2ちゃんねる スマホ用 ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50    

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

【Me109】ドイツ空軍 VS ソ連空軍【Sturmovik】

1 :名無し三等兵:2015/06/29(月) 08:45:53.56 ID:Vd+STZaV.net
もしもドイツ空軍が本当に西高東低型の対応を取っていたのであれば、彼らはソ連軍をなめており、
その代償を支払わされたと言うしかない話だ。結局のところ、ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入
されたことで終わったのだから…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/nastuplenie2.0.html

こうなると敵を恐れる必要はなく、私らは自ら戦いを求め、これでもか!とばかりに喰らわせてやったのさ。
クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、搭乗員たちの士気
は非常に高かった。出撃する度ごとに戦果を挙げられたよ。空中戦では負け知らずだった。逆にドイツ軍の方も、
モスクワの頃とは、それどころかスターリングラードの頃とも違っていた。我々と遭遇するや否やすぐに
逃げてしまい、戦いを挑んでくる気配がない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gorelov6.html

>クルスク・ベルゴロド作戦以降は怖いものなしの状態だった。皆すでに勝利を確信し、

プロホロフカ戦車戦などの地上戦ではドイツ軍が優勢で、これはマンシュタインが「攻勢続行」を主張した通り。
けれどもその後一ヶ月くらいの間に、赤軍はハリコフとオリョールを奪回している。従ってソ連の主たる
勝因は「航空戦」であったと考えられる。逆に制空権を失ったドイツ軍は、戦車部隊への補給ができなくなり、
後退する度に直せば使える修理中戦車を放棄させられた。スターリングラードにしても、空輸の失敗が大きい。

もしもソ連軍の攻勢開始が8月3日ではなく、例えば15日頃であったとしたら、ドイツ軍はそれまでに
短期修理の対象となっていた装甲兵器をほとんど全て戦列に復帰させていたであろうし、修理扱いだった
ものが全損へ移行するという形で損害が増えることもなかったに違いない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/statiya2.3.html

「第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線の変化が視覚的に理解できる動画」海外の反応
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6852050.html
THE DEFEAT OF THE GERMAN AIR FORCE
http://www.allworldwars.com/The%20Defeat%20of%20the%20German%20Air%20Force.html
WW2各戦線のドイツ軍機損失
http://www.rkka.es/Estadisticas/VVS_stat/01/01_10.htm

46 :だつお ◆t0moyVbEXw :2015/10/27(火) 09:01:36.08 ID:WR3iOzsO.net
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

ソ連は日本に対しては停戦に応じている一方で、ポーランドに対しては領土を奪っている。

このようにしてポーランドはおもにドイツとソ連に分割され、ドイツ軍とソ連軍はポーランドの土地において
互いを迎えあった。9月28日、前月に締結されたモロトフ・リッベントロップ協定の秘密議定書を修正する
新しい秘密議定書がドイツとソ連の間で交わされ、リトアニア領全域をドイツでなくソ連の支配下に置くこと、
ポーランドを分割する境界線はドイツのために東のブーク川まで移動することが決められた。
ブレスト=リトフスク(ポーランド名ブジェシチ)市では、ドイツ軍が新しい独ソ境界線の西へと撤兵する前に、
ソ連軍とドイツ軍の両軍が勝利パレードを行った。
<中略>
9月1日にポーランドが侵略されたことを受けて、イギリスとフランスは9月3日にドイツに宣戦布告したが、
実際はドイツのポーランド侵攻に対して直接兵を送ることをせず、またドイツ西部国境を犯すこともせず
傍観の姿勢を決め込んだ。人々はこれをまやかし戦争と呼んだ。ポーランド人の多くは自分たちが
西側同盟諸国に裏切られたのだと感じた。一方ポーランドは、同盟諸国に対する自らの義務事項を遵守し、
国家としては決して降伏せず、フランス(のちにイギリス)に亡命政府(ポーランド亡命政府)を樹立した。
このポーランド亡命政府は、1939年以前の政府の法的な継承者で、ポーランドに残された人々による民間の、
あるいは軍事的な地下組織(ポーランド秘密国家)と連携した。ドイツ占領下におけるポーランド人は、
第二次世界大戦におけるすべてのドイツ占領地域の中で最も強力で、最もよく組織された抵抗勢力として戦い続けた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BE%B5%E6%94%BB

言っちゃあ悪いが、こういうのは単純に「強きに媚びて弱きを挫く」としか思えない。イギリスやフランスも同じだ。
1941年冬のモスクワ戦は、ドイツ国防軍無敵神話が初めて潰えた歴史的転換点と記憶されるべきだろう。

47 :だつお ◆t0moyVbEXw :2015/10/27(火) 09:08:10.50 ID:WR3iOzsO.net
1940年のバトルオブブリテン航空戦の戦略的評価だが、これは1941年1月4日の米ギャラップ世論調査が示している通り。

If the United States stopped sending war materials to England, do you think England would lose the war?
Yes................................ 85%
No................................ 8
No opinion......................... 7
http://ibiblio.org/pha/Gallup/Gallup%201941.htm

合衆国が援助を止めればイギリスは敗北するという意見が圧倒的多数で、バトルオブブリテンでイギリス空軍が
ドイツ空軍に勝利したというのは、戦後にデッチ挙げられた神話にすぎないことが理解できよう。

48 :だつお ◆t0moyVbEXw :2015/10/30(金) 23:20:53.62 ID:qZpfDj1p.net
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

 開いた口がふさがらないほどの驚きを体験したのは、ヒトラー自身も同様だった。
 翌日、八月十六日午前四時二十五分、外務次官ヴァイツゼッカーは駐ソ大使シュレンブルグ
の「大至急極秘電」を受理した。
 前夜午後八時(モスクワ時間)にソ連外相V・モロトフに面会して、外相リベントロップの
訪ソ申し入れを伝えた報告である。
 外相モロトフの反応は予想外に好意的で、申し入れを「最大の関心」をもって受け取り、
わざわざ外相リベントロップが来るからにはそれなりの成果が必要だろう、と次の三項を提案した。
 @独ソ不可侵条約の締結、A日ソ関係を改善し国境紛争(ノモンハン事件)を終熄させるために
ドイツが日本に影響力を駆使する、Bバルト海諸国の共同保障。
 そして、外相モロトフは、とくに不可侵条約についてドイツ側が賛成なら、ドイツ外相はたんなる
話しあいではなく具体的決定を用意して訪ソしてほしい、と強調したというのである。
 外相補佐官E・コルトは、午前六時四十分、電報内容を電話でザルツブルク市郊外の別荘に
いる外相リベントロップに伝え、外相は直ちにヒトラー山荘に急行した。 
 ヒトラーは、驚き喜んだ。
 なんとソ連側から不可侵条約を提議してくるとは・・・・・・。
<児島襄「ヒトラーの戦い2」>

49 :名無し三等兵:2015/11/02(月) 14:52:45.02 ID:Cic7cGhT.net
>>47
「嘘も百回言えば真実になる」とは良く言ったもので、ナチの宣伝相ゲッベルスは、
ロビー活動で米国の政財界にナチスドイツ空軍の大勝利プロバガンダを吹き込んで米国民を欺いた。
ナチスの巧みな宣伝工作とチャーチルの不手際で、バトルオブブリテンのイギリス勝利が正しく認識されなかった。

50 :だつお ◆t0moyVbEXw :2015/11/09(月) 22:47:01.33 ID:2XyjMkA4.net
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

ミッドウェー海戦では日本海軍機動部隊が壊滅状態になったが、米国は停戦に応じてくれたのか?

米軍の暴虐と比較すれば、赤軍のそれは優しすぎて感謝の涙が出るくらいだなwww

51 :名無し三等兵:2015/11/13(金) 05:05:36.26 ID:KF3jhRgn.net
ノモンハンにあれ以上ソ連が増援送ったらポーランド侵攻が延期ないしは中止せざるを得なくなるし、
日本も本土から増援を送ってくる。

52 :名無し三等兵:2015/11/13(金) 14:28:15.31 ID:sfTxKiIs.net
ソ連が片手間で戦ってた様に日本も片手間でノモンハンやってたしな。作戦制限が多すぎるし

53 :名無し三等兵:2015/11/13(金) 20:13:07.39 ID:QJ+j+Oxg.net
日本は新鋭装備ほぼ全力投入だったような

54 :名無し三等兵:2015/11/14(土) 21:18:57.35 ID:ljAqp4zx.net
素朴な疑問ですが
ドイツ機もソ連機も極端に航続距離が短いけど、ヨーロッパの戦場って
そんなに飛行場が多かったんですか

55 :名無し三等兵:2015/11/15(日) 00:33:03.68 ID:HTMavKjz.net
>>54
お前バカだろ

東京・静岡間で170kmくらい
日本の県単位で概ね100kmくらいある

一県に1つくらいは飛行場なり
小型機が止まるような平地があるだろ

東京ですら小型機レベルが離発着できる飛行場は複数ある

56 :名無し三等兵:2015/11/15(日) 10:05:51.20 ID:mnMJuU+n.net
日米機の航続距離がおかしいんです

57 :名無し三等兵:2015/11/20(金) 01:07:02.78 ID:4mUnQF8H.net
独ソ戦線は面積的には海洋戦並みだし2000km以上の航続距離が必要だろ。

58 :名無し三等兵:2015/11/20(金) 07:08:29.80 ID:iOMQvdsn.net
>>49
米国人は、そんなにバカだったの?

