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さいとうクリニックってどうよ?3

1 :1:2015/02/11(水) 20:36:51.86 ID:9S+RILsw7
麻布十番のさいとうクリニックについて語る
スレッドです。

前スレ
「さいとうクリニックってどうよ?」
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/utu/1213358597
「さいとうクリニックってどうよ?」2
http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/utu/1285050480/

581 :優しい名無しさん:2016/08/24(水) 18:36:24.10 ID:gXnFO2ufp
斎藤のブログ
http://ameblo.jp/satorusaito/entry-12187459627.html

が、更新されたそうで、見てあっけにとられた。

斎藤いわく『前に紹介した映画『エル・クラン(血族)』は、家族の中で起こっている悪や非道を黒いヴェールで隠すという主婦の役割について述べた。』だと。

やけに誇張強調しているので、斎藤のクライアントや患者の主婦は家族の中で起こっている悪や非道を 黒いヴェールで隠す役割を果たす主婦ばかりだったのだろうかと勘ぐってしまう。

実際そういうクライアントは多かったが、それは世間からみればレアなケースなのにもかかわらず、斎藤は強調して警鐘()を鳴らそうとしている点で、余計な心配であり、むしろ不安を煽り人の不安を煽って喜ぶ愉快犯のように見てとれる。
斎藤はとくに不安がらせて飯の種にしているのが、言葉の端々からも浮かび上がる。

プッチオ家の罪を主婦に着せてしまうのも恐ろしく矮小化している。
じつに矮小化した下半身でモテに絶望し世間に復讐のために精神科を専攻した斎藤らしい。

582 :優しい名無しさん:2016/08/24(水) 20:22:50.36 ID:gXnFO2ufp
斎藤のブログを見る度に不快なのは、
扉に斎藤の20年前の写真を堂々と載せてるから。
 斎藤自身は自己愛性人格障害だと告白しているが、若さコンプとはいえ
完全に偽装なのだからしょうじきに今の斎藤の写真を載せろと思う。
老醜で客が逃げるからか?自己愛が耐えられないからか?

583 :優しい名無しさん:2016/08/25(木) 12:55:31.97 ID:dQNvCWo1U
外見で選んで来るクライアントもおかしいが、
その写真は20年前のものを載せるのもほとんど詐欺
斎藤は何重にも人を欺く。

584 :優しい名無しさん:2016/08/26(金) 12:26:25.94 ID:29W/AxicX
次に、『次に紹介する映画は『太陽のめざめ』(la t?te houte)で、原題(フランス語)は「頭をまっすぐ上に」ないし「胸を張って」という意味です。』と述べている。

しかし、原題(la t?te houte)は、「頭を上に上げて 」直訳では「 後頭部  」
であり、「 頭」という意味であるが、「胸を張って 」ではない。
ラジオ体操では「 頭を上げ 胸を張って」などと掛け声があるが、
「胸  」という訳は何処にもないし、全く別のメタファーを持つ「 胸 」という言葉を、完全に余計に付け加えてしまっているのだ。そしてそれは意味そのものを変えてしまう効果を持つ。
じつはこれは斎藤の常套手段なのだ。
些細な単語の意味すら注意して見破っていかなければならない
フランスに関係しているとなるとなおさら知ったか振りに拍車がかかる。
これが、知ったようにしらっと意味さえ変えてしまうの斎藤マジックの例である。

585 :優しい名無しさん:2016/08/26(金) 23:47:35.93 ID:29W/AxicX
ないし「胸を張って」という意味です。
←「 胸を張って 」ではない。「 胸」という言葉は頭とは別の暗喩を持つので、訳に使うのは不適切。

この映画は、10代少年が周囲のルールを受け入れる過程を描いています← これも違う。
正しくはこの映画は、育児放棄され非行を繰り返す少年が、周りの人達の忍耐強さと愛で更生していくというストーリーなのだ。

ネグレクトにより精神的に成長していない少年が、出会った人(カトリーヌ ドヌーヴ扮する判事や教育係など)によって次第に厚生していくのであって、
むしろ何度期待を裏切られても見捨てず辛抱強く少年を導いているプロセスが描かれているが、斎藤はこれについてはまるっきり触れていない。
そりゃ斎藤には触れられないだろう、なぜなら、斎藤もそのスタッフも、この映画のように、少年を救おうとか、忍耐強く愛を持って導くなどはやっていないから。
斎藤はこの映画に描かれるストーリーを正視できないだろう。
だから、以下さらに斎藤の解説はトンチンカンであさっての方向で、
一般の人が見ていだくであろうポイントを全く外してあさっての方向に向いた
自説の垂れ流しに終始しているのだろう。

