑問ですが・・・

幕府歩兵は鳥羽伏見や箱館で横隊で戦っているし、小山での伝習隊も横隊だった?
仏式戦術が実践されていたとしたら、個々の兵士による散兵では無く、小部隊同士による火力支援と前進の繰り返しになっていたかと
(フランス軍徒歩猟兵戦術の一つで、南北戦争ではインディアン・ラッシュと呼ばれていた)

>火力戦から抜刀斬込にどうやって持ち込むか
西南戦争に関して言えば、抜刀斬り込みこそが白兵戦への移行手段だったみたい

少数の抜刀隊が敵戦線に斬り込む
 ↓
敵戦線の混乱に乗じて本体(小銃隊)が一気に白兵戦間合いに前進

新編 西南戦史
陸上自衛隊北熊本修親会編、には
「抜刀隊を編成し、突撃発起の初動を作為する」と有ります

鎮台兵(小銃隊)と抜刀隊で別々の攻撃目標が与えられた初陣では、攻略には成功したものの維持には失敗
(後退した薩軍から小銃射撃を受けた)
それ以降は連携必須に
WW1の衝撃隊(突撃隊)に近い性格なのかも

19世紀後半で強襲部隊による突撃発起は南北戦争後半での北軍(アプトンやハンコックの指揮下部隊)での先例が有りました
日本に伝わっていたかは・・・

873 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 20:56:06.18 ID:lWESPZlb.net
戊辰戦争を舞台にグローリーを日本でリメイクしてくんねえかな。
報酬目当てで応募した町民たちが幕府陸軍で戦列歩兵になって函館辺りで壊滅するまでのお話。

874 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 21:20:44.07 ID:JpZC64Lw.net
昔、カスター将軍率いる米軍の元兵士達が五稜郭の榎本軍に傭兵として志願。
優秀な後装式ライフルを装備していて大活躍するが、西郷隆盛率いる薩摩軍の
抜刀斬り込み隊の夜襲の前に壊滅的打撃を受けるという仮想戦記のヒストリカルノートの一節を思い出した。
(アドテクノスの「北海道共和国」だったと思う)

875 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 21:54:35.01 ID:EsBPZMzP.net
>>873
戦列歩兵だったら「ワーテルロー」みたいにエキストラも大量募集するだろうしスレ住人的にも一石二鳥だな!(暴論)
え? CGでごまかす? そんなぁ!

876 :名無し三等兵:2015/08/08(土) 23:53:53.24 ID:87VsNklb.net
>>873
大島口での幕府歩兵隊による略奪はカットされますね、間違いない

877 :名無し三等兵:2015/08/09(日) 02:49:59.41 ID:7G7nzRLN.net
>>876
大島口での狼藉に対する松山藩の言い訳が、思いっきり幕府に責任を押し付けてて笑える。

878 :名無し三等兵:2015/08/09(日) 03:00:34.43 ID:1Hlg83lo.net
長州征伐マの字にケの字、猫に紙袋で後に這う

879 :名無し三等兵:2015/08/09(日) 09:38:32.29 ID:K2penbTB.net
>>873
幕府陸軍が採用したのは軽歩兵と徒歩猟兵だったかと

880 :名無し三等兵:2015/08/09(日) 09:51:21.50 ID:PfBkWEV4.net
>>875
戊辰戦争の軍隊は、部隊規模が数百人(場合によっては数十人)単位の集合体
だから、CGでごまかす必要はないと思う。

881 :名無し三等兵:2015/08/09(日) 19:36:26.59 ID:CBpenHJU.net
>>880 地元総動員ではあるが、「草の乱」なんて奴もあったしな。結構面白かった。

882 :名無し三等兵:2015/08/28(金) 16:36:46.25 ID:ZzgYOx7a.net
>>873
本屋見てたら、幕末愚連隊とかいう小説が似たような話だったわ。
読んでないから知らんけど。

883 :名無し三等兵:2015/09/05(土) 13:43:44.49 ID:q+sHn/SZ.net
「遥かなる戦場」凄く久し振りに観たけれど、こんな話だった?って感じ
軍隊の理不尽を描いているのは良いとしても、不倫話は必要だったのかな?
史実なら仕方が無いけれど・・・
ラストの乗馬襲撃は、それなりに

884 :名無し三等兵:2015/09/18(金) 19:50:51.17 ID:w7TqLufS.net
遥かなる戦場
軍装考証がすごいって聞いたけどどうなんだろう
ちらっと見たけど軍服にもコルセットがあるのな・・・
今度ちゃんと本編見てみよう。。。

885 :名無し三等兵:2015/09/18(金) 21:15:50.99 ID:/Y4ds1Pr.net
そういえば、「ラスト・サムライ」の考証はどうだったのだろう。
やはり、ハリウッド流の完全史実無視だったのだろうか。

886 :名無し三等兵:2015/09/18(金) 21:40:17.12 ID:F/JnmPwz.net
鳥羽伏見はどう考えても幕府が勝つべき戦いじゃん、幕府軍有利にすすんでたし、
大阪城にいる主力の半分でも繰り出せば初日で終了してたのに

887 :名無し三等兵:2015/09/18(金) 21:51:46.95 ID:QS0vx5ER.net
>>885
中西立太氏の
日本の軍装―幕末から日露戦争
雑誌連載時の物を参考にしたファンタジーだったかと
そもそも上記の連載内容自体がファンタジーだけど・・・
書籍化の際にも殆ど修正されなかったし

888 :名無し三等兵:2015/09/18(金) 23:36:24.83 ID:PieUvK4+.net
上層部の腰が定まらず、戦闘を想定していなかったのが不味い
幕軍がどれだけいても、装備で上回っていても烏合の衆になっちゃう>鳥羽伏見

889 :名無し三等兵:2015/09/19(土) 15:42:39.83 ID:FM6sWyQa.net
                    マイトレーヤが間もなく来られる!

                        左翼に土下座しろ!

