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【眞鍋かをり】THE YELLOW MONKEY★95【祝出産】

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 15:58:06.06 ID:u2JTT9bp.net
THE YELLOW MONKEY 公式
http://theyellowmonkeysuper.jp

【Official LINE】
@theyellowmonkey
https://line.me/ti/p/%40theyellowmonkey

【Official Twitter】
@TYMSproject
https://twitter.com/TYMSproject

【Official Facebook】
「ザ・イエロー・モンキー」
https://www.facebook.com/tymsproject

【Official Instagram】
@theyellewmonkey.jp
https://www.instagram.com/theyellowmonkey.jp/

【Heesey Instagram】
@heesey0419/
https://www.instagram.com/heesey0419/


※アンチ・荒らしはスルー

※実況禁止 ※sage進行

※他アーティストの名前も無闇に出さない

※次スレは>>950踏んだ人
重複する可能性があるので>>950に(スレ立て行きます)と記してからお願いします
立てられない場合はすぐ申告・依頼して下さい

前スレ
THE YELLOW MONKEY★94
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/musicjg/1483948495/

テレビ・ラジオ出演時の実況はこちらへ
THE YELLOW MONKEY実況スレ★6
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/music/9946/1483191448/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 15:58:30.51 ID:u2JTT9bp.net
【 よくある質問 】

Q・ピンクって何?
A・吉井和哉ドットコム(441108.com モバイルサイト会員制・有料)内のブログ
  ピンクと呼ばれるのはブログの文字の色がピンクの為
  ※サイトページ内のコンテンツ(ワード含む)の書込み禁止!
  ※ご本人より外部への転載・引用は禁止(画像含む)と言及されています!

Q・FCチケットは申し込んだらFC退会していいの?
A・ライブ当日まで退会しないでほしいと明記があり無効になっても自己責任です

Q・チケット代金支払い後のメールは来ないの?
A・支払いをしてもメールは来ません
  申込受付番号で申込結果を見るページにログイン・入金済みの表示になっています

Q・チケットに関する問合せ先はあるの?
A・電子チケットご利用に関するお問合せは「EMTGカスタマーサポート」まで
  MAIL:https://emtg.jp/support/emtg/ (24時間受付) TEL:0570-086886 (平日11:00-17:00)

※・EMTG 不正なチケット取引通報窓口 https://emtg.jp/support/emtg/?service=report

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 15:58:46.24 ID:u2JTT9bp.net
【 CD情報 】

ニューシングル『 砂の塔 』10月19日(水)リリース
TBS系金曜ドラマ 「砂の塔〜知りすぎた隣人」主題歌書き下ろし

【 LIVE Blu-ray/DVD 】
「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016 -SAITAMA SUPER ARENA 2016.7.10-」

【特報】
2017年 秋、ドキュメンタリー映画公開
2017年 東京ドーム公演開催決定

【 CS 】
MTV
01/22(日) 18:30〜 THE YELLOW MONKEY VideoSelects 完全版 (再)

フジテレビNEXT
03/10(金) 21:00〜 THE YELLOW MONKEY 〜メカラ ウロコ・20〜 2016ver.〈完全版〉(再)
03/10(金) 23:00〜 THE YELLOW MONKEY CX HISTORY 1996-2000 (再)
03/18(土) 20:00〜 THE YELLOW MONKEY SUPER メカラ ウロコ・27 -SP EDITION-

【 BS 】
WOWOW
02/17(金) 18:00〜 COUNTDOWN JAPAN 16/17 DAY-4  ※出演未定

【 雑誌 】
01/10(火) Talking Rock!

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 15:59:01.72 ID:u2JTT9bp.net
【 その他 】

ザ・イエロー・モンキー黙認 『バンド?』『お茶?』緊急大調査!
▼特設サイト http://yemon-chousa.jp/
▼動画「イエモン、入門。」 https://youtu.be/SLVd_Q-UoJY


12/4(日)より「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」LIVEカラオケ配信決定!!
「THE YELLOW MONKEY SUPER JAPAN TOUR 2016」の中から7月に約2万人を動員した
さいたまスーパーアリーナ公演の映像より下記3曲が「LIVEカラオケ」として配信されます!!!
▼詳細はこちら http://www.clubdam.com/


「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」にノミネート決定!
スペースシャワーTVが主催する
音楽とカルチャーの祭典「TOKYO MUSIC ODYSSEY 2017」の一環として実施するアワード
「SPACE SHOWER MUSIC AWARDS」の「BEST GROUP ARTIST」部門にTHE YELLOW MONKEYのノミネートが決定しました。
詳しくは、TOKYO MUSIC ODYSSEY 2017オフィシャルサイトをご覧下さい。
▼詳細はこちら https://tokyomusicodyssey.jp/


「TATERU」TVCMソングに「ALRIGHT」が決定!!
1月6日(金)スタートのサッカー日本代表 本田圭佑出演による
アプリではじめるアパート経営「TATERU」新TVCMソングに「ALRIGHT」がON-AIR中
▼CM特設サイト http://www.tateru.co/cm/


ホールツアー&メカラ ウロコ・27&TYM 2017 冬FES グッズ通信販売決定
【販売サイト】http://store.emtg.jp/tyms/
【受付期間】
▼THE YELLOW MONKEY オフィシャルファンクラブ会員様
2017年1月11日(水)12:00〜1月29日(日)23:59まで
▼会員以外のお客様
2017年1月16日(月)12:00〜1月29日(日)23:59まで

※2017年1月11日(水)12:00〜1月15日(日) 23:59までの5日間はファンクラブのお客様のみご購入頂ける期間となります。
※全ての商品は、先着順での販売となりますので完売になる場合もございます。
※完売した商品の追加生産の予定はございませんあらかじめご了承ください。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 21:45:23.91 ID:ZStw82hN.net
>>1
とりあえず乙

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/17(火) 22:44:38.51 ID:wnu/v4iu.net
乙の滴

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 00:34:36.10 ID:CcUWO0n7.net
眞鍋とは結構お似合いだよや

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 01:19:02.79 ID:6cagMPQv.net
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱成‥‥‥‥
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱戸‥‥‥
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9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 02:03:53.00 ID:O7pGq6Pt.net
15日放送の「そこまで言って委員会NP」(読売テレビ)で、明治天皇の玄孫で作家の竹田恒泰氏が、
女系天皇について否定的な見解を示し、男系が続かないのならば皇室が途絶えてもいいと主張した。

番組では皇室制度について議論が交わされ、竹田氏が女系天皇について言及した。

現在の日本国憲法では、第一章第二条で「皇位は、世襲のもの」と規定している。

また皇室典範では、第一条で「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定めている。
しかし、昨今では皇族減少に伴い女系天皇の可能性も取りざたされてきた。

女系天皇について、皇室断絶を防ぐためには容認すると肯定的な意見が出されると、
竹田氏は「私は(皇室が)途絶えていいと思いますよ」とすぐさま反論した。

そして「途絶えたとしたら、もう天の意志ですよ」と続けたのだった。他の出演者たちから口々に「暴論だ」という声が飛ぶ中、
竹田氏は「女系天皇なるものが出現したら、私は天皇として認めない」ときっぱり言い切った。
そして、みなが認めない天皇が誕生することが問題であると指摘した。

さらに竹田氏は「皇室」を考えるにあたり「いちばん大切なこと」があるとし、
「天皇がどんな原理で天皇か」ということであり、それは「血統の原理」だと主張した。

竹田氏は歴代を省みて男系の血筋をひかない天皇は誕生していないことを念頭に
「天皇は血統の原理意外の何ものでもない」「血統以外の原理で天皇になった人がひとりでもいますか!」と大声を張り上げていた。

2017年1月16日 14時8分 トピックニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/12547749/

写真
http://image.news.livedoor.com/newsimage/5/2/5248467eb767fba1b080c59cf0b01e81.jpg

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 05:43:51.81 ID:oAsz4q5N.net
「一寸先は闇」の政界を知恵と度胸で生き抜いてきた2人の勝負師。正念場の今年、その生きざまを見せつける!

 新しい年を迎えた日本。東西で勝負の局面を迎える2人がいる。
“都政大改革のジャンヌ・ダルク”こと小池百合子東京都知事(64)と、
日本維新の会法律政策顧問にして“浪速の喧嘩師”の異名を取る橋下徹前大阪市長(47)だ。

「とにかく、両者の注目度は圧倒的。橋下氏の冠番組であるテレビ朝日の『橋下×羽鳥の番組』は毎週、永田町でも話題です。
小池都知事は、とにかく“見出しになる”政治家。立ち食いステーキ屋に行っただけで記事になりますから(笑)」(夕刊紙記者)

 昨年12月25日放送の『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)では、小池氏がたけしを都庁に招き入れて対談。
丁々発止のやり取りを披露した。

 都知事の報酬カットについて触れた小池氏は、「貢いでくれる? その分……」と、たけしにおねだり。
「知事、私は都民税いっぱい払ってますよ」と返されると、「ありがとうございます、じゃ、もう一つバッジを差し上げて……」と、
小池氏は五輪バッジを渡そうとボケて見せ、大いにウケていた。「小池さんの切り返しは当意即妙。たけしさんも“この知事、面白いんだ。
返ってくるから”と絶賛していました」(制作会社関係者)

 “都議会のドン”と“五輪のドン”をテーマにした本を上梓する元都知事の作家・猪瀬直樹氏は、小池氏の現況をこう語る。
「最近の小池氏を見ていると、うねりが動きになっていますね。
政治には流れがあり、公明党が自民党と決別したのも、小池氏有利、と流れを読んだ結果でしょう。
公明党は昔から機を見るに敏ですから」

 昨年12月14日、都議会公明党は、議員報酬削減案で対立した都議会自民党と30年にわたる連立を解消。
小池都知事の「東京大改革」への賛同を表明した。
小池氏と激しく対立してきた都議会自民党と“ドン”こと内田茂前自民党都連幹事長は、窮地に追い込まれた格好だ。

 小池氏が都知事選出馬の意向を明らかにした直後の昨年6月29日、猪瀬氏はツイッターで、<小池衆議院議員が都知事選に立候補!?
 僕を目の敵にした自民党都連幹事長、都議会のドン・内田茂の一挙手一投足に注目ですね>と投稿。
これで内田氏の存在がクローズアップされた。

 猪瀬氏が言う。「内田氏は、それまで一都議だと思われていた。
それが、10年以上にわたり公認権を持つ要職にある都政のドンで
内田氏と対立して自殺した樺山卓司という都議もいる、と彼の遺書も公開した。そのインパクトはありましたね」

 都政改革の旗印を掲げた小池氏は都知事に当選後も、その姿勢を変えずに、勝利をものにしつつある。
「“闇に棲む者は光を当てることで力を失う”。これは、僕が小池氏の『希望の塾』で講演したときのタイトルです。
内田氏は“ドン”として注目され、力を失った。テレビでも取材に焦る姿が報じられますよね
。光を当てたことだけで、成功と言えます。今後、小池氏はどんどん攻め込んでいくと思いますね」(猪瀬氏)

 小池氏の目前にある戦場は、千代田区長選(2月5日投開票)だ。
千代田区選出の都議である内田氏の本丸での決戦だが、
「小池氏が支持する石川雅己現区長の対立候補として、
内田氏は小池都政に批判的な佐々木信夫・中央大学教授を擁立しようとしましたが、断られた。挽回は難しいでしょう」
(夕刊紙記者)と、第1ラウンドは小池氏の不戦勝!?

 しかし、真の大一番は7月に控える東京都議選(7月22日任期満了)だ。
「知事は民意を受けて選出されますが、都議もまた民意を受けている。これが二元代表制で、知事と議会が対立し
、不信任案で知事が失職を余儀なくされる場合もあります」(全国紙政治担当記者)

 議会を押さえれば、政治は安定する。そこで小池氏が目指すのが新党設立だ
。猪瀬氏が講演した前述の『希望の塾』は、小池氏の「都政改革」の志に賛同した人々が集う政経塾で、
全国から実に4000人近い塾生が集まった。「同塾を母体に新党を設立し、都議選候補を擁立する予定です。
自身の新党で自民党を追い込めれば、これほど心強いことはないでしょう」(前同)

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 05:51:07.41 ID:oAsz4q5N.net
 先週から東京都の小池知事が首元に巻いている“スカーフ風の風呂敷”。
現在は売り切れ中で、大人気となっています。その製作現場を取材しました。
 16日、報道陣の前に現れた小池都知事。首元には、白と紺の真新しいスカーフが巻かれています。
このスカーフ、ここ数日を見ても、小池さんの首周りを飾っています。実はこれ・・・

 「ご覧のように、こちら、2020年東京大会のエンブレムの模様をアレンジしましたオリジナル商品」

 東京オリンピック・パラリンピック公式グッズのひとつ、「東京染小紋風呂敷クロス」です。
小池都知事自らアイデアを出したという一押しのアイテムです。

 「これは風呂敷として使い、またスカーフとしても使える。デパートの販売促進員みたいになっていますけれど」

 公式エンブレムの作者、野老朝雄さんがデザイン。
全体にエンブレムの「組市松紋」があしらわれ、ワンポイントでオリンピック、またはパラリンピックの白抜きのエンブレムが。
絹100%の高級生地は肌触り抜群で、染めは東京の伝統工芸「東京染小紋」の手染め。ひとつひとつ手作りされているとのこと。
先週水曜日のグッズ発表会の席では、製作者から首に巻いてもらい、一言。

 「とてもタッチがいいですね」(小池百合子 都知事)

 それ以来、カメラの前に出るときには、自分流にさまざまにアレンジし、登場しています。
最も多いアレンジが横で結び、エンブレムがきれいに見える巻き方。
先週12日早朝に行われた築地関係者との懇談会では、胸元に下げてラフなスタイルに。
実はこの日、その他の会合では、違う巻き方で印象を変えています。さらに、16日は後ろで結び、スーツも同じ色でコーディネート。
小池都知事の遊び心が止まりません。

 そこで、街でもこの風呂敷を試してもらうと。

 「小池さんね。ステキ」
 「鮮やかな青」
 「すごく気持ちいい。やわらかいです」

 大好評。では、その使い方は?

 「こんな感じでやってみたいですね」
 「髪とかに巻いたらかわいいかも」
 「これに巻いたらいいじゃん?。絶対カバンに付けた方がかわいい」
 「そう、ちょうど合う」
 「色綺麗。日本らしい」
 小池都知事もびっくりのさまざまなアレンジが飛び出しました。

 この「東京染小紋風呂敷クロス」。11日に発売されるも即日完売。
ですが、そもそも東京染小紋って、どんなものなのでしょうか?
 東京・西早稲田。神田川沿いにたたずむ、ある工房を訪ねました。「富田染工芸」は創業150年の老舗。
「東京染小紋風呂敷クロス」の製作を一手に引き受けています。
 「(昔は)川のきれいな所ということで、早稲田から中井にかけて染屋が集まってきて、東京一の染め場になった」)
 実は、西早稲田周辺の神田川沿いは、かつて、染物を作るのに必要なきれいな水が豊富。
工房が軒を連ね、明治の初めごろから京都、金沢と並ぶ染物の一大産地として栄えていたんです。
しかし、かつて150社以上あった染物関連の工房は、いまでは60社程に。
伝統をとりまく環境は、年々厳しくなっていました。そんななか舞い込んだのが、東京オリンピック公式グッズの製作の話でした。

 「すごくうれしい。こんな名誉なことはない」(富田染工芸5代目 富田篤さん)
 東京染小紋の大きな特徴は、色のついた「糊」で染物を作ること。
単なる染料を使えば、にじんでしまいますが、「色糊」を使うことで細かな模様をくっきりと染める事ができるのです。
実は、これが公式エンブレムの「組市松紋」を再現するのに最適。藍色と白をはっきりと色分け。細かなエンブレムも、くっきりと表現できました。

 一方、難しかったのは、その色。公式エンブレムには規定の色があり、それを手作業で忠実に再現するのは困難を極めたといいます。
 「蒸しをすることで、初めて発色して色が定着。蒸しの時間と温度の調節がすごく難しかった」(富田染工芸5代目 富田篤さん)
 それでもオファーを受けた理由が、富田さんにはありました。
 「世界に東京染小紋をもっともっと知っていただく。東京のいいものを選んでいただけたら」(富田染工芸5代目 富田篤さん)

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:07:27.23 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:08:08.05 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:09:10.45 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:09:47.04 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:10:24.29 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:10:56.20 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:11:31.35 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:12:03.14 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:12:29.80 ID:lQCbPpm/.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
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コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 06:57:18.15 ID:O7pGq6Pt.net
トランプ次期大統領候補の就任が近づいて来ました。
具体的な政策は出揃っていませんが、選挙中の発言等からは、中国に対して高率な関税を課す可能性は比較的高いと言われています。
そうなれば、中国が報復関税を課すことになり、米中の貿易戦争に発展しかねません。
そうなった時に何が起きるのか、頭の体操をしてみましょう。
 米国の対中輸入額は、対中輸出額の約4倍あります。
ということは、米国の対中輸入制限と中国の対米輸入関税が同時に課された場合、
単純に考えて、中国の受ける打撃の方が4倍大きいということを意味しています。
中国のGDPは米国よりも小さいので、打撃額のGDPで比べれば、その差は更に大きくなります。
 金額だけではありません。
中国の対米輸出品が労働集約型製品で、米国の対中輸出品が技術集約型製品だ、という点も両者の打撃の大きさに影響します。

 まず、米国の中国からの輸入品について考えてみましょう。
米国は、別の国から輸入することもできますし、米国内でも生産することができます。
現在米国が中国から輸入しているのは、「安いから」という理由だけなので、
関税がかかれば対中輸入は激減し、他国からの輸入と国内生産が増えるでしょう。
国内生産が増える分は、米国内の雇用を増やします。
「米国の人件費は高いので、中国から輸入されている物を米国内で作るはずがない」、
と考える人もいるでしょうが、途上国で労働集約的に作るか米国内で機械を使って作るかの比較なので、
中国と米国の生産コストの差は賃金格差ほど大きくはないのです。
 一方で、米国の対中輸入関税が中国に与える打撃は大きなものとなります。
労働集約型製品の輸出が大きく落ち込むと、中国人労働者が大量に失業することになるからです。
 次に、中国の米国からの輸入品について考えてみましょう。
中国が米国から輸入しているのは、「単に安いから」ではなく、国内では生産できないから、という理由が主です。
国内で生産できるならば、賃金が安い中国国内で生産した方が得なのに、
米国から輸入しているのは、国内で生産できないからなのです。

 従って、中国が対米輸入関税を課したとしても、中国の輸入が減って国内生産が増えるわけではありません。
日本や欧州からの輸入が増えるだけです。
中国としては、自国製品に関税をかけた米国に対する報復として関税を課すことで、米国に打撃を与えることはできますが、
それにより自国が利益を得るわけではないのです。
米国の雇用は対中輸入関税で増えるのに、中国の雇用は対米輸入関税でも増えないのです。
米国の対中輸入関税によって利益を得るのは、当然ですが対中輸入の増加によって損失を被って来た人々です。
それはつまり、トランプ元大統領候補の支持層であった「没落しつつある白人労働者」たちです。
つまり、トランプ大統領は、対中輸入関税を課すことで、自らの支持者の期待に応えることができ
、二期目に向けて支持基盤を固めることができるのです。
 中国にとっては、対米輸入関税を課しても国内生産が増えないので、メリットはありません。
一方で、対米輸出が激減することの政治的なダメージは相当大きなものとなりかねません。
現在、中国では、過去の過剰投資に起因する過剰生産能力を削減してゆく必要が唱えられているにもかかわらず、
過剰能力削減に伴う失業の増加懸念や地方政府の抵抗等々により、削減が進んでいません。そうした中で、
対米輸出が激減して生産能力が一層過剰になることで、いよいよ設備削減が避けられなくなり、様々な摩擦が発生し、
現在すでに熾烈である国内の権力闘争が一層激しくなる可能性も高いでしょう。
米国企業の中国子会社は困るが、米国が困るわけに非ず
 中国に子会社を設立して安価な労働力を雇って物を作り、米国に輸出している米国企業は多数あります。
米国が対中輸入関税を課すと、そうした企業が困ると考える読者は多いでしょう。
それは誤りではありませんが、米国企業の中国子会社は中国企業ですので、本当に困るのは中国企業とその従業員です。
米国の親会社が中国子会社から受け取る配当金は減りますが、米国経済への打撃はそれだけです。
グローバル展開をしている巨大企業は発言力が強いので、
あたかも米系中国企業の打撃は米国経済への打撃であるように聞こえるかもしれませんが、そんなことはないのです。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 09:11:40.10 ID:sRl9b/mz.net
中原めっちゃコピペされててわろたw

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 10:17:23.54 ID:akuYPbUw.net
クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、
ベンチャー企業への出資 映画、
フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、
幅広い分野への出資に活用されている。
クラウドファンディングは多くの投資家から株式を募集することによる企業の資金調達の手法としても注目されている。
この形のクラウドファンディングは、JOBS Act(英語版)
(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)
に直接的な言及があるように、最近アメリカ合衆国の政策立案者から注目された。JOBS Actは実施を待っているが、
en:Mosaic Inc.などの混合モデルは、認可状態にある一般市民に群衆の一部として
クリーンエネルギーのプロジェクトに直接投資する資格を与える既存の証券法を利用している。
クラウドファンディングは、クラウドソーシングのコンセプト(個人が多くの人々からわずかな寄与を集め、
利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点がある。クラウドファンディングは、
特定のプロジェクトまたはベンチャーの資金調達をするために、
多くの人々から少額の寄付を通して出資を集めるというこのコンセプトの応用である
クラウドファンディングのモデルは必然的に多様な関係者を伴う。
その中には出資されるアイディアやプロジェクトを提案する人々や組織、
その提案を支持する「群衆」も含まれる。
なお、クラウドファンディングはプロジェクトの首唱者と「群衆」を引き合わせる組織(「プラットフォーム」)によって成り立っている。
一般に製品開発やイベントの開催には多額の資金が必要となるが、
クラウドファンディングでは、インターネットを通じて不特定多数の人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、
一定額が集まった時点でプロジェクトを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。
ソーシャルメディアの発展によって個人でのプロジェクトの立ち上げや告知が容易になり、
それに呼応する形でクラウドファンディングによる資金調達が活発になりつつある。米国ではKickstarterが有名。
国内では、あらゆる分野のプロジェクトを扱うREADYFORや、ものづくりに特化したMakuake、
アートなどの分野に特化したCampfire、など、サービスの多様化が見られる。
スポーツ分野に特化したスポーツファンディングは、不特定多数からの資金調達以外に、
企業マッチングやメディアマッチングやセカンドキャリア対策まで幅広い形のサポートを指す形に進化している。
日本での状況
日本では、第2次安倍内閣で策定された政策に沿って、
リスクマネーの供給強化の手段の一つとしてクラウドファンディングを活用する施策が掲げられており、
規制を緩和する金融商品取引法等の改正案が2014年(平成26年)5月23日に国会で可決成立した
自主規制機関の状況
クラウドファンディング業務に対する自主規制は以下の通り。
・株式型は日本証券業協会(株式投資型クラウドファンディング業務に関する規則)
・ファンド型は第二種金融商品取引業協会(電子申込型電子募集取扱業等に関する規則)
・購入型・寄付型・融資型無し(2016年7月末現在)
種類
クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって下記の3類型に大別される
金銭的リターンのない「寄付型」
金銭リターンが伴う「投資型」
プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」
日本においては資金決済に関する法律や金融商品取引法等によって個人間の送金や投資が制限されていることから
、購入型のクラウドファンディングの企業数が最も多く認知度が高い。
その一方で個人から少額の資金を募り融資を行う投資型(ソーシャルレンディングとも言われる)は企業数は少ないが
(日本では金融商品取引法の第2種金融商品取引業の登録が必要、金銭のリターンを求める投資家の需要を取り込み、
国内では既に300億円以上の融資実績がある。
なお、東洋経済新報社では投資型のクラウドファンディングを
融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 10:29:40.29 ID:akuYPbUw.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 14:14:59.53 ID:ReD5fLE0.net


