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【晩年】大江健三郎 8【様式】

354 :吾輩は名無しである:2024/04/25(木) 10:38:47.62 ID:xukiiJCe.net
読売新聞で、仏文学者で東大教授の郷原佳以がこの本を書評している (2024.4.14)

「著者はデビュー以来、折口信夫について論じ続けてきた批評家である。
2014年の大著『折口信夫』のなかで著者は、「大嘗祭の本義」を始めとする折口の天皇論をこうまとめている。
「近代的な天皇制を、前近代的であるとともに超近代的でもある〈野生の天皇制〉へと解体し、再構築してしまうこと。
すなわち、天皇を『脱構築』してしまうこと」。
そしてこの構想は、フレイザーの『金枝篇』やモースの「呪術論」など、霊的な力を探求する民族学の視点に拠っていると指摘した。
(中略)
しかし、問題提起において圧倒的なのは間違いなく、大江健三郎と三島由紀夫をめぐる冒頭の2章、および、大江と村上春樹をめぐる終章である。
著者は、一見対照的に思われる三島と大江の天皇感の以外な関係性を暴き出す。
「政治少年死す」における右翼少年の「純粋天皇」崇拝は、単に切り捨てるべき愚行として描かれたのではなく、大江自身が取り憑かれていた想念だった。
この想念を介して大江と三島は交錯する。
そして三島の自死によって、大江は三島に呪縛されつつ別の方向へ歩み始める。
そこで支えになったのが、三島が抗った折口の思想だった。
著者は、大江と三島の対立の象徴となる1968年を起点として、以降の日本文学史を描き直してみせる。
 終章では、その後にやって来る村上と大江の関係が、三島と大江の関係の反転として論じられる。
大江の『水死』と村上の『1Q84』が共にフレイザーの『金枝篇』の王殺しの場面を引用しており、
共に折口の思想を反復しているという指摘は説得的だった。」

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