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南雲忠一中将を再評価するスレ(乃)
- 1 :GF長官:2015/03/31(火) 20:49:36.12 ID:1LRKf+7z.net
- 南雲長官はもっと評価されるべき(27代目)
前スレ
[26代]南雲忠一中将を再評価するスレ(井)
http://peace.2ch.net/test/read.cgi/army/1423916246/
(>>189〜 夜戦配備考察の章、>>697〜 夜戦突入の章)
過去スレとテンプレはまとめwikiを参照されたし
admiralnagumo@ウィキ
http://www10.atwiki.jp/admiralnagumo
戦史検証が中心になるので、雑談は支隊スレへどうぞ
【飛越し着艦】本日の南雲部隊司令部 1AF【離着艦】
http://toro.2ch.net/test/read.cgi/army/1384660511/
- 936 :GF長官:2015/08/11(火) 19:43:22.37 ID:naYLio8s.net
- >>935の続き
ドイツ艦隊は、ロイター代将に率いられ、ヤーデ湾を発った。
「1918年11月21日のことであった。
降伏したドイツ大海艦隊の主力部隊は、北海を越えてイギリス
海軍に引き渡すために、スコットランドの北端にある英海軍最大の
根拠地スカパ・フローへ針路を定め、整然と航行していた」
(『ジェットランド沖海戦』光藤亘/著)
「史上最大の海戦」の朝に出撃した時のことが、はるか遠い昔話
となってしまった。なんとも淋しい限りです。
- 937 :名無し三等兵:2015/08/11(火) 23:47:47.18 ID:7aGOzbSr.net
- >>922
ひとつつけ忘れました。高齢のジョンストンを気遣った人たちが彼に
軍帽を被るように勧めたところ、彼は「もし、シャーマン(71歳)が私の
立場ーージョンストンの棺の側に立つーーとしたら、彼も軍帽を被ることは
しないだろう」と断って葬列に加わったのです。(1891年2月中旬)
- 938 :名無し三等兵:2015/08/12(水) 03:16:41.52 ID:SynvPEzH.net
- >>935
>「敗戦国の軍艦で、かくも見事に整備された艦を見たことがない。
まさに驚異である]
これって中華民国海軍か政府関係者の発言?それとも米海軍関係者?
少なくとも中華民国海軍では無いでしょ?
- 939 :GF長官:2015/08/12(水) 20:03:36.89 ID:cdKnKQ2Y.net
- >>937 感動的な挿話ですね。
このような戦友を得たいものだ。
>>938 伊藤正徳氏によると、
「米英の海軍将校たち」となっていますね。
- 940 :GF長官:2015/08/12(水) 20:16:38.03 ID:cdKnKQ2Y.net
- >>936の続き
独艦隊の両脇には、英艦艇が監視のために随伴します。
その中の一艦、米戦艦ニューヨークに乗組んでいた士官によると、
「ドイツ艦隊の先頭は巡洋戦艦ザイドリッツ。
それを先導するために、英軽巡カーディフが、我々の艦列の間を進む。
後続はデアフリンガー、フォン・デア・タン、ヒンデンブルク、モルトケ
であったが、朝日が淡い光を投げかける海上を行く姿、それはまるで
観艦式に臨むような堂々たる陣容だった。
- 941 :GF長官:2015/08/12(水) 20:17:16.32 ID:cdKnKQ2Y.net
- >>940の続き
続いてロイター提督の将旗をかかげる、戦艦フリードリヒ・デア・グローセ
を先頭に、ケーニヒ・アルベルト、カイザー、クロンプリンツ・ヴィルヘルム、
カイゼリン、バイエルン、マルクグラーフ、プリンツ・レゲント・ルイトボルト、
グローサー・クルフュルストなどの戦艦部隊が進む。
この危険な力を秘めた強大な艦隊が降伏したとは、信じられないような
思いである・・・」
- 942 :GF長官:2015/08/12(水) 20:17:42.20 ID:cdKnKQ2Y.net
- >>941の続き
第三者である米将校にとってみれば、感激の場面であったでしょうが、
当時者のロイター提督にしてみれば、これほどの屈辱はありません。
