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ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【230】
- 461 :この名無しがすごい! :2021/11/26(金) 05:30:41.71 ID:MPIRhZNJ0.net
- 「やはり来るべきタイミングではなかったようですね」
夜が深くなった。冬枯れした街路樹は、枝の影を雪道に淡く落として久しい。
追い詰められた女の額の皮膚に浅く走る静脈のような枝々の影は、老人の半身にも落ちている。
「そう? タイミングとしてはベストでしょう?
じゃないとあたし達は出会わない」
水銀灯を背に立つ涙ほくろの少女は、老人に首をすくめた。
少女は胸に黒猫を抱いていて、この黒猫が合わせるように鳴いたので、老人は眉間に不快を滲ませた。
「私だけならまだしも、貴女とその猫でしょう。良くない取り合わせだ」
「素敵だと思うけどな。巡り合わせって」
どこか夢見るような少女の声を、老人は無視した。
事実の確認のために、懐から手帳を取り出し、開く。
「スマホ、便利なのに」「苦手なんです」
「不得意を認めるのって美徳よ。改善しないのは怠惰だけど」
少女の声を老人は再度無視。ポケットから小型の懐中電灯を取り出し、黄ばんだ紙に丸い光をあてる。
「大戦末期、岡沢蓬莱は長野の疎開先でフサと出会った。
フサは蓬莱と同い年の小作農の娘で、隣村の地主に奉公する事が決まっていた」
「出会いの3ヶ月後ね。奉公は。まあ、お妾さんね。
美人、特に泣きぼくろが魅力的って評判だったから。
でも半年たたないで戻されちゃうのよね。妊娠してたから」
少女の横槍に合わせるように、また黒猫が鳴いたので、老人は猫を睨みたくなったが、
手帳から視線を上げずに朗読を続けた。
「フサと蓬莱が共に過ごした時間は短かったが、蓬莱に与えた影響は大きい。
東京に戻った蓬莱に美術を……」「想い出だけで作品を100以上でしょ。
その執念で駆け落ちすれば良かったのに。貴方もそう思うでしょう? 岡沢蓬莱さん」
皮肉を込めて笑う少女に、老人は目をすがめた。
「私は岡沢蓬莱の『死』ですよ。本人ではありません」
「あたしだってフサさんのひ孫の『死』よ。名前は芦名いく。フサさんがお母さんに言いつけたの。
男の子が生まれたら、行。女の子なら、いくにしなさいって。
迎えに行くって、蓬莱さん言ってたでしょう。
忘れたくなかったみたい。認知症って初期が苦しめるのよね」
少女の言葉に老人の胸は痛んだ。昔の恋人は痴呆となり死亡した。
あまり知られていない摂理だが、死は生から枝分かれする。そして双子として生を眺める。
距離は遠かったり近かったりする。
頃合いを見て、または何かの導きに急き立てられて、死は生を訪れる。
老人はフサの死亡に衝撃を受けた。死亡とは生と死の融合である。それは存在の消滅。
「……それで、貴女はどうして、芦名いくを訪れるのですか?こんな冬の夜に」
「芦名いくは心臓病だから。でも、アメリカで手術をね。受けたいの。
良い先生とも連絡ついた。足りないのはお金だけ。だから岡沢蓬莱さんに……」
「それで昨日から泊まってるんですか。でもその猫は何ですか? 不吉過ぎる」
老人の言葉に少女は、あたし達の方が不吉よ、と笑って、猫の黒く小さな頭を撫でた。
「来る途中にね。いくが牛乳あげたらなついたの。でも病気みたい。
この子も『死』だから、あたしが放したら、全力で本体に駆けていくわ」
少女の目も声も静かで、だから老人は悲しくなった。惜別に似た悲哀。
「貴女は猫の『死』を止めてるのですね。貴女も『死』なのに」
「考えちゃうのよね。『死』でも人間だから。猫ってかわいい」「私もですよ」「何が?」
「人間ですから、今夜はタイミングではないと思います。
導きは急き立てられるみたいに感じますし、だからここまで近くに来ましたが」
少女は半目で老人を見上げた。猫が威嚇するように鳴いた。「変態?」「何故?」
「そんなに芦名いくの絵を描きたいの?
岡沢蓬莱、昨日からずっと、芦名いくを説得してるでしょ。裸でモデルになれって。
芦名いくも折れそうだし。本体の執念に影響されてるの?」老人は頷き肯定した。
「そうですね。岡沢蓬莱の情熱が伝わって来ます。枯れ枝が火をまとったようです。
なんせ、芦名いくさんは、フサさんにそっくりですから。私は思い出したんですよ。
岡沢蓬莱はフサさんを鮮やかに描きたかった。疎開先で木炭しかなかったから無理でしたが」
少女はうつむき、黙り込んだ。
なだめるように、老人は声をかけた。
「一晩だけ待ってみませんか?その分猫は長生きしますし、作品は生まれます」
少女は答える代わりに夜空を見上げた。星はなかった。代わりに雪が生まれて、はらはらと降ってきた。
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