山本太郎の一人牛歩。
「自民党の時代はこれで終わりです」と、安倍晋三に手を合わせた。
https://twitter.com/GeorgeBowWow/status/644829547205029888

メドヴェージェフ

『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた。アメリカが公式に認めないなら、クレムリンは独自に情報公開する予定だ』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ


プラズマ教授オワタwww     マイトレーヤが公に世界に現れるにつれて、UFOがとてつもない数で姿を表すでしょう。si5n7k/kxz1kf/xchu67


ドル通貨覇権オワタwww     2015年の第四 四半期に国際経済制度の際だった崩壊が起こるという予測があります。大体正確です。j540f8/pzytyf/locys5

米国債買い支えオワタwww   日本はアメリカの国債の25%を所有していますが、それを引き出すと世界経済が破綻します。mai_03_02.html

リフレ犯罪者オワタwww     それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。ahjzfl-1/pzytyf/u4t847


株価操作犯罪者オワタwww   マイトレーヤ「株式市場の崩壊は避けられない。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出している。」lutefl/fkmww5/sui4zj

武器市場参入犯罪者オワタwww 暴落後における政府の第一の義務は、人々を正しい食物で養うこと、そして最後に防衛です。si5n7k/04zpzf/bf1tqd

安倍独裁者 →自殺www    マイトレーヤ「国民の意志を裏切ると、極端な場合、自殺や殺人にまでつながる。」si5n7k/04zpzf/bf1tqd

自由反日党オワタwww     日本国民はどう対処すればいいのか「新しい政権は国民の意志を反映し、国民の側に立つものであろう。」 mai_03_02.html

890 :名無し三等兵:2015/09/19(土) 15:45:04.40 ID:FM6sWyQa.net
アンチ山本太郎オワタwww    民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。 mai_03_01.html

原発推進犯罪者オワタwww   マイトレーヤは、世界中の核分裂による原子力発電所を直ちに閉鎖することを助言されます。ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne

安全デマ犯罪者オワタwww   免疫システムが弱体化し、慢性疲労、癌、(略)人々は、放射の影響で不必要に死んでいます。ahjzfl-1/04zpzf/n0gkne


TPP推進犯罪者オワタwww  途上国の市場をこじ開け、自国の余剰物資を輸出する。こうした非人道的な押し付けは、自由貿易としてまかり通っている。33116k/ahwpdf/ngbm3m

安保法案犯罪者オワタwww   世界平和にとって最大の脅威である国は、イスラエル、イラン、アメリカです。qifgf8/kxz1kf/xchu67

親米ポチ犯罪者オワタwww   アメリカによる他の国々への虐待に反対の声を上げなければなりません。lutefl/t1vhdg/j7i52q

米保主本流犯罪者オワタwww  彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。si5n7k/ndshrf/d2zeeo

シオニスト犯罪者オワタwww  跪いて、パレスチナでの行為に対する許しを請うことです。swl9d8/fkmww5/nu99he


ロシア軍、シリアで戦闘に参加

プーチンが、イスラエル=アメリカの前に立ちはだかった これは凄いことだ
https://twitter.com/tokai amada/status/641878523263643648

ロシア軍がシリアに派遣した海軍歩兵とは、アメリカ軍の海兵隊に対抗して創設したロシア版海兵隊のこと。
極東のウラジオには「沖縄の米海兵隊配備に対抗して1個師団を配置した」と聞いたことがある。
https://twitter.com/kamiura_jp/status/641822442898325504



   《 左翼の盟主ロシアが、アポロ計画の秘密暴露! アメリカ、世界制覇ゴール目前で、大ゴケwww(笑) 》

891 :名無し三等兵:2015/09/19(土) 19:48:16.83 ID:hx4oZUgZ.net
鳥羽伏見の戦いはなあ。
あれは、徳川慶喜が陣頭指揮を執って、薩長軍を全滅させると意気込んでいたら、
絶対に勝てた戦いなのだが。
実際には、徳川慶喜は大坂城に腰を据えて、海軍力の優勢に頼って戦わずして勝つ
という発想だったのに、幕府の過激派は幕府歩兵隊を先鋒に据えて京都に進撃すれば
薩長は戦わずして京から敗走すると楽観視したことから、将軍慶喜公は手ぬるいと暴発。
慶喜は自分の意に沿わない過激派に、勝手にしろとそっぽを向く。
過激派は京へ進撃するが、薩長が徹底抗戦したことに慌てふためき敗走。
慶喜は過激派の体たらくに怒って、大坂城から江戸へ移動。
このために大坂方面の幕府軍は崩壊してしまう。

さて、敗戦の責任は誰が一番重いのだろう。

彦根藩等が寝返り、海軍力で劣勢にあるにもかかわらず、大坂城に腰を据えることで
京が封鎖されている以上、戦わずして勝てると妄想にふけった慶喜が一番悪いと以前のスレで書かれていたが。

榎本が率いる幕府海軍はそんなに弱体だったのだろうか?
私にはそうは思えないのだが

892 :( ´▽`) ◆SAITAMAHo. :2015/09/19(土) 22:33:23.87 ID:iu2bNWXz.net
鳥羽伏見の敗退をチャラにする計画
大村益次郎を震え上がらせた小栗上野介の箱根作戦

893 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 02:37:51.15 ID:rv6gfLco.net
>>885 話のモチーフは西南戦争だが、プロローグで三角傘に先込めミニエーだった徴兵軍が、
話の途中でボルトアクション装備の日露戦争時代帝国陸軍に一斉に切り替わる。エンフィールド・スナイダー時代を徹底的にないものとしてるんだ。
史実を理解し咀嚼して、二時間の枠に収まるように徹底的に「ボンサイ」化してる。よく出来てるよ。

894 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 02:57:29.09 ID:qun0YAA9.net
>>891
>さて、敗戦の責任は誰が一番重いのだろう。
歩兵奉行の竹中丹後守じゃねえの?
初日の敗走は作戦計画の不備と情勢認識の甘さが原因だからどうにもならんが2日目以降の敗走は
竹中が全体指揮を放棄したのが根本的な原因だし。
歩兵奉行が伏見奉行所で引きこもりになったせいで、各部隊が自己判断で散発的な抵抗続けるだけになって各個撃破くらってるわけで。

まぁ竹中に作戦指揮をとれるだけの才覚と軍事知識があったのかと言われると激しく疑問符がつくレベルではあるが…

あれ、でもそう考えると根本的な人事ミスだから任命者の徳川慶喜が一番の戦犯になるのかな?w

895 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 02:59:47.67 ID:qun0YAA9.net
訂正 歩兵奉行じゃなく陸軍奉行だったスマソ

