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宇野常寛と第二次惑星開発委員会 90 【スッキリ】

570 :無名草子さん:2016/04/28(木) 23:18:17.56 .net
昨晩としまえんのIMAXシアターで『ゼロ・グラビティ』を鑑賞してきた。

「映像体験は映画という概念を更新し得るレベルだが、物語はほとんど意味がない」という前評判を聞いていたのだけど、それはとんでもない誤解だ。
一言で言うと本作は重力(従来の20世紀的映画)VS無重力(3D映画)という明確な構造のもと、
身寄りのない=無重力(3D)的なヒロインを生き延びさせることで (Youtube的なネットワーク化ではなく)3D化こそポスト20世紀映画であると
力強く宣言する極めて映画論的な映画だった。要するに映画の世紀(20世紀)の後に来るのは双方向化ではなく3Dだ、と。笑

そのためにはあらゆるしがらみ(人間関係から、地上とのラジオ通信、パラシュートのワイヤーまで)を断ち切ってヒロイン(3D映画)
は生き延びなければならない……。反復される「切断」のイメージの意図は明白すぎる。ヒロインがかつて事故で娘を失っているという設定は、
このままでは3D的なものは子どもを残せない=21世紀的な映像ネットワーク化、
つまりYoutube的なものに席巻されて3D的なものは子どもを残せない、という現状認識なんだろう。

インターネットによるソーシャル化(内在)VS宇宙開発(超越)という図式で後者を擁護するとロマンチストに見える、
みたいな図式ってバカっぽい(だって それをソーシャルなネットワークで主張している時点で、
宇宙じゃなくて「宇宙が好きな自分」が好きな人だから)って思っていたけれど、このレベルで「映画を観る」という体験自体が更新される予感があると、
こうしたウザい説教とは別次元/別問題で説得力がある。ソーシャル化とは異なる次元 で、「映画」を更新できる(既存の概念を書き換え、
新しい世界を見せることができる)ことをちゃんと訴えることができていると思う。

ちなみに、これは映画とは直接関係のない余談だけれど、個人的にはインターネットと宇宙開発を対立的に捉えることに意味はないと思う。
コミュニケーション の効率化しかもたらさないと批判されがちな前者も後者と同じくらい、いや現時点ではそれ以上に「人間」や「社会」の概念を書き換えている。
あと、僕がこう考えるのは堀江貴文さんの「宇宙論」の影響が大きい。(だから堀江さんの中ではネットと宇宙が一本の線でつながっている。)

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