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岩波文庫総合スレッド 21

102 :無名草子さん:2023/09/10(日) 14:04:47.44 .net
教養が邪魔をするということばがあるけど、創作や創造性と教養とは必ずしも相性の良くない点もある。
<以下は上の意見の補強なので、長文嫌いは読む必要なし>

量子力学の基礎を築いたひとりでもあるハイゼンベルクは数学があまり得意ではなかったため、自分の発見した量子力学を記述する方法が数学の行列式であることを理解していなかった。
そのため、ハイゼンベルク自身は自分の発見した行列力学を使いこなせず、実際に応用し最初に(水素原子の線スペクトルの再現を)計算して見せたのはパウリだった。
ただし、物理の知識が豊富で数学にも強かったパウリもハイゼンベルクの地力と突破力を高く評価していて、両者での共同論文も多数発表している。

フランスやイタリアで賞をもらい、現在は氏の展覧会が全国を巡っている楳図かずおさんなども、インタビューで次のように語っている。

 『わたしは真悟』を描いた時、詳しく調べ上げて描いた作品はウケないというジンクスがあったんですよ。それがあったので本来はロボットとか調べなきゃいけないけど、うかつに調べて、それをそのまま取り入れたらウケない作品の仲間に入ってしまうと思いました。
 絵柄的におもしろいものはやっぱり自分で作らなければならないんですね。

 長い期間描いているときっと邪魔が入るんですよね。その周りの声に耳を傾けて折れていたら、(中略)全体がまとまらなくなって作品が崩れてしまう。
 だから、たとえその時評判が悪くても、自分の中で「それいいよ」って声が聞こえたから、それを信じてやり通すしかないんですよ。

日本人でノーベル文学賞をもらうとしたら、この人しかいないと考えていた石牟礼道子さんにしても、豚を飼っていた小さな農家の主婦がいきなり文章を書くようになり作家としてこれだけの独自の文学を打ち立てたというのは、自分にはかなりの驚きだった。
石牟礼さんの作品には、水俣病をあつかった「苦界浄土」もふくめ、一種の原初的な風景や人間が描かれているような独特な世界がある。
そういう意味では、この人は教養で文章を書いていたわけではなく、言語化された従来の作品とは違うところから自身のことばを汲み上げていたのではないかと考えている。
実際、石牟礼さんはものを書きになるまで、朝鮮戦争のあったことや、イギリスが島国であることなど知らなかったらしい。

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