59 :名無し三等兵:2015/11/20(金) 13:53:42.99 ID:SV4DAB0H.net
>>57
焦点になる戦域は驚くほど狭いし
無駄にチンタラ移動する時間があったら直近の基地から何度でも反復出撃しろってスタンスだしな
動く基地の空母で洋上ウロウロしてる機動部隊とは事情がなにもかも違う

60 :名無し三等兵:2015/11/21(土) 13:42:39.76 ID:TnTIfHH3.net
>>13
>I-16-28と-29は、まあBf-109Fに同じくらいと言えるが、多少は劣っていた。だが、I-16のそのほかのモデルは
>相当に差をつけられていた。メッサーのFモデルが北部戦線に現れたのは1942年も11月になってからで、

―ドイツの戦闘機の中では、どの機種が最も危険と見なされていましたか?
 42〜43年当時であれば、「フォッケル」[Fw190]と遭遇する機会は少なかった。「メッセル」[Bf109]がほとんどだったな。
私たちは護衛戦闘機をつけてもらっていたけれども、最初のうちはI-16だの「チャイカ」[I-153]だのがこの任務にあたっていた。
彼らは300キロしか出せないのに、こちらは360キロで飛ぶんだよ。だから、護衛隊の方から「俺たちを置いていかないでくれ!」
なんていう叫び声が聞こえてくるんだ。こんなのが護衛の名に値するだろうか?!
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/beseda62.3.html

61 :名無し三等兵:2015/11/21(土) 15:29:19.70 ID:8AbJ1PRP.net
―にも拘わらず、東部戦線でFw190が「上手くいかなかった」のは何故だとお考えですか?ソヴィエトのパイロットからは、
いい戦闘機だがそれ以上のものではない、という程度の評価しか得られていませんが、西部戦線の「フォッケル」は
一大センセーションを巻き起こしたわけですから。
 全くその通りで、強力な戦闘機だし、一応の「水準」には達しているが、戦闘能力となると際立ったものは何もなかった。
実際のところ、ドイツ人はこの飛行機にとても大きな期待をかけていたが、しかし明らかに過大評価をしており、
性能を高く見積もっていたという印象だ。
 例えば、「コブラ」は「フォッケル」よりも速力で劣るだなんて、彼らは何でそう思い込んだんだろうね?実際にそんな
ことがあったのだ。最初のうち、ドイツ人は自分たちが速度性能で勝っていると固く信じており、「フォッケル」で攻撃を
かけた後にエンジン全開で離脱を試みる場合が多かった。だが、こっちは彼らに追いついて、上から弾を「降り注いで」やる。
向こうは煙を噴いたり蒸気を噴いたり大騒ぎだが、どうやっても振り切ることはできなかった。私たちはすぐに、
全力運転だけで逃れようとするとどうなるか、ドイツ人どもを教育してやったよ。その後は「フォッケル」も、攻撃後の離脱
とこちらの射撃から逃れる際には必ず急降下をすることにし、それ以外の方法を禁止した。
 垂直面の機動性も「フォッケル」は「コブラ」より下回っていたが、当初は私たちに垂直面の戦闘を挑んできた。
これも同じことで、すぐに思い知ったようだけどね。やっぱり私にはよく分からないんだが、「フォッケル」が「コブラ」
に垂直面で勝っているだなんて、一体彼らは誰に吹き込まれたんだろう?
 「フォッケル」は加速性が劣るという弱点があり、もしかしたらこれが一番の泣きどころだったかもしれない。後になると、
彼らも「フォッケル」で戦う時は速度を失わない形で機動を組み立てるよう心がけていた。長時間の格闘戦で「ヤク」
やラーヴォチキン、「コブラ」に対抗するなんて、「フォッケル」にとっては最初から負けが決まったようなものだ。
スピードが落ちてそれっきり、だよ。彼らが次に速度を得るまでの間に、こっちは何度でも撃墜のチャンスがある。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/golodnikov2.html

62 :名無し三等兵:2015/11/21(土) 15:42:08.54 ID:XKpN2JVQ.net
―どのような任務での出撃が多かったのでしょうか?街や飛行場の防衛、あるいはフリーハンティングなどもやっていたのですか?
 基本は敵飛行場の攻撃です。飛行場とか、基地とか。例えばルオスタリの飛行場なんかをね。他にもキルキネス、ヴァルデ、
ヴァドセ、みんな近くに固まっていました。ヴァエンガに駐留していた我が連隊が、これらの目標をみんな受け持ったのです。
 損失はありました。勿論、本当に辛いことでしたよ。時には損害なしですむ場合もあったけれども。損害のあるなしは状況によります。
I-16ではまあまあ普通に戦っていて、損失も壊滅的ではなかった。しかしハリケーンでは厳しかったですな。キティホークの方が
ましではあったが、それでもやはり…その後でエアラコブラが来て、これはより強力な兵器だったと言っていいでしょう。
この時までには、確かI-16はほとんど残ってなかったんじゃないかな…
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/gusev5.html

63 :名無し三等兵:2015/12/01(火) 08:14:05.20 ID:qIiERzfi.net
https://www.youtube.com/watch?v=iYKD4oD49l4
なんぞこれ

64 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 12:00:21.42 ID:TpanI1+t.net
Fw190のエンジンの排気量は火星並で
無難に14気筒にまとめ
火星より直径は小さく
ボア・ストローク比 1対1

どっかの島国と違って、うまくまとめたエンジンだと思うよ
これが1941年8月からまともに飛んで、実際に戦っていた

65 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 12:01:56.45 ID:TpanI1+t.net
Fw190Aは疾風よりはるかに高速で上昇・急降下・ロールレートいずれも優れ、F8F-1と性能上ほとんど差がない。
こんなバケモノを1941年に作ってたドイツの技術は日本ごときとは比較にもならない。

66 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 13:07:16.93 ID:5WZlAsbS.net
日本は水冷エンジンもモノに出来なかったからなァw
長いクランクが必要だが、その精度を公差通りに収められなかった
戦前の日本製品は粗悪品の代名詞w
やはり独ダイムラーや、英ロールスロイスみたいに、自動車産業がシッカリしていないとエンジンは作れない。

67 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 18:15:11.76 ID:M3YT0P1O.net
>>65
実戦での速度の実測値
疾風655km/h
FW190約600km/h

68 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 18:36:18.87 ID:M3YT0P1O.net
>>66
バクラチオン作戦時期のドイツ軍戦闘機可動割合
約10%
フィリピンでの疾風可動割合
約60%

69 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 20:50:04.60 ID:qcMWZHzJ.net
>>67疾風の実測値は624だろ。655なんか聞いたことない。で生産機は軒並み600を下回る

70 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 21:58:27.03 ID:mnFAl5eJ.net
>>69
wikipediaも読めないのか?
量産機でもその程度は出ていた。その証拠に米軍側の戦闘報告でも
644km/h以上と報告されてる

71 :名無し三等兵:2015/12/06(日) 22:14:28.57 ID:qcMWZHzJ.net
>>70日本の報告ではヘルキャットに追いつけないんだが?

72 :名無し三等兵:2015/12/07(月) 01:00:22.76 ID:JLl2vTKQ.net
その一例だけだし、立ち上がりで奇襲受けたら最高速度出すの
難しいよ

73 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:02:37.23 ID:Cia8NCyR.net
>>68
大戦後期の戦闘機の稼働率は部隊によってバラバラだから一概に稼働率云々言いがたい

74 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:03:33.93 ID:Cia8NCyR.net
あとその数値は恐らくフィリピン第二飛行のものだと思うけど
10%の数値はどちらの部隊です?
探して出なかったので出典があればオナシャス

75 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:19:06.75 ID:Cia8NCyR.net
>>67
Fw190はA-3/4で最高速度620km程度、D型で643km、D型でMW含め660km~670km程度

76 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:31:01.87 ID:Cia8NCyR.net
疾風は情報ばらつきすぎててはっきり言えん
一応ki84取り説には6550mで624km、5000mでは586kmになってる

77 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:35:31.09 ID:Cia8NCyR.net
『悲劇の発動機「誉」』所収 「『航空ファン』1961年7月号「四式戦闘機『疾風』のすべて」 からの引用
談:吉澤鶴寿(元中島飛行機テストパイロット)

「量産型のエンジンでは悪いところが出るというので、結局ブーストを下げて、馬力制限をしたんですね。
 そういうときには、また前の試作エンジンを持ってきて飛んでみると、とてもいいんです。
 しまいには、試作と量産ではこれだけちがうのか、とあきらめちゃった。(中略)
 試作の時百オクタン価をつかってやったんですけども、高度八〇〇〇メートルで、640キロくらい出しましたね。(中略)
 量産だと五八〇キロくらいのものだったでしょう」

78 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:37:42.72 ID:Cia8NCyR.net
一方で量産型でも644km記録した機体あったりで訳わかんないな

79 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 08:40:05.52 ID:Cia8NCyR.net
四式は機体ごとに性能に差があるなんて聞くけど意外と本当なのかも?

80 :名無し三等兵:2015/12/11(金) 09:43:58.32 ID:wyhDdzw5.net
                イスラム国のテロ ≒ イソロク国の真珠湾テロ



「1572」番 副島隆彦 2015・12・9

後藤健二の奥さんは外務省JICA(ジャイカ)の幹部職員である。つまり夫婦して情報部員である。
通訳や現地ガイド、戦場タクシー運転手という人間たち自身が、ゲリラ活動家たちである。
カネで傭(やと)って味方だと思った彼らに、捕まって連れてゆかれるのだ。

この9月に、700人の対IS用に、ヨルダンと、サウジアラビアの砂漠の中にあるアメリカ空軍の秘密基地(飛行場)で育てた、イラク人とシリア人の傭兵部隊が、
シリアに投入されたとたんに、武器と資金を持ったままISに寝返る、という事件が起きた。これで、アメリカのネオコン派で反共右翼であるペンタゴンの将軍たちは、
自分たちの作戦(軍事政策。現地人を育てて戦わせる。アメリカ兵が死なないで済む)が大失敗して、大恥を書いて、黙りこくった。

すでに、ISの軍事部門と情報部門の極悪人の幹部たちは、強がりを言ってたが、ロシアの猛攻でもう、自分たちが負けると自覚したようだ。
だから自分たちだけさっさと逃げるのだ。あとのISの兵士たちをほったらかしにして。旧日本軍の幹部たちも同じことをした。


広島司令部の畑俊六司令官。こいつだけ民間地帯の広島駅に逃げてて助かった。日本側も原子爆弾投下を事前に知ってたのは明白だね。
https://twitter.com/SyntaxUGS/status/663013454584881153


「1532」

戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。

米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。

81 :名無し三等兵:2015/12/12(土) 15:39:55.63 ID:sdfvoybt.net
USAAF bombers in the European War, 1942-45
Bomber Type Number of Sorties
Bomb Tonnage
US Aircraft Lost in combat
Enemy Aircraft Claimed Destroyed in Air*
B-17 291,508 640,036 4688 6659
B-24 226,775 452,508 3626 2617
B-26 129,943 169,382 911  402
B-25 63,177  84,980  380 193
A-20 39,492  31,856  265  11
A-26 11,567  18,054  67  7
Total 762,462 1,396,816 9937 9889
http://billsb-26marauder.org/table01.htm

中国−ビルマ−インドとマリアナ基地からの作戦全般を通じて第20空軍は、あらゆる原因によるものを含め、
B-29爆撃機485機、戦闘機212機を失った。この間、戦死または行方不明となった搭乗員は合計3041名に達し、
攻撃行動中の戦傷者は332名。他方、B-29爆撃機延べ33047機、戦闘機延べ6276機が日本爆撃に出撃した。
損害率は、B29は1.5%、戦闘機は3.4%であるが,B29搭乗員の死傷率は1%にも達しなかった。
(戦後刊行された『アメリカ戦略爆撃調査団報告第66号』「B29部隊の対日戦略爆撃作戦(第20航空軍)」
;本土空襲の記録引用)
http://www.geocities.jp/torikai007/war/1944/b29.html

