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神之塔 -Tower of God- Part.3

583 :風の谷の名無しさん@実況は実況板で:2020/07/19(日) 01:23:06.60 ID:n1x7/RKt.net
>>582
>>581
◆韓国人が推進した協約締結

 この「個人への強制」という点では、高宗皇帝自身への脅迫などがあったという韓国側の主張もある。確かに、高宗皇帝自身は保護条約締結に反対だったと考えられている。
判明しているだけでも、協約調印後に、欧米列強に協約無効の文書を送っている。その時に、脅迫により強制的に調印が行われたこと、皇帝自身は調印を許可していないことなどを理由として上げ、
条約の無効を訴えていたのだから、その皇帝が協約を裁可したのは脅迫によるものだというのである。

 しかし、原田環氏(広島女子大教授)の最新の研究によれば、(「第二次日韓協約調印と大韓帝国皇帝高宗」・『青丘学術論集』所載・二〇〇四年四月)皇帝自身への脅迫どころか、
高宗皇帝自身が協約締結のリーダーシップを発揮していたことが明らかになっている。

 原田教授は、『五大臣上疏文』などのテキストを中心に高宗皇帝の言動を検討し、「実際の高宗は老練な宮廷政治家であり、韓国の外交権を日本に委譲することには反対であったが、第二次日韓協約の締結に際しては、
日本の協約案を修正して調印する方向に韓国政府の大臣達を動かしている」と述べる。

 記者なりの理解でそのポイントを整理すれば、明治三十八年十一月十五日に伊藤博文が内謁見した際、皇帝は最初は形式的な外交権だけは韓国に残すという提案をするのだが、
伊藤がこれを断固拒否すると、「交渉妥協」、つまり日本側の協約案を修正して受け入れるという基本的な立場を表明し、さらに外部大臣に日本側と交渉するよう命じる。

 その二日後の十七日には、皇帝と大臣達の御前会議が行われ、ここで皇帝は「交渉妥協」を命じる。当時の韓国は皇帝専制であり(大韓国国制第二条)、これで韓国の方針は決定される。
この御前会議で、大臣達は最初は全員が反対だったが、皇帝の勅諚が下ったために、皇帝と大臣によって修正案の検討が始まり、三点の修正意見が出る。
ところが、韓参政大臣と朴外部大臣が受け入れそのものに反対したため、韓国側は対日交渉の基本姿勢は決定できなかった。とはいえ、皇帝は自ら「交渉妥協」の方針を表明して、
大臣とともに修正案を検討していたという事実は重要である。
>>578
>>564

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