2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

女流棋士の歴史を適当にまとめるスレ

1 :名無し名人:2017/12/30(土) 17:59:14.19 ID:zVpPl+bSg
!extend:checked:vvvvv:1000:512
先日、女流棋士第1号である蛸島彰子女流六段が今期限りで現役を引退することが発表されました。時の流れというものを感じる今日この頃。
将棋界の女流棋士の歴史について適当に書いていきたいとおもいます。間違いや表現がおかしいと思われるところなどあったらツッコミを入れてください。
では、レッツゴー。

2 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:04:52.65 ID:utpFFD1gi
〜江戸時代 将棋の歴史に女性が登場〜
現存する最古の将棋の棋譜は、皆さんご存知の通り1607年(慶長十二年)の初代大橋宗桂と本因坊算砂の一戦。では女性が指した最古の棋譜は知っていますか。
将棋の文献に初めて登場した女性は江戸時代後期の大橋浪女(おおはし・なみ)。
棋力は二段と伝えられている。大橋家と関わりがあったのかなどの詳細は不明。
1809年(文化六年)の福島順喜との飛車落ちの対局の棋譜が残っている。
ぜひ盤に並べてみてほしい。これは個人の感想だが、結構強いのでびっくりした。

3 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:37:56.73 ID:utpFFD1gi
手合割:飛車落ち
下手:大橋浪女
上手:福島順喜
△3四歩    ▲7六歩    △4四歩    ▲4六歩    △3二金
▲4八銀△4二銀    ▲4七銀    △4三銀    ▲5六銀    △5四歩    ▲4八飛
△3三桂    ▲3六歩    △5二金    ▲6八玉    △6一玉
▲5八金右△7二玉    ▲7八銀    △6二銀    ▲9六歩    △9四歩
▲3七桂△5三銀    ▲8六歩    △6四歩    ▲8七銀    △7四歩
▲7八玉△6三金    ▲6八金上  △1四歩    ▲1六歩    △8四歩    ▲2六歩
△7三桂    ▲4九飛    △6五歩    ▲4五歩    △同 歩
▲同 桂△同 桂    ▲2二角成  △同 金    ▲4四歩    △同銀直    ▲4五銀
△同 銀    ▲同 飛    △4四歩    ▲4九飛

4 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:39:36.92 ID:utpFFD1gi
△5五角    ▲7七角△3七角成  ▲4四飛    △同 銀    ▲同 角    △4九飛    ▲4八歩
△3二金    ▲5二銀    △6四馬    ▲5六桂    △5三馬
▲6一銀打△6二玉    ▲6三銀成  △同 玉    ▲6四金    △同 馬    ▲同 桂
△5三銀    ▲1一角成  △7九金    ▲7七玉    △6四玉    ▲5九香△4六桂
▲8八玉    △5八桂成  ▲同 金    △4四歩    ▲7九玉
△4六桂    ▲5六桂    △5五玉    ▲4四桂    △5八桂成
▲5六金△6四玉    ▲3二桂成  △5九飛成  ▲8八玉    △6八成桂
▲5五金打△6三玉    ▲8一角    △6二玉    ▲7二角成  △5一玉    ▲3三馬
まで102手で下手の勝ち

5 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:40:17.81 ID:utpFFD1gi
次に、幕末の書『将棋営中日記』で池田菊女という女性が登場する。

1840年(天保十一年)、山王無量院で催された将棋会に出席して、七段大橋宗桂(飛車落)と松波瓢斎(角落)との席上手合せを披露した。
また1838年に指された平手の棋譜が一局残っている。最後の家元制名人、八代伊藤宗印(当時12歳?)相手に相矢倉の熱戦を制している。