896 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 18:07:17.34 ID:dQrVnq5f.net
竹中丹後守は、秀吉の名軍師と名高い竹中半兵衛の末裔なのだよな。
先祖の竹中半兵衛並みとは言わずともその半分でも軍才があれば
幕府軍が勝てたろうに。
半兵衛が草葉の陰で泣いているぞ

897 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 18:26:20.23 ID:YrLud5XW.net
>>892
でも官軍の主力って中山道なんだよなぁ

898 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 18:31:37.84 ID:YrLud5XW.net
件の軍配書は史上屈指のできの悪い作戦計画書だった。
このような作戦計画しか立てられない時点で幕府は終わっている。

とはいえ後の陸軍が少数でも精鋭なら勝てるという思い込みの
原点になってしまったのは歴史から学ぶということがいかに
難しいかだなぁ

899 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 19:48:26.74 ID:GFU28Eqv.net
西南戦争ではなりふり構わない物量で押し潰したのにな、
士官学校の生徒や警察までかりだして参戦させてるのにな

900 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 20:25:19.81 ID:WWAh70z0.net
警察とは言っても戦前からの巡査は兎も角、開戦後の徴募巡査は戦地行きを前提にして募集していますね

徴兵からなる近衛と鎮台だけでは兵力が足らない
かと言って志願兵を募集しては徴兵制度が崩壊しかねない
ならば「巡査」を募集して戦地に送り込めば良い
ついでに応募資格は士族に限れば・・・
巡査(警視隊)からなる別動第三旅団は上級指揮官も警察官
一方、徴募巡査からなる新撰
旅団の上級指揮官は陸軍軍人

始動したばかりの徴兵制度、しかも相手は士族が中心
色々と苦労が有った様です

901 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 21:16:24.74 ID:uHW4Zevk.net
鳥羽伏見の戦いから戊辰戦争終結までの
官軍と幕府側との戦力比の経過を記載してる本ってない?

902 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 22:13:35.36 ID:bfyPzwGM.net
>>892
兵力不足でまともに戦線構築不能の画餅じゃねえか

903 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 22:30:09.81 ID:rv6gfLco.net
>>902 請西藩主・林忠崇が独自判断で東京湾横断して実際に試みてはいるんだが、肝心の地元小田原藩が寝返っちゃどうにもならん。正当性の確保はやはり重要だな。

904 :名無し三等兵:2015/09/20(日) 23:23:38.94 ID:VObi3LNF.net
結局徳川が武士の中で一番偉い程度の立場だからしょうがねえよ
指揮系統も破綻してるし
すでに長州征伐の時点でぐちゃぐちゃな気がするが

905 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 16:50:11.44 ID:kCAfMYJq.net
幕長戦争は雄藩の不参加と幕軍の戦意不足で早期に停戦
鳥羽伏見戦争は当初から戦闘を想定しておらず、勃発以降は大本営が指揮を放棄

全面戦争という発想はこの時代の国内では持ちにくかったから往々にして守備側優位となる

906 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 16:59:38.53 ID:6/IOwwEi.net
意味の分からないことを書かれても困る

907 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 17:50:21.81 ID:IXA5W5FL.net
幕府軍は、連隊なんて当時の日本では最大の編制単位で管理されていたけれど、その上の旅団相当の編制単位は無かったんだよね
臨時に幾つかの連隊や大隊からなる方面軍?(鳥羽街道方面とか伏見奉行所方面)に軍を分割しても、常設の指揮系統が無い
そもそも、複数連隊の連携演習が行われた事が有るのかさえ怪しいし・・・
幕府軍は大軍に成れば成る程弱い軍隊に
(市川船橋で戦った撒兵隊第一大隊は臨機応変に大隊の分割、集合を繰り返し戦った)

他藩は小隊や中隊編制なので寄せ集めても大隊規模
それで何とかなったのかな?

908 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 18:58:23.93 ID:+Rnm6Wkh.net
士分の数と実際の動員数も関わりそうだなぁ。

909 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 19:14:21.53 ID:6/IOwwEi.net
実際幕府って各大名に大してどれぐらい命令できる権利があったんだろう?
戦国時代あたりの気風引っ張ってるなら戦闘はかなり各大名好き勝手な気が

910 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 19:59:40.19 ID:fiU4jUMS.net
家康の頃だと本田、榊原、伊井といったのが大将や元帥に相当する軍団長で
家康がいないとこだと彼らが総司令官をつとめてたわけだろ、
大名たちに関しては家康は大阪の陣ではかなり強気にしきってたけど幕末の頃は家康ほどの強権発動はできたのかな

911 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 22:30:09.48 ID:6zNhXOSc.net
>>910
幕府の力の源泉である
権威(征夷大将軍の官職)
強制力(逆らったら損すると思わせるだけの軍事力)
が全く効かなくなった幕末は長州征伐への出兵を拒否されまくったり。
大老が白昼堂々暗殺されたり。朝廷に強気に出たらキレられて「老中の役職にある大名は改易」と言われ、謝罪して蟄居閉門にて貰ったり。
幕末はの幕府の威信は地に堕ちてました。

912 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 22:42:42.38 ID:ADvwoBlV.net
雄藩の政治介入、幕権の相対的低下という観点では
最近の安政の改革の評価はどうなんだろ

913 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 23:16:36.05 ID:fiU4jUMS.net
>>911
江戸初期に大名を潰しまくって全国の半分近くを幕府の天領や徳川の血筋大名の領地にしてたのにな、
それだけの力があっても権威はかなり低下してたのですね

914 :名無し三等兵:2015/09/21(月) 23:30:58.32 ID:6/IOwwEi.net
征夷大将軍の価値とは何かというところまで話はいきかねんな…
軍事的にとどまらず歴史的にみてもすこぶる重要な大きな問題なわけだが

>>912
海防どうしようって大名に意見求めて威信の低下にはつながっただろう
現実的に政策がどうだったのかという評価は知らない


最終的に公武合体とか言ってる時点でそりゃ権威なんてないわな…

915 :名無し三等兵:2015/09/22(火) 19:31:44.94 ID:YjSIpMXD.net
「征夷大将軍」が「攘夷」出来ないんじゃ駄目でしょ、と。