正真正銘のB-29です。尾翌の番号から、機体製造番号は、45-21739で、
米国のB-29関連のHPに記載の番号と同じでした。展示説明板には、
ハングルの他に英文で次ぎのように説明していました。
『世界的に有名なB-29は、第二次世界大戦と韓国戦争の3年間を通して
任務を果たした。韓国戦争でのB-29は、延べ22,983機出撃し、197,000
tonの爆弾を投下した。しかし、34機のB-29を失った。
この超空の要塞は、18個に分解され、1972年3月にカリフォルニアの
チャイナレイクからソウルへ輸送した。そのB-29は韓国空軍によって
再組み立てされ、そして、1972年8月以来Yoid Museumに展示された。』
http://www.sun-inet.or.jp/~ja2tko/jap/jap.trip/trip.korea.html

82 :名無し三等兵:2015/12/13(日) 15:44:20.20 ID:cc1Jeq/a.net
>>79
そりゃ個体差はどんな工業製品にも確実にあるだろ
ただ米軍機はその振幅が小さいし、一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで
エンジン出力が一定じゃないし、機体の表面は波打ったようにデコボコだし
疾風も大概だが紫電改は輪をかけてヒドイしな

83 :名無し三等兵:2015/12/13(日) 20:48:08.10 ID:k14cP6ma.net
>>82
>一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで

大陸打通作戦は連戦連勝だったが?

84 :名無し三等兵:2015/12/13(日) 20:49:28.33 ID:k14cP6ma.net
 ここでやや先回りして、1941年10月の独ソ戦線全般における総括をしてみよう。
赤軍航空隊参謀部の資料によると、この月の損害は1729機に上り、しかもその内
の931機は敵戦闘機や高射砲による撃墜、あるいは戦闘任務から未生還、事故による
損壊のいずれにも分類されていない。損害の54%を占める飛行機の辿った運命は
いまだもって不明なままなのである。特にたくさんの襲撃機(308機中225機)が
「未確認損失」欄(赤軍内部では機体数計上方法の整理をした際に浮かび上がった、
撃墜、未生還などの戦闘損失や故障などの非戦闘損失のいずれにも該当しない原因
不明の損失)に記帳されている。どうもこれは、当時頻繁に発生したAM-38型エンジンの
故障と予備部品の不足から修理が不可能であったことと関係がありそうである。また、
およそ70%もの赤軍航空機は、空戦で失われたのではなかったといっても過言ではなかろう。
<モスクワ上空の戦い 知られざる首都航空戦1941〜1942年>

 また,2個の機甲擲弾兵連隊,ひいては師団全体の状況を推測するうえで参考にして
いただきたいのが,SS第26連隊第2大隊は,アルデンヌ攻勢開始当初に装備されていた
105台の自動車のうちの38台を喪失し,1月末の数字では残された67台のうち34台,
つまり最初の数字の32%が稼動状態を保っているという車両装備状態であった。興味深いことに,
保有されていた車両の内幕(牽引車を除く)は以下の通りで,これら6種類のメーカーのうち,
3種が捕獲車両であった。フォードV8 13台,オペル・ブリッツ 10台,ブラガ 1台,
フィアット 14台,スチュードベーカー 2台,ベッドフォード 1台。
 このようにしてみると,部品の交換や修理に相当苦労したであろうことは,想像に難くない。
<ヒットラー・ユーゲント SS第12戦車師団史 下 / フーベアト・マイヤー/著>

85 :名無し三等兵:2015/12/13(日) 20:50:47.13 ID:k14cP6ma.net
>>82
>一方末期の日本機は粗製濫造で洒落にならないレベルだったわけで

大陸打通作戦は連戦連勝3000キロだが、ここでの米軍機は「ヤーボ」の役割は果たせなかったのか?
あるいは中国人の筋金入りの知能障害は、「ヤーボ」の威力を台無しにしてしまったのか?
それとも日本軍に虐殺される中国人を救うには、米英が「ドイツ打倒優先」を放棄しなければならなかったのか?

何のためのシェンノート空軍だ?

86 :名無し三等兵:2015/12/13(日) 21:47:46.89 ID:xzfRqYVv.net
> ID:k14cP6ma

弱小日本軍より更に格下のシナ人をいびるだけの戦いに負けてないのを威張るのかよ!
二正面作戦で大健闘してるドイツをこき下ろして?

日本軍信者は気違いしか居ないな!

87 :名無し三等兵:2015/12/24(木) 01:55:44.50 ID:rs8mYo/O.net
チュイコフは、このとき四二歳。大戦勃発のとき、中国の大使館付き武官をつとめており、一九四二年三月に帰国した
ばかりであった。彼は七月まで作戦に参加しなかったが、それ以後は、非常によく活動した。果断、誠実、そして楽天的な男であった。
 スターリンは、もちろんこの任命を承認した。彼はエレメンコに「君は、彼をよく知っているかね」と訊ねただけであった。
 エレメンコは「チュイコフは指揮官として信頼できる男だとおもっています」と答えた。
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU/sobiet5.htm

(3)1939 年以降の航空戦
日本軍は武漢攻略作戦の終結にともない、中国に駐留する航空兵力を整理する一方、航
空作戦の重点を中国側空軍基地の爆撃と対外輸送ルートの遮断に置いた。また、中国側の
抗戦意欲を喪失させるための政略爆撃が四川省(主に重慶・成都)に対してなされた。
この結果、中国側の作戦方針もまた都市あるいは空軍基地の防衛に限定され、中国側か
らの攻撃は、遊撃戦術による散発的な奇襲を除くならば、陰を潜めることになった。実際
に、39 年以降の航空戦は、奥地都市を爆撃する日本軍とそれに対する中国空軍との迎撃戦
が中心であり、中国空軍の拠点である南昌をはじめ、ソ連からの援助物資の到着地である
蘭州、仏印ルートの拠点である南寧では激しい航空戦が展開され、中国空軍は局地的には
一定の戦果をあげていた。
しかし、百一号作戦(奥地航空攻撃作戦)が展開される 40 年以降、中国空軍は迎撃戦
により多大な損失を被り、40 年末には残存機が 65 機たらずとなった(注 41)。これ以降、
中国空軍は正面からの航空戦を避け、日本の爆撃機が到来した際には、空軍機の退避を優
先することになった。そのため、日本の重慶爆撃に対しても、高射砲による地上からの迎
撃を除き、積極的な防空政策がとられず、爆撃の被害を増大させる結果となった。つまり、
中国空軍は可能な限り戦闘を避けて戦力を温存せざるを得ない状況にあったのである。
http://www.koryu.or.jp/08_03_03_01_middle.nsf/1384a27fc6686a1a49256798000a62f6/398bea4145bfd29f49256f0b002cf44b/$FILE/hagiwara2.pdf

88 :名無し三等兵:2015/12/24(木) 19:36:12.90 ID:DdMUCiEt.net
>>68
ドイツ人は第二次世界大戦について、ドイツが日本と比較されるのを、非常に嫌がっている。

【韓国の反応】ドイツの外交官「ドイツは、中国が第2次大戦と関連して、
継続的に日本とドイツを比較することを好まない」と不快を表明
http://oboega.blog.jp/archives/37477726.html

>行くのを不許可にするというのはどういうことだ。
>観光客も訪れる場所なのに、国家主席が訪問することを許さないなんて…
>日本の顔色をうかがってるといわれても、何も言い返せないだろう…

「え?私が中国のスパイだって?」ドイツ紙の東京特派員が安倍政権から圧力を受けたと告白
http://www.huffingtonpost.jp/2015/04/10/carsten-germis-confession_n_7038596.html
ドイツが親日ではなく反日に? 日本への感情、3年で急激に悪化
http://1000nichi.blog73.fc2.com/blog-entry-6795.html

ドイツは決して親日ではないし、日本の同盟国でもなく、従ってドイツが日本に気を遣って配慮することは考えられない。
中国代表の反日演説を拒否したことをもって、ドイツが日本の味方をしたかのようにも言われているが、
後にも先にもドイツの対日感情は冷たい。日本への配慮なんてこれっぽっちもありはしない。

89 :名無し三等兵:2016/01/04(月) 10:21:28.18 ID:8SJLEOwh.net
問い:I-16はそれほどメッサーシュミットに劣る機体なのでしょうか?
基本型式のI-16-10、-17、-21は、技術的にも攻撃装備の面でもBf-109Eには劣っていたが、
それほど開きが大きかった訳ではない。もちろん、それより旧いI-16-4および-5はメッサー
への太刀打ちはできなかった。
しかし後期型のI-16-28と-29モデルになるとメッサーのE型より優れていた。速度と運動性
は同等であり、とくに垂直面ではI-16のほうが良かった。
問い:メッサーのほうが劣るというのはおかしいと思います。どの資料によっても、I-16の-28および-29の
高度3000メートルでの水平最大速度は440-460キロメートル台であり、一方Bf-109Eのそれは570キロ
メートルとなっていますが。それに垂直面の機動でもI-16が勝るというのも初耳ですが?
実際の空戦では誰も最大速度を出そうとも思わないし、ましてや最大速度を出したヤツはいないのではないだろうか?
原理的にもI-16ならば速度500キロは容易かつ急速に出すことができる。
メッサーE型は確かにそれよりも速いが、その差はさほどでもない。空中戦では双方の速度にはほとんど
差が出ない。I-16は加速性能が大きく、とくにM-63エンジン装備の場合は爆発的ともいえた。先に挙げた
水平面の運動性能に加えて、この加速性能も2つ目の特長といえる。
その当時ソビエトで生産されていた最新型を含む、どの戦闘機タイプよりも加速性能には優れていた。
Yak-1の加速はI-16に匹敵したが、それでもやや遅いくらいだった。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/aviatorstale/Russianpilot.htm

90 :だつお ◆t0moyVbEXw :2016/01/05(火) 17:17:45.36 ID:w/8V0uiE.net
クルスクの戦いは、勝ったソ連が負けたドイツの3倍もの戦車を失ったとされている。

戦車・駆逐戦車の生産数
ドイツ 37454輌
日本 4524輌
イギリス 22820輌
ソ連 79733輌
アメリカ 77247輌
http://blog.goo.ne.jp/kodoku44/e/660fd0a1b30b44417067608241e840bf

