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■■天皇なんて要らない■■24

1258 :18:2018/02/28(水) 22:46:23.91 ID:GutHFwhWd
映画の冒頭でキリスト教徒が、日本に行きたいという悪魔に対して、箸にも棒にもかからない、どうしようもないという扱いをする。
映画的には、全能感で傲慢すぎて、絶望や悲しみや信仰の余地もない、本当の祈りを知らないと言われており、
後に、自分の手に負えない問題を手に負えないと認めて、
自分で破滅的な回答を出すより委ねて祈るという回答を見出すという、物語上の流れになっている。

しかし、これは、そういうレベルではない。
善悪そのものの逆転がある。本心から強盗や盗賊や悪魔崇拝による破滅を願っており、信念そのものにして悪知恵で打ち勝ってしまう。
神でさえ、平和なりなんなりの言葉で裁いて、しかも、自分は平和という言葉で血まみれで罪悪感のかけらもない。
世の中で誤って通ってる、あるいは始めからの計算ずくででっち上げられた人殺しのための嘘の犯罪のうちで、最も害になるものを選び出して押し通す。

誰もが、一見して悪魔だと分かるが、善悪の逆転を止めるようになるとか、世に解きはなたないように教会で責任を持って預かるとか、いずれ教会をやめるとか、何かのときに核兵器のようにとっておこうと、そう考えたのだろうか。

左翼というものは、とんでもない犯罪を、悪智慧で善意だと押し通す。
左翼を見て、呆れて、利用してやろうと思うものもいるだろう。
そして、綺麗事のふりして、ばれないとでも思っているのか、竹槍訓練が日本人の快楽の本質で連合国の人権意識に対する戦術であることが丸出しなのと同じのように、左翼偶像因習は丸出しの、裁かせないで押し通す、悪意や憎悪や犯罪に対する快楽がある。

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