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【大東亜の決戦】インパール作戦【帝国陸軍】10

1 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:51:57.52 ID:Np/7xSt1.net
インパール作戦は
@牟田口中将が 皆の反対を押し切って強引に強行した
A補給を無視した卑劣な作戦で
B勝算が全く無く、やる意義も無い作戦だった
と宣伝流布されてきた。

しかし詳しく検証すれば、これらの批判は全て大嘘。
文芸春秋社などの商売目当てのエセ保守勢力である
半藤一利ら主導による、政治的作為と利権にからんだ
悪意と捏造と曲解による大嘘ばかり。

これらは東京裁判史観と陸軍悪玉論を定着させ責任転嫁したい
戦後の権力者に迎合し、地位と名誉と利権を得ようとする
商売作家が創作したプロパガンダ小説の作り話しでしかない。

バカ作家、エセ保守、平和ボケ団塊左翼らがいい加減に流布してきた大嘘の近代史は、
全てを再検証し見直す必要がある。

日本を大敗させたアホの戦犯は、独断でハワイ奇襲を強行し
アメリカを本気で怒らせ、全面参戦を決意させた史上最悪の愚将・山本五十六である。
山本が主導した太平洋戦線の作戦全てこそが、
インパール作戦より全ての面で遥かに愚劣、補給も勝算も考えない
無茶苦茶な作戦で、展望のない無駄な戦いであった。

インパール作戦こそが開戦前に国が決定した 「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」
に示された大東亜戦争の本来の国家方針に従った国運をかけた大儀ある重大な作戦である。
連合軍側の見解から見て牟田口の指揮は、その通りやれば作戦は難なく成功しており、
無謀な作戦だったとは言えない。

2 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:53:00.86 ID:Np/7xSt1.net
【ディマプールは攻略できた。そして、それで日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・ジョラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、一旦遠くカルカッタ方面まで
退却して後図を策するの是非を、マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・パーカー中佐(第4軍団参謀・インパール)
「もし日本の連隊がディマプールに突進しておれば、インパールも日本軍によって占領されていたでありましょう。
なぜなら、佐藤師団がディマプールに突入していたら、英第四軍団はインパールから撤退していたからであります。」

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

3 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:53:46.52 ID:qGAcWlx+.net
              .:::::::;'  軍職に或る事30年、、今回ほど必勝の  ';:::::::.
             :::::::::i 信念が沸き起こる思いをしたことが無い…  l::::::::.
          ::::::::::!    イギリス軍は弱い必ず退却する     i::::::::
            :::     補給について心配することは誤りである  :::
  '  ― ―‐ --  」                               L_:::::
                    元来日本人は草食である、然るに南方の   ̄ ̄ ̄
            __,. -┐  草木は全て…即ち之食料なのである
_ ,. -‐ '' ´   :::::::::',    天長節までインパールを攻略せよ    r::-  _
              :::::::::'、 皇軍には天佑神助の奇跡が起こる    /::::::::   ´` '
                ::::::::':、                           ,.:':::::::
                 ::::::::ヽ    雨季の到来は皇軍に    /:::::::
                ::::::::丶   味方するものなり     ,.::'::::::::::
                 ::::/  ,:、 あくまで敢闘すべし _,..:'::::::::::
                  /   ,..':::::::>   _|__  ... く::::::::::
             /   ,.::::::::    /\ , , /\ `、 \
              /    ,.∩     / <●>  <●>\.`、  \∩
          /     , ' l ヽ∩ /   (__人__)    \ ∩ノ j
       /     ,    ヽ ノ |      |::::::|      | ヽ ノ \
       /      , '      | ヽ \     ` ⌒´    / / j    \
    /      , '      \  ̄            ̄  / `、   \
  ./       , '           \ 牟田口廉也 /   `、    \

4 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:53:47.58 ID:Np/7xSt1.net
インパール作戦で最も奮戦し最大の被害を出した60連隊が
その連隊史において、暗に高木俊朗の書籍の内容を
「局外者の推理やエゴイズムによる創作」だとして
事実ではないと否定している。


『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」
「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」
「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、
「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめたものが少なく無い異常さがあった。」
「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

   大田嘉弘『インパール作戦』 P424〜

5 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:54:18.37 ID:Np/7xSt1.net
■勝機を逸した柳田師団長の統制前進。

牟田口中将の怒りはもっともであった。・・・
インパール作戦の成否はただ突進にかかっているというのに、
肝心の第三十三師団があえて前進をしぶっている。
軍司令官に不満があり、作戦に自信が無ければ、
作戦開始前に辞任すべくである。
戦闘の最中にふてくされるのは、まさしく統帥違反であり、
友軍を無視した無責任な態度といわなければならないからである。
はたして、柳田師団の「漸進」は戦局にに重大な影響を
及ぼしてしまった。

児島 襄『太平洋戦争』

アーサー・スウィンソン著「四人のサムライ」は、
柳田中将を「アメリカの将軍」と呼び、
「かつて唯の一度も精神的には、この作戦に身を入れることがなかった。
そして今はこれらを自らの不能のまま運委せで行こうとしている」
と記述している。

大田嘉弘『インパール作戦』 P317

師団の急前進を促すべく、軍の参謀藤原岩市少佐は兵団司令部に急行し、
切々として柳田を説き、慎重居士の腰をあげさせようと努めた。が、
柳田がようやく腰をあげたのは、それから一週間の後であった。
この時期における一週間は、実に戦勢を支配する重大な一週間であった。
柳田はようやく腰をあげたといっても、その前進は、牟田口が要求した
「急進」ではなくして「漸進」であった。

伊藤正徳『帝国陸軍の最後-死闘篇』

6 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:54:31.39 ID:qGAcWlx+.net
ドイツに苦戦したイギリス相手にもこのザマ
センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

             戦死者  負傷   捕虜
日本         213,445  13,840  811,000 
 日本兵       210,830  12,840  750,000
 インド国民軍    2,615   1,000   40,000
 ビルマ国民軍                11,000(イギリスに寝返り)

             戦死者  負傷   捕虜
イギリス       15,210   41,620  14,0450
 イギリス兵      5,670   12,840   53,230
 インド兵       6,860   24,200   68,890
 その他        2,680   4,580   18,330


緒戦の勝利を、10倍返しで大敗北することになったのは、ひとえに

英軍は屈指の名将、ウィリアム・スリム
日本軍は屈指の愚将、牟田口廉也

ってのが大きい。

7 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:55:13.60 ID:qGAcWlx+.net
ウィリアム・スリムは間違いなく名将。

彼はインド兵、イギリス兵、将校や兵卒の区別なく、なぜ戦わなければならないか、いかに個人の働きが全体の勝利に貢献しているかを語った。
そして高級将校には補給を徹底させた。

相手が無茶口さんだったのはなんかの因縁だな。

8 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:56:29.32 ID:Np/7xSt1.net
スリム中将は英国の戦史家で最も評価が高い。
それはインド、ビルマ作戦で英軍を勝利に導いたからであり
その意義はノルマンディー、ワーテルローより大きいとしている。

http://12a09.wordpress.com/2013/05/08/%E7%99%BA%E4%BF%A1%E7%AE%B1%E8%8B%B1%E5%9B%BD%E3%80%8C%E6%9C%80%E5%A4%A7%E3%80%8D%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84%E3%80%80%E5%B0%8F%E5%80%89%E5%AD%9D%E4%BF%9D%E6%B0%8F/

