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みんなの爺さんの戦争体験を教えて
- 1 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 21:45:51.42 ID:wlJgApWK.net
- みんなの爺さんたちの戦争体験を集めた統一スレを作ろう。
類似の良スレが多数あったのに最近廃れてきたような気がする。
高齢化による生きた歴史の証言をあつめておこうぜ。
- 2 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 21:52:27.49 ID:wlJgApWK.net
- 俺のじーさん、87でこの夏に死んだ。
じーちゃん樺太生まれで、俺は樺太の話を聞くのが好きだった。
日本だけど日本じゃない不思議な感じがしてよ。ロシア語もペラペラやったわ。
じーちゃん、樺太で農家の長男。すげー広いジャガイモ畑を裸馬で爆走してた。
子豚を散歩させてたら巨大な猛禽類に1匹連れ去られてじーちゃん激怒。
ヒグマに襲われたときもあったが、あつあつのおかゆをぶっかけて撃退。
樺太は寒くて何もとれないイメージだが、米と小豆だけがとれなくて、他はすべて豊作。米がないから基本パン食。
川には大量のシャケがいて、石を投げれば川が波打ち、川岸に撃ちあがった数匹を持ち帰った。
メスのシャケはバケツにイクラあつめて、フキの葉でふたをして持ち帰った。
海辺でカニ茹でて、ロシア人の子供にゆであがったそれを分けたら、親がすっとんできて変な物食わすなと怒られた。
あっちにはカニ食う文化は当時にはなかったらしい。
- 3 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 22:02:47.83 ID:wlJgApWK.net
- ソ連軍侵攻。じーちゃん16歳くらいで出征。
マンドリン銃と柄付き手りゅう弾がトラウマだと話す。
樺太北部のオハに抑留され、ロシア語をそこで学ぶ。食糧事情は悪くなかったと。
じーちゃん3人で脱走。失敗、その後ひとりで脱走。
石炭貨車に隠れてるところをロシア警官につかまる。
ガチで人生オワタと思って覚悟したら、警官に連行された先は警官の家だった。
じーちゃん、シャワーに入れられ、食事を与えられ、デカいパンをもたされ、
この方角へ向かって走れ!って逃がしてくれたらしい。
16歳くらいの少年兵を哀れんでの行動だと思う。バレたらその警官もヤバいよな?
その後家族と合流。
ソ連軍から逃げるために引き上げ船にのって北海道に逃げのびることに成功。
ただ全員が一発で逃げ帰れるようにあらゆる荷物を放棄するように命じられた。
その後、じーちゃん警察官になる。
初任給で購入した小さい古時計は今も動いている。
ゼンマイ式で、ボーンボーンとなる。
とーちゃんが強い力でゼンマイまいたらすげー大きな音で成り、深夜うるさかったと叔父文句たれる。
斎場に行く前夜は父と叔父は祖父宅に宿泊。
- 4 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 22:13:33.18 ID:wlJgApWK.net
- ピンピンぽっくりで終活もしてて家も片付いて、自分の葬式代や書類もスタンバってた。
前日に不整脈で調子わるそうにしてたけど、ふつうに家事や掃除をしていた。
当日朝、ぶったおれたとこを近所に人に発見され搬送。
従兄弟が車でとんできて、目の前の救急車にじーちゃんいることを知り合流。
途中、運転交代した叔母が10分ほど無免許運転w
倒れてから死ぬまで30分ほど。突然すぎる死であった。
じーちゃんの樺太の話を聞きたかったな。
しかしねだっても戦争の話はしたがらず、樺太の話よりか、愚痴をきかされることが多かった。
俺の父と叔父はクソ仲悪い。俺を父だと思い込んで説教しだす。
仕方ないので、じーちゃんの妹に樺太の話を聞きに行こうと思う。
ぼんやりと樺太・千島旅行を計画している。おそらく時間はかかるが実行するだろう。
千島列島のうつくしい地形と海をみると、ラブライブの青空ジャンピングハートが脳内で流れる。
あれ聞きながらぐぐりまくったからな。
- 5 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 22:22:25.20 ID:wlJgApWK.net
- かんけーねえが祖父の若い頃イケメンで一族爆笑wwwwww
骨としっかり残ってるし細マッチョである可能性大。
生涯で2回しか葬式に出てないが、なんか不思議だよな。
俺が物心ついたあたりからばーちゃんは体が悪くあんまコミュニケーションとらなかった。
それ故、死んでも、まあ・・・うん。俺も長男なのに出来が悪かったのもあるけど。
じーちゃんの死は不思議だったな。この人物が喋って、笑って、愚痴って、動くところを見たからな。
死ぬとき人はどーなんのか、俺が死ぬときはどーなんのか、いろいろと哲学者になるわ。
ペットが死ぬときは、俺はそのペットに嫌われてて、温めようと抱っこしてやったら、嫌そうな顔して死んでいった。
じーちゃん死ぬときは穏やかだった。くも膜下出血みたいに激痛の果てに死ぬというタイプではなさそうだけど。
- 6 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 22:27:58.90 ID:wlJgApWK.net
- 択捉島はめっさキレイ。山登りや海沿いを歩いてまわりたい。
宇志知島もめっさいキレイ。火山の不思議な土地にひろがる大草原の花畑。
樺太は見どころねーな。歴史的遺物はあるが、風光明媚な絶景とかねーの?
ぐぐってもあんまでてこないんだわ。
今んところ、成田から豊原行って、豊原からオハいって、鉄道で豊原まで戻りながら紅葉満喫を計画。
豊原でじーちゃんの住んでたところに訪問。
あとはしょぼい軍事パレードでも見て帰るかな。
- 7 :名無し三等兵:2016/09/29(木) 22:29:38.18 ID:uRz2jzBi.net
- うちのじいさんは大日本帝国空軍の将軍でコンゴ動乱に参加
在英大使館の分析官で、イラク戦争に従軍した事もある叩き上げの2尉がかつて副官で、
ゴラン高原とヒマラヤで空挺降下の経験があり、バチカンとエルサレムでクリスマスを迎え、
イラク三馬鹿事件の時には陸上自衛隊との「調整官」に任命され、カタンガでは武術の指導教官もこなした経験があり
武術の達人にして僧侶の資格を持つ、最強のSEにして元エロゲメーカー社員。
北アイルランド問題にも造詣深くて英国からも重責を任され、入院中にBAe社の人間が見舞いに来て、
病床でガタイの大きい外人に囲まれて、目だけ資料を読んで、決裁する超重要人物。
片足義足で右腕粉砕骨折の病歴があり、現在、妻と娘あり。血の繋がらない妹がいるけど実質愛人。
- 8 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 12:33:03.99 ID:zu9+cMSG.net
- 祝ネタスレ復活
マイ祖父設定
・満州出身
・参謀本部直下の特殊部隊指揮官である
・日本人女性と結婚して日本に帰化し、東京都知事に立候補。「都政に首都警誕生を」を公約に、見事当選している、という裏設定的なものもある。
・満州王族の長男で下に妹がいる。あと虎の親子を飼っている。
・彼自身を慕う女性皇族もいる
- 9 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 20:22:20.47 ID:MycDOfrv.net
- うちの爺ちゃんは陸軍の中将だった
叔父さんは陸軍少佐だったんだけど抑留中に転向して
帰国後はソ連のスパイやってた
父親は陸軍幼年学校に行ってたけど戦後は共産党の市議
そして私は現在、共産党の党首やってるよ
- 10 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 20:48:27.62 ID:zu9+cMSG.net
- 志位和夫かw
瀬島龍三とか中国やソ連に抑留されて赤に転向したやつは居るな
- 11 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 23:52:08.26 ID:MycDOfrv.net
- いやでも
志位家三代物語は朝ドラでやってほしいワ
叔父はその後、公安に自首
シベリア上空の旅客機の中で死んでる
- 12 :名無し三等兵:2016/10/04(火) 09:47:27.00 ID:9PIXbc7I.net
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- 13 :名無し三等兵:2016/10/06(木) 08:28:08.95 ID:c21ItX3P.net
- 皆さんは大日本帝国空軍陸戦隊についてはご存知だろうか?フィリッピン守備や
ペリリュー守備にも秘密裏に参加しており、米軍を散々に苦しめたそうだ。
ペリリュー守備に秘密裏に参加した帝国空軍軍人の話。
俺の爺さん(陸軍)の戦友で、爺さんは彼の死の瞬間を目撃したらしい。
彼は最早生きて祖国の地を踏める機会は無いと悟り、爺さんとともに万歳突撃して華々
しく死のうとしたが、爺さんは頑なにそれを拒んだ。仕方なく彼は一人で米兵に突撃した。
「大日本帝国空g・・・!」彼が言い終わらないうちに、運悪く彼に砲弾が直撃し木っ端微塵
になって凄絶な最期を遂げた。彼の肉塊や血しぶきが爺さんの顔にも当たったが、俺の
爺さんはその様を見て不謹慎ながら笑ってしまったと俺に小声で教えてくれた。
爺さんはその後生き残りペリリュー守備隊生き残り三十四人のうちの一人となりましたとさ。
- 14 :名無し三等兵:2016/10/07(金) 01:18:02.97
- 大日本帝国空軍陸戦隊ww
- 15 :名無し三等兵:2016/10/07(金) 14:30:25.82 ID:o9IgUEs+.net
- うちのひい爺さんは大日本帝国空軍の海兵隊コマンドーで名誉勲章を受けている
菊水作戦ではエセックス級空母に一式陸攻で奇襲して占領