けれどもソ連は43か月にも及ぶ大祖国戦争で8万輌の戦車を製造しており、月千台程度の損失は屁でもない。
1943年夏以降のソ連軍は、兵力も兵器生産も余裕たっぷりで快進撃を続けることができた。

中国?什?不拍一部《?大的抗日?争》??
https://www.zhihu.com/question/33567660

ソ連邦大祖国戦争
「来来来,人家1943年8月到1944年12月期???了“被コ?完虐”的十次斯大林突?,十次?利。」
中国抗日戦争
「与此同?,K?的表?如何??」

中国語は機械翻訳でもわかりにくいが、それでも、

ナチスドイツを撃破してベルリン入りを果たしたソヴィエト赤軍>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>( 越 え ら れ な い 壁 )>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>大陸打通作戦でドツキ回された中国チンピラゴロツキ

・・・という内容であることは自明だ。

91 :名無し三等兵:2016/01/06(水) 09:46:32.33 ID:ATc2cZUT.net
だつおは打通さんが作ったbotで
打通さんが餓死した後も自動でレスを繰り返しているんだよ

92 :だつお ◆t0moyVbEXw :2016/01/09(土) 12:19:27.78 ID:OSAwnrvR.net
>>41
>ノモンハンは末期になると日本陸軍戦闘機部隊と砲兵隊は壊滅状態だから
>あそこで停戦しなければ関東軍は消滅だろ

 9月3日は、中国人全員が心に刻み、大いに気を吐く日である。中国人は抗日戦争のため大きな民族の犠牲を強いられ、
死亡者数が3500万人以上に達したからだ。抗日戦争の勝利は、中国人が日本帝国主義の侵略に対抗した正義の戦争、
世界の反ファシズム戦争の重要な構成部分、中国が近代で初めて外国の侵略に完全に勝利した民族解放戦争だ。
http://japanese.china.org.cn/politics/txt/2014-09/02/content_33405119.htm

つまり中国の抗戦による直接人口損失の累計可能な見積もり数は2062万人で、累計可能な戦争の直接負傷障害
人口を合わせると、軍民の死傷は最低3480万人となる。同時に、中国の抗戦による直接の死傷人口は計4100万
以上になるはずで、戦時中の行方不明・捕虜などの数字を合わせると、戦争が直接中国にもたらした死亡、
負傷障害、失踪などの人口損失は4500万人を超えると考える。さらに人口損失の見地からは、抗日戦争期の
中国の人口損失総数は5000万人以上にのぼるはずである。
http://www.china-news.co.jp/node/4456

 興隆県が抗日戦争に勝利をおさめたことは、そうたやすいことではありませんでした。抗日戦争の中で中国側は3500万余人、
興隆県の中でこの13年の間に5万人くらいが殺されました。全中国の死者の700分の1です。県の統計資料によると、
興隆県で最後の4年間で15400人殺されました。興隆県公安局の1954年の7つの区に対する不完全な統計によると、
人圏の中の住民が疫病、凍死などで死んだ人が11400余人いました。1941年日本軍の統計数字によると全県の人口は1
6万人くらいいました。日本軍が投降後、全県の人口は10万人くらいになっていました。6万人くらいが殺されたことになります。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/cont/sankotou.html

93 :名無し三等兵:2016/01/09(土) 20:11:26.99 ID:Vg5CSK9g.net
ところで、IL-2って名機扱いされてるけど性能的には微妙じゃない?
強力なエンジン積んでる割には重装甲と引き換えに速度は平凡だし、
搭載量は600kg程度とJu-87Dの3分の1で急降下能力もない。

1942年の時点で液冷で1700馬力も出せるAM-38Fのようなエンジンがあったら、
装甲は犠牲にして速度重視の戦闘爆撃機的な機体を作った方が
もっと早く航空優勢奪えて対地攻撃も容易だったんじゃないだろうか。

94 :名無し三等兵:2016/01/10(日) 20:40:19.23 ID:t7FMNGey.net
>>93
運用国がソ連だからね
未曾有の国難でもいろいろ官僚的
鉄男さんがパンや空気のように必要つっちゃたらもう…
それにソ連独自の状況ってのがあってね
材料方面ではそれが顕著
航空機の主要素材のアルミ・ジュラルミンが需要に対してまったく足りてないんだわ
レンドリースでだいぶ恵んでもらったけどそれでも足りない
エンジン以外に軽合金が使えず、ソ連機の機体は鉄と合板で構成されることに
そんな状況下で危険な地上攻撃を敢行する機種には生存性高めるためにはあんな設計しかなかったんだわ
一方の戦闘機は、他国の最新鋭機が重武装化と翼内武装の比重高めていくのに対し機首の集中武装を選択し続け、
また戦闘爆撃機化の傾向を見せ始めていたのに対しあくまで空戦特化
これみんな、強度的に不安のある木製機で戦い続けざるを得なかったソ連ならではなのよ

95 :名無し三等兵:2016/01/10(日) 23:35:54.83 ID:m3KRCf83.net
>>93
>装甲は犠牲にして速度重視の戦闘爆撃機的な機体を作った方が
>もっと早く航空優勢奪えて対地攻撃も容易だったんじゃないだろうか。

だったら何故、Mig−3を量産しなかったんだろうね?

96 :名無し三等兵:2016/01/11(月) 07:53:36.14 ID:t1uhXx3R.net
>>94
あーなるほど、軽合金が使えず木製機だと被弾に弱いから、
鉄の装甲で覆わないといけなかったのか。

97 :名無し三等兵:2016/01/11(月) 15:46:02.77 ID:Omb+nu+z.net
零戦の凄いところ。

・エンジンはアメリカの支援で作ったアメリカ製エンジンのコピー。
・パイロットの疲労を全く考えていない無駄に長い航続距離。
・急降下で空中分解してしまう是弱な機体。
・パイロットの命など全く考慮されていない防弾装備のないコックピット。
・弾道特性最悪で滅多に当たらない20mm機関銃を搭載。
・ぎりぎりの設計のために発展性もゼロ。
・全く通じない無線機。

98 :名無し三等兵:2016/02/22(月) 07:07:11.63 ID:+TZa7GS7.net
ナチスドイツ軍のこういうやり方を採用した国が皆無なのは何故だろうか?

世にも奇妙な「空軍であって地上戦闘軍」
<中略>
 ドイツ空軍地上軍の半分以上は,高射砲部隊に属していた.
 いちばん多いとき(1944年末)は100万の兵士(数千人の女性兵士含む)が,2万基以上の空軍
(陸海軍所属の高射砲は別にある)の対空砲とサーチライト部隊に配属された.
 連合軍の進撃にともない,これら後方基地の高射砲部隊が前線に位置する結果になった.
ドイツ軍は地上の敵と戦うことも予想して高射砲をデザインし,兵士をも訓練してあった.
――――――第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著
http://mltr.ganriki.net/faq08a12d.html

99 :名無し三等兵:2016/02/23(火) 06:27:30.56 ID:ULSXDbRl.net
ヘルマン・ゲーリングのような有能な空軍トップが
他の国にはいなかったからさ。
そもそもアメリカ軍や日本軍は航空兵力を陸軍から分離させられる
人材さえいなかったんだから。

100 :名無し三等兵:2016/02/25(木) 07:51:27.43 ID:IVidYAOd.net
 ソ連側資料によれば、11月14日から12月5日までの期間、赤軍航空隊は西部方面戦区で
15903回の出撃を行ったが、これとまったく同じ期間に同じ地区で確認されたドイツ機の上空
通過は3500回であった。もちろん、すべての上空通過が確認されたわけではない。後に押収
されたドイツ軍の参謀資料からすると、ドイツ軍のパイロットたちは11月末に平均して1日
240回発進していたと推察できる(これに対してソ連軍パイロットたちは760回の出撃で応え、
敵の約2倍の航空機を有していた)ドイツ軍の対ソ侵攻後初めて、赤軍航空隊はルフト
バッフェよりも稼働率を上げて活動するようになっていた。ドイツ第4戦車集団の戦闘
行動日誌は上空の様子を何とか説明付けようと試みている。
―「赤い首都はその多数の幹線道路・鉄道とともに前線のすぐ後方にある。敵は『地の利』
に恵まれている。ソ連空軍は格納庫や修理所、モスクワの飛行場を持っているが、ドイツ機
は野戦飛行場の雪原に立ち、悪天候の影響をすべて耐えねばならぬのである」
 11月18日に西部方面軍戦区の右翼に第6戦闘航空軍団の主力が基地を移し、さらに1日
おいてそこに長距離爆撃航空軍の1個師団が投入された。上空ではソ連空軍が明らかに優位
にあったことをドイツ第9野戦軍の戦闘活動日誌も認めている。
―「敵空軍再び我が軍進撃部隊を爆撃し、銃撃しているが、ドイツ戦闘機部隊は今にいたる
も地上部隊の上空援護を保障できないでいる」

モスクワ上空の戦い
知られざる首都航空戦1941〜1942年
著者:ドミートリィ・ハザーノフ&アレキサンドル・ペレヴォースチコフ 
訳:小松徳仁
発行:大日本絵画 

101 :名無し三等兵:2016/03/08(火) 06:47:51.56 ID:Ukh/cX0m.net
>>1
>ドイツの戦争はソ連軍にベルリンへ突入されたことで終わったのだから…

悲劇と捕虜という屈辱の中で日本人が誇りをもって生きてきました。
自らの命を省みず、日本人の命を救うべくソ連兵に立ち向かわれていった小隊長は、まさに日本人の誇りです。
ソ連の教育レベルの低さを感じたのが、朝夕の点呼でした。ソ連兵は、日本人を五人ずつ整列させ、
五人ずつ点呼し、五、一〇、十五と順序よく数えるのですが、三〇ぐらいまで数えると次がわからなくなるようでした。
数えなおしては、やりなおし、また数え直す繰り返しでした。
日本では、数をかぞえるときは、何列かに整列させて何人の列が何列あるかの掛け算で全体の人数を算出します。
ソ連兵は掛け算というものを知りませんでした。ですから、いつも朝の点呼は、約1000人の点呼
で一時間以上かかっていました。
http://jiyusoku.jp/archives/415

102 :名無し三等兵:2016/03/09(水) 17:31:46.37 ID:nleKhNZV.net
どうも、東部戦線の航空戦では、ソ連がドイツに勝ったと思っているようだが。
キルレートは圧倒的にドイツが上、それこそ100機越えのエースがボロボロでるほど
ソ連に飛行機はおとされまくった、それに勝る位に生産されたのも事実だが、
Fw190を1機落とすために数十機のソ連軍機が落とされている。