9 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 22:58:44.84 ID:Np/7xSt1.net
スリム中将の見解

スリム中将によると、日本軍は現場指揮官がバカだから負けた。
日本軍は勝てるチャンスが十分にあったにもかかわらず
愚かな師団長が我々をわざと勝たせたと酷評している。

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』

日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。

彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。

10 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 23:10:27.38 ID:Np/7xSt1.net
英国ではインパールでの戦いを
ノルマンディー、ワーテルロー以上に
英国にとって重要な戦いだったと認識している。

一方の日本はどうだろうか?
この戦いが重要な戦いであったとの認識は
日本人には全く無い。

11 :名無し三等兵:2016/09/12(月) 23:31:52.81 ID:Np/7xSt1.net
連合軍勝利の最大の功労者、ウィンゲート少将

彼は牟田口以上に無謀にも1個師団の空挺部隊を敵中に送り込むという
常識ではありえないバカな作戦を、連合軍司令官のすべてが猛反対する中
彼は強行した。
(ウィンゲートは特殊な存在でチャーチル、ルーズベルトが直接彼の後ろ盾となっていたと言われる)

ウィンゲート少将は英国本国では牟田口以上に
バカだアホだ、無茶苦茶だと、今でも酷評されている。

しかいこのウィンゲート少将によるバカ作戦が、連合軍勝利の最大要因であった事実は
疑いようが無い。
アメリカではウィンゲート少将は連合軍を勝利に導いた英雄として扱われているが、
英国ではバカ扱いと、米英で評価が180度違う。


その英軍ウィンゲート空挺団
参謀長のデリック・タラク准将は次のように牟田口を評価した。

『日本の15軍牟田口中将も、その作戦指導については、全くといってよいほど、
イギリス側から評価されていない。
彼はその最後の作戦(インパール作戦)を除いて、その主要な戦闘の全てにおいて勝利を収めている。
インパールの戦いはワーテルローの戦いと同様に「非常に際どい」時期があった。
しかし、牟田口将軍はナポレオンの場合よりもはるかに優勢な敵を相手にして戦ったのである。
私は彼が生前、その戦いぶりについて日本国民から評価されたことを知って、うれしく思う。』

12 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 00:03:06.15 ID:KEPXoRyD.net
面白いのは日英両軍とも
予想外の攻撃に翻弄された点にある。

英軍は1個師団がディマプールに接近したため
てんやわんやの大混乱に陥ったが、日本ではその効果に
気付いていなかった。

一方、日本軍も1個師団の敵空挺団が投下されたことで
てんやわんやの大混乱で日本軍の統帥はがガタガタに乱された。
しかし英軍も、その効果に気付いてない。

奇しくも日英ともに、常識はずれの奇策を使ったが
それが勝敗の重要なポイントとなった。
しかし両軍ともそれに気が付いてはいない。

13 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 07:48:16.77 ID:U66Lno0L.net
>>12
先制主導の利と戦場の霧だな。

なんせルールブックに勝利条件が書いていないんだから。

14 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 08:56:33.03 ID:n2eFsr3R.net
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ドイツは、ファシズムからの国の解放で赤軍が決定的な役割を演じたことを覚えている。
ドイツのメルケル首相が、ロシアのプーチン大統領との会談後に述べた。タス通信が伝えた。
メルケル首相は、「ドイツは開戦の責任を負っている。これは私たちの歴史的責任だ。
私たちは、赤軍がドイツ解放で決定的な役割を演じたことを常に思い出すでしょう」と語った。
http://jp.sputniknews.com/russia/20150511/319933.html

第二次大戦が終了したとき、概ねエルベ川の東はソ連、西は英米の占領下にありました。首都ベルリンもソ連軍
の手中にありました。戦後の対ドイツ政策は戦勝国による分割統治と決められ、ベルリンは1944年のロンドン議定書
で米英ソで共同管理となっていました。これにより1945年7‐8月英米軍は東ドイツ地域にあたるザクセン、
チュウリンゲン州から撤兵し西ベルリンに進駐し、ソ連軍も西ベルリンから撤退し米英軍撤兵後の東ドイツ占領区に入り、
東西の占領の配分が決まってしまいました。東ドイツ領域に住んだドイツ人の戦後はここから始まります。
http://www.doitsukitte.com/nyumon/nyumon_c1.html

>ソ連軍も西ベルリンから撤退し

「ソ連兵は、西ベルリンに毎日、自由にやってくる。それに、1961年にベルリンの壁をつくってからも、
記念日には、ソ連軍はベルリンの壁を越えてきて、パレードするから、西ベルリン市民の怒りをかっている」
と、ガイドも怒っている。
http://blog.goo.ne.jp/mulligan3i/e/a26d5bfa4c84a7c567da9567e8decb72

15 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 08:58:05.51 ID:8UXIBOYv.net
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ならば欧州をナチズムから解放したソ連邦とロシア人の叡智が、ノーベル賞に反映されていないのは何故だ?

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の
代表者達だったが、そればかりではない。それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さ
なくてはならな い。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという事実でさえも、
そうした気 持ちに影響を与えるべきではない。
一部の観測筋は疑っているようだが、私には、ロシアにもロシア人に対しても問題はない。 」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/news/2014_12_25/281700424/

>我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、

■国別ノーベル賞受賞者数ランキング (10人以上の国のみ)
1位 アメリカ 339人
2位 イギリス 112
3位 ドイツ  81
4位 フランス 55
5位 スウェーデン 31
6位 スイス  22
7位 ロシア・ソビエト連邦 20
8位 日本   18
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-5812.html

16 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 08:59:54.23 ID:U6nAq1rM.net
>>6
>ドイツに苦戦したイギリス

ベトナムに関していえば、まさにファシスト・ドイツが無条件降伏したという知らせが入った後、ベトナム共産党は、
人民蜂起の準備を活発化し、その勝利がベトナムに自由をもたらしたのです。第二次世界大戦は、
人類の歴史に新しい時代を開いたと言ってよいでしょう。そして、その時代の特徴となったのは、ソ連の影響力の拡大と
アジア・アフリカ諸国民の独立を目指す戦いでした。」
http://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2012_09_02/86931349/

旧ソ連の核開発
1949年 8.29. セミパラチンスク核実験場で原爆実験に成功し、アメリカの原爆独占を終結させる
1953年 8.12. 水爆実験に成功
イギリスの核開発
1940年 原爆生産の可能性を検討する科学者委員会が設置される
1943年 アメリカのマンハッタン計画に参加
1946年 原子力研究所を設立し、独自の原爆開発計画を推進
1952年 10.03. オーストラリアのモンテベロ島で原爆実験に成功
1957年 5.15. クリスマス島で水爆実験に成功
http://www.pcf.city.hiroshima.jp/Peace/J/pNuclear1_1.html

ソ連の核開発はイギリスよりも3年早く、アメリカの世界一極支配に終止符をもたらした。
ソ連の核兵器は一人の人間も殺すことはなく、世界平和に貢献した清潔な核兵器だった。
ソ連の戦争は祖国防衛戦争で世界を変えたが、イギリスの戦争はただの植民地戦争で影響力ゼロ。

      あ り が と う ソ 連 邦 !

