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【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.2

1 :名無し三等兵:2017/05/07(日) 17:40:00.16 ID:aMIo3gwU.net
旧日本陸海軍で使用された各種装甲車両のスレです。戦車・自走砲はもちろん
装甲作業機や一式装甲兵車のようないぶし銀、海軍の水陸両用戦車まで広く語って下さい。

■前スレ
【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1463822751/

953 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 11:04:19.28 ID:6ewev+RN.net
化けた

RefコードはC01004239300

954 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 12:28:47.61 ID:r5umBrJn.net
八九式軽戦車が
>軽戦車のままだと騎兵の管轄下に入る
>軽戦車のままだと騎兵の管轄下に入る
>軽戦車のままだと騎兵の管轄下に入る

これって常識なの?

955 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 12:41:40.23 ID:6ewev+RN.net
その当時はそうだったのかもしれんね
揺籃期の縄張り争いというか新兵器の所属はとかくつまらんことで揉めるから

956 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 20:31:07.28 ID:ZkIw7I/y.net
砲戦車と自走砲でモメたりしてるしな

957 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 22:03:01.52 ID:SGt4KzwE.net
火砲スレ過去ログ

868 :名無し三等兵:2016/01/30(土) 14:59:26.19 ID:I7B1djN1
アジ歴 機甲兵団建設 機甲本部特設 上申書 昭15.6.20 C15120147400

昭和16年4月の陸軍機甲本部の設立までの経緯
流し見しただけだがC15120148000など読むとソ連に対する危機感がヒシヒシと

・人的に列強国と比べて動員可能な人口が少ない。物的要素(機甲化)をもって人的要素を補う。
・速射砲+重機で20名必要とするが戦車ならば3名で済む(20名を機甲化すれば7両=7倍の戦力となる)

C15120148100 国民新聞の昭和16年4月の記事かな
http://i.imgur.com/2VfOubs.jpg

958 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 22:03:39.60 ID:SGt4KzwE.net
886 :名無し三等兵:2016/01/31(日) 14:44:32.53 ID:6nsX88+p
>>869は陸軍機甲本部の永年業務要綱「機甲集団軍」構想に繋がっていくという流れ

中戦車 約30400両
牽引車 約27200両
自動貨車 約624000両

上記を昭和25年までに整備(歴史群像2015年2月号)

887 :名無し三等兵:2016/01/31(日) 14:49:04.94 ID:6nsX88+p
×昭和25年
○昭和25年度

893 :名無し三等兵:2016/01/31(日) 15:50:16.50 ID:6nsX88+p
当然生産能力の拡充が前提(おそらく史実の3〜5倍程度は必要)
中戦車の中核はチト車 中戦車は年産3800両の構想

史実の最盛期では
チハ車は月産80〜85両(機甲入門では月産120両)
牽引車は年産1500両(1942年度)
自動貨車は年産2.5〜3万両(1940〜41年前後)

894 :名無し三等兵:2016/01/31(日) 15:56:18.17 ID:6nsX88+p
永年業務要綱は昭和17年度から昭和25年度まで8ヵ年計画
昭和18年半ばに戦況悪化(南方の島嶼戦での消耗による重点兵器の生産転換)で中止

895 :名無し三等兵:2016/01/31(日) 16:01:52.08 ID:6nsX88+p
陸軍機甲本部や陸軍兵器行政本部や軍需省の設立はやはりドイツの影響なんだろうな
http://ir.library.osaka-u.ac.jp/dspace/bitstream/11094/24470/1/oep058_4_001.pdf

959 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 22:17:55.46 ID:SGt4KzwE.net
そのままコピペしたら見れないと思ったらURL変わってるな
https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/24470/oep058_4_001.pdf

960 :名無し三等兵:2017/12/07(木) 23:51:35.56 ID:ucibo/b4.net
実際に、騎兵主体の諸兵科連合の方がいいかはさておき、連隊から旅団単位での諸兵科連合の方がいい気もするがなぁ
後期頃の戦車連隊では機動歩兵中隊と機動砲兵中隊持っててプチ戦車師団みたいな感じだし

