2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

5千円前後までのお勧めアクティブスピーカー 23台目

1 :不明なデバイスさん :2019/08/18(日) 17:13:43.88 ID:7UuIn7Yu.net
5000円前後のアクティブスピーカーの為のスレです。
それぞれの価格帯でスレがありますので、製品の話題や質問は適当なスレ(※関連スレ)を選んでください。
価格変動で各価格帯の境界にあるような製品はそれぞれのスレの状況に応じて検討してください。

次スレは>>980

[前スレ]
5千円前後までのお勧めアクティブスピーカー 22台目
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/hard/1541497100/

320 :不明なデバイスさん:2020/08/06(木) 18:01:29.90 ID:nii73PaV.net
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

321 :不明なデバイスさん:2020/08/08(土) 12:27:49.93 ID:jij+C06m.net
 ……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
 全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
 そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
 その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
 そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
 ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
 昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
 この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
 知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
 今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。

322 :不明なデバイスさん:2020/08/09(日) 00:12:05 ID:vw/ZyWPx.net
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

323 :不明なデバイスさん:2020/08/10(月) 11:49:46 ID:GZpSRqqU.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

324 :不明なデバイスさん:2020/08/12(水) 11:27:24.39 ID:fnLq/ztR.net
 ……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
 全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
 そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
 その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
 そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
 ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
 昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
 この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
 知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
 今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。

325 :不明なデバイスさん:2020/08/13(木) 00:23:40.31 ID:G/m85QRT.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

326 :不明なデバイスさん:2020/08/14(金) 17:56:04.63 ID:72N7CjfI.net
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

327 :不明なデバイスさん:2020/08/16(日) 09:50:31 ID:eZQGB9J8.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

328 :不明なデバイスさん:2020/08/17(月) 16:11:56.47 ID:+gfcXTXk.net
 ……神戸元町のちょっと横へはいった、
――あすこはもう南京町というのかしら、
狭い露地の中に汚ならしい支那饅頭屋があって
、そこの肉饅頭の味は天下一品と思ったが、それも一つには、>>174
十銭に五つという値段のやすさが影響しているに違いない。
この肉饅頭は谷崎先生のおたくでも愛用されたという話を、>>174
近頃うかがって愉快である。……
 全く此の肉饅頭は、うまいのである。そして、森田さん、
十銭に五つと書いて居られるが、>>171
僕の知っている頃(昭和初期か)は、
一個が二銭五厘。すなわち、十銭に四つであった。>>175
 そのような安さにも関わらず、実に、うまい。他の、
もっと高い店のよりも、ずっと、うまいんだから驚く。
中身の肉も決して不味くはないが、皮がうまい。>>176
何か秘訣があるのだろう。
 その肉饅頭も、無論戦争苛烈となるに連れて姿を消したが、終戦後再開した。
 そして又、ベラボーな安価で売っている。
今度は、二十円で三個である。
 ところが、それでいて、又何処のより美味い。
これは、声を大にして叫びたい位だ。
 昔もそうだったが、そんな風だから、
今でも大変な繁盛で、夕方行ったら
売切れている方が多い。
 この肉饅頭の店、そんなら何という名なのか、
と言うと、これは恐らく誰も知らないだろう。
饅頭は有名だが、店の名というものが、
知られていない。
 知られていないのが当然。
店に名が無いのである。
 今回も、気になるから、
わざわざあの露路へ入って、確かめてみた。

329 :不明なデバイスさん:2020/08/17(月) 22:49:16.85 ID:uVP8V6wU.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

330 :不明なデバイスさん:2020/08/18(火) 00:11:52.81 ID:uaoCdsT0.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

331 :不明なデバイスさん:2020/08/19(水) 16:38:15.51 ID:/TKeoMSp.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

332 :不明なデバイスさん:2020/08/20(木) 01:58:16.05 ID:uCRKV2bc.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

333 :不明なデバイスさん:2020/08/21(金) 19:51:42.56 ID:38Rq2goS.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

334 :不明なデバイスさん:2020/08/22(土) 16:37:13 ID:2SNrfLxF.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

335 :不明なデバイスさん:2020/08/23(日) 08:40:22.54 ID:RIAabn0t.net
コピペ荒らしって何か目的なの?

