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四月は君の嘘 part4

787 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2014/10/27(月) 06:40:16.74 ID:fNg2Oiu80.net
>>779
プロット改変のレベルにまでは行っていない。
だが、例えば1話の公園で待つシーンだと、原作だとぼっち感が出る表現になっているのに対し、アニメだと普通に待ってるだけでそれがない。
公園で待つというプロットは変わっていないのだが、原作だとぼっちの人間がそれを打ち破る人間と出会うという意図が読み取れる。
アニメだと唐突にびっくり箱の様な人間に出会うだけ。
一つ一つの演出に原作ほどの意図の流れが描けていない。
3話の一つの山場である「くじけそうになる私を―支えてください」のセリフの流れも、原作では「私がいるじゃん」と対になるセリフ
公正を支える様で、実は公正の存在に支えられているかをり、というのがある。
この積み重ねがされていって、二人の鏡合わせの様な関係につながって来る。
アニメでのこのシーンだと個人的にはセリフもシーンの流れも同じなのに、絵やセリフから受ける印象からかをりのひたすら強い意志を感じる。
陽性の強さをひたすら全面に出すと、「くじけそうになる私を」につながらない。
だからこのセリフが唐突に聞こえた、個人的には。
なぜそうなるかと言えば、かをりに公正が沈んでいる海の底への共感がないから。
というか、基本本当の意味での公正の抱える絶望感の深さが描けていない、というよりか余り深く描く気がない気がする。
実は原作では「知ってる」のセリフのところは俯瞰で、かをりの表情が描かれていない。
だがアニメではそこの所を笑顔で明るく言っている。
後からかをりのことが分かると、本当はこのシーンは2話の公正の感想を聞く時の手が震える以上の気持ちだったはず。
それを精一杯気持ちを振り絞って、かをり自身もいる深い海の底から出した覚悟の意志の言葉だから、それが決壊して大粒の溢れる涙につながる。
だから公正も動く気になったのだと思う。
公正は「人の弱さを愛した人間」だから。
全く同じシーンでセリフも同じでも、描き方やセリフの演じ方でストーリーは全く変わる。
まあこれは個人的感想だけどね。

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