その点を押さえずに、単に「 10代少年 」ではなく、母親のネグレクトにより傷を負った少年なのだ。
この点を外しているのは、はなからこの映画について書く気がないのか趣旨を捉える力量がないのかどちらかだろう。
いずれにしても雑だ。
「 10代少年が周囲のルールを受け入れる過程を描いています 」

単に周囲のルールを受け入れるといったものではない。

586 :優しい名無しさん:2016/08/26(金) 23:54:48.84 ID:29W/AxicX
585  訂正
ないし「胸を張って」という意味です。
←「 胸を張って 」ではない。「 胸」という言葉は頭とは別の暗喩を持つので、訳に使うのは不適切。

この映画は、10代少年が周囲のルールを受け入れる過程を描いています← これも違う。正しくはこの映画は、育児放棄され非行を繰り返す少年が、
周りの人達の忍耐強さと愛で更生していくというストーリーなのだ。

ネグレクトにより精神的に成長していない少年が、出会った人(カトリーヌ ドヌーヴ扮する判事や教育係など)によって次第に厚生していく過程なのであって、
「 少年が周囲のルールを受け入れる過程」ではない。
何度期待を裏切られても見捨てず辛抱強く少年を導いているプロセスは、
斎藤はこれについてはまるっきり触れていない。
そりゃ斎藤には触れられないだろう、
なぜなら斎藤も斎藤関係スタッフもこの映画のように少年を救おうとか忍耐強く愛を持って導くなどはやっていないからだ。
斎藤や斎藤関係スタッフはこの映画に描かれるストーリーを正視できないか、
普通に感想を書けないのではないだろうか。

だからだろう、以下斎藤の解説はさらにトンチンカンであさっての方向のもので、
一般の人が見ていだくであろうポイントを全く外した自説の垂れ流しに終始している。

587 :優しい名無しさん:2016/08/27(土) 14:36:54.68 ID:qNfBiNsGB
(ロッド・パラド)が何に対して胸を張っているかと言えば、自分が自分の攻撃衝動に勝てるようになったこと← 早速斎藤常套のすり替えから始まっている。
何度も言うように、原題の直訳は「 頭を上げて 」「後頭部  」つまり頭 なのである。
暗に(頭を使う)=思慮 という意味が含まれるだろう。
しかし斎藤は「胸を張る」「胸」という言葉を新たに付け加えてしまった。

更にその「胸」という言葉を今度は前提にしてしまい、「(主人公は何に胸を張っているのか) 」と、胸を張っていること、誇らしく思っていること にしてしまっている。

更に(主人公は自分の攻撃衝動に勝てるようになったことを誇らしく思っている)
と続けている。
ここでも斎藤がいきなり持ち出してきた「攻撃衝動 」
一見もっともらしいが、この映画で持ち出すのは不適切だということだけ書いておきます。
主人公が非行に走り何度も更生をしても転んでしまう、これは原題の「頭」
つまり思慮が少し足りない ということで、「攻撃衝動」は、極右•差別主義などのカテゴリになる。
斎藤に言わせれば、非行少年は極右もレイシストも変わらないとなる。
事実、斎藤は 非行少年について言及するときそのようなことを言っていた。

斎藤が言う、「自分の攻撃衝動に勝てるようになった勝利の結果」が、
生まれたばかりの主人公の赤ちゃんであるというのだから、
まったく浅い解釈解説で作品からズレている。




、そして、その結果として生まれた自分の子を誰かに見せてあげようとしているからだろう。

588 :優しい名無しさん:2016/08/27(土) 14:44:49.15 ID:qNfBiNsGB
訂正
(ロッド・パラド)が何に対して胸を張っているかと言えば、自分が自分の攻撃衝動に勝てるようになったこと← 早速斎藤常套のすり替えから始まっている。
何度も言うように、原題の直訳は「 頭を上げて 」「後頭部  」つまり頭 なのである。
暗に(頭を使う)=思慮 という意味が含まれるだろう。
しかし斎藤は「胸を張る」「胸」という言葉を新たに付け加えてしまった。

