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村上春樹の短編を語る会

390 :吾輩は名無しである:2016/05/14(土) 13:58:59.68 .net
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「川端はいかにも日本文学。一語一句、漢字のニュアンスまで、その繊細さ、微妙さがある。日本語の機能を最大限引き出している。でも村上さんは全く違う。
言葉の美しさや、文化的な文脈に寄りかからない。映画やテレビドラマみたいに、場面の移り変わりを描いていく。だから、英語にしてもわかりやすい」
言葉の美でなく、映像的。だが同時に、抽象性も備えている。
「映像が頭に思い浮かぶのに、舞台が日本なのかなんなのかわからない。抽象的な感じもある。文化に頼らないから伝わりやすい」。バーンバウムさんは言う。
作品の舞台が日本でも、登場人物はそばでなくスパゲティを食べる。出てくる音楽は、「荒城の月」ではなく、ジャズであり、クラシック。
「世界共通の、ハンバーガーやジーンズのようなものを目指したんだと思う。いわば、ポップカルチャーだよ」
対照的なのが、英語で執筆する日系アメリカ人作家のカズオ・イシグロだという。最初期の作品は、イシグロが幼い頃に過ごした日本を舞台にして書かれている。
「でも、読んでみると情景が全然わからない。畳にすわっているのか、ちゃぶ台でたべているのか、テーブルでたべているのか、全然わからない。それは意識的に作ろうとした抽象的な日本なんだ」
村上さんの目は、アメリカにあるとバーンバウムさんは主張する。
抽象化された世界共通文化としての「アメリカ」。違う文化に生きる読者にとっても、入りやすく、壁を作らない。「たまたま日本語で書いている、アメリカの作家」と表現する理由

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