何よりせっかく本命として編成した史実の戦車第二師団は事情が事情とはいえ積み込みや広大なルソン島という戦域の関係上、各兵科・付属部隊が分散配置されたり、戦車第3師団も活躍はしたが戦力不足からどんどん戦力引き抜かれていったし

961 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 00:02:05.42 ID:Fr9mCZik.net
その点、師団単位で持て余してたので一部の戦車連隊の連隊内での小規模な連合(中隊程度じゃおまけレベル)のものしか想定どおりの連携が出せなかった結果からも、独混スタイルの編成をやめたのは惜しまれる様にも思える
仕方ないとはいえ、独混第一を分断したのと似た様な事を戦車師団でもやる羽目になったのだから

962 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 04:31:23.20 ID:BU9FT8u6.net
さすがにそれは後知恵の類だろ
取り敢えず独混解体からの戦車連隊創設頃までは大規模部隊の養成に動いてたわけだし
師団砲兵が15榴・10榴編成になれなかった(それはおろか山砲兵ばかりになってしまった)のと同じで
動員規模に生産が追いつかないままずるずると小規模編成になってしまったという側面は無視できない

まあ戦車部隊の場合
大規模拡充しようと思ってた矢先にノモンハンで大コケかまして戦車どころじゃなくなったから
配備編成だけ追ってると流れるように小規模連合化に向かってるように見えちゃうけど

963 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 12:01:59.28 ID:Fr9mCZik.net
大陸での戦闘を見据えてもソ連は戦車旅団とか多数編成してるけど、師団ほど大掛かりでないコンパクトな機甲部隊って発想はなんで日本には受けなかったんだろうかな
対中・対ソでも、ご存知の通り大陸の戦域はクソ広い
日本もそこそこの数の戦車連隊がちゃんと投入できた一方で「戦車主体の機甲部隊として」最初からパッケージングされた部隊として投入出来たのは少ない事例にとどまったんだが、機に応じて支隊を編成する方がいいって考えかな?

サイパン島なんかだと戦域も自軍戦車にとって最悪な環境で縦列での突撃を強いられたそうだが、編成の面でも良いとは言いがたく、協働して作戦とる筈の第43師団は練度低いとか評され今度は参謀長の判断で協働する為に攻機を逃すといった事例があった
でもそのサイパンですらも潜水艦に沈められた第29師第18連(海洋編成師団で装備・練度もある優良連隊)の残存大隊と戦車一個中隊で攻撃した時はわりと押したそうだ
この戦車連隊が最初から機甲部隊(諸兵科連合の、という意味)でなかった弊害とは言わないが、戦車連隊にまともな一〜二個機動歩兵大隊+その他部隊ぐらい引っさげて旅団もいいんじゃないのって思うよねと
実際戦車連隊内で近い事やってるわけだし(そういえば戦車連隊内に機動歩兵&砲兵中隊が設けられるって標準の編成として決められてたんだっけ?無かったらすまん)

964 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 12:24:22.31 ID:tb57wuSg.net
大陸戦を見据えるならば尻から頭のてっぺんまで火がついても常に多方面で大規模攻勢を取れるものではないだろ
そもそもソ連と違って戦車の絶対数が少ないから軍&方面軍司令部直轄の方が何かと便利だし
せいぜいが戦車連隊に一両あたり2人くらいをタンクデサント要員として確保すればいい
それでちょうど中隊ぐらいの数になるし、むしろ精鋭でなく40超えたおっさんとかを充てがうべきなんだよ

965 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 12:47:05.89 ID:oH4sdikJ.net
初老という言葉が示す通り、当時の40歳なんておっさんというより爺さんだぞ
兵隊よもやま物語でビンタしたら入れ歯が吹っ飛んで気まずい雰囲気になった話があった

966 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 15:45:24.66 ID:omGIC609.net
大陸は兵力密度が低く、南方は兵力が小さく地形が開けてない
どっちも大規模機甲戦より歩兵部隊に随時支援戦車貸し出す方向になっちゃうよね