17 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 09:05:00.18 ID:7rzGT8zv.net
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

鉄条網内には、米軍がとても面倒を見きれないほど膨大な捕虜が
集められていた。西独政府捕虜史委員会の報告にこうある。
「いくら一般市民が餓えようとも、自軍の配給の方が優先された」
「無条件降伏後、西側三国に占領されたドイツ地域には、米兵よりも、
ドイツ人捕虜の方が多かった・・・・・・」
 連合軍は一九四五年六月に捕虜の数を数え終え、収容された「戦争捕虜及
び武装解除された憲兵」は七六一万四七九四名、うち「四二九万九〇〇〇名
は降伏時にすでに捕虜となっていた」と公表した。
≪パウル・カレル/ギュンター・ベデカー
『捕虜――誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路』≫

18 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 09:14:55.42 ID:7rzGT8zv.net
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

欧州でも極東でもソ連領土とソ連圏は大きく拡大したのに対して、英連邦は何も取れないばかりか大きく失った。
オマケの片手間な対日戦争でさえ、ソ連は立派に樺太千島を得たが英連邦は失うばかりwww

 ではなぜ頭に大がついているのだろうか。それはこの戦争の勝利には多くの国が貢献しているものの、ソ連がドイツ国防軍を
倒した中心国で、その役割を強調しているからだ。ドイツ軍はソ連軍との戦いで、1340万人中74%にあたる1000万人を喪失した。
 アメリカのルーズベルト大統領は第二次世界大戦の最中の1942年5月、ソ連軍の活動とそ の影響を評価してこう記した。
「ロシア軍が連合国25ヶ国の軍隊よりも、対戦国の厖大な兵士と兵器に打撃を与えているという明白な事実を無視することはでき ない」。
 ロシア人がこの勝利を誇りに思い、多くの戦線のひとつととらえたがらないのは当然のことだ。そしてドイツとその同盟国であるイタリア、
ルーマニア、クロアチアが84万人を喪失したスターリングラード攻防戦と、ドイツとイタリアが3万人を喪失したエル・アラメインの戦い
が同レベルの戦いと見なされることを理解できないでいる。
http://jp.rbth.com/society/2013/05/09/42899.html

Losses per theater(戦線別ドイツ軍戦死者統計)
Theater      Dead      %
Africa       16.066     0,3   ←アフリカ戦線ww
Balkans      103.693    1,9
 North      30.165     0,6
 West       339.957    6,4
 Italy       150.660    2,8
Eastern Front
(- Dec 1944)  2.742.909    51,6   ←ソヴィエト赤軍は
Germany (1945) 1.230.045   23,1   ←頼もしいよなぁ♪
Various       245.561   4,6
 Total       4.859.056
http://www.axishistory.com/axis-nations/germany-a-austria/144-germany-unsorted/statistics/2461-german-losses-per-theater

いやぁホントにスターリンて偉大なんだよな。これでは欧州がヘタレなのかスターリンが凄いのかわからなくなるぜw

19 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 09:25:44.05 ID:FRfTLvEg.net
>>18
> オマケの片手間な対日戦争でさえ、ソ連は立派に樺太千島を得たが英連邦は失うばかりwww

アホだコイツw
元々ロシア帝国領だった部分の回収、が名目。北方4島は火事場泥棒。
英国にはそれを主張できる日本領が存在してなかった&既に世界中に植民地を持っているのに第三次世界大戦か二次の延長戦やってまで欲をかく理由が無いから。
(焼野原で英語を仕込むところから始めなきゃならない国の切れっ端もらう代わりに、自分の持ってる豊かな土地に他国が介入する口実与えるなんて馬鹿げている)
南方軍幾ら虐めても東京に進軍できるわけじゃないし、
ぶっちゃけその辺りは元々英国植民地なので、どのような形でも日本が白旗振れば当然の権利としてユニオンジャック立てられるのよ。
(いや、中華に南方進出する根性も能力もないし、アメリカは建前上介入しない)
と、なると「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。

20 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 09:39:50.96 ID:uupKClQY.net
>>14
>>15
>>16
>>17
>>18
スレタイとは無関係な独ソ戦の話は、他所でやってくれないかな?

21 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 10:04:43.00 ID:49AIJNKm.net
>>20
ビルマの戦いは、ヨーロッパの第二戦線に大きく影響しているとのことだが?

問題は、再びどのようにして十分な上陸用舟艇を確保するかであった。英米とも、「オ
ーバーロード」作戦と「アンヴィル」作戦(フランス南部への上陸作戦)を 1944 年中
頃に実施したいと考えていた。一方、チャーチルは、むしろ引き続きバルカン諸国や地
中海東部におけるドイツの弱体化を狙っており、連合国側について参戦するようトルコ
を説得した。それらのすべての作戦には上陸用舟艇が必要であった。ローズベルトは、
チャーチルが提案した地中海東部での作戦ではなく、「バッキャナー」作戦に上陸用舟艇
を使用することを希望した。しかし、チャーチルは、「アンヴィル」作戦にも上陸用舟艇
が必要なことをローズベルトに念押しして、オーバーロード/アンヴィルの両作戦を実
施する直前まで、地中海東部に上陸用舟艇を維持しておくのが理にかなった方法である
と主張した60。ここでもまた、欧州最優先の戦略によって、対日戦のための資源が他に
回されたのである。1943 年 12 月カイロにおいて開かれた英米首脳会談において、チャ
ーチルはローズベルトを説得して「 バッキャナー」作戦を中止させた。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2002/forum_j2002_4.pdf

22 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 11:19:10.89 ID:8nUxhuFM.net
>21
直接的に関係してないから他でやれ。

23 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:00:16.36 ID:49AIJNKm.net
インパール作戦のせいでノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたかどうかはよくわからんが、
それでもテヘラン会談で予定した日付より遅かったことは確か。これでソ連圏がまた拡大してしまった。

24 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:11:02.74 ID:vTXktSgQ.net
>>19
> 「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。

つまり英連邦が頼りにならんから、米国はソ連に対日参戦を申し込むことになったってことだな。

25 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:12:42.67 ID:vTXktSgQ.net
>>20
>>22
インパール作戦はノルマンディー上陸を遅らせたから、米英ソの関係にも響いているはずだ。

26 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:14:36.77 ID:vTXktSgQ.net
>>19
> 「楽をして勝つ」という方向で話が進むわけです。

米国単独でも日本に勝てないわけではなくても、「楽をして勝つ」ためにはソ連参戦が不可欠だった。

27 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:22:45.21 ID:d3jVqnyc.net
オマケの片手間な対日戦争が終わると間もなく、チャーチルはついこの前自分達が承認した米英ソ合意を棚に上げて、
ソ連の東欧支配が閉鎖的だなどというソ連批判の「鉄のカーテン」演説を始めた。
また米英仏は戦後唐突に西側だけでソ連を無視した「通過改革」を行なって、ベルリン封鎖というソ連の報復を招いた。

28 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:25:52.94 ID:NXAvsj9T.net
>>19
>どのような形でも日本が白旗振れば当然の権利としてユニオンジャック立てられるのよ。