6 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:40:47.41 ID:utpFFD1gi
先手:池田菊女
後手:八代伊藤宗印
▲7六歩    △3四歩    ▲2六歩    △4四歩    ▲2五歩    △3三角
▲4八銀    △3二銀    ▲6八玉    △5四歩    ▲5六歩    △8四歩
▲7八玉    △8五歩    ▲7七角    △5二金右  ▲8八銀    △4三金
▲5八金右  △4二角    ▲6八角    △3三銀    ▲7七銀    △3二金
▲6六歩    △4一玉    ▲6七金    △3一玉    ▲8八玉    △2二玉
▲7八金    △6二銀    ▲3六歩    △5三銀    ▲1六歩    △1四歩
▲5七銀    △7四歩    ▲4六歩    △6四銀    ▲3七桂    △7五歩
▲同 歩    △同 銀    ▲7六歩    △6四銀    ▲4五歩    △同 歩
▲同 桂    △4四銀    ▲4六銀    △8六歩    ▲同 銀    △7五歩
▲同 歩    △同 銀    ▲同 銀    △同 角

7 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:41:51.91 ID:utpFFD1gi
▲3五歩    △6四角
▲6五銀    △3七銀    ▲6四銀    △2八銀成  ▲5三銀成  △同 銀
▲同桂成    △同 金    ▲7一角    △7二飛打  ▲5三角成  △7五桂
▲7六銀    △6七桂成  ▲同 銀    △7七歩    ▲同 角    △7六歩
▲6八角    △6九金    ▲7五歩    △6八金    ▲同 金    △4二角
▲4四馬    △3三金    ▲5四馬    △7五角    ▲7六銀    △8六歩
▲7七歩    △8七歩成  ▲同 銀    △8六歩    ▲同 銀    △同 飛
▲8七歩    △8四飛    ▲6五馬    △6四角    ▲5五銀    △7三桂
▲6四馬    △同 歩    ▲3四歩    △同 金

8 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:42:36.06 ID:utpFFD1gi
▲4六桂    △3三金
▲3四金    △8二飛寄  ▲3三金    △同 桂    ▲3四桂    △1三玉
▲3一角    △2二銀    ▲同角成    △同 飛    ▲同桂成    △同 玉
▲7二飛    △3二角    ▲7六銀    △6七銀    ▲同 金    △7五桂
▲3二飛成  △同 玉    ▲5四角    △4三歩    ▲7五銀    △4八飛
▲7八金    △8二飛    ▲4四桂    △2二玉    ▲4三角成  △4二金
▲3二金    △同 金    ▲同桂成    △同 飛    ▲4四歩    △8二飛
▲3四歩    △4二金    ▲3三歩成  △同 金    ▲2一金    △1二玉
▲3三馬    △2一玉    ▲2二銀    △同 飛    ▲3四桂
まで155手で先手の勝ち

9 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:43:32.65 ID:utpFFD1gi
池田菊女は明治の世まで生き、1870年(明治三年)の将棋番付に、「四段」として名を連ねた(女性として最高段位)。

大橋浪女、池田菊女のほかにも女性の名は挙がっている。
天保十年に大橋柳雪が発行した『将棊見立相撲』には、八丁堀はる女、本郷まさ女、水野こう女、大島き代女の四人の名があった。

しかし、明治〜大正〜昭和初期にかけて将棋を指す女性はほぼいなくなる。

10 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:44:41.96 ID:utpFFD1gi
〜女性の系譜が途絶えた明治から昭和初期〜

まず明治時代というのは将棋界にとって受難期であった。
明治維新で江戸幕府が崩壊し、家元制度が消滅した後は、安定収入のある専業の将棋指しはほぼ皆無となった。将棋指しの多くは稽古料では食えず、賭け将棋あるいは生業を別に持ちながら、将棋の復興に向けて苦闘を続けた。
いくつかの将棋指しの団体も作られ、専門紙の発行による新聞棋戦も試みられたがなかなかうまく行かなかった。