きっと日本海軍首脳部も「たとえ敗れるにしても、こうなってはならない」
と固く誓っていたことだろうと思いますね。
- 943 :GF長官:2015/08/13(木) 20:35:21.79 ID:AysydbHa.net
- >>942の続き
それは敵であるイギリス側も同じだったようで、
スカパ・フローに抑留された独艦隊を見て、英大艦隊司令長官に
なっていたビーティ大将は、こう述べています。
「私は羊の群れのように、我が艦隊の監視の下にあるドイツ艦隊を
目前にするとは、まったく思いもよらない体験であった。
それは哀れというよりは、海軍軍人として悪寒を感じるような光景
であった」
- 944 :GF長官:2015/08/13(木) 20:36:14.39 ID:AysydbHa.net
- >>943の続き
悪寒を感じる・・・
かつての敵が武装解除されたのを見て、勝利の余韻にひたるどころか、
同じ海軍軍人として、不快感の方が勝っていたわけですね。
『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ/作)の中でも、
北極海下でのシーウルフとの交戦において、やまとに対して
降伏を勧告してきた時、
- 945 :GF長官:2015/08/13(木) 20:36:44.92 ID:AysydbHa.net
- >>944の続き
「何を言い出すかと思えば、強制浮上勧告じゃないか。
潜水艦にとって、撃沈以上の屈辱だ。
こっちが受けると思っているのか?」
と山中副長が吐き捨てていますが、
このあたりは”船乗り”に共通する感情かもしれません。
- 946 :名無し三等兵:2015/08/13(木) 21:53:35.21 ID:f6QjoEBx.net
- >>939
てことは独伊の軍艦と比較してのことになりますな。
>>945
でも下級水兵達の感想は異なると思います。
- 947 :GF長官:2015/08/14(金) 19:23:41.05 ID:nEiD8ZYJ.net
- >>946 そうですね。>下級水兵達の感想は異なる
ですから日本海軍「首脳部」と書きました。
- 948 :GF長官:2015/08/14(金) 19:32:27.50 ID:nEiD8ZYJ.net
- >>945の続き
独艦隊がスカパ・フローに入ったのは、11月21日の午前。
それからヴェルサイユ講和条約の海軍条項批准までの
約半年間、そこで過ごすことになった。
この間、5月31日はジュットランド海戦3周年に当たりますが、
ドイツ艦隊の水兵たちは、独帝国海軍旗と革命の赤旗を掲げ、
紅白の星弾を打ち上げて、この日を祝った。
- 949 :GF長官:2015/08/14(金) 19:33:04.29 ID:nEiD8ZYJ.net
- >>948の続き
監視にあたった英フリーマントル少将は、
「彼らは不満を抱いているようではあったが、運命を素直に
受け入れているように思われた」
と振り返っています。
しかし、この時点で末端の水兵たちは知らなかったでしょうが、
ロイター少将はベルリンの海軍本部と連絡を取りつつ、
ある計画を実行に移そうとしていた。
それは独艦隊の”後始末”に関するものだった。
- 950 :GF長官:2015/08/15(土) 19:25:00.64 ID:91VhsF+v.net
- >>949の続き
休戦協定の期限切れは、1919年6月21日。
この日の正午をもって、ドイツ海軍の全艦艇は、英海軍に
引き渡されることになった。
後に6月23日1900時に延期されます。
- 951 :GF長官:2015/08/15(土) 19:26:27.85 ID:91VhsF+v.net
- >>950の続き
そして運命の6月21日。
英フリーマントル少将は、訓練のため麾下の艦隊を出港させた。
彼も警戒していないわけではなかったが、ドイツ水兵の大部分が
帰国していたので、安心していたようです。
1020時、ロイター提督坐乗の戦艦フリードリヒ・デア・グローセの
マストに「第11項を認む」の信号旗が掲揚された。
意味は、自沈用意。
- 952 :GF長官:2015/08/15(土) 19:28:08.76 ID:91VhsF+v.net
- >>951の続き