沖縄に逆上陸を成功させた
その後は朝鮮進駐軍を撃破しGHQの嘱託として活躍した
- 16 :名無し三等兵:2016/10/07(金) 17:55:26.84 ID:7zIN5sVg.net
- 俺の親戚に日本帝国空軍少将の人がいて、戦争末期に長崎防空を命じられ、50機ほど率いて迎撃
向かったものの、航空機の性能の限界によりはるか高く飛ぶ原爆搭載機ボックス・カーを撃墜す
ることが出来ず、結果長崎に原爆が投下されてしまい、長崎市内は多大な被害を蒙った。その人
は終戦の日、玉音放送を最後まで聞き届けた後、自室に篭もって割腹自決したと祖父から聞いた。
出撃前褒め称えた人たちは、戦後は途端に掌を返し反戦に色を変え、口汚い中傷も死んだ本人に
ついてはもちろん、残された遺族にも飛んできたそうだ。
その後しばらく数年はその人に対する非難などが多かったが、戦後20年余り経った後名誉が回復
され、その人の慰霊碑が俺の故郷に建てられた事を知ってほっとしている。
- 17 :名無し三等兵:2016/10/08(土) 09:07:38.27 ID:cO9cNKmO.net
- 俺の曽祖父の従兄弟に、硫黄島守備隊の裏の司令官平田一郎中将という方がいて栗林
大将死亡後も、残存兵の指揮を続け米軍に対するゲリラ戦を展開したと聞いています。
その方は他ならぬ大日本帝国空軍の創設に深く関わった事で、戦後は航空自衛隊の教官
として是非とも招きたいという話が出ておりましたが、残念ながら彼はその頃行方不明(現在もで
すが)でそれはかなわなかったという事です。
- 18 :名無し三等兵:2016/10/08(土) 17:54:57.13 ID:JZ/AhWZp.net
- あれは大東亜戦争も終わりの年じゃった。
わしはリアル18歳で、医務室に風邪薬もらいに行った時、負傷兵がいた。
看護婦さんが「昨日の空襲の傷ですか?」と話しかけたら「寝てたらバァンてなったから、てっきり新兵に叩かれたんだと思って『何すんだこ!』て言ってやったンゴ」
しかしそれはソ連軍ステルス機空襲だった。
そいつは新兵の肩にかつがれて、そのまま医務室に来たそうじゃ。
「うちの新兵、体中傷だらけで『そんな格好で破傷風になるぞ!』て怒鳴ってやったんだ」
新兵いわく営内に居た中隊の仲間は全滅だと。
後で知ったが、彼らこそ大日本帝国空軍の空挺部隊準備部隊だった。
結局、空挺部隊は誕生する前に戦争に負けたんじゃ。
- 19 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 13:06:13.20 ID:zKJpWmZo.net
- かの有名なマッカーサー米元帥は、大日本帝国空軍を心底恐れていた。
戦後、日本上陸を果たしたマ元帥は日本政府に対して「大日本帝国空軍の軍人の生き残り
はまだいるのか?」としきりにたずねたという。
当時日本政府官僚としてその時の様子を見ていた、元大日本帝国空軍陸戦隊第三機甲師団
師団長田中伊豆夫氏は「彼の様子はただことではなかった。唇は恐怖で紫色に染まり、目
は泳いで涙ぐみ、顔中からは脂汗を流し、恐怖のあまり歯をカチカチと鳴らしていた。こ
の様子からこれは相当なトラウマを戦地で与えられたという事は想像に難くなかった。
我が軍は試合に負けて勝負に勝ったのだ」と、晩年我々取材陣に対してそう語った。
- 20 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 16:37:13.38 ID:U4DIwjUz.net
- 俺は徴兵されて兵卒から叩き上げで昇進をして少佐になった。
大陸から戻って18年、町で酷いいじめをしてきた下士官にばったり会った。
そいつは「貴様には悪いことをした。子供が生まれ思い出して苦しくなった
。悪かったな」と言って来た。
「あんたは謝ってすっきりできるかもしれないが、俺は一生、あんたと家族を憎んで怨んで暮らすさ」と笑ったら
「家族は関係ねーだろ!」と襟元をつかんできた。
「いつまで上官風吹かしてんじゃねえ」と殴り倒してやった。
警察がやって来たが、俺が大日本帝国宇宙軍少佐の身分証明書を提示すると、あわてて敬礼をして元下士官そいつを引っ張っていった。
俺が宇宙軍少佐だと分かると町の住民はこぞって酒をおごってくれた。
何しろ戦争になれば隕石に乗って敵の首都に切り込むのが宇宙軍の仕事だからだ。
- 21 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 11:28:05.30 ID:SKV6HUK/.net
- 沖縄戦では大日本帝国空軍が影で陸軍を支え、米軍に打撃を与えた事はあまり知られ
ていない。
薩摩の捨て奸を髣髴とさせる戦術を考えた八原博通陸軍大佐は、大日本帝国空軍士官
学校に籍を置いていた事は一部の人間の知るところであるし、シュガーローフでの地の利
を活かした十字砲火戦法は大日本帝国空軍陸戦隊の軍事副参謀の発案である。
米軍戦史には「我々の予想の常に先を行っていたのが、彼ら大日本帝国空軍であった。
その巧みな戦法は我々に多くの血を流させ、幾度も撤退を余儀なくさせた。
まさに、歩兵戦闘の極みとも言うべき恐るべき戦法であった。」
空軍とついてはいるが、その実、陸軍と同等かそれ以上に陸上戦闘もこなす、陸・空の
スペシャリストだったことは言うまでも無い。
この存在が日本の歴史上に現れないのは、CIAの圧力によるものと一部では囁かれている。
- 22 :名無し三等兵:2016/10/10(月) 17:28:03.95 ID:33M5hVoR.net
- ワイが戦争から帰ったら子供と女房の荷物が無くなっていたでゴザル。
8月、我が大日本帝国は連合国に無条件降伏したので、家族で飯でも行きたいな
と考えながら家に帰ったンゴ
子供と女房、荷物がすべて無くなっていたんやで。
最初、艦砲射撃か空襲に巻き込まれたのか考えた。でも実家に帰る置手紙があった。
「大日本帝国地底軍なんてどかたな仕事では、この先食べていけません。海兵隊の男と再婚するから別れてくれ」だとよ。
ワイは地底軍やから海兵隊基地に殴り込んだよ。
- 23 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 17:10:54.41 ID:iy+Auiyn.net
- 俺は、グラマンの機銃掃射で撃ち殺された。
河原で遊んでいた俺は機銃掃射でずたずたにされ、駆けつけた兄が抱き上げると首がもげてしまった。
血の涙を流し復讐を誓った兄は大日本帝国空軍に志願した。
成績はいまいちらしかったが、面接で志願理由を問われ「○○(俺の名)を殺した憎き鬼畜米英を皆殺しにすることです」
絶叫し採用された。そして帝国空軍の猛訓練で鍛え上げられた。
しかし爆装離陸訓練のときに、引きおこしを早くしてしまい、離陸に失敗、瀕死の重傷を負い終戦を迎える。
戦後も周りの人間が資本主義、米帝万歳に手のひらを返す中、徹底した反米、共産主義者として公安の監視下に入り、
やがて事件を起こし逮捕され、配偶者も子も得られないまま牢獄で孤独な死を迎えた。
- 24 :名無し三等兵:2016/10/11(火) 17:41:51.11 ID:gCT2cAp5.net
- じゃあお前は転生して前世の記憶があるんだな
そうでないと幽霊じゃないかw
- 25 :大日本帝国空軍万歳:2016/10/12(水) 21:11:21.23 ID:2/Afo85U.net
- 大日本帝国空軍かく戦えり
帝国空軍に対して、後世特別の御高配を賜らんコトを・・・・
- 26 :名無し三等兵:2016/10/12(水) 21:47:53.30 ID:bI02xjur.net
- 天皇陛下の武装親衛隊は、山田浅右衛門直伝の首切り技術を持っていた。
ベトナム戦争中は観戦武官や民間人に偽装してMACVSOGに派遣され刀剣の試し斬り役を行っていた。
役職自体は宮内庁の下にあったれっきとした公務員だったが、旧華族や元軍人の家から選ばれでた。
武装親衛隊は技術と忠誠心が必要なので代々の世襲制となった。
その資格に満たない者は弾かれた。
ベトナム派遣は極秘なので、国から決まった手当てを貰えるわけではなかった。代わりに米軍から資金援助を受けた。ラングレーやペンタゴンに貸しを作ったのだ。
首切り役と呼ばれるほどの戦闘技能で、ベトコンへの処刑人としてフェニックス作戦に協力。そして死体は米軍の戦果として発表された。
さらには副収入としてフォート・デトリックの化学兵器をベトコン相手に試していた。
- 27 :名無し三等兵:2016/10/13(木) 10:13:14.19 ID:5oYQL3fA.net
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- 28 :名無し三等兵:2016/10/13(木) 21:25:09.08 ID:qGBxW6hn.net
- 俺の爺ちゃん沖縄で喫茶店やってた。
一人で喫茶店を切り盛りしてたんだけど、米軍が来るから引き揚げるっていう日の
前日に大日本帝国空軍の中佐が数百人程の部下を連れてきて、爺ちゃんをレイプしに
きたって。じいちゃん九二式重機関銃突き付けられて無理やりレイプされたんだって。
金歯を光らせてにやにや笑いながら自分を犯した兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を
流して話してくれた。
- 29 :名無し三等兵:2016/10/13(木) 23:42:31.96 ID:fjdCaxA/.net
- 大日本帝国空軍は新しい軍で、人的資源が限られた帝国は女子で編成する事決めた。沖縄には21の中等学校が存在し、この女子が空軍で鍛えられた。
つまり爺さんの経験はおねショタでハーレムと言うご褒美であった。
- 30 :名無し三等兵:2016/10/14(金) 00:15:09.45 ID:xKfvP7Y4.net
- 第二次世界大戦末期、旧日本軍は極秘裏に本土決戦に向けた秘密兵器を開発していた。
その中の一つである人造人間「百二十四式特殊装甲兵ジンラ號」は不死身兵士を特殊装甲に
包み敵を殲滅するという、究極の殺人兵器だった。しかし、戦況の悪化にともない計画は破棄。