賭け将棋がよく指されたことも、女性から敬遠された一因だと考えられる。将棋人気は衰退し将棋指しの世間での評価は地に堕ちた。

11 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:46:23.66 ID:utpFFD1gi
明治末に新聞に将棋が掲載されたことが人気が再沸騰する要因となった。
1947年(昭和22年)に関根金次郎らの尽力で「日本将棋連盟」が結成。
統一的な将棋指しの団体が結成されることによって、新聞紙上に実戦対局棋譜を掲載することによって賞金による安定的な収入が得られるようになってゆき、将棋を専業とすることが可能になった。
これが大正〜昭和初期。

12 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:47:06.99 ID:utpFFD1gi
〜女流草創期・女流プロの誕生〜
1961年(昭和36年)蛸島彰子が女性として初めて奨励会入会(初段で退会)。
※奨励会では「指し分けで昇級」という特別ルールが適用。のちに奨励会に所属した他の女性とは条件が異なる。
『将棋世界』『近代将棋』では、女性が著名将棋ファンとの対局する企画が行われ、女性を対象とした大会、教室が増えるに従い女流棋士創設の機運が高まる。
1974年、報知新聞からプロ野球のオフシーズンの女流棋戦の開催を打診され、開催にこぎつけるまで2か月で話は進み、女流棋士は連盟が候補を挙げ打診するという方向で行われた。
蛸島ら6人の女流棋士が誕生した。
1978年に女流王将が創設されてからは2タイトル時代に。
蛸島と山下がタイトルを分け合う二強時代であった。

13 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:48:07.30 ID:utpFFD1gi
※ここからは起きた出来事を年表形式でまとめていきます。

1961年 蛸島彰子が高柳敏夫門下で奨励会7級入会(当時15歳)。
1962年 連盟が「女性教室」を開設。1期生に寺下紀子、多田佳子、村山幸子。
1965年 全国高校将棋選手権が創設。個人、団体共に女子の部が創られた。
1966年 蛸島が奨励会を初段で退会(当時20歳・結婚が契機になった)。
1968年 女流名人戦(女流棋士会発足後「女流アマ名人戦」に改称)が始まる。
第1回優勝は関根紀代子(旧姓吉田。同年に関根茂八段と結婚)。
1972年 連盟の教室に通っていた山下カズ子は講師の松下八段からレッスンプロを勧められ、1級に認定される。
1974年 連盟と報知新聞社の間で女流棋戦創設の交渉が始まり、両者の合意によって女流プロ名人位戦が創設されて蛸島、関根、山下、多田、寺下、村山の6人が女流棋士に認定される。(蛸島は三段、関根、多田が二段、山下、寺下、村山が初段でスタートした)
1974年 将棋会館において第1回女流名人位戦が開始。蛸島が初代女流名人位に就く(その後3連覇)。
1977年 山下が蛸島から女流名人を奪取(その後4連覇)。
1978年 第2のタイトル戦、「女流王将戦」が創設。蛸島が初代女流王将に就く。

14 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:49:09.58 ID:utpFFD1gi
蛸島初代女流名人誕生を伝える報知新聞(1974年11月27日付)
http://www.hochi.co.jp/topics/garticle.html?id=20171207-OHT1I50108

蛸島彰子名人「この名人位戦が開設される前までは、女性のプロは私ひとりだけだったので下手な負け方だけはしたくないと必死でした。
勝ってほっとしたという気持ちです。これからはプロの仲間が増えたのでみなさんと一生懸命やっていき女流将棋の普及、向上につとめたいと思います」

15 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:49:38.57 ID:utpFFD1gi
<蛸島彰子の経歴>
女流プロ第1号蛸島彰子についてもう少し。
蛸島が将棋を始めた小学生の頃はまだ女性が将棋を指すことが一般的ではなかった。そそっかしい性格を見かねた父親が、将棋をやれば落ち着きが出るのではと教えた。
実力を評価した金易二郎の勧めにより、高校一年生で奨励会に入会。2歳で母親を亡くした蛸島に、当時病弱だった父は自分に万が一の事があったとき一人で生き抜く強い精神力が身につくだろうと、強く入会を勧めた。
女流棋士制度誕生まではレッスンプロのような存在で将棋イベントに出演したり、記録係を務めたり。奨励会退会後は実戦からは遠ざかっていた。