続いて1120時に、Z信号が。
乗員たちは注水弁を開き、一斉に退艦を始めた。
自沈しやすいように、予め舷窓は開放され、水密扉なども
開けられていたとか。
抑留以降、独帝国海軍旗が掲げられることはなかったが、
この時は檣頭に大きくはためいていた。
- 953 :GF長官:2015/08/15(土) 19:28:34.53 ID:91VhsF+v.net
- >>952の続き
次々と艦が沈み着底。あるものは転覆する。
当時スカパ・フローには、駆逐艦が数隻があるだけで
なす術もない。
着底した巡洋戦艦ヒンデンブルク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%91%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E8%89%A6%E9%9A%8A%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%B2%88#/media/File:SMS_Hindenburg_sunk.jpg
- 954 :名無し三等兵:2015/08/16(日) 03:15:07.32 ID:qXvi7m5m.net
- >>952
>Z旗流
引船をよこせ(脱出用)ですかねえ
小型船舶でもある程度の信号機ありますけど
Z旗はリアル海上で揚げたら怒られます。
- 955 :GF長官:2015/08/17(月) 21:21:00.41 ID:hgsdNnK6.net
- >>954 いや、Z旗は予め決められた暗号でしょう。
国際信号旗をそのまま使うとは思え無いですし。
- 956 :GF長官:2015/08/17(月) 21:48:46.11 ID:hgsdNnK6.net
- >>953の続き
演習中のフリーマントル少将は、独艦隊自沈の白瀬を受け、
直ちに訓練を中止し、スカパ・フローへ戻った。
スカパ・フローに着いたのは1430時。
まだ浮いている艦もあったが、沈み始めた大型艦を阻止することは
かなわず、夕刻までに主力艦15隻、軽巡4隻、駆逐艦32隻が
沈んだ。
主力艦で残ったのは、戦艦バーデンただ一隻。
他に軽巡3隻、駆逐艦28隻。
- 957 :GF長官:2015/08/17(月) 21:49:33.70 ID:hgsdNnK6.net
- >>956の続き
後に、自沈の報を受けた前公海艦隊司令長官の
ラインハルト・シェーア提督は、次のように述べています。
「私は艦隊の自沈を嬉しく思うものである。
降伏という不名誉な汚点は、海軍に残されなかった。
自沈は艦隊の士気が未だ衰えていないことを証明した。
この最後の行為こそは、ドイツ海軍の最良の伝統の
現れなのだ」
- 958 :GF長官:2015/08/17(月) 21:50:58.61 ID:hgsdNnK6.net
- >>957の続き
この点においては、ロイター少将以下の士官たちも、
反乱を起こした水兵たちも、思いは一致していたのだろう
と思います。
後に大部分の船は引き揚げられたが、
戦艦ケーニヒを始め7隻は浮揚を断念し、今も沈んだまま。
かつて激戦が行われた北海を、静かに見守っています。
- 959 :名無し三等兵:2015/08/18(火) 18:56:42.23 ID:w6/twocg.net
- もし独艦隊が戦勝国に引き渡されても改装されてWW2に参加とか無理かな?
- 960 :名無し三等兵:2015/08/18(火) 20:24:43.55 ID:02OJ8Ea6.net
- ワシントン条約の結果をうけてほぼ確実に廃棄対象になると思う。
- 961 :名無し三等兵:2015/08/18(火) 20:58:26.03 ID:c5IGKq/U.net
- 軍縮条約で処分対象になりそうとか
鹵獲艦は規格が合わないから使いづらそうとか、
大改装されるくらいなら普通は新造するだろうとか
可能性があるとすれば、
独戦艦の仏伊が認められるイフ世界で、しかも軍縮条約が無いイフ世界で、さらに軍縮条約無いにも関わらず新造せず改装を選ぶという選択を仏伊がする(まあ改装と簡単に言っても、機銃増設程度から機関変更クラスまで様々だけど)
といくつもハードルあるけど、可能性がゼロじゃないと言う意味では無理じゃないんじゃないの?
