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【晩年】大江健三郎 8【様式】

119 :吾輩は名無しである:2023/10/20(金) 12:52:00.23 ID:SqaGqH09.net
 ちなみに上レスでクレーム入れたからといって大江健三郎の小説が
読む価値なしとか言いたいわけではない。それは別問題。考えさせる小説である
ことに変わりはない。ただ、読者に不親切が過ぎる。そのために読みにくさを
増幅させていたのではないか。そこを言いたかった。大江氏が自覚しないなら
編集者とかが気を利かせて「屋敷」「谷間」の見取り図を添付してくれたら
大江氏の後期の小説がより読みやすくなったのは間違いない。そこで読者に
たいする怠慢があったということ。そこから「大江の小説は読みにくい」の風説
も出たんじゃないか、そこを言いたいわけ。作者本人も多分この点について
気づいてないまま亡くなってる。

 大江健三郎のクラスにもなると、編集者も意見を言いにくくなっていたのでは
ないか。+彼がノーベル文学賞を受賞してしまうと、ますます言いにくくなる。
それによって、一般読者からすると、大江健三郎の小説は語彙が事典・辞典
ないと読めない。また小説の人物の生息する地域の地形がまったく把握
できない。そういうマイナス評価が後期は特に増幅していたのではないか。

 私の場合も大江健三郎の小説1980年以降読んでなかったので、どういう
ことになっているのか把握はしてなかった。最近、彼の小説を読みながら、
ここは作者による補足が必須ではないかと思える箇所がある。特に「僕」の
生まれ故郷である、四国の森の地形図は、小説を読み進めるうえで必須では
ないか。必須であるにもかかわらず、彼の本にそういう図面が添付されている
例がない。これは明らかにおかしいし大江健三郎の小説を読みにくく
させていた重大なる要因の1つであると言いたくなった。そういうことです。

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