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がっこうぐらし!31日目

695 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2015/08/15(土) 08:47:03.80 ID:LdWxIXql0.net
いろんなゾンビ作品を見てきたけど、アメリカのゾンビ映画と、ゲームのバイオハザード2以降には共通点がある。
それは「生きている人とゾンビの境界が明白」ということ。
ドーンオブザデッドだと、一度ぽっくり逝ってからゾンビ化して動き出すシーンがある。
ゲームのバイオハザード5にも、プラーガを投与された人間が一度死んでからマジニになるシーンがある。
これらの作品は、「生きている人間には意識がある、ゾンビは死んでいるので意識がない(よって殺しても構わない)」という前提で成り立っている。

その一方で、ゲームの初代バイオハザードには、有名な「かゆうま日記」がある。
生きている人間が、ウィルスに感染して、だんだんゾンビ化していき、だんだん知性を失っていく様子が描かれている。
意識の連続性が存在することを臭わせている。

で、がっこうぐらし!は、初代バイオハザード型に近いんじゃないか、と思うんだ。
以下、Pixiv百科事典よりめぐねえの記事を引用。

噛まれた直後はゾンビ特有の『おなかすいた』という空腹感に襲われ他のゾンビと共に戸を叩き続けるが、
寸前で人間の心を取り戻し『だいすき』な学園生活部の面々に危害を加えないように地下2階まで去りゆく。

「人間の心を取り戻し」って、アメリカのゾンビ映画でそんなシーンはあり得ないよな?
どうみても初期バイオハザードのようなかゆうま型なんだよ。意識の連続性がある。
ということは、死者が蘇ったんじゃなくて、感染者として生きているんじゃないか?
だから「ゾンビ」と言明するのを避けているんじゃないか?

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