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ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【212】

889 :『第五十六回ワイスレ杯参加作品』 :2021/03/06(土) 08:35:19.10 ID:VnyWRaWx0.net
 突然の出来事に立ち尽くす。

 「廃刀令、でござるか?」

 その通りだ、と上司は淡々とした様子で頷いたが、そこに納得の色は薄い。
 武士の魂とも呼べるそれを奪われると聞いて、男自身も茫然自失とした様子で、うめき声をあげることとなった。
 上司曰く、これもまた遠い強国であるアメリカとの国交をする上で必要なことだという。
 武士という地位は残るが、刀を持つことは禁じられ、護身用に銃を持つことが正式に政府から通達されたという。
 先祖代々受け継がれてきた、言ってみれば家の象徴でもあるこの刀は最早振るうものではなく床の間に飾っておくものになるらしく、そんな馬鹿な話があるものか、と男は断固抗議したが、お上の決定がたかが一人の男の陳情で覆る訳もなく、あっさりと日本から帯刀という文化は消えることとなった。
 男も新しく割り振られた職場で働くことになったが、仕事といっても男がやるべきことなど殆どありはしない。
 というか、武士に与えられたのはお飾りの天下り先で、殆どの武士は刀のことなど忘れて何もせずとも入ってくる金に一喜一憂しながら日々を過ごしているという。
 何と無様なことか、何と滑稽なことか、これが日本男子の行く末だとでも言うのか、とギリギリと歯を食いしばる。
 解っている。
 異物は自分であり、このようなこだわりなど捨ててしまえば良いことなどとっくに頭では理解しているのだ。
 理解しているのだが、それでも武士として生まれ育った血が、魂が、それを受け入れることは出来ないと自身に訴えかけているのだ。

 「刀なくして何が武士かよ」

 若い頃は武士として人を数え切れぬほど斬ってきたし、それが武士としての正しい在り方だと感じてもいた。
 斬りたい、と疼く右腕をどうにか抑えるのに苦労しながら空虚な日々を送っている自分の何と無様なことか。
 だが、幾ら斬りたいと思っても、それはもう出来ないのだ。
 世がそのように変わってしまった。
 大人なのだから、清濁を併せ呑むべきなのだろう、そう思ったところで気は晴れず、だが、それでもどうにか日々を生きていたのだが、ふと、何やら人が集まって騒がしい区画があることに気づき、興味を惹かれた男は夢遊病のようにふらりふらりとそこに近づいた。

 「さあさ、皆さん。この包丁、あのアメリカから直輸入された超合金!一切研がずとも十年は使える最高の切れ味!どんな野菜だってほれこの通り!スパスパ切れちゃう優れもの!!」

 包丁の実演販売か、と厨房に立つことは一切なく、料理とは女がするものだと言われて育った男にとっては興味のないもので、そこを立ち去るつもりだったのだが、実演販売の売り子の切り方を見て、非常に不愉快な気持ちになった。

 「おい、そこの売り子よ。物の切り方がなっておらん!ちょいと貸してみろ!」

 「は?ちょ、ちょっと!邪魔をされては困ります!」

 「うるさい!男でありながらなんだその腰をくねくねさせた気持ちの悪い斬り方は!武士ならば!日本男児ならば!背筋を伸ばして、魂を込めて刀を振るえ!!」

 唐突に乱入した男に周囲が沸き上がり、すぐにその見事な包丁の腕前にさらに大きな歓声があがった。
 実演販売として用意していたキャベツは瞬く間に糸より細く、だがシャッキリとした食感が残る見事な千切りになり、大根はといえば向こう側が透けてみるような見事な桂剥きを披露されることになり、他の野菜もまたたくまに菖蒲や菊といった見事な飾り切りになっていく。
 最初は止めようとしていた実演販売員もこれは売れる!と男の周囲で何やら騒いでいたが、男はそれどころではなかった。
 長らく抱えていた胸の中の淀みが野菜を切る度になくなっていく。
 気づけば、久しく浮かべていなかった表情を男は浮かべていた。

 「こんなに近くにあったというのに中々気づかぬものだな」

 この日の夕方、仕事から帰ってきた男が厨房に立つと言い出して、とうとう刀恋しさに気でも狂ったのかと心配になった妻に泣かれることになったが、懇切丁寧に新しい武士の在り方を語り、新しい武士としての戦場に翌日の朝から立つことになった。
 まだ朝早い時間から、トントントンと豆腐と長ネギをリズムよく切っていく。
 出汁と味噌の良い香りが鍋から漂い始めた辺りで、慌てた様子で妻が厨房に飛び込んできた。
 どうやら、毎日の習慣で朝餉を作りに来たようだが、厨房に立つ男の姿を見て、その光景が未だに現実に受け入れることが出来ないのか茫然としていたが、男が浮かべている表情に廃刀令以前の夫が戻ってきたことを悟ったのだろう。

 「おはよう」

 薄っすらと笑みを浮かべていた。

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