初代女流名人、女流棋士会初代会長、女流育成会幹事、女子プロ将棋協会特別相談役という経歴と実績を持つ彼女は、その後の女流棋士に多大な影響を及ぼした。
NHK杯テレビ将棋トーナメントの棋譜読み上げを務めていたことを覚えている人もいるかもしれない。

16 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:50:30.00 ID:utpFFD1gi
〜林葉・清水・中井の三人の天才少女〜
1980年代から1990年代前半にかけて林葉直子、中井広恵、清水市代の三人は女流棋界を席巻し「女流三強」と呼ばれた。当時のタイトル戦のカードはほぼ三強同士の対戦であり、1982年度から1993年度まで三強で全てのタイトルを独占。
林葉と中原誠十六世名人の世間を騒がせたスキャンダルについて詳しくは述べない。

17 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:50:55.89 ID:utpFFD1gi
1980年 当時中学生の林葉直子が女流2級として入会
1981年 林葉は女流王将を奪取(14歳、史上最年少)。中学生タイトルホルダーとして話題を呼び、女流棋士の認知度を大いに高めた。
(その後、林葉は女流王将を10連覇。未だに破られていない同一女流タイトル連覇記録)
1981年 棋士(いわゆる男性棋士)の公式戦に参加が認められ、第12期新人王戦で蛸島が飯野健二、山下が高橋道雄と対局、2人とも敗れた。
1982年 林葉が蛸島から女流名人を奪取し女流二冠を独占。
1983年 育成組織として「女流育成会」が発足。
(発足以前はアマチュア棋戦での成績と棋士の推薦で女流棋士になることができた)
1985年 中井広恵が史上二番目の若さ(16歳6か月)で女流名人を獲得。
1985年 清水市代が育成会を卒業した女流棋士第1号となる。
1987年 清水が女流名人を獲得。
1987年 公式棋戦「レディースオープントーナメント」(2007年に、タイトル戦「マイナビ女子オープン」へ発展移行)が創設。
1989年 女流棋士発足15周年パーティが開催されたのを契機に、「女流棋士会」が発足。
1990年 第3のタイトル戦「女流王位戦」が創設。中井広恵が初代女流王位に就く。
1991年 当時非公式戦であった銀河戦で林葉が男性棋士から白星を挙げる。
1993年 タイトル戦「大山名人杯倉敷藤花戦」が誕生。林葉が初代倉敷藤花に就く。2007年度まで4タイトル時代が続く。
1993年 中井がプロ公式戦で男性棋士に初勝利。(竜王戦、対池田修一)。35戦目。
1994年 5月 当時倉敷藤花のタイトルを保持していた林葉が休養願いを提出。
連続で対局を不戦敗し、失踪報道。連盟から出場停止と損害金の支払いなどの処分を受けた。
1994年 斎田晴子が女流王将を獲得。
1995年 8月 林葉は将棋連盟を追われる様に退会。

18 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:52:13.05 ID:utpFFD1gi
〜二強と若手の台頭〜
1995年に林葉直子が退会してからは中井、清水は「女流二強」として若手女流棋士に立ちはだかる(1993年の女流名人位戦から2007年の倉敷藤花戦までの全てのタイトル戦に、中井か清水のいずれかか両方が登場している)。
清水、中井と同世代の斎田や、「55年組」や「(若手)三羽ガラス」と呼ばれた昭和55年生まれの矢内、千葉、石橋が二強を追いかける形に。

