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シベリアにラノベ含む読書の話その8

1 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね@\(^o^)/:2015/11/01(日) 16:05:36.22 発信元:58.89.31.218 .net
があってもいいじゃないか。

前スレ
http://mastiff.2ch.net/test/read.cgi/siberia/1405230772/

887 :リーダー :NG NG.net
三宅登之『一冊目の中国語』東洋書店(2007)

>>886言ったが今日(翌日:2018年3月7日)読み終わったな。
これまでに何度か書いたからあまり言うことがないな。

「一冊目シリーズ」はとにかく欲張った内容になっている。
情報量は多いんだと思う。
私のレベル低いから感じ取れんけどw
違う気はする

一つだけわかったのが、受身態と能動態の間で「中間態」がある。
「(例えば物体が)〜される」と「(物体が)〜する」の間で「〜せる」みたいな言い方。
具体的には、「紙が切られる」と「(ハサミなどを使ったから)紙が切れる」の間になって「切れる」という。
ハサミでさっくりやったから「切られる」とその結果「切れた」なんていうがそのどっちともとれる「切れる」という言い方がある。

それが日本語にもあるということが驚きだった。中国語のテキストなのに日本語で発見があった。
こういうつっこんだ知識を一つだけ書いてあるところを見ると、売るための差別化だろうか。
売るために知識を出し惜しみして身に付けろとは正気とは思えん。
この本に限らず、ほとんどの本の著者に罪はなく、ビジネスが悪いのだ。自由経済のせいw
独占禁止法なんて詭弁とか嘘つきじゃないかと思う。独占禁止法の詳しいことは全く知らんが、どこかで独占してないかと思う。

英語で悩まされた「時制」と「態」は違うそうだ。

888 :リーダー :NG NG.net
「時制」とは英語にすると「テンス(tense)」といって「態」は「ボイス(voice)」という。
で、動詞の現在過去を細かく言うと「テンス」と「アスペクト」というのに大別され、
「アスペクト」を実際に分類すると「なんとか態」となっている。

「アスペクト」というのが、英語で時制よりももっとややこしい屁理屈に思えた説明の部分であった。
完了形では時間表現がいるかいらないかとか、細かすぎてどうしたらええねんって説明をしていたあの部分がアスペクトというらしい。

私もよくわかってないが、そういうのがあるため、細かすぎる表現の違いで
知っている言葉をちょっと入れ替えただけで、いえないとか、言えるとか屁理屈をのたまわっている英語テキストが多い。

この時制とかアスペクトを屁理屈でいくらでも言えてしまうので、混乱するようなら
たまたま覚えてしまうまでは、理解しようとしながら流し読みしていいと思う。
大事なのは、実際の英語を見て、アスペクトの屁理屈が思いつけばラッキーくらいがちょうどいい。

実際の英語(外国語)を見て見て、ただ意味を取ろうとして、音読して
外国人と同じリズムとか感情表現でわかればいいのである。
TOEIC文法テキストなどの屁理屈を見すぎると嫌になるので、文法勉強だけではなく、
できるだけ日本語無しの難しすぎない英語を読むようにするのがいい。

一見、英字新聞などをそのまま読んでいる格好だけして、よくわからないまま
記事を読み通してみてほしい。
どうせ、いずれは外国語をそのままザーッと読んで、わかる、という風になるのが目的なのだから
一日も早く、原文に慣れてほしい。
それで確認のために文法や、辞書を見たらいいだろう。

おわり

889 :ぴょんちさ :NG NG.net
888だなって

890 :リーダー :NG NG.net
アニメ ゆるキャン△なう
アウトドア関連読んでるので許してくだされ
保守もあるし

今回はちょっとしたトラブルがでた

風が強い時は、ペグを打ちながらテントを設営しましょう

891 :リーダー :NG NG.net
>>890の追加で、本読んで新しく知ったこと書いておこう

階段とか、鎖をつかんで昇れるとか、
地面を整備(?)してくれているところあるでしょ。

山登り専門で考えると、階段を作ってくれたり、
鎖とかでつかんで落ちないように支えて昇れたりするところは
あまり素直に喜べないような書き方してた。

山登りの工夫でいうと、できれば階段がない方がいいから。
階段があると、山登りの工夫が使えない。
つまり、余計に体力を消耗するんだそうだ。

鎖とか、よかったーって完全に体を預けてつかむと落ちることがあるとかw
鎖も梯子もそうなんだけど、たまに取り付け悪くて完全に体を預けてつかむと
ポロット行くことがあるらしい。
そうならないように、完全に体を預けないで、ちゃんと自分の足で支えること。
そのバランスを崩さない程度に軽くつかむのがいいらしい。

