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●神立尚紀を評価するスレ 1話

1 :名無し三等兵:2015/03/15(日) 10:27:47.52 ID:HV/Ii/M2.net
「祖父たちの零戦」の著者、神立尚紀について語りましょう

11 :名無し三等兵:2015/03/15(日) 13:05:19.18 ID:LyKDvCKk.net
山本五十六は捕虜となった搭乗員に自爆を強要


しかし、昭和十七年(1942年)5月の初めでした。
その搭乗員たちにもついに最後の断が下りました。
山本五十六長官によって、これを自爆させろという命令がまいりました。

その頃、私たちはポートモレスビーのアメリカ軍機と戦っておりましたが、
五月の初めに前進基地のニューギニアのラエという基地に、森玉部隊から
二機の九六陸攻が飛来いたしまして、一機は彼らが搭乗していました。

そして、もう一機には飛行長が乗っていて、彼らの最後を見届けるために
やってきました。私たちはそんなばかなことはあるかと言ったけれども、
とても私たちの意見は通りません。

『知られざる坂井三郎』大空のサムライの戦後
【第一章】坂井三郎のラスト・メッセージ

http://books.rakuten.co.jp/rb/12355862/

12 :名無し三等兵:2015/03/15(日) 14:33:29.33 ID:Wc77zrt4.net
神立先生よ
実際、クソ小説「永遠の0」については、どう思っているの。
なんか百田タコ坊主に丸め込まれちゃったんじゃないの?
携帯小説ばりのストーリーにイロイロな資料の丸写しじゃん。

13 :名無し三等兵:2015/03/15(日) 23:53:01.71 ID:DVVHX3zT.net
>>12
たかがカメラマンのぶんざいごときに
そんな意見なんか聞いても
しかた無いだろがwww

14 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:45:28.86 ID:GPvuEFGr.net
>>11
全くのウソ。 日付もウソ、命令の出所もウソ。
まず日付、
坂井氏は「5月上旬」としているが自爆が行なわれたのは、1942年の「3月31日」である。 
命令の出所、
第11航空艦隊と
その隷下の第21航空戦隊所属第1航空隊(1空)とが開いた合同査問会議である。
連合艦隊司令部が行なったのではない。

この1空事件とも呼ばれる事件を戦後、調べた人がいる。
その結果は、岩川隆著「我れ自爆す、天候晴れ」という本に詳しく描かれている。
岩川隆氏が自爆中攻機の隊員たちの上司であったM飛行長の遺族を訪ね、
飛行長が現地で記録し遺品として残されていた資料によって当時の状況が判明している。

第11航空艦隊と1空の合同査問会議で尋問され、その判決として
「戦闘に参加する中で死処を得させる」
「第11航空艦隊の内部だけで処理し、外部には出さない」ということが決まったのである。
連合艦隊司令部とは一切関係ない。

また捕虜を恥辱とする下記Cのような考え方から、仲間からも村八分的な
イジメを受けるに至り、自爆をせざるを得ない心理状況に追い込まれたものである。
1空は4月1日からはマーシャル諸島タロア基地への移動が決っており、
この日の3月31日が、ポートモレスビー攻撃の最後の機会であったから、
飛行長は強い表現で暗黙に自爆を示唆したものと見られる。

残念ながら当時の日本文化の問題である。
海軍人事は海軍省が行なうのであるが第11航空艦隊から「戦死」とだけ報告されている。
海軍将兵は開戦時に30万人以上が存在したのである。
戦闘の指揮をする役目の連合艦隊司令部がそんなことやるヒマがあるわけないのは
子供でもわかるだろう。

15 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:46:44.58 ID:GPvuEFGr.net
>>11
A
全くのウソ。 日付もウソ、命令の出所もウソ。