916 :名無し三等兵:2015/09/25(金) 07:39:27.09 ID:BLw2pWgC.net
10万の軍編成して叩き潰すとかできたのは何時ごろまでだろう

917 :名無し三等兵:2015/09/25(金) 10:38:34.28 ID:4mPaKLFU.net
大阪の陣は豊臣と徳川両軍で30万近い規模の戦いで、
日本史上最大規模の戦いなんだよな、

918 :名無し三等兵:2015/09/26(土) 22:13:49.31 ID:EU2cTpL9.net
両軍で30万といっても戦闘要員はその半分くらいだろうから、約15万くらいが
血みどろのどつきあいをしていたって事にはなるか。

919 :名無し三等兵:2015/10/08(木) 06:22:42.46 ID:2Xao2Qz+.net
>>906
至極常識的なことを書いただけだが、どんな意味が分からんのだ。。。
薩摩藩だって慶応3年の武力蜂起計画は徳川家を滅ぼすことを想定した戦争じゃないぞ。
藩内に多数の反対派を抱えてる状況でそんなことは不可能。鳥羽伏見は多分に偶発的要素が絡んで戦闘になってる。

920 :名無し三等兵:2015/10/08(木) 06:29:57.41 ID:2Xao2Qz+.net
>>915
諸侯統率権は確かに問題になってるが征夷大将軍という職務と攘夷の実行はまた別物。
文政令あるいは文久3年に長州藩が実行したような攘夷はこの時期どの諸侯も想定していない。

921 :名無し三等兵:2015/10/08(木) 07:21:54.08 ID:mQy+S1Z4.net
>>919
思えば、満州事変的になし崩し追認展開だよね。

922 :名無し三等兵:2015/10/08(木) 11:12:16.45 ID:KHpEGRsl.net
幕末にできなかった攘夷を太平洋戦争でやりますた

923 :名無し三等兵:2015/10/13(火) 00:13:57.26 ID:ASYQPkBj.net
>>922
三国同盟結んでおいて攘夷とはこれ如何に・・・

924 :名無し三等兵:2015/10/13(火) 21:21:42.51 ID:Nl6FBYUq.net
>>923
敵の敵は味方というだろ

925 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 12:29:42.43 ID:grkGkxOE.net
この間世界遺産に登録された佐賀の造船場跡と佐賀城内の博物館に行ったんだけど
あんなに自慢だったアームストロング砲の自藩製造について一言も触れられてなくて興味深かった。
もう購入説が完全に主流なんだね。
なぜ青銅砲製造(これだけでも制約を考えれれば凄いが)がアームストロング砲製造にすり替わってしまったのか。

926 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 21:45:27.36 ID:p7PxAcwz.net
そういえばアームストロング砲を高評価していたのは一時の日本だけで
実際には開発国の英国でさえ、過渡期の一時的な大砲として評価が低いとか。
司馬遼太郎のせいで、日本はアームストロング砲を高評価したというのは本当なのだろうか

927 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 22:02:25.49 ID:/kkcQ4K7.net
同時代の同種の兵器と比較して相対的にどうかということと、ある特定の戦場において絶対的な兵器として振る舞えるかと言うのは全く別な話な訳で。
後の例だが、WWIのMk.4戦車だって完璧に過渡期の産物だし、仏サン・シャモン戦車(とすぐ出来たFT17)のほうが兵器の概念として優れていたのは疑いようがないが、実戦に間に合った世界初の戦車として名を残してるのはMk.4だ。
彰義隊討伐(=江戸戦線の徹底的局限化)って、維新回天の決定的な局面でアームストロング砲のアウトレンジ能力が最後の駄目押しになったのは事実でしょ。

(それ言い出したら、「甲鉄艦」だって兵器としてはどうしようもない代物だぞ。当時の日本では鳥なき里の蝙蝠で最強兵器だが)

928 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 22:09:25.51 ID:grkGkxOE.net
維新の大局には影響はなかっただろうけど、日本の兵器史では重要な位置を占めたことは確か。
アームストロング砲以降、日本の野戦砲は従来の前装式青銅砲から後装式鋼鉄砲に切り替わった。

929 :名無し三等兵:2015/10/27(火) 23:06:32.55 ID:xC+tVUJM.net
まあある意味19世紀後半の兵器はどれも発展途上の過渡期の製品と言えるかもね。
大砲だって高装化、鋼鉄化、発射薬や炸薬の進化、そして駐退機の登場と、完成するのは19世紀の末の末。

930 :名無し三等兵:2015/10/30(金) 17:52:38.31 ID:owaoxuAV.net
>>928 四斤山砲のことはガン無視かよ

931 :名無し三等兵:2015/10/30(金) 21:10:04.26 ID:JF24Wqqi.net
日清戦争では青銅砲が日本の主力火砲だったはずだが
間違いだったか?

932 :名無し三等兵:2015/10/31(土) 02:14:44.24 ID:6vZ/Ej9y.net
青銅砲は日清戦争までは主力だったろ。
維新後の貧乏な日本が、いきなり陸戦兵器の全てを世界水準で揃えられた
わけじゃないんだし。

933 :名無し三等兵:2015/11/06(金) 00:08:59.96 ID:2rM7AksW.net
幕府陸軍にも騎兵隊がいたんだな・・・
絵巻だったか何かの絵でサーベルを振るう幕府の騎乗兵を見かけたんだけど実戦では使われていたんだろうか

934 :名無し三等兵:2015/11/06(金) 08:03:35.99 ID:p7Ho07Fp.net
>>933
鳥羽伏見で伝令に何騎か使われただけだったはず
軍服や馬具は遜色の無い物が国産化出来たけれど、肝心要の馬が品種改良途中だったし・・・

935 :名無し三等兵:2015/11/07(土) 02:20:35.73 ID:KtXfOWWu.net
「富国強馬」って名著に詳しいが、明治政府になってからも軍馬改良は長い道のりだったからな。
端から騎兵戦諦めて、6.5mm騎兵銃と機関銃での下馬戦闘に頼った日露の秋山騎兵隊とか。

…ようやく使い物になる騎兵馬ができたとおもいきや、時代は戦車と飛行機になっていましたが。

936 :名無し三等兵:2015/11/07(土) 04:47:30.64 ID:qfKT1WL7.net
>>935
せっかくナポレオン三世が馬を送ってくれたのにねえ。

