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【エ○ァま○かの】結城友奈は勇者であるは糞アニメpart3【パクリ】

496 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2014/12/11(木) 13:01:05.83 ID:L1ZZHY7t0.net
あれだな、他の少女戦っちゃう系アニメとこれを作品構造で比べると
いかにゆゆゆのファンが社会や世界に対して閉じた底辺オタクなのかがわかってくるな・・・
(以下、無駄に長文駄文)

少女戦っちゃう系の先行作品、セラムンでもプリキュアでもそうだけど
他の諸作品と同様、「戦っちゃう主人公たち」と「敵」だけじゃなくて
「家族」「友達」「街の人々」が、ちゃんと名前と人格を与えられて登場してくるじゃん?

そういうのって一見当たり前なようだけど、「一個人が世界のために戦う」っていうお話の場合
「自分たちが守ろうとしてる世界は、『世界一般』なんていう漠然としたものじゃなくて
家族や友達や町のひとたちみたいな、自分たちの周りの具体的な関係の延長なんだ」
っていうことを主人公たちに実感させるための、ストーリーテリング的に重要なキーになってるわけじゃん?
そういう気付きに基づいて「“自分たちの延長としての”世界を守る」っていう決断をすることが
作品の大きな感動ポイントなわけじゃん?

んでもって、りりかSOSだとかまどマギだとかはその「自分たちと地続きなはずの世界」を
「自分たちと地続き」ってところを維持したまま、「世界」と「個」をねじれさせて対立させてるんだけど
そういう「地続きであるはずの個と世界の対立」ってのは、ある程度成長した人間なら誰しも少なからず抱える問題で
そういうところで普遍性とかが成立して、感動とか(あるいは)反感とかが生じる訳じゃん?

でも一方ゆゆゆはどうなのか?っていうと

そういう先行作品を切り貼りして作ったはずなのにもかかわらず
そういう「家族」「友達」みたいなキャラが一切「キャラクター」としてたって状態では出てこないんだよね。
「個」と「世界」が完全に分断された状態が当然のように描かれてる
そして「世界」は、「世界」を守ってやってる自分ら「個」を苦しめるだけの存在としてしか描かれない

もうあれだよね、そういう「世界なんてぼくたちの敵だ」的な世界観を
当然のように受け入れちゃうような層がどういう層なのか、言わずもがな、だよね(´・ω・`)

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