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人生相談テレビアニメーション「人生」 第9章

61 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で@\(^o^)/:2014/09/14(日) 14:05:03.50 ID:Ct5fDy1H0.net
 四十九歳でプロ野球最年長勝利記録を打ち立てた球界のレジェンド・中日ドラゴンズの山本昌投手は、ラジコン界でも伝説の存在だった−。
山本さんと二十年以上交流のある、模型メーカー・タミヤ(静岡市駿河区)営業課の前住諭(まえずみさとし)さん(39)は「人柄の良いマサさんが趣味にしてくれているおかげで、
ラジコンのイメージアップや普及にもつながり感謝している。記録達成を業界全体が祝っています」と喜ぶ。

 山本さんがラジコンを始めたのは一九九四年ごろ。最初の一台は、イタリアのスーパーカーをモデルにしたタミヤの「ブラックカウンタック」だった。
同じ趣味を持つ元中日の山崎武司さん(45)と共催大会「山山杯」を開くほど熱中し、腕前もプロ級。
全日本選手権や山山杯で優勝経験のある前住さんも「集中力が高く、負けん気も強い。野球と一緒で、センスがあるのに誰よりも努力する姿勢がすごい」と脱帽する。
ただ、ラジコン業界が二〇〇九年に名古屋市で開いたプロ野球の二百勝記念大会以降は、現役続行に専念するため封印しているという。

 前住さんは愛知県一宮市出身。名古屋市内のラジコン店で初めて山本さんに出会ったのは、小学六年のころだった。前住さんは当時から大会で活躍しており、
「『おまえか、速い子は』と気さくに声を掛けてくれました」と振り返る。

 十代後半からはレースで腕を磨き合い、前住さんの父・真美さん(64)が山本さんのマシンのセッティングをするなど、家族ぐるみで交流を深めてきた。
ツインメッセ静岡(静岡市駿河区)でタミヤが毎年主催する大会にも、十回ほど「一選手」として出場していたという。

 山本さんがラジコンから離れている今も、前住さんは、会員制交流サイト(SNS)などを通じて仲間と応援を続けている。
「業界みんなが、マサさんを人間的にも尊敬している。現役引退後にラジコンに復帰するつもりと本人から聞いたので、『俺たちもそれまでラジコンを続けるぞ』と仲間で言い合っています」。
「中年の星」の活躍が、さまざまな場で、多くの人たちを励ましている。

http://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/20140914/CK2014091402000087.html

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