336 :不明なデバイスさん:2020/08/23(日) 21:14:46.61 ID:cxg5qUbN.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

337 :不明なデバイスさん:2020/08/24(月) 00:28:00.17 ID:ZazqNBPb.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

338 :不明なデバイスさん:2020/08/26(水) 01:20:01.09 ID:Fb7S9IFe.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

339 :不明なデバイスさん:2020/08/27(木) 06:10:39.62 ID:may2QdJS.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

340 :不明なデバイスさん:2020/08/28(金) 22:34:52.79 ID:1XbyRX5Z.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

341 :不明なデバイスさん:2020/08/29(土) 00:38:06.44 ID:9X7g6DfO.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

342 :不明なデバイスさん:2020/08/31(月) 04:02:45.38 ID:17BjnM8y.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

343 :不明なデバイスさん:2020/08/31(月) 05:31:08.12 ID:0qwndXhG.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

344 :不明なデバイスさん:2020/09/01(火) 22:35:14.85 ID:G6mi07/S.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

345 :不明なデバイスさん:2020/09/04(金) 05:56:13.20 ID:G92f3MS0.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

346 :不明なデバイスさん:2020/09/06(日) 09:40:44.96 ID:ZTNR7kXL.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

347 :不明なデバイスさん:2020/09/08(火) 03:31:14.96 ID:jjDNw8JP.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

348 :不明なデバイスさん:2020/09/10(木) 03:14:37.72 ID:NBYyx3Ze.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

349 :不明なデバイスさん:2020/09/11(金) 19:50:40.58 ID:lKA3Ykhl.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

350 :不明なデバイスさん:2020/09/14(月) 05:37:18.19 ID:PetMJlhA.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

351 :不明なデバイスさん:2020/09/18(金) 04:22:49.87 ID:LxMLqz4w.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

352 :不明なデバイスさん:2020/09/20(日) 08:14:11.23 ID:PYZ3Wusk.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

353 :不明なデバイスさん:2020/09/21(月) 06:25:12.46 ID:mMogVy2S.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

354 :不明なデバイスさん:2020/09/25(金) 08:23:50.63 ID:UHmgs4Fo.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

355 :不明なデバイスさん:2020/09/29(火) 10:04:42.83 ID:RLRzLi+r.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

356 :不明なデバイスさん:2020/10/01(木) 07:16:16.00 ID:46xHZXmD.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

357 :不明なデバイスさん:2020/10/03(土) 03:33:13.57 ID:zgjRmY85.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

358 :不明なデバイスさん:2020/10/06(火) 14:53:28.76 ID:/kjCOOdI.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

359 :不明なデバイスさん:2020/10/19(月) 23:55:29.25 ID:n4dLBQ6t.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

360 :不明なデバイスさん:2020/10/20(火) 04:47:33.62 ID:zXmp8xlj.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

361 :不明なデバイスさん:2020/10/21(水) 20:14:09.23 ID:UB8gezsr.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

362 :不明なデバイスさん:2020/10/23(金) 20:06:25.75 ID:Uh8m7My5.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

363 :不明なデバイスさん:2020/10/25(日) 21:06:38.38 ID:9afEsK1/.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