967 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 19:11:21.79 ID:nu+Hki6t.net
日本軍戦車は作戦行動のあとは出発点に戻るという
ルンバみたいな運用が基本になっているから
歩兵借りてきてタンクデサントやっても
最後は、俺たち戻ることになってるから悪いわねと歩兵さんたちに言い残して
今日前進した十数キロを引き返すんじゃないの

968 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 19:37:49.88 ID:omGIC609.net
それはどこの国の戦車でも同じ
段列まで戻らないと補給も整備もできないからな

969 :名無し三等兵:2017/12/08(金) 20:23:49.56 ID:deISebBM.net
ルンバで笑った しかしまあ、戦車隊は本当に力を養う余裕に恵まれなかったんだなあ…

970 :名無し三等兵:2017/12/09(土) 22:00:15.06 ID:fIqHOGPq.net
>>966
兵力密度が低い事と機甲部隊の必要性は関係ない
戦車を投入するには機動歩兵やその他部隊があった方がいいというごく一般的な発想だから、徒歩・輓馬編成の師団から歩兵借りても機甲部隊としての運動は不可能なんだよなぁ…
だから日本でも戦車師団設立に踏み切ったわけで

971 :名無し三等兵:2017/12/09(土) 22:12:37.59 ID:vAJD9KLS.net
つ師団捜索隊/捜索連隊
支那事変からノモンハンまで活躍しとるがな
ちなみに戦車師団の捜索連隊は軽戦車二個中隊+砲戦車一個中隊+自動車化歩兵一個中隊を持ち実質的に四個目(五個目)の戦車連隊

972 :名無し三等兵:2017/12/09(土) 22:32:06.18 ID:fIqHOGPq.net
第23師団捜索隊といえば第一次と第二次ノモンハン、フィリピンで三回壊滅したあれか
フィリピンは装備が積み込めなかったわけだが、第一次ノモンハンでは戦力が少な過ぎた
独混程度はおろか実質大隊かそれ以下の兵力
あまり規模が少な過ぎても問題でしょうな

973 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 00:02:05.34 ID:TO+y/0C3.net
数を揃えにゃならんのだからしゃーない
あんさんの言うプチ機甲師団を突き詰めた結果よ
ソ連の戦車旅団・師団軍団多数を、日本の国力でやろうとすると師団内に捜索連隊設けるのがせいぜい

974 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 00:24:45.24 ID:TO+y/0C3.net
しかしその少ない国力で戦車師団を編成したのも国力に見合わなかったとはいえ第3師団はそれでも想定通りの働きをした
そもそも当時の独混は合体したりあるいは格上げされたりで師団化の傾向もあったわけだしむしろ中途半端な戦力よりも固まった方がいいと見られていた
戦車師団にはむしろ軍・方面軍クラスの主機動戦力として大作戦に投入される切り札的存在として想定されていたと思うし、小間使いのいい旅団クラスとはそもそも想定が違う

975 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 01:08:44.09 ID:WQDzrnEE.net
> ちなみに戦車師団の捜索連隊は軽戦車二個中隊+砲戦車一個中隊+自動車化歩兵一個中隊を持ち実質的に四個目(五個目)の戦車連隊

戦車師団の捜索連隊で編成完結できたとこどんだけあったんだろね
個人的には、本来この捜索連隊で使う予定の軽戦車がケニ・ケト・ケホの系列で
そのために非力を承知で開発と生産がホソボソと続けられてたと思うんだけど
多分実際に配備されてたのはハ号とチハだったのかなと

976 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 01:29:58.52 ID:SCejPGDY.net
捜索連隊の装甲車はずっと94/97式軽装甲車だったと思うぞ

977 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 02:29:16.95 ID:j8D712Lz.net
ケニ系列を捜索連隊に、ってのは戦車師団の捜索連隊の話?
普通の捜索連隊より強化編成だし、それならちゃんと軽戦車配備だから可能性としてはあり得るよ
もっとも、戦車第四師団には元から無かったり戦車第一、第二師団のは戦車連隊に格上げされたりということでそもそも戦車連隊との差がより詰まってきてしまって劣化版戦車連隊というか、中途半端な存在になってしまっているんだけどね