937 :名無し三等兵:2015/11/07(土) 09:50:27.25 ID:uEagGj2x.net
>>936
送幕府要人の乗馬用に廻され一代限りで絶えてしまった馬も多かったと

>>935
>騎兵戦諦めて
南北戦争中の北軍騎兵は乗馬術で南軍騎兵に劣っていた為、下馬しての散兵戦術を取ることが
ビュフォードの第1騎兵師団は、その戦術でゲティスバーグ会戦において目覚ましい働きをしました
同じ北軍、同じゲティスバーグ会戦でも、カスターの旅団は南軍騎兵を乗馬抜刀戦で撃退していますが・・・

938 :名無し三等兵:2015/11/07(土) 15:00:11.38 ID:LBSOV/kM.net
アームストロング砲と銃火器とか装備や状況は維新軍のほうがむしろ悪かった

あれ維新軍はそもそも武器があるのに指揮官とうぼうなどで戦線が破綻+警察治安対処しか考えてない幕府対応と
弱いのに殺傷前提で積極攻撃する戦争、虐殺前提の維新の賊との意識の差で負けた

939 :名無し三等兵:2015/11/07(土) 16:05:27.64 ID:LBSOV/kM.net
>>891
もともと慶喜はやる気がなかったじゃん
(幕府の過激派と維新過激派がやばいから)公武合体だ
(島津が島津幕府建国の転覆を図ってるから危険なので)大政奉還、公武合体成立だ
(幕府過激派の抑えが効かないので)王政復古反対だ
(過激派が煩いし、今外交権渡ると外国に付け込まれるので)外交権は引き続き幕府
(過激派が事実上交互的に独走したので)ちょうばつはするが艦隊砲撃だけの形式戦争する
(勝てて内戦激化や天皇の死亡がやばいので)大阪城は放棄して撤退だ
(元から地位にも幕府にもこだわりなく過激派を処分して地位を捨てたかったので)無血開城オーケーだ

慶喜は最初から過激派と幕府を処分するために故意にまけたんだろうが
だから戦後慶喜に爵位を与えてんだろ。誰が見ても過激派その他を一掃して幕府を瓦解させる役割を追ったんだから

940 :名無し三等兵:2015/11/26(木) 17:43:13.62 ID:7wQtiFtb.net
新撰組ってテロ鎮圧部隊としては、どれぐらいの実績上げてたんだろ?
有名な池田屋事件以外の日常業務でも、バシバシ捕縛・斬殺してたんだろか?

941 :名無し三等兵:2015/12/08(火) 12:58:42.73 ID:rVRNf/B+.net
>>940
斎藤一が警備したこととかあったな
斎藤一って新選組で一番大河向けのキャラ
キャストがイケメンじゃなくてもよく候補が多いのも◎

942 :名無し三等兵:2015/12/08(火) 22:42:58.77 ID:mdB/FRay.net
でもレナード・ニモイ随分前に亡くなったからやれる役者がいないね

943 :名無し三等兵:2015/12/09(水) 02:09:08.96 ID:q6qGaKtr.net
それこそ子母澤寛の新選組三部作の出番じゃねーの?
手元にないし読んだのだいぶ前でうろ覚えだから俺はスルーさせてもらうがw

944 :名無し三等兵:2015/12/20(日) 17:37:43.50 ID:njt/6bZa.net
新撰組が取り逃がしたテロリストが明治の元勲になってる時点でお察し

945 :名無し三等兵:2015/12/20(日) 18:49:44.59 ID:y0sA8f25.net
いや会津藩、5000石の大身旗本になっただけでも、かなりの働きぶりだったのは明白だろ?

946 :名無し三等兵:2015/12/20(日) 19:24:14.09 ID:klnSaBZL.net
でも人数でいったら微々たるものだろ?
知名度はあるけど、実質的な警察力が跳ね上がるものかね?

947 :名無し三等兵:2015/12/20(日) 23:59:09.53 ID:kIb6k7ir.net
新撰組に付回されたとか、避けて通ったとか
それこそ明治の元勲達が回顧してなかったか
それなりの抑止力にはなったんじゃないの
最終的には成功しなかったけど

948 :名無し三等兵:2015/12/22(火) 07:22:11.98 ID:bzPuqGyr.net
幕府崩壊はトップがヘタレだっただけだからねえ
それまで会津藩の治安維持は一応うまくいってた
当時の京の街なんて狭いし、必要な強制捜査班の規模なんて知れてんだろ

949 :名無し三等兵:2015/12/22(火) 20:45:00.08 ID:qd6IofeZ.net
人口100万人と推定される江戸ですら
治安維持にあたるのは町奉行所と火盗改め併せて70人程でしか不要だった。
京都なんて幕末まで町奉行所で治安維持の任務に当たるのは10人もいない。
しかもそれで事足りていた。
いかに長州等の幕末のテロがひどかったか想像を絶するな。

950 :名無し三等兵:2016/01/11(月) 22:35:53.81 ID:HvFN9uhb.net
>>949
そいつは、影で隠密同心などが活躍していたからですよ(棒

冗談はさておき、あくまでその数字は正規の役人の数で、その下に数千人規模の岡っ引や下っ引といった
雇われ者がいたけどね。

951 :名無し三等兵:2016/01/12(火) 21:16:45.27 ID:XzrgF/9T.net
>>950
「警察の誕生」(菊池良生著)によると
江戸の岡っ引き等は1600人くらいしかいなかったみたい。
しかも多くても岡っ引き1人の月給は1分2朱、つまり1500文(約1万5000円?)
それでも岡っ引き志願は多数いたらしいから、江戸の治安維持費は安くついたようだな。
どうみても100万都市の治安維持が年3億円くらいで済んでいる。

952 :名無し三等兵:2016/01/13(水) 07:00:25.99 ID:0Fo47sQ6.net
>>951
公費は払ってなくてもみかじめ料的な取り立てが・・・

953 :名無し三等兵:2016/01/13(水) 17:25:48.21 ID:YlNlTSEw.net
冥加金とか付け届けとか、もらえる役職とそうでないやつもいたけどね。

