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クラシカロイド♪1つ目
- 603 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2016/10/29(土) 19:59:41.77 ID:gGcAVjYA.net
- 転載
こんな会話の記録がある。
「シューベルトさん、貴方の音楽はどうしてどれも悲しげなのですか?」
「幸せな音楽というものが、この世にあるのですか?」
短い生涯で600曲の歌を書いた歌曲王。彼の音楽は2種類に分けられる。
“野ばら”“アヴェ・マリア”など清らかで美しい調べの白シューベルトと、歌曲集“冬の旅”など挫折、さすらい、死の影に支配された黒シューベルトがそうだ。
死ぬ直前のピアノ・ソナタは、聴いているとあの世への旅というものを体験できるので、「もっと黒シューベルトを!」という人はそちらへ。享年31歳。
シューベルトは27歳年上のベートーヴェンを心から崇拝し、ピアノ作品を捧げたり、街で姿を見かけると後をついて歩いたそうです。
晩年のベートーヴェンをお見舞いで訪ねたものの、あまりの緊張で何も喋れなかったといい、ベートーヴェンの葬列ではたいまつを持つ役を引き受け、棺の横を行進しました。
その翌年、シューベルトは病床で「ここにはもうベートーヴェンがいない」と嘆き、わずか31歳で他界しました。
シューベルトの兄や友人たちは、「ベートーヴェンの側で眠りたい」という遺言を実現するべく、お墓を隣りに造るため努力し、願いを叶えました。
後に新しい墓地(ウィーン中央墓地)に墓が改葬されたときも、ベートーヴェンの隣りにシューベルトの墓が造られました。
※20歳前から死ぬときまで、彼は住所不定のまま友人の家を泊まり歩いていた。知られざる元祖ヒッピーなり。
※最初の埋葬場所はウィーンのWahringer Friedhof (Defunct)。
「シューベルトの曲は喜びと同じくらい、悲しみがある」(吉田秀和)音楽評論家
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