できるだけ自分の足で支えて、ふらつくようならつかむと引っ張りすぎないので大丈夫。

梯子や鎖をつかむときは、最初にぐいぐい引っ張って外れそうになってないか確認しましょう。

892 :リーダー :NG NG.net
こんなのもある
「ちょっと目を離したすきに、突風にあおられ
テントが飛んで行ってしまったなんてことは
マンガの世界だけにしてほしい」

すみません、ゆるキャン△ででてきましたw

893 :リーダー :NG NG.net
>>892の部分を読んで、>>890を思い出したのであった

しまりんのテントが転がってたところ

894 :リーダー :NG NG.net
『はじめてのアウトドアの本』別冊宝島264(1996)
「道具選びから基本技術までの全基礎知識!」

「ゆるキャン△」の影響かも。
別冊宝島を読んだのは二冊目である。

アウトドア派といえば外で遊ぶのが好きな人で人間好き、
そうじゃない人は人付き合いが苦手、というイメージがあるかもしれない。(なかったらごめん)
外で家族で遊びに行くくらいかと思ったら、ちょっとちがう。
たしかに外に遊びに行くんだけど、素人が急に山登りしても大変な目にあうことはあるのである。
たとえばその辺の自動車で山の車道を上るだけでも、車種によっては苦労するか、楽々行けるかが変わる。
そんなほんのちょっとの差を、基礎知識として知っているだけで、思いがけないハプニングは避けられる。

アウトドアとか、山登りとか、キャンプとか言われたら専門知識が必要な気がする。
これは名前がついていることで勝手に気後れするだけである。
ようするに、外で快適に過ごせれば難しいことは知らなくていいかもしれない。

そのために、ちょっとだけ知っているのと、知らないのでは快適さが明確に違ってくる。

外で快適に過ごし、体力を消耗しても絶景を楽しむためには、簡単に知っておくだけでもいい。

895 :リーダー :NG NG.net
「山登り」「キャンプ」「沢登り」「雪山」の説明がある。
日本全国で21か所のおすすめスポット。
8つの雑学知識コラム。
雑誌なので著者は17人。
(このタイプの本は、私には雑誌なのか、違うのかよく知らない)

・山行
「やまぎょう?」と思った。何処の山岳信仰の修行かと思ったら意味が違うっポイ。
でも読み方がわからないので「やまぎょうと読むのがおかしいな」と。
実は「さんこう」と読み、山登りの用語だとか。
・ヘキサタイプテント
ヘキサ「六角」タイプ。ゆるキャン△には今のところ出てこない。
六角形をヘキサゴンという。
魔法で有名な「六芒星」とは「ヘキサグラム」という。イスラエルの国旗にもある。

896 :リーダー :NG NG.net
アウトドアと言えば、車からテントとか調理器具を出してそこに寝泊まりしているように見える。
そうしなければいけないわけではないと思う。

自然を相手にするからか、アウトドアでは基本的に自己責任で活動する。
ゆるキャン△で施設があるように、もちろん、地域ぐるみ(?)でサポートはある。
でも個人が好きで行動するのに、他人が出しゃばったらかえって邪魔になる。
アニメにあるように、若干のルールさえ守れば、あとは自分でやるのである。
よほど危ない目に合わない限りは。

といっても、体力の消耗からシャレにならない事態になることもあるので
ちゃんとルールでサポートしてあるので、自分を守るためにもなるからルールはしっかり守ろう。

本を読んで気が付いたが、職場でブラック企業とか、いじめるだけの体力仕事が問題になっているが
これは何でもかんでもコントロールしようとするからである。
アウトドアのように、自然を相手にすることで、どこから他人が出しゃばってはいけないかを工夫できるようである。