東部戦線のFW190は大抵爆弾を抱えている、日本軍がF6Fに比べてF4Uは組し易い相手と誤解していたのと同じ構造じゃないか。

103 :名無し三等兵:2016/03/09(水) 21:48:45.29 ID:m25PmTDL.net
またひどい妄想を

104 :名無し三等兵:2016/04/18(月) 07:04:37.86 ID:nFMqET3E.net
「ドイツ空軍があてにならないから天気の悪い時に陸上攻勢かけて、天気がよくなって連合軍空軍の活動
が活発になったので陸上攻勢は頓挫して、更に正月にボーデンプラッテ作戦失敗して再起不能のダメージ」
というものですが、実際には攻勢当初に約2000機の航空戦力を揃えて連合軍に積極的な制空戦闘仕掛
けていたと初めて知りました。
 当時のドイツ空軍の状況からすると、まさに全力全開での戦闘です。
 ただ全力全開の戦闘とはいえ、連合軍との航空戦闘では一部を除いて、一方的にドイツ空軍が敗北して
いるのは悲しいですね。損害も連合軍側と比べて圧倒的に多いですし。
 大戦末期にはジェット機部隊とかを除いて、西側連合国との戦闘機同士の戦闘ではドイツ空軍が常に
一方的に負けているのですが、それがよく実感できます。
 しかし、バルジ作戦時に約2000機の戦力を揃えて、2週間の制空戦闘で約900機失って、
補充として約400機を受領して、約1500機の戦力が残っているのでしたら、書かれているとおり、
そりゃボーデンプラッテ作戦で最後の賭けに出たくなりますよね。
 その時点でバルジ作戦の陸上攻勢は行き詰っていて、かつこの航空大戦力もこれまでの戦いを続けているかぎり直
に消耗してしまうことが分かっており、ドイツが1500機もの航空戦力を揃えられるのは、これが最後でしょうから。
 結局、その賭けのボーデンプラッテ作戦でドイツ空軍は壊滅してしまうわけですが。
http://muraji-zare.blog.so-net.ne.jp/2011-02-05

105 :名無し三等兵:2016/04/18(月) 15:20:31.23 ID:XPeqlzDP.net
                    【厚木】   恥を知れ、新米ポチ反日売国奴!!  【横田】



アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。

世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないでしょう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイト★レーヤの任務です。

UFOや核エネルギーの放出を見ることはエーテル視力を持つ子供たちがどんどん生まれてくるにつれて次第に生じるでしょう。

2歳を過ぎたころ「放射能があるから砂は触れない」「葉っぱは触っちゃだめ」 / りうなちゃんは去年の暮れ、脳腫瘍のために亡くなった。
https://twitter.com/Tom oyaMorishita/status/648628684748816384

宇宙人側からの申し入れは、とにかく核の利用と戦争をやめなさい、もう一つは宇宙人の存在を公表しなさい。
つけ足したのが、60年の猶予を与えましよう、2014年には発表しなければならなかったんですね、宇宙人の存在を。
ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8

UFOの発見事例ない 中谷防衛相

以前、空自の元空将が、自衛隊機の戦闘機が何度もUFOに遭遇していると書いたことがある。
それ以来、まともな雑誌や新聞のコメントは同氏のインタビューを掲載しなくなった。以前から、色々と問題のある空将だった。
以前、私も空自のパイロット数名にUFOの取材を行ったが、目撃情報は皆無だった。
http://www.kamiura.com/whatsnew/continues_3604.html

どうも日本人のレベルの低さというのは、第2次大戦において、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。

「第二次世界大戦が終わったあと、ドイツ人が戦時中に反重力装置に関する秘密実験を行ってきたことを示す明白で実証可能な証拠が見つかりました。
 同時に、アメリカ人とロシア人も反重力を実現するために同様の実験を秘密裏に行っていました。」

106 :名無し三等兵:2016/05/17(火) 16:48:51.55 ID:Wxj49d5h.net
戦艦ビスマルク VS 戦艦大和 その2 [無断転載禁止]©2ch.net
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1462317415/

107 :名無し三等兵:2016/05/17(火) 20:18:04.15 ID:Wxj49d5h.net
もっとも効果的だった対潜兵器
 アメリカ海軍の飛行船は潜水艦二隻を撃沈しただけだったけれども、九万隻に
のぼる商船を護衛し、そのうちの一隻たりとも沈められていない。アメリカが
戦争中に使った飛行船はおよそ二百機。船団を護衛する飛行船の利点は、上空を
ゆっくり漂っていられることだ。潜水艦は潜ったらスピードが極端に落ちるので、
船団にある程度浮上して近づかなければならない。飛行船の速度は比較的速い
(時速八十マイル=百三十キロ前後)ので、船団の周囲の広い海面をパトロール
して監視できる。速くしか飛べない通常の飛行機より、ずっと適任ということだ。
 飛行船は爆雷と爆弾を装備していたが、それ以外の防衛装備はつけていない。
にもかかわらず、敵の攻撃で撃ち落された飛行船は、一機だけである。一九四三年
七月十八日にドイツのU134潜水艦に撃墜されたK74飛行船で、乗員十人の
うち一人が死亡した。すばらしい兵器というべきだろう。
 一九八〇年代になって、アメリカ海軍は対潜用に飛行船を再び導入しようと
したが、冷戦の終結でこの計画は立ち消えとなった。
<第二次世界大戦 あんな話こんな話 / J・F・ダニガン/著 A・A・ノーフィ/著 大貫昇/訳 >

チンピラゴロツキ3500万を殺戮する大戦果を挙げるのと、戦争を避けるのとでは、どちらが賢いか。
戦果を挙げるよりは無事に生還するほうが大切なのはどこの軍隊でも当然。

108 :名無し三等兵:2016/05/19(木) 20:40:51.71 ID:rc4v8Hf0.net
ロシア外務省は、ポーランドにあるソ連赤軍兵士の埋葬地の尊厳がしばしば冒されるとして、
ポーランド政府に抗議した。シュチェチンでは、この半年間で2度、何者かが、街の中心部の広場
に立つ赤軍兵士に対する感謝の記念碑を汚す行為をした。
ロシア外務省の文書の中では、次のように述べられている-
「蛮行がしばしば繰り返される事、その冷笑的性格、そして、そうした行為がポーランド当局の黙認、
さらには直接的扇動のもと起っているという事実は、我々に、自分達は歴史修正主義を基礎とした
国家政策と戦っていると主張する根拠を与えている。ポーランド当局は、我々の歴史に関係した
モニュメントの保護を保証せず、自分達が署名した国家間合意にも全く無関心だ。」
このように指摘したロシア外務省は、犯罪者を罰し、記念碑をもとの形に戻す事、将来こうした出来事
が繰り返されないよう周到な措置を取る事を、ポーランド側に要求した。

http://jp.sputniknews.com/politics/20160117/1448410.html

109 :名無し三等兵:2016/05/27(金) 23:45:42.66 ID:ImI/vPHG.net
―どの工場で生産された戦車を使っていましたか?
 最初はソルモヴォ[ゴーリキー(現ニージニー・ノヴゴロド)市のクラースノエ・ソルモヴォ工場]製が来て、
その後はソルモヴォ製とタギル[ニージニー・タギル市。大規模な戦車工場があった]製がごっちゃになった。
タギルのやつの方が少し砲塔が大きく、使いやすくはあった。まあ、ほとんど一緒だけどね。ある時、
ヴァレンタイン戦車が送られてきた。我が隊にアメリカの戦車[実際にはヴァレンタインはイギリスの戦車だが、
カナダでも生産されていたためアメリカ製と誤解されたのかもしれない]が来ると聞いて、みんな技術部長
のところへ通い、自分の戦車の文句を言い始めた。エンジンの調子が悪いだとか何とかかんとか、あらゆる理由
を見つけてはアメリカ製に乗り換えようとしたわけだ。で、実際に送られてきてみると…おやおや、これはまた
何という戦車だろう…我々の戦車は内装などは全く粗雑なもので、表面はざらつくし、溶接の痕が盛り上がっ
ていることもある。一方、ヴァレンタインの中に入ってみると、柔らかい革が貼られ、入口、出口、発射など全て
金色の文字で表示してある。だが、ガソリンエンジンはロウソクのようによく燃えた。またヴァレンタインの履帯
はゴムと金属を組み合わせたものだった。パレードをやるには結構かもしれないが、戦場で使うと、
ちょっと傾いただけですぐに外れてしまう。ヴォロチカ・ソモフ、さっき話に出したあの男だが、彼はある時でかい
ハンマーを持って戦車によじ登り、装甲板をぶっ叩いたことがある。するとどうだ、ハンマーは20ミリほどもめり
込んだじゃないか!後から説明を受けたところによれば、彼らは柔軟な装甲板を採用していたのだ。砲弾に貫通
されても破片は飛び散らない、ということだった。また、砲の威力も弱い。あの戦争では全くもって使い物に
ならない戦車だった。その後、ヴァレンタインは次々に火災を起こしたが、おそらく故意にやったのだろうと思う。
私も1両、そういう経験をしている…あの戦車で戦うのは大変だ。乗るだけで怖くなってしまう。T-34とは比べ物にならない。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/shishkin5.html

110 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 00:33:07.37 ID:2zK12R5o.net
■ドイツ空軍の主力は空を飛ばないのだ
ドイツ空軍、すなわちルフトヴァッフェ(Luftwaffe)さんは
世間で人気のMe109やらFw190やらの戦闘機を運用した上に
ミサイル発射するは木造ジェット戦闘機からロケット飛行機まで実戦投入するはと
夢と希望の使い道を全力で間違った大人の団体として、我々におなじみです。
(ただし空軍のミサイルはV1のみ。V2は陸軍が打ち出した“長距離砲弾”となる)

そんな彼らの意外な一面として、空を飛ばないどころか、
航空機にすら縁が無い、という全く持って空軍らしからぬ人員が
実はその組織の大半を占めていた、というものがありました。

ドイツ空軍の主力は、開戦前から終戦まで、すなわち最初から最後まで、
戦闘機乗りでも爆撃屋でもなく、実は対空砲部隊だったのです。
今回は、その辺りを経由して連合軍を恐怖のズンドコに叩き落した
その対空防御網を見て行きましょう、というお話です。

人類最初の戦略規模の大爆撃をやったのが、
第二次大戦の時の連合軍だとしたら、これを迎え撃つべく
人類最初にして、未だに最強レベルの対空迎撃システムを
造り上げてしまったのがドイツ空軍でした。

