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やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。続 奉仕部120日目

125 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2015/05/31(日) 21:17:18.77 ID:Rjh3CeYO0.net
太宰治
生家が津軽屈指の大地主であったということは、はじめ太宰に、『自分はほかの人間と違う選ばれた人間』だ、『人の手本にならなくてはいけない人間』だという誇りを与えた。
総ひばづくりの豪壮な家、三十人もの使用人に囲まれ、定紋入りの馬車で往復し、学校でも特別扱いされたとすれば、
幼い彼が自分の家は特別なのだという貴族意識を抱いたとしても無理はない。

しかし津島家が農民に金を貸し、抵当にした土地をとりあげ急速に大金持、大地主になった新興成金であること、
彼の周囲の貧しい農民や友だちの家から搾取によって自分の家の富や恵まれた暮しが成り立っていることを知るに及んでうろたえ、なやみはじめる。

その上、当事浸透してきたデモクラシー、マルキジズムの思想を学び、『大地主の子であることに強いうしろめたさ』、罪意識を抱くにいたった。
弘前高校を経て、東大仏文科に進み、大地主の生家からの『多額の仕送り』で、デカダンスな生活を享楽しながらもうしろめたさは募り、
非合法共産党へのカンパから、ついにマルキジズムの政治運動に参加するようになった。

そこには六男坊であったという第三の要因もからみあっている。日本の家父長制度の家では、
『あととりの長男だけが重んじられ、六男の太宰などは居ても居なくてもよい』叔父の糟として、まともに扱われなかった。
あの広い生家に太宰の部屋もなく、『父母の愛を知らなかった』彼は下男や召使たちにむしろ親しんだ。
それが太宰の『余計者意識』、『アウトサイダーとしての反逆意識』をはぐくんだ。
長男たちのように、『まじめで取澄まし礼儀正しく偽善的に生きることを拒否し、違う道を、自分の信じる主観的真実の道』を行こうと決意する。

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