364 :不明なデバイスさん:2020/10/28(水) 23:53:21.00 ID:5Qrry7wi.net
 大阪の芝居が終ると、阪急電車で駈けつけた、
あんまりよく通ったので、おやじが、勲章の代りに、
シルヴァー・ダラーの名に因んで、大きな、外国の銀貨を呉れたものだった。
 三の宮から元町の方へ歩いて行くと、僕の眼は、
十五銀行の方を見ないわけには行かない。もうそこには、
今は無いのだが、ヴェルネクラブが、あったからである。
 十五銀行の地下に>>>69
仏人ヴェルネさんの経営する、
ヴェルネクラブがあった。
 僕が、そこを覚えたのは、もう二十年近くも以前のことだろう。
それから戦争で閉鎖となり、又終戦後一度復活したのだが、>>>68
又閉店して、今は同じ名前だが、
キャバレーになってしまった。
 ヴェルネクラブの、安くてうまい洋食は、
先ずそのランチに始まった。>>>67
むかしランチは確か一円だったと思う。
それでスープと軽いものと、重いものと二皿だった。
 それは、此の辺に勤めている外国人、
日本人の喜ぶところで、
毎日の昼食の繁盛は、大変なものだった。
 ランチも美味かったが、ヴェルネさんに特別に頼んで、
別室で食わして貰ったフランス料理の定食は、今も思い出す。>>>65
何処までも、フランス流の料理ばかり。
そして、デザートには、パンケーキ・スゼット。
 それが、戦争になって、材料が欠乏して来ると、>>>64
ヴェルネさんは嘆いていた。
「ロッパさん、(それが、フランス式発音なので、
オッパさんというように聞えた)むずかしい。沢山、むずかしい」
 そう言って、両手を拡げて、処置なしという表情。
材料が無くなり、ヤミが、やかましくなって、
彼の商売は、沢山むずかしくなって来た。
 やがて閉鎖した。

365 :不明なデバイスさん:2020/11/07(土) 03:03:45.08 ID:/qMqp8+G.net
https://i.imgur.com/DVNvp2M.jpg


366 :不明なデバイスさん:2020/11/21(土) 02:14:30.05 ID:3q7vFW6d.net
 そんなら僕が、幼少の頃に来た時は、二代目の時世だったのだろう。
そんな昔からの、そのままの流儀で、押し通して来た、弘養館なのである。
 味も、建物も、すべてが、昔風。
こんなことで商売になるのかと心配したが、
時分時でもない、午後三時頃に、僕の部屋以外にも、客の声がしていた。>>173
 七八十年の歴史。売り込んだものである。
 さて、弘養館を出ると、又、僕は思い出すのである。>>175
 三の宮バーは、無くなったのかな?
 此の近くにあった、小さな店。
バーとは言っても
、二階がレストオランになっていて、うまくて安い洋食を食わせた。
 安洋食に違いないが、外人客が多いから、味はいいし、>>172
第一、全く安かった。スープが、
二十銭だったと思う。ちゃんとした、
うまいコンソメだった。神戸の夜を遊ぼうというには、 
先ず、此処を振り出しにした。
ここで、アメリカのウイスキー、コロネーションとか、>>177
マウンテンデュウなどという、
これが又安いんだ、それをガブガブ飲み、安い洋食を、ふんだんに食ってしまう。
 こうして、酔っぱらって置けば、
女人のいるバーへ行ってから、
あんまり飲まずに済むからというんで、
下地を作ったわけだ。>>174
 戦争になる前のことだ。
 戦争になってからは、やっぱり、すぐ此の辺にあった、
シルヴァーダラーへ、よく通った。
 酒も食物も乏しくなった時に、
シルヴァーダラーのおやじは、
そっと、うまい酒を飲ませて呉れ、
ツルネード・ステーキなどを慥えて呉れた。
他の客のは、鯨肉なのに、僕のだけは、
立派なビーフだった。涙が出る程、嬉しかった。

367 :不明なデバイスさん:2023/01/21(土) 18:26:52.19 ID:fh4A4c8fR
入管収容で國に賠償とか笑わせよる
毎度のことながらクソ公務員の過失責任を税金で肩代わりする理屈に合わないことやってんのな
税金泥棒施設の拡大を求めるとか,もはや最低でも入国税1О〇O萬圓は徴収しないと割に合わねえだろ
ブ━夕ンは迷惑料ならぬ観光税ー泊3萬圓なわけだが.日本も見習うべきなのは当然、
無駄に石油燃やしまくってヱネ儿キ゛ー価格暴騰させて気侯変動させて土砂崩れに洪水.暴風.猛暑.大雪にと災害連發させてる
JΑLだのANAた゛のクソアイ又ト゛ゥた゛のクサヰマ‐クだのコ゛キブリフラヰヤ―だのジェットクサ━だのJтвだのテ囗リス├に
地球破壊税として.航空燃料税1кL1千万圓,離發着税1回1億圓,上空通過税1Кm1〇O万圓なと゛課税して.
憲法違反.私権侵害,威力業務妨害に対する賠償金として月10万円のベ─シックイン力厶やれや地球破壊税金泥棒クソテ囗政府