26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 18:49:00.35 ID:9AxDhhrn.net
日本でサービスが始まった当初は「ソーシャルレンディング」というサービス名が一般的であったが、
クラウドファンディングという言葉が日本で広まるにつれ、その一分野である「投資型クラウドファンディング
」という呼び名も使われるようになっている。
ここでは、主に貸金業法の金銭消費貸借契約を伴うものについて記載し、併せて株式投資型についても触れる。
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPAが開始した
その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大させている。
上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、
ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending Clubgaがオークション型である。
国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)がマーケット型として
サービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止状態を強いられている。
その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、
もしくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。
これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファンド型とも言われている。
長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まるのに連れて、
匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、
2015年にはトラストファイナンスが参入して市場に活気が出てきている。
2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たにサービスの立ち上げが予定されている。
日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、
貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介を行うことから、
匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる
類型
マーケット型
サービスの運営会社が審査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、
どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する。格付けを得るために、
融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、
運営会社は送られてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。
貸す側は希望するリスクリターンに見合った格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。
運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあった借入をマッチングさせる。
この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利がタイムリーに変動し、
あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金利設定に影響するので、
金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。
オークション型
融資を希望する側は借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,
貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、
通常、一番安い利率でビッドした貸し手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。
貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラウンド等を考慮して利率を入札するが、
その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率に左右されないので、
優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、
貸し手が高い利息を受け取れる可能性もある。
この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。
貸付型・ファンド型
サービスの運営会社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する
貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決定する。
融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、
また場合によっては保証人を立てること、担保の提出を行う。
運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を提出する。
日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 18:52:37.72 ID:9AxDhhrn.net
なお、国内の投資型クラウドファンディング事業者について、
貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、
同法に基づかず国内・海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(
株式投資型、狭義の投資型[2])と呼ぶ分け方が提唱されているが、一般に根付いているとは言いがたい。
なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している
市場規模
2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレンディングは拡大傾向にあり、
金融業界でその地歩を固めつつある。ソーシャルレンディングの総融資残高は、
2005年1億1800万ドル、2006年2億6900万ドル、2007年には6億4700万ドルにものぼり、
2010年においては総額58億ドル規模になると予想されている
また「2015CF Crowdfunding Industry Report」においては
クラウドファンディングのうち貸付型と株式型は以下の数値が報告されている。
2012年 貸付型 11億9000万ドル、株式型 1億1800万ドル 2013年 貸付型 34億4000万ドル、
株式型 3億9500万ドル 2014年 貸付型 110億8000万ドル、株式型 11億1000万ドル
リスク管理と可能性
個人間ではあっても金銭の貸し借りである以上、貸し倒れのリスクがある。
返済の遅延や回収不能等のトラブルが生じた場合、運営会社が督促・回収、保険等の法的手続きを行う。
運営会社の審査や格付けと行った仕組みの精度が高さにより、延滞などの取引に係るリスクが軽減される。
ソーシャルレンディングは、従来の物流革命と同様にウェブを使って金融流通を効率化し、
商品の提供者と受益者を直接結びつけてコストメリットを生み出す考え方を採用している
個人融資のハードルの高い銀行と、借り入れしやすくとも高金利でネガティブなイメージがある消費者金融の、
それぞれの利点を併せ持ち、従来の銀行と消費者金融の中間に位置するものとして、
新しい金融ビジネスの可能性を秘めている。
ただ、諸外国のソーシャルレンディングのビジネスモデルをそのまま日本に持ち込むのは、
法的な面から難しいとの指摘もある
税務上の取り扱い
Justice and law.svg この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。
また最新の法令改正を反映していない場合があります。
ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。
免責事項もお読みください。
匿名組合契約に基づき営業者から受け取る利益は、個人の場合は雑所得となり
(所得税基本通達36・37共-21)、一般的な投資(株式投資・投資信託)の場合の譲渡所得と比較して投資家負担が重くなる

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 19:04:29.60 ID:9AxDhhrn.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて
クラウドソーシングの異なる定義を与えている。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 19:12:08.65 ID:9AxDhhrn.net
労働者派遣業を行う業者は、第1次オイルショック後の1975年頃から急速に増えた。
これに対応し、1985年6月に、派遣労働者の保護を目的とした
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法、以下、
「派遣法」と略す)が成立し、翌1986年7月に施行された[2]。2012年(平成24年)の改正により、
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」へ題名改正された。
厚生労働大臣は、労働者派遣事業に係る派遣法の規定の運用に当たっては、労働者の職業生活の全期間にわたるその能力の有効な発揮及びその
雇用の安定に資すると認められる雇用慣行並びに派遣就業は臨時的かつ一時的なものであることを原則とするとの考え方を考慮するとともに、
労働者派遣事業による労働力の需給の調整が職業安定法に定める他の労働力の需給の調整に関する制度に基づくものとの調和の下に
行われるように配慮しなければならない(派遣法第25条)。
派遣元に常時雇用される労働者(自社の正社員等の正規雇用社員・常用型派遣)を他社に派遣する形態。
届出制(派遣法16条、いわゆる「16条派遣」)。
一般労働者派遣の業者に比べると、派遣先として対応する企業・職種の幅は狭いが、
特定の事業所に対し技術者(主にコンピュータ・IT・エレクトロニクス・機械系の設計関連)などを派
遣するような業者(主にアウトソーシング業者と呼ばれる)が多い。
平成27年の法改正により16条が削除され、すべての労働者派遣事業が許可制の労働者派遣事業に一本化された。
なお経過措置により平成27年9月30日時点で特定労働者派遣事業を営んでいる事業者は、
引き続き平成30年9月29日まで特定労働者派遣事業を営むことができる。平成27年9月30日以降は、新規の届出は受理されず、
それまでに事業所を開設していても新設に係る変更届は受理されない
派遣元に常時雇用されない労働者(自社の契約社員等の非正規雇用社員・登録型派遣)を他社に派遣する形態。
厚生労働大臣による許可制。臨時・日雇い派遣もこれに該当する。なお、一般労働者派遣事業の許可を得れば、
前項の特定労働者派遣事業も可能である。
平成27年改正により常時雇用の有無を問わず許可制に一本化された。なお、改正前に一般労働者派遣事業を営んでいる場合は、
その許可のままで引き続き労働者派遣事業を営むことができる。
一般的に「派遣会社」といえば、この形態の事業者が広く知られている。
平成27年改正後の労働者派遣事業は、許可を受けるためには以下の要件をすべて満たすことが必要となる。許可の有効期間は新規3年、
更新後は5年となる。
専ら労働者派遣の役務を特定の者に提供することを目的として行われるものでないこと
派遣労働者に係る雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものとして次に掲げる基準に適合するものであること
派遣労働者のキャリア形成支援制度を有すること
教育訓練等の情報を管理した資料を労働契約終了後3年間は保存していること
無期雇用派遣労働者を労働者派遣契約の終了のみを理由として解雇できる旨の規定がないこと。また、有期雇用派遣労働者についても
、労働者派遣契約の終了時に労働契約が存続している派遣労働者については、労働者派遣契約の終了のみを理由として
解雇できる旨の規定がないこと
労働契約期間内に労働者派遣契約が終了した派遣労働者について、次の派遣先を見つけられない等、
使用者の責めに帰すべき事由により休業させた場合には、休業手当(労働基準法第26条)を支払う旨の規定があること
派遣労働者に対して、安全衛生教育(労働安全衛生法第59条)の実施体制を整備していること
雇用安定措置の義務を免れることを目的とした行為を行っており、都道府県労働局から指導され、
それを是正していない者でないこと
個人情報を適正に管理し、派遣労働者等の秘密を守るために必要な措置が講じられていること
事業を的確に遂行するに足りる能力を有するものであること
事業所の面積がおおむね20平方メートル以上であること
資産の総額から負債の総額を控除した額(基準資産額)が「2,000万円×事業所数」以上、
現預金額が「1,500万円×事業所数」以上であること
1つの事業所のみを有し、常時雇用するしている派遣労働者が10人以下である中小企業事業主については、
当分の間、基準資産額1,000万円・現預金額800万円、5人以下である中小企業事業主については、平成30年9月29日までの間、
基準資産額500万円・現預金額400万円とする
紹介予定派遣

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 19:17:18.46 ID:9AxDhhrn.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:25:05.85 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:25:27.76 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:25:47.86 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:26:06.72 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:26:26.42 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:26:44.73 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:27:02.43 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/18(水) 22:27:19.81 ID:mAsUglKm.net
中原繁
コロムビアレコード時代のプロモーション担当で、自分と同じ年で生きていたら38歳。

イエローモンキーがデビューした時から会社にいたが、大学を卒業したてでまだアルバイトだった。
2ndアルバムのエクスペリエンスムービーぐらいから、正式に社員になりイエローモンキー専属になった。本来THE CLASHやブルーハーツとかパンクが好きで、
酔うとスッポンポンになり、よくリンダリンダを熱唱していた。
当時のイエローモンキーは、あのとおりナヨナヨしていたので彼の中では(?)だっただろう。最初はお互い探り合いながらの関係だったが、日に日に意気投合していった。
取材現場に彼が来るとみんなとてもうれしそうだった。92年から2年5ヶ月続いたFMの深夜放送も欠かさず来てくれて(酔っぱらってる時も多々あったが)場を盛り上げてくれたので、本来苦手だったはずのラジオで喋ることもどんどん楽しくなった。
3時で生放送が終わり、そのあと朝の7時ごろまでよく飲んで、「今度はこんなことやろうぜ」とどんなことだったか忘れるほどいつもベロベロだったが、少しづつ夢が近づいて来ていることを、店を出て朝を迎えている銀座の裏通りで、感じていた。

ある日自分が抱いている不条理を、全部紙に書いてそれに曲を乗せた7分近いバラードを作った。社会的なこと、プライベートなこと等、思うことを遠慮なく全部書いた。
今ならそのまま世に出せるが、当時はそういうわけにはいかなかった。少しづつ詩を削っていき、5分ちょっとの曲になった。録音したその曲を聴いて彼が言った。
「これは代表曲になるよ。会社の上の人間がなんて言おうが、オレが絶対売ってやるよ!」と。「JAM」という自分の子供が正式に認知されたようで、とても嬉しかった。

「JAM」でミュージックステーション出演の話が来た。しかし歌番組に出ると、
曲を3分台にされてしまうので、「絶対出ない」とプロモーターである彼に食ってかかった。
困らせたくはなかったが、それだけは譲れなかった。しかし後日、彼の執念と人柄だと思うのだが、異例の“5分”という枠を取ってきてくれたのだ。「歌詞がある部分は全部歌えるよ!」と。
その瞬間からイエローモンキーは色々なものを次々とつかみ始めた、、。

野生の照明というツアーの最終日、LIVEが終わったあと、楽屋に来た彼とすかさず握手をして抱き合った。
「おつかれ、ありがとう、、」と言って2人で泣いた。既にレコード会社移籍が決まっていた。

コロムビアを移籍する時、「うちの事務所に来ないか?」と誘った。しばらく考える時間をくれと言った彼の数日後の答えはNOだった。「親であるレコード会社を裏切れない。新しいバンドを見つけて絶対成功させる。
見つけられたらオレの勝ち、見つかんなかったらオレの負けだよ」と、半分冗談、半分殺気ある表情で笑って言った。今思えば自分もそこからシフトが変わった。
その後、彼はミッシェルガンエレファントを、プロモーター的にも大ヒットさせた。彼は勝ったんだ。

2000年の3月18日イエローモンキーのメンバーに事務所に集ってもらい、自分は「もうやめたい」と告げたあの日。
話をし終わり、しばらく沈黙が続くと事務所の社長宛に、1本の電話が鳴った。
中原が出張先の宮崎で死んだという知らせだった。
レコーディングエンジニアの山口州治さんからだった。過労とストレスと暴飲暴食が原因による大動脈瘤破裂。
宮崎の野口記念館で、アマチュアバンドのコンテストが行われていて、ゲストが中原の担当する新人アーティストだった。

彼は会場内のトイレで倒れている所をスタッフに発見された。その時ステージ上の音を流すためにトイレに設置されているスピーカーから、
奇しくもアマチュアバンドがコピーしたJAMが流れていたとその後スタッフから聞いた。嘘のようなタイミングだが、本当の話だそうだ。

その訃報を聞いて事務所でのミーティングは「とりあえず活動休止ということにして、少し休もう。」ということになり、終わった。彼がイエローモンキーの解散をその時止めたのかも知れない。

でも中原、ごめんな。

中原、最近取材なんかで、俺たちに影響を受けたっていう若くて有名なミュージシャン達と話すとみんな「JAMは最高ですよ」って言ってくれるんだよ。
俺たちの夢は大成功したんだよ。

中原、またいつか一緒に飲もうぜ。

吉井和哉

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 02:50:24.80 ID:CroJS/GQ.net
集団的知)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート
、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、
社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。
Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」
のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、
統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、
適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
集合知には、collective intelligence, collective knowledge, wisdom of crowdsなどの異なる英語が対応する。
経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営−日本企業の知識管理戦略−』(2009)があり
その後、中国語、英語に翻訳されて出版されている。
Howard Bloom
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命が進化の過程で発生した集団的知性の経過を描いた。
Tom Atlee と George Por
一方でTom Atlee と George Por は、「人間」の集団で発生する集団的知性を重視している。
「人間の集団」に効果的な集団的知性を発生させるには、構成員の自発性と分散知能をオープンにすることが必要であるとしている。
Atlee と Por の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織の個々の構成員が発する、
潜在的に有益な意見やアイデアを、「黄金の示唆」として組織全体が積極的に受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。
逆に、集団思考(集団浅慮)が発生する組織というのは、特定の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に
十分耳を傾けないために発生するとしている。
「黄金の示唆」を拾い上げる手段として、様々な投票・アンケートを用い知識の集積を図ることは、
構成員から多くのユニークな観点を集めることができ有用である。ただ、構成員に予備知識のない(専門家でない)場合の投票は、
ある程度無作為に行うほうがよい。事前の討議は合意を形成してしまい、特定の観点を先入観として構成員に与えて
潜在的な「黄金の示唆」の反映を困難にするからである。
これに対する批判として、予備知識のない者の無作為の投票では、組織として悪いアイデアや誤解が支持される可能性もあり、
やはり意識の決定過程では、その問題に関する専門家の意見を重視することが必要であるとも言われている。
集団的知性の他の専門家は、Atlee や Por とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は
集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、
地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard
("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン
(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 02:57:43.34 ID:CroJS/GQ.net
集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体として
ひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。
彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。
集団的知性の先行概念としては、ウラジミール・ベルナドスキー の「叡智圏(ノウアスフィア)」やH・G・ウェルズの
「世界頭脳(world brain)」があるが、その後も ピエール・レヴィの著作、Howard Bloom の Global Brain、Howard Rheingold の
Smart Mobs、Robert David Steele Vivas の The New Craft of Intelligence などで言及されてきた。The New Craft of Intelligence では、
全市民を「知性召集兵(intelligence minutemen)」として正当で倫理的な唯一の情報源とし、それによって公僕や企業経営者を正す
「公的知性(public intelligence)」が生み出され、さらに「国家的知性(national intelligence)」となるとした。
1986年、Howard Bloom は、アポトーシス、コネクショニズム、集団選択、超個体といった概念を統合して集団的知性に関する理論を生み出した
後に彼は細菌コロニーや人間の競争社会のような集団的知性をコンピュータ上に生成した「複合適応システム」と
「遺伝的アルゴリズム」で説明できることを示した。[3]
David Skrbina [5] は、「集団心(group mind)」の概念はプラトンの汎心論(精神や意識は遍在し、あらゆるものに存在している)
から導き出されるとした。彼は「集団心」の概念をホッブズのリヴァイアサンやフェヒナーの集団心理に関する主張に基づいて展開した。
彼は集団心理に関して最も重要な人物としてデュルケームやテイヤールを挙げた。
集団的知性は創始者の指針の増幅である。トーマス・ジェファーソンは「国家の最大の防御は、教育された市民である」と述べている。
工業化時代、学校と企業はエリートを一般市民から選別する方向に向かった。政府も民間組織も官僚制を美化し、知識を秘匿することを良しとした。
最近の20年間で、知識の秘匿が公共の利益に反する利己的な決断を生むことが明らかとなってきた。集団的知性は人々の力を社会に還元し、
富の集中を生む情報処理の既得権を無効にする。
集団的知性の好例は政党である。政治的方針を形成するために多数の人々を集め、候補者を選別し、選挙活動に資金提供する。
その根本とは、「法律」や「顧客」による制限がなくても任意の状況に適切に対応する能力を有することである。
この観点の信奉者の1人としてアル・ゴアが挙げられる。彼は2000年の民主党の大統領候補であり、「米国憲法は、我々が個人ではできないことを
集団でなさしめるプログラムである」と述べた。
緑の党の4つの柱(エコロジー、社会正義、草の根民主主義、非暴力)もそのような「プログラム」の例である。これは緑の党や関連する組織での
合意形成の基本となっている。特にグローバルグリーンズを組織するにあたって、この4つの柱が有効に働いた。
軍隊、労働組合、企業もより特定の目的に特化しているが、集団的知性の本質の一部を備えている。
特に人工知能方面で「集団的知能指数」(あるいは「協力指数」)が測定の尺度として使われる。これは個人の知能指数(IQ)のように測定でき、
集団に新たに個人が参加することによって知性が増すことを数値で示し、集団思考や集団での愚かさの危険を防ぐのに使われる。
2001年、ポーランド AGH 大学の Tadeusz (Ted) Szuba は集団的知性現象の形式モデルを提案した。それは、無意識的で、ランダムで、
並行的で分散化された計算プロセスであり、社会構造によって数学的論理を実行するものである。
このモデルでは、個人と情報は、数学的論理の式を運ぶ抽象情報モジュールとしてモデル化される。それらは、自らの意図と環境との相互作用に従って
準無作為的に配置を変える。抽象計算空間でのそれらの相互作用はマルチスレッド化された推論プロセスを生成し、それが集団的知性として観測される
つまり、そこでは非チューリング的計算モデルが使われている。この理論では集団的知性に社会構造の属性としての単純な形式的定義を与え
細菌コロニーから人類の社会構造まで様々な面をうまく説明できる。集団的知性を特殊な計算プロセスと捉えることで、
いくつかの社会現象も説明できる。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:07:43.19 ID:CroJS/GQ.net
クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、
ベンチャー企業への出資 映画、
フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、
幅広い分野への出資に活用されている。
クラウドファンディングは多くの投資家から株式を募集することによる企業の資金調達の手法としても注目されている。
この形のクラウドファンディングは、JOBS Act(英語版)
(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)
に直接的な言及があるように、最近アメリカ合衆国の政策立案者から注目された。JOBS Actは実施を待っているが、
en:Mosaic Inc.などの混合モデルは、認可状態にある一般市民に群衆の一部として
クリーンエネルギーのプロジェクトに直接投資する資格を与える既存の証券法を利用している。
クラウドファンディングは、クラウドソーシングのコンセプト(個人が多くの人々からわずかな寄与を集め、
利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点がある。クラウドファンディングは、
特定のプロジェクトまたはベンチャーの資金調達をするために、
多くの人々から少額の寄付を通して出資を集めるというこのコンセプトの応用である
クラウドファンディングのモデルは必然的に多様な関係者を伴う。
その中には出資されるアイディアやプロジェクトを提案する人々や組織、
その提案を支持する「群衆」も含まれる。
なお、クラウドファンディングはプロジェクトの首唱者と「群衆」を引き合わせる組織(「プラットフォーム」)によって成り立っている。
一般に製品開発やイベントの開催には多額の資金が必要となるが、
クラウドファンディングでは、インターネットを通じて不特定多数の人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、
一定額が集まった時点でプロジェクトを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。
ソーシャルメディアの発展によって個人でのプロジェクトの立ち上げや告知が容易になり、
それに呼応する形でクラウドファンディングによる資金調達が活発になりつつある。米国ではKickstarterが有名。
国内では、あらゆる分野のプロジェクトを扱うREADYFORや、ものづくりに特化したMakuake、
アートなどの分野に特化したCampfire、など、サービスの多様化が見られる。
スポーツ分野に特化したスポーツファンディングは、不特定多数からの資金調達以外に、
企業マッチングやメディアマッチングやセカンドキャリア対策まで幅広い形のサポートを指す形に進化している。
日本での状況
日本では、第2次安倍内閣で策定された政策に沿って、
リスクマネーの供給強化の手段の一つとしてクラウドファンディングを活用する施策が掲げられており、
規制を緩和する金融商品取引法等の改正案が2014年(平成26年)5月23日に国会で可決成立した
自主規制機関の状況
クラウドファンディング業務に対する自主規制は以下の通り。
・株式型は日本証券業協会(株式投資型クラウドファンディング業務に関する規則)
・ファンド型は第二種金融商品取引業協会(電子申込型電子募集取扱業等に関する規則)
・購入型・寄付型・融資型無し(2016年7月末現在)
種類
クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって下記の3類型に大別される
金銭的リターンのない「寄付型」
金銭リターンが伴う「投資型」
プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」
日本においては資金決済に関する法律や金融商品取引法等によって個人間の送金や投資が制限されていることから
、購入型のクラウドファンディングの企業数が最も多く認知度が高い。
その一方で個人から少額の資金を募り融資を行う投資型(ソーシャルレンディングとも言われる)は企業数は少ないが
(日本では金融商品取引法の第2種金融商品取引業の登録が必要、金銭のリターンを求める投資家の需要を取り込み、
国内では既に300億円以上の融資実績がある。
なお、東洋経済新報社では投資型のクラウドファンディングを
融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:08:14.97 ID:CroJS/GQ.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:08:43.68 ID:CroJS/GQ.net
日本でサービスが始まった当初は「ソーシャルレンディング」というサービス名が一般的であったが、
クラウドファンディングという言葉が日本で広まるにつれ、その一分野である「投資型クラウドファンディング
」という呼び名も使われるようになっている。
ここでは、主に貸金業法の金銭消費貸借契約を伴うものについて記載し、併せて株式投資型についても触れる。
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPAが開始した
その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大させている。
上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、
ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending Clubgaがオークション型である。
国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)がマーケット型として
サービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止状態を強いられている。
その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、
もしくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。
これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファンド型とも言われている。
長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まるのに連れて、
匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、
2015年にはトラストファイナンスが参入して市場に活気が出てきている。
2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たにサービスの立ち上げが予定されている。
日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、
貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介を行うことから、
匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる
類型
マーケット型
サービスの運営会社が審査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、
どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する。格付けを得るために、
融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、
運営会社は送られてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。
貸す側は希望するリスクリターンに見合った格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。
運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあった借入をマッチングさせる。
この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利がタイムリーに変動し、
あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金利設定に影響するので、
金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。
オークション型
融資を希望する側は借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,
貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、
通常、一番安い利率でビッドした貸し手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。
貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラウンド等を考慮して利率を入札するが、
その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率に左右されないので、
優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、
貸し手が高い利息を受け取れる可能性もある。
この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。
貸付型・ファンド型
サービスの運営会社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する
貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決定する。
融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、
また場合によっては保証人を立てること、担保の提出を行う。
運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を提出する。
日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:09:20.21 ID:CroJS/GQ.net
なお、国内の投資型クラウドファンディング事業者について、
貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、
同法に基づかず国内・海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(
株式投資型、狭義の投資型[2])と呼ぶ分け方が提唱されているが、一般に根付いているとは言いがたい。
なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している
市場規模
2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレンディングは拡大傾向にあり、
金融業界でその地歩を固めつつある。ソーシャルレンディングの総融資残高は、
2005年1億1800万ドル、2006年2億6900万ドル、2007年には6億4700万ドルにものぼり、
2010年においては総額58億ドル規模になると予想されている
また「2015CF Crowdfunding Industry Report」においては
クラウドファンディングのうち貸付型と株式型は以下の数値が報告されている。
2012年 貸付型 11億9000万ドル、株式型 1億1800万ドル 2013年 貸付型 34億4000万ドル、
株式型 3億9500万ドル 2014年 貸付型 110億8000万ドル、株式型 11億1000万ドル
リスク管理と可能性
個人間ではあっても金銭の貸し借りである以上、貸し倒れのリスクがある。
返済の遅延や回収不能等のトラブルが生じた場合、運営会社が督促・回収、保険等の法的手続きを行う。
運営会社の審査や格付けと行った仕組みの精度が高さにより、延滞などの取引に係るリスクが軽減される。
ソーシャルレンディングは、従来の物流革命と同様にウェブを使って金融流通を効率化し、
商品の提供者と受益者を直接結びつけてコストメリットを生み出す考え方を採用している
個人融資のハードルの高い銀行と、借り入れしやすくとも高金利でネガティブなイメージがある消費者金融の、
それぞれの利点を併せ持ち、従来の銀行と消費者金融の中間に位置するものとして、
新しい金融ビジネスの可能性を秘めている。
ただ、諸外国のソーシャルレンディングのビジネスモデルをそのまま日本に持ち込むのは、
法的な面から難しいとの指摘もある
税務上の取り扱い
Justice and law.svg この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。
また最新の法令改正を反映していない場合があります。
ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。
免責事項もお読みください。
匿名組合契約に基づき営業者から受け取る利益は、個人の場合は雑所得となり
(所得税基本通達36・37共-21)、一般的な投資(株式投資・投資信託)の場合の譲渡所得と比較して投資家負担が重くなる