高いハードルが沢山あるけど
- 962 :名無し三等兵:2015/08/19(水) 14:08:20.99 ID:rYMNmbzq.net
- 「1532」
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。
米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。副島隆彦注記。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。
戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
ミッドウエー海戦という決定的な敗北を喫した。山本は、ずっと呉(広島)の戦艦大和の艦橋に居て、無線で指令を出していた。
無線封止(むせんふうし)さえしていなかった。これらはすべて露見している。
本当は、ミッドウエーには、戦艦大和 が先導して、空母艦隊を守りながら、戦闘(海戦)をするべきだったのだ。
今もなおアメリカの手先を自認している者ども、おのれらの恥多き人生を深く、真の英霊たちに向かって恥ぢよ。
この時の、「飛龍」艦長、山口多聞(やまぐちたもん)少将(第2航空戦隊司令官)の戦い方と死に方こそは、
帝国海軍の軍人の鑑(かがみ)である。敗戦後も、おめおめと生き延びて、「私たち海軍は、平和主義だった」などと、
よくも、あの恥知らずの、アメリカの奴隷になった軍人どもは、言えるものだ。
文藝春秋、新潮社よ、産経バカ右翼は論外)お前たちの歴史の偽造を、私、副島隆彦は絶対に許さないからな。
南雲忠一(まぐもちゅういち)、栗田健男(くりたたけお)(聯合艦隊司令長官)ども!!!許さん。
それから、航空隊の司令官の、源田実(げんだみのる。戦後もずっと自衛隊代表で、参議院議員をやっていた)。
お前たちも、心底、怪しいのだ。始めからアメリカとつながっていた、スパイ軍人どもだ。
お前たちを、これから、日本国の真実の歴史の法廷に、引き釣り出す。
- 963 :名無し三等兵:2015/08/19(水) 20:22:26.71 ID:ppA4c106.net
- 源田って、ミッドウェー海戦の時、航空参謀として
わが軍の勝利に向けて、どういうことをしたんかいな?
結果的に利敵行為になるような進言、たとえば南雲に
攻撃機の換装を進言したりなど、ろくな動きしかしてないと思えるのだが。
- 964 :名無し三等兵:2015/08/22(土) 07:40:53.61 ID:dzsu7N3u.net
- >>963
まあ病み上がりだからね。
でもGFからの事前情報、索敵報告ともに米艦隊まだいない、現に島からの猛攻を受けている。
上陸予定日は勝手に変更できない、って状況なら島への攻撃続行を進言するのは参謀として当然では。
いや、俺の勘がまだ雷装待機って言ってますっていう訳にはいかんでしょ。
航空参謀として米空母を脅威に思えばこそ先に島の航空基地を潰して、実際に米空母が来たときに2面
作戦避けようと考えるのは正しいからねえ。
唯一突っ込むとしたら索敵計画は十分だったか?そして計画どうりに実施されて漏れはないかとかを
より詳細に確認、ってとこかもだけど、彼の立場はそこでは無いようだし。
(もう少し下っ端?の仕事かな。それはそれで問題(索敵軽視)ではあるかもだけど
もともとの海軍の索敵方法にそってのことだしねえ)
やはり今回だけは俺の勘がそれではだめだと言ってるとかの進言?かな。
そうやって毎回同じこと言ってたらそのうち左遷されるな。
さすがに結果的に利敵行為は可愛そうな表現。
結果的になら南雲司令部もGFも大本営も全部利敵行為ばかりじゃん。
- 965 :名無し三等兵:2015/08/22(土) 11:26:30.09
- >>958
ダメコンの話のために北海にワープしたハズだっただったのに、なんで戦後処理の話になってんの?
さっさと珊瑚海にもどらないと翔鶴沈んじゃうよw
- 966 :綾香:2016/02/23(火) 23:59:15.40
- 愛するGF長官さま 教えて!
三空母被弾の情報を最初に得たのはいつでしょうか?
何によって、どこで、誰が出した情報によってでしょうか・・・
- 967 :名無し三等兵:2016/02/27(土) 02:55:48.40
- 0750の第8戦隊からの報告だろうね。
- 968 :綾香:2016/02/27(土) 12:21:20.74
- >>967
ありがとうございます!