開発スタッフは口封じのために全員処刑され、ジンラ號は地下の秘密研究所もろとも密かに遺棄された。
そして現代、かつて遺棄された秘密研究所の真上に建設されたディスコの地下で起こった漏電が
、人知れず眠りについていたジンラ號に再び生を与えた。数十年の時を経てジンラ號が甦る。
今なお眼に入るものすべてを殺戮する殺人兵器として……。
これが私の祖父です
- 31 :名無し三等兵:2016/10/14(金) 00:46:49.52 ID:LJVj8Jln.net
- あ、それDVDでみた
ミカドロイドだろ
おまけのイラストでB-29とりついてるのが面白い
高荷義之のイラストで豪華w
日本軍の人造人間ネタで昔、15年前にエロゲーあった
WikipediaによるとLeafの誰彼って作品で大日本帝国陸軍特殊歩兵部隊所属だってさ
- 32 :名無し三等兵:2016/10/14(金) 16:34:02.66 ID:sDygHuR9.net
- 大日本帝国空軍の退役軍人だった俺の曽祖父は、戦争末期、当時の
祖父を含め家族全員を集めて原爆の予言を行ったらしい。
その後曽祖父の予言どおりに事が進み、日本は終戦を迎えたんだと。
曽祖父はこの予言を公言してしまったことに関して深い後悔の念を覚え
やがて包丁で割腹自殺を遂げてしまったんだそうだ。
それがこの時の言葉↓
正味な話、日本はもうアカンのですわ。
突然こないなこと言うて堪忍な。
でもこれホンマの話。
2、3日後にごっつ
やばい内容のビラ撒きがありますねん。
それが終わりの合図ですわ。
じきに大きめの爆弾が落ちるから
気ぃつけや。
それがやんで、ちびっとだけ間をおいたら
全部しまいですわ。
- 33 :名無し三等兵:2016/10/14(金) 17:06:11.33 ID:LJVj8Jln.net
- んーもう少し捻りが欲しい
次、頑張って
- 34 :名無し三等兵:2016/10/15(土) 08:38:25.67 ID:i0vQntQB.net
- 俺のじいちゃんは大日本帝国空軍の一兵卒でしたが、特別に比叡の乗組員にさせてもらい
ました。上海事変では、空軍兵にこの人ありというほどの獅子奮迅の働きを見せたようです。
その働きぶりは、敵方の米軍義援クレア・シェノールト将軍を大いに恐怖に陥れ、中国大陸
での対日戦を生半可なものではないと覚悟させるには十分でした。
- 35 :名無し三等兵:2016/10/15(土) 23:51:00.22 ID:VTboBDSL.net
- 会話文と地の描写も頼む
- 36 :名無し三等兵:2016/10/16(日) 08:47:57.10 ID:XfvuwyRz.net
- もう亡くなった大正生まれのオイラのばあちゃん、
13歳の時に親に売られて満州で売春婦してたそうな。
その時に大日本帝国空軍の整備兵で好き者やった兵隊さん(オイラのじいちゃん)に
「俺の嫁になるなら身請けする」って言って、
部隊の工具や備品をパクって売って貯めたお金で身請けして嫁にしたそうな。
(じいちゃんは否定)
終戦迎えて内地に帰って…
じいちゃんは小さいながらも某牛乳メーカーの役員まで出世してそこそこ財を作った。
じいちゃん、何歳になっても女好きが治らなかったが、ばあちゃんはいつも
「私はじいちゃんがいなかったらボロボロになって死んでたやろうからじいちゃんには何も言えん」
って泣きながら笑い飛ばしてた。
しかし、そんなじいちゃんだが、女遊び以外はばあちゃんにむっちゃ尽くしてた。
ばあちゃんが何かのテレビ番組で綺麗な景色見て「いいなぁ…」ってボソッと言ったら、
2、3日後にはじいちゃんが「おい!旅行行くぞ!」って
ばあちゃんが言ってたところに大名旅行に連れて行ったり…
ばあちゃんが、何気なく肩を自分でトントンしたら、
必ずじいちゃんがすぐにばあちゃんの後ろに回って肩叩きしたり…
ばあちゃんの誕生日には必ずウェディングケーキばりのでかいケーキを買ってきて、
毎回「こんなでかいの誰が食べるのよ#」ってばあちゃん怒って…
晩年、ばあちゃんが「わたしゃ女郎屋の女でよかった。じゃないとじいちゃんと逢えなかった…」
って話をオイラに言った2日後、昼寝したまま綺麗な寝顔のまま永眠したなぁ…
- 37 :名無し三等兵:2016/10/16(日) 23:59:14.38 ID:ze68XY+V.net
- 続けたまえ
- 38 :名無し三等兵:2016/10/17(月) 13:33:56.53 ID:gUrxE6YM.net
- 元大日本帝国陸軍地底兵団の彼との話なんだけど、当時、華族で公爵家の私は妹と新京で暮らしていた
彼は地底兵団で進攻作戦の無い戦争末期は暇だった。
妹も懐いてて、彼は良く膝にのせたり構ってた。
最初は微笑ましく思ってたんだけど、だんだんおかしいと思っていった
私に会いに来てるんじゃなて、妹に会いに来てるみたいだった。
ある日、とうとう我慢できなくなって妹を日本に帰し た
数日後、重慶進攻作戦が始まると家に挨拶にきた彼は、妹が帰国したと知って真っ青になった。
妹の名前呼びながら半泣きの彼に探殴り倒されて、馬乗りで殴られ続けた。
駆けつけた憲兵に彼は取り押さえられて私は病院へ。
鼻の骨も折れて入院になった。彼は空軍の特攻隊に追い払われた。
妹は進駐軍のパンパンをやって、黒人の子供を生んだことから自殺した。
- 39 :名無し三等兵:2016/10/17(月) 17:38:07.53 ID:y1GHW/8B.net
- 今は亡き曽祖父は空軍軍人で、最終階級は中佐。
生粋のエースパイロットで、愛機は秋水、大尉の時は南海で50機ほど敵機を仕留めた。
また夜間に米艦隊に殴り込み、空母の艦載機を潰しまくった。
だが曽祖父がいかに優れていようとたったの一人でできる事には限界があり、日本に日々
押し寄せる夥しい数の爆撃機と、戦闘機にはなすすべもなく、瞬く間に日本の各都市は
灰燼と帰した。しかし、これら一連の攻撃は、米軍には凄まじい衝撃を与えたという手
ごたえが曽祖父にはあったそうです。その証拠に、戦後米軍高級将校から曽祖父の話を
聞いたであろう米紙記者が、曽祖父の家に押しかけたというのです。しかし、かつての
敵で今は仲間とはいえ、馴れ合うことは許されんと古武士のごとき態度を貫き、全く彼
らを相手にしなかった。
その後は内地勤務で広島の呉鎮守府に配属。
無事終戦を迎えて帰宅したときは
「小生があと100人程度いるだけで、あの戦争は確実に勝てた」
と豪語して大爆笑だったらしく、その後は恩給で余生を過ごしていました。
余談ですが、空自のビデオを見て
「こいつらまるで話にならんわ、基礎から勉強しなおした方がいい( ^∀^)」
ミサイルを見たときは
「我々に当時このような兵器があればな・・・(;´ω`)」
絶えず果敢に前線で戦い、大日本帝国空軍を支えたという曽祖父の話は中々味のあるものでした。
ご冥福をお祈りいたします。
- 40 :祖父の話:2016/10/18(火) 19:12:09.06 ID:q5tsqPO3.net
- 祖父からメモをとりながら聞いた、なかなか興味深い話をここに書き記したい。
俺の母方の祖父は400年続く庄屋の家系に生まれ、もの心付いた時から許婚もいたそうですが
中学校(旧制)に入学前、彼女は当時流行のスペイン風邪により命を落としてしまったのです。
大切な人を失ってしまった彼は荒れるに荒れ、仲間を複数従えて無頼の徒としてゆすりたかり
などをしでかし、近辺の住民によって鼻つまみ者となっていました。
これを見かねた親戚の者によって、いい働き口があるから話を聞かないかと祖父に話を持ちか
けました。それは帝国陸海軍の兵器を帝国空軍に違法に横流しする仕事で、待ってましたとば
かりに祖父はやる気になり、この仕事をこなしていきました。
ですが、いくらやる気になっても横流しは犯罪行為であることに変わりは無く、祖父はやがて
特高警察の監視対象となり、張り込み捜査の網にかかって捕縛されてしまいました。
横流しした物品の内容について散々拷問され、口の中は切れて血でグチャグチャになり、体中
が殴打により青染みが浮きでるほどの酷さだったのですが、決して口を割らなかったそうです。
流石に祖父の強情さには官憲も心が折れ、祖父を釈放しました。あまりの痛みで立ち上がるのに
苦労したそうですが、ある一人の女性が祖父を介抱しました。それが他でもない祖母でした。
- 41 :祖父の話2:2016/10/18(火) 19:12:49.81 ID:q5tsqPO3.net
- 祖母は甲斐甲斐しく祖父の面倒を見て、恋愛感情に至るまでにそう時間はかからなかったそうです。
祖父は横流ししていた時代にある極秘情報を知った事を政府に気づかれたため、今度は帝国の
刺客に追われ、住まいを転々とし大変な日々を送ったと聞きました。頼りは横流し時代に蓄えた
金でした。その金をこまめに計画的に切り崩し生活費に充てましたが、戦争末期になると食料の
調達もままならなくなり、刺客への注意を払いながら畑から野菜などを盗み取って、神経を極限
まですり減らしながらなんとか食べていきました。
その生活が終わったのは1945年8月15日、祖父は祖母とその子達とともに目に涙を浮かべ、天皇陛下
の玉音放送に聞き入っていたとの事です。
晩年、祖父が俺に語ったことによると、自分は確かに拷問はされたし命も執拗に狙われたが、もは
や誰も怨んでいないと、また自分は大日本帝国空軍に命を捧げ、日本一の軍隊になるよう力を尽く
したのだ、と。
祖父が入れ込む大日本帝国空軍、それが何なのか俺にはわかりませんでした。全く資料が無かっ
たのです。刺客から狙われるほどの極秘情報についても最後まで話を詳しく聞けなんだ。
終戦以降命を狙われていないことから、戦争に関わる事だったのではないかという俺の予想です。
帝国空軍についてはもっと踏み込んだことを聞きたかったのですが、うまくはぐらかされたり、
言葉を濁したりで詳しいことは聞けずじまいだった。ですがこのスレを見てよく分かりました。
公文書に書かれていない、祖父からも聞けなかった大日本帝国空軍についての貴重な情報を俺は
見る事ができた!本当に感謝している。
- 42 :(゚Д゚)キスカッ!:2016/10/18(火) 20:58:06.19 ID:zpNSTgi8.net