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:10:25.67 ID:CroJS/GQ.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて
クラウドソーシングの異なる定義を与えている。

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:10:55.54 ID:CroJS/GQ.net
労働者派遣業を行う業者は、第1次オイルショック後の1975年頃から急速に増えた。
これに対応し、1985年6月に、派遣労働者の保護を目的とした
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法、以下、
「派遣法」と略す)が成立し、翌1986年7月に施行された[2]。2012年(平成24年)の改正により、
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」へ題名改正された。
厚生労働大臣は、労働者派遣事業に係る派遣法の規定の運用に当たっては、労働者の職業生活の全期間にわたるその能力の有効な発揮及びその
雇用の安定に資すると認められる雇用慣行並びに派遣就業は臨時的かつ一時的なものであることを原則とするとの考え方を考慮するとともに、
労働者派遣事業による労働力の需給の調整が職業安定法に定める他の労働力の需給の調整に関する制度に基づくものとの調和の下に
行われるように配慮しなければならない(派遣法第25条)。
派遣元に常時雇用される労働者(自社の正社員等の正規雇用社員・常用型派遣)を他社に派遣する形態。
届出制(派遣法16条、いわゆる「16条派遣」)。
一般労働者派遣の業者に比べると、派遣先として対応する企業・職種の幅は狭いが、
特定の事業所に対し技術者(主にコンピュータ・IT・エレクトロニクス・機械系の設計関連)などを派
遣するような業者(主にアウトソーシング業者と呼ばれる)が多い。
平成27年の法改正により16条が削除され、すべての労働者派遣事業が許可制の労働者派遣事業に一本化された。
なお経過措置により平成27年9月30日時点で特定労働者派遣事業を営んでいる事業者は、
引き続き平成30年9月29日まで特定労働者派遣事業を営むことができる。平成27年9月30日以降は、新規の届出は受理されず、
それまでに事業所を開設していても新設に係る変更届は受理されない
派遣元に常時雇用されない労働者(自社の契約社員等の非正規雇用社員・登録型派遣)を他社に派遣する形態。
厚生労働大臣による許可制。臨時・日雇い派遣もこれに該当する。なお、一般労働者派遣事業の許可を得れば、
前項の特定労働者派遣事業も可能である。
平成27年改正により常時雇用の有無を問わず許可制に一本化された。なお、改正前に一般労働者派遣事業を営んでいる場合は、
その許可のままで引き続き労働者派遣事業を営むことができる。
一般的に「派遣会社」といえば、この形態の事業者が広く知られている。
平成27年改正後の労働者派遣事業は、許可を受けるためには以下の要件をすべて満たすことが必要となる。許可の有効期間は新規3年、
更新後は5年となる。
専ら労働者派遣の役務を特定の者に提供することを目的として行われるものでないこと
派遣労働者に係る雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものとして次に掲げる基準に適合するものであること
派遣労働者のキャリア形成支援制度を有すること
教育訓練等の情報を管理した資料を労働契約終了後3年間は保存していること
無期雇用派遣労働者を労働者派遣契約の終了のみを理由として解雇できる旨の規定がないこと。また、有期雇用派遣労働者についても
、労働者派遣契約の終了時に労働契約が存続している派遣労働者については、労働者派遣契約の終了のみを理由として
解雇できる旨の規定がないこと
労働契約期間内に労働者派遣契約が終了した派遣労働者について、次の派遣先を見つけられない等、
使用者の責めに帰すべき事由により休業させた場合には、休業手当(労働基準法第26条)を支払う旨の規定があること
派遣労働者に対して、安全衛生教育(労働安全衛生法第59条)の実施体制を整備していること
雇用安定措置の義務を免れることを目的とした行為を行っており、都道府県労働局から指導され、
それを是正していない者でないこと
個人情報を適正に管理し、派遣労働者等の秘密を守るために必要な措置が講じられていること
事業を的確に遂行するに足りる能力を有するものであること
事業所の面積がおおむね20平方メートル以上であること
資産の総額から負債の総額を控除した額(基準資産額)が「2,000万円×事業所数」以上、
現預金額が「1,500万円×事業所数」以上であること
1つの事業所のみを有し、常時雇用するしている派遣労働者が10人以下である中小企業事業主については、
当分の間、基準資産額1,000万円・現預金額800万円、5人以下である中小企業事業主については、平成30年9月29日までの間、
基準資産額500万円・現預金額400万円とする
紹介予定派遣

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 06:11:23.42 ID:CroJS/GQ.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 07:42:37.75 ID:WaywIszF.net
中原のコピペ初めてみた

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 09:59:08.49 ID:7z5ODXv7.net
とりあえず乙

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:23:21.12 ID:LHyLvByn.net
集団的知)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート
、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、
社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。
Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」
のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、
統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、
適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
集合知には、collective intelligence, collective knowledge, wisdom of crowdsなどの異なる英語が対応する。
経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営−日本企業の知識管理戦略−』(2009)があり
その後、中国語、英語に翻訳されて出版されている。
Howard Bloom
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命が進化の過程で発生した集団的知性の経過を描いた。
Tom Atlee と George Por
一方でTom Atlee と George Por は、「人間」の集団で発生する集団的知性を重視している。
「人間の集団」に効果的な集団的知性を発生させるには、構成員の自発性と分散知能をオープンにすることが必要であるとしている。
Atlee と Por の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織の個々の構成員が発する、
潜在的に有益な意見やアイデアを、「黄金の示唆」として組織全体が積極的に受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。
逆に、集団思考(集団浅慮)が発生する組織というのは、特定の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に
十分耳を傾けないために発生するとしている。
「黄金の示唆」を拾い上げる手段として、様々な投票・アンケートを用い知識の集積を図ることは、
構成員から多くのユニークな観点を集めることができ有用である。ただ、構成員に予備知識のない(専門家でない)場合の投票は、
ある程度無作為に行うほうがよい。事前の討議は合意を形成してしまい、特定の観点を先入観として構成員に与えて
潜在的な「黄金の示唆」の反映を困難にするからである。
これに対する批判として、予備知識のない者の無作為の投票では、組織として悪いアイデアや誤解が支持される可能性もあり、
やはり意識の決定過程では、その問題に関する専門家の意見を重視することが必要であるとも言われている。
集団的知性の他の専門家は、Atlee や Por とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は
集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、
地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard
("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン
(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:24:05.35 ID:LHyLvByn.net
集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体として
ひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。
彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。
集団的知性の先行概念としては、ウラジミール・ベルナドスキー の「叡智圏(ノウアスフィア)」やH・G・ウェルズの
「世界頭脳(world brain)」があるが、その後も ピエール・レヴィの著作、Howard Bloom の Global Brain、Howard Rheingold の
Smart Mobs、Robert David Steele Vivas の The New Craft of Intelligence などで言及されてきた。The New Craft of Intelligence では、
全市民を「知性召集兵(intelligence minutemen)」として正当で倫理的な唯一の情報源とし、それによって公僕や企業経営者を正す
「公的知性(public intelligence)」が生み出され、さらに「国家的知性(national intelligence)」となるとした。
1986年、Howard Bloom は、アポトーシス、コネクショニズム、集団選択、超個体といった概念を統合して集団的知性に関する理論を生み出した
後に彼は細菌コロニーや人間の競争社会のような集団的知性をコンピュータ上に生成した「複合適応システム」と
「遺伝的アルゴリズム」で説明できることを示した。[3]
David Skrbina [5] は、「集団心(group mind)」の概念はプラトンの汎心論(精神や意識は遍在し、あらゆるものに存在している)
から導き出されるとした。彼は「集団心」の概念をホッブズのリヴァイアサンやフェヒナーの集団心理に関する主張に基づいて展開した。
彼は集団心理に関して最も重要な人物としてデュルケームやテイヤールを挙げた。
集団的知性は創始者の指針の増幅である。トーマス・ジェファーソンは「国家の最大の防御は、教育された市民である」と述べている。
工業化時代、学校と企業はエリートを一般市民から選別する方向に向かった。政府も民間組織も官僚制を美化し、知識を秘匿することを良しとした。
最近の20年間で、知識の秘匿が公共の利益に反する利己的な決断を生むことが明らかとなってきた。集団的知性は人々の力を社会に還元し、
富の集中を生む情報処理の既得権を無効にする。
集団的知性の好例は政党である。政治的方針を形成するために多数の人々を集め、候補者を選別し、選挙活動に資金提供する。
その根本とは、「法律」や「顧客」による制限がなくても任意の状況に適切に対応する能力を有することである。
この観点の信奉者の1人としてアル・ゴアが挙げられる。彼は2000年の民主党の大統領候補であり、「米国憲法は、我々が個人ではできないことを
集団でなさしめるプログラムである」と述べた。
緑の党の4つの柱(エコロジー、社会正義、草の根民主主義、非暴力)もそのような「プログラム」の例である。これは緑の党や関連する組織での
合意形成の基本となっている。特にグローバルグリーンズを組織するにあたって、この4つの柱が有効に働いた。
軍隊、労働組合、企業もより特定の目的に特化しているが、集団的知性の本質の一部を備えている。
特に人工知能方面で「集団的知能指数」(あるいは「協力指数」)が測定の尺度として使われる。これは個人の知能指数(IQ)のように測定でき、
集団に新たに個人が参加することによって知性が増すことを数値で示し、集団思考や集団での愚かさの危険を防ぐのに使われる。
2001年、ポーランド AGH 大学の Tadeusz (Ted) Szuba は集団的知性現象の形式モデルを提案した。それは、無意識的で、ランダムで、
並行的で分散化された計算プロセスであり、社会構造によって数学的論理を実行するものである。
このモデルでは、個人と情報は、数学的論理の式を運ぶ抽象情報モジュールとしてモデル化される。それらは、自らの意図と環境との相互作用に従って
準無作為的に配置を変える。抽象計算空間でのそれらの相互作用はマルチスレッド化された推論プロセスを生成し、それが集団的知性として観測される
つまり、そこでは非チューリング的計算モデルが使われている。この理論では集団的知性に社会構造の属性としての単純な形式的定義を与え
細菌コロニーから人類の社会構造まで様々な面をうまく説明できる。集団的知性を特殊な計算プロセスと捉えることで、
いくつかの社会現象も説明できる。

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:24:34.03 ID:LHyLvByn.net
クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、
ベンチャー企業への出資 映画、
フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、
幅広い分野への出資に活用されている。
クラウドファンディングは多くの投資家から株式を募集することによる企業の資金調達の手法としても注目されている。
この形のクラウドファンディングは、JOBS Act(英語版)
(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)
に直接的な言及があるように、最近アメリカ合衆国の政策立案者から注目された。JOBS Actは実施を待っているが、
en:Mosaic Inc.などの混合モデルは、認可状態にある一般市民に群衆の一部として
クリーンエネルギーのプロジェクトに直接投資する資格を与える既存の証券法を利用している。
クラウドファンディングは、クラウドソーシングのコンセプト(個人が多くの人々からわずかな寄与を集め、
利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点がある。クラウドファンディングは、
特定のプロジェクトまたはベンチャーの資金調達をするために、
多くの人々から少額の寄付を通して出資を集めるというこのコンセプトの応用である
クラウドファンディングのモデルは必然的に多様な関係者を伴う。
その中には出資されるアイディアやプロジェクトを提案する人々や組織、
その提案を支持する「群衆」も含まれる。
なお、クラウドファンディングはプロジェクトの首唱者と「群衆」を引き合わせる組織(「プラットフォーム」)によって成り立っている。
一般に製品開発やイベントの開催には多額の資金が必要となるが、
クラウドファンディングでは、インターネットを通じて不特定多数の人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、
一定額が集まった時点でプロジェクトを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。
ソーシャルメディアの発展によって個人でのプロジェクトの立ち上げや告知が容易になり、
それに呼応する形でクラウドファンディングによる資金調達が活発になりつつある。米国ではKickstarterが有名。
国内では、あらゆる分野のプロジェクトを扱うREADYFORや、ものづくりに特化したMakuake、
アートなどの分野に特化したCampfire、など、サービスの多様化が見られる。
スポーツ分野に特化したスポーツファンディングは、不特定多数からの資金調達以外に、
企業マッチングやメディアマッチングやセカンドキャリア対策まで幅広い形のサポートを指す形に進化している。
日本での状況
日本では、第2次安倍内閣で策定された政策に沿って、
リスクマネーの供給強化の手段の一つとしてクラウドファンディングを活用する施策が掲げられており、
規制を緩和する金融商品取引法等の改正案が2014年(平成26年)5月23日に国会で可決成立した
自主規制機関の状況
クラウドファンディング業務に対する自主規制は以下の通り。
・株式型は日本証券業協会(株式投資型クラウドファンディング業務に関する規則)
・ファンド型は第二種金融商品取引業協会(電子申込型電子募集取扱業等に関する規則)
・購入型・寄付型・融資型無し(2016年7月末現在)
種類
クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって下記の3類型に大別される
金銭的リターンのない「寄付型」
金銭リターンが伴う「投資型」
プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」
日本においては資金決済に関する法律や金融商品取引法等によって個人間の送金や投資が制限されていることから
、購入型のクラウドファンディングの企業数が最も多く認知度が高い。
その一方で個人から少額の資金を募り融資を行う投資型(ソーシャルレンディングとも言われる)は企業数は少ないが
(日本では金融商品取引法の第2種金融商品取引業の登録が必要、金銭のリターンを求める投資家の需要を取り込み、
国内では既に300億円以上の融資実績がある。
なお、東洋経済新報社では投資型のクラウドファンディングを
融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:25:02.12 ID:LHyLvByn.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

54 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:25:36.42 ID:LHyLvByn.net
日本でサービスが始まった当初は「ソーシャルレンディング」というサービス名が一般的であったが、
クラウドファンディングという言葉が日本で広まるにつれ、その一分野である「投資型クラウドファンディング
」という呼び名も使われるようになっている。
ここでは、主に貸金業法の金銭消費貸借契約を伴うものについて記載し、併せて株式投資型についても触れる。
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPAが開始した
その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大させている。
上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、
ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending Clubgaがオークション型である。
国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)がマーケット型として
サービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止状態を強いられている。
その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、
もしくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。
これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファンド型とも言われている。
長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まるのに連れて、
匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、
2015年にはトラストファイナンスが参入して市場に活気が出てきている。
2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たにサービスの立ち上げが予定されている。
日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、
貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介を行うことから、
匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる
類型
マーケット型
サービスの運営会社が審査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、
どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する。格付けを得るために、
融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、
運営会社は送られてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。
貸す側は希望するリスクリターンに見合った格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。
運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあった借入をマッチングさせる。
この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利がタイムリーに変動し、
あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金利設定に影響するので、
金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。
オークション型
融資を希望する側は借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,
貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、
通常、一番安い利率でビッドした貸し手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。
貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラウンド等を考慮して利率を入札するが、
その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率に左右されないので、
優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、
貸し手が高い利息を受け取れる可能性もある。
この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。
貸付型・ファンド型
サービスの運営会社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する
貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決定する。
融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、
また場合によっては保証人を立てること、担保の提出を行う。
運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を提出する。
日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。

55 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:26:05.31 ID:LHyLvByn.net
なお、国内の投資型クラウドファンディング事業者について、
貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、
同法に基づかず国内・海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(
株式投資型、狭義の投資型[2])と呼ぶ分け方が提唱されているが、一般に根付いているとは言いがたい。
なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している
市場規模
2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレンディングは拡大傾向にあり、
金融業界でその地歩を固めつつある。ソーシャルレンディングの総融資残高は、
2005年1億1800万ドル、2006年2億6900万ドル、2007年には6億4700万ドルにものぼり、
2010年においては総額58億ドル規模になると予想されている
また「2015CF Crowdfunding Industry Report」においては
クラウドファンディングのうち貸付型と株式型は以下の数値が報告されている。
2012年 貸付型 11億9000万ドル、株式型 1億1800万ドル 2013年 貸付型 34億4000万ドル、
株式型 3億9500万ドル 2014年 貸付型 110億8000万ドル、株式型 11億1000万ドル
リスク管理と可能性
個人間ではあっても金銭の貸し借りである以上、貸し倒れのリスクがある。
返済の遅延や回収不能等のトラブルが生じた場合、運営会社が督促・回収、保険等の法的手続きを行う。
運営会社の審査や格付けと行った仕組みの精度が高さにより、延滞などの取引に係るリスクが軽減される。
ソーシャルレンディングは、従来の物流革命と同様にウェブを使って金融流通を効率化し、
商品の提供者と受益者を直接結びつけてコストメリットを生み出す考え方を採用している
個人融資のハードルの高い銀行と、借り入れしやすくとも高金利でネガティブなイメージがある消費者金融の、
それぞれの利点を併せ持ち、従来の銀行と消費者金融の中間に位置するものとして、
新しい金融ビジネスの可能性を秘めている。
ただ、諸外国のソーシャルレンディングのビジネスモデルをそのまま日本に持ち込むのは、
法的な面から難しいとの指摘もある
税務上の取り扱い
Justice and law.svg この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。
また最新の法令改正を反映していない場合があります。
ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。
免責事項もお読みください。
匿名組合契約に基づき営業者から受け取る利益は、個人の場合は雑所得となり
(所得税基本通達36・37共-21)、一般的な投資(株式投資・投資信託)の場合の譲渡所得と比較して投資家負担が重くなる

56 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:26:31.90 ID:LHyLvByn.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて
クラウドソーシングの異なる定義を与えている。