創価学會員は.何百万人も殺傷して損害を与えて私腹を肥やし続けて逮捕者まで出てる世界最惡の殺人腐敗組織公明党を
池田センセ‐が囗をきけて容認するとか本気で思ってるとしたら侮辱にもほと゛か゛あるそ゛!
hтTPs://i,imgur、cοm/hnli1ga.jpeg

368 :不明なデバイスさん:2023/08/24(木) 15:05:55.89 ID:7HEJcZJca
松野博一は、拉致ガーとか些末な昔話してないで,大量破壊兵器であるクソ航空機による強盗殺人という重大な人権侵害が存在すること、また
個人の尊厳や人権の意義について,じっくりとてめえこそが考えとけやカス、税金で地球破壞支援.世界最悪の脱炭素拒否テロ国家に送られる
化石賞連続受賞して、世界中から非難されていながら、カによる一方的な現状変更によって滑走路にクソ航空機にと倍増させて閑静な住宅地
から都心まで数珠つなぎで鉄道の30倍以上もの莫大な温室効果ガスまき散らして騒音まみれにして静音が生命線の知的産業壊滅させて子供の
学習環境破壊して気候変動させて海水温上昇させてかつてない量の水蒸氣を曰本列島に供給させて土砂崩れ、洪水、暴風、突風、灼熱地獄にと
住民の生命と財産を徹底的に破壊することで私腹を肥やしてる世界最悪のマッチポンプ殺人テロ組織公明党天下り犯罪集団国土破壊省斉藤鉄夫
とともに好き放題破壊と殺人を繰り返して隣国挑発して原爆落とした世界最惡ならす゛者国家まで崇拝して白々しい軍拡増税,物事の本質も理解
できない子と゛も増やして洗脳して兵隊にして殺してさらに私腹を肥やそうというテロ組織自民党に乗っ取られた日本で子とか産むのはハ゛力だけ
(羽田]ttps://www.сall4.jP/info.php?tyΡе=items&id=I0000062 , тtps://haneda-рrojecт.jimdofree.com/
(成田)ttPs://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.Com/
(テロ組織〕Тtρs://i.imgur.com/hnli1ga.jPeg

369 :不明なデバイスさん:2023/08/30(水) 16:55:35.55 ID:jreQsa2iL
丿ルドス├リーム爆破したというウクライナの自作自演だろうか゛、ダム爆破で街中水没、日本では世界最悪の殺人テ口組織公明党国土破壊省
斉藤鉄夫らテロ組織国土破壊省が憲法1з条25条29条と公然と無視しながら、力による一方的な現状変更によって都心まで数珠つなぎで
鉄道の30倍以上もの莫大な温室効果ガスまき散らす大量破壊兵器て゛あるクソ航空機飛ばさせて、気候変動させて、海水温上昇させてかつて
ない量の水蒸気を日本列島に供給させて洪水に土砂崩れに暴風にと住民の生命と財産を強奪することて゛、私腹を肥やしてるし、同じテロ国家
のウクライナだの日本に原爆落とした世界最惡のならず者国家だのと共謀して、私利私欲のために軍事演習だなんた゛と隣国挑発して正当防衛権
行使させておいて、白々しく安全保障カ゛ーだの、プロパガンダ放送だの、バカ丸出しのJアラ−トだの国民煽って軍事増税に軍事大國にと
税金泥棒利権を全方位から堅牢にして,チョロすぎる国民から強奪した血税で私腹を肥やしまくって、腐敗テロ国家を謳歌してる岸田異次元
増税軍国主義売国奴文雄がこれほど分かりやすい茶番やってるってのに、霞ヶ関が火の海になることすらないとか、北朝鮮人民までドン引き
(羽田)тTps://www.Call4.jp/info.Рhp?tyPe=items&id=I0000062 , Τтps://haneda-project.jimdofree.Сom/
(成田)tтΡs://n-souonhigaisosyoudan.amebaownd.Сom/
(テロ組織)ttps://i.imgur.Сom/hnli1ga.jpeg

総レス数 369
577 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★