- 大日本帝国宇宙軍は1907年に、地中海のロードス島から宇宙人の移民船を発見した事に始まる。
宇宙人技術を独占する日本にぶちギレした世界は日本を締め付けて太平洋戦争が始まった。
そして第2次大戦が終わると日本人は屠殺され、日本列島も米英ソ中華民国の連合国で4等分されるはずだった。
そこで韓半島の38度線を基準にして、北をソ連が占領するという密約を、大日本帝国は宇宙軍の武力を背景にスターリン恫喝して締結した。
原爆を二回落とされても最後まで日本が降伏しなかった理由は、宇宙軍の存在が大きい。
ソ連軍が満州を占領するまで持ちこたえてこそ、日本が意図した戦後戦略に添う形となるからだった。
スターリンの南下政策のために切羽詰った米国は、宇宙軍の解体を条件に日本の主張どおり38度線を引いた。
38度線は大日本帝国宇宙軍が引いたのである。
- 43 :名無し三等兵:2016/10/19(水) 21:16:05.40 ID:sGrlt2Mc.net
- 先日、僕の妹が幼なじみと出かけていた。
その間に妹の部屋で大便していたら、LRRPの格好をした見知らぬ男が入ってきた。
最初は妹のストーカーかと驚いたんだけど、無言のまま血走った眼でこちらを睨みつけてくる。
ちょっと薄気味悪くなって「貴方は誰ですか、何をしているんですか?」って尋ねたら、 「お前の祖父だ、バカヤロー!」って、たけしみたいに叫んでそのまま霞みたいに消えてしまった。
その後、帰宅した美也に事情を話したんだけど、 泣き叫ぶばかりで話にならなかった。
幼なじみの梨穂子も「自分のお祖父さんを見忘れるなんて信じられない!」怒鳴ったり喚いたりした。
「あんたのお祖父さん、大日本帝国空軍でベトナムにLRRPとして参加してたじゃない」と薫にまで呆れられた。
紗江ちゃんや七咲にも避けられるようになったし最悪な気分だ。
アマガミの続編『セイレン』、アニメ放送決定で書いてみたw
- 44 :名無し三等兵:2016/10/20(木) 19:06:06.08 ID:41CmS84s.net
- 俺の曽祖父は20で大日本帝国空軍に入り、退役までに100以上の敵機を撃墜したと祖父から聞いた。
また、アジア独立運動にも従事し、祖国防衛義勇軍(インドネシア)、ビルマ防衛軍(BDA)の訓練
教官として特別に招かれた事もあったほどの人物だった。
しかし、それらの記録は嫉妬に狂った陸海軍により闇に葬り去られ、大日本帝国空軍の存在自体を
恐れるGHQとCIAにより、帝国空軍もろとも日本の歴史から抹消されてしまった。それを心底無念に
思ったのか、戦後は自棄酒に溺れヒロポンにも手を出したが、家族の必死の助けでなんとかもちこたえた。
曽祖父の晩年は凄まじかった。痴呆により施設に入所したのだが、施設の職員に対してはもちろん
の事、入所者までに空軍式敬礼を強要し、従わない者がいると恐ろしい剣幕で怒鳴りちらして殴り
かかったのだそうだ。幸い死者は出なかったものの、複雑骨折はザラだったという。
曽祖父は職員と入所者に少佐殿と不名誉なあだ名を付けられ嘲笑の的となってしまった。
だが、それも長くは続かなかった。やがて施設側から退去を求められて、やむなく自分の家で面倒
を見る事となり、おまけに訴訟を起こされ多額の賠償金を支払わなければならなくなった。
本当に大変だった、が、曽祖父の気持ちも分からないでもない。自らの力で勝ち取った栄誉を、光り
輝く黄金時代を無かったものにされたのだから俺の人生は一体何なんだと、これは誰しも落胆するか、
行き場の無い怒りを覚えるのが至極当然ではないだろうかと思う。
そんな曽祖父の最期の言葉は「・・・・mサ屋のかすていら、食べてえなあ」
戦時中は鬼畜米英と、戦後は自分の栄光を奪った旧軍の幻影と、そして晩年は自分を嘲笑する愚民と
絶えず闘い続けた曽祖父はこう呟き、静かに逝った。
- 45 :名無し三等兵:2016/10/22(土) 10:16:27.99 ID:ZpDQfcUH.net
- 流れぶった切ってスミマセン。戦争体験1。
私の祖父は現在96歳です。
建築学を学ぶ大学生だったため、徴兵は免除され、勉学に励んでいたようです。
ある日、空襲で大学の校舎が焼けました。授業はあるのか、教授は無事か…そんな騒動の中、祖父は友人5人と「休暇だ、奈良に旅行に行こうじゃないか」と夜行列車で奈良へ行ったそうです。
着いた先で山登りをしていると、帝国空軍の山田兵曹と名乗る男が5人を見つけ、
「貴様ら学生は何だ!たるんどる!今から気合を入れる」と全員にビンタ!
その後山をランニングさせられた後、強制的に空軍基地でアルバイトさせられることになりました。
白米がお椀に一杯でてきて、タバコも吸えて、ああ大日本帝国空軍っていいなあと祖父は
思ったそうです。クリスチャンだったので天皇は神とは思っていなかったようですが…。
空軍では、基地の設計を手伝い、また山田兵曹が字が書けなかったそうなので妻への手紙を代筆し、神風特攻隊として選ばれた丁種(一番下位、主に聾唖者)を大空へ見送り…
そうして8月15日、基地で終戦の知らせを聞いた祖父は、ゴミを回収するトラックの荷台に隠れて抜け出し、そのまま貨物列車に乗って関東に帰ってきたそうです。
その後、米軍(GHQ)が日本に入ってくるようになると、大学で学んだ英語力を生かし、米軍基地でバイトをしていたそうです。
ちゃっかりしてますね!
大学で教える設計や数学のレベルの高さにアメリカ人は驚いたとか。
そのまま外資系に就職し、転職してキャリアアップした祖父は、昭和30年代にマイホーム・マイカー・固定電話・ペットの犬(スピッツ)をゲットし、一大財産を築いた…はずなのですが
あれ?
お、お金は・・・?
なぜ聖教新聞が机の上に・・・?
とまあ、そんな話です。長文失礼しました。
- 46 :名無し三等兵:2016/10/24(月) 13:59:25.68 ID:mV09zJIE.net
- 空軍が空軍保有する小説あったな
- 47 :名無し三等兵:2016/10/24(月) 19:22:40.82 ID:0Y40JCfj.net
- 私の祖父は大日本帝国空軍陸戦隊降下機甲師団に属し、太平洋戦争緒戦にフィリピンから
米占領軍を撃退する重要な任務に従事した。速攻に次ぐ速攻で米軍を鮮やかに蹴散らした
帝国空軍陸戦隊であった。敵の大将であるマッカーサーを捕虜とすることに全力を注いだが
マッカーサーは命からがら豪州に逃げてそれは叶わず、帝国空軍はジョナサンウェインライト
将軍を捕虜とすることで溜飲を下げた。ウェインライト将軍がマッカーサーを涙目で見送ってい
たところを帝国空軍将兵に目撃されている。
後に政府高官となった祖父がウェインライト将軍と再開し握手を交わした。
「諸君の戦いぶりは見事であった。だが覚悟したまえ、大日本帝国空軍の記録は今後の日本
には必要が無い」そう語るウェインライト将軍の手は、自分達を追い落とし辱めを受けさせた大
日本帝国空軍に対する屈辱と怒りで震えていたという。
- 48 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 13:47:28.70 ID:KxFXUpWN.net
- うちの爺ちゃん名寄で飯店やってた。
満州人の娘を雇って使ってたけど、ソ連極東戦域軍が来るから本州に引き揚げるっていう日の前日に
第3普通科連隊の曹長が2〜30人の予備自衛官を連れてきて、その娘をレイプしにきたって。
じいちゃん銃剣突き付けられててなにもできなかったって。
銀歯を光らせてにやにや笑いながら娘を犯していた兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を流して話してくれた
- 49 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 13:51:32.20 ID:KxFXUpWN.net
- でも続きがあるんだ。
爺ちゃんは娘を強姦する事を強要されてプレイに加わったんだって。
それが婆ちゃんとの馴れ初めだった。
なおソ連極東戦域軍はオホーツク海で、宇宙戦艦ムサシを旗艦とする大日本帝国宇宙軍に撃破され上陸できなかっった。
- 50 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 19:22:06.96 ID:SyGDJjCV.net
- 老健で勤務していた時に聞いたのだが、ある入所者の兄弟(以下、A)に、大日本帝国空軍の
軍人で中国大陸に出征したが、終戦後も帰国せず中国の地に留まった人がいるそうだ。
あまりに興味を惹かれた内容なので思わずメモをとってしまった。
国共内戦前、中国共産党は国民党に軍事面で遅れをとらないため、先の大戦で自分たちを大
いに苦しめた大日本帝国陸・空軍捕虜の将兵に力を借りる事となった。戦争に敗れたとはいえ、
終戦間際まで自分たちよりも数段上の戦いぶりを見せてくれた彼らは、山賊まがいと言っても
よい共産主義勢力にとっては、喉から手が出るほど欲しい人材でもあったのだ。
Aは不慮の事故により墜落、奇跡的に命を取り留めたが、落ちた先は運悪く中国共産党軍の占領
地だった。そのまま中共軍の基地に連れて行かれ手当てを受けた。
目覚めた時は簡易ベッドの上だったという。その後は尋問室に連れて行かれて尋問を受けた。
だが、我々に協力してくれるなら・・・という話を持ちかけられ、とりやめにしてもらったとの事。
協力者としての待遇は良いほうで、三食女付のそこそこの生活を送れたようだ
Aは大日本帝国空軍の情報その他諸々を余すところ無く伝え、こうして中共空軍の育成に尽力した。
Aはそのまま中国に帰化し、4人の子と9人の孫に恵まれ大往生をとげた。
ところで、陸自は帝国陸軍、海自は帝国海軍の後身と見なしてもよい存在なのだが、実は空自は
帝国空軍とは何の関係も無いのだ。戦中から連合軍(特にアメリカ)によって危険視された帝国空
軍は、技術も人材も空自に継承させることができないまま、占領期にGHQの政策により歴史の闇に
葬り去られてしまった。CIAも一枚噛んでいるという。大統領直々の命令であるという噂もある。
元帝国空軍将兵が空自に入隊する事も関わることもアメリカの圧力によってできなかった。
それは戦後から70年経つ現在でも続いているという。
