「素敵詩的すくりぷと」の終盤に流れる歌って?
- 1 :Now_loading...774KB:2012/01/01(日) 18:37:04.02 ID:zq58N0tF.net
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ホンさんのFlash、素敵詩的すくりぷと
ttp://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html
以前、「win限定、音入りバージョン」というのがあって
ttp://web.archive.org/web/20050125090311/http://www.geocities.co.jp/Milano-Cat/4036/shiteki_02.html
そこには、最後の方で、洋楽(?)の歌が流れていました。ハーイハイとか言ってたかな?
とにかく、幸せを音にするとこんな感じになるのかなぁ、と思うくらいに心温まる歌でした。
今は聞くことが出来ません。
無くなってしまった。
誰か歌名や歌手名を知っている方、どうか教えてください。
- 151 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 01:24:05.63 ID:q0hu/aHb.net
- 途切れた。
人間が「終点を拒否する」というのは古来から何人もの人々が願い、しかし未だに達成出来ていないもの。
たとえ道しるべがあったとしても、そんなに簡単に自分の意志で歩き出せないところであるはずだ。
そういう認識が自分の中にあるので、若干の違和感があった。
でも、これを知ることができて本当に良かった。それは偽らざる思い。
折角の機会なので、これに関しては日刊氏の見解も聞いてみたい。
- 152 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 19:05:58.89 ID:foe/bbGQ.net
- ・道しるべ
妄想とネタバレ全開で!
人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。
だってここにある道は、窓を開け見えるのは、元々は先人達が歩み、開拓し、踏み慣らしたもの。(癒着によって年度末にやけに丁寧に工事されてきたもの)
だから終点の先を歩む。それはフロンティアを開き、足跡を残し、路を創り、後人に渡すということ。
それは定められた道を歩んでいくよりも、ずっとずっと緩やかで辛く険しいことだろうけど、きっと素敵なことですよね。
一方で迷い続けて一向に終点にはたどり着けそうもないわたしみたいな人も決して少なくないのでしょうが……
>この道を行けばどうなるものか。
>危ぶむなかれ、危ぶめば道はなし。踏み出せばその一足がみちとなり、その一足が道となる。
>迷わず行けよ、行けばわかるさ。
(アントニオ猪木)
ぬいぐるみと言うのが、重要な小道具として使われている気がします。
少女と寄り添い、抱かれ、地図を渡し、共に道を歩み、その終わりに青空があることを教え、別れる。
このぬいぐるみは誰から贈られたものだろう?
作中では描写されていない父と母から? 大きな大きな地図を残した沢山の先人から?
何が詰められていたのだろう?
ほんとの光? 夢? 希望? 明日? 祈り?
色々と空想は広がります。
そしてこのFlashはそうした空想の余地を大きく残しているのが、魅力になっているんだと思います。
実際ベテランさんの解釈は、胸に響きました。それで自分なりに解釈しなおしてみました。
わたしは詩心がないので、どうも、胡散臭い解釈になってしまうのですが。
そして、わかりにくいことを、理解されないことを恐れず、平易な文章と「私」視点を最後まで貫いた、その作者の心意気にじわんときます。
- 153 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 21:51:00.47 ID:Asiplwql.net
- >>152
>人生という道。その終点は死のみに限らないんじゃないかなぁ。
なるほど、そういう見方には気づかなかった。胡散臭いなんてとんでもない、重要な視点だと思う。
そうすると、たとえば「定年を迎えてのリタイア」(何かが見えてくると思い一心に仕事に打ち込んだが、最後には何も無かった)
という見方もできるのかもしれない。それ以上は、作者のみぞ知るところなのだろうが。
解釈の幅広さはともすれば欠点にもなるけれど、確かにそれに対する作者の覚悟めいたものを感じました。
間接的な表現を突き詰めてこそ、達することができる境地がある。
このFLASHは、そこが魅力的であることに異存はありません。
- 154 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 22:14:30.79 ID:qi6kZKoe.net
- それでは、今度は私から。
「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」
http://www.youtube.com/watch?v=T1q_0PXmJOk
私はロシア民謡が好きで、特にカチューシャを良く聞きます。
その中でもこれはアコーディオンの響きと力強い歌声がお気に入りで、
3分があっという間に感じ、つい何度もリピートしてしまっています。
一つの見方として、これはメロディーとリズムで人気がある曲です。
ひたすらに無心で聞いて高揚感を得るのが、楽しみ方の一つでしょう。
百聞は一見に如かず。まずはこの歌の魅力に触れてみてください。