世界中でアウトドアを楽しみたいのだから、他人が出しゃばってまでサポートするのは不可能である。
それでも安全にお出かけする。
サポートと、一人でやってもらう部分をバランスよく設定するしかなくなる。

会社でコントロールしようとしているのは、そのバランスがわかっていないからだと思った。
その証拠に、人に任せることを毛嫌いしている始末である。

話がそれた

897 :リーダー :NG NG.net
あとは、体調管理、天候についてなかなか参考になった。

水分補給のことだが、食物も含めた水分を
一日1500ミリリットル補給するのがいいらしい。
「水分ではなく、水を2リットル飲むようにしよう」といわれて「無理だろ」と思った人は多いと思う。
そういう人には朗報である。

天候とのおつきあいも大事である。
雨が降ったら即何もしたくないという根性はなくしたほうがよさそうだ。
アウトドアなら雨が降ったら、どうすごせば快適か、考えるのが楽しいのである。

テントとかが濡れたら困る、どうしたらいいかわからないまま車に積み込むなんて嫌だと思うだろう。
その場合に、どうするかはほとんど決まっているので安心していい。

余談ばかり思い付いて、ここでやっと思い出せたが、道具の扱い方はほとんど決まっている。
基本的な使い方は変わらないようだし、応用編の使い方は、無理に一人で考えないほうがいい。
アウトドアでは助け合いの精神がかなりいきわたっている。
気になっていることは全部忘れて、そのスキに明るく教えを乞うのがいい。
もし気まずい人がいたら、人と話すのがあまり上手ではないんだとすぐに思って
すみませんでした、気にしないでくださいという風にして、すぐにほかの人に聞いて
気軽に答えてくれる人だったらいいくらいのつもりでいること。
家の中に引きこもっているより、外でのびのび過ごすのに慣れれば、細かい気まずさも軽く対処できる。
家の中で細かいことばかり気にしていると、そういうことはほとんどできないのである。
外に出る方が精神的に健全である。
健全に体力を使うので、一人で慰める必要もないのだ。

898 :リーダー :NG NG.net
私がアウトドアに興味を持ったのは、いろいろ知ってないと
外で快適に過ごせないと直感したから。
キャンプを通して知ることは、まさにリアルのことだから役に立つと思う。

道具はあるが、自分が自分のやりかたで楽しむんだから、自分が考えるのである。
道具をどう使って、自分が快適に過ごすかを考えるのが楽しいらしい。
自分のことは全部自分でやる楽しみである。

アウトドア活動とは、外で過ごしたい人が快適に過ごすために道具を設置しているだけである。

家族で後楽に出かけてもいいし、一人でキャンプしてもいい。
ただ外で過ごしたいだけなので、どう過ごすかは自分で決めていいのだ。
しまりんのようにキャンプして「UFOの真実」とかいう本を読んでいてもいい。

私はゆるキャン△でじーっと何もしないのを見て、なんかもどかしかった。
私たちは、何もしないで過ごす経験をしたことがあるだろうか。
誰かに急かされて働かされていないだろうか。止まっているのがいけない気がしないだろうか。
キャンプに行けば、じーっと風景を眺めて過ごすのが許されるのである。

ゆるキャン△でぼけーっとしていても許されることに慣れてくると
日本社会の疲れる日常だけ苦しむことはなく、休憩していい場所を得ることができる。

職場での過剰労働は深刻で、無理に働かせる一方で、少しも休んではいけないような態度である。
そんなことばかりしているため、しっかりと過労死している。
職場に殺されないためにも、休憩する場所を自分で確保してほしいと思う。

899 :リーダー :NG NG.net
山のぼり、キャンプは非日常感を体験して
気分もリフレッシュできると思う。

外で快適に過ごすのがたぶんアウトドアの共通点だと思うので
みなさんも、工夫して外で過ごしてみてはどうだろうか。
人と話す必要なんか別にないのである。

しまりんのようにしているなら、一人でぼーっと過ごしてもいいと思う。
自分が楽しむためなんだから、好きに過ごしていい。
もうちょっといろいろやってみたくなったら、知識と道具をもって工夫すればいい。
手探りで遊ぶ方が楽しいと思う。