更にその「胸」という言葉を今度は前提にしてしまい、「(主人公は何に胸を張っているのか) 」と、胸を張っていること、誇らしく思っていること にしてしまっている。

更に(主人公は自分の攻撃衝動に勝てるようになったことを誇らしく思っている)
と続けている。
ここでも斎藤がいきなり持ち出してきた「攻撃衝動 」
一見もっともらしいが、この映画で持ち出すのは不適切だということだけ書いておきます。
主人公が非行に走り何度も更生をしても転んでしまう、これは原題の「頭」
つまり思慮が少し足りない ということで、
「攻撃衝動」の顕著な例は、極右•レイシストなど、攻撃を目的にする暴力的なカテゴリである。

斎藤に言わせれば、非行少年は極右もレイシストも変わらないとなる。
事実、斎藤は 非行少年について言及するときそのようなことを言っていた。

斎藤が言う、「自分の攻撃衝動に勝てるようになった勝利の結果」が、
生まれたばかりの主人公の赤ちゃんであるというのだから、
まったく浅い解釈解説で作品からズレている。

589 :優しい名無しさん:2016/08/28(日) 03:25:54.89 ID:+L2Wr4qCZ
ここで、この映画について他のブログの批評を引用します 引用元- http://d.hatena.ne.jp/otello/20160624

>育児放棄の母親と暮らすマロニーは窃盗で逮捕され、
フローランス判事から矯正施設行きを命じられる。
教育係のヤンに励まされ一時落ち着くマロニーだったが、再入学の面接で難色を示されキレてしまう。
心を入れ替えたかと思えば自制が利かなくなる事態を繰り返すマロニー。
ヤンは無断欠勤したマロニーを説教するが、聞く耳を持たない。
マロニーの胸にあるのは決定的な不信感、自分が傷つく前に傷つけてやろうという防衛本能が働くのだろう。せっかくできたガールフレンドにもつれない態度を取ってしまう。マロニーがフローランスに召喚される度に同席する彼の母親の、
手前勝手な理論を振り回し不幸をすべて他人のせいにするバカ親ぶり。
やがてガールフレンドが妊娠したことから彼の中にも責任感が生まれる。
衝動的にわが子を救い、積極的に子育てしているのか赤ちゃんをフローランスに見せにきたりもする。しかしきちんと教育を受けていないマロニーは貧困層予備軍。
マロニーの赤ちゃんを抱く手の危うさが、彼もまた親の徹を踏む可能性を予感させるのだ。オススメ度 ★★★

以上  ネタバレだが、このブログの批評と、斎藤が言う「少年がルールを受け入れる過程」「攻撃衝動に勝てるようになったことを誇らしく思っている 」様子を描いたものか実際に見ればもっとよくわかるかもしれない。
実際に見れば主人公が「 攻撃衝動に勝てるようになった」から判事に赤ちゃんを見せに来たのかそうではないこともわかるだろう。
「 攻撃衝動」と吐き棄てるような斎藤の捉え方のズレ方はどこから来るのか?

この映画のキャッチコピー「 愛とは、見捨てないこと  」は、
斎藤は昔から まともに人を更生させて来なかったどころか
面倒や反抗的な人をバンバン切り捨てている。とても正面から受け止められないだろう。主人公が美少年であるのも斎藤には気に食わないのだろう。

590 :優しい名無しさん:2016/08/29(月) 22:22:41.45 ID:g9jmJ4/dg
斎藤は、適当に「胸を張って」みたいな意味だろう、と書いて、
更にそこから連想で誇りと解釈して、勝手に『攻撃衝動w」ということにし
『攻撃衝動に勝利して誇らしげな主人公』を作りあげてしまっているがw
この映画は斎藤がブログに書いていることとは、その内容は全く違っていて、

この映画は、愛とは 見捨てないこと  という副題を見てわかる通り
ネグレクトにより心に傷を負い、非行を繰り返す少年主人公を助けるために奮闘する大人たちの姿を描く物語なのだ。
斎藤学は、そこを意図的に無視しているのか、
本当に気付かないほど精神がイカレているのか、認知症かのどれか どれにしても問題だが。
なぜなら斎藤は、ここからまた、いつものお得意の、
あさっての方向に話を飛ばし、見当はずれの展開でもって、批評文の字数を半分近く
使って読み手の頭を?疑問符で満たすことに終始するからである。

この映画には攻撃衝動が統制されてゆく過程が描かれている。子どもは母の胎内で満9ヶ月を過ごし、産み落とされてからの24ヶ月までに二足歩行と言語、視覚認識、排泄の統制といったヒトとして……

?映画と何の関係が?…… イヤ なんでも有名な精神科医の先生だからきっと深い意味があるのだろう、理解できないワタシが足りないに違いない……
( 煙に巻かれる黄金パターン)

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