978 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 09:14:16.01 ID:WQDzrnEE.net
>>977
そう、この戦車師団用の軽戦車
チハ補填のハ号と並行して数十から百数十両という少数生産を続けてるのがどうもこれのために思える
(第一総軍さん等の見方もわかるが)

各歩兵師団の捜索連隊の方は新編師団では割愛されてるし
軽装甲車からハ号に改編されて戦車連隊やら独立戦車隊にしたり
そのまま廃止になったりで緩やかに消滅の方向にある
さすがにそっちに新鋭の軽戦車は回さないと思うなあ…

979 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 12:05:04.44 ID:kgJQpNmw.net
個人的にケニから急に垢抜けてきてすき

980 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 12:13:09.79 ID:L6pc5oat.net
独ソ戦開戦に伴い、燃料噴射装置の輸入・技術指導受けるつもりが全部パーになった。
それを国産代替品でお茶を濁すも検品合格率は10パーセント程度と、
統制発動機の極度の入手難の中で揃えられる分だけは頑張って揃えたのがあのケニを細々と生産していた真相なんじゃないかなと思うけどね
捜索連隊用にとか何か特に考えがあったわけでも無いかと

981 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 12:32:50.99 ID:d6rdohB9.net
陸海空どこをとっても内燃エンジンに苦しむ国大日本

982 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 13:28:53.48 ID:WQDzrnEE.net
なんか統制発動機が碌に作れないみたいな言い方をちょくちょく見るんだけど
量産分の装甲車両はそもそも年度初め(あるいは途中)に計画された分を作ってるわけだから
燃料噴射装置の歩留まりのせいで統制発動機が入手難で…って論法はちょっと不思議な感じ
航空機の首なし機体とかとごっちゃになってないかと

983 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 15:47:38.90 ID:ONwz0hj3.net
燃料噴射装置の輸入分ストックは優先的にロケに回されている以上、エンジンが足りないのに車体ばっかり作ってもしょうがない=計画そのものが縮小になる

機体作って大量に余らせた飛燕とかとは全く関係ないし、最近「〜と勘違いしてないか」、みたいな論調の方をよく見るなぁ
航空機と戦車をごっちゃに考える人はまずいないと思う

984 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 16:11:47.89 ID:ONwz0hj3.net
というか、制式後暫く生産されず42年生産開始(それもたったの24輌)だからまさにその残念な供給量見込みの元で作られていたんだよ(もちろん既存のハ号に対して目糞鼻糞なレベルであり期待値はそこまで高くない事は前提として)

985 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 16:42:29.75 ID:8fTl11QA.net
>>984
ケニ車の生産自体は昭和16年度(恐らく15年度末に実用試験は済んでた)から始まってたぽいのよね、組立完了まで至ったのは2両とかそこららしいが

独ソ開戦と対米開戦の2つが無ければケニ車もハ号の後継になりえたんだろうねえ。

986 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 16:49:48.36 ID:d6rdohB9.net
エンジンの数が残念だから完成品の数も残念って入力と出力は一緒ぢゃん

987 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 18:28:07.33 ID:qgwEuFJQ.net
>>969
新燃料に切り替えることで、今までナフサを分離したほかは
艦船等で無駄に燃やされていた軽油成分を有効活用したのは大英断だったと思う
そのおかげで友軍のガソリン車種や航空との奪い合いを避けることができて
輸送や備蓄が容易になったことは大きい
列強各国の大抵はフロントラインのやや後方に機甲兵站を前進させる必要性から
膨大なリソースをそこに削がなくてはならない(弾薬車、燃料車の充実)
その一方で機甲に新燃料を採用した我が軍は
逆にゆとりの機動力を活かして戦車が自ら補給に戻ることでリソースを省略できる

988 :名無し三等兵:2017/12/10(日) 20:53:52.09 ID:W5h3dKYx.net
単に燃料消費が三分の二になるのとハ号で120発という多数の携行弾があるから戦車隊単独での継戦能力も高い

989 :名無し三等兵:2017/12/11(月) 01:26:15.46 ID:2wc8+gYk.net
>>980
>独ソ戦開戦に伴い、燃料噴射装置の輸入・技術指導受けるつもりが全部パーになった。
>それを国産代替品でお茶を濁すも検品合格率は10パーセント程度と、