954 :名無し三等兵:2016/01/13(水) 19:13:02.00 ID:eopb69fn.net
>>952
そういった文書の証拠は朝日新聞とかしか出していない。
信用性絶無の代物。
産経新聞とかでは、そういうものはなく、公僕にふさわしく、そういうものは受け取っていなかった。
実際にそのようなものを受け取る岡っ引きはクビと法律で決まっていた。
と報道されていた。

全く、産経新聞が説くように当時の道徳が今でも維持されていれば、30億円で警視庁が維持できるのに。

955 :名無し三等兵:2016/01/13(水) 22:45:04.85 ID:UDhVpyFZ.net
岡っ引きは専業じゃなくて兼業がほとんどだったんじゃないの

956 :名無し三等兵:2016/01/13(水) 23:54:08.57 ID:D7e+oeMn.net
> そのようなものを受け取る岡っ引きはクビと法律で決まっていた。

幕府の禁令が度々出ていること自体が、町人から金品をせびる岡っ引きが多数いたことの
証拠ではないかと思うけどな。
そんな奴が居ないなら、わざわざ法令で取り締まる必要は無いわけで。

957 :名無し三等兵:2016/01/14(木) 01:24:07.86 ID:pLrDkcQO.net
あからさまなネタにマジレスすんなwwwww

958 :名無し三等兵:2016/01/14(木) 12:48:22.75 ID:SZ/cAQ/e.net
大抵の場合、御用聞きはヤクザとか潜在的犯罪者がやってたからなぁ
(厳密には公僕じゃないけど)公僕に相応しい行動を期待するのは最初から無理というか

959 :名無し三等兵:2016/02/07(日) 03:15:44.70 ID:oM0BSm68.net


960 :名無し三等兵:2016/02/16(火) 21:18:24.89 ID:2T90Yn17.net
普仏戦争中の145年前の熱気球郵便、豪州で発見
ttp://www.afpbb.com/articles/-/3077118

961 :名無し三等兵:2016/03/08(火) 20:02:47.92 ID:tL0cgjQ2.net
米国沖で発見の装甲艦残骸、南北戦争時に沈没か
ttp://jp.reuters.com/article/shipwreck-idJPKCN0WA07A

962 :名無し三等兵:2016/04/14(木) 18:22:08.33 ID:4/QadFeW.net
>>868
それは完全な解釈の誤りだろ。
はくすきのえ以外は事実上の敗北だぞ。
明の時はもともと侵略拡張意欲がなく全面撤退したかったのを自発的に撤退したが、結果明は国軍維持できないほどの軍事ダメージをおって、
日本はほぼノーダメージで政治目的を達成した

日中戦争は戦争と呼べず、米英ソとの戦争における傭兵に過ぎず、その傭兵も事実上日本のせいで社会信用を大きく損失して共産党に負けた
(共産党の勝因は拉致を含む日本将校の大量招致をさきに大量にやったことにある)

政治上とても日本との戦いで勝ったとはいえない。肝心なのは政治上日本と戦って大損失しちゃって日本がダメージ受けたか?ってことなんだよね。

963 :名無し三等兵:2016/04/27(水) 17:56:01.48 ID:cH+Dsl+k.net
第一次世界大戦直前(1910年)のスウェーデン軍歩兵
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1a/Svenska_arm%C3%A9ns_uniform%2C_1910_%C3%A5rs_modell%2C_Nordisk_familjebok.jpg

近世以来の二角帽と青と黄色の襟さえ無ければ第二次大戦初期の軍服と言われても信じそうなデザイン
って言うか戦後ドイツがパクったのかな?

964 :名無し三等兵:2016/04/27(水) 18:04:47.70 ID:kKiD1bAv.net
いや時代的にすれ違なのは承知してるけど19世紀から20世紀前半までで軍服のデザインがどういう風に確立していったのかが気になったんで

965 :名無し三等兵:2016/04/27(水) 19:17:43.84 ID:VL5rGVI8.net
1910年に採用されたスウェーデン軍の軍装とそれ以前の19世紀のものとの比較(但し右は近衛兵なんで若干一般部隊と違うことに注意)
http://i.imgur.com/v68sX3W.jpg
一応平和な時代で実戦経験もないのにここまでガラリとデザインを変えられるのは凄いな(第一次世界大戦前のフランスのゴタゴタを見ながら)

966 :名無し三等兵:2016/04/27(水) 23:01:57.41 ID:YbTjyoQ8.net
>>963
ドイツの影響が大きい様に思えますね
1889年、ドイツ領南西アフリカの植民地軍で、折り襟の付いたグレーのチュニックが採用されています
1893年には襟と袖口がライトブルーに変更されました

スウェーデンのグレーの1910年式はサービスドレス(勤務服、野戦服)として採用された物
フルドレス(正装)は今まで通り、立ち襟の付いたブルーのチュニックでした
フルドレスさえもグレーに変更したドイツ軍の1910年式に比べると大人しいかな?

因に、あの三角帽はカール12世帽と呼ばれていたそうです

967 :名無し三等兵:2016/05/05(木) 22:40:30.74 ID:xyMOQGip.net
何故富士型戦艦二隻が戦力化するまで日清戦争の開戦を待てなかったのかね?
富士型二隻があった方が戦争による被害が少なくて済んだ

968 :名無し三等兵:2016/05/05(木) 22:45:36.73 ID:y3WuPVJl.net
>>967
朝鮮が中国化するから待てない。
まあある意味元々中国化していたが。

969 :名無し三等兵:2016/05/05(木) 23:44:07.54 ID:xyMOQGip.net
>>968
朝鮮が清の領土になって釜山港に対日攻略の基地が作られるのかね?

970 :名無し三等兵:2016/05/06(金) 00:02:12.10 ID:n29/IVOk.net
ロシアの南下論も含めて、朝鮮取って、朝鮮を足がかりにして日本上陸を目論んでる国なんて当時あったのか?