57 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:26:59.21 ID:LHyLvByn.net
労働者派遣業を行う業者は、第1次オイルショック後の1975年頃から急速に増えた。
これに対応し、1985年6月に、派遣労働者の保護を目的とした
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法、以下、
「派遣法」と略す)が成立し、翌1986年7月に施行された[2]。2012年(平成24年)の改正により、
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」へ題名改正された。
厚生労働大臣は、労働者派遣事業に係る派遣法の規定の運用に当たっては、労働者の職業生活の全期間にわたるその能力の有効な発揮及びその
雇用の安定に資すると認められる雇用慣行並びに派遣就業は臨時的かつ一時的なものであることを原則とするとの考え方を考慮するとともに、
労働者派遣事業による労働力の需給の調整が職業安定法に定める他の労働力の需給の調整に関する制度に基づくものとの調和の下に
行われるように配慮しなければならない(派遣法第25条)。
派遣元に常時雇用される労働者(自社の正社員等の正規雇用社員・常用型派遣)を他社に派遣する形態。
届出制(派遣法16条、いわゆる「16条派遣」)。
一般労働者派遣の業者に比べると、派遣先として対応する企業・職種の幅は狭いが、
特定の事業所に対し技術者(主にコンピュータ・IT・エレクトロニクス・機械系の設計関連)などを派
遣するような業者(主にアウトソーシング業者と呼ばれる)が多い。
平成27年の法改正により16条が削除され、すべての労働者派遣事業が許可制の労働者派遣事業に一本化された。
なお経過措置により平成27年9月30日時点で特定労働者派遣事業を営んでいる事業者は、
引き続き平成30年9月29日まで特定労働者派遣事業を営むことができる。平成27年9月30日以降は、新規の届出は受理されず、
それまでに事業所を開設していても新設に係る変更届は受理されない
派遣元に常時雇用されない労働者(自社の契約社員等の非正規雇用社員・登録型派遣)を他社に派遣する形態。
厚生労働大臣による許可制。臨時・日雇い派遣もこれに該当する。なお、一般労働者派遣事業の許可を得れば、
前項の特定労働者派遣事業も可能である。
平成27年改正により常時雇用の有無を問わず許可制に一本化された。なお、改正前に一般労働者派遣事業を営んでいる場合は、
その許可のままで引き続き労働者派遣事業を営むことができる。
一般的に「派遣会社」といえば、この形態の事業者が広く知られている。
平成27年改正後の労働者派遣事業は、許可を受けるためには以下の要件をすべて満たすことが必要となる。許可の有効期間は新規3年、
更新後は5年となる。
専ら労働者派遣の役務を特定の者に提供することを目的として行われるものでないこと
派遣労働者に係る雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものとして次に掲げる基準に適合するものであること
派遣労働者のキャリア形成支援制度を有すること
教育訓練等の情報を管理した資料を労働契約終了後3年間は保存していること
無期雇用派遣労働者を労働者派遣契約の終了のみを理由として解雇できる旨の規定がないこと。また、有期雇用派遣労働者についても
、労働者派遣契約の終了時に労働契約が存続している派遣労働者については、労働者派遣契約の終了のみを理由として
解雇できる旨の規定がないこと
労働契約期間内に労働者派遣契約が終了した派遣労働者について、次の派遣先を見つけられない等、
使用者の責めに帰すべき事由により休業させた場合には、休業手当(労働基準法第26条)を支払う旨の規定があること
派遣労働者に対して、安全衛生教育(労働安全衛生法第59条)の実施体制を整備していること
雇用安定措置の義務を免れることを目的とした行為を行っており、都道府県労働局から指導され、
それを是正していない者でないこと
個人情報を適正に管理し、派遣労働者等の秘密を守るために必要な措置が講じられていること
事業を的確に遂行するに足りる能力を有するものであること
事業所の面積がおおむね20平方メートル以上であること
資産の総額から負債の総額を控除した額(基準資産額)が「2,000万円×事業所数」以上、
現預金額が「1,500万円×事業所数」以上であること
1つの事業所のみを有し、常時雇用するしている派遣労働者が10人以下である中小企業事業主については、
当分の間、基準資産額1,000万円・現預金額800万円、5人以下である中小企業事業主については、平成30年9月29日までの間、
基準資産額500万円・現預金額400万円とする
紹介予定派遣

58 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/19(木) 18:27:25.16 ID:LHyLvByn.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

59 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:48:33.18 ID:ebzMMhx0.net
元々、生物学の中では、共生は種間関係の中でも特殊なものと考えられがちであった。これには、近代科学の発達の場となったヨーロッパでは
トマス・ホッブズ,の「万人の万人に対する闘争」という有名なフレーズが端的に示すように、社会的自然状態を競争と捉えることが受け入れら
れやすい思想背景があったことが影響しているかもしれない。日本でも1980年代までの生態学者の書いた教科書では、影響しあう2種の生物の
種間関係を、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の4つのパターンに分類し、これらのうち、あくまでも主流とみなすべきは
捕食被食関係と競争関係であり、共生や寄生は例外的なものとして重視するべきではないと書かれたものもあった。
しかし、その後理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてき。
また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が
利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってき
そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
複数種の外見上独立した個体がなす共生より密接な関係として、構造上一体化して単一の生物としか見えない共生(地衣類やサンゴなど)や、
さらに進んで細胞内に共生者を受け入れているもの(細胞内共生細菌など)もある。しかしそのような例は特別なものではなく、むしろヒトを
含む真核生物の細胞の基本構造は共生に起源を持つものであると考えられるようになった。これが真核細胞の起源に関する細胞内共生説である。
リン・マーギュリス(Lynn Margulis,1938年‐2011年)は、真核生物の細胞内にあるミトコンドリアや葉緑体は、細胞内共生細菌が起源で
あるという説を提唱した。これらの細胞小器官は独自のDNAを持つことなどから、1970年代以降この説の基本的な考え方は広く受け入れられる
ようになり、むしろ細胞内共生は当初マーギュリスが想定したより遙かに一般的な現象で,あることが明らかになった。次項参照のこと。
後述するアブラムシとブフネラ(共生細菌)の例では、細菌はアブラムシの細胞内に生息しており、こういった共生形態を(真核細胞の起源
とは別に単純に文字通りの意味で)細胞内共生と呼ぶ。逆に細胞外に作られた構造体(粘液性物質や糖鎖などで作られる)中で共生する形態
を細胞外共生と呼ぶ。細胞内共生微生物には単独では培養不能なものが多く、遺伝子の一部が宿主ゲノムに移行していることも多い。
宿主と共生微生物とが出会い、共生関係になる過程を伝播と呼ぶ。卵などを通じて親から共生関係を受け継ぐ場合を垂直伝播、環境を介して
受け継ぐ場合を水平伝播といい、共生の形態を理解する上で重要な事項である。多くの昆虫に細胞内共生する細菌であるボルバキアは垂直伝播
を行うが、宿主昆虫の性を操作することで,自らの伝播をコントロールすることが知られている。
植物にうどんこ病を起こすウドンコ菌は、植物病原菌としては例外的に真の寄生者であり、宿主植物の生きた細胞内に吸器を差し入れて
養分摂取を行う。
アーバスキュラー菌根菌は多くの植物と相利共生を営むが、宿主の細胞内に菌糸を侵入させて樹枝状体を形成して物質交換を行う。
ラン科植物には栄養的にラン菌根菌に多少なりとも寄生するが、根の皮層細胞内に菌を侵入させてペロトンという構造を形成する。これらの
例ではいずれも細胞内に侵入する菌糸は細胞壁を貫通するが、細胞膜を破ることはない。また、ペロトン,の消化段階などを除き細胞内の
菌糸は外部の菌体とつながっている。魚類であるクマノミと、刺胞動物であるイソギンチャクの共生関係は有名である。イソギンチャクの
触手には、異物に触れると毒針を発射する「刺胞」という細胞が無数にあり、これで魚などを麻痺させて捕食している。ところがクマノミ
の体表には特殊な粘液が分泌され、イソギンチャク,の刺胞は反応しない。このためクマノミは大型イソギンチャク.の周囲を棲みかにして
外敵から身を守ることができる。一方、イソギンチャク.がこの関係から
どの様な利益を得ているかはっきりせず、この関係は片利共生とみられる。

60 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:49:17.39 ID:ebzMMhx0.net
集団的知)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート
、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、
社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。
Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」
のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、
統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、
適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
集合知には、collective intelligence, collective knowledge, wisdom of crowdsなどの異なる英語が対応する。
経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営−日本企業の知識管理戦略−』(2009)があり
その後、中国語、英語に翻訳されて出版されている。
Howard Bloom
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命が進化の過程で発生した集団的知性の経過を描いた。
Tom Atlee と George Por
一方でTom Atlee と George Por は、「人間」の集団で発生する集団的知性を重視している。
「人間の集団」に効果的な集団的知性を発生させるには、構成員の自発性と分散知能をオープンにすることが必要であるとしている。
Atlee と Por の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織の個々の構成員が発する、
潜在的に有益な意見やアイデアを、「黄金の示唆」として組織全体が積極的に受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。
逆に、集団思考(集団浅慮)が発生する組織というのは、特定の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に
十分耳を傾けないために発生するとしている。
「黄金の示唆」を拾い上げる手段として、様々な投票・アンケートを用い知識の集積を図ることは、
構成員から多くのユニークな観点を集めることができ有用である。ただ、構成員に予備知識のない(専門家でない)場合の投票は、
ある程度無作為に行うほうがよい。事前の討議は合意を形成してしまい、特定の観点を先入観として構成員に与えて
潜在的な「黄金の示唆」の反映を困難にするからである。
これに対する批判として、予備知識のない者の無作為の投票では、組織として悪いアイデアや誤解が支持される可能性もあり、
やはり意識の決定過程では、その問題に関する専門家の意見を重視することが必要であるとも言われている。
集団的知性の他の専門家は、Atlee や Por とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は
集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、
地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard
("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン
(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。

61 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:49:42.97 ID:ebzMMhx0.net
集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体として
ひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。
彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。
集団的知性の先行概念としては、ウラジミール・ベルナドスキー の「叡智圏(ノウアスフィア)」やH・G・ウェルズの
「世界頭脳(world brain)」があるが、その後も ピエール・レヴィの著作、Howard Bloom の Global Brain、Howard Rheingold の
Smart Mobs、Robert David Steele Vivas の The New Craft of Intelligence などで言及されてきた。The New Craft of Intelligence では、
全市民を「知性召集兵(intelligence minutemen)」として正当で倫理的な唯一の情報源とし、それによって公僕や企業経営者を正す
「公的知性(public intelligence)」が生み出され、さらに「国家的知性(national intelligence)」となるとした。
1986年、Howard Bloom は、アポトーシス、コネクショニズム、集団選択、超個体といった概念を統合して集団的知性に関する理論を生み出した
後に彼は細菌コロニーや人間の競争社会のような集団的知性をコンピュータ上に生成した「複合適応システム」と
「遺伝的アルゴリズム」で説明できることを示した。[3]
David Skrbina [5] は、「集団心(group mind)」の概念はプラトンの汎心論(精神や意識は遍在し、あらゆるものに存在している)
から導き出されるとした。彼は「集団心」の概念をホッブズのリヴァイアサンやフェヒナーの集団心理に関する主張に基づいて展開した。
彼は集団心理に関して最も重要な人物としてデュルケームやテイヤールを挙げた。
集団的知性は創始者の指針の増幅である。トーマス・ジェファーソンは「国家の最大の防御は、教育された市民である」と述べている。
工業化時代、学校と企業はエリートを一般市民から選別する方向に向かった。政府も民間組織も官僚制を美化し、知識を秘匿することを良しとした。
最近の20年間で、知識の秘匿が公共の利益に反する利己的な決断を生むことが明らかとなってきた。集団的知性は人々の力を社会に還元し、
富の集中を生む情報処理の既得権を無効にする。
集団的知性の好例は政党である。政治的方針を形成するために多数の人々を集め、候補者を選別し、選挙活動に資金提供する。
その根本とは、「法律」や「顧客」による制限がなくても任意の状況に適切に対応する能力を有することである。
この観点の信奉者の1人としてアル・ゴアが挙げられる。彼は2000年の民主党の大統領候補であり、「米国憲法は、我々が個人ではできないことを
集団でなさしめるプログラムである」と述べた。
緑の党の4つの柱(エコロジー、社会正義、草の根民主主義、非暴力)もそのような「プログラム」の例である。これは緑の党や関連する組織での
合意形成の基本となっている。特にグローバルグリーンズを組織するにあたって、この4つの柱が有効に働いた。
軍隊、労働組合、企業もより特定の目的に特化しているが、集団的知性の本質の一部を備えている。
特に人工知能方面で「集団的知能指数」(あるいは「協力指数」)が測定の尺度として使われる。これは個人の知能指数(IQ)のように測定でき、
集団に新たに個人が参加することによって知性が増すことを数値で示し、集団思考や集団での愚かさの危険を防ぐのに使われる。
2001年、ポーランド AGH 大学の Tadeusz (Ted) Szuba は集団的知性現象の形式モデルを提案した。それは、無意識的で、ランダムで、
並行的で分散化された計算プロセスであり、社会構造によって数学的論理を実行するものである。
このモデルでは、個人と情報は、数学的論理の式を運ぶ抽象情報モジュールとしてモデル化される。それらは、自らの意図と環境との相互作用に従って
準無作為的に配置を変える。抽象計算空間でのそれらの相互作用はマルチスレッド化された推論プロセスを生成し、それが集団的知性として観測される
つまり、そこでは非チューリング的計算モデルが使われている。この理論では集団的知性に社会構造の属性としての単純な形式的定義を与え
細菌コロニーから人類の社会構造まで様々な面をうまく説明できる。集団的知性を特殊な計算プロセスと捉えることで、
いくつかの社会現象も説明できる。

62 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:50:11.43 ID:ebzMMhx0.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

63 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:50:35.07 ID:ebzMMhx0.net
日本でサービスが始まった当初は「ソーシャルレンディング」というサービス名が一般的であったが、
クラウドファンディングという言葉が日本で広まるにつれ、その一分野である「投資型クラウドファンディング
」という呼び名も使われるようになっている。
ここでは、主に貸金業法の金銭消費貸借契約を伴うものについて記載し、併せて株式投資型についても触れる。
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPAが開始した
その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大させている。
上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、
ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending Clubgaがオークション型である。
国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)がマーケット型として
サービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止状態を強いられている。
その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、
もしくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。
これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファンド型とも言われている。
長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まるのに連れて、
匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、
2015年にはトラストファイナンスが参入して市場に活気が出てきている。
2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たにサービスの立ち上げが予定されている。
日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、
貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介を行うことから、
匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる
類型
マーケット型
サービスの運営会社が審査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、
どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する。格付けを得るために、
融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、
運営会社は送られてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。
貸す側は希望するリスクリターンに見合った格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。
運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあった借入をマッチングさせる。
この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利がタイムリーに変動し、
あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金利設定に影響するので、
金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。
オークション型
融資を希望する側は借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,
貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、
通常、一番安い利率でビッドした貸し手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。
貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラウンド等を考慮して利率を入札するが、
その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率に左右されないので、
優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、
貸し手が高い利息を受け取れる可能性もある。
この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。
貸付型・ファンド型
サービスの運営会社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する
貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決定する。
融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、
また場合によっては保証人を立てること、担保の提出を行う。
運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を提出する。
日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。

64 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:50:56.51 ID:ebzMMhx0.net
なお、国内の投資型クラウドファンディング事業者について、
貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、
同法に基づかず国内・海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(
株式投資型、狭義の投資型[2])と呼ぶ分け方が提唱されているが、一般に根付いているとは言いがたい。
なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している
市場規模
2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレンディングは拡大傾向にあり、
金融業界でその地歩を固めつつある。ソーシャルレンディングの総融資残高は、
2005年1億1800万ドル、2006年2億6900万ドル、2007年には6億4700万ドルにものぼり、
2010年においては総額58億ドル規模になると予想されている
また「2015CF Crowdfunding Industry Report」においては
クラウドファンディングのうち貸付型と株式型は以下の数値が報告されている。
2012年 貸付型 11億9000万ドル、株式型 1億1800万ドル 2013年 貸付型 34億4000万ドル、
株式型 3億9500万ドル 2014年 貸付型 110億8000万ドル、株式型 11億1000万ドル
リスク管理と可能性
個人間ではあっても金銭の貸し借りである以上、貸し倒れのリスクがある。
返済の遅延や回収不能等のトラブルが生じた場合、運営会社が督促・回収、保険等の法的手続きを行う。
運営会社の審査や格付けと行った仕組みの精度が高さにより、延滞などの取引に係るリスクが軽減される。
ソーシャルレンディングは、従来の物流革命と同様にウェブを使って金融流通を効率化し、
商品の提供者と受益者を直接結びつけてコストメリットを生み出す考え方を採用している
個人融資のハードルの高い銀行と、借り入れしやすくとも高金利でネガティブなイメージがある消費者金融の、
それぞれの利点を併せ持ち、従来の銀行と消費者金融の中間に位置するものとして、
新しい金融ビジネスの可能性を秘めている。
ただ、諸外国のソーシャルレンディングのビジネスモデルをそのまま日本に持ち込むのは、
法的な面から難しいとの指摘もある
税務上の取り扱い
Justice and law.svg この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。
また最新の法令改正を反映していない場合があります。
ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。
免責事項もお読みください。
匿名組合契約に基づき営業者から受け取る利益は、個人の場合は雑所得となり
(所得税基本通達36・37共-21)、一般的な投資(株式投資・投資信託)の場合の譲渡所得と比較して投資家負担が重くなる

65 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:51:28.52 ID:ebzMMhx0.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて
クラウドソーシングの異なる定義を与えている。

66 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:51:58.52 ID:ebzMMhx0.net
元々、生物学の中では、共生は種間関係の中でも特殊なものと考えられがちであった。これには、近代科学の発達の場となったヨーロッパでは
トマス・ホッブズ,の「万人の万人に対する闘争」という有名なフレーズが端的に示すように、社会的自然状態を競争と捉えることが受け入れら
れやすい思想背景があったことが影響しているかもしれない。日本でも1980年代までの生態学者の書いた教科書では、影響しあう2種の生物の
種間関係を、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の4つのパターンに分類し、これらのうち、あくまでも主流とみなすべきは
捕食被食関係と競争関係であり、共生や寄生は例外的なものとして重視するべきではないと書かれたものもあった。
しかし、その後理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてき。
また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が
利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってき
そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
複数種の外見上独立した個体がなす共生より密接な関係として、構造上一体化して単一の生物としか見えない共生(地衣類やサンゴなど)や、
さらに進んで細胞内に共生者を受け入れているもの(細胞内共生細菌など)もある。しかしそのような例は特別なものではなく、むしろヒトを
含む真核生物の細胞の基本構造は共生に起源を持つものであると考えられるようになった。これが真核細胞の起源に関する細胞内共生説である。
リン・マーギュリス(Lynn Margulis,1938年‐2011年)は、真核生物の細胞内にあるミトコンドリアや葉緑体は、細胞内共生細菌が起源で
あるという説を提唱した。これらの細胞小器官は独自のDNAを持つことなどから、1970年代以降この説の基本的な考え方は広く受け入れられる
ようになり、むしろ細胞内共生は当初マーギュリスが想定したより遙かに一般的な現象で,あることが明らかになった。次項参照のこと。
後述するアブラムシとブフネラ(共生細菌)の例では、細菌はアブラムシの細胞内に生息しており、こういった共生形態を(真核細胞の起源
とは別に単純に文字通りの意味で)細胞内共生と呼ぶ。逆に細胞外に作られた構造体(粘液性物質や糖鎖などで作られる)中で共生する形態
を細胞外共生と呼ぶ。細胞内共生微生物には単独では培養不能なものが多く、遺伝子の一部が宿主ゲノムに移行していることも多い。
宿主と共生微生物とが出会い、共生関係になる過程を伝播と呼ぶ。卵などを通じて親から共生関係を受け継ぐ場合を垂直伝播、環境を介して
受け継ぐ場合を水平伝播といい、共生の形態を理解する上で重要な事項である。多くの昆虫に細胞内共生する細菌であるボルバキアは垂直伝播
を行うが、宿主昆虫の性を操作することで,自らの伝播をコントロールすることが知られている。
植物にうどんこ病を起こすウドンコ菌は、植物病原菌としては例外的に真の寄生者であり、宿主植物の生きた細胞内に吸器を差し入れて
養分摂取を行う。
アーバスキュラー菌根菌は多くの植物と相利共生を営むが、宿主の細胞内に菌糸を侵入させて樹枝状体を形成して物質交換を行う。
ラン科植物には栄養的にラン菌根菌に多少なりとも寄生するが、根の皮層細胞内に菌を侵入させてペロトンという構造を形成する。これらの
例ではいずれも細胞内に侵入する菌糸は細胞壁を貫通するが、細胞膜を破ることはない。また、ペロトン,の消化段階などを除き細胞内の
菌糸は外部の菌体とつながっている。魚類であるクマノミと、刺胞動物であるイソギンチャクの共生関係は有名である。イソギンチャクの
触手には、異物に触れると毒針を発射する「刺胞」という細胞が無数にあり、これで魚などを麻痺させて捕食している。ところがクマノミ
の体表には特殊な粘液が分泌され、イソギンチャク,の刺胞は反応しない。このためクマノミは大型イソギンチャク.の周囲を棲みかにして
外敵から身を守ることができる。一方、イソギンチャク.がこの関係から
どの様な利益を得ているかはっきりせず、この関係は片利共生とみられる。

67 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:52:37.89 ID:ebzMMhx0.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

68 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 05:53:47.42 ID:ebzMMhx0.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

69 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:03:07.68 ID:vgYN+URa.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。これは遺伝子がそのように振る舞うという意味ではなく、より効率的な行動や
形質を司る(あるいは影響を与える)遺伝子が、自然淘汰によって、そのような行動や形質をもたらさない対立遺伝子より
も数を増していくだろうと言うことである。

70 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:06:01.87 ID:vgYN+URa.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

71 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:06:36.72 ID:vgYN+URa.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした。
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析がなされるようになった。そしてこれまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で縄張りを作るという代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動であることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから真社会性のものが発見された。

72 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:07:31.30 ID:vgYN+URa.net
集団的知)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート
、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、
社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。
Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」
のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、
統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、
適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
集合知には、collective intelligence, collective knowledge, wisdom of crowdsなどの異なる英語が対応する。
経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営−日本企業の知識管理戦略−』(2009)があり
その後、中国語、英語に翻訳されて出版されている。
Howard Bloom
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命が進化の過程で発生した集団的知性の経過を描いた。
Tom Atlee と George Por
一方でTom Atlee と George Por は、「人間」の集団で発生する集団的知性を重視している。
「人間の集団」に効果的な集団的知性を発生させるには、構成員の自発性と分散知能をオープンにすることが必要であるとしている。
Atlee と Por の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織の個々の構成員が発する、
潜在的に有益な意見やアイデアを、「黄金の示唆」として組織全体が積極的に受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。
逆に、集団思考(集団浅慮)が発生する組織というのは、特定の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に
十分耳を傾けないために発生するとしている。
「黄金の示唆」を拾い上げる手段として、様々な投票・アンケートを用い知識の集積を図ることは、
構成員から多くのユニークな観点を集めることができ有用である。ただ、構成員に予備知識のない(専門家でない)場合の投票は、
ある程度無作為に行うほうがよい。事前の討議は合意を形成してしまい、特定の観点を先入観として構成員に与えて
潜在的な「黄金の示唆」の反映を困難にするからである。
これに対する批判として、予備知識のない者の無作為の投票では、組織として悪いアイデアや誤解が支持される可能性もあり、
やはり意識の決定過程では、その問題に関する専門家の意見を重視することが必要であるとも言われている。
集団的知性の他の専門家は、Atlee や Por とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は
集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、
地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard
("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン
(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。

