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『白鯨』を一緒に読もう!

91 :吾輩は名無しである:2017/04/14(金) 00:20:07.66 ID:27SZfT9p.net
>>90
まだもう一つの含意として・・・
夜中に甲板に出て歩き回るのではなく、営倉に引っ込んでろ、という解釈もできます。
ここではcannon-ballは大砲の筒に押し込められるものとなります。
that thou wouldst wad me that fashion? あんな風に筒に押し込むようにか?
これも魅力的なシンボリックな解釈なんです。
ただし、前記の「白いジャケット」の描写からは、wad-cannon-ballsという連関がメルヴィルの語彙の中にあることから、前記の解釈に重きを置きました。
しかし、何よりも重要なのは「白いジャケット」の引用に見られるような、比喩こそあれ(オランダチーズのように大きな)描写に努める表現から大きく変貌した「白鯨」の言葉遣いです。
“Am I a cannon-ball, Stubb, that thou wouldst wad me that fashion?
これと
“Am I a cannon-ball, Stubb,”said Ahab, “that thou wouldst wad me that fashion?
は全然違います。前者だったら訳は簡単なのですが、それではこの反乱小説における最初の反抗であるスタッブを魔術的な力で屈服させてしまうエイハブの言葉の異常な熱が出ません。
通常の会話でこんなシェイクスピアじみた言葉遊びするわけがありません。
発音してみてください。強弱強弱強弱強弱→強弱強弱強弱強弱 aaaaa ththwwmthf。
こういう文飾はこの「白鯨」と次の「ピエール」であふれんばかりに徹底されます。
だからこそ、「白いジャケット」までで築き上げた冒険小説家としての名声を一気に失ってしまうわけです。
白鯨における「会話表現」はリアリズムのそれではありません。預言者エリヤやエイハブの言葉は、常に語り手「自称イシュメール」のフィルターを通しています。
「ピエール」ではその語り手がほぼ消えうせて、まるで作者が主人公を神のごとき存在としている「かのように」描写されてしまうのです。
ちなみに、ピエールの主人公も自らを「幼児イシュメール」と呼びます。海洋小説時代の「レッドバーン」には
that at last I found myself a sort of Ishmael in the ship, without a single friend or companion;
という文章があり、これはメルヴィル自身も自らを「イシュメール」と感じていた、ということなんかが言われます。
“My name is Ishmael.”ではなく、“Call me Ishmael.”で始まることの意味もそれなりに面白いものです。

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