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【晩年】大江健三郎 8【様式】

110 :吾輩は名無しである:2023/10/18(水) 05:56:51.02 ID:CSqiT2p7.net
 あと、特徴的なこととして、森の守護をする「ギー兄さん」の思想として、
都市を破壊する文明にはいつか天罰が下る。という思想が出てくる。それが
また住民の反感を買って、より対立が激しくなる。徐々に「ギー兄さん」に、
反‐文明の色が出てきて、二代目「ギー兄さん」は手かざしによる病気の治癒
までやるようになり、そこで失敗してまたそれでインチキだと糾弾される。

 こういう反‐文明のムーブメントが小説ではテロになったり、神秘家になったり
。で、90年代以降のこういう小説が、オウム真理教事件を予告していたとも
言われていたんですよね。小説の中のそういうムーブメントの場合はオウム
の実像よりか、スキャンダラスではない。しかし文明と敵対するという側面は
オウムと共有してる。住民と敵対したり。で、大江を連想させる「K」とか
「僕」は、「ギー兄さん」にも住民にも加担はせず、見守るという姿勢でいる。
だいたい実際の大江健三郎も成城の自宅に生活し、対立を知りながらどちらにも
つかない。そこでの魂の問題とや清貧の思想には共感。
それが後半の小説ではよく出てくる。それででも「僕」としては魂の問題に
共感はしても、「ギー兄さん」とともに行動はしないんですね。一線を画す。
そこで大江健三郎という人の、文明への姿勢や評価や、分裂したまま最期まで
進んでしまうのと重なる。小説家としても、対立を描く記録者としての立場を
固持したまま亡くなったでしょう。

 後半の小説世界での、文明化と自然との対立。魂の問題に魅かれながらも
一緒に行動はしない「僕」。過激な行動に同伴はない。しかし、思想としては
「ギー兄さん」に共感はしている。頻繁に意見の交換もするし。しかし
行動は無い。が小説の中の「K」「僕」の姿勢なんですね。これは現実の大江
の姿勢と一致する。そこで分裂していく自己を描き続けたまま亡くなった。
と言えるんじゃないですかね。
 だから仮にまだ存命で書いていたとしても、この分裂について、いまだに
書いていたんじゃないか、て気はしますね。

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