まとまらないからここまでにしよう
おわり

900 :リーダー :NG NG.net
>>897訂正
>基本的な使い方は変わらないようだし、応用編の使い方は、無理に一人で考えないほうがいい。

工夫して使っていれば、自分なりのやり方になるし、そうしているのが楽しい。
もっといい方法を知りたいなら、人に聞くなり、自分よりうまい人のやり方を知るといい。
「ムリに一人で考えないほうがいい」は間違いだった。

901 :リーダー :NG NG.net
アマゾン川の表記
細かいことを考慮すれば
Amazon Rivers
と名付けるのがいいんじゃないかとのこと

902 :いやあ名無しってほんとにいいもんですね:NG NG.net
数年振りにこのスレ来た
昼飯食べたし公園で本少し読んで帰るか

903 :リーダー :NG NG.net
ナマズが電気を発する理由が分かった

904 :リーダー :NG NG.net
本当に肥沃な自然があれば
木はめっさ伸びるし
動物は異様にでかくなる

905 :リーダー :NG NG.net
辻直四郎 著『サンスクリット文法』岩波全書280(1974)

やっとおわった。
ロシア語よりも変化が多い。
あまりにも変化が多すぎると、文法書では全変化を網羅するので、学ぼうにもちょっと怖気づいてしまう。
しかし、文法などをあまり見すぎると挫折しかねない。
どうしたらいいかというと、実際の文を見てしまうのである。
その結果、実際にどれが使われるかというと、だいたい決まっている。

語順は決まってないが、話しやすい言い方というものがあるので、自然と似たような言い方をする。
理屈の上では、単語がどこに来ても構わないので、文法研究は全部書いてある。
そんなの見てられない。

そこで、今日やっと気づいたことがある。

906 :リーダー :NG NG.net
複数の文法がコロコロ変わって出てきても、意味が同じだったりするらしい。
これは、時代によって言葉の使い方が変わっているからである。
どのくらいの時間で変わっていったかは、200年とか600年になるだろうか。
それくらいの時間をかけて変わっていくのは自然かもしれない。
そういえば今の日本語になってまだ100数十年なので、もしかしたら日本語の
単語の使い方もこれから変わるのかもしれない。
話がそれた。

サンスクリットの独特の文法など少し書いてみるか。

907 :リーダー :NG NG.net
英語「and」が「ca」ということは前に言った。(チャと読む)
各変化は少し多目。ロシア語より二つほど多い。

面白いのは、文章の最後の文字が「これじゃなきゃダメ」というのがあるそうだ。
他の文字になってはいけないらしい。

若干の単語がヨーロッパに似ているところがある。
「dveri:ドゥヴェーリ」といえば「扉」という意味だが、
実はロシア語でも「扉」は「dvel?:ドヴェーリ」という。
歴史はサンスクリットからヨーロッパに広がったんじゃないだろうか。
(人類の歴史は、ユーラシア大陸では西から東に行くが、
言語はそうでもない。西から東に行くはずだが、ときどき機嫌の不明な言語が見当たる。
私はアイスランドあたりが起源が途切れて感じる言語だが、サンスクリットもそうなのかな、と勝手に思った)

908 :リーダー :NG NG.net
アルファベットで書いたが、これは発音記号のつもりである。
「dvel?」のハテナは記号がわからないのでこうした。
ハテナには「b」みたいな文字がついて、「イ」の口の形で声を出さない。
ロシア語のどの本にもカタカナで「リ」と書いてあるが「イ」というつもりで声を出さない。
「Hb」のような文字で「ン」で終わらず、「ニ」で終わるイメージで「ニ」と言わないのだ。
カタカナ発音表記はハンデでしかないので仕方のないことである。
英語でもカタカナでちゃんと表現できないのに、英語よりも複雑な発音である。
ほかの言語を学ぶと、英語発音が易しそうに思えてくる。ほかの言語では「なんじゃこりゃ。
ただ雑に言ってるだけちゃうんか」と思ったらちゃんとした発音なのである。
またそれた。

