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【博多】JR九州高速船BEETLE(ビートル)【釜山】

137 :NASAしさん:2018/05/10(木) 12:27:58.88 .net
征韓論とは西郷隆盛VS大久保利通・岩倉具視の戦い
https://jpreki.com/seikanron/

征韓論(せいかんろん)とは、明治初期の湯治に、留守政府として政治を取り仕切っていた西郷隆盛・板垣退助・江藤新平・後藤象二郎・副島種臣らによる、武力をもって朝鮮を開国させようとする主張です。

一般的には、版籍奉還にて没落した武家の不満をそらすため、武力を持って朝鮮を攻撃しようと計画したとされ、大久保利通や岩倉具視に反対されたと言いますが、これはどうも違うらしいです。

日本は江戸時代に鎖国をしましたが、オランダと朝鮮だけとは国交を保ち交易しています。
そして、明治政府が発足すると、朝鮮に使節を派遣して、新政府の樹立と友好親善の国書を提出し、引き続き朝鮮との国交を維持しようとしました。

しかし、この時、朝鮮はこの国書の受理を拒否したのです。
これはすなわち、国交を断絶し、敵とみなすと宣言したのと同じです。

朝鮮が拒否した理由は、日本からの外交文書が江戸時代の形式と異なると言う理由からのようです。
すなわち、朝鮮が国際ルールに基づく外交方法をまだ理解できずにいたとも言えますが、まぁ、日本もちょっと前までは同じようなもので、ある意味仕方ないところです。
そのため、日本は説明を行うため、引き続き大使を何度も派遣しました。
しかしながら、朝鮮の首都に入る事も許されず、朝鮮は排日の風を強め、日本の使節を軽蔑し愚弄します。
そして、明治6年、朝鮮は釜山にある大日本公館の門前に「日本は無法の国」との文書を掲示するに至り、遂に日本国内では征韓論が起きたのです。
征韓論の「征」の漢字は、「正しきを行う」です。

この朝鮮の無礼な対応に最も怒ったのは木戸孝允です。
日本としては、世界で標準となっている国際ルールにて正式に朝鮮に接しているにも関わらず、話も聞かずに「無法の国」だと断定してきたのですからね。

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