73 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:08:00.45 ID:vgYN+URa.net
集団的知性の概念を最初に提唱したのは昆虫学者 William Morton Wheeler である。彼は個体同士が密接に協力しあって全体として
ひとつの生命体のように振舞う様子を観測した。1911年、Wheeler はこれを蟻の観察で発見した。
彼はコロニーによって形成される生命体を「超個体」と呼んだ。
集団的知性の先行概念としては、ウラジミール・ベルナドスキー の「叡智圏(ノウアスフィア)」やH・G・ウェルズの
「世界頭脳(world brain)」があるが、その後も ピエール・レヴィの著作、Howard Bloom の Global Brain、Howard Rheingold の
Smart Mobs、Robert David Steele Vivas の The New Craft of Intelligence などで言及されてきた。The New Craft of Intelligence では、
全市民を「知性召集兵(intelligence minutemen)」として正当で倫理的な唯一の情報源とし、それによって公僕や企業経営者を正す
「公的知性(public intelligence)」が生み出され、さらに「国家的知性(national intelligence)」となるとした。
1986年、Howard Bloom は、アポトーシス、コネクショニズム、集団選択、超個体といった概念を統合して集団的知性に関する理論を生み出した
後に彼は細菌コロニーや人間の競争社会のような集団的知性をコンピュータ上に生成した「複合適応システム」と
「遺伝的アルゴリズム」で説明できることを示した。[3]
David Skrbina [5] は、「集団心(group mind)」の概念はプラトンの汎心論(精神や意識は遍在し、あらゆるものに存在している)
から導き出されるとした。彼は「集団心」の概念をホッブズのリヴァイアサンやフェヒナーの集団心理に関する主張に基づいて展開した。
彼は集団心理に関して最も重要な人物としてデュルケームやテイヤールを挙げた。
集団的知性は創始者の指針の増幅である。トーマス・ジェファーソンは「国家の最大の防御は、教育された市民である」と述べている。
工業化時代、学校と企業はエリートを一般市民から選別する方向に向かった。政府も民間組織も官僚制を美化し、知識を秘匿することを良しとした。
最近の20年間で、知識の秘匿が公共の利益に反する利己的な決断を生むことが明らかとなってきた。集団的知性は人々の力を社会に還元し、
富の集中を生む情報処理の既得権を無効にする。
集団的知性の好例は政党である。政治的方針を形成するために多数の人々を集め、候補者を選別し、選挙活動に資金提供する。
その根本とは、「法律」や「顧客」による制限がなくても任意の状況に適切に対応する能力を有することである。
この観点の信奉者の1人としてアル・ゴアが挙げられる。彼は2000年の民主党の大統領候補であり、「米国憲法は、我々が個人ではできないことを
集団でなさしめるプログラムである」と述べた。
緑の党の4つの柱(エコロジー、社会正義、草の根民主主義、非暴力)もそのような「プログラム」の例である。これは緑の党や関連する組織での
合意形成の基本となっている。特にグローバルグリーンズを組織するにあたって、この4つの柱が有効に働いた。
軍隊、労働組合、企業もより特定の目的に特化しているが、集団的知性の本質の一部を備えている。
特に人工知能方面で「集団的知能指数」(あるいは「協力指数」)が測定の尺度として使われる。これは個人の知能指数(IQ)のように測定でき、
集団に新たに個人が参加することによって知性が増すことを数値で示し、集団思考や集団での愚かさの危険を防ぐのに使われる。
2001年、ポーランド AGH 大学の Tadeusz (Ted) Szuba は集団的知性現象の形式モデルを提案した。それは、無意識的で、ランダムで、
並行的で分散化された計算プロセスであり、社会構造によって数学的論理を実行するものである。
このモデルでは、個人と情報は、数学的論理の式を運ぶ抽象情報モジュールとしてモデル化される。それらは、自らの意図と環境との相互作用に従って
準無作為的に配置を変える。抽象計算空間でのそれらの相互作用はマルチスレッド化された推論プロセスを生成し、それが集団的知性として観測される
つまり、そこでは非チューリング的計算モデルが使われている。この理論では集団的知性に社会構造の属性としての単純な形式的定義を与え
細菌コロニーから人類の社会構造まで様々な面をうまく説明できる。集団的知性を特殊な計算プロセスと捉えることで、
いくつかの社会現象も説明できる。

74 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:08:25.22 ID:vgYN+URa.net
クラウドファンディングは防災や市民ジャーナリズム、ファンによるアーティストの支援、政治運動、
ベンチャー企業への出資 映画、
フリーソフトウェアの開発、発明品の開発、科学研究、個人・事業会社・プロジェクトへの貸付など、
幅広い分野への出資に活用されている。
クラウドファンディングは多くの投資家から株式を募集することによる企業の資金調達の手法としても注目されている。
この形のクラウドファンディングは、JOBS Act(英語版)
(より少ない制限のもと小規模な投資家から広く出資を募ることを可能にする法案)
に直接的な言及があるように、最近アメリカ合衆国の政策立案者から注目された。JOBS Actは実施を待っているが、
en:Mosaic Inc.などの混合モデルは、認可状態にある一般市民に群衆の一部として
クリーンエネルギーのプロジェクトに直接投資する資格を与える既存の証券法を利用している。
クラウドファンディングは、クラウドソーシングのコンセプト(個人が多くの人々からわずかな寄与を集め、
利用することで目標に到達するという大雑把なコンセプト)にその原点がある。クラウドファンディングは、
特定のプロジェクトまたはベンチャーの資金調達をするために、
多くの人々から少額の寄付を通して出資を集めるというこのコンセプトの応用である
クラウドファンディングのモデルは必然的に多様な関係者を伴う。
その中には出資されるアイディアやプロジェクトを提案する人々や組織、
その提案を支持する「群衆」も含まれる。
なお、クラウドファンディングはプロジェクトの首唱者と「群衆」を引き合わせる組織(「プラットフォーム」)によって成り立っている。
一般に製品開発やイベントの開催には多額の資金が必要となるが、
クラウドファンディングでは、インターネットを通じて不特定多数の人々に比較的少額の資金提供を呼びかけ、
一定額が集まった時点でプロジェクトを実行することで、資金調達のリスクを低減することが可能になる。
ソーシャルメディアの発展によって個人でのプロジェクトの立ち上げや告知が容易になり、
それに呼応する形でクラウドファンディングによる資金調達が活発になりつつある。米国ではKickstarterが有名。
国内では、あらゆる分野のプロジェクトを扱うREADYFORや、ものづくりに特化したMakuake、
アートなどの分野に特化したCampfire、など、サービスの多様化が見られる。
スポーツ分野に特化したスポーツファンディングは、不特定多数からの資金調達以外に、
企業マッチングやメディアマッチングやセカンドキャリア対策まで幅広い形のサポートを指す形に進化している。
日本での状況
日本では、第2次安倍内閣で策定された政策に沿って、
リスクマネーの供給強化の手段の一つとしてクラウドファンディングを活用する施策が掲げられており、
規制を緩和する金融商品取引法等の改正案が2014年(平成26年)5月23日に国会で可決成立した
自主規制機関の状況
クラウドファンディング業務に対する自主規制は以下の通り。
・株式型は日本証券業協会(株式投資型クラウドファンディング業務に関する規則)
・ファンド型は第二種金融商品取引業協会(電子申込型電子募集取扱業等に関する規則)
・購入型・寄付型・融資型無し(2016年7月末現在)
種類
クラウドファンディングは資金提供者に対するリターン(見返り)の形態によって下記の3類型に大別される
金銭的リターンのない「寄付型」
金銭リターンが伴う「投資型」
プロジェクトが提供する何らかの権利や物品を購入することで支援を行う「購入型」
日本においては資金決済に関する法律や金融商品取引法等によって個人間の送金や投資が制限されていることから
、購入型のクラウドファンディングの企業数が最も多く認知度が高い。
その一方で個人から少額の資金を募り融資を行う投資型(ソーシャルレンディングとも言われる)は企業数は少ないが
(日本では金融商品取引法の第2種金融商品取引業の登録が必要、金銭のリターンを求める投資家の需要を取り込み、
国内では既に300億円以上の融資実績がある。
なお、東洋経済新報社では投資型のクラウドファンディングを
融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している

75 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:08:51.75 ID:vgYN+URa.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

76 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:09:14.53 ID:vgYN+URa.net
日本でサービスが始まった当初は「ソーシャルレンディング」というサービス名が一般的であったが、
クラウドファンディングという言葉が日本で広まるにつれ、その一分野である「投資型クラウドファンディング
」という呼び名も使われるようになっている。
ここでは、主に貸金業法の金銭消費貸借契約を伴うものについて記載し、併せて株式投資型についても触れる。
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPAが開始した
その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大させている。
上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、
ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending Clubgaがオークション型である。
国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)がマーケット型として
サービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止状態を強いられている。
その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、
もしくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。
これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファンド型とも言われている。
長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まるのに連れて、
匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、
2015年にはトラストファイナンスが参入して市場に活気が出てきている。
2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たにサービスの立ち上げが予定されている。
日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介で業として行うものに該当し、
貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介を行うことから、
匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる
類型
マーケット型
サービスの運営会社が審査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、
どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する。格付けを得るために、
融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、
運営会社は送られてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。
貸す側は希望するリスクリターンに見合った格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。
運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあった借入をマッチングさせる。
この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利がタイムリーに変動し、
あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金利設定に影響するので、
金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。
オークション型
融資を希望する側は借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,
貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、
通常、一番安い利率でビッドした貸し手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。
貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラウンド等を考慮して利率を入札するが、
その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率に左右されないので、
優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、
貸し手が高い利息を受け取れる可能性もある。
この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。
貸付型・ファンド型
サービスの運営会社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する
貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決定する。
融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、
また場合によっては保証人を立てること、担保の提出を行う。
運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を提出する。
日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。

77 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:09:46.83 ID:vgYN+URa.net
なお、国内の投資型クラウドファンディング事業者について、
貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、
同法に基づかず国内・海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(
株式投資型、狭義の投資型[2])と呼ぶ分け方が提唱されているが、一般に根付いているとは言いがたい。
なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している
市場規模
2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレンディングは拡大傾向にあり、
金融業界でその地歩を固めつつある。ソーシャルレンディングの総融資残高は、
2005年1億1800万ドル、2006年2億6900万ドル、2007年には6億4700万ドルにものぼり、
2010年においては総額58億ドル規模になると予想されている
また「2015CF Crowdfunding Industry Report」においては
クラウドファンディングのうち貸付型と株式型は以下の数値が報告されている。
2012年 貸付型 11億9000万ドル、株式型 1億1800万ドル 2013年 貸付型 34億4000万ドル、
株式型 3億9500万ドル 2014年 貸付型 110億8000万ドル、株式型 11億1000万ドル
リスク管理と可能性
個人間ではあっても金銭の貸し借りである以上、貸し倒れのリスクがある。
返済の遅延や回収不能等のトラブルが生じた場合、運営会社が督促・回収、保険等の法的手続きを行う。
運営会社の審査や格付けと行った仕組みの精度が高さにより、延滞などの取引に係るリスクが軽減される。
ソーシャルレンディングは、従来の物流革命と同様にウェブを使って金融流通を効率化し、
商品の提供者と受益者を直接結びつけてコストメリットを生み出す考え方を採用している
個人融資のハードルの高い銀行と、借り入れしやすくとも高金利でネガティブなイメージがある消費者金融の、
それぞれの利点を併せ持ち、従来の銀行と消費者金融の中間に位置するものとして、
新しい金融ビジネスの可能性を秘めている。
ただ、諸外国のソーシャルレンディングのビジネスモデルをそのまま日本に持ち込むのは、
法的な面から難しいとの指摘もある
税務上の取り扱い
Justice and law.svg この節は特に記述がない限り、日本国内の法令について解説しています。
また最新の法令改正を反映していない場合があります。
ご自身が現実に遭遇した事件については法律関連の専門家にご相談ください。
免責事項もお読みください。
匿名組合契約に基づき営業者から受け取る利益は、個人の場合は雑所得となり
(所得税基本通達36・37共-21)、一般的な投資(株式投資・投資信託)の場合の譲渡所得と比較して投資家負担が重くなる

78 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:10:14.77 ID:vgYN+URa.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて
クラウドソーシングの異なる定義を与えている。

79 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:10:44.38 ID:vgYN+URa.net
労働者派遣業を行う業者は、第1次オイルショック後の1975年頃から急速に増えた。
これに対応し、1985年6月に、派遣労働者の保護を目的とした
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法、以下、
「派遣法」と略す)が成立し、翌1986年7月に施行された[2]。2012年(平成24年)の改正により、
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」へ題名改正された。
厚生労働大臣は、労働者派遣事業に係る派遣法の規定の運用に当たっては、労働者の職業生活の全期間にわたるその能力の有効な発揮及びその
雇用の安定に資すると認められる雇用慣行並びに派遣就業は臨時的かつ一時的なものであることを原則とするとの考え方を考慮するとともに、
労働者派遣事業による労働力の需給の調整が職業安定法に定める他の労働力の需給の調整に関する制度に基づくものとの調和の下に
行われるように配慮しなければならない(派遣法第25条)。
派遣元に常時雇用される労働者(自社の正社員等の正規雇用社員・常用型派遣)を他社に派遣する形態。
届出制(派遣法16条、いわゆる「16条派遣」)。
一般労働者派遣の業者に比べると、派遣先として対応する企業・職種の幅は狭いが、
特定の事業所に対し技術者(主にコンピュータ・IT・エレクトロニクス・機械系の設計関連)などを派
遣するような業者(主にアウトソーシング業者と呼ばれる)が多い。
平成27年の法改正により16条が削除され、すべての労働者派遣事業が許可制の労働者派遣事業に一本化された。
なお経過措置により平成27年9月30日時点で特定労働者派遣事業を営んでいる事業者は、
引き続き平成30年9月29日まで特定労働者派遣事業を営むことができる。平成27年9月30日以降は、新規の届出は受理されず、
それまでに事業所を開設していても新設に係る変更届は受理されない
派遣元に常時雇用されない労働者(自社の契約社員等の非正規雇用社員・登録型派遣)を他社に派遣する形態。
厚生労働大臣による許可制。臨時・日雇い派遣もこれに該当する。なお、一般労働者派遣事業の許可を得れば、
前項の特定労働者派遣事業も可能である。
平成27年改正により常時雇用の有無を問わず許可制に一本化された。なお、改正前に一般労働者派遣事業を営んでいる場合は、
その許可のままで引き続き労働者派遣事業を営むことができる。
一般的に「派遣会社」といえば、この形態の事業者が広く知られている。
平成27年改正後の労働者派遣事業は、許可を受けるためには以下の要件をすべて満たすことが必要となる。許可の有効期間は新規3年、
更新後は5年となる。
専ら労働者派遣の役務を特定の者に提供することを目的として行われるものでないこと
派遣労働者に係る雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものとして次に掲げる基準に適合するものであること
派遣労働者のキャリア形成支援制度を有すること
教育訓練等の情報を管理した資料を労働契約終了後3年間は保存していること
無期雇用派遣労働者を労働者派遣契約の終了のみを理由として解雇できる旨の規定がないこと。また、有期雇用派遣労働者についても
、労働者派遣契約の終了時に労働契約が存続している派遣労働者については、労働者派遣契約の終了のみを理由として
解雇できる旨の規定がないこと
労働契約期間内に労働者派遣契約が終了した派遣労働者について、次の派遣先を見つけられない等、
使用者の責めに帰すべき事由により休業させた場合には、休業手当(労働基準法第26条)を支払う旨の規定があること
派遣労働者に対して、安全衛生教育(労働安全衛生法第59条)の実施体制を整備していること
雇用安定措置の義務を免れることを目的とした行為を行っており、都道府県労働局から指導され、
それを是正していない者でないこと
個人情報を適正に管理し、派遣労働者等の秘密を守るために必要な措置が講じられていること
事業を的確に遂行するに足りる能力を有するものであること
事業所の面積がおおむね20平方メートル以上であること
資産の総額から負債の総額を控除した額(基準資産額)が「2,000万円×事業所数」以上、
現預金額が「1,500万円×事業所数」以上であること
1つの事業所のみを有し、常時雇用するしている派遣労働者が10人以下である中小企業事業主については、
当分の間、基準資産額1,000万円・現預金額800万円、5人以下である中小企業事業主については、平成30年9月29日までの間、
基準資産額500万円・現預金額400万円とする
紹介予定派遣

80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:11:11.14 ID:vgYN+URa.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

81 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:11:38.48 ID:vgYN+URa.net
集団的知)は、多くの個人の協力と競争の中から、その集団自体に知能、精神が存在するかのように見える知性である。
Peter Russell(1983年)、Tom Atlee(1993年)、Howard Bloom(1995年)、Francis Heylighen(1995年)、ダグラス・エンゲルバート
、Cliff Joslyn、Ron Dembo、Gottfried Mayer-Kress(2003年)らが理論を構築した。
集団的知性は、細菌、動物、人間、コンピュータなど様々な集団の、意思決定の過程で発生する。集団的知性の研究は、
社会学、計算機科学、集団行動の研究[1]などに属する。
Tom Atlee らは、Howard Bloom が「グループIQ」と呼んだものから一歩進み、人間の集団的知性に研究の焦点をあてている。
Atlee は集団的知性を「集団思考(集団浅慮)や個人の認知バイアスに打ち勝って集団が協調し、より高い知的能力を発揮するため」
のものと主張している。
集団的知性研究のパイオニアである George Por は、集団的知性現象を「協調と革新を通してより高次の複雑な思考、問題解決、
統合を勝ち取りえる、人類コミュニティの能力」と定義している[2]。Tom Atlee と George Por は「集団的知性は、関心をひとつに集中し、
適切な行動を選択するための基準を形成する能力がある」と述べている。彼らのアプローチは Scientific Community Metaphor を起源としている。
集合知には、collective intelligence, collective knowledge, wisdom of crowdsなどの異なる英語が対応する。
経営学の一分野である知識管理論からのアプローチには、洞口治夫(Horaguchi Haruo)『集合知の経営−日本企業の知識管理戦略−』(2009)があり
その後、中国語、英語に翻訳されて出版されている。
Howard Bloom
Howard Bloom は、35億年前の祖先である細菌の時代から現代まで、生命が進化の過程で発生した集団的知性の経過を描いた。
Tom Atlee と George Por
一方でTom Atlee と George Por は、「人間」の集団で発生する集団的知性を重視している。
「人間の集団」に効果的な集団的知性を発生させるには、構成員の自発性と分散知能をオープンにすることが必要であるとしている。
Atlee と Por の観点からすれば、集団的知性の力を最大限に発揮できるかどうかは、その組織の個々の構成員が発する、
潜在的に有益な意見やアイデアを、「黄金の示唆」として組織全体が積極的に受け入れる能力を持っているかどうかにかかっている。
逆に、集団思考(集団浅慮)が発生する組織というのは、特定の個人の意見しか取り入れなかったり、黄金の示唆となるべき意見に
十分耳を傾けないために発生するとしている。
「黄金の示唆」を拾い上げる手段として、様々な投票・アンケートを用い知識の集積を図ることは、
構成員から多くのユニークな観点を集めることができ有用である。ただ、構成員に予備知識のない(専門家でない)場合の投票は、
ある程度無作為に行うほうがよい。事前の討議は合意を形成してしまい、特定の観点を先入観として構成員に与えて
潜在的な「黄金の示唆」の反映を困難にするからである。
これに対する批判として、予備知識のない者の無作為の投票では、組織として悪いアイデアや誤解が支持される可能性もあり、
やはり意識の決定過程では、その問題に関する専門家の意見を重視することが必要であるとも言われている。
集団的知性の他の専門家は、Atlee や Por とは違った見方をしている。Francis Heylighen、Valerie Turchin、Gottfried Mayer-Kress は
集団的知性を計算機科学とサイバネティックスの方向から論じている。Howard Bloom は生物学的観点を強調し、
地球上のあらゆる生物が「学習マシン」の一部であるとした。Peter Russell、Elisabet Sahtouris、Barbara Marx Hubbard
("conscious evolution" という用語の発明者)は、叡智圏(ノウアスフィア)のビジョン
(すなわち、地上の情報層ともいうべき部分で急速に発展する集団的知性)に触発された。