909 :リーダー :NG NG.net
動詞の格変化なんてものもある。
「動作の言葉に、助詞のは、を、に、でがつくってどういうこっちゃ」と思うが
たぶん、名詞的表現「すること」などにあたるのだろうか。
私たちはついつい、漢字だけでざっくり表現したくなる。
「こういうことが事実」なんて言い方をしやすいのと似ているだろうか。
「こういうことが事実である」という人が少ない。
「事実」だけ見たらどういう文法なのか区別がないが、外国語ではいくつか区別があるので
日本人が「事実」とだけ書いたら「状況がよくわかりません」なんてことが外国では少ないわけである。

そして、それだけ変化しまくる割には、全部の言葉をしっかり書いておくようである。
前置詞がなくても、名詞の変化で状況がわかるのに、いちいち前置詞も書いておくわけである。
これだとたしかに誤解の余地はない。同じことを繰り返すわけだから。
日本人が誤解しようとかまわないから短くしたがるのとは、ちょうど逆なのである。
ここをもうちょっとよく考えれば、日本人の論理性は倍増するかもしれないのに、誰もが嫌うのでもったいない。
日本語は、実はヨーロッパと同じく変化する言語であり、アジアのように変化させなくてもいい言語である。
しかし私の経験でいえば、日本人は変化させないことで誤解を倍増しているように見える。
誰もが「人の話を感情で聞き、自分の話を客観的に発し、思考瞬発力がない」ので、誤解しかないのである。

910 :リーダー :NG NG.net
この本『サンスクリット文法』を読むのは結構つかれた。
びっちり書いてあるから、なかなか進まない。
途中で嫌になって、何回も読むのが止まった。
それでこの本を読み始めて終わるまで年単位で時間が掛かった。

私が本を読むときは「最初に一回全部読んでから、好きな所を気分で見よう」と思っている。
だが、「最初に一回」全部読むだけで年単位で時間が掛かる。
途中で嫌になって、読まなくなる。しばらくして続きを読み始める。
この「しばらく」は数カ月くらい空く。
全部網羅しただけの勉強本は、死んだ表現しか書いていないため退屈である。
すぐに嫌になるので「好きな所をパラパラ見て、全体像をイメージするようになってから
最初から読む」のがいいかもしれない。

最初からいきなり全部、記憶するようにじっくり読む人がいるが、
この人はおそらく途中で読まなくなる。
もしくは、最後まで読んでも疲れるだけであまり頭に残らないはずである。

いきなり全部見るのは、負担が重すぎるのだろう。
私は何度も疲れた。「辻直四郎のサンスクリット文法は体系的であり
学習に便利である」と聞いて、やっと希望が見えた。それまではただ疲れていた。
難しい時は無理をしないほうがいいのかもしれない。

そういえば、一昨日、ロシアTVの動画を、できるだけ理解しようとして考えながら見た。
30分ほど見たと思うが、吐き気がしてきた。
あまりにも負担が重かったのか、酔ったのである。気持ち悪くなった。
無理をし過ぎないほうがいいのがよくわかる。

テストに出ないんだから、好きなように利用して 楽しくなるようにすればいいかもしれない。

おわり

911 :リーダー :NG NG.net
ほしゅついでに
なぜか
風の話をしたので
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1519314947/347-348

912 :リーダー :NG NG.net
ロシアのシベリアは自然力を失った不毛の地である
アマゾン川の建設、都市開発、高速道路建設などなどで
有害物質が発生し、風に乗ってロシアを横断するんだそうだ

913 :リーダー :NG NG.net
犯人はスターリン

914 :リーダー :NG NG.net
ロシア、オビ川の周辺(といっても数百キロ四方だが)は汚染される
それとシベリアも
ロシアの放射能物質発生の産業活動の犠牲となるのにちょうどいいじゃん、とのこと

トムスク7、マナークという2か所で、過去に放射能汚染事故が発生した。
トムスク7は、シベリア化学コンビナートという名前に変えて汚染につながる活動を隠す。
トムスク7での事故による放射能量はチェルノブイリの2.6倍とのこと