この自爆は1空事件といわれ、詳細については下記の文献参照
@秦郁彦著「日本人捕虜」中央公論社 中公文庫 第10章「ワレ今より自爆セントス」
最も詳しく記述している。文献A〜H掲載。
A岩川隆著「我れ自爆す天候晴れ」中央文芸社
岩川氏が実際に飛行長の残した記録を調査して書いた第1級の資料。
B森史郎著「海軍戦闘機隊」R出版
C高橋定著「飛翔雲」
D木村八郎著「われ自爆す、天候晴れ」文芸春秋1961年10月号
E松浪清著「命令一下、出で発つは 在ラバウル、五八二空の死闘.」光人社NF文庫
F森史郎著「原田一飛曹機の悲劇」丸1982年9月号
G鈴木三郎手記「特空会報」第17号
HGeorge Johnston著「NEW GUINEA DIARY」
I関根精次著『炎の翼』 光人社NF文庫 
J『航空ファン』 2006年4月号
K『ヨーイ,テーッ!』中攻会編(文芸春秋2005)
L生出寿著「特攻長官大西瀧治郎」
著者生出寿は根拠もなく「大西が命令したのだろう」という関係者の言葉を掲載している。
M坂井三郎著「大空のサムライ」「零戦の真実」他
坂井氏は 「山本長官が命令」したということの出所も理由も根拠も一切何も書いていない。
日時の誤り、記述内容は事実とかけ離れていて有り得ないことだらけなど、坂井氏本人は
自爆機と接触していないことが飛行機隊戦闘行動調書の記録 を見れば明らかである。
自己が経験した他の作戦(5月上旬)と1空事件を意図的に混同させていることなどから、
噂や他の出版物を 参考にして、ある意図を持って書いた「創作」といってよい。

16 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:48:09.76 ID:GPvuEFGr.net
>>11
B
全くのウソ。 
原田機の自爆は、連合軍側によって記録されている。
@ttp://recordsearch.naa.gov.au/scripts/Imagine.asp?B=30045606&I=1&SE=1
Attp://www.3squadron.org.au/subpages/Turnbull_Bone.htm
Bttp://www.pacificwrecks.com/airfields/png/7-mile/raids/index.html
これを見ると原田機は昭和17年3月31日、ポートモレスビー ワイガニ飛行場に
翼の一部が分解するほどの全速力で垂直降下して大地に突っ込んでいった。
アジ歴「1空飛行機隊戦闘行動調書」の記述3月31日と合っている。

自爆が行なわれた3月31日に、
坂井氏は比島クラーク基地から比島マリベレス飛行場銃撃に出撃している。
したがって、坂井氏の記述、ラバウルやラエで自爆機を見送っただの、
風防に手文字で励ましたなどは全くあり得ないことである。

自爆した中攻機の所属する第1航空隊(1空)はこの当時ラバウル基地から
ニューギニア方面(ポートモレビーなど)に出撃していた。
(1空の中攻隊がラバウルに進出したのは2月23日)
ニューギニヤ方面の陸攻隊掩護は3空や4空が行なっていた。
坂井氏の所属する台南空ではない。
3月末に自爆中攻機を掩護していたのは4空の零戦隊であり
坂井氏(台南空)ではなかった。
以上は下記の資料によって明らかである。
(昭和17年2月〜昭和17年3月 1空、3空、4空、台南空、飛行機隊戦闘行動調書 )

17 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:49:26.35 ID:GPvuEFGr.net
>>11
C
坂井氏が所属する台南空がラバウル(ニューブリテン島)に進出したのは4月16日であり、
翌17日にラエ(ニューギニア島東部)へ進出したのであるから、坂井氏は
自爆中攻機と接触したことはないのである。
★したがって、坂井三郎氏の1空事件の記述(大空のサムライ、零戦の真実など)は
日付も事実ではないし、他にも台南空、1空、4空の戦闘行動調書を調べれば
坂井氏は 自爆機と接触する機会などなかったことが明らかである。
山本長官が命令を出したなどという坂井氏の主張は一切何の根拠もないものである。
「第11航空艦隊内部だけに留める」という査問会議の決定があったことなどを
1下士官の坂井氏が知るわけもない。
坂井氏が勝手に根拠ないことを何らかの意図を持って書いたのだろう。