82 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:12:03.71 ID:vgYN+URa.net
元々、生物学の中では、共生は種間関係の中でも特殊なものと考えられがちであった。これには、近代科学の発達の場となったヨーロッパでは
トマス・ホッブズ,の「万人の万人に対する闘争」という有名なフレーズが端的に示すように、社会的自然状態を競争と捉えることが受け入れら
れやすい思想背景があったことが影響しているかもしれない。日本でも1980年代までの生態学者の書いた教科書では、影響しあう2種の生物の
種間関係を、捕食-被食関係、競争関係、共生関係、寄生関係の4つのパターンに分類し、これらのうち、あくまでも主流とみなすべきは
捕食被食関係と競争関係であり、共生や寄生は例外的なものとして重視するべきではないと書かれたものもあった。
しかし、その後理解が進むにつれて共生が普遍的な現象であり、生態系を形成する基本的で重要な種間関係の一つであることが認識されてき。
また、かつては共生と寄生は別の現象とみなされたが、関係する生物相互のバランスによって双方が利益を得る状態(相利共生)から片方が
利益を得てもう片方が被害を受ける状態(寄生)まで連続して移行しうる例が多く検出され、互いにはっきりと分離できないことがわかってき
そのため現在では、共生という種間関係は相利共生や寄生といった関係をすべて含む上位概念として捉えられている。
複数種の外見上独立した個体がなす共生より密接な関係として、構造上一体化して単一の生物としか見えない共生(地衣類やサンゴなど)や、
さらに進んで細胞内に共生者を受け入れているもの(細胞内共生細菌など)もある。しかしそのような例は特別なものではなく、むしろヒトを
含む真核生物の細胞の基本構造は共生に起源を持つものであると考えられるようになった。これが真核細胞の起源に関する細胞内共生説である。
リン・マーギュリス(Lynn Margulis,1938年‐2011年)は、真核生物の細胞内にあるミトコンドリアや葉緑体は、細胞内共生細菌が起源で
あるという説を提唱した。これらの細胞小器官は独自のDNAを持つことなどから、1970年代以降この説の基本的な考え方は広く受け入れられる
ようになり、むしろ細胞内共生は当初マーギュリスが想定したより遙かに一般的な現象で,あることが明らかになった。次項参照のこと。
後述するアブラムシとブフネラ(共生細菌)の例では、細菌はアブラムシの細胞内に生息しており、こういった共生形態を(真核細胞の起源
とは別に単純に文字通りの意味で)細胞内共生と呼ぶ。逆に細胞外に作られた構造体(粘液性物質や糖鎖などで作られる)中で共生する形態
を細胞外共生と呼ぶ。細胞内共生微生物には単独では培養不能なものが多く、遺伝子の一部が宿主ゲノムに移行していることも多い。
宿主と共生微生物とが出会い、共生関係になる過程を伝播と呼ぶ。卵などを通じて親から共生関係を受け継ぐ場合を垂直伝播、環境を介して
受け継ぐ場合を水平伝播といい、共生の形態を理解する上で重要な事項である。多くの昆虫に細胞内共生する細菌であるボルバキアは垂直伝播
を行うが、宿主昆虫の性を操作することで,自らの伝播をコントロールすることが知られている。
植物にうどんこ病を起こすウドンコ菌は、植物病原菌としては例外的に真の寄生者であり、宿主植物の生きた細胞内に吸器を差し入れて
養分摂取を行う。
アーバスキュラー菌根菌は多くの植物と相利共生を営むが、宿主の細胞内に菌糸を侵入させて樹枝状体を形成して物質交換を行う。
ラン科植物には栄養的にラン菌根菌に多少なりとも寄生するが、根の皮層細胞内に菌を侵入させてペロトンという構造を形成する。これらの
例ではいずれも細胞内に侵入する菌糸は細胞壁を貫通するが、細胞膜を破ることはない。また、ペロトン,の消化段階などを除き細胞内の
菌糸は外部の菌体とつながっている。魚類であるクマノミと、刺胞動物であるイソギンチャクの共生関係は有名である。イソギンチャクの
触手には、異物に触れると毒針を発射する「刺胞」という細胞が無数にあり、これで魚などを麻痺させて捕食している。ところがクマノミ
の体表には特殊な粘液が分泌され、イソギンチャク,の刺胞は反応しない。このためクマノミは大型イソギンチャク.の周囲を棲みかにして
外敵から身を守ることができる。一方、イソギンチャク.がこの関係から
どの様な利益を得ているかはっきりせず、この関係は片利共生とみられる。

83 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:12:29.34 ID:vgYN+URa.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:13:44.17 ID:vgYN+URa.net
不特定多数の人の寄与を募り、必要とするサービス、アイデア、またはコンテンツを取得するプロセスである。
このプロセスは多くの場合細分化された面倒な作業の遂行や、
スタートアップ企業・チャリティの資金調達のために使われる。
クラウドソーシングは群衆(crowd)と業務委託(sourcing)を組み合わせた造語で、
特定の人々に作業を委託するアウトソーシングと対比される。
クラウドソーシングは狭義では不特定多数の人に業務を委託するという新しい雇用形態を指す。
広義では、必ずしも雇用関係を必要とせず、不特定多数の人間により共同で進められるプロジェクト全般を指す場合もあり、
その場合オープンストリートマップ(OSM)やreCAPTCHAなどが代表例として挙げられる。
従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。
しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人に
そのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、
クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、
事業成果を得ることを目的にしている。
たとえば、P&Gは商品開発に、ボーイングは機体組み立てに、
商業PBWは文章・イラスト・音声・音楽にそのような手法を取り入れている。
概念自体は目新しいものではなく、主にPCとインターネットを使用する事により
従来からある内職の発展形態の一種であるともいえ、類似概念としてのデジタル内職ともいえる。
定義
2005年にen:WIRED Magazineの編集者であるジェフ·ハウ(Jeff Howe)とマーク·ロビンソン(Mark Robinson)が、
企業が個人に仕事を外注するためにインターネットをどのように使っているかについての
議論の末に用語「クラウドソーシング」を生み出した
ハウとロビンソンは「群衆(crowd)にアウトソーシング(outsourcing)」するようなことが
起こっているのだという結論に達し、それが「クラウドソーシング」という造語に繋がった。
ハウはまず2006年6月のWIRED誌の記事、「クラウドソーシングの台頭(The Rise of Crowdsourcing)」に
付随するブログ記事で「クラウドソーシング」の定義を発表した(そして数日後に出版された)
「単純に定義すると、クラウドソーシングは、かつて従業員によって実行されていた機能を、
公募するような形で不特定(かつ一般的には大規模な)人々のネットワークにアウトソーシングする
企業や機関の行為のことを指す。これは、集団労働(作業が協調的に取り組まれる場合)の形を
取ることができるが、しばしば、単独の個人によっても行われる。重要な前提条件は、
公募形式と潜在的な労働者の大規模なネットワークを使用することである。」
ダレンC.ブラバム(Daren C. Brabham)は2008年2月1日の記事で
「クラウドソーシング」を「オンライン分散型問題解決と生産モデル」と定義した
クラウドソーシングでは、問題が公募の形で群衆に割り当てられる。群衆が成果物を提出すると
、その成果物は依頼主に帰属することになる。
成果物を提出した労働者に金銭的な報酬が渡されることもある。
他方、名声や知的満足感だけが報酬となることもある。クラウドソーシングは、
自分の空き時間で作業するアマチュアやボランティアか、
依頼主に知られていなかった専門家や小規模企業から成果物を生み出し得る
クラウドソーシングの依頼主は主にクラウドソーシングがもたらす恩恵によって動機づけられている。
その恩恵の一つは、成果物や情報を比較的安価に大量に収集する能力である。
一方労働者は、社会的接触、知的な刺激、そして時間つぶしなどの内因動機や金銭的な利益などの
外因性の動機によってクラウドソーシングされたタスクに貢献することを動機づけられている。
「クラウドソーシング」という用語は境界が曖昧なために、多くの共同作業は、
実際はそうでない場合でも、クラウドソーシングと考えられている。
このような状況は科学文献での定義の拡散を生んでおり
様々な著者が用語が指す全体像を失って自分の専門分野に応じて

85 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:14:12.67 ID:vgYN+URa.net
投資型は、匿名組合による出資行為が、金融商品取引法の規制対象である有価証券の一種
「集団投資スキーム持分」に該当するため、
前述のように、金商法の第2種金融商品取引業の登録が必要となり、金商法の監督を受ける。
匿名組合出資は会計上の負債に計上されるが、一定の条件下で金融機関から資本性借入金と評価される
寄付型・購入型は金商法の規制は受けないが、寄付型は法人については一定金額までしか損金に算入されず、
個人については控除が一切受けられない税制上の問題がある。
購入型は主に一般消費者が資金の提供者となることから、瑕疵担保責任が生じるほか、
特定商取引法や景品表示法など消費者関係法の規制対象となり、提供される商品の対価によっては。
寄付型と同様の税制上の問題を生じる
初期の、クラウドファンディングのひな形の前身は17世紀において、書籍の印刷代を募るために使われた寄付ビジネスモデルだった
寄付者へのおまけが標題紙で触れるようなことだった点で、クラウドファンディングに類似している。
1884年、自由の女神像製作委員会アメリカが像の台座用の資金を切らしてしまった。
新聞出版者のジョーゼフ・ピューリツァーは自身の新聞ニューヨーク・ワールドで、アメリカの大衆に台座にお金を寄付するよう促した。
ピューリツァーは6ヶ月で10万ドルを集めた。おおよそ125,000人の人々がこのために1ドル以下の寄付を多く行った
1997年、イギリスのロックグループマリリオンのファンが全米ツアーを引き受け、
ファン主催のインターネット上キャンペーンという手段による寄付で6万ドルを集めた
このアイディアはこのバンドが一切かかわらずにファンが立案し、ファンが実行したのだが、
マリリオンは以来、2001年から現在に至るまでのアルバムのレコーディングやマーケティングへの出資の方法としてこの手法を用い
、大成功している。en:AnoraknophobiaやMarbles、en:Happiness Is the Road
アメリカ合衆国に本社を置く企業のen:ArtistShare(2000/2001)は
音楽のための最初のクラウドファンディングサイトとされており、
後にen:Pledgie(2006)、en:Sellaband(2006)、en:IndieGoGo(2008)、Kickstarter(2009)、
en:Appsplit(2010)、en:Microventures(2010)などのサイトが続いた
ロックバンド・Electric Eel Shockはクラウドファンディングを十分に取り入れ、
前もって重要なレコーディングの取引をかわさない最初のバンドの一つとなった。
2004年に未契約バンドとして、100人のファン(サムライ100)から1万ポンドを集め、
代わりに彼らに終身ゲストリストを提供した
二年後、彼らはSellaBanndで5万バジェットを集めた最速のバンドになった。
彼らは生まれ故郷の日本でUniversalに国際的にこのアルバムの使用許可を出した。
映画産業において、フリーライター/ディレクターのen:Mark Tapio Kinesは
1997年に当時未完成だった初作「Foreign Correspondents」のウェブサイトを立ち上げた。
1997年初め前後に、彼は最低25人のファンからインターネット経由で125,000ドル以上を受け取り、
彼に映画を完成させるための資金を提供した
後にen:Franny Armstrongが彼女の長編映画en:Age of Stupidのための寄付システムを作った
2004年から2009年(封切日)までの5年間で彼女は150万ポンドを集めた
2004年12月に、フランスの事業家や製作者のBenjamin PommeraudとGuillaume Colbocが
自分たちの短編SF映画「Demain la Veille (明日を待つ)」の資金繰りのため
大衆向けインターネット寄付キャンペーンを開始した。
3週間以内に彼らは5万ドルを集め、映画を撮ることができた。
en:Morton ValenceはSellabandのようなサードパーティーのウェブサイトを使用せずに
独立してクラウドファンディングを始めた比較的無名なバンドの早期の一例である
クラウドファンディングへの最も早い言及例として知られているのは2006年8月12日に
fundavlogでMichael Sullivanが著したものであると思われて来たが、
実際は2001年に日本で既に特許出願されていたのが最初である。
日本で発明されたクラウドファンディングに関わる特許は、
株式会社 キーソフトが2001年に特許出願し(特願2001-25054)2011年に成立した(特許第4875242号)。
特許自体は農業、工業、サービスなどあらゆる分野に渡るものだが、
この仕組みに従って農業に応用したものを2004年に農水省の補助金も取得、システムも2004年に完成した。
その後、上記特許に基づいて2011年に株式会社NAVICOが東日本大震災をきっかけにこれを農業分野で実現、
いくつかの新聞やテレビなどが取り上げ報道した。

86 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:14:37.73 ID:vgYN+URa.net
労働者派遣の内、派遣先企業での直接雇用を前提とする形態。
一定期間派遣社員として勤務し、期間内に派遣先企業と派遣社員が合意すれば、派遣先企業で直接雇用される。
ただし必ずしも正社員になれるとは限らない。前提になっているのはあくまで「直接雇用」なので、
契約社員やアルバイトも含まれる。派遣事業者は労働者派遣事業と職業紹介事業の双方の許可が必要。派遣期間は6ヶ月以内。
派遣先(仕事)の有無に拘らず、常に派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約が結ばれている状態の派遣[5]。正社員派遣、定常型派遣ともいう。
なお、いわゆる契約社員は有期直接雇用であり、正社員(無期直接雇用の被雇用者。
つまり常時雇用される労働者)には当たらないため、常用型派遣され得ない。次節の登録型派遣を参照。
登録型派遣(非正規雇用)[編集]
派遣先(仕事)が存在するときのみに、派遣労働者と派遣業者との間に雇用契約の関係が生じる状態の派遣。
日雇い派遣
登録型派遣のうち、雇用契約の関係が生じる期間が30日以内のものを特に「日雇い派遣」と呼ぶ。
日雇い派遣で働く人はワンコールワーカーとも呼ばれる。2012年の法改正により、一部の例外を除き原則禁止となった。日雇い#日雇い派遣も参照
日本における業務請負契約との相違
「アウトソーシング」および「業務請負」も参照
派遣法によって労働者派遣契約は従来の業務請負契約と明確に区別されることになったという。
業務請負では、請負労働者は自身が雇用関係を結ぶ企業(=請負業者)と注文主の企業との間で締結した請負契約にもとづいて労働を提供する。
そのため、労働者の指揮命令権は注文主の企業ではなく、あくまでも請負業者にあると定義されている[3]。
一方、労働者派遣では、派遣業者と派遣先の企業が派遣契約を結び、派遣業者と派遣労働者が雇用関係を結び、
派遣先の企業と派遣労働者が使用関係を結ぶ、言うなれば三角形の関係にある[3]。そのため、労働者の指揮命令権は派遣先の企業に認められている
建設業、警備、港湾運送業に労働者を派遣することはできない(派遣法第4条、特に警備はそれ自体が派遣同等になる)。
医療については、紹介予定派遣、産前産後休業・育児休業・介護休業をする労働者の代替要員、
僻地および社会福祉施設への派遣を除いて禁止(2006年3月改正、派遣法施行令第2条)
再派遣の禁止
派遣労働者を派遣先からさらに派遣させること(二重派遣)はできない。(派遣法第24条の2)
特定派遣先のみの派遣(専ら派遣、またそのための企業を設立すること)も禁止されている。
事前面接の禁止・差別的取り扱いの禁止
派遣先は、紹介予定派遣である場合を除き、事前面接(顔合わせ・職場見学等も含む)や履歴書・経歴書・スキルシートの
提出など派遣労働者を「特定することを目的とする行為」をしてはならない(派遣法第26条6項)。
派遣先は、派遣労働者の国籍、信条、性別、社会的身分、派遣労働者が労働組合の正当な行為をしたこと等を理由として、
労働者派遣契約を解除してはならない(派遣法第27条)。
派遣元事業主は、労働者派遣事業を行う事業所ごとの当該事業に係る派遣労働者の数、
労働者派遣の役務の提供を受けた者の数、マージン率、教育訓練に関する事項、その他関係者に対して知らせることが適当であるとして
厚生労働省令で定める事項に関し情報の提供を行わなければならない。
雇入時、派遣開始時、派遣料金額の変更時には、派遣労働者の
「労働者派遣に関する料金額(派遣料金)」を当該労働者に明示しなければならない(派遣法第34条の2)。
マージン率=(派遣先が派遣元に支払う料金の平均額-派遣労働者の賃金の平均額)/派遣料金の平均額
グループ企業派遣の8割規制
派遣会社と同じグループ企業への派遣は、その労働者の年間総労働時間の8割以下に留めなければならない(2012年改正、派遣法第23条の2
離職した労働者についての派遣受入れの禁止
派遣先は、自社で直接雇用した労働者が離職した際、その労働者(60歳以上の定年で退職した者で派遣元に雇用されていた者を除く)
の離職後一年間は、その労働者を派遣として受け入れることができない(2012年改正、派遣法第40条の9)。
派遣先は、派遣労働者がこの規定に抵触する場合、速やかにその旨を派遣元に書面で通知しなければならない
派遣元責任者の選任
派遣元は、派遣就業に関し、所定の事項を担当させるために当該事業所に専属の派遣元責任者を選任しなければならない(派遣法第36条)

87 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:15:18.26 ID:vgYN+URa.net
労働者派遣業を行う業者は、第1次オイルショック後の1975年頃から急速に増えた。
これに対応し、1985年6月に、派遣労働者の保護を目的とした
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の就業条件の整備等に関する法律」(労働者派遣法、以下、
「派遣法」と略す)が成立し、翌1986年7月に施行された[2]。2012年(平成24年)の改正により、
「労働者派遣事業の適正な運営の確保及び派遣労働者の保護等に関する法律」へ題名改正された。
厚生労働大臣は、労働者派遣事業に係る派遣法の規定の運用に当たっては、労働者の職業生活の全期間にわたるその能力の有効な発揮及びその
雇用の安定に資すると認められる雇用慣行並びに派遣就業は臨時的かつ一時的なものであることを原則とするとの考え方を考慮するとともに、
労働者派遣事業による労働力の需給の調整が職業安定法に定める他の労働力の需給の調整に関する制度に基づくものとの調和の下に
行われるように配慮しなければならない(派遣法第25条)。
派遣元に常時雇用される労働者(自社の正社員等の正規雇用社員・常用型派遣)を他社に派遣する形態。
届出制(派遣法16条、いわゆる「16条派遣」)。
一般労働者派遣の業者に比べると、派遣先として対応する企業・職種の幅は狭いが、
特定の事業所に対し技術者(主にコンピュータ・IT・エレクトロニクス・機械系の設計関連)などを派
遣するような業者(主にアウトソーシング業者と呼ばれる)が多い。
平成27年の法改正により16条が削除され、すべての労働者派遣事業が許可制の労働者派遣事業に一本化された。
なお経過措置により平成27年9月30日時点で特定労働者派遣事業を営んでいる事業者は、
引き続き平成30年9月29日まで特定労働者派遣事業を営むことができる。平成27年9月30日以降は、新規の届出は受理されず、
それまでに事業所を開設していても新設に係る変更届は受理されない
派遣元に常時雇用されない労働者(自社の契約社員等の非正規雇用社員・登録型派遣)を他社に派遣する形態。
厚生労働大臣による許可制。臨時・日雇い派遣もこれに該当する。なお、一般労働者派遣事業の許可を得れば、
前項の特定労働者派遣事業も可能である。
平成27年改正により常時雇用の有無を問わず許可制に一本化された。なお、改正前に一般労働者派遣事業を営んでいる場合は、
その許可のままで引き続き労働者派遣事業を営むことができる。
一般的に「派遣会社」といえば、この形態の事業者が広く知られている。
平成27年改正後の労働者派遣事業は、許可を受けるためには以下の要件をすべて満たすことが必要となる。許可の有効期間は新規3年、
更新後は5年となる。
専ら労働者派遣の役務を特定の者に提供することを目的として行われるものでないこと
派遣労働者に係る雇用管理を適正に行うに足りる能力を有するものとして次に掲げる基準に適合するものであること
派遣労働者のキャリア形成支援制度を有すること
教育訓練等の情報を管理した資料を労働契約終了後3年間は保存していること
無期雇用派遣労働者を労働者派遣契約の終了のみを理由として解雇できる旨の規定がないこと。また、有期雇用派遣労働者についても
、労働者派遣契約の終了時に労働契約が存続している派遣労働者については、労働者派遣契約の終了のみを理由として
解雇できる旨の規定がないこと
労働契約期間内に労働者派遣契約が終了した派遣労働者について、次の派遣先を見つけられない等、
使用者の責めに帰すべき事由により休業させた場合には、休業手当(労働基準法第26条)を支払う旨の規定があること
派遣労働者に対して、安全衛生教育(労働安全衛生法第59条)の実施体制を整備していること
雇用安定措置の義務を免れることを目的とした行為を行っており、都道府県労働局から指導され、
それを是正していない者でないこと
個人情報を適正に管理し、派遣労働者等の秘密を守るために必要な措置が講じられていること
事業を的確に遂行するに足りる能力を有するものであること
事業所の面積がおおむね20平方メートル以上であること
資産の総額から負債の総額を控除した額(基準資産額)が「2,000万円×事業所数」以上、
現預金額が「1,500万円×事業所数」以上であること
1つの事業所のみを有し、常時雇用するしている派遣労働者が10人以下である中小企業事業主については、
当分の間、基準資産額1,000万円・現預金額800万円、5人以下である中小企業事業主については、平成30年9月29日までの間、
基準資産額500万円・現預金額400万円とする
紹介予定派遣

88 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:15:40.67 ID:vgYN+URa.net
インドに生息するハヌマンラングールという猿は、雄が多数の雌からなる群れを維持する。雄は成長すると群れを離れ、や
がて力をつけると、群れをもつ雄と戦う。群れの雄を倒すと、その群れの雌と交尾をすることができるようになる。ところ
がこの群れ雄交代の時に、新しい雄が、群れの雌が育てている子供を殺すことが観察された。 これはあまりにも衝撃的な
行動であることから、当初は発見自体が疑問視されたが、同じようなハレム制を持つライオンでも、同様の行動が観察され
たことと、社会生物学が受容されたことによってようやく認知されるにいたった。雄にとって、乗っ取った直後の群れにい
るのは前の群れ雄の子であって血縁関係はない。しかも、子を育てている限りは雌は発情しないので繁殖できない。ハヌマ
ンラングールにおいて雄が群れ雄の地位を維持できる期間は短いので、前の群れ雄の血を引く子供の独り立ちを気長に待つ
よりも、すみやかに子を殺し、雌の発情を促す行為の方が適応的である。アメリカヒレアシシギのような性役割の逆転した
生物ではメスも子殺しをする。
1971年にロバート・トリヴァースは血縁関係の無い個体間でどのようなときに利他的行動が進化するかを論じた。後にゲー
ム理論が適用され洗練された。ロバート・アクセルロッドやマーティン・ノヴァクにより政治学にも応用されている。
ロバート・トリヴァースは親の子育て行動を経済学の投資、利益、コストという概念を用いて説明できることを示した。親
は自分の持つ有限資源(寿命、エサなど)をどのように自分の生存と子孫を残す努力へ振り分けるか常に判断を迫られてい
る。つまり最も効率よく振り分けできた個体が繁栄する。親は獲得したエサを自分で食べるか、子に与えるか、自己の利益
を最大化できる方を選ばなくてはならない。また子にとっては自分が親から与えられる子育ての労力は100%有意義であるが
、50%しか遺伝子を共有していない兄妹たちへの子育てはその半分の価値しか持たない。鳥類に多く見られる「兄による弟
殺し」は、兄弟間の対立であると同時に、親が予備として子を多めに産んで、第一子が上手く育ちそうなら弟を殺させると
いう、親子間の利害対立が原因だと考えられている。

89 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:16:59.16 ID:vgYN+URa.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

90 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/20(金) 19:17:47.94 ID:vgYN+URa.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした。
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析がなされるようになった。そしてこれまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で縄張りを作るという代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動であることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ

91 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 00:03:56.82 ID:4drdlC5Q.net
乙!!