915 :リーダー :NG NG.net
間違い。マヤークでした。

マヤーク汚染事故の場合では、近くにテチャ川があり、テチャ川に放射能物質を直接捨てたとのこと。
それからは、テチャ川付近の住民がロシアでもかなり寿命が短い。

放射能の半減期が数万年〜数十万年らしいので、マヤークの汚染は事実上で永遠につづくのである。

916 :リーダー :NG NG.net
なぜこれを長々と書いたかというと、この事実は隠されたままだったから。
1957年、マヤークの事故があり、この事実は知らされなかった。
1976年、ジョレス・メドヴェージェフが論文を書き、初めて世界に知られたそうだ。
論文『Two Decaades of Dissidemce(反体制の20年)』

よくこんなこと本に書いたなー
論文のころは問題になったのかもしれんな

917 :リーダー :NG NG.net
そうそう、これだけ抜けてた
川の自然力が衰えるのはダム建設をしたから

918 :リーダー :NG NG.net
ビクトリア湖付近にあるパピルスがほぼ壊滅

ビクトリア湖はアフリカにある湖で、世界に3番目くらいにでかい。
コンゴ、タンザニア、ケニアでメルセデスペンつのマークのように三つの国の境目が貫く

パピルスは古代エジプトの紙に使われた植物だと思う(書いてないけど、きっとそうやろw)
パピルスで神が作られないのはこのせいかも
世界的に有名な博物館かどっかで、一枚だけ作ってたと思うがよくわからん

ちなみに当時のパピルスなら博物館に展示していると思う
興味ある人は見に行ってみては、といってもヨーロッパにあると思うがw

919 :リーダー :NG NG.net
メルセデスペンつ(笑)→メルセデスベンツ

920 :リーダー :NG NG.net
スーダンにスッド(湿地帯の名前)がある。
北西あたりにある川の名前がアフリカの言葉じゃなくてアラビア語やろか
バフル・アル・アラブ(アラブ川)

スッドから南に川が伸びてビクトリア湖がある
(細かい地形は省略しておく)

921 :リーダー :NG NG.net
スッドには蚊だけでも50種類いる

イヤすぎ

922 :リーダー :NG NG.net
ドナウ川
ケルト語donとnaが「二つの川」という意味らしい
ドナウ川沿いの国々ではどれも、このケルト語に似ている呼び方をする

ドイツ語の「雷鳴」「もみの木」「粘土」から来ているともいうらしいが、辞書を見たら

粘土der Ton -s; der Lehm -s

なんでやねん
(-sは複数になる場合)

923 :リーダー :NG NG.net
雷鳴der Donner ; der Donnerschlag
もみの木die Tanne -n

(-nだけが複数の場合)

こっちは似ているのでわかる気がする

924 :リーダー :NG NG.net
der Donnerchtag ・・e

(・・eは複数のつもり。
辞書はーの上に・・(ウムラウト)がつくがここでは書けないと思うので)

925 :リーダー :NG NG.net
松村一登『CDエクスプレス フィンランド語』

スカンジナビア半島の国の言語である。
つい最近、テレビの「こんなところに日本人」だったかで、フィンランドが出てきた。
そこにいる日本人女性が「フィンランド語はほかのどことも違う系統の言語」と言っていた。
私はもっと前からこの本をちまちまみてて、今回ちょっと集中したら読み終った。
【独特の文法】
名詞の格変化がなんかしらんが多い。
主格、対格、属格、分格、内格、出格、入格、奪格、向格
分格:複数の物の名前が、複数形にならずに分格になるとか、
   接続詞などいろんな言葉との組み合わせで、格変化がコロコロ変わるので
   これはロシア語と同じである。細かいことはさっぱり
内格、出格、入格、接格、向格:(中)で(中)から(中)へ(上)に(目的地)へ
   となっていて、前置詞を使うところが、格変化で表す。
形容詞は名詞と区別がない
と宰相が言ってました、じゃなくて書いてありました

926 :リーダー :NG NG.net
前置詞のところが格変化だが、前置詞は存在する。
これはロシア語と同じ。
どっちで表すかで、音の調べが違うとか、ニュアンスが違うとか、そんなところかと。
入門したばっかりの人は、あまり深く考えずに、どういうかを考えながら見ていれば
数回、同じところを行ったり来たりすると思うんで、そうしているうちに覚えるんじゃないかと。

