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二二八八れ十二本八れ 日月神示 3
- 211 :amanojaku:2015/02/21(土) 13:28:13.00 ID:0XlFtElN7
- >>210
> 悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ
「自由と平等」の虚構
「平等とか公平とか申すのは悪魔の ワナ であるぞ、天地を良く見よ、人民の申すごとき平等も公平もないであろうがな、一寸(いっすん)のびる草もあれば一尺(いっしゃく)のびる草もあるぞ、
一寸(いっすん)の草は一寸(いっすん)が、一尺(いっしゃく)の草は一尺(いっしゃく)が頂天(ちょうてん)であるぞ。
これが公平であり平等と申すもの。人民は選挙と申す麻薬(マヤク)に酔ってゐるぞ、選挙すればするほど、本質から遠ざかるぞ。
「悪の仕組どおり、悪平等、悪公平の選挙で選(えら)び出すのざから、出るものは悪に決まっているでないか」
「多数決が悪多数決(あくたすうけつ)となるわけが何故(なぜ)に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆(ほと)んどが悪人か狂人であるぞ。
世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選(えら)べば選(えら)ぶほど、ますます混乱してくるのであるぞ。」
「人間に自由は ないのであるぞ。真の自由は、大神にのみあるものぞ。
大神の自由の一部が御喜(およろこ)びと共に神に流れ入り、神に流れ入った自由は、又 神の喜びとなって人間に流れ入るから、人間自身は自由を もってゐると信ずるのであるぞ。
本質的には自由は ないのであるぞ。人間には自由の影があり、反影(はんえい)あるのざ。それを人間は自由と心得(こころえ)てゐるのであるぞ。自由の反影(はんえい)あるから、悪にも善にも、陽(よう)にも陰(いん)にも為(な)し得(う)るのであるぞ。…
悪自由を、人間は自由と心得(こころえ)てゐるが、それは自由ではなく、自分自身 首くくるものぞ。善自由こそ真の自由であるぞ。自由は神から流れ出ると申してあらう。」
☆悪自由は結局,自分の おこなった悪業(あくごう)が自分に帰って来るので自分の首を くくるものだと言う事だろう.
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