111 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 00:37:22.54 ID:2zK12R5o.net
その活動はすでにアメリカ参戦直前に開始されています。
きっかけは、1941年12月4日ナチス大好きヘンリー・フォードの地元の新聞、シカゴ・トリビューンが
掲載したアメリカの参戦計画に関する大スクープでした。

アメリカの戦略爆撃計画、ハロルド・ジョージ率いる航空戦計画部(Air War Plans Division/AWPD)が建てた
対ドイツ爆撃計画、AWPD-1計画の全貌をすっぱ抜いてしまったのです。
あまりに巨額な予算の請求がそこにはあり、この結果、アメリカ議会と世論を巻き込んで
参戦反対運動を引き起こし大混乱を招く事になりました。

ただし未だに理由がよくわからないものの、その反戦運動の真っ只中、極東の島国、日本が空気を読まないまま12月8日(日本時間)に
真珠湾を不意討ちしてしまったため、一転して世論も議会も参戦に傾き、ここからアメリカは第二次世界大戦に参戦することになります。

一方、その爆撃計画の情報はドイツの諜報員によってすぐさまベルリンに伝えられていました。
そのあまりに大規模な計画にショックを受けたドイツ空軍上層部はすぐさま、その対策に走りまわる事になるのです。
その結果、約1年半後に始まった連合軍の戦略爆撃は、すでに準備を終えていた、ドイツ空軍の強力な対空防御システムの前に
巨大な出血をしいられる事になります。

ある意味で、アメリカの多くの若者は、シカゴトリビューンの記者によって殺された、という見方もできますね。
そして以後、血みどろの空の戦いが続く事になりました。

ちなみに以前も書きましたが、新聞に載ったくらいですから、日本の軍部もこの計画を当然知っていたと思うんですが、
彼らが何をやったかはよく知りません。
後にB29は無人の空を行くがごとき爆撃を敢行しますが、その事実に誰もツッコミを入れなかったんでしょうかね。

112 :名無し三等兵:2016/06/03(金) 01:01:11.74 ID:+zY097wP.net
>>111
>後にB29は無人の空を行くがごとき爆撃を敢行しますが、その事実に誰もツッコミを入れなかったんでしょうかね。

オスプレイの「B-29 Superfortress Units of the Korean War」には、21,000ソーティーでの損害数は34機。
そのうち戦闘機によるものが16機、対空砲によるものが4機、その他の理由が14機。1000ソーティーあたりの損害率は1未満、って書いてあるんだよね。
念のために書いておくと、朝鮮戦争が行われたのは1950年6月から1953年7月ね。
あ、付け加えておくと、アメリカ軍の「損害」には、帰っては来たものの壊れて使い物にならなくなったのも入ってるんだって。
だから、『これには「帰還はしたけど損傷が酷くて廃棄」というのはカウントされていない。 』(軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ)- B-29)っていうのは誤りだよ。
「対日戦では無敵、朝鮮戦争では損害が続出」っていうのが正しいなら、対日戦での損害の方が少なくて、朝鮮戦争での損害の方が多くないとおかしいよね。
実際の数字が示す結果はどうかな?
上でも引用したWikipediaには『基地までの距離が短いことやF-86などの強力な護衛戦闘機があったこと 』が損害の少ない理由だって書いてあるけど、
それをいうなら横田から軍事境界線までの1,143kmと硫黄島(不時着場だけどね)から東京までの1,224kmの約80kmの違いでそこまで損害に差が
出るモンなの?とか、P-51などの強力な護衛戦闘機があった対日戦は?ってコトになるよね。
「対日戦での教訓があったから、それを生かして朝鮮戦争では損害を低く抑えることができた」って考える方が事実に合ってるような気がするけどねー。
http://ameblo.jp/amo-un-pomodoro/entry-11115324361.html

113 :名無し三等兵:2016/06/07(火) 05:37:59.65 ID:hkDw7Yjq.net
……………………


JR常磐線佐貫駅のご当地発車メロディを募集します!!

https://www.youtube.com/watch?v=CBPaZTYwhJA

……………………

114 :名無し三等兵:2016/06/07(火) 15:11:44.14 ID:jJD4nvwg.net
宇宙人側からの申し入れは、とにかく核の利用と戦争をやめなさい、もう一つは宇宙人の存在を公表しなさい。
ロシアという大国の首相がね、あれは冗談だよでは済まないですね、しかも2回も言ってるんだからね。
https://www.youtube.com/watch?v=FIRXKetUkq8

竹下雅敏
「どうも日本人のレベルの低さというのは、ドイツはUFOテクノロジーを完成させていたのに、日本は戦艦大和で喜んでいたという感じなのです。」

世界演説は英国BBCが放送

マイト★レーヤが世界に向かって話をする準備は良好に進行しています。この時、初めての本当の身分を明らかにされます。
25分か35分くらいかもしれませんが、歴史上で初めて、世界的規模のテレパシーによる接触が起こるのです。
14歳以上のすべての人々はマイト★レーヤの言葉を彼らのマインドの中で、自国語で聞くでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=6cOvo6n7NOk



【アベノショック > リーマンショック】  マイト★レーヤは崩壊が起こり、それは日本から始まると言われました。  【ゲスウヨ、貢米ポチ、理研は命乞いしろ】



1ドル=90円台すぐそこ…止まらぬ円高に日銀打つ手なし 日刊ゲンダイWeb引用    山本太郎総理まであと一歩?



日本から始まる世界的株式市場の大暴落
日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト★レーヤは出現するでしょう。彼は「匿名」で働いております。
非常に間もなくマイト★レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト★レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。

115 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 20:56:04.83 ID:lMIy1G1k.net
まずは1939年、開戦直後であまり航空機を保有していなかった(涙)
ドイツ空軍において、最大の兵力を誇ったのが対空砲部隊でした。
100万人近い兵員を抱えていた彼らは、
総員でも120万しか居なかった当時の全ドイツ空軍の人員の内、
2/3以上を占める、という大組織となっています。
石を投げれば対空砲兵員にアタリまくり、
さらに怒った連中によって10倍になって返ってくる、という状況だったわけです。

さらに戦争ピーク時の1944年秋には実に125万人が対空砲部門に所属しており、
これまた当時のドイツ空軍150万人のうち4/5という凄まじい人員数です。
ただし、1944年の場合、民間から徴用された防空隊員、
さらには占領国から連れてこられた人員、
挙句の果てにはソ連軍の捕虜まで動員されてたようなので、
必ずしも、全員が空軍兵では無いようですが…。

それでも、そういった女性や学徒動員、果てはロシア人捕虜を別にしても、
ドイツ空軍の正規軍人の内、半分近くは対空砲部隊の配属だった、
とする資料もありますから、ドイツ空軍の主力部隊は、
あくまで空を飛ばない対空砲部隊だったという印象を受けます。
…変な空軍ですね。

116 :名無し三等兵:2016/06/08(水) 21:49:31.70 ID:MjLIiT97.net
空軍のヘルマンゲーリングが人的リソースの奪い合いを陸軍(と海軍)
とやって得たものからだな。
降下装甲師団や空軍地上師団も忘れてはいかん。

117 :名無し三等兵:2016/06/09(木) 15:15:58.19 ID:GZM24/0x.net
■空と陸で迎え撃て

でもって、ドイツ空軍の特徴は、そんな対空砲重視ぶりだけにとどまりませんでした。
Flakは対空戦闘用の兵器であり、航空機が絡む以上はオレの物、という衝撃の白いデブ、国家元帥ゲーリング閣下のオレ様理論によって、
対空砲の運用は主に空軍が担当する事になります。

この結果、地上戦における対空砲部隊も基本的に空軍が運用する事となり、空軍自らが対空砲に車輪をつけて陸軍部隊とともに戦って行きます。
よって空軍の軍人の多くが、陸軍とともに88mm Flakを引っ張ってフランスやソ連の戦場に派遣される、という妙な事態になってゆき、
彼らは世界でも珍しい陸戦経験豊富な空軍となって行くのです。

イギリス空軍も基地防衛用に地上部隊を持ってたりしますが、あくまで防衛用の部隊です。
さらに当時は陸軍の所属だった大戦中のアメリカ陸軍航空軍にもこういった種類の部隊はありません。

ちなみに空軍にはもう一つ、ヘルマン・ゲーリング師団、後の第1降下装甲師団と言う陸戦部隊が居ましたが、
こちらは空軍所属とはいえ、兵員は元陸軍兵などが中心でした。そもそもゲーリングが空軍の責任者に就任した時、
彼が指揮していた元秘密警察のエリート部隊をそのまま軍に転属させたのがルーツで、高射砲部隊とはちょっと性格が異なります。
本来は要人警護という元秘密警察らしい任務だったのが、ゲーリングの功名心から、後に戦闘にも参加する事になったものです。

で、対空砲の陸戦運用に関しては空軍内にFlak korps 、対空砲軍、という陸軍式の組織まで作られており、もう完全に陸戦部隊と同じ世界でした。
彼らは対空戦闘だけではなく、対戦車戦闘も最初から想定しており、まさに空軍による地上戦用火砲部隊、という存在となっています。
さらに対空砲軍以外にも大隊、中隊レベルの運用もあり、相当な数の空軍兵が陸戦に投入されていたようです。

118 :名無し三等兵:2016/06/09(木) 15:17:13.18 ID:GZM24/0x.net
ただし、さすがに全ての対空砲部隊を空軍で運用するのは無理だったのか、陸軍にも陸軍対空砲部隊(heers flak)があり、
最終的には31個の対空砲師団を保持していました。
ただしこれらは師団単位で運用されているわけではく、大隊、連隊単位で機甲師団や歩兵師団に派遣され、師団本部は各部隊に対する
補給、人員配置などを行っていたようです。

もっとも、その配下の部隊には空軍の対空砲部隊も含まれていた、というような話もあり、空軍と陸軍の対空砲部隊の住み分けについては
イマイチよくわからない部分があります。
とりあえず、相当な数の空軍兵が陸戦に投入されていた、というのだけは間違いないようです。

119 :名無し三等兵:2016/07/09(土) 20:09:55.37 ID:Erdys+J5.net
陸軍に対空砲師団なんかないぞ。

120 :だつお ◆t0moyVbEXw :2016/08/26(金) 10:24:10.76 ID:ybmfuBaL.net
>>20
>ヒトラーはヨーロッパ全土を制圧すると、その資源と住民を彼の戦争目的のため動員することができた。