706 名前:梅本弘「ビルマ航空戦」 :03/02/19 20:24 ID:???
「わずかなサイゴン米と食糧切符を 手に解散」忘れられた戦場ビルマ
<前略>
この頃、宮邊戦隊長は、部隊の実 記録を整理して「飛行第64戦隊略 歴」 を作成、
この資料に写しが現在、防 衛庁防衛研究所戦史室に保存されて いる。当時は、
戦隊の戦闘詳報などの公式書類から、個人の日誌、写真に至るまで、 記録類はすべて
破棄するよう命じら れており、この簡単な資料のみが64 戦隊の戦歴全体の概要を今に伝えている。
一方、勝利を収めた英空軍は、東 南アジア全域における日本軍との戦いで、
空中勤務者4858名が戦死または 行方不明になったと記録している。 しかし戦後、かれらが守るために
戦った英植民地、インド、ビルマは相次いで 独立し、アジアで戦った英軍の犠牲 はまったくの無駄であった
という声が澎湃と上がり、復員した英軍将兵を苦しめた。やがて英国では、欧州での戦いに
比べ規模も小さく、植民地の防衛という、後世から見て大儀なき戦いであったビルマでの戦争は、
半ば意図的に忘却の彼方に押しやられた。

29 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:29:30.31 ID:NXAvsj9T.net
ポツダム協定は1945年7月だが、ヨーロッパの戦いは終わり、オマケの片手間な対日戦争が継続中だった。

 もしポツダム協定が完全に実施されていたら、ドイツはまったく違った
形になっていただろう。ドイツの統一をはかるためにはそれ以外の方法は
なかった。しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。
さらに西独内の政策の支持者たちも、ポツダム協定に反対した。彼らに
とってそれは受入れがたいものだった。その結果は周知のとおりだ。
 当然ながらわれわれは、「ドイツ問題はまだ解決されていない」とか、
「東側諸国」ではまだすべてが片づいてはいない、あるいはヤルタと
ポツダムの協定は「不法」だといった発言に対しては、警戒の念を抱か
ざるを得ない。ドイツ連邦共和国では、このような発言がしばしば聞か
れる。だが率直に言って、「統一ドイツ」の復活を求めるこうした発言
はドイツ人の言う「レアルポリティク」、つまり現実主義的な政治と
かけ離れたものだ。過去四十年間、これによって西独で達成されたもの
は何もない。「一九三七年当時のドイツの国境」を再現するというのは、
幻想にすぎない。こうした幻想をかきたてることにより、西独は隣国や
その他の国々の信用を失うことになる。
<M・ゴルバチョフ「ペレストロイカ」(講談社 田中直毅 訳)289頁 >

>しかし当時の米・英・仏の首脳はソ連との合意事項を破棄した。

オマケの片手間な対日戦争が終わると直ぐに、米英はソ連との合意を破棄した。

30 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:33:34.58 ID:d3jVqnyc.net
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

オマケの片手間な対日戦争が終わると直ぐに、米英はソ連との合意を破棄したし、
イギリスもフランスもオランダもアジア独立戦争を阻止すべくアジアに派兵した。
米国の中国大使にはマーシャルが選ばれた。マーシャルはマーシャルブランのマーシャルだ。

31 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 12:42:10.01 ID:8hfMBLRh.net
>>18
>これでは欧州がヘタレなのかスターリンが凄いのかわからなくなるぜw

百年単位で見れば、ヨーロッパにおけるロシアの勢力圏が最も大きくなったのは、スターリン政権の功績だ。

32 :名無し三等兵:2016/09/13(火) 13:03:33.14 ID:8hfMBLRh.net
>>19
>元々ロシア帝国領だった部分の回収、が名目。

日露戦争で勝った日本スゲー?

33 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 02:33:57.57 ID:w4DjiGq9.net
スリム中将の見解

スリム中将によると、日本軍は現場指揮官がバカだから負けた。
日本軍は勝てるチャンスが十分にあったにもかかわらず
愚かな師団長が我々をわざと勝たせたと酷評している。

■第14軍司令官スリム中将『敗北から勝利へ』

日本軍指揮官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝くことであった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
日本軍第三十一師団長佐藤陸軍中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。
彼はコヒマを取って陣地を構築するよう命令されていた。

彼の頑固な頭はコヒマを取るという一つの考えで一杯であった。
全然コニマを取らずに彼が我々に大きい損害を与えられるとは
彼は思い及ばなかった。
少数の牽制部隊を残し、ニチェガードのウォーレン旅団の東方まで
道路によって前進した彼は、4月5日までに彼の師団の主力を持って
鉄道を攻撃できた。しかし彼は全然洞察力を持たなかったので、
彼の部隊が到着したとき彼はこれをコヒマの小さな町の連続する
攻撃に投じた。

私は、私の部下の不屈の勇気によって、敵のコヒマ侵入の能力を過小評価
した私の過誤の重大な影響から救われた事を前に述べたが、それが必ず
そうなるためには敵の局地の指揮官の愚鈍を必要とした。
不幸にも当時私はこのことが与えられることも、あるいは非常な心配から
救われるべきことも知らなかった。
後になってそれが明らかになったとき、佐藤司令部への航空攻撃を計画している
熱心な英空軍の幾人かの将校を見出したことがあった。
彼らの意図する犠牲者を私は最も頼りとなる将軍の一人として考えていたので、
彼らにその計画を放棄すべきであることを私が勧告したとき、彼らは驚いた。

34 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 04:12:28.59 ID:nR3Fx3Fe.net
インパール作戦で飢餓に苦しみ白骨街道となたには
佐藤師団長の抗命、敵前逃亡のせい。

実際に飢餓で苦しんだ当事者らは
佐藤師団長を英雄扱いした高木俊朗の小説を
「局外者の推理やエゴイズムによる創作」だとして
事実ではないと否定している。


「隣接友軍の無通告退却のために、直接の被害者となったわが右突進隊は、腹背の敵から挟撃されて、
推定260名以上に及ぶ犠牲者を出す運命の日となった。」

「損害の主因が戦場のルールと道義を無視した隣接部隊の友軍にあったという紛れも無い事実によって、
戦後なお敵に対するよりも、さらに激しいある種の感情を捨てきれない宿命を背負っている。」

「同じ戦場で同じ目的のために、死力を尽くしあってきた同胞に対し、ここに問題を提起して
新たな対立感情を起こすことは回避したいと思うし、この記録の目的とするところではないが、

「わが連隊の記録」への投稿者の戦友のうちには、この間の感情に対し、激烈な非難をこめたものが少なく無い異常さがあった。」

「歴史が単に局外者の推理やエゴイズムによって、創作されるとしたならば、それは恐るべきことである。
しかもこの形式が、ひとたび活字となった場合には公刊、非売、限定等の形式に関わらず、また内容の
当否は別として、既成事実化し、真実は葬り去られるのが世の常である。」

『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

35 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 13:35:26.22
         .  -── ..、
       , ´   ´  ̄ ̄`丶、
      /             ヽ
      .′  ....        .:.:;
     i .:.   ,r‐=::,       i  余は、盧溝橋事件の一発で支那事変を起こし大勝利を獲得し、
    __ .!.: .:  _ィェェュ   斤zz‐ ミ !  さらに兵を仏印、馬來半島に進め、南下して新嘉坡を占領、
   「 ヽ .: .   ー ´ .:. `; `'ー'= !  南方大陸至る所で大勝利を収め、大東亜戦争にまで発展させた。
    い .:. :     ,.::;  i    i }
     し. :.: .     ー = '     リ   今度は印度に兵を進め大東亜戦争を大勝利のうちに終結させる。
     `i .:.`,   ,,..ィィィ笠ik,,   .    これは余の努めである。
      ',.:.ヽ    ´二~~ニ`  .′   余以外にこれを実行できる者はいない。
     ,ハ`ヽ          ,.′
     /.:.:`ヽ`ヾ、 ``゙゙゙゙゙゙゙´イ
 __,.. イ.:.:.:.:.:.:.:.\ `¨二二´ノ.;:.:.``ヽ、
.:.:.:.:.:.:.:i\.:.:.:.:.:.:.:.:.`フハヽ.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.:.
.:.:.::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::.:.:.