18 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:50:43.99 ID:GPvuEFGr.net
>>11
D
全くのウソ。
捕虜になるのを禁じたうえ帰還した捕虜に自決を強いたのは日本帝国陸軍が最初である。 
日本帝国陸軍が帰還捕虜に対して自決を強いている例はいくつもある。
当然、陸航空隊もその例に洩れない。
秦郁彦著「日本人捕虜」中央公論社にも陸軍航空の例がいくつか記されている。 

捕虜になることを禁じたのは日清戦争時に
陸軍第1軍司令官の山縣有朋による『申告』がはじめてである。

「檄して名誉ある我が帝国軍隊の将校に告ぐ・・・
萬一如何なる非常の難戦に係はるも、決して敵の生檎する所となるべ可らず。
寧ろ潔よく一死を遂げ、以て日本男児の気象を示し、日本男児の名誉を全ふすべし。」

明治以来このような精神風土の中で日本軍将兵は戦っていた。
昭和16年の東条英機陸軍大臣名による「戦陣訓」だけが原因ではない。
戦場でも帰還捕虜にも自決という風習を日本軍に普及させたのは帝国陸軍であった。

このような背景で第11航空艦隊・1空の「合同査問会議」の決定が行なわれたのである。

19 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 00:52:02.13 ID:GPvuEFGr.net
>>11
E
全くのウソ。

(戦闘行動調書から確かに )
坂井氏は「5月はじめ」にポートモレスビー攻撃の陸攻機掩護に参加している。 
この時の陸攻機部隊が森玉部隊であった。
しかしこの森玉部隊というのは4空のことであり、一式陸攻機の部隊である。
自爆した原田機は1空の九六式陸攻機の部隊に所属する。

自爆日時は連合軍側記録と「飛行機隊戦闘行動調書」から3月31日であり、
この日3月31日に坂井氏は比島攻略戦に参加しているのでラエにいるはずがない。
坂井氏の所属する台南空がラエやラバウル方面に進出したのは4月16日以降。
自爆後のことである。

したがって坂井氏はこの「5月はじめ」のことと、1空事件(3月31日)のことを、
長い年月の間にそれらを混同して、再構成したストーリーを創作したものであろう。
坂井氏の著書に頻繁に散見される海軍人事への不満の記述から見て、
それを山本長官のせいと勘違いして逆恨みしていると思われる。
(海軍人事は海軍省人事局の担当)

20 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 01:28:52.88 ID:1aT04xGx.net
>>19
だからその自爆が3月31日だったという話に
証拠が無いだろ。

行動調書では3月31日に消息不明とはなっているが
この事件は海軍が組織的な隠蔽工作をやっており
その組織の資料である行動調書に、そもそも信憑性が無い。

21 :名無し三等兵:2015/03/16(月) 21:31:25.67 ID:GPvuEFGr.net
>>20
>自爆が3月31日だったという話に証拠が無いだろ。

○○○イを相手にするのもバカバカしいが。
それなら、坂井氏が言う「5月上旬」に証拠があるのか?
あるなら出してみろ。。無いよねwww

F
戦闘行動調書から確かに、坂井氏は「5月はじめ」に
ポートモレスビー攻撃の陸攻機掩護に参加している。 
この時の陸攻機部隊が「森玉部隊」であった。
しかしこの森玉部隊というのは4空のことであり「一式陸攻機」の部隊である。
自爆した原田機は1空の「九六式陸攻機」の部隊に所属する。
坂井氏は1空飛行長が自爆当日にラエに来て、自爆機搭乗員に自爆を命令
したと書いている。しかし、1空は4月初めにはマーシャル諸島タロア基地へ
移動しており、5月にラエに居るはずも来るはずもないのである。
自爆日時は連合軍側記録と「飛行機隊戦闘行動調書」から3月31日であり、
この日3月31日に坂井氏は比島攻略戦に参加しているのでラエにいるはずがない。
坂井氏の所属する台南空がラエやラバウル方面に進出したのは4月16日以降。
自爆後のことである。

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