大木毅「ドイツ軍事史」によれば、1941年12月においては、ヒトラーは西方防衛を
さほど深刻に考えていなかったとのこと。

>>649
>ソ連軍全体の28パーセント超に相当する549万3000人の中から156万8000人と数千台の戦車や
>航空機が極東と南の国境近くに配置された。この戦力は、

逆にソ連は極東防衛を深刻に考えていたと。

ドイツを破滅させた対ソ連戦だが、ドイツ人からすると周りが全て馬鹿に見えてならなかったのかもしれない。

121 :120:2016/08/26(金) 10:33:18.97 ID:ybmfuBaL.net
しまった間違い、こっちのスレに書き込むつもりだった。

ソ連の対独戦勝は米英のレンドリースと戦略爆撃のお陰?
http://echo.2ch.net/test/read.cgi/army/1389334682/

相手をナメすぎていたといえばそれまでだが、1941年の国際情勢をみていると、
「今こそユダヤ・ボルシェビキ根絶の神機到来!」とも思えてしまうかも。
イギリスがバトルオブブリテンで勝ったというが、本土防空なんて日本でいえば1945年以降のことだし、
またオーストラリアに至っては1943年11月まで日本軍の空襲を受けているくらい。
戦艦ビスマルク一隻沈めるのに国家総力挙げてるつーのでは、脅威のうちにはならんだろう。

122 :名無し三等兵:2016/09/04(日) 21:46:45.91 ID:qZi9MUS1.net
 第一次世界大戦で大敗してしまったドイツ。自信を失い怒る国民たちは、負けてしまったかの戦争で唯一ユダヤ人だけが金儲けをしたという偽りの噂を信じ始めます。
そこに現れたヒトラーは、とても饒舌なスピーチで国民に「ユダヤ人はドイツを破壊しようとしている」と吹き込みました。
そして1929年、世界恐慌が起こり、さらにドイツの経済は悪化。ヒトラーは昔の強かったころのドイツを取り戻すと謳い、国民の心をつかみ始めます。
彼はうまく敗戦後の国民の恐怖や怒りを「なだめる」形で利用し、あっという間にトップに立ってしまったのです。

http://www.gizmodo.jp/2016/08/how-did-hitler-rise-to-power.html

123 :名無し三等兵:2016/10/01(土) 13:36:41.73 ID:dUnJpAJ5.net
シーフユーリーのセントーラスエンジンやスカイレーダーのライトR3350は火星よりふたまわり直径が大きいが
むしろ細い印象を与える。
つまるところエンジンの直径は問題ではなく機体のまとめ方。火星はむしろ空冷として直径は小さい方であり

5式に火星を積むとカウリングが仮性包茎亀頭のように異様にずんぐりムックリになるとかたく信じてるようだが

124 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 21:36:03.61 ID:lIaV9sTn.net
ま、Bf/Me109が名機であるのは変わりない。

主な欠点としては、航続距離の短さと、
主脚のドレッド(間隔)が短く、着陸時に破損させやすかった位か。

航続距離に関しては、増槽で改善出来るが、
脚は主翼自体を新設計しないとダメだから大変。と、言いたいところだが、
Me109Gの艦戦型Me155は、新設計の拡大した折りたたみ式主翼と
内側引き込み式のドレッドの広い主脚を装備する予定だったので、
これをそのままMe109の高高度型に装備しても良かった。
というか、メッサーシュミットも実際にやろうとした。

ちなみにMe155は、建造再開した空母Gツェッペリンの完成が相当先になるということで、
(結局完成しなかった)開発中止になりかけたが、
Me側が新設計した主翼を転用した急降下爆撃機や
高高度戦闘機を開発する提案を軍に行い、
高高度戦闘機型の開発が認められたことで改設計されることになったが、
当初搭載予定だったDB605系エンジンよりも大型のDB603系エンジンを
搭載することになったので、
機体サイズも大型化してしまいMe109とは全く別の機体になってしまった。

さらにMeが多忙を極めた為に、開発作業がBV(ブローム・ウント・フォス)
に移管されることになり型式もBv155に変わったが、
そこでさらにP51を参考に新設計した層流翼の主翼と、
水滴型キャノピーを備えた与圧式コクピットの巨人機に変貌を遂げたため
益々開発が遅れ、結局実戦配備されずに敗戦を迎えたというアフォな機体。

125 :名無し三等兵:2016/10/02(日) 21:46:02.78 ID:lpzHWqfa.net
>>124
> 当初搭載予定だったDB605系エンジンよりも大型のDB603系エンジンを
搭載することになったので

エンジン自体の整備に関しては、
ドイツ空軍は液冷エンジンが主体だから
さほど苦ではなかっただろうね。
もっとも、大戦後半は部品の精度や材質が悪化して苦労したようだが…

あと、F型以降はエンジンカウルが簡単に大きく開くようになり、
エンジンアクセスがかなり改善されていて、
写真を見てもいかにも整備性が良さそうに見える。
むしろキ61飛燕のほうが、構造的に
(エンジンマウントが機体構造材を兼ねたモノコック式のため)
整備性が悪かったと思う。

126 :名無し三等兵:2016/10/03(月) 15:42:04.78 ID:m4IWyyhO.net
 さて、私たちは飛行場に戻り、「3,500トンタンカーを炎上させました」
 と報告しました。
 しかし司令官は「37ミリ砲弾38発でタンカー1隻が炎上するものか」と、
 私の報告を信じてくれませんでした。 38発で3,500トンです!
 私は、「それで十分じゃないですか。」と返事しましたがね。
 間違いなくそいつに38発を叩き込んだのです。
 初めは皆が私たちを笑いました。しかし情報員がその後確認しました。
 その3,500トンのドイツタンカーはすっかり燃え尽きていました。
 これで十分でしょう。37ミリ砲弾は38発で、3500トンの船舶を始末できます。

エアラコブラとYak2 ゴロドニコフ氏の回想
http://bf109.exblog.jp/1912731/

127 :名無し三等兵:2016/10/08(土) 21:41:31.27 ID:4AzMz8hm.net
 (2)マゾワーの所見
 「ナチスの占領地統治」シリーズ(コラム#2790、2792、2796)で、著書を紹介したことがあるマゾワー
(Mark Mazower)の、先の大戦論のコラムは、結果的にロバーツ批判になっているので、ご紹介しましょう。
 「・・・ Dデー<(ノルマンディー上陸作戦)>がついにやってきた時、
それは、ここ数年における山のような出版物から我々が抱くところの、それが圧倒的
に決定的な出来事であったという印象とはかけ離れたものだった。
 ほぼ時を同じくして行われたソ連の攻勢であるバグレーション作戦
(Operation Bagration)について耳にした人はどれくらいいるだろうか。
 この作戦には、<Dデーが相手にしたものの>10倍近いドイツ師団が関わり、
ドイツの3つの軍が殲滅された。
 よもや、少ないとは思わないだろうね。
 にもかかわらず、Dデーの記念行事の間、全くこちらは話題にならなかった。
 しかし、バグレーション作戦は、ノルマンディーで起こりつつあったことなど
かすんでしまう、史上最大で最も成功裏に終わった奇襲攻撃だったのだ。
http://blog.ohtan.net/archives/51411037.html

128 :名無し三等兵:2016/10/09(日) 20:10:18.24 ID:wqWmZjsP.net
私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛庁の背広組みの官舎があるんですけど、
自分の家の窓にUSB接続のwebカムを貼り付けて、動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。

別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
その官舎が老朽化して使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄へ落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。

それ以来、ぞろ目ナンバーの車につけまわされたり、ちょっと大変な日々です。
ほんの軽い出来心だったのですが、
なんとかあの人たちと縁を切って新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。

129 :名無し三等兵:2016/10/23(日) 21:52:01.64 ID:/G2xqE26.net
ソ連空軍って影薄いなぁ

130 :名無し三等兵:2016/10/23(日) 21:56:53.43 ID:tc+Jf/93.net
空でも人海戦術やってたソ連軍

131 :名無し三等兵:2016/10/25(火) 03:34:01.86 ID:0Xagf3A5.net
ローランド・P・ビーモントも次のように書いている。
 「すぐれたパイロットの個人記録はおもしろいが、ほとんど信じられない。
ドイツの“撃墜記録”を事実として受入れるさい、著者(エドワード・シムズをさす)は多分、これらの記録が
編集された状況――すなわちヒトラーの宣伝機関に踊らされいたドイツ――を無邪気にも見過ごしたようにみえる。
 同様に、英、米、ドイツのエースの表をくらべてみると、ドイツのエースは、なにかスーパーマンのようにみえる。
 ただ一回の戦闘で、我々英国の戦闘機六機を撃墜したり、一日に一二機以上を撃墜することのできる人間が、
どこにいるだろうか?
 一九三九年から四五年にかけて、イギリス海峡と欧州で三八ヵ月間、作戦に参加、六三〇時間飛行しても、
だれもその記録には対抗できるものはない。
 ドイツの戦闘機パイロットは、一九四〇年には、我々ほどすぐれているようにはみえなかったし、
一九四四年になると、ぐっと腕がおちた。
 勝利を記録した方法の違いが、ドイツのエースの能力を、過大に評価していたのではないかと思われる。」
 最後に、英空軍大佐で、三八機を撃墜したエース、ジョニー・ジョンソンの話を紹介しよう。
 「私は、“戦闘機パイロットとして比類なき名手”といわれた有名なドイツのエースの記録を、
詳細にチェックすることができた。
 アフリカ西部砂漠で、彼が最大の戦果をあげた日は、一九四二年九月一日で、彼は一七機を撃墜、
うち八機は一〇分間の戦闘に撃ちおとしたと主張している。
 しかし英国側の記録では、この日合計一一機を失ったにすぎず、しかもうち二機は、ドイツ軍パイロット
があげていない型の『ハリケーン』であった。
 事実、英国側の損害の一部は、彼の機がまだ地上にいたときに、おこっている」
http://ktymtskz.my.coocan.jp/E/EU5/ashu10.htm

132 :名無し三等兵:2016/10/28(金) 07:21:10.67 ID:Z9/9c//p.net
最初期のケストレルエンジン搭載型から、109は前縁スラットを装備していた。ロールスロイスのエンジン
を搭載していたこともおかしなことではあるが。このスラットもまた、英国のハンドレー・ペイジ社の
ライセンス品であった、という話も魅力的ではある。
開戦に至るまで、ドイツはメッサーシュミットのためハンドレー・ペイジ社にライセンス料を支払っていたわけだ。
付け加えると、スピットファイアに使用された楕円翼はもともとハインケル社考案のもので、ハインケル社と
スーパーマリン社は開戦前まで多くの共同作業を行っていた。ハインケル社はマーリンエンジンのドイツ
での製造権購入さえ試みていたのだ。
http://bf109.exblog.jp/i2/

133 :名無し三等兵:2016/11/05(土) 02:32:28.40 ID:1H/mkBBD.net
Production from the synthetic plants declined steadily and by July 1944 every major plant had been hit.
These plants were producing an average of 316,000 tons per month when the attacks began.
Their production fell to 107,000 tons in June and 17,000 tons in September. Output of aviation
gasoline from synthetic plants dropped from 175,000 tons in April to 30,000 tons in July and 5,000 tons in September.
http://www.anesi.com/ussbs02.htm

>Output of aviation gasoline from synthetic plants dropped from 175,000 tons in April to
>30,000 tons in July and 5,000 tons in September.