戦後ドイツでは鍵十字のナチス国旗を掲げることはおろか、ナチス擁護の
発言も取り締まりの対象になったとのこと。
これに対して日本は日の丸を堂々と掲げられて、中国人差別も平気でやれる。
中国人をチンピラゴロツキとか蛆虫とかゴキブリとか呼んでも全然平気。
つまり皇軍はドイツ軍とは違い、完全に負けたわけではなかったのだ。
負けは負けでも太平洋の日米戦に限定され、日中戦争は最後まで無敵皇軍。
日の丸はかつて大陸打通作戦中国チンピラゴロツキ殺戮街道3000キロで
皇軍が勇名を馳せたシンボルで、中国人に計り知れない恐怖を思い起こさせる。

大東亜戦争は正当防衛だったが、戦力が敵に及ばなかっただけ。
あの戦争を「侵略戦争」呼ばわりするのであれば憲法九条改正なんてやるな。
戦争は大東亜戦争のような大義名分の大きい戦争だけが肯定される、
そうでなければ憲法第九条の平和主義は守られるべきだと自分は考える。
また大東亜戦争は東洋平和のための戦いだから、平和憲法の条項に反しない。

ただし中国人が「東洋平和」と聞くと、これは東洋鬼が平和と叫びながら
大陸打通作戦3000キロを進撃してくる姿を想像して恐怖を感じるであろう。

     9 7 式 中 戦 車 チ ハ

それは機械的信頼性と燃費効率と走行性を兼ねそろえた、現在の日本自動車
産業の先駆けともいえる、世界最先端の自動車製造技術の象徴とも言えよう。
これはあくまで戦車ではなく、中国のチンピラゴロツキ蛆虫ゴキブリドブネズミ
サナダムシ専門の高性能機動殺戮マシーンであったのだ。

990 :名無し三等兵:2017/12/11(月) 18:36:09.25 ID:b5JvFF6w.net
そういやケニ車の発動機で思い出したが、アレに積まれてたのって日野のDB52型と三菱AB型のどっちだったんだろう
昭和16年度中の相造に関する資料(C15120358900 9P,25P)によればケニ車の組立作業は三菱と自工の両方で行われてたらしいが、発動機はどうしてたんだろう

991 :名無し三等兵:2017/12/12(火) 19:17:25.78 ID:hC1QrYx5.net
>>980
>>982
http://stanza-citta.com/hime/2009/07/17/292

ヂーゼル機器株式会社はドイツのロバート・ボッシュ社のヂーゼル用燃料噴射ポンプをライセンス生産するために作られた。
東京自動車工業鰍ニ三菱重工業鰍フ合弁の元、昭和14年7月設立された。
計画は
第1期計画/制作権支払い、資材費、土地、建物、付帯設備、国産機器(計41台)および輸入機器(計12台)
第2期計画/建物、付帯設備、国産機器(計91台)および輸入機器(計57台)
起工および竣工
第1期計画 昭和14年7月起工、15年3月竣工
第2期計画 昭和15年2月機械・設備完了、同年6月作業開始だった。

工場は埼玉県比企郡松山町に立地され、建物は昭和15年10月にはほぼ完成した。しかし計画は遅れていた。
とりわけ影響の大きかったのは、ドイツから輸入 を予定した工作機械が届かなかったことであった。この輸入機械は、
燃料噴射ポンプの生産には不可欠だったからである。たとえば、ノズルの噴孔をあけるドリルや、ノズル・プランジャを
ラッピングするラッピングマシン等はどうしても必要なものだった。もちろん、わが国でもこれらの工作機械を
全く調達できないわけではなかったが、ロバート・ボッシュ社の製品と同じものをつくるには輸入機械が必要であった。
さらには、製品をテストするロバート・ボッシュ社製のテスターも必要であった。
昭和16年6月22日ドイツ軍がソビエトに進入し、シベリア経由での工作機械の輸入は絶望視されるに至った。
ここにおいて同社は輸入工作機械中心の生産を断念し、断固国産機械をもって生産するとの決定を下した。
そして、国産機械を持って昭和17年1月に燃料噴射ポンプを20台生産、相模造兵廠に納入した。