- 155 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 22:18:13.45 ID:qi6kZKoe.net
- ただ、私はこの曲の歌詞の意味を知るとより深く鑑賞出来るものだと思っています。
折角なので私なりに、それについて触れておこうと思います。
一般に歌われている日本語版の歌詞は、このようになっています。
リンゴの花ほころび 川面にかすみたち
■君なき里にも 春は忍び寄りぬ …繰り返し…
岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌
■春風優しく吹き 夢がわくみ空よ …繰り返し…
カチューシャの歌声 遥かに丘を超え
■今なお君をたずねて 優しその歌声 …繰り返し…
リンゴの花ほころび 川面にかすみたち
■君なき里にも 春は忍び寄りぬ …繰り返し…
- 156 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 22:22:24.10 ID:qi6kZKoe.net
- これ、シンプルな歌詞のようで、実は歌詞の解釈がかなり割れます。
まず、前提としてカチューシャはここでは女性の名前を指します。で、恋人がいます。
そこで「君なき」の「君」とは誰なのか? カチューシャか、その恋人かです。これが難しい。
また「なき」は「亡くなった」のか「いなくなった」のかも解釈上微妙なところです。
もし「君」がカチューシャならば、これは恋人を慕う歌詞です。
里で、どこかへ行ってしまった恋人を想って歌うという情景ですね。
このときに「亡くなった」であれば歌声が届く場所は天国ですし、
「いなくなった」であれば、どこかは分かりませんが遠くの場所ということになります。
逆に「君」がカチューシャの恋人ならば、カチューシャを慕う歌詞になります。
恋人がかつての「岸辺に立ちて歌う カチューシャの歌」を思い出し、
「カチューシャの歌声」が「遥かに丘を超え」ていったことを思い描き、
「今なお君をたずねて」いき、「優しかったその歌声」の思い出に浸る。
このときに「亡くなった」であれば訪ねる場所はお墓ですし、
「いなくなった」であれば、里から旅をして彼女を訪ねる道中の情景になります。
このどちらでも筋が通るので、解釈が分かれる歌詞になっているわけですね。
人と解釈の違いを比べてみる、というのもまた一興でしょう。
- 157 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 22:29:00.53 ID:qi6kZKoe.net
- しかしロシア語版の訳を調べてみると、はっきりとどちらであるかが分かります。
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩みゆく
霧のかかる険しく高い河岸に
カチューシャは歌い始めた
誇り高き薄墨色の鷲の歌を
彼女が深く愛する青年の歌
大事に持ってる彼からの手紙
おお 歌よ 乙女の歌よ
太陽をかすめ 鳥の如く飛んでゆけ
遠き国境の若き兵士の元へ
カチューシャの想いを届けるのだ
彼は思い起こすか 純真な乙女を
彼は聞くだろうか カチューシャの澄んだ歌声を
彼は愛すべき祖国の地を守り抜き
カチューシャは愛を強く守り抜く
咲き誇る林檎と梨の花
川面にかかる朝靄
若いカチューシャは歩みゆく
霧のかかる険しく高い河岸に
- 158 :Now_loading...774KB:2013/02/21(木) 22:30:16.91 ID:qi6kZKoe.net
- 端的で無駄のない表現の中に、格調高さが光る秀逸な訳だと思います。
もちろん歌うリズムの関係もありますが、これを見ると日本語版は相当省略されているのが分かります。
これは、戦場に行った恋人を想って歌うカチューシャのお話だったのですね。
この訳を踏まえながらもう一度映像を見たとき、私には何も考えずに見た時とはまた違った感慨がありました。
「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。
カチューシャは恋人をひたすらに信じ、彼はそれを心の奥で切実に受け止めながらも前を向く。
それがあえて高らかに歌いあげられているからこそ、多くの人々の心を動かす。
自然に観衆が音楽と一体となっている姿を見ると、そう思えてなりません。
これは厳密な意味でのFLASHではないかもしれませんが、
「人の心を動かすものとは何か」という視点においては、何かしらの参考になるのではないかと私は思っています。
- 159 :Now_loading...774KB:2013/02/22(金) 20:37:33.21 ID:4H6RwBeb.net
- >「ロシア民謡・カチューシャ( Катюша、katyusha)」
高速の変化球のようで、受け止められないー。きっとかなりの労苦を背負って、贈ってくださった言葉なのに。無知なわたしを許してください。
あー、テトリスの曲ダー。ってのがわたしの第一印象。もうね、そこから、教養のなさを察してください。
このメロディーの中毒性は、わたしも含め沢山の日本人が、古びた旅館の遊技場とかで経験していると思う。
ドラムのようなビートが気持ちいい。胸に響いてきた。踊りたく。
何かの本にあった、ダンスの輪に入らないで外から聞いたオクラホマミキサーって、もうどうしようもなく物悲しいって言葉を連想しました。
歌になると濁音が雰囲気を作っていて、言語や声は一種の楽器なんだと改めて思う。想い出にまた一つ色が加わりました。ありがとう!