36 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 16:29:03.95
余は、満足じゃ。

37 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 17:15:27.22 ID:aGEYu80R.net
佐藤や高木がどこにも出て来ないので、土足の勝手な妄想。

証言者が砲兵で内容が伝聞と憶測の塊、
しかも、その位置と日時が友軍が戦車で踏まれてる時に後方の補給部隊で、という出鱈目な代物を載せた本
卑怯者(であるがゆえに生き残った)「自称証言者」の嘘八百の序文に誠にふさわしいw

38 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 17:20:54.96 ID:aGEYu80R.net
その証言の真実としての価値は
戦車が来るのに砲弾さえ(本来なら前線で撃つ係なのに)取りに戻らなきゃならない
馬鹿ムッチーの補給の出鱈目さの証拠に他ならない。

弾薬を撃つ日に砲兵下げて取りに行かせるなんてアホなシステムで、最初っから戦争なんかできる訳が無いのだ。
(戦艦の主砲で同じ事をやる馬鹿が一隻でも居たか?w)

39 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:06:38.82 ID:aGEYu80R.net
>>33
上司が狂犬ムッチーでなければ可能だったかも。
そこまで行けと言ってそこに行く分の飯しか持たせない(足りないので敵から奪えとかまで言っちゃう)
ので、師団独自での判断による行動で前進するのは同レベルの狂人だけ。

だから、何スレも「それをやりたきゃムッチーの直卒が必須」と。
ムッチーのような狂人は陸助と言えどそう何人もいないからなw

40 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:13:00.67 ID:aGEYu80R.net
>>33
佐藤は空軍には排除すべき対象に見えてたって事で「師団長なりの職務は果たしていた」証拠。
その空軍でさえムッチーを爆殺しようとは考えなかったので、スリムには止めに行く必要が無かった訳だw

ムッチーが連合軍のスパイだった証拠ですねw

41 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:17:46.23 ID:W4Pnc8pY.net
大田嘉弘は高木を叩くためだけに

『二つの河の戦い―歩兵第六十聯隊の記録 ビルマ篇』

を引っ張り出してきた。60連隊がかわいそうだと。
しかし一方31師団将兵にはなんの憐憫もない。
31師団は牟田口のために死ね、といっているのだ。

42 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:20:39.17 ID:NZbJCNmx.net
>>38
>馬鹿ムッチーの補給の出鱈目さの証拠に他ならない

インパール作戦の影響でノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたんだから、戦略的には痛み分けなんだけどな。
そうでなければ1943年12月のテヘラン会談の意義は何だったのかということになる。
そもそもイタリア戦線はソ連の主張する「第二戦線」では無いのだから。

43 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:27:07.31 ID:aGEYu80R.net
>>42
その一か月で日本は少なくとも原爆二発と北方4島を失った、ムッチーは戦後でも銃殺すべきだったのだ。

44 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:29:23.08 ID:NZbJCNmx.net
制海権も無いのにレンドリースとか、制空権も無いのに赤軍快進撃とか、
イタリア戦線が忙しいからDデイは延期だとか、滑稽な言い訳をいっぱいしてくれよ。

45 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:35:03.38 ID:NZbJCNmx.net
イタリア戦線がDデイ延期の理由だと主張する奴がいたので、それでは何のためのテヘラン会談だっかと反論。
何度も言うが、ソ連が西側に求める「第二戦線」は、あくまでフランス上陸のことである。

  第 二 戦 線 は ま だ で す か ?  
  い く ら 何 で も 遅 す ぎ や し ま せ ん か ?

かつて多くの歴史家が、米軍は開戦当初の 2 年間、「ドイツ第一主義」戦略を遂行できなかったとし、その理由を
1942 年にはアメリカ軍兵力の多くが欧州や北アフリカよりも太平洋に配備されていたこと、そして 1943 年には欧
州と太平洋の兵力分布が均衡していたためだと論じた。しかしこの主張は「ドイツ第一主義」戦略がかなりの程度、
日本の軍事力の過小評価に基づいていたという事実を見落としている。結果として、ルーズベルトは政治的理由(つ
まりアメリカの国内世論)だけでなく軍事的理由からも、開戦前に想定された以上の戦力を太平洋に投入せざるを得なかった。
http://www.nids.go.jp/event/forum/pdf/2014/07.pdf

46 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 18:50:34.19 ID:aGEYu80R.net
>>45
で、3月以降に印度から欧州に廻される予定の部隊又は兵器類がどれだけ足止めされたと?
逆に他方面からのインドへの増援は?

無いならインパール作戦とDデイは無関係w

47 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 19:13:03.17 ID:aGEYu80R.net
>>45
ドイツ第一主義戦略が有るのに、ドイツに付いたバカが陸助。
対米戦の原因が海軍であると言うのは妄想でしたねw

48 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 21:11:03.58 ID:1jRV3ZtO.net
>>46
>3月以降に印度から欧州に廻される予定の部隊又は兵器類がどれだけ足止めされたと?

無知とは罪深いものだな。

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm

49 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 21:19:00.12 ID:aGEYu80R.net
どうあがこうが米軍的にした時点で死ぬ、が土足理論なので、ドイツと組んで敵リーグになった時点で死亡じゃん。

50 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 21:22:44.56 ID:AxHZYjtl.net
>>48
印度からハンプ越えして中国への補給を行うってのは、米軍と云えどもしんどいことだよな。

51 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 21:28:22.22 ID:er/NtQq8.net
>>48
1944年6月以前にヨーロッパ戦線用の物資、兵員をインパールに転用したということは
一言も書かれていませんが。
せいぜい、太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降とし書かれていませんが。

52 :名無し三等兵:2016/09/14(水) 21:45:37.22 ID:aGEYu80R.net
つまり、インパール作戦で与えなきゃならない圧迫という物は、
中華には既に不必要(ダツオが実力で踏み爺ってる最中)でイギリス脱落が狂人の白昼夢。

という訳でどこにも存在しないw まったく無駄な作戦でしたな。
21号とかの辺りならもうちょっとは役に立つのでしょうがw

53 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 06:27:34.44
ま、こういう作戦が出て来た理由は、
当時の陸海軍が、戦況は敗勢であることを末端にまで認識させられなかった為だろう。
一般国民は「勝った!勝った!また勝った!無敵皇軍」という風にしか知らされていなかったし。

54 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 07:06:55.36 ID:LTBWUr71.net
>>51
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

 六月二十二日の“威力偵察”にはじまり、二十三日にソ連軍攻勢作戦『バグラティオン』が本格化してみると、
独ソ両軍の優劣の差は、ソ連軍の推算以上に大きかった。
<中略>
 とくに空軍戦力の差は、ひどかった。
 第六航空軍は、約六百八十機を保有していることになっていた。
 ところが、ソ連機をむかえて飛びたったのは、わずか四十機―。
 残りは整備不十分または燃料不足で飛べず、舞い上がった四十機にしても、
ガソリンが無いために三回以上の出撃はできない有様であった。
<児島襄「ヒトラーの戦い 6」の464頁>