971 :名無し三等兵:2016/05/06(金) 05:32:23.20 ID:T4THAVZb.net
甲午農民戦争後、両国が撤兵しないパワーゲームを行った結果戦争に発展したわけだし
日清両国共に撤兵すると朝鮮での主導権を相手国に握られる、との恐怖がある限り、
戦艦の戦力化を待って本腰入れようなんて「迂遠な策」は無理でしょ

972 :名無し三等兵:2016/05/06(金) 19:56:02.18 ID:X1vciRF6.net
 日清戦争だけど、お互いの恐怖心と相手を軽んじていたことから来る錯誤から戦争になった気が。
 伊藤博文も李鴻章も戦争をする気は無かったし。
 でも、陸奥外相や袁世凱が戦争への道を選択し、伊藤博文や李鴻章は引っ張られてしまう。
 戦争を止むるは難く、始めるは易し、の典型例だな

973 :名無し三等兵:2016/05/06(金) 23:50:14.34 ID:o+0aK3pf.net
戦闘技術の歴史って近代編でないのかな

974 :名無し三等兵:2016/05/07(土) 12:56:41.32 ID:7R9hjGq0.net
>>967
実質的に開戦したのは清で日本は受けてたった側だからそもそも選択権などない

975 :名無し三等兵:2016/05/07(土) 13:00:19.50 ID:7R9hjGq0.net
伊藤博文は日清戦争に反対などしていない
だいたい反対も何も日清戦争時の首相が伊藤博文
天津条約違反の朝鮮出兵を取り下げない限り戦争しかないと最終的に決断したのは伊藤博文

976 :名無し三等兵:2016/05/07(土) 13:07:31.29 ID:7R9hjGq0.net
天津条約において朝鮮半島の中立化に同意
支那軍が朝鮮に出兵し対日武力恫喝
日本政府は撤兵要求するも支那政府拒否→開戦

西ローゼン協定において朝鮮半島の中立化に同意
ロシヤ軍が朝鮮に出兵し対日武力恫喝
日本政府は撤兵要求するもロシヤ政府拒否→開戦

日清も日露も支那軍ロシヤ軍による公然とした条約違反の出兵対日武力恫喝が開戦原因なんだから
日本は自衛戦争にうって出るか支那ロシヤによる武力恫喝に屈服するかの二択
なお十九世紀外交の常識として武力恫喝に屈服した国は他の列強の保護国にならない限り
列強による分捕り合戦の獲物になってもしかたないとされていた

977 :名無し三等兵:2016/05/07(土) 13:14:16.49 ID:7R9hjGq0.net
武力恫喝に対する先制攻撃は先制自衛といって現在の国際法においても自衛の範囲内
日本政府は五日間猶予付最後通告を突きつけたのだから支那もロシヤも撤兵すればよい
まあそれで撤兵したら逆に日本の最後通告に恐れをなして撤兵した臆病者扱いされて
支那の光緒帝もロシヤ皇帝ニコライ二世もよくて退位下手すりゃ革命だろうけど

978 :名無し三等兵:2016/05/29(日) 13:24:56.29 ID:wm4dnpzP.net
何故日本が近代化できたか?の古典的な議論についての解答なんだけど

・白人が世界で弱い国とみなされた17世紀から日本は白人脅威説を持ってた
・17世紀から白人脅威説でもって白人を監視していた(おそらくオスマン以外白人を監視したのは日本だけ)
・近代科学理論に興味をもって白人科学に注視して理解しようとした。18世紀から
これは他の大国より100年早い
・ナポレオン戦争→オランダ滅亡段階で
「白人の世界帝国化の情操」
「白人世界帝国の巨大化」→巨大な白人、認識をすでにアヘン戦争前に持ったため、アヘン戦争で強い白人という結果をスムーズに認識した
・江戸時代で教育、重工業生産がある程度進化して近代化の前提プロセスを達成した
・膨大な金保有と採掘で、すでに十分な近代化資本はあった。
日本は日清戦争前に、すでに1億円以上の金を近代化のために輸入投資したが、他国でここまで近代化の投資に耐えれた国はない。
チャイナでもこの30-40%で軍事のみで、教育、産業開発、行政整備、インフラ整備までは行わなかった

前提となる条件、つまり、白人脅威→白人学習、十分な資本、前提近代化、これを達成してるから近代化できる
もっといえば日本は近代化前に100-150年のプロセスを踏んでる

あと
・東ア唯一最大の良質な石炭算出国であり近代工業化が可能
・白人が日本は知性と社会水準と潜在軍事力が高く、さつえいせんそうの敗北の経験で軍事制服を不可能とみなし
東アの拠点の日本が近代化するといったため、それをとくに米英蘭が歓待した

979 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 05:39:46.17 ID:WB/sRTF4.net
普仏戦争の戦闘みて思ったんだけどワーテルローみたいに高地の向こう側に立て籠もって
稜線超えてきた敵歩兵を射程の長いシャスポー銃で撃退するって出来なかったのかね?

980 :名無し三等兵:2016/06/09(木) 19:31:18.67 ID:MNG4LUtA.net
普仏戦争はドイツ側の被害もバカになってないからな
なんか色々惜しいんだよなあ

981 :名無し三等兵:2016/06/20(月) 13:20:24.28 ID:Oz3NneHk.net
プロシアにはクルップ砲があったし
動員による兵力の集中というのも
合った。
Wikipediaにもフランス側の戦術は、
シャスポー銃の長射程を利用した
塹壕主体の防御的戦術とあるよ

982 :名無し三等兵:2016/06/21(火) 23:16:18.98 ID:67uCR9cz.net
普仏戦争は散開したり遮蔽物を利用して射撃→銃剣突撃っていうイメージなんだけど当時の散兵線(?)ってどんなものだったんだろう?
↓の絵画なんかみると結構密集しているようにも見えるけど
https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Gravelotte#/media/File:LJB9_-_Zimmer.jpg

983 :名無し三等兵:2016/06/22(水) 02:19:11.07 ID:/lwJ/4Hl.net
南北戦争
http://i.imgur.com/lA0B6PF.jpg
普仏戦争
戦列歩兵に先行して発砲を行う散兵が描かれている
http://www.hamburger-tactica.de/wp-content/uploads/Spicheren-Roter_Berg.png
後、散兵戦術といっても戦列歩兵が廃れた訳ではなく、
WW1初期まで戦列歩兵による統制された弾幕射撃は歩兵戦闘の基本だよ。
歩兵が火力を投射する手段が小銃しか無い以上散開すれば弾幕の密度が低下して射撃戦で不利になるし、
騎兵を含む敵の突撃を充分に阻止できない恐れがどうしても出てくる。
一度騎兵に突っ込まれたら集団で騎兵に対抗できない散兵は悲惨なことになるしな。
それに19世紀型の散兵っていうのは個人個人にかなり高いスキルを求められるもので、
とても徴兵されたその辺の兄ちゃんが数ヶ月でなれるものでは無い。
WW1以降に歩兵が急速に散ったのは1挺で従来の1個中隊並の弾幕が張れる軽機関銃の登場と、
それを火力の中心として行動する分隊戦術の発達があってのことで。