愛するGF長官さまはどこにいらしたのでしょう・・・。
- 969 :綾香:2016/02/27(土) 12:38:06.20
- >>967
その根拠は、宇垣さんの日記と1航艦戦闘詳報ですか。
「・・加賀蒼龍赤城三艦被弾大火災・・」という第一報。
そうなら
「悲報が次から次に」という映画などのシーンとだいぶ違いますね。
- 970 :名無し三等兵:2016/02/29(月) 00:41:38.59
- >>968
GF長官は吉原の名妓「高尾太夫」ならぬ「御新造艦・大和」の上で
悶えて負ったようですな。(将棋を打ちながら、「ほう、またやられ
たか」なんて泰然自若たる様子であったというのは、後世の擬装工作
の疑い大なりざんすな。
- 971 :名無し三等兵:2016/03/01(火) 07:16:40.06
- >>970
「将棋やってた」「ほう、またやられたか」なんてのは、ボケ老人のたわ言でしょう。
ミッドウエーから40年近くも経って突然言い出した、ということを見ても頷ける。
たまたま口から出任せを言ったら、周りが騒ぐ、取材に来る、インタビューもされる、
本を書いてくれと言われる、お金も貰えた・・・、これは生きがいになるよね。
ちょうど、慰安婦問題のあの吉田清冶とそっくりだね。
将棋やってた相手とされる渡邊参謀は、ある対談で当時のことを証言しているのです。
それによれば、
「当時は当直で戦闘艦橋にいた。突然、伝声管から空母火災の連絡を受けたので内容を確認して
下の階の作戦室の長官に報告に行った。」という趣旨を話している。
また、当時長官の周りにいた他の誰も将棋の話はしていない。
「悲報が次から次に」の意味は、大和の敵信班が敵機の連絡を傍受したのか、とも思ったが、
それも違う。
なぜなら、敵側は日本の空母の艦名など判別できない筈。
それなのに、@「加賀沈没」だのA「赤城総員退艦」が「悲報が次から次に」の1番目、2番目だとしている。
また、@もAも被弾してから何時間も後のこと。事実と全く異なる。
だから、百%ウソです。
(本人はウソを言ってるわけではないのかも知れないが・・・)
- 972 :名無し三等兵:2016/03/01(火) 07:26:44.71
- あの戦争に関する手記をいろいろ見てるのですが、結構いい加減なのが多いのです。
日記や公的記録などの一次資料と照らし合わせてみると到底事実と思えないものが多いです。
しかし、不思議なことに、世の中は、「証言」を百%事実として、さまざまな書物に引用して、
それをもとに解釈を構築しているものばかり。
日本だけではなく世界中でもそうらしい。それが歴史になっていくのだろう。
- 973 :名無し三等兵:2016/03/23(水) 08:50:21.36
- すべての手記は自己弁護に満ちているとみて間違いはないでしょう
戦闘中の記録は艦橋で逐一時刻とともに
書き留められていきますが、おなじ場所にいた幕僚が
それにさえ矛盾する口述をすることもしばしばです
- 974 :名無し三等兵:2016/03/25(金) 08:46:04.95
- 出所不明、由来不明の情報がどんどん付け足されていく
真珠湾の油槽ダミー説や栗田艦隊の北方に敵発見情報説など
非常に怪しい
- 975 :名無し三等兵:2016/03/25(金) 17:22:51.90
- ある本を見たら、下記のような証言をしている人物がいるのを知った。
これが、いろんな本にそのまま引用されてるようだ。
↓
「南雲司令長官、草鹿参謀長らは大和に移られたが、作業服姿であった。・・・略
南雲長官の、その悄然とした姿は言葉に言い表せず、ものの哀れをすら感じさせた。
南雲長官は・・泣いて非を詫びていた。・・・略
昼食の接待を受けられた時も、南雲長官は最後までずっと頭を垂れていられた。
南雲長官にとって、誠に長い長い時間であったとお察しする。・・・略」 MI作戦
これは事実ではない。
この場面は6月10日のことらしいが、この日南雲長官は大和には行っていない。
大和に行ったのは草鹿参謀長、大石先任参謀、源田航空参謀である。(宇垣参謀長の日記)
南雲長官が行ったのは6月14日大和が柱島に帰還した日の20時頃である。
南雲長官は大和より先に本土に帰っていたから、「作業服」でもないし、
「昼飯を接待され」ることも「頭をずっと垂れ」ることも「泣いて非を詫びた」こともなかった。
ボケ老人が、南雲長官と草鹿参謀長を混同しているのである。
- 976 :名無し三等兵:2016/03/26(土) 08:28:40.29
- それはお芝居の世界だな
日本に帰着してなんで作業衣を着ているのか
むしろこいつらが航海中、正規軍服を脱ぐ状況ってあるのか?
