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ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【212】
- 834 :第五十六回ワイスレ杯参加作品 :2021/03/05(金) 02:06:07.54 ID:l7LfUPop0.net
- 突然の出来事に立ち尽くす。
陛下が苦悶の表情を浮かべながら胸を押さえられた。声にならぬ声を上げられると、その場で頽れる。
園遊会は騒然となった。絹を裂くような妃がたの悲鳴。『陛下! 陛下!』と必死に呼び掛ける宦官の叫び。『医官を呼べ!』と宮官長が大声で指示を出している。
月英妃の後ろに控えていた私は、呆然と見ていることしか出来なかった。
翌日、陛下は崩御された。
朝の務めを果たすべく厨房に向かう。火を使い、ぬるま湯を盥に張る。両手で持ち上げると、主人である月英さまのお部屋へと足を向けた。
一歩進む度に気鬱になる。
敬愛する主のお顔を見るのが、ここ数日辛くてならなかった。しかし会わないわけにもいかない。
とうとう、お部屋の前に着いてしまう。一旦盥を床に置くと、意を決して口を開く。
「水蓮です。入ります」
戸を開き、盥を持ち上げてから入室する。
月英さまのお部屋は、前後二室に区切られていて、前室が書斎、後室が寝室となっている。
普段ならまだ寝ておられる時間だが、月英さまは既に起きていた。書斎にある長椅子(カウチ)に寝衣姿で横になっている。表情には陰があった。悲嘆、その言葉がこれ以上なく似合う有様だ。
「月英さま」
呼び掛けに、ゆるゆるとお顔を持ち上げられ、虚ろな目で私を見る。
「水蓮」
か細い声。私は常と同じ態度を心掛け『朝のお支度の手伝いをいたします』と返した。
盥のぬるま湯で洗顔をしてもらい、その間に衣装箪笥から白生地に黒の刺繍がされた襦裙――喪服を取り出す。
着衣を手伝い、次いで櫛を手に取る。
「御髪を梳かせて頂きます」
背後に回り、少しほっとする。月英さまの痛ましいお顔を見なくて済むから。
長い金砂の御髪を梳いていく。
月英さまは、漢人ではなかった。北の異民族討伐の折に捕虜となり、都に連れて来られ、そこで偶々陛下の目に留まり、妃となった。
長い金砂の御髪、翠の瞳、白い肌、嫋やかな歌声は簫のよう。異民族の余りに麗しい佳人を、陛下は溺愛した。
遠く異国に連れてこられた月英さまは、初めの頃は人目を憚らず泣き、恨み言を繰り返していた。
しかし陛下が何くれと気に掛け、月英さまの憂いが晴れるようにと心を砕き続ける内に、月英さまも陛下に心を開かれるようになられた。
最近では、お二人の仲睦まじいお姿を拝見できるようになったのに……。
「水蓮」
月英さまがぽつりと呟く。
「また一人になってしまったわ。私は、これからどう生きればいいの?」
「月英さま……」
言葉に詰まる。何事か、慰めの言葉を口にすべきなのに、何も言うことが出来ない。
「……ごめんなさい。お前を困らせることを言ってしまったわ」
振り向かれた月英さまが済まなそうな顔をされる。
――ッ! 本当にお辛いのはご自分なのに、このお方は……。
「お下がり。少し一人にさせて頂戴」
「はい」
退室を促され、私は逃げるように背を向ける。
ああ、自分は何と浅ましい人間だろう。
慰めることが出来ぬばかりか、退室を促され内心安堵するとは。
自己嫌悪を覚えながら、そそくさと足を進める。が、あることに思い当たり『あっ!』と声を出しそうになる。
花瓶の水替えを失念していたことに気付いたからだ。思わず後ろを振り返ると、月英さまのお顔が視界に入る。
薄っすらと笑みを浮かべていた。
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