19 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:52:43.04 ID:utpFFD1gi
1996年 第18期女流王将戦第1局が女流棋戦初めての海外開催(清水-中井、アトランタ)。
1996年 清水が女流四冠を独占。
1996年 公式棋戦「鹿島杯女流将棋トーナメント」(2006年で終了)が創設。
1997年 矢内理絵子が女流王位を獲得。
1998年 清水が再び女流四冠を独占。
1998年 女流棋士総則が改正され、「女流棋士が新たに奨励会に籍をおく場合は女流棋士を休場しなければならない」という規定ができる。(甲斐智美が初の適用者となり休会)
1999年 石橋幸緒が師匠の清水から女流王将を奪取。
2002年 中井、自身初の三冠(女流名人・女流王将・倉敷藤花)に。
2002年 奨励会を2級以上で退会した女性に女流棋士になる権利を得る規定ができる。
2004年 岩根忍が奨励会1級で退会し女流棋士に(初の規定適用者)。
2004年 清水、中井が百番指しを達成(女流棋士で唯一)
2005年 千葉涼子が女流王将を獲得。
2005年 瀬川晶司のプロ試験で中井が女性唯一の試験官に選ばれ、第4局で対局(負け)。
2006年 千葉、清水、斎田、矢内の4人で4タイトルを分け合う。

20 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:53:12.69 ID:utpFFD1gi
〜女流棋界分裂・独立/出雲のイナズマの登場〜

女流棋士は対局料などの面で棋士と格差があること、棋戦を自ら運営できないこと、連盟の意思決定に参画できないこと、などの点で待遇改善を求める声があった。女流棋界の分裂騒動も長くなるので簡潔に。
2010年 清水が18年7か月ぶりに無冠となる。そして女流棋界に新たなニューヒロインが誕生。

21 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:54:43.88 ID:utpFFD1gi
2006年11月 女流棋士会が日本将棋連盟から独立する動きが報じられる。
2006年12月 日本将棋連盟女流棋士会の臨時総会で、新法人設立の準備委員会設置を賛成多数で承認。
2007年 レディースオープントーナメントで里見香奈が決勝進出し、史上最年少優勝記録を達成する可能性があったため大きな注目を集めた(結果は矢内が優勝)。
2007年2月 女流棋士新法人設立準備委員会が新法人当初運営資金の寄付金募集を開始。連盟は独立する女流棋士の連盟主催棋戦への参加を認めない可能性を示唆する理事会の見解文書を女流棋士に送付。
2007年4月  日本将棋連盟による経緯説明の記者会見。56名(引退女流棋士含む)中39名が残留を表明し、女流棋士会は分裂することとなった。
2007年5月 連盟への残留を希望しない女流棋士17名によって、有限責任中間法人「日本女子プロ将棋協会(LPSA)」が設立された(2013年現在は公益社団法人)。
2007年6月 LPSA所属の女流棋士が日本将棋連盟へ移籍届を提出し、女流棋士会からも退会
2007年 公式棋戦「大和証券杯ネット将棋・女流最強戦」(2013年に休止)創設。
2008年 10月に同年度(30期)限りでの女流王将戦の休止が決まったが、2009年7月に再開が決定し、2009年度女流王将戦(31期)が実施され、女流タイトル戦の減少が回避された。
2008年 矢内が自身初の二冠(女王・女流名人)に。
2008年 里見が史上3番目の若さ(16歳8か月)で倉敷藤花を獲得。
2009年 「女流育成会」廃止。その役割は男女混合の「研修会」へ移行。C1クラスへ昇級すると女流棋士仮会員(女流3級)になる資格(権利)を得る。室谷由紀が初のケースとなる。
2009年 日本将棋連盟が、棋士・女流棋士の両方を含む新たな棋士会を創設したのに伴い女流棋士会は連盟棋士会の中の組織とされ、女流棋士会の役員会は発展的に解消された。

