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後味の悪い話 その158

792 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/09/07(月) 17:14:11.16 ID:1RBlO9qb0.net
人違いバラバラ殺人事件とは
1954年(昭和29年)9月5日夜、古屋栄雄(当時29歳)は、偶然見かけた「自分をふった女」を絞殺したあと、
ジャックナイフとボンナイフ(軽便カミソリ)で死体をバラバラにして肥溜めに投げ棄てた。

人違いバラバラ殺人事件(ひとちがいバラバラさつじんじけん)とは1954年(昭和29年)に埼玉県で発生した殺人事件である。
この事件では加害者が殺害対象を誤認して無関係の女性を殺害したうえに、身体をバラバラにしたことで有名である。
また控訴審では証人として法廷に来た、殺害対象であった女性に対して危害を加えたために逆転死刑判決が出た。

「人違いだった・・・」
1954年11月に埼玉での女性殺しで逮捕された古屋栄雄(当時29歳)はそう供述した。

古屋は1929年生まれ。故郷である山梨県東山梨郡塩山町(現・塩山市)で、7歳下のB子さんという女性と知り合って夢中になり、
両親を連れてB子さんの実家に出向き、結婚を申し込んだが、前科者であること、定職がないこと、軽薄な性格であることなどから、断られた。
上京して何とか職についてB子さんの気を引こうとしたが、長続きはしなかった。増えたのは窃盗の前科だけである。 
故郷に戻ると、B子さんに会いに行ったが、彼女の方は嫌気がさし、逃れるように東京や埼玉などの旅館で女中として働き始めた。
それでも彼女の実家や親戚宅を尋ね歩いて、居場所を聞こうとしたが、教えてもらえなかった
53年7月、B子さんの両親は「結婚は無理だ」とはっきり明言。娘を姉のいる埼玉にもとに避難させた。古屋は後を追いかけたが、その都度B子さんも転々としていた。
そうした生活に疲れたのか、古屋は約1年間は真面目に働いた。「あんたが真面目に職につかねばB子は出てこない」と彼女の家族に言われていたためで、映画館に勤めて看板描きやビラ貼りの仕事をした。
しかし、B子さんがすでに誰かと結婚しているのを隠しているのではないか、と邪推した古屋は、54年9月1日、町を出てB子さん探しの旅に出た。古屋の行動は、今で言うなら紛れもなくストーカーである。

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