アルフレート・グリスラフスキ
―ロシアの前線で戦った搭乗員と、ドイツ本土防空戦の参加者との感覚の違いをお聞きしてもいいでしょうか?
 ロシアでは戦争そのものも、飛行機も、戦いも全く異なっていましたね。ロシアで行われていたのは純粋
な空中戦でした。仕事…うーん…ゲームというのとも違うな、スポーツ、そう、スポーツに似たような感じです。
もしもこのような表現が許されるのであれば。生存を賭けたギリギリの戦いではありませんでした…一方、
ここドイツでは、高高度から街々に爆弾が降り注がれ、辺り一面で爆発が起きるのを見ながらの戦いですから、
より個人的な、より感情的なものとなりましたよ。連合軍の爆撃機は800機ずつ、そして戦闘機も同じくらい
の数がやって来る。これは全く違う戦場です。ここドイツでは、搭乗員の命は平均して7日だけ、
1週間だけしかもちませんでした。ロシアではこれほどの緊張はありません。勿論、損失は出ていたのですが、
しかしたったの7日間ということはなかった。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/5870/grislavski1.html

134 :名無し三等兵:2016/11/07(月) 08:36:16.22 ID:idUrk2Zl.net
>>6
教育が間に合わずパイロットが[操縦方法を知っている]レベルだから同程度の性能のドイツ戦闘機1機に99機とか落とされまくるはめになったんだが

135 :名無し三等兵:2016/11/07(月) 22:51:27.32 ID:t2Di1+Ot.net
>>134
>ドイツ戦闘機1機に99機

ソ連の軍用機生産数ってドイツの100倍くらいだったの?

自分が知ってる限りイギリスと同じくらいの生産数だと思ったが。

136 :名無し三等兵:2016/11/08(火) 11:14:59.41 ID:cg50w9RT.net
>>135
すまんすまん
ソ連側のパイロットが素人に等しすぎてソ連とドイツの空戦では
戦闘機99機撃墜!というドイツ側のエースパイロットを量産してしまったって話さ
352機撃墜して生還した猛者までいる
結果、ソ連の戦闘機生産数はドイツの1.5倍程度あったが大戦間は常に深刻な航空機不足に悩まされていた

137 :名無し三等兵:2016/11/08(火) 11:19:06.52 ID:KIRJ3E/j.net
未熟な搭乗員でも任務を果たせる
戦術と機材を用意していた
ある意味合理的

138 :名無し三等兵:2016/11/08(火) 11:20:39.12 ID:cg50w9RT.net
極端な例だと
独ソ開戦直後に大粛清により有能な軍人がいないソ連機12000機とドイツ機2000機が戦ってソ連が負けて制空権取られてる

139 :名無し三等兵:2016/11/23(水) 08:25:26.15 ID:gBntcFhA.net
そのソ連の可動状態だった飛行機は25%もあったかどうかすら怪しい。
ドイツのソ連侵攻時、赤軍の装備はほとんど整備不良でスクラップ状態。

140 :名無し三等兵:2016/11/26(土) 15:12:15.28 ID:HvQYxzZq.net
五式戦闘機が人気あるのは金ピカMSでクワトロバジーナ大尉が乗ったから・・でなく

FW190の構造をうまくとりいれて日本には珍しくドイツ的な機体だからだと思う
当時の日本ではムスタングのような「ナマズのようなふっくらした胴体にするとよい」とされて
雷電のようなぶざまなデブ戦闘機もできた

しかしムスタングのようなティアドロップ型が抵抗が少ないのはあくまでプロペラがない風洞実験で
牽引式プロペラ機は、プロペラより後ろを絞ることで最も抵抗が減る。これが正解
頭でっかち空冷エンジンから一直線に絞り込んで細い胴体とし、排気も利用し側面乱流を整え
高速化をはかる190はたしかに合理的

日本の五式戦闘機、ソ連のLa5もあらそってこの方式を真似て高性能を得てる
英国レシプロ最強のホーカーシーフューリーもまねたこの空力正解はFW190が元祖とされてる。

141 :名無し三等兵:2016/11/26(土) 16:02:22.73 ID:Le1Xkg73.net
>>97
昭和40年代からの来訪者かw

142 :名無し三等兵:2017/01/21(土) 16:56:07.40 ID:CLEfEwzJ.net
まず液冷というのは空冷には不要な冷却器やタンクを装備しなければならず
しかもエンジン下にラジエーターを合体したP40やテンペストならともかく
わざわざボテ腹までひっぱってラジエーター装備した飛燕は

オイルクーラーまでひとまとめにしてボテ腹に引っ張っていったため、
操縦士はオイルの高温で熱くてたまらず高圧高温のオイル配管から油漏れが多発

油漏れするオイルクーラーは水冷却器の内部にあるという悪意の塊のような設計だったため
オイル系をハンダ付けで修理するのは重い超巨大ラジエターもおろすという大変な力仕事になる

地上でエンジン吹かすとオーバーヒートして「お湯沸かし」で飛べなくなる飛行機までいた
しかもこの蒸し熱い飛行機を熱帯のニューギニアに派遣して戦わせたのだから
暑さで気が狂って密林に墜落してしまう飛行機が多発した
ニューギニアの星と言われた50機撃墜の竹内大尉も密林に突入し消えた

のちに空冷化したあと、除去された飛燕の冷却器が330キログラムに達していたことが明らかになった
330キロもの悪性癌が腹に張り付いていたのだから飛燕が性能を悪いのもうなずける

143 :名無し三等兵:2017/01/25(水) 15:21:32.87 ID:9nU38pDV.net
初期ノモンハンではソ連空軍は日本陸軍と巴戦をやったらしく、
後期にソ連機(加速度が高い)にふさわしい戦術をとってから、日本機と互角に戦えるようになってる
ソ連側のノモンハン空戦の証言を読むと、
初期には、日本陸軍のパイロットと機体には絶対に勝てねえ、
とソ連の現場のパイロットたちは、ズンドコに落ち込んだらしいよ
しかしスペイン内戦帰りのベテランたちが指揮官として次々と赴任してくると、
話が次第に変わってくる
とくにG・P・グラブチェンコ少佐の分析と訓話はかなり面白くて、
ちょっと長く引用するとこんな感じ

「『さあ、これをよく見たまえ』と彼(グラブチェンコ少佐)の声は高まった・・・
 『この穴を見たまえ。これらは何を物語っているのか?
 つまりだな、敵(日本機)は二連射し、しかも大部分が命中している。
 この機の搭乗員は
 ぼんやりして、敵を眺めていたのだろう。これで死んでも、名誉なことではない・・・・・・
 31発も被弾して・・・・・・。
 一般的に戦闘機乗りがやられるのは、ほとんどが不注意からである。
 本機は搭乗員が優秀であるかぎり、事実上は敵機の射弾で撃墜されないようにできている。
 ここを見たまえ。背中の装甲板に2発命中している。ところが平気だ。ひびも入っていない。
 翼も胴体も孔だらけだが、孔をふさげば戦闘に耐える・・・・・・
 われわれが優越している点は、わが戦闘機が、速力の点で日本の戦闘機にまさり、
 また防弾力と火力装備で何倍も敵に優っているからである。
 もし九七戦に31発の射弾が命中すれば粉ごなに飛散してしまう』」
(A・B・ボロジェイキン 『ノモンハン空戦記 ソ連空将の回想』 林克也・太田耕訳 45-46頁)

144 :名無し三等兵:2017/01/25(水) 15:22:04.75 ID:9nU38pDV.net
とはいえ、やっぱりパイロットたちは巴戦がやりたかったらしく、
次のような質問をしてる

「『では日本戦闘機の運動性に食いつくにはどうしたらいいでしょうか』
 とソリャーキンは質問をはじめた。
 『敵機は、とくに水平面の運動性にすぐれています。
 そしてわれわれよりも早く機を立て直してしまいますが』
 『いいかね、空中戦をおこなうのは飛行機ではなくて、人間だということを忘れてはならない。
 と少佐は全員に話しかけた。
 『かりに敵機が三倍の運動性能をもっていようとも、
 急激の動作によって、われわれは、加速性能である距離を引き離すことができる』」
(ボロジェイキン 前掲書 49頁)

ベテランによるこうした具体的な分析と訓話によって、現場の士気がメチャクチャあがり、
戦術を変えなかった日本機をドンドン圧倒していった、
というのが、ノモンハン航空戦の実態みたい

145 :名無し三等兵:2017/01/28(土) 21:21:52.82 ID:076yv5nS.net
ま、考えてみればI-16と97式戦は総合的に観れば同クラスの機体だから
愛機の特性を生かした戦術で戦えば本質的には五分五分だわな

146 :打通狂の詩 ◆t0moyVbEXw :2017/02/07(火) 15:17:28.17 ID:ordlKkP6.net
ベルリン陥落1945
https://www.youtube.com/watch?v=4luMV132zdg

トランプ氏に「壁造るな」 分断の歴史持つベルリン市長呼び掛け
2017年01月28日 16:51 発信地:ベルリン/ドイツ
http://www.afpbb.com/articles/-/3115798

ガウク大統領は、次のように強調しているー
「1945年5月8日、我々は解放された。我々を解放したのは、ソ連の諸民族の代表者達だったが、そればかりではない。
それゆえ、我々は、感謝と尊敬の念を示さなくてはならない。戦後ドイツが、ベルリンの壁により長い間分断されたという
事実でさえも、そうした気持ちに影響を与えるべきではない。一部の観測筋は疑っているようだが、私には、
ロシアにもロシア人に対しても問題はない。」
http://jp.sputniknews.com/europe/20150502/284616.html

ソ連軍のベルリン解放については、現在のドイツ連邦政府の立場としては、泣きながら「感謝」するしかない!

総レス数 276
160 KB
新着レスの表示

掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50
read.cgi ver 2014.07.20.01.SC 2014/07/20 D ★