 東部では中央軍団の破局的消滅はほとんど完全だった。一九四四年七月六日の正午の会議で、
総統は北方軍団に撤退を命じることで、そこから四個師団引き出せるとのモーデルの見解を再び拒否し、
救えると思うのは幻想にすぎない、どういうことが起るかといえば、軍団は要塞化陣地と重砲と装備を
失うということだといった。ホイジンガーの方を向いてヒトラーは、この災厄でこれまで中央軍団にどれだけ
損害があったか、静かに訊ね、「一二から一五師団が包囲されていますが、全般的損害は二八個師団
に上るでしょう」と告げられた。
 なんと二八個師団である。六月二二日以降わずか二週間で、ヒトラーは三五万の訓練済みのドイツ兵
をロシア側に奪われたのだった。
「ヒトラーの戦争 下」(デイヴィッド・アーヴィング 早川書房 P238、239 )

海外「日本デカ過ぎだろ」 大戦中の世界の領土の変遷が分かる地図動画
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-1451.html

バグラチオン作戦と大陸打通作戦、ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗w
対日戦争がおまけなら、日中戦争はおまけのそのまたおまけww
ちなみに朝鮮戦争で米軍は、おまけのおまけな中国に大苦戦www

55 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 07:10:24.68 ID:LTBWUr71.net
>>51
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

史実に反するが?

 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

56 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 09:10:18.32 ID:WDjzNOKY.net
>>55
そのソースは?

57 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 09:25:03.73 ID:SDq4zB6z.net
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58 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 11:32:34.66 ID:YjwGetiA.net
>>51
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

大陸打通作戦で太平洋戦争の敗北ダメージを軽減しただと?

だつおの自演?

59 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 11:42:38.48 ID:g7ssq4Ms.net
>>51
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

ゴミのような中国人がいくら日本軍に虐殺されても、米英にとっては痛くも痒くも無いが?

60 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 11:44:50.22 ID:g7ssq4Ms.net
>>56
中国人というゴミ生物を生かすために、 「飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえ」
は有り得ない。

61 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 12:23:07.44 ID:wWAXuyl1.net
>>51
>太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降

この問題がまだ解決しないうちに、日本軍がビルマ公路に沿って、短い攻勢に出た。
蒋介石は、日本軍が一直線に昆明にまで攻めよせてくるのではないかと不安にかられ、
ビルマ戦線に全中国軍をサルウィン川の背後の安全地帯まで撤退させるとわめいた。
ルーズベルトは蒋介石に緊急の覚書を送り、ビルマから軍隊を引き揚げるようなこと
があれば、また全指揮権をスティルウェルに渡さないのであれば、アメリカからのすべ
ての援助を停止すると警告した。
スティルウェルによれば、大統領からのこの覚書は「火のついた爆竹」であった。
スティルウェルは蒋介石と会見し、「このとうがらしの包みをピーナツ野郎に手渡し、
大きく息を吐きながら椅子の背に身体を沈めた。鋲はこのちび野郎のみぞおちに命中し、やつを突きぬいた」
「宋王朝 下」(スターリング・シーグレーブ サイマル出版会)

62 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 12:26:52.43 ID:wWAXuyl1.net
>>51
>せいぜい、太平洋戦線用の物資を回してるくらいでそれも1944年7月以降とし書かれていませんが。

無知とは罪深いものだな。

 ペンタゴンの軍首脳者たちの考えは、総体的に、シェンノートの航空作戦計画、およびそれを
支えるための大量補給の努力は、アメリカの兵力、資材の浪費であって、ほかの地域の作戦を
妨害するものであるということに一致していた。
 シェンノートの方針は、中国において実効をあげず、ヨーロッパでの活動に制約をあたえていた。
 それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。
 この見解は、一九四四年七月四日にルーズベルト大統領に提出された、中国の危機に関する
統合参謀本部の公式報告に記述された。
 この公式報告は、シェンノートの作戦原理に反論していて、第二次大戦中に発行された
文書のなかでも、一番おかしな内容の文書であった。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/J/aircraft/chaina8.htm

63 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 12:47:32.82 ID:sG78QCET.net
>>52
>まったく無駄な作戦でしたな。

インパール作戦でノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたから、正確には「痛み分け」。
違うというなら、テヘラン会談で約束したDデイの日付が遅れたことの理由と意味を述べろ。

64 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 12:49:18.74 ID:sG78QCET.net
>>62
> それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

イタリア戦線の優先度は低かった。

65 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 13:22:16.79 ID:WDjzNOKY.net
>>63
1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話でインパール作戦は無関係。
以後すれ違いだからヨーロッパ戦線の話はするな他でやれ。

66 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 13:33:18.32 ID:g7ssq4Ms.net
>>65
>1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話

上陸用舟艇がインパール作戦とかの対日戦争に向けられたからだとご理解頂けた?

 こうした理由から、上陸地点はノルマンディに決定された。次いで検討されたのが上陸部隊の規模である。
これは上陸当日に利用できる上陸用舟艇の数に左右される。
 この、第二次大戦が生んだ新奇な船は、連合軍の全ての作戦に必要とされていた。特にノルマンディ作戦
と競合してこの種の船を必要としていたのが、日本と戦う太平洋戦線である。とにかくここでは上陸作戦を
やらないと何も始まらないから、とにかく割り当てを増やしてほしいという要請が絶えず出されていた。
舟艇を管理するのは海軍であり、アメリカ海軍にとって戦争とはすなわち太平洋戦争のことであったから、
アメリカ海軍はノルマンディ作戦に舟艇を割くのを渋り続けた。この調整には、最終的には陸軍参謀総長
マーシャル将軍と海軍作戦本部長キング提督のトップ交渉が必要だった。こうやって決定された割り当てにより、
上陸部隊を5個師団とすることが可能となった。
http://homepage2.nifty.com/daimyoshibo/mil/normandie.html

 将兵と兵器を上陸地点まで運ぶため、特殊艦も数多く開発された。もっとも成功したのが戦車揚陸艦
(LST)であり、これは多くの点で第二次大戦でももっとも重要な舟艇となった。ウィンストン・チャーチルは後に、
連合軍のヨーロッパ大侵攻を計画した際に生じた問題について述べている。
「この困難な(戦略上の)問題は、すべてLSTの極度の不足というただ一点から発生している。
英米のニ大国の計画が一〇〇か二〇〇の特殊な船によってほとんど骨抜きにされ、制限を受けるなど、
歴史にその例を見ないであろう」
<日本殲滅 日本本土侵攻作戦の全貌 / トーマス・アレン/著 ノーマン・ポーマー/著 栗山洋児/訳 >

67 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 13:57:38.84 ID:WDjzNOKY.net
>>66
インパール作戦に上陸用舟艇は必要とされてないので回されてませんよ。

68 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:01:47.45 ID:g7ssq4Ms.net
>>67
>インパール作戦に上陸用舟艇は必要とされてないので回されてませんよ。



チンドウィン川は、流れがとても速い川で、その地点では幅が600ヤード(約550m)ほどありました。
わたしたちの装備、そして約3500名の兵士と1350頭のラバが川を渡るために利用できるのは、
装備を乗せて輸送するだけで精いっぱいの空気注入式の攻撃用舟艇だけでした。ですから、
ラバは攻撃用舟艇の後ろを泳がせました。
http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/shogen/movie.cgi?das_id=D0001130021_00000

69 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:12:46.36 ID:WDjzNOKY.net
それ河川用のゴムボートで、ノルマンディで使ったような上陸用舟艇じゃありませんが。

70 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:17:29.77 ID:oNQlUoW1.net
>>69
インパールの英連邦軍はシャーマン戦車を使っていただろうが、陸揚げはとうしてた?

