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@@ 戦時中・戦場でのほのぼのとした話し 13 @@

1421 :名無し三等兵:2021/03/09(火) 12:31:10.31
>>1417
具体的には、<一進会>関連の問題でしょう・・・
うまく、歴史のつながりを刷り合わせて行く事で、問題となっている論争の解決に役立ちますので、ちゃんと記事は作りましょう!

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%80%B2%E4%BC%9A

一進会(いっしんかい、イルチンフェ)は、1904年から1910年まで大韓帝国で活動した政治結社。

1904年に李容九、宋秉oらの開化派によって創設された。
日清戦争、日露戦争の勝利により世界的に影響力を強めつつあった大日本帝国(日本)に注目・接近し、日本政府・日本軍の特別の庇護を受けた。
日本と大韓帝国の対等な連邦である「韓日合邦(日韓併合とは異なる概念)」実現のために活動した。

当時、大韓帝国では最大の政治結社であり、会員数は公称80万人から100万人[1]。
一説には実数は4,000人未満にすぎなかったとの見解もある[2]が、日露戦争をロシア帝国(ロシア)に代表される西欧侵略勢力との決戦とみなし、日韓軍事同盟でロシアの侵略を阻止しようと考えた李容九は、
日本に協力し、日本が武器弾薬を北方へ輸送するために鉄道(後の京義線)を建設した際、その工事に無償で参加した一進会員は全部で15万人であったとされ、また北鮮から満州国(満州)へ軍需品を運搬する業務に動員された会員は11万5000人で、
あわせて約27万人が日露戦争時に一進会として活動したという話も残っている[3][要ページ番号]。

日韓併合の目的を達成した一進会は、その後、韓国統監府が朝鮮内の政治的混乱を収拾するために朝鮮の政治結社を全面的に禁止したため、解散費用として十五万円を与えられて他の政治結社と同様に解散したが[4]、
一進会を率いた宋秉oらは朝鮮総督府中枢院顧問となり、合併後の朝鮮の政治にも大きく影響を与え続けた。
合邦善後策として桂太郎首相に資金百五十万円を懇請したところ、千万円でも差し支えなしと答えられ、活動に猛進した。

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