歌詞はふむふむ、解釈によってそんなに変わってしまうものなんですね。
創作物は、作り手と受け手の相互作用で意味をなすと捉えていただけに、新鮮な驚きでした。
「作り手」、「受け手」、の間にある「訳者」、「仲介者」によって如何様にも変化する。きっとそれはFlashを含めあらゆるものについて回るものなんだろうな。
ロシア語がさっぱりで、知識欲の薄いわたしは、ベテランさんの紹介に大きく依存してしまう。
それは今、此処になき(無き? 亡き?)作者が直接伝えられないジレンマでもあって、
こうした歌が時や場所を超え広がっていくのに欠くことの出来ない要素なのかも。
戦地に向けた恋人への歌。そして実際ドイツ軍との戦闘でも愛唱された歌。カチューシャは、兵器の名にも使われた。
ちょっとゾクリと来ました。湧き上がる群衆に、国旗に、軍服。
長い長い熱戦と冷戦の時代。危うい時代だったと思います。この歌が幾つかの感慨とともに、穏やかな時に歌われたことに、胸をなでおろします。
>「愛」というものは、寒風にさらされてこそ真実の輝きを示すものではないでしょうか。
強く、勇敢な言葉だと思います。その言葉を大切にしてください。愛も真実もわたしは信じられなくなっちまったんだぜ。ローラ!
- 160 :Now_loading...774KB:2013/02/23(土) 15:21:27.85 ID:dF77p7o7.net
- >>159
ストライクゾーンは人それぞれですから、お気になさらず。
ワイルドピッチが怖くてピッチャーなんぞ出来ませんからね。
(何食わぬ顔をしてワイルドピッチを重ねるARAKAKIはそれはそれでどうかと思う)
むしろ、ストライクゾーンから外れた球でも取ろうとしてくれるその姿勢が有り難い。
人に何かを呈示しあうときに大切なのは、やはりそういう心意気だと思うんだ。
ちなみに、テトリスの有名な曲はコロブチカだったりします。
カチューシャとは微妙に違いますが、おんなじ様なものなので気にしないでください。
カチューシャと並んで私も好きな曲です。高揚感と中毒性。
ここで「テトリスはなぜ大ヒットしたのか?」に関する考察を展開したいところですが、紙面の都合で割愛させて頂きます。
参考:「TETRIS (テトリス) - コロブチカ (A-Type)」
ttp://www.youtube.com/watch?v=QQLR_CWNc9s
>戦地に向けた恋人への歌。そして実際ドイツ軍との戦闘でも愛唱された歌。カチューシャは、兵器の名にも使われた。
>ちょっとゾクリと来ました。湧き上がる群衆に、国旗に、軍服。
>長い長い熱戦と冷戦の時代。危うい時代だったと思います。
実際、これは戦争の賛美歌であると抵抗を感じる人もいるというのは否定しません。
しかしここでは、私は戦争自体の是非はひとまず脇に置いておきたい。
仮に戦争を絶対悪としたとしても、愛と真実が真っ赤なニセモノだったとしても。
カチューシャとその恋人には、罪はないのではないでしょうか。
付言すれば、この映像から注目して欲しいのは「人がたくさん集まった時に生み出されるパワー」というべきものです。
FLASH界の中で、再びこのカチューシャのライブのように人を集め気持ちが一つになれる「何か」が生み出されることを願ってやみません。
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