71 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:21:28.92 ID:oNQlUoW1.net
それからオマケの片手間な対日戦争においても、ソ連は決して手抜きなんかしていない。
また日本軍も相手が弱小な中国軍だからといって手抜きをしたことはない。

72 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:41:31.29 ID:g7ssq4Ms.net
>>69
>それ河川用のゴムボートで

ヨーロッパでは使い物にならないのか?

73 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:50:55.30 ID:WDjzNOKY.net
さらに言うと英軍がチドィン川を渡ってビルマ奪回に来たのは、1944年の雨季が明けた10月以降の話で、ノルマンディを延期してまでビルマに回すほど優先度は高くないけど。

74 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:54:01.94 ID:oNQlUoW1.net
>>73
>ノルマンディを延期してまでビルマに回すほど優先度は高くないけど。

けれども実際には1ヶ月延期されちまったんだからしょうがない。

75 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:56:47.60 ID:oNQlUoW1.net
>>65
>1ヶ月遅延した理由は上陸用舟艇の数が揃わなかっただっけの話

ノルマンディー上陸が遅れたのは、専ら太平洋戦争の影響とご理解頂けて幸いだ。

76 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 14:59:49.88 ID:WDjzNOKY.net
>>74
インパール作戦には関係ないので以降は他のスレでどうぞ。

77 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 15:02:24.70 ID:oNQlUoW1.net
>>76
ノルマンディー上陸が1ヶ月遅れたのはインパール作戦の影響だから、スレの趣旨に合っている。
連合軍の戦車揚陸艦は当然ながらビルマ戦線でも使われている。

78 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 15:15:11.98 ID:WDjzNOKY.net
だから、ビルマに必要になったとしてもノルマンディの半年後の話で、ノルマンディが一月延期になった話はこのスレには無関係

79 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 16:22:03.02 ID:g7ssq4Ms.net
>>62
> それは、飛行機やそのほかの装備品を、イタリアから中国に補給がえをしたためである。

だからインパール作戦と大陸打通作戦のせいで、ノルマンディー上陸が1ヶ月遅れてしまった。

80 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 16:27:50.82 ID:g7ssq4Ms.net
>>6
>センチュリオンやランカスター要する一軍どころか、植民地兵が2/3の3軍相手にこの惨敗

オマケの片手間な対日戦争であっても、ソ連は立派に樺太千島を得た。対する英連邦は失うばかり。
イギリスは米国に頭が上がらないが、ロシアはクリミア併合で領土拡大しても平気。

81 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 16:48:34.44 ID:g7ssq4Ms.net
ノモンハンで日本は負けた負けたというが、それで日本は何を失ったのか。
ちなみにフィンランドは冬戦争でカレリアを失っている。
カレリアを取ったティモシェンコと何も取れなかったジューコフでは、どっちの評価が高いか。
なおドイツ国防軍が全身全霊かけた対ソ戦の「輝かしい戦果」が判明するのは戦後半世紀を経てから。
けれども何を失い何を得たかというのは、戦時でも明確である。 バグラチオン作戦と大陸打通作戦、
ベルリンに翻る赤旗と南京に翻る日章旗。

ナチスと結んで米英を攻撃した日本は「無条件降伏をしたのに、北方領土を返還しろ」と主張してるのに、
ナチスと結んでソ連を攻撃したフィンランドは「有条件降伏をしたからカレリアを返還しろ」とは言わない。
クリミアは住民投票の結果ロシア領土になったという主張と、北方四島は日本が無条件降伏した結果ロシア領土になったいう主張は、
どちらが正しくてどちらが間違いなのか、あるいは両方間違いなのか両方正しいのか。

82 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 21:57:20.19
サンフランシスコ条約をソ連は批准してないだろ。
そもそも日ソ中立条約破ってるんだからソ連の主張は全部無効に決まってんだろ。

83 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 21:56:47.47 ID:oNQlUoW1.net
ソ連は主戦場の欧州でも片手間の極東でも、立派に領土拡張を果たした。つまりソ連は時代の最先端だった。

>感謝と尊敬

旧敵国の代表からこんなお言葉を頂けるのは、連合国と云えどもソ連だけ。

  あ り が と う ソ 連 邦 !

84 :名無し三等兵:2016/09/15(木) 21:59:23.73 ID:oNQlUoW1.net
第二次世界大戦でナチスドイツを倒してベルリン入りをはたしたのもソ連、領土拡張したのもソ連。
このようにソ連という国は、新しい時代を創生した、世界の模範たりえる理想国家だった。

85 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 01:14:51.49 ID:CVR+Tjr6.net
【インパール作戦で日本軍は勝利出来たというのが連合軍側の一致した見解】

■スチルウェル中佐(北部戦域軍(米支軍)参謀・レド)
「英軍は完全に奇襲された。準備半途を衝かれ、奇襲は決定的なものであった。
首府ディマプールには予備団も無く、日本軍があのまま 一押しすれば攻略は易々たるものであったのだ。
一方に、インパールの驚きは想像以上であって、守将ジファード大将(第11方面軍司令官)の如きは、
一旦遠くカルカッタ方面まで退却して後図を策するの是非を、
マウントバッテン総師に伺いを立てるほどの驚きであったのだ」

■アーサー・スウィンソン大尉(英第2師団参謀・ディマプール)『コヒマ』
牟田口の方が、実際には正しかったのである。何といっても正しかったのは間違いないのである。
これがナポレオンの言った「機宜」というものであろうか。佐藤師団長が一ヶ月の間に、
ディマプールを占領しさえしていたら、英軍は懸崖に立たされていたであろう。

■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)
「英印軍に非常に幸運だったのは、日本軍が驚くほど弾力性を欠いていたことだ。」
「すぐに第二目標であるディマプール攻撃に移っていたならば、
そのころ、まだ兵力の集中できていなかった連合軍はこれを防ぐ方法は無かった。 」

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』
日本の軍司令官のなすべき全ては、コヒマを妨害するため一支隊を残置し、
師団の主力を持って猛烈にディマプールを衝く事であった。
幸いにも彼(佐藤師団長)はほとんどそれをとろうとしなかった。
佐藤中将は、私の遭った日本の将軍中で最も消極的であった。

■ストップフォード中将(第33軍団司令官・ジョラート)
「このときもし日本軍がコヒマからディマプールに果敢に急進していたのなら
英国に勝利はなかった。(作戦全体において)」

86 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 01:23:11.03 ID:nFW3LyEK.net
ノモンハンと支那事変では、後者のほうが動員兵力も損害も大きいけど、ノモンハンはオマケの片手間ってことにはならん。

87 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 10:50:36.18
>>1  
バカ土足さまへ

貴女は貴女の愛する牟田口さんのことをどれほど知っていますか?
牟田口さんが一生懸命に歩まれた足跡を辿ってみませんか?
日々どこにいて何をしていたか、記録してみてはどうですか?
いろんな資料をいろんな書物や図書館で探して記録していく。
他人がどうだとか誹謗中傷の書き込みなどやってるヒマはなくなりますよ。
貴女の愛する牟田口さんも喜ぶことでしょう。
それが牟田口さんへの供養になるのではないでしょうか。

88 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 18:57:22.24 ID:teJmjdA9.net
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。