22 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:55:10.11 ID:utpFFD1gi
2010年 女流棋士会ファンクラブ「駒桜」を創設(2015年に発展的解消)。
2010年 清水が激指、GPS将棋、Bonanza、YSSによる多数決合議で指し手決定を行うコンピュータ将棋システム「あから2010」と対戦し敗北した。
2010年 日本将棋連盟臨時総会で、「女流四段以上またはタイトル経験者」である女流棋士を正会員とすることが決議された。同日時点での該当者、甲斐、里見、清水、関根、長沢千和子、斎田、矢内、千葉、谷川治恵の9名が正会員となることが決まった。
※LPSA所属およびフリーの女流棋士は日本将棋連盟を退会しているため対象外。
2011年 上田初美が女王を獲得。
2011年 タイトル戦「女流王座戦」が創設。タイトル戦は6に。

23 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:55:33.96 ID:utpFFD1gi
〜女性奨励会員の活躍〜
里見香奈が奨励会に入会し、長年女性が突破できなかった奨励会1級の壁を破る。奨励会員が女流棋戦にエントリーが可能になり、加藤奨励会員が活躍。

24 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:56:02.13 ID:utpFFD1gi
2011年 里見が、奨励会の1級編入試験を受験し合格。女流棋士と奨励会の掛け持ちが解禁されることとなった。
2011年 日本将棋連盟が『奨励会と女流棋士の重籍に関する件』を発表し「女性の奨励会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である」とした。
2011年 奨励会員の加藤桃子が初代女流王座に就き、女流棋士の資格を持たない女性が女流タイトルを獲得した初の事例となった。
2012年 里見が(現行制度で)女性初の奨励会初段昇段。
2012年7月 LPSAが独自規定に基づき渡部愛を女流3級と認定。しかし連盟には認められず、連盟主催の女流棋戦に出場出来ない状態が続いた。
2013年 里見が女性初の奨励会三段昇段。
2013年1月 マイナビ女子オープンの契約問題及び、渡部のプロ認定問題を巡り、代表理事である石橋が第6期マイナビ女子オープン準決勝里見戦をボイコット。
2013年7月 連盟が特例で渡部を女流3級として認定。連盟主催の女流棋戦に出場出来ることになった。
2013年 里見が史上初の五冠
2013年 香川愛生が女流王将獲得。
2013年 アマチュアから女流3級を経て女流棋士となる制度ができる。
(アマチュア出場枠のある公式棋戦で本戦ベスト8に進出した場合に、研修会・奨励会を経ずに女流3級になる資格を得られる)
2014年1月 中井がLPSAに退会届を提出し、協会側が受理した。
2014年1月 石橋が引退し、LPSA代表理事任期満了をもって退会することが発表された。
2014年 里見が体調不良により約10か月間の休場(3月〜2015年1月復帰)
2014年 加藤が自身初の二冠(女王・女流王座)に。
2014年 西山朋佳が女性2人目の奨励会初段に昇段。
2014年 加藤が女性3人目の奨励会初段に昇段。
2015年 来日して研修会に入会していたポーランド人のカロリーナ・ステチェンスカが女流3級の資格を得る。
2015年 公式棋戦「女子将棋YAMADAチャレンジ杯」創設。
2015年 里見が奨励会復帰。女性初の三段リーグ参加。
2015年 西山が20歳5ヶ月で奨励会三段に昇段。女性としては最年少の昇段記録。
2017年 カロリーナ・ステチェンスカが女流2級に昇級して正規の女流棋士資格を獲得し、棋士・女流棋士を通じて将棋界初の日本国籍を有さないプロとなった。

25 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:57:53.48 ID:utpFFD1gi
2017年12月現在、奨励会には6名の女性が在籍しているが、史上初の棋士は誕生するのだろうか。
ちなみに意外と知られていないが、2006年に制度化された「フリークラス編入試験」は女流棋士も対象である。とは言っても、女流棋戦で無双して女流枠で公式戦に出場し、10勝以上、かつ勝率6割5分以上の成績をあげるのは相当にハードルが高い。
女流棋士は公式戦の初戦はフリークラスまたは新四段の棋士と対局することがほとんど(若手棋戦では奨励会三段と)だが……。