92 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:35:50.04 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

93 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:36:28.12 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

94 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:37:38.24 ID:UisZ6Czy.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

95 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:37:54.47 ID:UisZ6Czy.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

96 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:38:11.74 ID:UisZ6Czy.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

97 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:38:55.33 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

98 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:39:12.66 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

99 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:39:27.24 ID:UisZ6Czy.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

100 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:39:45.48 ID:UisZ6Czy.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

101 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:40:03.91 ID:UisZ6Czy.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

102 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:40:20.10 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

103 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:40:35.64 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

104 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:40:52.98 ID:UisZ6Czy.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

105 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:41:35.37 ID:UisZ6Czy.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

106 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:41:56.38 ID:UisZ6Czy.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

107 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:42:17.32 ID:UisZ6Czy.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

108 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:42:35.45 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

109 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:42:54.85 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

110 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:43:12.70 ID:UisZ6Czy.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

111 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:43:30.54 ID:UisZ6Czy.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

112 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:43:46.73 ID:UisZ6Czy.net
これが血縁淘汰説の概要である(ハミルトンのもとの論文は、複雑な数式をつかった難解なものである)。この説は、社会
性昆虫の非繁殖階級を説明できるだけでなく、自然選択において選択される単位が遺伝子であることを明かしたことで、進
化生物学の研究全般に大きな方向を示し、動物に広く見られる利他行動をはじめとした社会的な形質や行動の進化を説明可
能にした。
1973年、イギリスの生物学者、ジョン・メイナード=スミスは、この血縁淘汰説にゲーム理論を導入したESS理論(ESS =
Evolutionarily Stable Strategy:進化的に安定な戦略)を発表した。これは社会行動のように、ある行動や形質の利益が
他の個体の行動や他の形質によって決まり、唯一の最適解がない場合に適用できる。
例えば、働きバチの例に当てはめてみる。外敵に襲われたとき自身の針により攻撃を加える行動(ハチ自身にとっての)利他
的行動を行うハチは、もし攻撃が失敗し外敵の排除に失敗した場合、自身も死に、自分の属する女王バチの生存確率も減る
ので大きな不利益が得点される。また仮に攻撃が成功し外敵の排除に成功すれば、自身は死ぬが女王バチの生存確率は高ま
るので、ある程度の利益が得点される。また攻撃しないで他の働きバチが捨て身の攻撃を行う戦略を採用したハチの場合、
他のハチによる攻撃により外敵が排除された場合、自身の生き残りと女王バチの生存確率が高まるので最大の利益が得点さ
れる。しかし他のハチの反撃が失敗した場合、自身の生き残りには成功するが、女王バチの生存確率が低下するのでわずか
な利益が得点される。
つまりESS理論によれば、利己的行動を選択する個体が増えても集団に不利益が発生し、また利他的行動を選択する個体が
増えても、自身の不利益による集団内での損耗が発生するため、利己的行動を取る個体と利他的行動を取る個体は安定する
という。
また社会集団を形成している生物(人間も含む)では、各個体は無意識のうちにこれらの利益マトリックスにのっとり、自身
が利己的行動か利他的行動を取るかを選択していると論じている。
結局のところ、各個体の利己的行動も利他的行動も、その個体の属する群の利益ではなく、個々の遺伝子にとっての利己的
行動であり、個体が遺伝子を反映してそれぞれの戦略を取った結果、その種全体の行動(運命)が決まってゆくわけである
E.O.ウィルソンは社会生物学を「全ての生物の社会的行動の生物学的基礎の体系的な研究」と位置づけた。しかし社会行動
の研究全てが社会生物学と呼ばれるわけではない。社会生物が扱うのはそのうち進化に関わる部分である。ウィルソンは動
物行動学をはじめ生物の行動に関する研究は究極要因を解明する社会生物学と、神経行動学などの至近要因を解明する分野
に二極化すると予測した。ここには動物だけでなく植物や微生物の行動、習性も含まれる。ウィルソンは「社会」を相互作
用する同種個体の関係と定義したが、異種個体間の相互作用(ハンディキャップ信号のやりとりなど)も研究対象である。
またヒトも明確に研究範囲に含めたが、通常はヒトの行動の進化は人間社会生物学、人間行動生態学、ヒューマン・エソロ
ジー、進化心理学など異なる分野として扱われる。現在では行動の分子的な基盤や、至近メカニズムの解明と進化理論の統
社会生物学と行動生態学はほぼ同様の理論を用い生物の社会行動の進化を解明する。従って多くの場合この二つの分野は同
じものと見なされる。しかし研究者によっては厳密に使い分けることがある。行動生態学という呼称は主にイギリスの生物
学者に好まれた。社会生物学という呼称が社会進化論と混同されやすいこと、後述する社会生物学論争によってネガティブ
なイメージが定着したこと、ウィルソンの個人的な定義への反発(ウィルソンは群選択を認め、また心理学や社会学も社会
生物学の元で統一可能であると論じた)などが原因であった。一方で行動生態学を生態学的ではない側面も扱えるように社
会生物学と呼び変えるよう提唱されたこともある。リチャード・ドーキンスやW.D.ハミルトンはこの分野をエソロジーの一
分科、機能的エソロジーと呼んだ。機能的とはニコ・ティンバーゲンの用語で進化的機能という意味である。

113 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:44:03.02 ID:UisZ6Czy.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

114 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:44:19.12 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

115 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:44:35.45 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

116 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:44:52.70 ID:UisZ6Czy.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

117 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:45:11.61 ID:UisZ6Czy.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

118 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:45:27.89 ID:UisZ6Czy.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

119 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:45:44.51 ID:UisZ6Czy.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

120 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 02:45:59.42 ID:UisZ6Czy.net
ある初期状態が与えられればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に、決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

121 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 13:38:16.55 ID:4drdlC5Q.net
https://www.youtube.com/watch?v=qEzWcxoY1Cc
女の人のキーボードプレイがすごい(´・ω・`)

122 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:42:43.22 ID:0FERahCv.net
米国において、ワーキングプアに関する議論が初めて社会に知られるようになったのは、進歩主義時代(1890 - 1920)の
頃である。進歩主義時代の思想家、Robert Hunter、ジェーン・アダムズ、W・E・B・デュボイスらは貧困・ワーキングプア
の根底にあるのは社会的機会の不平等構造であるとしたが、しかしその一方で、貧困と労働者個人のモラルにも関連すると
した。W・E・B・デュボイスはフィラディルフィアにおけるアフリカ系アメリカ人人口研究において、貧困から抜け出せない
貧困層の実体を記しており、その理由はひとつは人種差別、もうひとつは彼らの怠惰・忍耐力欠如などのモラル欠如である
としている 。その後、ワーキングプアに関する議論はより二極化していき、自由主義思想家らは構造的な理由を、保守
主義思想家はモラル的な理由を論じるようになった。このようにワーキングプアは、その最も基本的な定義(貧困線を満た
す収入を得られていない労働者)では思想家らが見解を同じくしているが、用語の意味や定義については未だに論争のある
テーマである。一般にワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困線以下の者」とされている。 途上国の例で
は、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている。アメリカ合衆国の連邦労働省労働
統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上(約6ヶ月強)職に就いているか、職を探すか
しているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[7][8]」と定義し、1987年から調査を行っている。
2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると
述べている。韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で、日本の過去最
高である34%を超えている。後述の台湾と同じく、中国に工場が進出していったことによる産業空洞化も発生、ワーキング
プアが大量に生み出されている。2010年代を迎えた今の韓国の若者たちは「三放世代」と呼ばれ、恋愛、結婚、出産を諦め
ている人が多い状況である。台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は
増加傾向にあるという。増加の要因は、派遣労働の増加にある。更に、2010年代以降は中華人民共和国への経済的依存が強
まり、主要な工場が中国へ進出したことにより産業空洞化現象が発生、大量の若者がまともな就職先にありつけず、ワーキ
ングプアとなっている。このことへの不満が、2014年の台湾学生による立法院占拠のひとつの原因になった。イスラエルで
も急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており、また、2011年に
は貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニ
ヤフ首相の新自由主義政策により貧富の差が激しい国である。個人がワーキングプアに転落するリスク要因には、主要なも
のに以下の五つがあるとされている。 それは「産業セクター」「人口統計」「経済」「労働市場の制度」「福祉の配分状況
」である。 ワーキングプアは幅広い人々に関連する現象であるが、とくに雇用要因・人口グループ・政治的要因・経済的
要因がとりわけ重要な要因であるとされる。産業的・人口的な要因は、何故ある国の人々は他の国よりもワーキングプアに
なりやすいか論じる助けとなる。政治的・経済的要因は、なぜ国ごとにワーキングプアの割合が異なるのか論じる助けとな
る。労働市場は効率性・平等性などの点で中間に位置する。 Brady, Fullerton, and Cross (2010) によると 「効率のよい
労働市場は、柔軟であり、失業率が低く、経済成長が高く、労働者が迅速に雇用および解雇できるものである。皆に望まれ
る労働市場とは、堅固な労働市場制度をもち、高賃金、高セキュリティなものである(p562)」とされている。[icon] この節
の加筆が望まれています。ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされて
いる。韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤
めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい
規制を課しているが、現実には「非正社員が2年以内の期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止
する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となる

123 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:43:00.97 ID:0FERahCv.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

124 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:43:16.27 ID:0FERahCv.net
ある初期状態が与えらればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

125 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:43:33.33 ID:0FERahCv.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

126 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:43:49.69 ID:0FERahCv.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

127 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:44:08.01 ID:0FERahCv.net
米国において、ワーキングプアに関する議論が初めて社会に知られるようになったのは、進歩主義時代(1890 - 1920)の
頃である。進歩主義時代の思想家、Robert Hunter、ジェーン・アダムズ、W・E・B・デュボイスらは貧困・ワーキングプア
の根底にあるのは社会的機会の不平等構造であるとしたが、しかしその一方で、貧困と労働者個人のモラルにも関連すると
した。W・E・B・デュボイスはフィラディルフィアにおけるアフリカ系アメリカ人人口研究において、貧困から抜け出せない
貧困層の実体を記しており、その理由はひとつは人種差別、もうひとつは彼らの怠惰・忍耐力欠如などのモラル欠如である
としている 。その後、ワーキングプアに関する議論はより二極化していき、自由主義思想家らは構造的な理由を、保守
主義思想家はモラル的な理由を論じるようになった。このようにワーキングプアは、その最も基本的な定義(貧困線を満た
す収入を得られていない労働者)では思想家らが見解を同じくしているが、用語の意味や定義については未だに論争のある
テーマである。一般にワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困線以下の者」とされている。 途上国の例で
は、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている。アメリカ合衆国の連邦労働省労働
統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上(約6ヶ月強)職に就いているか、職を探すか
しているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[7][8]」と定義し、1987年から調査を行っている。
2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると
述べている。韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で、日本の過去最
高である34%を超えている。後述の台湾と同じく、中国に工場が進出していったことによる産業空洞化も発生、ワーキング
プアが大量に生み出されている。2010年代を迎えた今の韓国の若者たちは「三放世代」と呼ばれ、恋愛、結婚、出産を諦め
ている人が多い状況である。台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は
増加傾向にあるという。増加の要因は、派遣労働の増加にある。更に、2010年代以降は中華人民共和国への経済的依存が強
まり、主要な工場が中国へ進出したことにより産業空洞化現象が発生、大量の若者がまともな就職先にありつけず、ワーキ
ングプアとなっている。このことへの不満が、2014年の台湾学生による立法院占拠のひとつの原因になった。イスラエルで
も急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており、また、2011年に
は貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニ
ヤフ首相の新自由主義政策により貧富の差が激しい国である。個人がワーキングプアに転落するリスク要因には、主要なも
のに以下の五つがあるとされている。 それは「産業セクター」「人口統計」「経済」「労働市場の制度」「福祉の配分状況
」である。 ワーキングプアは幅広い人々に関連する現象であるが、とくに雇用要因・人口グループ・政治的要因・経済的
要因がとりわけ重要な要因であるとされる。産業的・人口的な要因は、何故ある国の人々は他の国よりもワーキングプアに
なりやすいか論じる助けとなる。政治的・経済的要因は、なぜ国ごとにワーキングプアの割合が異なるのか論じる助けとな
る。労働市場は効率性・平等性などの点で中間に位置する。 Brady, Fullerton, and Cross (2010) によると 「効率のよい
労働市場は、柔軟であり、失業率が低く、経済成長が高く、労働者が迅速に雇用および解雇できるものである。皆に望まれ
る労働市場とは、堅固な労働市場制度をもち、高賃金、高セキュリティなものである(p562)」とされている。[icon] この節
の加筆が望まれています。ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされて
いる。韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤
めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい
規制を課しているが、現実には「非正社員が2年以内の期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止
する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となる

128 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:44:22.15 ID:0FERahCv.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

129 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:44:41.42 ID:0FERahCv.net
ある初期状態が与えらればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

130 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:44:59.27 ID:0FERahCv.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

131 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:45:16.11 ID:0FERahCv.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

132 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:45:33.82 ID:0FERahCv.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

133 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:45:53.53 ID:0FERahCv.net
米国において、ワーキングプアに関する議論が初めて社会に知られるようになったのは、進歩主義時代(1890 - 1920)の
頃である。進歩主義時代の思想家、Robert Hunter、ジェーン・アダムズ、W・E・B・デュボイスらは貧困・ワーキングプア
の根底にあるのは社会的機会の不平等構造であるとしたが、しかしその一方で、貧困と労働者個人のモラルにも関連すると
した。W・E・B・デュボイスはフィラディルフィアにおけるアフリカ系アメリカ人人口研究において、貧困から抜け出せない
貧困層の実体を記しており、その理由はひとつは人種差別、もうひとつは彼らの怠惰・忍耐力欠如などのモラル欠如である
としている 。その後、ワーキングプアに関する議論はより二極化していき、自由主義思想家らは構造的な理由を、保守
主義思想家はモラル的な理由を論じるようになった。このようにワーキングプアは、その最も基本的な定義(貧困線を満た
す収入を得られていない労働者)では思想家らが見解を同じくしているが、用語の意味や定義については未だに論争のある
テーマである。一般にワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困線以下の者」とされている。 途上国の例で
は、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている。アメリカ合衆国の連邦労働省労働
統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上(約6ヶ月強)職に就いているか、職を探すか
しているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[7][8]」と定義し、1987年から調査を行っている。
2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると
述べている。韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で、日本の過去最
高である34%を超えている。後述の台湾と同じく、中国に工場が進出していったことによる産業空洞化も発生、ワーキング
プアが大量に生み出されている。2010年代を迎えた今の韓国の若者たちは「三放世代」と呼ばれ、恋愛、結婚、出産を諦め
ている人が多い状況である。台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は
増加傾向にあるという。増加の要因は、派遣労働の増加にある。更に、2010年代以降は中華人民共和国への経済的依存が強
まり、主要な工場が中国へ進出したことにより産業空洞化現象が発生、大量の若者がまともな就職先にありつけず、ワーキ
ングプアとなっている。このことへの不満が、2014年の台湾学生による立法院占拠のひとつの原因になった。イスラエルで
も急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており、また、2011年に
は貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニ
ヤフ首相の新自由主義政策により貧富の差が激しい国である。個人がワーキングプアに転落するリスク要因には、主要なも
のに以下の五つがあるとされている。 それは「産業セクター」「人口統計」「経済」「労働市場の制度」「福祉の配分状況
」である。 ワーキングプアは幅広い人々に関連する現象であるが、とくに雇用要因・人口グループ・政治的要因・経済的
要因がとりわけ重要な要因であるとされる。産業的・人口的な要因は、何故ある国の人々は他の国よりもワーキングプアに
なりやすいか論じる助けとなる。政治的・経済的要因は、なぜ国ごとにワーキングプアの割合が異なるのか論じる助けとな
る。労働市場は効率性・平等性などの点で中間に位置する。 Brady, Fullerton, and Cross (2010) によると 「効率のよい
労働市場は、柔軟であり、失業率が低く、経済成長が高く、労働者が迅速に雇用および解雇できるものである。皆に望まれ
る労働市場とは、堅固な労働市場制度をもち、高賃金、高セキュリティなものである(p562)」とされている。[icon] この節
の加筆が望まれています。ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされて
いる。韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤
めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい
規制を課しているが、現実には「非正社員が2年以内の期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止
する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となる

134 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:46:08.53 ID:0FERahCv.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

135 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:46:25.00 ID:0FERahCv.net
ある初期状態が与えらればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

136 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:46:42.62 ID:0FERahCv.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

137 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:47:01.48 ID:0FERahCv.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

138 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:47:19.85 ID:0FERahCv.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

139 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:47:35.77 ID:0FERahCv.net
米国において、ワーキングプアに関する議論が初めて社会に知られるようになったのは、進歩主義時代(1890 - 1920)の
頃である。進歩主義時代の思想家、Robert Hunter、ジェーン・アダムズ、W・E・B・デュボイスらは貧困・ワーキングプア
の根底にあるのは社会的機会の不平等構造であるとしたが、しかしその一方で、貧困と労働者個人のモラルにも関連すると
した。W・E・B・デュボイスはフィラディルフィアにおけるアフリカ系アメリカ人人口研究において、貧困から抜け出せない
貧困層の実体を記しており、その理由はひとつは人種差別、もうひとつは彼らの怠惰・忍耐力欠如などのモラル欠如である
としている 。その後、ワーキングプアに関する議論はより二極化していき、自由主義思想家らは構造的な理由を、保守
主義思想家はモラル的な理由を論じるようになった。このようにワーキングプアは、その最も基本的な定義(貧困線を満た
す収入を得られていない労働者)では思想家らが見解を同じくしているが、用語の意味や定義については未だに論争のある
テーマである。一般にワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困線以下の者」とされている。 途上国の例で
は、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている。アメリカ合衆国の連邦労働省労働
統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上(約6ヶ月強)職に就いているか、職を探すか
しているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[7][8]」と定義し、1987年から調査を行っている。
2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると
述べている。韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で、日本の過去最
高である34%を超えている。後述の台湾と同じく、中国に工場が進出していったことによる産業空洞化も発生、ワーキング
プアが大量に生み出されている。2010年代を迎えた今の韓国の若者たちは「三放世代」と呼ばれ、恋愛、結婚、出産を諦め
ている人が多い状況である。台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は
増加傾向にあるという。増加の要因は、派遣労働の増加にある。更に、2010年代以降は中華人民共和国への経済的依存が強
まり、主要な工場が中国へ進出したことにより産業空洞化現象が発生、大量の若者がまともな就職先にありつけず、ワーキ
ングプアとなっている。このことへの不満が、2014年の台湾学生による立法院占拠のひとつの原因になった。イスラエルで
も急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており、また、2011年に
は貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニ
ヤフ首相の新自由主義政策により貧富の差が激しい国である。個人がワーキングプアに転落するリスク要因には、主要なも
のに以下の五つがあるとされている。 それは「産業セクター」「人口統計」「経済」「労働市場の制度」「福祉の配分状況
」である。 ワーキングプアは幅広い人々に関連する現象であるが、とくに雇用要因・人口グループ・政治的要因・経済的
要因がとりわけ重要な要因であるとされる。産業的・人口的な要因は、何故ある国の人々は他の国よりもワーキングプアに
なりやすいか論じる助けとなる。政治的・経済的要因は、なぜ国ごとにワーキングプアの割合が異なるのか論じる助けとな
る。労働市場は効率性・平等性などの点で中間に位置する。 Brady, Fullerton, and Cross (2010) によると 「効率のよい
労働市場は、柔軟であり、失業率が低く、経済成長が高く、労働者が迅速に雇用および解雇できるものである。皆に望まれ
る労働市場とは、堅固な労働市場制度をもち、高賃金、高セキュリティなものである(p562)」とされている。[icon] この節
の加筆が望まれています。ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされて
いる。韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤
めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい
規制を課しているが、現実には「非正社員が2年以内の期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止
する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となる

140 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:47:51.65 ID:0FERahCv.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

141 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:48:12.49 ID:0FERahCv.net
ある初期状態が与えらればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

142 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:48:29.33 ID:0FERahCv.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

143 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:48:44.85 ID:0FERahCv.net
ハミルトンが提唱した血縁選択説のルーツは、ロナルド・フィッシャーとJ・B・S・ホールデンの示したアイディアまで遡
ることができる。しかしハミルトンが理論的な枠組みを完成させたことで、この説は進化生物学に大きな転換をもたらした
本来はアリやハチなど社会性生物に関する理論だったが、ジョージ・ウィリアムスやE.O.ウィルソン、リチャード・ドーキ
ンスらによって、より幅広く、様々な生物の社会性の進化に適用できる理論であることが示された
血縁淘汰説、ESS理論などの考え方を、一部の昆虫だけでなく様々な生物の形質に適用できる一般的な理論だと考え、更に
先鋭なスタイルで表現したのが、リチャード・ドーキンスである。彼は、1976年に発表した「利己的な遺伝子」や「延長さ
れた表現型」(1982年)などの著作でこの考え方を広めた。この考え方は遺伝子中心視点主義と呼ばれるようになった(
日本では利己的遺伝子論と呼ばれることが多い)。
自然選択の実質的な単位は、それが固体であれ群れであれ、たとえ何であっても常に利己的である。自己の適応度を高め、
他者の適応度を低めるような性質を持っていなければ自然選択によって排除されるためである。先の血縁淘汰説があきらか
にしたのは自然選択で選ばれている実質的な単位は遺伝子だということである。遺伝子は細胞の機能を介して生物の形質を
作り上げる。生物たちは、その機能をもって競争し、競争に勝ったものだけがその子孫をのこし、それが進化をもたらす。
ドーキンスは遺伝子が自分の作った生物個体という名の生存機械を使ってサバイバルゲームを演じている、と表現した。
この論理は生物学だけでなく社会一般に大きな衝撃を持って迎えられた。その表現のスタイルは、ウィルソン「社会生物
学」の大胆な展望とともに激しい論争を引き起こした。特に利己的遺伝子という比喩表現は広く誤解を受けた。利己的遺
伝子とは、遺伝子が利己的な考えを持っているという意味ではなく、また個体が常に自分勝手だという意味でもない。ただ
単に自然選択の単位が遺伝子であることを表しているに過ぎない。1960年代から始まった社会生物学は急激にその論旨を展
開していったが、現在では遺伝子中心視点主義は、広く受け入れられている。
このような新しい観点は、動物の行動の研究にもまったく新しい局面を切り開いた。 それまでの動物の行動に対する研究
は、その習性が種の繁栄にとってどのように役にたつかという観点から論じられ、同じ種であればどの個体も基本的には同
じ行動をとるものと考えられてきた。 しかし、血縁淘汰説が同種の個体同士は必ずしも協力しているのではなく、むしろ
最も激しく生存競争をしている競争相手であると示したことにより、個体の行動が個々の個体にとってどのような意味が
あるかが考えられるようになった。たとえば性淘汰説では雄と雌ではそれぞれに最適な戦略は違うのではないか、といった
分析が、なされるようになった。そして、これまで見逃されて来た多くの現象が明らかになってきた。
ある種のハチでは、地下で蛹になり、羽化して地上にでる。この時、雄が先に羽化して地面に縄張りを作る。そしてその縄
張り内から羽化してきた雌バチと交尾する。ほとんどの雌バチは地下から出たところで雄バチに捕まる. しかし、雄バチ
の目を逃れる雌バチが少数ながらおり、彼女らは次に花を訪れる。そこには先の縄張り作りの競争に負け、縄張りを作れ
ない雄バチがいて、彼らは花に縄張りを作っている。つまり地面に縄張りを作れない場合は、代わりに雌の2番目の訪問
先である花で、縄張りを作るという、代替作戦を持っているわけである。
このように、ほとんど融通が効かないとされてきた本能行動の中にも、主たる戦術が失敗したときの代替案が存在する事
があきらかになってきた。このような行動はそれまでは例外やエラーとして無視されていたが、行動の意味を個体の視点
から考えることで、例外ではなく有意義な行動で、あることが発見されたのである。
社会性動物の定義はそれまでは漠然としていた。しかし働きバチのような生殖をしない階級の重要性が認められた事で、
社会性昆虫に見られるような繁殖をしない階級の存在するものを真社会性生物というようになった。真社会性を生む仕組
みの解明は、それ以外の真社会性動物発見への方向性を示し、アブラムシや哺乳類ではハダカデバネズミ、甲殻類ではテッ
ポウエビから、真社会性のものが発見された。