89 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 19:27:10.51 ID:rQA+Kkp8.net
■マウントバッテン大将(東南アジア連合軍 (SEAC)・総司令官)

マウントバッテン大将の認識は間違っているディマプールは何の目標にもなっていない。

■スリム中将(連合軍第14軍司令官)『敗北から勝利へ』

スリム中将の認識も間違っている。
ディマプールは河辺方面軍司令官から攻撃を禁じられているからだ。

90 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 19:45:50.19 ID:kbZDxeZY.net
東部戦線でソ連軍が快進撃してるのに、英連邦軍が「戦略的撤退」なんてありえない。
たとえオマケの片手間な対日戦争であっても、ソ連は樺太千島を得たが英連邦は何も得ていない。

91 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 19:49:08.41 ID:kbZDxeZY.net
≪児島襄「参謀(下)」のジョゼフ・スチルウェル編より引用≫
「“ピーナッツ”は偏屈で恩知らずの小さなガラガラヘビだ・・・・ (中国政府は)
自分たちだけのことしか考えないならず者の集団だ。指導者たちの興味は、
ただ金、権力、そして地位だけだ・・・・。手に入るものには何でも頭を下げ、
自分は戦わないように心がける・・・・。“インテリ”と金持ちは子どもを米国に送り、
農民の子どもが戦争に かりだされる。しかも注意も訓練も指示も与えられずに死んでいる。
 われわれは、この腐敗した政府を支持し、その偉大なる愛国者兼戦士
“ピーナッツ”に栄光を与えるために、戦おうとしているのだ―おお神よ!! 」
≪中略≫
当時の米軍は、日本軍と同じく、行軍距離単位は四キロであったが、
その米式訓練をうけたはずの、いやボートナー准将自身がその訓練をした孫部隊は、
一キロ歩いては休み、次に一キロ進んではごろりと道端に寝転がる。
 しかも、頭上に英軍機が飛来して補給物資を投下すると、隊列を
乱してむらがり、悲鳴をあげつつ、下着に利用するパラシュートを奪い合う。
≪中略≫
孫部隊は狂喜した。中国大陸で負けつづけ、日本軍といえばかなわないものと信じていたのに、
その日本軍がひきあげたのである。勝った、勝ったと小銃を空に乱射しておどりあがった。
 ところが、勝ちに乗じた勢いで快進撃するものと期待していた孫部隊は、
たしかに前進は開始したものの、そのスピードは以前にもおとる低速であった。
そして、昭和十九年一月二十九日、孫部隊はついに完全停止した。
 ボートナー准将の急報によってかけつけたスチルウェル参謀長は、にこやかに迎える
孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?
≪中略≫
スチルウェル参謀長は、孫少将にかみついた。
「明らかに命令違反である。よろしいか。貴下の第三十八師団は、 全中国軍のなかで
とびぬけて優良な兵器、弾薬、糧食の補給を受けている。 足りないというのなら、
迎撃砲も、火炎放射器も、米兵だってさしあげる。 だが、命令に従うのが条件だ・・・・
もし自分の使命が達せられないようなら、辞職してワシントンに報告せざるをえない」

92 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 19:51:02.74 ID:kbZDxeZY.net
> 孫少将の顔をぼう然と眺めながら、考えこんだ・・・・なぜ、前進しないのか?

1944年以降の連合軍としては、「戦略的撤退」など決して許されはしない。

93 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 19:53:07.16 ID:kbZDxeZY.net
>>89
>マウントバッテン大将の認識は間違っているディマプールは何の目標にもなっていない

1944年以降の連合軍は、勝利へ向けての進撃あるのみ、「戦略的撤退」など有り得ない。

94 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 21:05:16.17 ID:rQA+Kkp8.net
>>93
戦略的撤退ではなく攻勢防御なんだけど?

区別が付かないかな?w

95 :名無し三等兵:2016/09/16(金) 22:11:31.40 ID:WTv5e3sY.net
>>94
自演乙

96 :名無し三等兵:2016/09/17(土) 01:56:36.21 ID:wPMVxEQ3.net
牟田口第十五軍司令官は、果断の人だった。弱音を吐かぬ信念の人だった。
物量・兵員数の劣る我が軍による巧妙な用兵と作戦で英印軍を一時的にせよ、叩くのに成功したことは、我々日本人は記憶せねばならない。
十五軍隷下の各師団長の弱音も聞き入れず、果断、
決断、実行により、帝国陸軍の名を歴史に残した。
よく兵站を無視したと批判されるが、
司令官は、我が軍将兵の発奮を促すのに、
あえて食糧・弾薬を少なめに携行させたのだった。
このことはあまり知られていない。これは、司令官が
功に誇るような人物でなく、
謙虚な典型的帝国陸軍軍人だったからに他ならない。
印度独立運動の指導者チャンドラ・ボースは、後にこう言っている。
「彼(牟田口司令官)は約束を守った。
亜細亜の開放に貢献した。その獅子奮迅の指揮ぶりは、
東洋のカエサルと呼んでも過言ではない」と。
終戦後、牟田口司令官は、左翼勢力の台頭の為にあらゆる批判を受けることになった。
しかし如何せん、時代の弊風には抗えなかった。
赤誠な人ほど、不当な評価を受けることが多いが、彼がまさにそうだった のである。

97 :名無し三等兵:2016/09/17(土) 06:20:12.82 ID:l6x/6GQl.net
>>70
つまり、敵が海から上がって港を奪取する事が前提で実行されちゃう位のド間抜けでないと、勝っちゃいけないんですね?w

>ありがとう先進的ソ連
つまり、満州とか使ってまで盾突いた陸助は猿。

98 :名無し三等兵:2016/09/17(土) 06:35:25.92 ID:l6x/6GQl.net
改めて、インパール作戦の意義は?目的は?
敵が5歩下がっても次の敵の攻撃を防ぐ兵と引き換えだったなら、その作戦は無意味。

硫黄島とかだと、数倍の敵に嫌がらせ的に立て籠って持久戦を続けた訳だが、
インパールの代わりにビルマ要塞化で同様の防御をすれば、終戦までビルマの端っこ位には日本軍が立ってられたんじゃないの?

99 :名無し三等兵:2016/09/17(土) 08:33:04.84 ID:KGs05l39.net
インパール作戦の本来の目的は限定攻勢による英第4軍団の撃破とインパール盆地占領よる
防衛ラインの縮小にあった。その意義はビルマ防衛に資することだった。

英軍は後方連絡線を切断しさえすれば簡単に崩壊するはずだった。
しかし、英軍はその対策をついにとったのだった。

100 :名無し三等兵:2016/09/17(土) 08:41:08.94 ID:kl91fR0D.net
まずビルマの端っこに日本軍がいるだけという状態が
日本軍にとって目標とされてなかった。
そんなのを目標とするくらいなら
泰緬国境の山岳地帯にとっとと引っ込むほうが兵力の温存の観点から考えても合理的。
ビルマ防衛のため、英軍のビルマ攻略の根拠地と考えられていたインパールの覆滅が目的。
とはいうものの、そんなところまでいけるわけねえと思っていた人たちにとっては
チンドウィン川を渡河してミンタンミ山系に進出して戦線整理、
余剰兵力を生み出すことには意味があると考えられていた。

牟田口? アッサム侵攻とかいって開戦時の腹案を実現するとか
それそもそも間違ってたって話にしかならんよw
バブル崩壊後にとにかく土地を買い漁るようなもんだ。

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