だが、栄光の大日本帝国空軍の血を引くモノが、よりにもよって現人民解放軍空軍である事はまこ
と苦々しい話である。
そして、今まさに彼らは脅威となっている。わが国は果たしてこの困難を乗り切っていけるだろうか・
- 51 :(゚Д゚)キスカッ!:2016/10/26(水) 12:12:50.02 ID:k4s1iRlZ.net
- 軍港の町に暮らす俺はヘルキャットの機銃掃射で負傷した。
鎮守府の近くで遊んでいた俺は12.7ミリで襲われ、駆けつけた兄が抱き上げると小指の爪がもげたそうです。
涙を流し復讐を誓った俺は大日本帝国海兵隊に志願した。
面接で志願理由を問われ「俺の小指の爪を取った憎き鬼畜米英をアッチョンブリケにすることです」
絶叫し採用された。そして帝国海兵隊偵察隊の猛訓練で鍛え上げられた。
しかし大陸に派遣され匪賊討伐のときに、瀕死の重傷を負い終戦を迎える。
やがて海上自衛隊海兵隊に配属され、択捉奪還作戦でソ連軍相手に戦い退役した。
- 52 :名無し三等兵:2016/10/28(金) 01:18:49.83 ID:OXL8Zpjj.net
- うちの爺さんが大陸に出征中なんだけど、奥さんが浮気して徴兵検査に落ちた男の子供妊娠した。
ブチギレた爺さんが奥さんと男を海兵隊基地に連行して監禁して拷問。
その拷問で奥さんは子供流産。男は解放された後に1万円払わされた。
数ヶ月後、行方不明となったが、爺さんに首かっ切られ、死体は海兵隊の富士演習場に埋められた。
奥さんはその後に占領軍相手の娼婦になったんだけど、バレットで狙撃されて死んだ。
占領軍の将校を狙った巻き添えなのかは分からない。
ほんとに海兵隊は怒らせちゃいけないんだなって思う。
爺さんは仕事柄なんだろうけど、裏切った人間や見限った人をらスッパリ殺していた。
その後、アフリカの王族である婆さんと結婚してうちの父さんが生まれた。
そして俺は父さんがアトランティスの王女に生ませた。
- 53 :名無し三等兵:2016/10/28(金) 01:27:17.44 ID:eVUSpUmt.net
- 爺ちゃんとその弟が海軍2等兵と陸軍伍長だったらしいが
爺ちゃん海難事故で死んじまったからな
なんも聞けないわ
- 54 :名無し三等兵:2016/10/28(金) 19:39:14.30 ID:CiXk63Z3.net
- 祖父は若い頃大日本帝国空軍でブイブイいわせていたらしい。
だが、終戦間際にシベリアに抑留されたという。
シベリア抑留といえば、粗末で少ない糧食に過酷な労働、極寒、腸チフスなどの厄介な伝染病
が思い浮かぶが、祖父には縁の無いものであった。
というのも、大日本帝国空軍での活躍がソ連にも知られており、丁重なもてなしを受けたという。
また、語学力が人並み以上にあった祖父は3ヶ月でロシア語をマスターして、自分と同じ部隊の
ものが飢えに喘いでいる様を見かね、ロシア語を駆使し労働の割りに見返りが少ないと労働局
に訴え出て、食料の大幅アップという大きな成果を導き出した。これは祖父と同じ部隊に所属す
る将兵全員に及ぶものであった。戦後、祖父の世話になったと尋ねてくるものがいたという。
異性関係では農家のロシア女性を幾人も口説き落とし、隠し子まで作ったと自慢げに話してい
た。帝国空軍時代の武勇伝がかなり人気があって、話すと大層喜ばれたらしい。
甘美な時を過ごした祖父であったが、そんな祖父を妬んでいた者により、祖父は帰国後にGHQ
に問いただされた。多分アカの手先になっていると思われたのではないだろうか?
ロシア語が上手い事もあだとなった祖父は就ける職も限られ、しばらくの間苦労したという。
ある日かつての戦友たちは祖父を訪ね、抑留時代に世話になった事に感謝し小額の金や実家
の野菜などをくれた。「情けは人のためならず」という言葉をここまで強くかみ締めた事は無かっ
たと語っていた。
- 55 :名無し三等兵:2016/10/29(土) 00:28:35.06 ID:3EaX5GE4.net
- 大日本帝国空軍ってなんや
- 56 :名無し三等兵:2016/10/29(土) 08:19:17.95 ID:VGrys0kx.net
- 爺ちゃんとその弟が空軍2等兵と宇宙軍伍長だったらしいが
爺ちゃん遭難事故で死んじまったからな
なんも聞けないわ
- 57 :(゚Д゚)キスカッ!:2016/10/30(日) 13:52:46.45 ID:iD+Rdu89.net
- 実際の戦歴は、死ぬ前の闘病生活ぐらい
病魔に負けるか老衰
老衰なら勝ち組
- 58 :名無し三等兵:2016/10/30(日) 20:14:54.10 ID:xqbSGvae.net
- 俺の知り合いが元大日本帝国空軍見習い士官だった。
彼(以下、山田とする)は終戦近くに満州に攻めてきたソ連軍の侵攻を掻い潜り、朝鮮半島を
ひたすら南に進んだ。
日本人というだけで殺害対象となる恐ろしい半島であったが、自分が大日本帝国空軍の仕官
(実際は見習い)だったという事を伝えると、途端に跪き頭を垂れたという。
どうやら大日本帝国空軍の勇名はこの半島にも浸透しているらしかった。元日本だったのだか
ら当たり前といえば当たり前なのだが。山田は没落した両班の家系というキム・スションとい
う男に世話になった。キムは当時の山田と同年齢で日本語も意思融通の面で問題なく話せた。
山田はキムの家に世話になり、いつしか帰国するのが面倒になって居ついてしまおうかと思っ
ていたようだが、数年後のある日重大な事件がおきた。北朝鮮が攻めてきたのである。
キムは韓国軍に入隊し祖国のために戦うと意気込んだ。山田も成り行き上仕方なく韓国軍に
入隊し、キムと行動を共にした。しかし、北朝鮮軍は思いのほか強く、キム達の所属する部隊
はたちまち包囲されてしまった。山田はさすがにこんな所で死ぬわけにはいかないと困惑して
いたが、キムは突然「ダイハンミングクマンセー!」と叫びながら包囲軍に単身突撃をかけた。
あれが火病というものなのかと驚愕してその様を見ていた山田であったが、多数の包囲軍に単
身で突っ込めばどうなるかは誰にでもわかることであろう。
当然キムは瞬く間に蜂の巣となり、おまけの砲撃で木っ端微塵に砕け飛んだ。
なぜかその瞬間、凄まじいキムチ臭が辺り一面に漂ったと、笑い顔交じりの困った顔で山田は
俺に語った。
まぁ、そういう話だ。
- 59 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん:2016/10/31(月) 00:41:26.16 ID:yfDXiA6K.net
- 山田は洛東江の防御戦で白将軍の第1師団に補充として配属されていた。その右翼にはうちの爺さんが所属する第6師団が展開していた。
ウォーカー中将は爺さん達、旧大日本帝国軍人の活躍で釜山橋頭堡が守られる事を期待した。
爺さんは地底軍で培った穴堀で多数の北朝鮮軍を捕虜にした。
とらえた敵兵は我が軍の食料として加工された。
「あのころ食ったハムとかソーセージとかステーキとか、やたらと臭くて不味かった。食ってると何か、人の歯の様なものが混ざっていて、これは何の肉だと訊くと北の敵兵だと教えられた」
- 60 :名無し三等兵:2016/11/03(木) 12:15:26.65 ID:iTnPfNAO.net
- ハムソーセージは不味そう
- 61 :名無し三等兵:2016/11/03(木) 17:11:51.43 ID:5sLfhfOo.net
- 80年代前半、ホスピスに勤務していた頃の話。
末期癌で余命が僅かではあるが、帝国空軍時代の事を目を輝かせながら話していた人がいた。
鈴木というその男は東北の寒村で生まれ育ち、口減らしのため15で無理やり帝国空軍へ入隊
させられた。勇猛な者がたくさん集うという帝国空軍陸戦隊に配属、やがて帝都に移動、時を
同じくして太平洋戦争が勃発、鈴木は大陸へ出征した。ある日の事、鈴木が繁みで用を足して
いると、なにやら声が聞こえるためそちらの方を見てみると、国民党軍の小隊クラスの部隊が
目の前を横切っている最中だった。
鈴木はすかさず上官に連絡、包囲して生け捕りにした。この功によって、軍曹の地位でありなが
ら鈴木は異例の功二級に叙され、帝国空軍の勇猛な戦士に授与されるという伝説の双金龍章を得た。
さらに一個大隊の指揮も任されるほどであった。鈴木の活躍は敵方にも届き、蒋介石などは鈴木の
隊とは戦うより逃げろとの命令を軍に出した程である。後の大陸打通作戦では、国民党軍を崩壊寸前
まで追いやり、米軍のジョセフ・スチルウェル将軍に二度も自殺を考えさせるほどの戦いぶりを見せたという。
蒋介石自身も帝国空軍の精神に感銘を受け、以徳報怨「怨みに報いるに徳を以ってする」の精神で、
終戦後も大陸に残る日本軍将兵を速やかに帰国させた。鈴木によるとこれは鈴木自身が蒋介石を説得
した結果であるという。双金龍章をドヤ顔で見せ付けながら、自慢げにそう語ってくれた。
- 62 :名無し三等兵:2016/11/04(金) 10:51:24.04 ID:I7swLkRm.net
- B-29はアメリカ陸軍所属だったんだな
- 63 :名無し三等兵:2016/11/04(金) 12:09:31.99 ID:9RvfJur5.net
- うちの爺さんは戦時中、おにぎりが食べたいんだなとよく言う部下を仕置きしていたそうだ
クリスマス休暇はヘリコプターで国府軍の村を襲って、捕らえた女は大量のジープで売春宿に運んだそうだ
おにぎりが食べたいんだなもこの時はMG42機関銃を構え、七面鳥狩りに協力したらしい
- 64 :名無し三等兵:2016/11/18(金) 22:42:18.38 ID:BgXykzBW.net
- 柘植や毛利の孫なら爺さんが傭兵だったと言えるな
- 65 :大日本帝国空軍万歳:2016/11/19(土) 11:04:01.81 ID:7RmREhxt.net
- 大日本帝国空軍かく戦えり
帝国空軍に対して、後世特別の御高配を賜らんコトを・・・・
- 66 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 00:05:52.56 ID:xUhj6JFw.net
- 俺が小説書くにはアイデアが足らない
もっとアイデアをクレメンス