144 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:49:00.51 ID:0FERahCv.net
周囲の環境に適応しているものが生き残り、適応していないものは淘汰されるという過程によって生物の進化が起こると
いうチャールズ・ダーウィンの自然選択説に基づく進化論は、生物学をはじめ他の学問分野にも大きな影響をあたえた。
ところが、個体を単位とする自然選択説では説明が難しい動物の行動が、広く存在している。例えば、ミツバチでは、女王
バチが産んだ卵から成長した雌バチは、自分では卵を産むことなく、女王を助けて自分の妹たちの世話を焼いて一生を過ご
す。つまり、自分の繁殖の機会を棄てて女王の繁殖を助ける。またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を
鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考え
られる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであ
ろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。
このような行動を説明するのにまず提唱されたのが群選択説であった。これは生物個体の行動は群れや種の利益を最大化す
るようにできており、生存競争は群れの間で起きると考えられた。この説明は「種の保存のため」というフレーズと共に、
利他行動の説明として受け容れやすかったため広まった。しかしこの説ではどうやって自己を犠牲にし種全体の利益を計る
性質が受け継がれていくかを厳密には説明できなかった。
すなわち利他的行動を取る個体の集団の中に、突然変異や他の群れからの移住によって利己的な個体が発生したと仮定する
。たとえば見張りをしても、敵の接近を仲間に知らせないで逃げる個体が出現するというようなことである。もしそうなれ
ば、そのような個体の方が死亡率は低くなるだろうから、自然選択の結果、真っ先に逃げるような形質が残るはずである。
働きバチの例はそれより深刻で、働きバチはそもそも繁殖をしない。親が繁殖をして、親の形質が伝わった子孫が残るのが
自然選択の前提なので、この場合、その前提が成立しない。繁殖をしないのだから、その形質を持つ子孫が残るはずがない
のである。ダーウィン自身はこの問題に、アリやハチの場合は家族単位で選択が働くのだろうと答え、後の議論の先き取り
をしていたが、そのメカニズムを説明することができなかったため場当たり的な説明だと批判を受けた。[誰?]
1964年、イギリスの生物学者、ウィリアム・ドナルド・ハミルトンが血縁淘汰説を発表する。一般にこの説が発表された時
点が社会生物学の始まりと考えられている。社会生物学という分野の名称は、この血縁淘汰説などを援用して書かれたエド
ワード・オズボーン・ウィルソン の「社会生物学」(1975年)によって広く認知されるようになった。
血縁淘汰説は、まず自然選択で選択されるのは個体ではなく、遺伝子のもたらす表現型である、ということを明らかにする
ことから始まる。そして、自然選択を遺伝子の側から見直したのである。
自分の子を残すと言うことは、自分の遺伝子を残すと言うことである。これを遺伝子の側から見れば、自分と同じ遺伝子が
入った個体が残るという言い方になるだろう。つまり、ある遺伝子が表す表現形が、たとえば体色が目立たなくて敵に見つ
からないなど、結果としてその遺伝子を持つ個体を増やすように働くなら、その遺伝子は自然選択によって残ることになる
。遺伝子には行動に影響を与えるものもあるだろう。その場合、行動も他の形質と同じく、自然選択を受ける表現型として
捉えられる。
そこで、遺伝子をより多く残すにはどうすればいいか。人間と同じ繁殖様式の動物では、親から見れば、子供には自分の半
分の遺伝子が入っている。これを遺伝子側から見ると、親にある任意の遺伝子が、その子に含まれる確率は2分の1である
。兄弟ではどうかというと、兄弟間で片方の持つ任意の遺伝子がもう片方に含まれる確率は、親子間同様2分の1である。
そうすると、自分の持つ遺伝子を後世に残す方法として、子を産まなくても、兄弟を増やせばいいという選択も成り立つ。
いま、ここに自分は生殖に参加せず、母親を助けて兄弟を育てるという行動を取らせる遺伝子があったとする。そして、そ
の行動を取ることによって、もし自分が単独で繁殖した場合に手に入る子孫以上の兄弟が手に入るとしたら、この遺伝子は
兄弟を通じて自然選択に勝つことができる。

145 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:49:17.84 ID:0FERahCv.net
米国において、ワーキングプアに関する議論が初めて社会に知られるようになったのは、進歩主義時代(1890 - 1920)の
頃である。進歩主義時代の思想家、Robert Hunter、ジェーン・アダムズ、W・E・B・デュボイスらは貧困・ワーキングプア
の根底にあるのは社会的機会の不平等構造であるとしたが、しかしその一方で、貧困と労働者個人のモラルにも関連すると
した。W・E・B・デュボイスはフィラディルフィアにおけるアフリカ系アメリカ人人口研究において、貧困から抜け出せない
貧困層の実体を記しており、その理由はひとつは人種差別、もうひとつは彼らの怠惰・忍耐力欠如などのモラル欠如である
としている 。その後、ワーキングプアに関する議論はより二極化していき、自由主義思想家らは構造的な理由を、保守
主義思想家はモラル的な理由を論じるようになった。このようにワーキングプアは、その最も基本的な定義(貧困線を満た
す収入を得られていない労働者)では思想家らが見解を同じくしているが、用語の意味や定義については未だに論争のある
テーマである。一般にワーキングプアの定義について「労働力人口のうち貧困線以下の者」とされている。 途上国の例で
は、国際労働機関が「労働力人口のうち一日の可処分所得が1US$以下の者」としている。アメリカ合衆国の連邦労働省労働
統計局は、ワーキングプアを「16歳以上で1年間のうち少なくとも27週間以上(約6ヶ月強)職に就いているか、職を探すか
しているにもかかわらず、公的な貧困線を下回る所得しか得られない者[7][8]」と定義し、1987年から調査を行っている。
2007年9月の報告書では、2005年のアメリカの貧困率は12.6%(3,700万人)で、このうち770万人がワーキングプアであると
述べている。韓国では1997年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は55%で、日本の過去最
高である34%を超えている。後述の台湾と同じく、中国に工場が進出していったことによる産業空洞化も発生、ワーキング
プアが大量に生み出されている。2010年代を迎えた今の韓国の若者たちは「三放世代」と呼ばれ、恋愛、結婚、出産を諦め
ている人が多い状況である。台湾では、2007年時点で人口の約1%にあたる22万人がワーキングプアとなっており、その数は
増加傾向にあるという。増加の要因は、派遣労働の増加にある。更に、2010年代以降は中華人民共和国への経済的依存が強
まり、主要な工場が中国へ進出したことにより産業空洞化現象が発生、大量の若者がまともな就職先にありつけず、ワーキ
ングプアとなっている。このことへの不満が、2014年の台湾学生による立法院占拠のひとつの原因になった。イスラエルで
も急速にワーキングプアが増加していることが労働党党首シェリー・ヤヒモビッチにより指摘されており、また、2011年に
は貧富の格差是正、最低賃金引き上げなどを求めて数十万人規模の抗議デモが行われた。イスラエルはベンヤミン・ネタニ
ヤフ首相の新自由主義政策により貧富の差が激しい国である。個人がワーキングプアに転落するリスク要因には、主要なも
のに以下の五つがあるとされている。 それは「産業セクター」「人口統計」「経済」「労働市場の制度」「福祉の配分状況
」である。 ワーキングプアは幅広い人々に関連する現象であるが、とくに雇用要因・人口グループ・政治的要因・経済的
要因がとりわけ重要な要因であるとされる。産業的・人口的な要因は、何故ある国の人々は他の国よりもワーキングプアに
なりやすいか論じる助けとなる。政治的・経済的要因は、なぜ国ごとにワーキングプアの割合が異なるのか論じる助けとな
る。労働市場は効率性・平等性などの点で中間に位置する。 Brady, Fullerton, and Cross (2010) によると 「効率のよい
労働市場は、柔軟であり、失業率が低く、経済成長が高く、労働者が迅速に雇用および解雇できるものである。皆に望まれ
る労働市場とは、堅固な労働市場制度をもち、高賃金、高セキュリティなものである(p562)」とされている。[icon] この節
の加筆が望まれています。ワーキングプアは日本だけの問題ではなく、他の先進国でもすでに同様の問題が引き起こされて
いる。韓国では派遣社員(非正社員)の増加を規制する法案として、「非正規保護法」を成立させた。これは「2年以上勤
めた非正社員を、正社員化させなければならない」とするものであり、違反した企業には最高1000万円の罰金という厳しい
規制を課しているが、現実には「非正社員が2年以内の期間雇用とした上で、再雇用しない」という手法で正社員化を阻止
する事例が増えており、非正規雇用の長期継続化が避けられる反面、雇用の継続自体を困難とする事態となる

146 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:49:35.90 ID:0FERahCv.net
個人と個人がネット上で小口の融資を行えるソーシャルレンディングの原型ともいえるサービスは2005年にイギリスのZOPA
が開始した。その後米国でも同様のサービスを提供するProsper(2006) 、Lending Club(2007)が誕生し順調に事業を拡大さ
せている。上記のサービスは大きくマーケット型とオークション型に分けられ、ZOPAがマーケット型、Prosper、Lending C
lubgaがオークション型である。国内でもmaneo(2008)がオークション型、AQUSH(2009)、SBIソーシャルレンディング(2011)
がマーケット型としてサービスを開始したが、法整備や文化の問題から個人間の融資を行うサービスはいずれも撤退、休止
状態を強いられている。その代わりに国内では個人、企業から集めた資金を企業(事業者)に融資して、返済の際の元利、も
しくは配当を資金提供者に配分するサービスが一般的になりつつある。これら日本独特とも言えるサービスは貸付型・ファ
ンド型とも言われている。長く上記3社のみによるサービスが続いてきたが、国内でクラウドファンディングの機運が高まる
のに連れて、匿名投資組合契約型として、2013年にはクラウドバンク、2014年にはラッキーバンク、2015年にはトラストフ
ァイナンスが参入して市場に活気が出てきている。2015年には7月にはmaneoがそのシステムを他社に提供する形で、新たに
サービスの立ち上げが予定されている。日本では出資ではない融資を行う場合、貸金業法2条1項により、金銭の貸借の媒介
で業として行うものに該当し、貸金業としての登録が必要となる。また、不特定多数からの出資を集めて融資や出資の仲介
を行うことから、匿名組合出資契約を募集するための第2種金融商品取引業の登録も必要になる。サービスの運営会社が審
査をし、借り手個人の格付けを行うが、貸し手個人がどの格付けにいくら、どのくらいの金利で貸付けを行うかを決定する
。格付けを得るために、融資希望者は借りたい額と必要な個人情報を運営会社へ送信することが求められ、運営会社は送ら
れてきた個人情報と信用情報機関への問い合わせによって格付けを決定する。貸す側は希望するリスクリターンに見合った
格付けと金利、融資額を自分で決め、貸付けを行う。運営会社はこのように出資された金額を束ね、貸付け希望条件にあっ
た借入をマッチングさせる。この形式がマーケット型と呼ばれるのは、貸し手のリスク許容度や希望利回りに応じて金利が
タイムリーに変動し、あたかも株式市場のような動きをするからである。もちろん、資金需要者として借り手が貸し手の金
利設定に影響するので、金利がマーケットシステムによって公正に決定される仕組みになっている。融資を希望する側は
借り入れの目的や信用度をコミュニティ内にアピールし,貸し手側はそれらを判断材料として投資・融資先を決定する。
利率はオークション形式、すなわち貸し手側による入札(ビッディング)で決まり、通常、一番安い利率でビッドした貸し
手(一人とは限らない)が貸し付けの権利を得ることができる。貸し手は、借り手の借り入れの目的・信用度・バックグラ
ウンド等を考慮して利率を入札するが、その際、名前、住所等の個人情報は一切公開されない。金融市場の相場や一般利率
に左右されないので、優良な借り手であれば低金利で資金調達が可能である一方、高利率のビッドが確定し、貸し手が高い
利息を受け取れる可能性もある。この他にも家族間・友人間での貸借を行う場としても活用されている。サービスの運営会
社が借り手の企業を審査をし金利、金額、期間等を決定する。貸し手はその条件を見てその案件にいくら出資をするかを決
定する。融資希望者は借りたい額と必要な企業情報、事業計画を運営会社へ開示することが求められ、また場合によっては
保証人を立てること、担保の提出を行う。運営会社は上記情報をもとに厳しく審査した上でファンドの形で貸し手に案件を
提出する。日本の文化、実態に合わせて生まれたソーシャルレンディングの新しい型といえる。なお、国内の投資型クラウ
ドファンディング事業者について、貸金業法に基づき融資してその利息を収益とする形式を貸付型、同法に基づかず国内・
海外の事業者などに投資してその配当を収益とする形式をファンド型(株式投資型、狭義の投資型)と呼ぶ分け方が提唱さ
れているが、一般に根付いているとは言いがたい。なお、東洋経済では投資型クラウドファンディングを融資(貸付)型、
ファンド型、株式(エクイティ)型に区分している。2005年頃から同様のサービスが始まっている欧米ではソーシャルレン
ディングは拡大傾向にあり、金融業界でその地歩を固めつつある。

147 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:49:53.30 ID:0FERahCv.net
ある初期状態が与えらればその後の全ての状態量の変化が決定される系を力学系と呼ぶ特に決定論に従う力学系を扱う
ことを強調して決定論的力学系とも呼ばれる。カオス理論において研究されるカオスと呼ばれる複雑で確率的なランダ
ムにも見える振る舞いは、この決定論的力学系に従って生み出されるものである。この点を強調するためカオス理論が取り
扱うカオスを決定論的カオス(deterministic chaos)とも呼ぶ。複雑で高次元の系ではなくとも、1次元離散方程式や3次元連
続方程式のような非常に簡単な低次元の系からでも、確率的ランダムに相当する振る舞いが生起される点が決定論的カオス
の特徴といえる。この用語は、カオス理論以前から存在するボルツマンにより導入された分子カオスと呼び分ける意味合い
もある。ボルツマンによるカオスは確率論的乱雑さを表しており、カオス理論におけるカオスとは概念が異なる。カオス理
論におけるカオスの厳密な定義は研究者ごとに違い、まだ統一的な定義は得られていない。できるだけ簡単な表現でまとめ
ると、カオスの定義あるいはカオスと呼ばれるものの特性とは、「非線形な決定論的力学系から発生する、初期値鋭敏性を
持つ、有界な非周期軌道」といえる。また、このような軌道を含む力学系の性質を指してカオスとも呼ぶ。軌道を指してい
ることを明らかにする場合はカオス軌道(chaotic orbit)と呼ぶ場合もある。以下に、もう少し詳細に説明する。力学系には
大きく分けて線形力学系と非線形力学系が存在するが、その系からカオスが生起されるためには、系が何らかの非線形性
(nonlinearity)を持つ必要がある]。言い換えると、軌道を生成する系が非線形力学系であることは、その系からカオスが
生起されるための必要条件である。これの十分条件は満たされず、すなわち、非線形力学系であれば必ずカオスが生起する
わけではない。一方の線形力学系ではカオスは発生しない。以下に述べる特性と違い、非線形性はカオス軌道自体の特性と
いうよりは、カオスを生起する系の特性である。カオスの定義あるいは特性として第一に挙げられるのが初期値鋭敏性(sen
sitivity to initial conditions)である]。これは、同じ系であっても初期状態に極僅かな差があれば、時間発展と共に指
数関数的にその差が大きくなる性質である。この性質は軌道不安定性(orbital instability)と言い換えられることもある
。定量的には、この初期値鋭敏性は、リアプノフ指数、コルモゴロフ-シナイエントロピーなどで評価される。初期値鋭敏
性により極めて小さな差も指数関数的に増大していくので、初期値鋭敏性を有する実在の系の将来を数値実験で予測しよう
としても、初期状態(入力値)の測定誤差を無くすことはできないので、長時間後の状態の予測は近似的にも不可能となる
。このような性質は長期予測不能性(long-term unpredictability)や予測不可能性(unpredictablity)などとも呼ばれる。
一方で、例えカオスであっても決定論的法則から発生されるものであるため、短時間内であれば有用な予測は可能といえる
。以上のような性質は、標語的にバタフライ効果(butterfly effect)と呼ばれる。初期値鋭敏性、すなわち指数関数的に初
期状態の差が広がる軌道を有する系というだけでは、カオスには該当しない。カオス軌道であるためには軌道がある有界な
範囲に収まる必要がある。このようなカオスの特性は有界性(boundedness)とも呼ばれる。初期値鋭敏性のみではカオスと
ならない例として、 {\displaystyle x_{n+1}=ax_{n}} x_{{n+1}}=ax_{n}という単純な等比数列形式の離散力学系の写像が
考えられる。これに対して初期値が異なる2つの軌道を考えると、初期値の差をδとすれば、その差は {\displaystyle a^
{n}\delta } a^{{n}}\delta で表せる。よって、これら2つの軌道は離散時間nが増加すれば指数関数的に差が開いていくの
で、系は初期値鋭敏性を有するといえる。しかし、これらの軌道は {\displaystyle x_{n}=x_{0}\ a^{n}} x_{n}=x_{0}\ a
^{{n}}で示される単純な指数関数曲線であり、有界な領域に収まらず発散してしまい、非周期的な軌道も存在しない。カオ
スの特徴は、平衡点に収束するわけでもなく、周期的軌道に漸近するわけでもなく、非周期的な軌道を取る点である。
持たないことからカオスには分類されない。

148 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/01/21(土) 17:50:10.06 ID:0FERahCv.net
2007年に提唱を開始した,サード・リアリティ,という概念を説明する文章の中で、都市や国家単位の規模で、
成立する集合知同士がインターネットで相互接続され、統合して処理が行えるようになる結果として、地球全体として成立
しつつある知性として巨大知が説明されている。環境を観測するセンサーや各種コンテンツ配信システムのインターネット
への接続により、産業、医療、気象、交通、農業、芸術作品等の様々な情報がインターネット上に蓄積され、不特定多数の
人間により改変が行われることで、人類が得た多様な知識が地球全体で統合処理されるようになる結果として、地球全体を
覆う程に巨大かつ高度な知性が成立する。この巨大知の成立の結果として、従来は思い付けなかったような新しい発想が生
まれやすくなり、文明の進歩も大幅に加速されることになる。1995年にインターネットが民間に開放され、全世界的にイン
ターネットの民間への普及が始まった。しかし、当時唯一のインターネット接続端末であったパソコンは性能が低く、極め
て高価であり、普及率もそこまで高くはなかった。1990年代後半は、一般家庭においてはダイヤルアップ接続を介したイン
ターネットの利用が主流であった。アナログの音声信号を伝達する電話回線を転用した56kbps程度の帯域の回線が主流であ
り、従量制で課金され、サーバからのデータ取得においても長時間待つ必要があった。企業や団体のWebサイト閲覧や電子
掲示板の利用や電子メール送受信が主たる利用方法であり、不特定多数の個人間では電子掲示板やネットニュースやチャッ
トのような、知識として統合されない簡易的なメッセージ共有のみが行われていた。従って、典型的な巨大知と言えるWik
iの長時間の編集には高額な接続料金が掛かり、芸術的な文化の発展を支えるマルチメディアコンテンツは、インターネッ
ト接続端末の処理能力とストレージの容量と回線の帯域の制約が厳しく、作成,集積,流通,消費共に難しい状況であったと
言える。このことから、1990年代のインターネットでは巨大知は成立していなかったと推測できる。2000年から2004年ま
での間に高速回線によるインターネットへの常時接続サービスが一般家庭にも広く普及した。2004年には個人が世界中に
向けて情報発信を行う事が可能になった事を受けて、Web 2.0という概念も提唱された。2005年から2006年に掛けてYouTub
eを筆頭とする動画配信サイトやTwitterやfacebook等の大手SNSもサービスを開始した。これにより、2006年以降はインタ
ーネット上で非常に活発なコミュニケーションが行われるようになった。従って、遅くとも2006年にはインターネット上
で巨大知が成立する条件が揃ったと考えられる。2006年以降は、都市や国家単位で得られる情報の統合処理では不可能で
あったような非常に高度な水準の知識が入手可能になっている。2008年頃から本格的に始まったスマートフォンの普及に
より、個人の認識や行動に関する情報のインターネットへのアップロードが大規模に行われるようになった。2000年代中
頃に起きた巨大知の成立は、社会構造に非常に大きな変化をもたらした。この変化により、1990年代の段階では全く想像
出来ない程に、人々の生活様式も大きく変化して行った。例えば、Wikiの登場により、膨大な数の人間により広範な分野
の知識がインターネット上にアップロードされ、集約された形で共有されるようになった。また、ソフトウェアのソース
コードを世界中に開示して開発を進めることで、インターネットを介して膨大な数の人間がソフトウェア開発に参加する
ことが可能になり、従来から存在する商用製品を置き換え可能なほどに高性能なソフトウェアが無償で提供されるように
なった。さらに、音楽や映画と言った芸術においても、国籍や分野を問わず他者の作品に影響を受けて新たな創作が行わ
れる創作の連鎖が毎日のように起こるようになった。毎日のようにコンテンツがアップロードされ、瞬時に世界中に共有
されるようになったため、次々と新しいアイデアが生まれ、流行の激しい変化も起きるようになった。インターネットに
よって遠隔地とのコミュニケーションが容易になったため、現実世界において専門分野や居住地の垣根を超えて様々な人
々が集うコミュニティが容易に形成されるようになった。特に、共通の志を持つ仲間を募ることが気軽に出来るようにな
ったため、様々なテーマを持った勉強会の開催数やシェアハウスの件数が急激に増加している。

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