984 :名無し三等兵:2016/06/22(水) 10:02:41.45 ID:8LKlQnzF.net
>>982
南北戦争では大隊内の散兵の比率が増えたりとかは有りましたが、基本は横隊+散兵ですね

ナポレオン戦争のイギリス軍歩兵大隊、10個中隊中、散兵は1個中隊(軽中隊)
南北戦争の両軍義勇歩兵大隊、10個中隊中、散兵は2個中隊
(軽中隊の様な特別な名称は無くなっていましたが)

時代が少し戻りますが19世紀中頃の散兵に付いては
マルクス・エンゲルス全集15巻収録、フランス軽歩兵1,2,3の記事が詳しいです
ナポレオン軍の軽歩兵が名ばかりの軽歩兵(散兵)で有った事から始まり、帝政後に編成された徒歩猟兵大隊や北アフリカ系狙撃兵に付いて解説しています
>>983さんも書いている高いスキルを維持する為の訓練と選抜(ふるい落し)の繰り返しに付いても解説が有ります
訓練に同行したオーストリア軍将校が早々に脱落したエピソードとかも

985 :名無し三等兵:2016/06/22(水) 21:22:33.02 ID:8LKlQnzF.net
>>982
この絵、よくよく見ると戦列歩兵どころかイエーガー大隊ですね
フランスの徒歩猟兵大隊も脚力にものを言わせて、敵火線下で一気に白兵戦間合いまで進出する戦術を取る事が有りました
大隊が密集隊形を維持したまま

986 :名無し三等兵:2016/06/23(木) 00:45:40.33 ID:VLCSeGup.net
>>983
WW1初頭でも塹壕戦が始まる前では映画ワーテルローのように太鼓や楽隊が音楽を鳴らしながら戦闘部隊が前進・攻撃をする光景がみられたんだろうか・・
>>984-985
白兵戦想定なら猟兵でも隣り合う兵士と肩が触れ合うくらいまで密集するものなのですね・・・
ひっぱってきた絵画をよくよく見ればピッケルハウベではなくたしかにシャコー帽(?)かぶってるし・・・

987 :名無し三等兵:2016/06/23(木) 18:25:13.63 ID:0z8MIUp6.net
バグパイプと共に突撃は有るんじゃない?

988 :名無し三等兵:2016/07/11(月) 22:44:42.49 ID:WSnRPlzh.net
南北戦争の南軍の軍服が灰色なのって迷彩効果を狙ってたの?

989 :名無し三等兵:2016/08/07(日) 18:37:59.64 ID:Hr4tdEBm.net
>>988
そういう説もあれば、染める技術が
無かった為とか染料が無いとか

990 :名無し三等兵:2016/08/07(日) 18:45:31.36 ID:n169GJo4.net
ウエストポイントの正装はグレーだから、
アメリカ陸軍の伝統的な色なのかも

991 :名無し三等兵:2016/08/18(木) 14:13:27.84 ID:xddPTJk9.net
[BSプレミアム]
2016年8月18日(木) 午後5:00〜午後6:00(60分)
幕末、雄藩と幕府の対立が高まる中で政局の行方を左右する存在として注目を浴びた佐賀藩主・鍋島閑叟。技術を開発し独力で作り上げた幕末最強の軍をどう使うか、葛藤する。

【司会】磯田道史,渡邊佐和子,【出演】岩下哲典,佐渡島庸平,中野信子,鈴木一義,【語り】松重豊

992 :名無し三等兵:2016/09/04(日) 02:53:34.20 ID:YyXwmOip.net
普仏戦争の両軍の軍装の絵なんですが上から3番目の1番左にいるMobileってどういう兵種なんですか?
http://i.imgur.com/wBfGH56.jpg
名前からして猟兵的な役割なんでしょうけど詳細がわかんないです

993 :名無し三等兵:2016/09/04(日) 09:26:37.04 ID:5GsYUyO6.net
>>992
Garde Mobile は Garde Nationale(国民衛兵隊)の一種です

一般的な国民衛兵隊は動員兵士の郷土から殆んど移動せず、その地域の治安維持や防衛を担当していました
言わば郷土防衛隊の様な組織

Garde Mobile は国民衛兵隊ながら郷土を離れ正規軍と共に戦役に参加しました
(アルジェリアにさえ派兵されたと)
francs-tireurs と呼ばれる義勇兵が配属されて来る事も
プロシア軍の Landwehr(後備軍)に相当すると解説される事の多い組織で、訳すとしたら機動国民衛兵隊か?
基本は大隊編成(8個中隊)ですが、1ー3個大隊から成る連隊を編成する事も有りました

994 :名無し三等兵:2016/09/05(月) 15:43:43.67 ID:S0W0DcYF.net
スペンサー銃やウィンチェスターみたいな
レバーアクション式連発銃って
1発ずつ装填し発射する単発銃としても
使えるの?それとも弾倉に弾を詰めて
使わないとダメ?

995 :名無し三等兵:2016/09/05(月) 17:32:03.31 ID:BOjQlCHw.net
>>993
ありがとうございます
そういう二線級部隊には戦列歩兵と同じ軍服が支給されるものと思っていましたから驚きでした
>>994
ウィンチェスターはできる
スペンサーはわからないけど断面図見る限りたぶん無理

996 :名無し三等兵:2016/09/06(火) 11:17:03.01 ID:vn4R8mOQ.net
>>992
ナポレオン時代の重くて背の高いシャコー帽や熊毛帽は19世紀はじめに廃れたと思ってたけど
帝国親衛隊はそのまんまなんだなw

997 :名無し三等兵:2016/09/06(火) 11:43:23.13 ID:EJsiP/yi.net
>>996
今でもイギリスで見られる衛兵のやつと似たようなものでは?

998 :名無し三等兵:2016/09/06(火) 13:02:07.73 ID:qg36Ynlw.net
九百九十九

999 :名無し三等兵:2016/09/06(火) 13:02:30.32 ID:qg36Ynlw.net


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