26 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:58:33.94 ID:utpFFD1gi
<女流タイトル戦の特徴など>
永世称号獲得者は2017年現在。永世称号獲得条件は以下の通り。
永世女王:連続5期または通算7期
クイーン名人、クイーン王将、クイーン王位、クイーン倉敷藤花、クイーン王座:通算5期

・女流名人戦
正式名称:岡田美術館杯女流名人戦
方式:予選、女流名人リーグ、決勝五番勝負
報知新聞社が主催・ユニバーサルエンターテインメントが特別協賛。
クィーン名人:中井広恵、清水市代、里見香奈の3名(クィーン名人獲得順)

・女流王将戦
正式名称:霧島酒造杯女流王将戦
株式会社 囲碁将棋チャンネルが主催、霧島酒造が協賛。
方式:予選・本戦(16名)はトーナメント戦、決勝三番勝負
本戦・三番勝負が、囲碁・将棋チャンネルで放送される、棋士・女流棋士のタイトル戦では唯一の「テレビ棋戦」
クィーン王将:清水市代、里見香奈の2名。10連覇の記録を残した林葉直子は1985年にクイーン王将となったが、1995年に連盟を退会したため称号を名乗る資格を失っている。

・女流王位戦
新聞三社連合、日本将棋連盟、日本女子プロ将棋協会(LPSA)が主催
方式:予選、挑戦者決定リーグ、紅白各組の優勝者同士の挑戦者決定戦、決勝五番勝負
クィーン王位:清水市代のみ※2017現在

・倉敷藤花戦
正式名称:大山名人杯倉敷藤花戦
倉敷市・倉敷市文化振興財団・山陽新聞社が主催
方式:トーナメント、決勝三番勝負
クィーン倉敷藤花:清水市代と里見香奈の2名。

27 :名無し名人:2017/12/30(土) 18:59:01.46 ID:utpFFD1gi
・マイナビ女子オープン
番勝負:五番勝負
マイナビ(旧・毎日コミュニケーションズ)、日本将棋連盟が主催
優勝賞金:女流棋戦では女流王座戦と並ぶ最高額の500万円。
方式:予選・本戦(16名)はトーナメント戦,決勝五番勝負
第4期よりプロアマ混合の予備予選「チャレンジマッチ」が設けられ、より多くの女性アマチュア選手に門戸が開かれた。
永世女王:称号獲得者なし

・リコー杯女流王座戦
リコーが主催・日本経済新聞社が特別協力
優勝賞金:女流棋戦ではマイナビと並ぶ最高額の500万円、準優勝賞金は150万円。
方式:一次予選、二次予選、本戦トーナメント(16名)、決勝五番勝負
クイーン王座:称号獲得者なし

28 :名無し名人:2017/12/31(日) 17:01:17.00 ID:L4V4aU9Jw
>※奨励会では「指し分けで昇級」という特別ルールが適用。のちに奨励会に所属した他の女性とは条件が異なる。

この特例が無かったとしたら、どこまで昇級できたか気になるところですね。

29 :名無し名人:2018/01/02(火) 18:15:57.83 ID:6BR6lEsvr
蛸島さんは森?二さんの昇段の一番を止めたことがあるそうだし、奨励会入った実力は伊達じゃない
特例がなければ初段は無理でも3級ぐらいまでなら昇級できたのではないか

30 :名無し名人:2018/01/03(水) 11:52:07.77 ID:HTpRs6G49
>>29
御指導ありがとうございました。

蛸島さんの場合には、「降級規定は一切適用されなかった」と言う噂を
聞いたこともあるのですが本当だったのでしょうか?

例えば、20連敗した後で、勝、敗、勝、敗、敗、勝と「良い所取りの3勝3敗」で、1ランクUPになったのですか?

31 :名無し名人:2018/01/05(金) 22:47:37.41 ID:KfZuv+i2k
>>30
蛸島さんの奨励会の特例の昇級、昇段規定について詳しく知らないので分かりません。すみません。

総レス数 31
24 KB
掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★