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ワイが文章をちょっと詳しく評価する!【212】

742 :蜜柑箱『第五十六回ワイスレ杯参加作品』 :2021/03/03(水) 14:49:10.88 ID:CCYynl6fp.net
 突然の出来事に立ち尽くす。
「どうして、なんで……?」
 私は震える声で、辛うじてそう口にした。
 残業疲れで自室のアパートに帰れば、既に時刻は深夜零時近く。
 冷蔵庫に入れていた野菜炒めを食べていたら背後から物音が聞こえてきて、振り返った先には青白い顔をした男が立っていたのだ。
 驚きのあまり言葉が出ない。心臓の鼓動が痛いほどに激しい。
「お、俺にもわからない。気が付いたら、ここにいた。それに、何も思い出せないんだ。信じてくれ」
 男は泣きそうな顔で、必死に弁解を始める。
 私は彼の顔を見る。普通の人間とは思えないほどに青白い。いや、顔だけではなく、全身が青白かった。そして何より、彼の足許はぼやけていて見えなかった。
「幽霊……? いや、そんなの有り得ない。夢、幻覚……?」
「幻でもなんでもない。本当に、気が付くとここにいたんだ。信じてくれ」
 私はとにかく彼に部屋の隅へと離れてもらい、落ち着いて考える時間を取った。
 今日一日を思い返せば夢ではないことは明らかだ。幻覚の方は否定できない。ある日突然幽霊がでてきたなんてことより、私の頭がおかしくなったと考えた方がずっと筋が通っている。
 時間を取って話し合うことで状況を整理することができた。どうやら彼は自身が幽霊であることに気が付いているらしい。いつの間にかここにいて、何も覚えてはいないのだという。
 彼の方がずっと慌てて申し訳なさそうにしていて、不思議と超常現象への恐怖も薄れてしまった。
 そして彼は、なぜかここの部屋から出ることができないらしい。強迫観念のようなものがあり、どうしてもここにいるべきだと考えてしまうようだ。
「……はぁ、ここ事故物件だったの。前の入居者の人が自殺したんですって。あなた、地縛霊なのよ、きっと」
 私は頭を押さえながら、彼へとそう説明した。
「君は冷静だな。俺なんて、まだ混乱している。それに女性の部屋に居座っていることへの罪悪感でいっぱいだ」
「昔から、動物の生き死にへの忌避や嫌悪があまりなかったの。占いや幽霊なんて信じたこともなかったし、お墓参りに意味を感じたこともなかった。さすがに突然幽霊が立っていたのには驚いたけど、別にあなた、怖くないもの」
 そんな私が幽霊騒動に直面するとは皮肉なものである。或いは、そんな私だからこそなのか。
「随分と変わった人の許に出てしまったものだ」
「で、どうしたいの?」
「どうしたい、とは?」
「何かあるでしょう? 未練や自分ことを思い出したい、だとか」
「突然そんなことを言われてもな……。君に迷惑を掛けないよう、早く成仏したいとは思っている」
 大真面目な顔でそんなことを言うものだから、つい吹き出しそうになってしまう。
「別に気にしなくて結構よ。何かしたいことがあるなら協力してあげる。とにかく今日は遅いから、私はシャワーを浴びてくるわ」
「君は強いんだな」
 私は晩飯の食器を片付けると浴室へと向かった。彼は私の手にした下着を目にしたことへのバツの悪さからか、気まずげに目を伏せていた。
 私は服を脱ぎながら、深く息を吐き出した。
 まさか、殺した相手が自室に化けて出るとは思わなかった。
 私は仕事のストレスから、定期的にホストクラブに通っていた。
 彼はそこで勤めていた三流ホストで、よく私の愚痴を真摯に聞いてくれていた。
 彼は今の職は向いていないため一般企業へ転職したいと考えており、それから落ち着けば私と結婚を前提に付き合いたいとまで言ってくれていた。
 だが、それは嘘だった。彼には別の婚約者がいたのだ。近い内に辞めようと考えていたことだけは事実であった。
 私は彼を殺した。彼を恨んでいたわけではない。婚約者のものではなく、私だけのものにしたかったのだ。
 だから私は、こうして彼が私のアパートに出てくることなんて、別に不快でもなんでもない。いつまでも居座ってもらって結構だ。
 事故物件なんて彼が真相に気づかないように咄嗟についた嘘っぱちである。
 私のアパートに出たのは復讐のためなのだろうか? 或いは、彼が復讐に来ると思い込む私の見せた幻覚か。婚約者への未練より私への恨みが大きかったということならば、それほど嬉しいことはない。
 私は浴室で鏡を覗き込む。
 薄っすらと笑みを浮かべていた。

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