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☆非処女を好きになることの馬鹿らしさ Part 133

698 :名無しさんの初恋:2021/04/09(金) 17:39:21.63 ID:gKqzfVK6J
戦後に左翼が喧伝している同和問題書籍はアカイデオロギーに汚染されたポジショントーク
ばかりなので当てにならん。明治生まれの喜田貞吉の研究が汚染されてないので当時の実情が分かる。
解放前の差別の度合いはさして強度の高いものではなく、当時の日本人の常識観念として、
士農工商以外の職業についている者への「蔑視」であり、エタ否認と言っても「人間じゃねえ」という
解釈ではなく一般人が踏み込めない神事やら刑死、小間物生産、屠畜に関わる者たちということで
行商人から刑吏だの法師までエタ否認なわけだ。
年表的に見ると

1871年(明治4年)解放令
1910年(明治43年)日韓併合
1919年(大正8年)3.1暴動
1922年(大正11年)水平社結成(大半が共産党員)
1942年(昭和17年)水平社解散
1945年(昭和20年)WW2敗戦
1946年(昭和21年)部落解放全国委員会結成
1955年(昭和30年)部落解放に改称
 1960年(昭和40年)全日本同和会発足(自民系)
 1970年(昭和50年)部落解放同盟正常化全国連絡会議発足(共産系)

解放令が1871年にも関わらず、水平社が出来たのは50年後だ。
江戸期の部落民が蜂起したとすると時期が合わない。前後を見れば共産主義の流入と朝鮮人の
流入時期であり、1920-30年の大正デモクラシー時期なんだな。
1971年に解放され、職業選択と移動の自由を手に入れた部落民らは、金に困っていたわけではないので、
多くは部落を離れ、一般民衆に混ざりこんで消えてしまったと考えていい。部落に居残った連中は、
さほどの被差別意識も無く、経済的に豊かな方だったから残ったと言えるだろう。
しかしながら、そこに江戸期のエタ否認とは無縁の貧困者が流れ込み、スラムを形成して地場の人間から疎まれ、新たな地区差別が発生したと見える。
この疎まれたものの大半は、明治期以降に発生した、日本人や朝鮮人の貧民だろうというのが俺の結論。
江戸期の身分差別とは関係ない奴らが背乗りして、差別ビジネス化したロールモデルの最初なんだろう。
そして、今現在の差別意識は、戦後にオイコラ恫喝を繰り返した解放同盟の連中に対する忌避意識であり、
このオイコラ連中に朝鮮人が相当数混じっていたということだな。

( ´−`)y-~ ~

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