- 977 :名無し三等兵:2016/03/26(土) 13:22:03.06
- >>976
だから、その話はウソなの。こういうウソを平気で証言したり書いたりしてる人。
作業服着てるわけがない。日本に帰ってるんだから正規の軍服を着用してるよね。
20時頃に大和に行ったのだから、それまでに夕食も済ましてるだろ。
戦後何十年もたってから、当時のことを証言したり書いたりしてるこの人が
GF長官らが将棋をやってたと証言した人。
- 978 :名無し三等兵:2016/03/27(日) 11:29:23.54
- そこのところは相手が軍医長だと聞いていたから
さもありなんと思っていた
GF長官は飾りの仏像みたいなものだから実はなにもすることがない
参謀相手というのは、無理
彼らは忙しい
- 979 :名無し三等兵:2016/03/27(日) 13:12:32.57
- ウソを平気で堂々と書く人々が多いような気がする。
有名なある月刊誌に、戦後こんな記事が出ていた。
「真珠湾攻撃に向かう連合艦隊が秘密を守るために、手を振って見送る日本の漁船を撃沈していた!」
この記事に疑問を持った海軍出身者が調査に乗り出した。その人物が乗っていた駆逐艦の他の士官たちに
問い合わせてみて、そんな事実は存在しないことが判明した。
ウソを平気で言う連中がいるのだが、どうも彼らは、夢で見たことを事実だとでも思うらしい。
- 980 :名無し三等兵:2016/03/27(日) 13:39:36.70
- >>978
軍医長じゃなくて従兵長。
この人は「悲報が次から次に来て」とか「ほう、またやられたか」と言ってる人。
しかし、これは完全にウソ。
なぜなら、当時は戦闘中であり「電波戦闘管制」の状態にあり勝手に電波は出せない。
出せるのは南雲長官が命令したときだけ。しかし7時半頃に三艦がほぼ同時に被弾し、
赤城は通信機能が麻痺した為、南雲長官ら1航空艦隊司令部は赤城を脱出している。
旗艦赤城の将旗が降ろされたのを知り、第八戦隊の阿部司令官がGF司令部宛に、
「三艦被弾大火災」の電報を出したのが7時50分である。
残った「飛竜」がやられたのは、それから6時間以上後のこと。
だから、「悲報が次から次に来て」とか「ほう、またやられたか」とかというのはあり得ない話。
したがってこの人物の証言の最大の言いたかったこの部分が事実ではないことは・・・
一切がウソだということの方が真実だろう。
- 981 :名無し三等兵:2016/03/27(日) 19:36:21.17
- この従兵長と称する人物は、
南雲長官とGF長官の間に溝があったかのようなことを書いてる。
しかし、そんなことを従兵がどうこう理解できる筈も無いことだ。戦後得た情報だろう。
この人は、6月10日に草鹿参謀長がGF長官と対面した場に自分だけがいたと書いているが、これも事実ではない。
事実は宇垣GF参謀長がいたのである。(宇垣参謀長の日記)
その他の間違いも極めて多いこの人の証言は、信用できるものとはとても思えない。
この人物の言いたいことは、
「自分がGFの中枢にいた重要な人間であり、信用された有能な人間だった」
という自己重要感を満たしたいのであり、
それに沿ったストーリーを無意識に作って自己充実を図っているのであろう。
- 982 :名無し三等兵:2016/03/28(月) 08:18:23.39
- その従兵長なるもの、単なる下士官じゃないの?
ガンルームとかの雑用をやってるんだと思うが
- 983 :名無し三等兵:2016/03/28(月) 21:18:07.08
- GF司令部幕僚の従兵たちの長で、自分は常にGF長官の傍にいたとか言ってる人。
そういう重要な場所にいて、秘密も知ってるんだ、それほど自分は信頼されていたんだ、
ということを言いたいのだろう。
それを示す為に作ったストーリーが「将棋のお話」。
GF長官が将棋中だったとか、悲報が次から次に来る中で「ほほう、またやられたか」とかの「お話」。
- 984 :名無し三等兵:2016/04/27(水) 22:05:58.63
- . ,
- 985 :名無し三等兵:2016/05/24(火) 00:10:42.45
- >>983
その「将棋のお話」ですが、私が不思議に思うのは、
この話をちょっとでも「ホント?」と思う人がこの日本にほとんどいなかったということです。
少し調べれば、この証言者の言ってることが絶対に在り得ない話だということがわかるのに。
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