- 67 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 08:29:47.26 ID:gwnlZ0h8.net
- 俺のじいさん南京で兵隊やってた。
当時は民間人に化けた中華兵が神出鬼没してて毎日怯えながら過ごしていたという。
普段温厚なじいさんがその話題になると、怒りと悲しみが混じったような表情をするので誰も詳しく聞くことが出来なかった。
そんなじいさんも3年前に旅立った。
そして従兄弟が南スーダンに派遣されてしまった…
無事に帰ってきて欲しい。
- 68 :名無し三等兵:2016/11/20(日) 10:04:39.82 ID:Fh1nP5zu.net
- なんちゅうか、本中華
- 69 :名無し三等兵:2016/11/21(月) 20:10:58.23 ID:CBUJdDNU.net
- 大日本帝国空軍は呪詛の研究も行っていた。
日本国内のみならず世界各国の呪いについてデータを取るため、世界各国に調査員を派遣
し資料を集めた。それに加え、世界各国から曰くのある呪具も集め、呪いの効果を確かなもの
とした。この研究は戦後GHQの調査により、1920年代から始まっている事が分かっている。
研究開始から数々の紆余曲折を経て呪詛の標的となったのは、フランクリン・ルーズベルト大
統領であった。
しかし、この際に行った呪詛は。何かと引き換えに対象の一人を殺すというもので、引き換え
になったものは、帝都も含めた日本主要都市の人命であった。あまりに代償は大きかった。
また、米国側には呪詛を察知する者いたようで、呪い返しにより数十人ほどの祈祷師が命を
落とした。沖縄戦の米軍司令官バックナー中将が戦死したのも、呪詛により大きく運気を下げ
られた事が原因と、一部の人間の間では定説となっている。
戦後調査を行ったGHQにより呪具等は全て没収され、後に焼却処分されるか、米国本土に持ち去
られるなどをして、今は日本国内に殆ど残っていないという。
大日本帝国空軍は陸、空両軍のみならず、超常怪奇現象にも精通した恐るべき軍であった。
- 70 :名無し三等兵:2016/11/22(火) 16:55:10.07 ID:1ONi74V6.net
- とりあえず小説書く上で、史実の考証とIFの組み合わせで異常な設定はいただけない
あくまでも大日本帝国空軍とするならWW2の敗戦に至るまで史実と擦り合わせる必要がある
戦史ファンならおっと思わせる要素も必要だ
- 71 :名無し三等兵:2016/12/03(土) 18:31:01.31 ID:PqJ1gBJc.net
- >>66
色んな本を読んでみたら?事実は小説よりも奇なりってよういうぜ。
俺は>>1と似てて祖先に満州の人がいて、アルセーエフとか寒いとこ関係の冒険記とか面白かった。
現代語訳にして、さらにラノベ風にして、登場人物の感情をてんこ盛りにすれば、すげー面白いしワクワクする。
- 72 :名無し三等兵:2016/12/07(水) 03:11:47.81 ID:f/At+W0K.net
- 面白いネタかストーリーで盛り上げろ
ワナビが書くには良い練習場所だぞ
- 73 :名無し三等兵:2017/01/22(日) 10:27:12.17 ID:yg4fJ8mR.net
- 大虐殺は知らんが、小規模なのはやっているってさ。
将校だった人に聞いた。
人間、そういう闘争心は必ずある、って。
- 74 :名無し三等兵:2017/01/22(日) 10:30:08.18 ID:yg4fJ8mR.net
- >>63
おいおい、
日本軍にヘリコプターなんてなかったぞ
クリスマス休暇も
あんた、何人だよ?
ベトナム戦争時のアメリカの話か?
- 75 :名無し三等兵:2017/01/29(日) 01:30:39.04 ID:jwpxVfqi.net
- 朝鮮行って麺麭買って軍艦乗って帰ってきた
- 76 :名無し三等兵:2017/02/05(日) 00:45:16.15 ID:kef1OzJd.net
- うちの母方のじいさんが鉄道連隊所属だった
日本軍の進軍のスピードに支那軍の撤退が追い付かず、軍用列車が駅に入るとまだ支那軍の警備兵がいて、慌てて日本の兵隊に敬礼したとか、
晴れの日に連隊本部前に雨傘持った中国人が踊っていて、他の兵隊は大道芸と思ってたのに、うちのじいさんが怪しいと尋問したら雨傘がアンテナで実はスパイだったとか面白い話をたくさんしてくれた
- 77 :名無し三等兵:2017/02/11(土) 17:32:24.80 ID:UQ3Ns3cS.net
- こんなスレあったんだ。
うちの爺さんは、レイテ海戦で死んだと聞いてました。
艦が沈没しそうな時に一度は甲板にいたので脱出、泳いで次の艦に
乗ったとかという話や、重巡洋艦の摩耶に乗っていたとか・・・
その辺は、亡くなったおばあさんから伝えられてきたことでした。
あやふやな感じあるので父が軍歴証明書を取得しようと県庁に問い合わせたら、
県庁は陸軍と言われ、厚労省へ問い合わせ。
実際に最後に何処で亡くなったのか判明しました。
摩耶に乗船したこともあったらしいのですが、
最後は軽巡洋艦の多摩という艦に乗船しいたらしいです。
多摩の沈没については、wikiで調べましたが、
生存者いないんですね・・・
証明という正しい形で祖父の最後を聞けたので、何か感慨深いものがあります。
- 78 :名無し三等兵:2017/02/11(土) 18:17:41.61 ID:sXnmiS7F.net
- 一昨年92歳で亡くなった爺さんは、潜水母艦長鯨に乗ってたらしい。
満州に行ったやら、グラマン戦闘機に撃たれそうになったやらの話になったら、婆さんが「あんたの行った時は戦争終わってた!」てちゃちゃ入れていつも話が終わってたな。
- 79 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 08:13:24.76 ID:OMa3/ahI.net
- わしの中学生の時の数学教師は、戦艦大和特攻時に
随伴艦に乗り組み、撃沈されしばらく漂流したらしい。
当時50歳前後だったが、未だ海軍魂に満ち溢れていた。
その先生がヘルニアで入院したので、見舞いに行くと
「泣きたいほど痛い」と言ってた。よってヘルニアは
米軍より怖いとわしの心に刻まれた。
- 80 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 11:23:30.69 ID:dgaH0PQV.net
- もう大分前に亡くなったがおいらの叔父
はガルカナルに出兵していた。餓島と
言われてた通り末期は飢と戦いながら
攻めてくる米兵から如何に逃げるかっていう
現状だったらしい。その頃になると米兵も
賢いもので寄ってきそうな水飲み場。
川や食べ物が成ってる木々の近くに
四六時中潜んでふらふらと来た日本兵を
射殺していたらしい。
叔父の部隊はそんな感じで日々洞窟の中に
息を潜めていたがとうとう叔父の同僚が
どうせ死ぬんだから最後にいい思いして
死にたい言う事で近くの川に乾ききった喉
を潤したいと言い出した。
叔父もなんかそんな気になって2人で夜中
にひっそりと川辺に行って水飲みに行ったらしい。
すると超幸運なのかどうかわからがんが
一向に弾が飛んでこない。訝しげに思いながら
喉を潤し帰ると部隊は火炎放射攻撃で
全滅していた。
捕虜になった後、どうもあの洞窟は
どうも前から目付けられてたらしい。
タマタマ水飲みに行く日と攻撃日が
重なってその日は見張りの米兵が出払っていた
らしいと言うことがなんとなくわかったとか。
戦後もジムニーで山に入りバックを誤り
崖下に落ちるも
そこから這い上がり何事もなかったか
のようにお茶をすすっていた叔父は強運
だったのかもしれない。
- 81 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 11:33:15.45 ID:dgaH0PQV.net
- 捕虜になった後米兵からもらった
ミートビーンズがものすごく美味かったらしく、
米兵にしつこく頼んで貰っていたらしい。
復員が決まった時も米兵から色々たかって
家族にチョコレートやらなんやら持って
行ったらしい。嫁の叔母が感心していた。
まあ確かにミートビーンズは酒のつまみに
良く食っていたなあ。
- 82 :名無し三等兵:2017/02/16(木) 23:59:38.91 ID:51s+fsP2.net
- 俺のじいさんは大日本帝国空軍の食肉加工を生業としていた
戦時中、米軍の捕虜になったあとは日本人捕虜の解体を請け負っていた
捕虜に食わせる物はない。だから自前で用意させたんだ
- 83 :名無し三等兵:2017/02/18(土) 06:25:06.20 ID:EjmF73ge.net
- 男の茶髪というと最近の流行のように思われるが、オキシフルなどで
長髪を金色に染めるのは、昭和初期の男性ファッションで、全国的に流行していた。
日中戦争時代には禁止されたのだが、敗戦直前、軍の特殊部隊の隊員には金髪にして
いた者がいたよ。という話。
- 84 :名無し三等兵:2017/04/08(土) 08:21:51.26 ID:wIQGevaW.net
- 亡くなった婆ちゃんによると俺の曾祖父さんは白馬の大元帥ってモンをやってたらしい
世が世ならお前は・・って口よどんでたけど何だったんだろう
- 85 :名無し三等兵:2017/04/19(水) 19:03:29.46 ID:Bq2vd4Jc.net
- >>82
大日本帝国空軍かく戦えり
帝国空軍に対して、後世特別の御高配を賜らんコトを・・・・
- 86 :名無し三等兵:2017/05/09(火) 00:28:52.78 ID:cgIhIAKx.net
- 爺さんは1937年に入営、福生(今の横田基地)で飛行機(エンジン)の整備をしてた。
当時の新型一式戦一筋だったようだ。
最初の隊長、寺西中佐にくっついて中国(満州?)〜マレーに一式戦後部に潜り込んで移動したらしい。
その後チェンマイ(タイ)〜ビルマ(マンダレー)まで進出。
インパール作戦辺りで英軍に捕まって、レンバン島(インドネシア)に島流し。
最初の復員船で帰ってこれたとのこと。
やたらと大きな船と言っていたが、これは空母かいな?