ほんとうにさっぱり知らない、ゼロからやるときは、とにかくそういうもんだと
心が落ち着かないと考えること自体ができないからね。
初めて見て、わかるかな、不安だなと思うが、こういうリズムで音楽的に意味は意識して読むと
やっぱりこういうんだと、心が思うようになる。
それから初めて入りやすくなってくると思う。

さて次。

927 :リーダー :NG NG.net
フィンランド語で「フィンランド」というときは「Suomi:スオミ」という。
なんでフィンランドの外ではフィンランドというのかは知らない。
実は、こういうことは世界の言語で当たり前に起きる。

たとえば、オランダは英語で「ホーランド」か「ネザーランド」といっているが
オランダ語で「オランダ」は「ネーデルラント」という。
エジプトで、アラビア語で「エジプト」と言いたいときは「ミスリ」という。
どうやら、どの国も自分では独特の呼び方を太古からやっているようである。
世界はなぜか(主に英語で)そのような呼び方を避けるようである。

余談だが、私たちが「イギリス」というのは日本だけである。
なんでイギリスと呼ぶかというと、フランシスコ・ザビエルじゃない誰か宣教師が
スペイン人で、英国のことをスペイン語で「イングレス」というため、日本人がイギリスに聞こえたと言われる。
日本人は常に外国語を聞き間違う。以上、余談でした。

928 :リーダー :NG NG.net
そして、有名な曲がある。
シベリウス:交響詩「フィンランディア」Op26:カラヤン/ベルリンフィル
https://www.youtube.com/watch?v=w-zvvBEZXzA

高校の音楽の教科書を見たら、楽譜が合唱の一部(?)だけ載ってたが
「おお、スオミよ」から始まっていた。

おわり

929 :リーダー :NG NG.net
ドナウ川
日本のコンクリ川
のようだ

(コンクリート)

930 :リーダー :NG NG.net
ドナウ川
日本のコンクリ川
のよう

これでよかったか
まだまだやな

931 :リーダー :NG NG.net
ガンジス川

932 :リーダー :NG NG.net
菅沼 晃『サンスクリットの基礎と実践』平河出版社(1980)
この書き込みと同じ本である。
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/siberia/1446361536/779-783
このときはちゃんと読まず、見た目、どう見えるかだけを気にして
一気にパラパラめくっただけで済ませた。
後半の読解実践は見てないから2日で終わった。

今回、最初からちまちま読んで、今日終わった。
ページ数はそんなに多くないため、コンパクトに収まっている。
岩波全書の「サンスクリット文法」は小さい本なのに、詰まりまくっていて読むのに疲れた。
それよりも、今回の本が読みやすく、今の様なわかりやすさを重視した書き方なんだろう。見やすかった。
今の様なわかりやすさの押し売りレベルに、情報を排除するようなことはしてない。
昔の本は、今のように必要以上に情報を少なくする意識がない。
本がどんな出来上がりになるかは、著者の能力と、著作の方針によって左右されるだろう。
現在の非常に易しい著書は、易しさの押し売り。
本を作る側が、読者がどこまで理解できるかの余計な詮索により、さっぱりわからないため
どこまでも情報を少なくして、読者には非常にわかりやすいなどと言っている。
実際のところは、作成側が管理しきれていないだけである。
これは、自分が書いた文章を読むと、他人がどこまで理解するか少しも理解していない証拠である。
だから作るほうの立場だけで本が出版されている。
どうすればわかってもらえるか、チェックすらもできないので、とことんまで易しい分にしないと
書いた方がわからないだけである。

933 :リーダー :NG NG.net
前にも書き方の法則を少し語った。
サンディとか、変化が多いとか。
もう一つあるのは、階梯変化というものがある。

チョット説明すると、どの文字を使ってどんな音になるかによって段階がある。
どの音にするかで、読み手、聞き手は受け取りやすさが変わってくる。
単語が全く同じでも、文字を変えて、違う聞こえ方をするだけで、人は苦労なく認識できるという、不思議な現象がある。
ちょっと音楽的かもしれない。

