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池永新人王
- 1 :名無し名人:2020/11/06(金) 17:06:25.53 ID:QGr225Lg.net
- 天志(たかし)の跳躍
- 2 :名無し名人:2020/11/06(金) 17:12:43.84 ID:QGr225Lg.net
- 池永 天志(いけなが たかし[1]、1993年4月20日[1] - )は、日本の将棋棋士。小林健二門下[1]。棋士番号は314[1]。
- 3 :名無し名人:2020/11/06(金) 18:14:47.00 ID:ZLXBEhC+.net
- 天使です
- 4 :名無し名人:2020/11/06(金) 21:20:56.47 ID:VxEBdBfd.net
- 1965年、後にプロゴルファーとなる尾崎正司(将司/ジャンボ尾崎)らと共に、西鉄ライオンズに入団し、
1年目から20勝を挙げ、新人王を獲得した。
以降、故障でリリーフにまわった稲尾和久の跡を継ぎ、西鉄のエースとして活躍した。
同期入団の尾崎は後に「あんな凄い奴が同期にいたんじゃ、俺が野球で成功するのは無理だと思った」
と語り、野手への転向やプロゴルファーへの転身のきっかけになっている。
新人王受賞時の池永も「自分は野球選手以外の職業になる事は考えたことがないし、これが天職だ」と述べている。
1967年には23勝を挙げ、最多勝のタイトルを獲得した。また新人から5年連続でオールスターゲームに出場し、
セ・リーグを無失点に抑えた。
入団5年間で99勝を挙げており、通算300勝の記録は十分射程圏内であった。また当時のパ・リーグはDH制度が
導入される前であり、投手も打者として打席に入っていたが、通算13本の本塁打を放っている。
バッティングも期待できるエースピッチャーとしても、稲尾とタイプが似ていたため、名実共に稲尾の後継者として
期待されており、その期待通りの活躍を続けていた。
黒い霧事件
しかし、1969年のシーズンオフに黒い霧事件が明るみになり、チームメイトの永易将之が挙げた「八百長(敗退行為)を
した疑いのある西鉄選手」の中に、池永が入っていた。
- 5 :名無し名人:2020/11/20(金) 21:28:07.03 ID:r7jdyycd.net
- いけぇ
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