- 87 :85:2017/05/09(火) 00:36:47.02 ID:cgIhIAKx.net
- 同じ隊のパイロットがハリケーンと戦って燃料タンクに被弾、
ガソリンまみれになりながら不時着したら、近くの村人が総出で助けてくれて
戦隊長が缶詰やら物資やらお礼をして、大喜びだったらしい。
- 88 :名無し三等兵:2017/07/15(土) 20:20:45.69 ID:c+1gsVf0.net
- 今は亡きじいちゃんの話。最終階級は少尉、戦車部隊で司馬遼太郎と同部隊だったというのは
何度か聞いた記憶がある。
最終地はマニラだが、マニラの戦い直前に結核により病院船で帰国。そのまま終戦。
ルソン島の戦いでからくも生き残り、マニラ防衛に寝ずの準備。
ただ、残った戦車も砲塔部分だけ地上に出して穴に埋めろという指示が出て、もうヤバい
かもと実感したそうな。(この部分は記憶があいまい。ルソンとマニラ、前後してるかも)
そんな中体調を崩して軍病院に今でいう入院。
日本への病院船が定期的に出ておりそれで帰国する予定だったが
当時制海権は日本に無く、出す船ほとんどアメリカに沈められ(赤十字のマークを
つけていてもお構いなしだったそうな)、日々力が入らなくなる自身の不甲斐なさと
このまま異国で死ぬかもしれない恐怖で夜中泣いていたとき、たまたま同郷だった
軍医さんが「心配するな、日本に帰してやるよ」と耳打ちしたそうな。
おそらく病状としてもう助からないだろうじいちゃんを不憫に思ったんだろう、
というのがじいちゃん本人の感想。
当時病院船も所謂順番待ちの中、軍医さんの判断で病院船に乗せてくれたそうな。
その軍医さん(じいちゃんは、アキモトさん?アキヤマさん?と言ってた)
はマニラの戦いで戦死なさったらしい。その船が奇跡的に台湾について、それから
広島?の病院に転院したと言ってた。
最後は実家で・・ということになったが、どういうルートかペニシリンを入手し
(ばあちゃんはその為に家財一式売り払った、とよくボヤいてた。そっちも
良い思い出)
ちなみに将校レベルが「オレも病気ということにして病院船に乗せろ」という
コネの依頼が軍医のところに殺到していたそうな。それを見てびっくりしたとか。
なお、山下奉文は「あんなの偉くあるもんか」とお気に召してなかった様子。
最後にマニラ湾に沈む夕日はとてもきれいだった、とつぶやいてたのが印象的。
- 89 :名無し三等兵:2017/08/05(土) 10:26:48.56 ID:ebHmR18I.net
- あげ
- 90 :名無し三等兵:2017/08/11(金) 18:20:18.04 ID:CbOXTp+A.net
- 満州開拓団で獣医やってたんだが、終戦間際に関東軍に徴用されて軍人でもないのに抑留された。
- 91 :名無し三等兵:2017/08/12(土) 02:41:01.00
- 海軍飛行機整備の爺様
南方へ移動中に乗っていた飛行機が被弾して墜落
助かったものの内地療養に
ほぼ直って次の配属が決まるまで偉いさんの鞄持ちすることに
それを伝えた上官によると、飛行機で移動される時に整備士がいると役立つかもとのことだったらしい
言われた場所に行ってみると、一番の偉いさんは山本五十六だったとか
長官のというより司令部の移動時のこまごまとした使い走りのように使われたらしい
ごく短い間だったが、兵士には気さくだったが、参謀に爆弾落す場面には何度か遭遇したとか
- 92 :名無し三等兵:2017/08/15(火) 00:28:41.45 ID:0xlXFzkM.net
- 今年90歳で亡くなった父は、横須賀田浦からフイッリッピン(フィリピンではなくこう発音していた)セブ島へ国民徴用で輸送船に乗せられた。
途中下田沖とルソン島近辺で魚雷攻撃されるも、船長が回避。腕の良かった民間人の船長は弱冠19だか20歳。ガンダムのブライトノア?
セブに上陸後、迫撃砲の破片を左足に数ヶ所受けて歩けなくなり、仮眠中に隊から置いてけぼりくらってはぐれたらしい。
数ヶ月の間、バナナの葉から滴る雨水や体についたシラミを食べて凌いで、投稿ビラを見て森から這って出てきたところを、現地人ゲリラに見つかり捕虜になって帰還した。
その後サラリーマン生活を送るのだが、地下鉄サリンで、サリン撒かれた日比谷線の1本だか2本後に乗車していた。
なんかそういう死に近いところと縁があったのかも。
上の人と同じで、戦争記にはフィリピンの夕陽がとても綺麗で、もう一度見たいと書いてあった。
- 93 :名無し三等兵:2017/08/25(金) 20:36:36.37 ID:+8D6BeHc.net
- 10年前に死んだ祖父の話です、当時中学生の私によく話してくれました
昭和17年大学を卒業し商社に就職し台湾勤務中に召集令状
早稲田大学で体格検査中ドゥーリットルの日本初空襲を体験したそうです
ドカンドカンって爆発音で周りの陸軍将校があたふたしていたそうです
その後ジャンケンに勝って東南アジア戦線に、負けた人たちはニューギニア戦線で
戻って来なかったそうです、人生の分かれ道ですね
ベトナムとかタイを通過してビルマ戦線へ舟艇で人員物資を運ぶ部隊だったそうで
米軍のP−38、B−24に散々叩かれたそうです
恐ろしかったのはP−38の機銃掃射で、超低空でジャングルを飛んで来るので
音が聞こえないそうで操縦士の顔がはっきり見え、戦友が塹壕で頭部をふっ飛ばされるは
舟艇は穴だらけにされるは酷い目に会ったそうです
大きな川を挟んで英軍と撃ちあったそうですが姿は見えず
小銃でカラスを撃って食ったり池に手りゅう弾を投げ入れて魚を獲ったり
終戦で英軍のキャンプに収容され道路工事の軽作業をしたりすると
ティータイムに紅茶とビスケットが出たそうですまたジープの運転もさせてもらったり
キャンプでシャーマンM4戦車を見て化け物に見えたそうです
帰国の際には輸送船から元憲兵が仲間に海に落とされるのを見たそうです
そして英軍の軍服を着て輸送船で山口の宇部?に帰国
その後祖母と結婚、商社を65歳で退職、生きててほんとによかったと常日頃言ってましたっけ
ただ弟が太平洋で戦死、一式陸攻の搭乗員だったそうです
- 94 :名無し三等兵:2017/08/25(金) 21:30:50.05 ID:FneWC8an.net
- 人の寿命は見えているらしく
寿命が短い人は魂がもう肉体から離れ
自分の肉体を見ているらしい
それを傍から見える人もいるらしい
見えなくても自分自身嗚呼まだ寿命が
有るんだあと思う場面は多いと思う
今この世に生きる人は選ばれた人なのです
- 95 :名無し三等兵:2017/11/13(月) 22:01:05.30 ID:/JjITijc.net
- あげ
- 96 :名無し三等兵:2017/12/23(土) 21:06:07.25 ID:JHZQKXoW.net
- 俺は、グランマの機銃掃射で撃ち殺された。
祖母の怒りを一身に受けた俺は機銃掃射でその身を引き裂かれ、駆けつけた兄が抱き上げると首がもげてしまったのだという。
血の涙を流し復讐を誓った兄は大日本帝国空軍に志願した。
成績はいまいちらしかったが、面接で志願理由を問われ「○○(俺の名)を殺した憎き鬼畜米英を皆殺しにすることです」
絶叫し採用された。そして帝国空軍の猛訓練で鍛え上げられた。
しかし爆装離陸訓練のときに、引きおこしを早くしてしまい、離陸に失敗、瀕死の重傷を負い終戦を迎える。
戦後も周りの人間が資本主義、米帝万歳に手のひらを返す中、徹底した反米、共産主義者として公安の監視下に入り、
やがて事件を起こし逮捕され、配偶者も子も得られないまま牢獄で孤独な死を迎えた。
- 97 :名無し三等兵:2017/12/23(土) 21:10:18.94 ID:pe4rl4Sh.net
- はい次の人
- 98 :名無し三等兵:2018/02/06(火) 12:55:56.43 ID:yimlzg93.net
- 曽祖父は満洲鉄道の機関士だった
当時のエリートであり、満洲国において一家はで超裕福に暮らしていたようだ。
祖母に聞いたが慰安婦等は現地人が自ら喜んで募集に列をなして
いたそうな。
終戦と同時にロシア人が侵略暴行の限りを尽くし雪崩れ混んできた
、現地での豊かな暮らしの全てを失い
命だけなんとか持って博多に帰還した。
- 99 :名無し三等兵:2018/02/06(火) 13:19:33.18 ID:q4+wMiQ6.net
- NHKでやってたが全員が強姦されない為に
献上した団もあったらしね
五木寛之の母も被害にと言われて居たな
- 100 :名無し三等兵:2018/02/06(火) 13:35:49.90 ID:q4+wMiQ6.net
- 爺さんは徴兵南方方面へ
婆と親父兄弟は原爆投下前の長崎に
実は爆心地にも近かったが
空襲も酷くなって
婆の実家から疎開しろとの話で疎開
その後原爆投下 南無南無
- 101 :名無し三等兵:2018/02/06(火) 21:58:31.14 ID:cXzepr5l.net
- ・・・。
- 102 :名無し三等兵:2018/02/06(火) 21:58:46.46 ID:cXzepr5l.net
- :::::::::::::::::::::``ヽ
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::::::::::::::::::::::::::l:::ヽ:::::::ヽ
:::::::::::::::::::::::::|ソノ`ヽ::::::ヽ
