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∧∧山にまつわる怖い・不思議な話Part78∧∧

777 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/10/21(水) 13:14:16.78 ID:bguOjWQw0.net
稚児ヶ墓山(ちごがばかさん)…兵庫県神戸市北区山田町岩谷。丹生山系。
 丹羽山上に丹羽神社があり嘗ては明要寺と一体であった。
 東播磨一帯の豪族であった別所氏は織田信長と同盟を結んでいたが、別所長治の時代に反逆。毛利氏についた
 信長は、羽柴秀吉に別所氏を攻めさせる。別所氏は三木城に篭り抗戦するが「三木の干し殺し」と呼ばれる兵糧攻めに平定
 播磨全体は播州征伐の末に、織田信長の勢力圏になった
 
丹羽山上にあった明要寺は別所氏からの信仰を得ており、年五百石の寄進を受けていた。
 三木合戦の折に、明要寺は別所氏についた。別所氏の兵糧を支えるため、寺僧・稚児・雑役の童などをまで動員して変装させて兵糧を届けた
 やがてこの秘密が露見。雑役人達は捕らえられ、惨殺。秀吉は明要寺を焼討ちを実行。
 寺内の兵僧、寺僧、は逃げ場を失い谷に落ちて死亡。尾根伝いに北東方向へ落ち延びた稚児達も稚児ヶ墓山頂で秀吉軍に発見されて処刑された
 天正7年5月22日、雨の夜のことである 
地元の人々はこれを哀れみ、丹羽山の隣の山頂近くに「稚児ヶ墓」と呼ぶ墓所を作り弔った
 その後、山を稚児ヶ墓山と呼ぶようになった。その東の峰は里人が稚児ヶ墓に供える花を良く手折ったので、花折山と呼ぶようになった

地元の伝説によると、葬られた稚児たちは夜な夜な母を求めて山を下ってくるとも伝えられたそうだ
毎日ではなく、雨の日の夜だと言うものもいる


↑たぶんこの話が元ネタ。

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