992 :名無し三等兵:2017/12/12(火) 19:17:55.00 ID:hC1QrYx5.net
昭和17年になり、ドイツから輸入機械がぼつぼつと入りはじめた。シベリア経由での輸送が断たれた状況では
海路に頼むほかなかった。その海路も輸送船では危険が多いため、潜水艦で送ってもらったものである。
それでも、輸入機械の数は、17年4月現在で20台余りにすぎなかった。シューラー社製の特殊旋盤、
カール・ユング社製の研磨盤などで、そのほかにはロバート・ボッシュ社製のノズル用試験装置も含まれていた。
また、18年夏にはドイツから潜水艦でホマーグ精密中刳盤が、その他の研磨盤などとともに到着した。
なお、当初、ロバート・ボッシュ社の指示は2回にわたって行われ、第1回指示では72台、第2回指示では
49台の計121台が輸入工作機械で、これに国産工作機械190台を加えた311台が、
ボッシュ社指示による工作機械の購入予定台数であった。

生産量は
昭和17.5〜17.10
燃料噴射ポンプ 427
昭和17.11〜18.4
燃料噴射ポンプ 1,536
昭和18.5〜18.10
燃料噴射ポンプ 1,951 ノズル 11,315
昭和18.11〜19.4
燃料噴射ポンプ 2,324 ノズル 6,187
昭和19.5〜19.10
燃料噴射ポンプ 2,655 ノズル 4,893
昭和19.11〜20.4
燃料噴射ポンプ 2,491 ノズル 5,742
昭和20.5〜20.10
燃料噴射ポンプ 1,373 ノズル 4,451

引用文献
「ヂーゼル機器40年史」 ヂーゼル機器株式会社
昭和56年7月17日発行

これらの燃料噴射ポンプは車両用の物である。輸送したのは潜水艦とあるが間違いなく「柳船」である。

993 :名無し三等兵:2017/12/12(火) 19:23:58.25 ID:hC1QrYx5.net
統制型ディーゼルの先行研究で有名なのは大阪市立大学の坂上茂樹(山岡茂樹)教授

著作は「日本のディーゼル自動車」「伊藤正男〜トップエンジニアと仲間たち」日本経済評論社など

994 :名無し三等兵:2017/12/12(火) 20:49:54.86 ID:PSfACEur.net
>>991-993
良い文だった。シベリアルートが使えなくなったのはやはり痛い…

ところで誰か次スレを頼む こちらで建てようとしてもダメだった

995 :名無し三等兵:2017/12/13(水) 02:24:30.46 ID:C7T1Okdk.net
九八式軽戦車好きなんだよなぁ…
洗練されたというか
主砲を47mmに換装出来れば理想なのだが(T-26みたいに機動性が悪化するが)

996 :名無し三等兵:2017/12/13(水) 23:50:55.67 ID:wMXa2r4Z.net
ケニ車とケト車の分かりやすい見分け方を教えてください!

997 :名無し三等兵:2017/12/14(木) 02:04:19.70 ID:If0/5cr2.net
燃料噴射装置、吸気経路に噴射するタイプならエンジン1基につき1台?
ノズルは左右バンクのラインに1つずつ?

998 :名無し三等兵:2017/12/14(木) 19:13:15.72 ID:WLWfzvr+.net
ポンプは基本1台、ノズルはエンジンによる

999 :名無し三等兵:2017/12/14(木) 20:25:27.94 ID:If0/5cr2.net
直四、直六はノズル1、V型は2かな?
歩留まり最悪でもっと少ないと思ってたらそこそこ納品できてるんだな

1000 :名無し三等兵:2017/12/14(木) 23:40:32.90 ID:tIgbRp67.net
次スレ

【戦車】旧日本軍装甲車両総合スレッド Part.3
https://mevius.5ch.net/test/read.cgi/army/1513262373/

1001 :名無し三等兵:2017/12/14(木) 23:49:09.04 ID:ywp02ivN.net


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