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この世の果てで恋を唄う少女YU-NO その21

4 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2019/09/11(水) 13:33:01.90 ID:XTT1eJ+S.net
資料2
http://bokuen.net/wordpress/197
監督の個人サイト

>映画ドラえもんの歴史をひとことで言えば「いかに道具を使わせないか」である。
>そのうちの大きな対策は、ドラえもんを大馬鹿者にすることだった。映画のドラえもんは、
なにかと言えばすぐパニックにおちいって四次元ポケットから道具やごみをぽいぽい投げたり、
道具のことやその効果を一時的に忘れていたり、
また初対面の人に向かっていきなり「ぼくドラえもんです」と自己紹介する、大馬鹿者である。
しかし、こうでもしないと子供たちから「あの道具を使えばいいのに」というツッコミが入れ放題になってしまうのだから仕方ない。
「未来の道具」で堕落するのは、のび太ばかりでなく、ドラえもんも、物語も同じなのである。

>やっぱズレまくってんな、この人
もしもボックス等に代表されるひみつ道具の
世界観崩壊クラスの万能性がもたらす物語上の不整合は
何やったところで解決不能と小学生段階で気付くから
みんなそこはSFにおける大きな嘘の一部として
ネタとして突っ込むことはあっても
基本的に脇に置いて見るのが暗黙の了解になってるのに
いい歳してそこに本気で突っ込んだあげく、その後の検証がまた酷いw
道具同等の魔法のある世界に行こうと
もしもボックスクラスの万能性問題は解決しないし
道具を使わなきゃそれはドラえもんじゃないわけで
テレビシリーズの短編としてアクセント程度に入れるならともかく
映画でそんな展開できるわけが無い

理論派気取ってるようだが、根本的な認識がズレてる上にあんまり頭良くないから
何やらしても的外れにしかならない
こんなトンチンカンなアニメしか作れないのもむべなるかな

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