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- 103 :名無し三等兵:2018/02/22(木) 08:11:53.40 ID:zf2p0zg+.net
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- 104 :名無し三等兵:2018/03/27(火) 11:44:38.26 ID:xExc2mzb.net
- 6年前亡くなった92歳の爺さんは戦争でフィリピンで食べるものがなにも無くなって人肉にかじりついても生き延びたらしい。
- 105 :名無し三等兵:2018/03/27(火) 15:01:35.77 ID:5g1jwHx1.net
- 南方の孤島では普通
- 106 :名無し三等兵:2018/05/19(土) 23:00:11.61 ID:qmM7J888.net
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を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
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- 107 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 10:22:06.43 ID:Rj3dvY3g.net
- 十数年前に亡くなった祖父の話。
京都の大店の末息子で、何不自由のない生活を過ごす。たまにやってくる軍人さんから軍隊の話を聞かされ育つ。
生前は「戦争のおかげで大学に行けた。」「大学では酒と酒と酒の合間に勉強。」と豪語してた。実際に電停から自宅までの間に行き倒れ、それを見掛けた近所の人に連れ帰ってもらう毎日だったらしい。
そんな祖父にも赤紙が来た。悪友が醤油一気飲みすればと免除とか言うので、真に受けて買いに行く。しかし小間使いの居る大店の息子が自ら醤油を買いに来るのは変だと思われ、自宅に密告される。
帰宅するなり小間使いに「いや、お醤油切らしとったんです。」と没収される。あとあとになって「ええ醤油やったから、飲んだら勿体なかったな。」と言ってた。
なお悪友は実際に一気飲み七転八倒した挙句に、甲種合格。
- 108 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 10:33:35.76 ID:Rj3dvY3g.net
- 祖父は徴兵検査で軍医に「可哀想にな。この心臓じゃ、五十まで生きられへん。」と気の毒に思われるも甲種合格。
「この国はアカンかも。」と思ったらしい。
毎年十月には。
祖父「明治神宮の壮行会に行きたかった。」
オレ「軍国青年やったんか。」
祖父「タダで東京見物がしたかった。」
祖父「“きゅうじょう”にも行きたかった。」
オレ「宮城って、やっぱり。」
祖父「職業野球が見たかったんや。」
(赤紙と徴兵検査の順序が逆でしたね。)
- 109 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 10:49:54.08 ID:Rj3dvY3g.net
- 入営後は生活が一変したため、ガリガリの体型に。面会に行った曾祖母と大叔母が余りのことに、帰り道に労しいと号泣したとか。
本人は「しんどかった。」と言うだけで、後年聖母女学院になった16師団の建物を見ると懐かしそうにしてた。
その後は旅順へ。しかし足に被弾し、後方送りに。「跳弾やったから、思いのほか長引いた。」らしい。
病院で「貴様、こんなとこにおったか。」と聞き覚えのある声に顔を上げると、実家と取引のあった前述の軍人さん。
「所属は。」「俺のところに来い。」と捲し立てられ、5回ほど「はい。」と言ったときには転属が決まってたらしい。
その部隊は後方支援の部隊だったそうで、結果的に祖父は生還した。しかし自分だけ楽をしたという負い目からか、以後のことは語ってくれなかった。
戦後も戦友会などには行ったことがなかったらしい。
- 110 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 11:09:38.93 ID:Rj3dvY3g.net
- 復員して、一番衝撃を受けたのは実父の「お前が帰って来たんか。」という言葉。
「一応な死線をくぐり抜けて帰って来たんやで。」と毎年ボヤかれた。五人兄弟のうち、二人が戦死。長兄は子供の顔を見ずに亡くなったらしい。
その後は婿養子に行き、婿養子とも思えないデカい態度で暮らしてた。
唯一気の毒だったのが「戦争が終わって、死ぬ時は畳の上やな。」と言ってたのに、最期は病院のベッドの上だったこと。
五十までしか無理と言われた心臓で、八十数歳まで生きたのにな。
- 111 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 11:12:07.28 ID:Rj3dvY3g.net
- 最後に語ってくれた数少ない戦争から得た教訓。
・何事にも慌てるな。慌て者はすぐに死ぬ。(トラップに掛かって死んだ人がいたらしい。)
・食意地の張った奴はロクでもない。(ある村を検めたら、食卓の上に月餅が。これ幸いと食べた奴が死んだ。もちろん毒入り。)
(その割に酔うと、何故か月餅を買って来てた。家族が飽きてるのに、本人は美味い美味いと完食。)
・病院で使われたホルムスという黄色の傷薬(粉薬)がよく効いた。
(戦後も愛用してた。今でも我が家の救急箱に常備されてる。)
全くの余談だけど丼物全般が好物だった。(幼い頃はそんなのもの人足の食べ物と食べさせてもらえなかったらしい。)
しかしカレーだけは「飯に掛けて食べるものは子供の食べ物や。」と譲らなかった。夕食がカレーのときは祖父だけ別メニュー。
祖母によると海軍に行った知り合いに、ご馳走になったカレーが不味くトラウマになったらしい。(戦中のことだったし、ご馳走になったので残す訳にもいかず往生したとか。)
- 112 :名無し三等兵:2018/08/11(土) 18:30:24.03 ID:X4E0wXdl.net
- 俺の爺ちゃん沖縄で喫茶店やってた。
一人で喫茶店を切り盛りしてたんだけど、米軍が来るから引き揚げるっていう日の
前日に大日本帝国空軍の中佐が数百人程の部下を連れてきて、爺ちゃんをレイプしに
きたって。じいちゃん九二式重機関銃突き付けられて無理やりレイプされたんだって。
金歯を光らせてにやにや笑いながら自分を犯した兵隊たちの顔は一生忘れないって涙を
流して話してくれた。
- 113 :名無し三等兵:2018/08/13(月) 20:29:12.21 ID:OJ9m2OUZ.net
- 最近わかったこと
近所の総合病院はもともと陸軍の病院として作られたのだが、叔父がそこに戦時中に入院してた
古いアルバムの傷痍軍人姿はそこで撮影されたのかと思うと感慨深い
- 114 :名無し三等兵:2019/02/27(水) 12:38:51.20 ID:jULkKP/b.net
- あげ
- 115 :名無し三等兵:2019/03/03(日) 22:16:47.86 ID:GQlwPuPi.net
- 占領済みの中国に派遣。大卒だったのでいきなり将校。
戦闘行動中に流れ弾にかすった。
負傷後は国内で治療の温泉旅行をしているうちに天皇から勲章をもらって更に温泉旅行を続けていたらそのまま終戦。
国内の家も燃えなかったし軍隊生活は楽しかったそうです。
国内の実家は医者だったので戦争中でも食べきれないくらい治療のお礼のケーキを貰って食べるのが大変だったとか。
すいとんなんて戦後マスコミが戦中の生活をTVで特集するまで見たことも聞いたこともなかったそうです。
- 116 :名無し三等兵:2019/03/04(月) 14:57:14.87 ID:b//wHJTv.net
- SHINEw
- 117 :名無し三等兵:2019/04/30(火) 19:01:09.68 ID:HdtUFwAS.net
- 明日から令和。
- 118 :名無し三等兵:2019/06/04(火) 09:43:03.45 ID:toeVVXBm.net
- >>115
俺の祖父の話と似てるな。と言うかほぼ同じだ。
- 119 :名無し三等兵:2019/06/24(月) 17:38:53.06 ID:90L50qXf.net
- 友達のお父さんの話し。
横浜で夜間空襲があった時、パラシュートが降りてきて電柱に引っかかった。それで皆で、わーといって下から竹槍でぶすぶすと刺した。よし下ろせ下ろせとなって下ろしたら日本のパイロットだった。
- 120 :名無し三等兵:2020/10/09(金) 13:49:39.18
- ばーちゃんと婚約したじーちゃんが、軍需工場で鉄くず盗んで、ばーちゃんに指輪を作って持ち帰った。
夜中の空襲。「ラジオだけは…」と祖母。祖父はそれを抱えて家族と命からがら山へ。朝、祖父の手には枕が…
母が子供の頃、空襲で焼けた実家に戻ったら、お釜に水を張って入れていたお米が炊けていたという。
祖母は踊りの達人で、祖父は戦地でアコーディオンを弾いていたことを私は今まで知らなかった。
「どうせ死ぬなら」と、空襲で燃える港を夫婦で眺めた祖父と祖母。覚悟を決めると全て美しく見えるらしい。
かわいいもので自分を元気づけるために、祖母は、鞄に青い目の子猫とチューリップの刺繍をしてた。
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