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ユイスマンス
- 37 :吾輩は名無しである:2017/11/02(木) 15:36:51.69 ID:UHBbS+zX.net
- mipoko
関東大震災時の虐殺では中国人も狙われた。陸軍中隊と群衆がある宿舎に集団で暮らす中国人を狙った。
少なくとも200人以上が殺された。多い推定だと400人。
それを生き延びた一人の中国人青年が、初の国民栄誉賞を受賞するあの人の父だそうだ。
バージル
虐殺死体を目撃した田辺貞之助氏(仏文学者)が、生々しい証言を残しています。
また、この虐殺は流言に踊らされた軍民の暴走どころか計画的大量殺人だったという指摘もありますね。
↓
関東大震災と「新巻の鮭」 - 読む・考える・書く
平野啓一郎
ゴーティエやユイスマンスなどをこの人の翻訳で読んだが、こんな証言を残していたとは。それにしても酷い。
こういう過去を厳しく批判し、反省する痛みを引き受けつつ、
それでも日本を愛し続ける、愛するに足る国にしたいと、なぜ言えないのか。
2017年9月2日
- 38 :吾輩は名無しである:2018/03/28(水) 22:19:06.46 ID:Ru2Swh7M.net
- そうしてぼくは、博士論文を執筆している七年の間、常にユイスマンスの傍らで暮らしてきた。
ユイスマンスは、シュジェ通りに生まれ、セーヴル通りとムシュー通りに暮らし、
サン=プラシド通りで亡くなり、モンパルナス墓地に葬られた。彼の人生は、概観するとほとんどがパリ六区で展開されていたのであり、
アンドレ・ブルトンがいみじくも言うように、ユイスマンスのユーモアは、懐の深い独特なもので、著者をからかいたいという気にさせる。
ミシェル・ウエルベック『服従』
- 39 :吾輩は名無しである:2018/03/28(水) 22:42:40.73 ID:vK4h4Y4Y.net
- てめーのコピペ帳じゃねえんだぞ?
- 40 :吾輩は名無しである:2018/04/12(木) 01:49:29.35 ID:vU72x2EW.net
- 森 鷗外(1862年2月17日 - 1922年7月9日)
青年 (『スバル』、1910年3月-11年8月)
純一はゆうべ借りて来たラシイヌを出して、一二枚開けて見たが、読む気になれなかった。
そこでこんなクラッシックなものは、気分のもっと平穏な時に読むべきものだと、自分で自分に言いわけをした。
それから二三日前に、神田の三才社(さんさいしゃ)で見附けて、
買って帰ったHuysmans(ヒュイスマンス)の小説のあったのを出して、読みはじめた。
- 41 :吾輩は名無しである:2018/07/04(水) 18:51:50.47 ID:rZg4s+qy.net
- ふらんす文学研究者しか読まない作家でやんす、ゆいすまんです
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