たとえば、「や、ま、な、い」などを言うのは弱く、人は認識するのが難しい。
「さ、あ、おー」英語の発音記号で「ae」のような大きくはっきり言える音などは非常に伝わりやすい。
「た、か、ぱ、っが、」などという音にすると、読み手、聞き手は苦労なく認識できる。

「い(i)」というよりも「yi(や、い、ゆ、え、よのい)」というほが弱いとか。

ようするに、はっきり聞こえたほうが苦労なく認識できる。
それは法則になっていて、世界中のどの言語でもいくらかそうなっている。

日本語もそうなっているが、意識している人はほとんどいないだろう。

934 :リーダー :NG NG.net
聴き慣れない話かもしれないので、説明しているが、
意識したこともない話で、新鮮ではないだろうか。
「日本の古語には完了形があったが、今はない」といわれるらしく、
現代日本語は、今の言葉遣いになってから、半分以上の意味が表現できなくなったのではないだろうか。

では、階梯変化のことだが、今言った聞き易さの書き方が決まっている。
それが三段階で勝手に出てくる。
辞書に載っている単語は、不定形といって、「行くこと」みたいに「こと」とつくような言い方だけである。
たいていの言語で「行きたい」というとき、無理に日本語で言えば「したい 行くこと」と並べて「行きたい」と訳することが多い。
日本語の「行きたい」ではわかりにくいが、語順が違うだけで同じかもしれない。
「行き(行くこと)+たい」と書いているように見える。
「行きと帰り」ともいうが、厳密に区別すれば「行く動作」か「行く状態」かで文法を変えるべきだが
それを意識しない人の方が多いだろう。
このように、現代日本語(今私たちが話す言葉)は細かい区別が廃れているのではないだろうか。

935 :リーダー :NG NG.net
サンスクリット語の階梯変化は不定形(〜すること)が辞書に載っているらしいが
実際には上記のように不定形じゃないことも同じくらい多く、
聞き易くするために勝手に言い方が変わる。

不思議なもので、極端な話、意味を知らなくても音が違うだけで
強く心に入ったり、弱く心に入ったりして、あとの記憶の残り方が変わったりする。
必ずそうだからというわけじゃないと思うが、弱、強の変化で弱く見せたり、強く見せたりしている。

その三段階の階梯を「原型」「グナ」「ヴリッディ」という。
単語が場合によって、三段階に変身すると思えばいい。
ドラゴンボールのフリーザが三段階に変身する「この意味が解るな?」と言ったようなもの、ではないか。

936 :リーダー :NG NG.net
サンディ、変化、三段階の階梯、文末の文字がなぜか指定されている。
これで書き方がコロコロ変わって、邪魔臭い。
法則をまじめに勉強する日本人は、もうこんなの二度と見たくないと思うかもしれない。

この場合には負担を軽くする工夫をするしかない。

実際の文章を見て、どうなっているか考える。
それを言えるようになって、それから法則を考える方が負担が軽い。
ある程度理解したら、自分でも作れるようになる。
取り敢えず、簡単なことを作るだけならこれでいいかもしれない。

法則がありすぎるので、学校みたいに全部当てはめているようでは
単語一つの理解で1時間かかるかもしれない。
(学校のやり方は、人の理解力をわざわざ落とすようなやり方である)

できるだけ早く何かしたいので、負担が軽い、易しいことを先にやる。
法則は最初に数回、パターンがある気がするまで見る。
なんとなくこうかな、と思ったら、すぐに実際の文を見る。
いきなり意味を確認しつつ音読、だいたい慣れてきてから、法則。

あとは自分の好きなように、法則の確認と、音読をいつ切り替えてもいい。
ある程度言えるようになるには、どうせどっちもやらないといけない。
読んでわからないと聞いてもわからず、しゃべってみないと聞こえないのである。

なんか学習方法になってしまったが、ポイントはこれだけ。
法則が多すぎて混乱するときは、いきなり実際の文(結果)から見てしまう。
読めれば聞いてわかる。しゃべれると聞き取れる。

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