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後味の悪い話 その172

819 :本当にあった怖い名無し:2017/11/03(金) 10:12:39.71 ID:p1wC+2wL0.net
当時の大川家には、アイヌの猟師が山での狩猟を終えた後、買物に立ち寄ることが多かった。
少年期の大川は、この猟師たちにヒグマの生態や狩猟の知識を教わって育った。三毛別羆事件のヒグマを仕留めたマタギである山本兵吉にも師事した。
徴兵年齢である20歳に達して猟銃所持が許可された後、父から貯金をはたいて購入した最新式の村田銃を与えられ、猟師となった。
ヒグマ狩りを目指して山に入ったものの、実際に目撃したヒグマに恐れをなし、撃つことができなかった。
こうしてヒグマを前にして銃を放つことのできない日々が、実に10年以上続いた。
1941年(昭和16年)、32歳にして初めてヒグマの親子を仕留め、父を始め地元住民たちの喝采を受けた。
これがわずかな自信となり、翌1942年(昭和17年)には4頭、翌1943年(昭和18年)には3頭のヒグマを仕留めた。
ヒグマの胆嚢と毛皮は高価な売り物になったが、仇討ちだけが目的の大川はそれらに興味を示さず、住民たちに無償で配布した。
第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)、召集により戦地に赴いた。
戦地でもヒグマ狩りで鍛えた抜群の射撃能力で活躍。100メートル先の動く標的にも銃弾を連続して命中させ、人々を驚かせた。

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